過去の登頂記録 (2004年6月〜8月)

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2004年 8月 31日〜9月3日 薬師岳
28日〜29日 黒部源流・赤木沢から北の俣岳
21日〜22日 ヌク沢左俣から甲武信岳〜ナメラ沢下降
17日〜19日 北岳
7日〜9日 槍ヶ岳北鎌尾根
3日〜5日 白馬岳
7月 27日〜29日 鹿島槍が岳
6月 23日 蕎麦粒山
20日 火打石谷
19日 滝上谷
15日〜16日 戸渡尾根からの甲武信岳〜十文字峠
12日〜13日 笛吹川鶏冠谷左俣三の沢
8日 大菩薩峠から柳沢峠
1日〜2日 飛竜山

 

薬師岳

 以下の者は、2004年8月31日〜9月3日にかけて、北アルプス北部の立山黒部アルペンルートの室堂を出発し、一の越から縦走を開始し、龍王岳、鬼岳を巻き、獅子岳(2714m)を経てザラ峠を通り、広大な草原の五色が原を横断し鳶山(2616m)から越中沢岳(2591m)を越えスゴ乗っ越しから間山、北薬師岳を越えて巨大な山容の薬師岳(2926m)に登頂し、太郎平まで縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 五色が原からスゴ乗っ越しにかけては、北葛岳、舟窪岳周辺とならんで賑わいを見せる北アルプスの中でも最も奥まり隔絶した山奥の地です。立山、薬師岳と言った有名で大きな山々の狭間にあって、静かで雄大な何かがそこにはありました。それにしても厳しい条件の中の四日間でした。足早に過ぎ去ったはずの台風なのに、室堂は夕方まで強い雨と風の中にありました。出発の遅れは憧れの五色が原での宿泊を許さず、しかも二日目は行動時間だけでも10時間を越える長丁場を強いました。立山北部の鬼岳、獅子岳といった不遇ながら勇壮な雰囲気を持つ花崗岩の山々もガスと強風の中に過ぎました。それだけに風の止みだし秋の鰯雲のたなびく五色が原の長閑な草原と黒部湖を挟んでの後立山から裏銀座にかけての大きな展望は素晴らしく感じました。それにしてもスゴ乗っ越しへの道の遠かった事。「風の谷」では異例中の異例である実際の行動時間11時間の行動となりました。厳しい行動に耐えてたどり着いたスゴ小屋の奥秩父を思わせる素朴な佇まいには心も身体も休まる何かがありました。しかし、それにしても徹底的に天候にはついていなかった私達です。当然のように台風一過の晴天を期待していたのに、屋根を打つ雨の音。すぐに止むという期待は、どんどん強くなる雨足と強い風に打ち消され、とにかく安全に薬師岳を越える事に神経を集中させられる時間でした。風雨の最も強い時に越えた薬師岳。それが一転して太郎平手前でガスが晴れ、風も止み黒部源流の山々の見えだした時の感動は小さいものではありませんでした。最後の日だけ、美しく晴れ渡り、秋の陽射しの中に越えてきた山々が剣岳を背景に高く並んでいるのを見る感動は大きなものでした。首都圏から、けして近くない薬師岳周辺の山々。けれども、いつの日かもう一度、晴天の下に歩きたい素敵な縦走路でした。

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五色が原には秋の雲 風雨の山頂。つらい! 太郎平下の三角点からは越えてきた山々が全部見えた

太郎平下の三角点からは
越えてきた山々が全部見えた
太郎平から振り返る薬師。大きい!
五色が原には秋の雲 風雨の山頂。つらい! 太郎平から振り返る薬師
大きい!

黒部源流・赤木沢から北の俣岳

遡 行 ・ 登 頂 証 明 書

 以下の者は、2004年8月28日〜29日、日本を代表する急流・黒部川の源流を薬師沢出合いから遡行し、兎平下から赤木沢に入り、水源に至り、北の俣岳(2645m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 秋風の訪れと共に、谷筋から急速に人の姿が消えていきます。そんな中での赤木沢の遡行でした。登山道と別れる薬師沢出合いから、黒部源流に入り、美しいエメラルドグリーンの谷を徒渉を繰り返しながら進み、赤木沢のナメの連続を越えて、草紅葉に染まりだした稜線に至るまで、ついに人の影を見なかった黒部水源でした。時ならぬ台風の接近の知らせに、谷に入ることそのものを躊躇しながらの入山でした。夏休み最後の週末の北アルプスであったにも係わらず人は少なく、太郎平への道筋では夏の花もすっかりと姿を消して代わりにリンドウが咲いていました。太郎平からの下りは、昨年、文字通りのほうほうの体で逃げ出した大増水の黒部源流の面影も無く、静かに流れる薬師沢の辺の道でした。所々に点在する高層湿原とシラビソの創り出す独特の光景は日本の中では滅多に見ないものです。そして降り立った黒部源流。今回は水量も少なく、穏やかな流れを堪能しながらの遡行でした。そして、源流がゴルジュとなる手前、流れが大きなプールのようになり、静かに水音も小さい岸辺の高台に、今夜のねぐらを作りました。時々、目の前の瀞に大きなイワナが跳ね、焚き火が煙を上げる素敵な一夜でした。
 台風に追われるように明るくなりだした源流を遡行。真っ白な岩と滝、その下に悠々と泳ぐイワナ。そして自然にできた堰堤のような美しい赤木沢出合いへと至りました。日本で一番美しい谷である黒部川。その支流の中で最も優美と言われた赤木沢は、ナメ床とナメ滝を息継ぐ間なく連続させて、一気に高度を上げました。適度な傾斜のナメを次々と越え、鬼のプール、鬼のジャグジーバス等と呼ばれる通称「オニの露天風呂」を過ぎ、大滝を巻き、右俣に入ると、沢は見る見るうちに水量を減らし、草原の中に消えていきました。もう、すっかりと色づきだした草紅葉の斜面。背後に大きく広がる黒部水源の北アルプスの中でも最も静かな不遇の稜線。穏やかに多くの谷が集まり、黒部渓谷となっていく様が背後にありました。遠い谷・黒部。この夏の多くの谷の中でも最も輝いていた閃光のような美しさがありました。

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赤木沢出合のエンテイのような滝 延々と続くナメ 赤木沢の大滝 ビバーク地前のトロ 夜明けとともに出発
赤木沢出合の
エンテイのような滝
延々と続くナメ 赤木沢の大滝 ビバーク地前のトロ 夜明けとともに出発
稜線へ!草紀草の斜面 写真をクリックしてください。大きな画像でご覧いただけます。
稜線へ!
草紅葉の斜面

ヌク沢左俣から甲武信岳〜ナメラ沢下降

遡 行 ・ 登 頂 証 明 書

 以下の者は、2004年8月21日〜22日、奥秩父笛吹川を代表する連瀑帯を持つヌク沢左俣右沢を出合いから遡行し、三段260mの大滝を登攀し木賊山、甲武信岳(2475m) に登頂し、破風山まで主脈縦走路を辿り、ナメラ沢を下降したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 沢登りの博物館と言ってもよい笛吹川流域の中にあっても、最も多くの滝、しかも大部分を登れる滝を連続させるヌク沢。花崗岩を基本とする沢床は白く輝き、樹林に覆われた光の少ない谷底であるにも係わらずどことなく明るく光っていました。滝の大部分はナメを基本としており、滑るように落ちる流水は見事でした。下部の穏やかな谷を辿り、甲武信岳への登山道を越え、堰堤を乗り越えると、延々と始まる滝の群れ。そして、その上にまさか・・・と思う高さから落下する多段の滝・大滝と出会いました。下段は大部分は傾斜の緩い階段状で容易に越える事ができました。しかし、屹立する中段は高度感もあり、シャワークライムを交えての登攀は最高でした。水量が多く濡れながら夏ならではの滝登りでした。上段を越えると周囲の展望も開けて、雰囲気は再び奥秩父の奥深さを取り戻しました。大滝は最上段から下を見下ろしても、傾斜の強さで下は全く見えず大きな空間だけが広がっているのが判りました。ヌク沢は大滝の雄大さのみが強調されがちな谷ですが、下部の穏やかなナメ滝の連続、上部の原生林とガレの創り出す独特の雰囲気、も十分に魅力的です。そして、かつて・・・とは言ってもたかだか15年前には、一基たりとも堰堤は無く、現在の堰堤の連続する中流部分は、ナメとナメ床、優美な谷だったのです。単に堰堤の高巻きが鬱陶しい・・・というだけでなく、美しい谷が破壊された事が残念です。ナメラ沢は毎回、下降に使っている谷。穏やかな広々としたナメの続く独特の雰囲気は素敵です。本来は、遡行対象とすべき谷ですが、破風山から西沢渓谷方面に向かう時、沢に一定の経験のある者にとっては、最も安定的に下れるルートでもあります。「風の谷」ではしばしば下降に使う谷です。滑り台の連続するような独特の渓谷美と、大自然の気配の残る雰囲気は素敵です。
 昨年に続いて、今年は行く前に転進した黄蓮谷。登攀性の強い谷であるヌク沢を選んだのは、白い沢床と滝の連続する所が似ているからです。来年こそ・・・ぜひ!

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ヌク沢下部はナメ滝がつづく ヌク沢は滝の連続! 3段260m大滝の中段 <F下降のナメラ沢は大ナメの連続
下降のナメラ沢は大ナメの連続
ヌク沢下部はナメ滝がつづく ヌク沢は滝の連続! 3段260m大滝の中段
直登したぞ!

北岳

 以下の者は、2004年8月17日〜19日、南アルプス主峰であり、日本百名山の一つであり日本第二位の高峰である北岳(3192m)に広河原から白根御池コースを草スベリを経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 日本列島の中で、この南アルプス北部と四国周辺だけに極端な悪天が支配していたようです。広河原から豪雨と言って良い状態の中の歩きだしでした。川のようになった登山道でしたが、それでも重厚なコメツガとシラビソの創り出す独特の雰囲気は南アルプスの原生林でした。「今日こそは!」の思いの下に歩きだした白根御池。草スベリは夏の終わりの花と初秋の花が一杯でした。この雨が上がれば・・・との思いを何度も繰り返しながら一つ一つの門を曲がり、シラビソがダケカンバに変わりそのダケカンバも無くなりかけて森林限界を迎えても、ついに期待の青空が来る事はありませんでした。それどころか稜線が近づくに従って吹き募る風は、やはりここが日本第二位の高峰であることを教えられた思いがします。そして飛び出した小太郎尾根は、強風の下にありました。木と呼ばれる物が全くなくなり、剥き出しの岩と高山植物、濡れた岩に一歩一歩を踏み出しガスの中に肩の小屋を見つけた喜びは小さい物ではありませんでした。期待の大展望を求めて小屋で待つこと二時間。淡い期待と共に向かった山頂でした。濡れた岩、吹きつける風、ときおり薄日が漏れる中、私達はヒョッコリと3192m!北岳の鋭いバットレスの上に聳える大きな山容の北岳の頂上に立ちました。期待した大展望の代わりに冷たいガスの支配した山頂でした。それでも小一時間、展望と青空と太陽を待った山頂でしたが、ついに諦めて肩の小屋に向かいました。小屋の夜は一晩中吹きつづけた強風とガスの中にありました。・・・・とっとと下りよう・・・との思いの下山の最中、小太郎尾根の分岐へと向かう中、突然のようにガスが切れ、頭上に青空の見えた喜び、鳳凰三山が富士山が奥秩父が見えた嬉しさ。二日間、いじめ抜かれた風の中に美しい南アルプスの一部と出会えた事に感謝したいと思います。
 二俣から見上げた北岳。ガスが晴れてきて「そこが山頂!」と思ったその更に上に聳えた山頂。それだけに北岳の大きさと雄大さを実感させられた三日間でした。

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二俣から見上げるバットレス 大樺沢右俣のシシウド 二俣から山頂をあおぐ
大樺沢右俣のシシウド 二俣から山頂をあおぐ
二俣から見上げるバットレス

槍ヶ岳北鎌尾根

 以下の者は、2004年8月7日〜9日にかけて、北アルプスを代表する岩稜である北鎌尾根を高瀬ダムより湯俣を経て水俣川を遡行し、北鎌沢右俣から北鎌のコル、天狗の腰掛け、独標を経て槍ヶ岳(3180m)に登頂したこを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 北鎌尾根は、日本を代表する美しい岩稜である・・・・そのことを登る度に強く印象づけられるルートです。表銀座を縦走する多くの登山者が、槍ヶ岳を見るとき、まず、その前景となる北鎌尾根に目をやります。東鎌尾根に入り、山頂からあまり標高を変えずに無数の岩峰を林立させ、悪魔のような表情で槍ヶ岳を支える迫力には人々は畏怖を感じるに違いありません。私達は、この稜線をオーソドックスな湯俣からのルートから登りました。硫黄の匂いの強烈に漂う湯俣、いきなりの徒渉を強いられる水俣川の遡行、千天出合いから見上げる屹立した北鎌尾根。そして雷鳴と共にいきなり降りだした強烈な夕立。みるみるうちに増水する沢。すぐに茶色く濁り急激に増水する沢。焚き火、満天の星空、そして昼間のように辺りを照らす月明かり。アプローチと言われる部分だけでも極めて変化に富み「次に何が来るか?」とドキドキしながら一つ一つの曲がり角を曲がる新鮮な驚きがあります。お花畑の中をグイグイと登る北鎌沢。飛び出したコルからの突然のように広がる大展望、天狗の腰掛けの下で群れをなしていたサル、そして天狗の腰掛けから見上げる迫力ある独標。そして何よりも独標を過ぎる時に大きく大きく私達の前に立ちはだかる槍の穂先!そしてボロボロの困難な、厳しい小さなピークを神経を研ぎ澄ませながら通過する度にドンドンと大きく成長する槍!そして最後の急峻な岩場を一つ一つ乗り越えて行った先、岩を回り込んだ所で待ち受ける頂上の沢山の人々の拍手の中に頂上に飛び出した感動。これほど見事に登山という困難の果てに頂点を究める行為を綺麗に達成できる所はありません。自分の苦闘を素直に讃えたい・・・そんな気持ちにさせられる槍ヶ岳北鎌尾根でした。
 けして優しく親切な顔ばかりを見せてくれたわけではない、今年の槍が岳北鎌尾根。けれども、それなりの困難と雷雨を始めとする緊張感があればこそ、見事な達成感をくれた北鎌尾根の三日間でした。

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天狗の腰かけからの独標 独標をこえて ボロボロの岩稜 槍へ!
天狗の腰かけからの独標 独標をこえて ボロボロの岩稜 槍へ!

白馬岳

 以下の者は、2004年8月3日〜5日にかけて、北アルプス後立山連峰の主峰である白馬岳(2933m)に猿倉より小日向のコルから鑓温泉を経て白馬鑓が岳(2903m)、杓子岳(2812m)を経由して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 北アルプスの中でも、おそらく最も多くの登山者の訪れる山である白馬岳。絶えず他の登山者の姿の見える人気の山です。出発点の猿倉は、ゆっくりとした気持ちで見渡す余裕があれば頭上を覆う木々のほとんどが美しいブナの巨樹であることに気がついたはずです。猿倉台地から色とりどりのお花畑を抜けて、登り着いた小日向のコルにはキヌガサソウが見えていました。今年は東京が強い陽射しと高い気温の夏だったのに対して、この北アルプスはようやく先週から夏が訪れた感があり、それまで記録的な豪雨で山々は荒れに荒れたようです。本来ならば無理なく着けるはずの鑓温泉は、ザレ場の横断を含めて緊張の連続の悪路の果てにありました。その分、強い硫黄の温泉は心地よく明日への活力を与えてくれました。鑓温泉から稜線までの道は予想を上回る悪路となっていましたが、岩場も終わり、お花畑は広大で、流石に日本一のお花畑と呼ぶに相応しい見事なものでした。そして飛び出した稜線からは、突然に日本海が広がり、鑓が岳に向けて一歩ごとに背後には大きな展望が広がっていきました。天狗の頭の上に、鹿島槍等から見るのとは一味違う剣岳が顔を出し、五竜岳が、立山が、薬師が次々と顔を出しました。夏山では、天気が良くても霞がかかったような展望となるのに、この日の白馬からは遠く槍が岳から穂高、富士山から南アルプスの山々までが一望の下でした。剣、立山と白馬とを隔てる黒部川の黒四ダムの放水までが見られる圧倒的な大展望の中にありました。
 杓子岳を越えて白馬岳に至る道は、砂礫と照りつける太陽と高山植物の道でした。大分大きくなってしまってはいても、ウルップ草の姿は白馬独特のものでした。その夜から、急遽、台風の影響の下に入って、吹き募る風は山頂直下に立つ山小屋を揺るがしました。日本海に向けての広がる空間を夜の闇の中に感じながら、風の中を大雪渓に向かいました。暖冬のせいか、秋の規模の大雪渓はそれでも、白馬を象徴する雄大さでした。素晴らしい展望の稜線に心から感謝したいと思います。

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白馬山頂 ハクサンコザクラ 大雪渓を下る
白馬山頂 ハクサンコザクラ 大雪渓を下る

鹿島槍が岳

 以下の者は、2004年7月27日〜19日、北アルプス後立山連峰に扇沢橋から柏原新道を経て種池から爺が岳南峰、中央峰(2670m)に登頂し、冷池から布引山を越えて鹿島槍が岳(2889m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 遠方から北アルプスを眺めるとき、槍が岳と並んで容易に見つけられるのが鹿島槍が岳。どこからでもハッキリと判る美しい双耳峰は北アルプスを代表する山容です。と同時に安曇野から延々たる樹林の下の登り道を辿り、夏だと標高差以上にタップリと汗を搾り取られ風の抜けない山懐の道にいい加減に嫌気がさすころ、突然飛び出すお花畑と剣岳の圧倒的な展望との出会いの驚きと、ドラマチックな山の良さを強く感じさせる素敵な山です。東京近郊が早くから暑さと晴天の日々を迎えていたのに対して、どうやら北アルプス周辺は直前まで悪天だったようです。道の泥濘、土砂の流出の状態は、どうやら最も良い時期に登山できたことを教えてくれていました。一斉に咲きだした高山植物は斜面を色とりどりに染めていました。そんな中に一つ、ショウジョウバカマの小さな花弁は、この斜面がつい先日まで雪の下にあったことを教えてくれていました。
 鹿島槍が岳の弟分としか見られる事の少ない爺が岳は、眼前に目指す鹿島槍が岳が最も美しく眺められる最高の山頂でした。三つの山頂の内、二つに登頂し、それぞれの角度から微妙に形を変える双耳峰を眺める事ができました。そして目指す鹿島槍が岳。優美な山容のままに、手足を使う急斜面も極端な登りも無く、すこしづつ広がる背後の北アルプス中核の山々を振り返るうちに思わぬ近さで山頂が聳える・・・・そんな登りでした。そして最後の急斜面。植物さえも無いガラ場の上にヒョッコリと山頂が待っていました。折しも連日、登山者を苦しめていた積乱雲が山頂近くで成長する夏ならではの雄大な雲の流れと共にあった頂上でした。手を伸ばせば届きそうな五竜岳。雲の去来する白馬が新しく展望の中に入りました。黒部の暗い切れ込みの向こうに剣、立山、薬師の山々が私達の訪れを待つかのようでした。
 鹿島槍が岳は北アルプスの中でも最も好きな山の一つです。夏らしい天候の中で山頂に立てた事を嬉しく思います。

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爺が岳山頂 キヌガサソウ ブロッケン現象
爺が岳山頂 キヌガサソウ ブロッケン現象

蕎麦粒山

 以下の者は、2004年6月23日、東京都と埼玉県を分けながら雲取山から延びる長沢背稜の美しい三角錐の名峰・蕎麦粒山(1473m)に日原河畔の川乗橋付近より鳥屋戸尾根を登り笙の岩山(1254m)、塩路の頭、松岩の頭を越えて登頂し、仙元峠、一杯水と県境の尾根を辿り、横スズ尾根を日原へと下山したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 必ずしも展望が良いわけでも無い蕎麦粒山。その山頂に至る道は何れも遠く、大きな標高差は避けられず奥多摩の中の山の中でも不便な山、遠い山である蕎麦粒山。けれども、多くの人々が密かに憧れるのは、いったん覚えると何処からでもハッキリ判る美しい山容と不遇の山なればこその静けさと、大きなブナの木が林立する森の美しさのせいだと思います。人気の川苔山と同じ川乗橋が出発点。すぐに尾根取り付きとなり急斜面を延々と登る尾根でした。周囲を大きな山々が取り囲み風一つ吹かない鳥屋戸尾根は、杉、檜の中に高度を上げて、何箇所かのかつてトラブルのあった急傾斜をこなすと風の吹きわたる快適な尾根道となりました。尾根の一つのコブとも言える笙の岩山は展望とてない静寂の中にありました。蕎麦粒山への道のりの魅力は、ここから始まりました。ブナ、ミズナラの巨樹、すっかりと濃さを増した木々の緑、木の間ごしに見る雄大な川苔山から本仁田山にかけての稜線。そしてその背後に広がる大岳山から御前山にかけての山並み。日原川の上流には不機嫌そうな雲取山が梅雨時独特のモワッとした空気にも係わらず、そこだけ重量感を増して眺められました。川乗橋からの単純標高差で1000m。小さな上下を加えれば、それを上回る登りに限界が近づいた頃、小さな岩の立ち並ぶ蕎麦粒山の山頂に立ちました。目を凝らすと東京の町並みも眺められる東に大きく開けた山頂は、ホウの葉が一杯落ちていました。一杯水への道こそ、奥多摩の中でも最も奥多摩らしい道でした。埼玉側は登山道も無く、ガスの漂う大きな空間が広がっています。何よりも、多くは失われた雑木林の魅力が横スズ尾根の中間まで楽しく続く道でした。
 「雲取山から、何処までが長沢背稜か?」途中で聞かれて巧く答えられませんでした。標高1000mを大きく切る棒の折山まで、この静寂の尾根は続きます。奥多摩の中でも最も静かな尾根。新緑と晩秋が美しい尾根と親しむキッカケとなれば幸いです。

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笙の岩山は木立の中 一杯水付近の森。スゴイ。
笙の岩山は木立の中 一杯水付近の森。スゴイ。

火打石谷

遡 行 証 明 書

 以下の者は、2004年6月20日、多摩川水源の丹波川本流に注ぐ険谷、小常木谷右俣にあたる火打石谷を出合いから遡行し、多くの困難な滝を越えて、幻の大滝と出会い、本流40m大滝を越えてミサカ尾根に到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 まだ少年だった高校一年生の時、初めて挑んだ火打石谷。白と黒の縞々模様の岩と巨大な滝の連続、霧となって降り注ぐ現在の「幻の大滝」こと煙窪。まっさらなスラブに連続する滝。そんなイメージだけが残っていました。その後、20年程前、再訪の火打石谷は出合いまで累々たる流木が溜まり、土砂が多摩川本流まで流れ出る死の谷と化していました。「もう訪れる事は無いだろう」。美しかった谷が破壊された事に強い憤りを覚えながら、隣の小常木谷に転進した辛い思い出があった。それはミサカ尾根の斜面の大規模な伐採が原因だった。しかし、長い時は流木を洗い流し、土砂も流し、最近は遡行価値もあるとの情報の下の訪れでした。かつての記憶がほとんど消えている中、迫力ある5m程度の滝の連続、一つ一つの通過に絶えずザイルが必要な悪さと、変わることの無い縞々模様の沢床は見事でした。奥多摩の中でも隣の登攀性の強い事で知られる小常木谷に勝とも劣らない徹底的に攻撃的な谷の遡行は素敵でした。中間のゴーロ地帯を除けば、絶えず滝と淵の通過が占め、僅かな距離の前進にも何度もザイルを出す息継ぐ間の無い谷でした。極端なゴルジュは頭上さえも見えず、晴れているのかどうか、時折、刺す太陽と時折、降り注ぐ小雨に変化の激しい天気であることを感じていました。正面に空から降っているのか?と思う規模で落ちる滝こそ「幻の大滝」と言われたかつての煙窪でした。本流にあたかも煙のように降り注いで合流する流域随一の規模の滝との出会いは驚きでした。その上流、水が無くなり藪漕ぎとなるまで徹底的に滝を連続させ一気に高度を稼ぎました。クマザサの密集も迫力がありました。振り返ってみて、かつてと比べてとりわけ左岸からの土砂、大岩の流入は落石の多い谷へと変え、鹿の食害は高巻きのルートを危険な物に変えていました。もう少し遡行しやすい、もう少し落石の無い谷であったと思います。それでも、奥多摩、多摩川水系を代表する素晴らしい渓谷が蘇った事を心から嬉しく思います。重厚な緑の谷との出会いに感謝したいと思います。

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火打石谷本流の40m滝 7m滝。真っ暗い谷に、このクラスの滝は無数にある。
火打石谷本流の40m滝 7m滝。真っ暗い谷に、このクラスの滝は無数にある。

滝上谷

遡 行 証 明 書

 以下の者は、2004年6月19日、奥多摩・多摩川日原川流域の小川谷支流・滝上谷を出合いより遡行し、大小屋の滝等を直登し、長沢背稜の展望台・ハナド岩に到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 沢と言うのは不思議なものだと改めて思います。出合いの何でもない平凡な流れ。石積みの間をチョロチョロ流れている沢が、所々で刺激的な滝や釜を作り、一つの曲がり角を曲がると全く違う新しい景色が開ける・・・・登山の中でも最も驚きの連続するものだと思います。滝上谷を含んだ小川谷、日原川の最大の支流である谷は、無数の小さな素敵な沢を持っています。奥多摩でも三本の指に数えられる落差のある50mタツマの滝を持つ犬麦谷、大きな滝の連続する滝谷等は有名ですが、この滝上谷は沢登りガイド本にも遡行図は無く、一部の篤志家にのみ登られる谷です。かつては、むしろ生活の谷としてワサビ田があり、林業が営まれ・・・・という谷でした。遡行してみると、出合いから暫くは平凡なゴーロが続くものの、大小屋の滝で滝が現れだすと、小粒ながら次から次へと滝が現れ、何れも直登が可能でした。見上げる頭上はビッチリと原生林で覆われサワグルミやブナの濃い緑が一杯でした。所々で谷を横断している道は東京都の水道水源林の巡視道でした。水を安定的に供給する沢が美しく保たれていてこそ、美味しい水もあることを改めて教えられた思いがします。突然のように水が無くなり、岩棚が連続し尾根に向かいました。しかし、そこで体験したのは、クマザサが葉を無くし地面が剥き出しになった斜面でした。笹は枯れ、従来のヤブ漕ぎが無くなった代わりに極めて不安定なツメを体験させられました。鹿の食害が原因の森林の荒廃を目の当たりにしてしまいました。這い上がったハナド岩は明るく、眼前に雲取山から鷹の巣山にかけての奥多摩を代表する七つ石尾根の山々が梅雨時にも係わらずクッキリと見えました。それより、印象的だったのは足元に食い込む滝上谷の緑でした。隣の犬麦谷、対岸の鳥居谷の切れ込みと共に沢が集まり谷となり大きな流れとなることを実感させられました。下降に使ったハンギョウ尾根も大きな木々の中に続いていました。無数の小滝の連続した滝上谷。訪れた者の気配も無い静寂の遡行でした。

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滝上谷 大小屋の滝 滝上谷 大小屋の滝

滝上谷 大小屋の滝

戸渡尾根からの甲武信岳〜十文字峠

 以下の者は、2004年6月15日〜16日、奥秩父の中核であり日本百名山の一つであり、太平洋と日本海を分ける分水嶺である甲武信岳(2475m)に最も標高差のあるルートである戸渡尾根を西沢渓谷より徳チャン新道を経由し木賊山(2468m)を経て登頂し、埼玉県最高峰・三宝山(2483m)を越えて武信白岩、大山と原生林の中を十文字峠へと縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 梅雨の晴れ間・・・と言うにはあまりにも見事な晴天の中の二日間でした。大陸からの乾いた高気圧の下の奥秩父は、稜線まで登り切った新緑と苔の台地の上に点々と咲く原生林の花との出会いの中にありました。それにしても厳しい戸渡尾根の登りでした。単に標高差がある・・・と言うだけでなく、ほとんど緩む事の無い傾斜と、大きな段差のある木の根の乗り越し、上に行くに従ってむしろ急になる斜面との格闘でした。けれども、乾いた登山道と適度な涼しい風は私達の背中を後押しし、すこしづつ開けた展望も励ましてくれました。予想よりは遙に容易に、奥秩父主脈縦走路へと飛び出した時は嬉しさ一杯でした。シャクナゲの戸渡尾根ですが、今年は開花が早く、僅かに咲き残りが歓迎してくれただけでしたが、一方でイワカガミが点々と咲き初夏の山を彩っていました。素朴な甲武信小屋の一夜は満天の星空の下にありました。そして翌日、ようやく立った日本の臍!とも言うべき山頂からの展望の見事さ!富士山が、南アルプスが、槍や穂高が私達を待っていました。けれども、最も感激的なのは足元に大きく広がる原生林の海とも言うべき荒川水源の暗い広がりでした。背後に両神山のギザギザを配置し、コメツガを中心とした鬱蒼たる深みはいつ見ても奥秩父を象徴する魅力です。ここから十文字峠への道は、私自身が皆に「どうだ!良い所だろ!」と自慢したくなる木々の美しい、苔の潤いのある、所々で八ヶ岳や浅間山の展望と出会える見事な道でした。コメツガの大木の林立する中に次の世代の若木がビッチリと埋めつくし、それを苔が支える独特の眺め、点々とあるシャクナゲの木々。期待のシャクナゲは武信白岩に僅かに点在していました。年によっては、峠付近を中心にピンクの海となることを知っていてください。奥秩父の魅力を満喫した二日間でした。

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三宝山からの甲武信岳 やっと出会えた、コメツガ林のシャクナゲ
三宝山からの甲武信岳
やっと出会えた、コメツガ林のシャクナゲ

笛吹川鶏冠谷左俣三の沢

 以下の者は、2004年6月12日〜13日、笛吹川の支流・鶏冠谷左俣三の沢を遡行し鶏冠尾根を木賊山(2465m)に登頂し、甲武信岳(2475m)にも登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 沢は生き物!それを実感させられた鶏冠谷でした。前日に大量の雨を、日本の分水嶺たる甲武信岳周辺に降らせた台風は、普段は優美に流れる笛吹川流域の全ての谷を轟音と共に流れる激流へと作り替えました。当初予定の東沢釜の沢は、全ての支流が合流する谷の為、どうしても水量が多く、河原歩きの段階でも水量の多さに躊躇させられるものがありました。「初心者向き」とは言いがたい鶏冠谷でしたが、釜の沢に次ぐ規模を持つ谷で、増水も極端では無いと考えて転進いたしました。それでも水量は多く、毎回、直登する魚留めの滝は、登撃ルートの上そのものが滝となっていて到底登れず、「逆くの字の滝」はちょうどハーケンやボルトの支点の辺りが噴水状(ヒョングリと言います)となっていて、これまた全く直登できず、それぞれに巻いてしまいました。一つ一つの滝は、普段はおとなしい物でも、大きくカーテンの様に水を落とし、飛沫を上げて刺激的な通過となりました。魚留めの滝の上で僅かに平凡な箇所があった以外は、徹底的にゴルジュと滝を連ねて全く息継ぐ間のない遡行を楽しめた事と思います。より遡行距離の長い左俣に入り、さらにナメ滝とスラブの連続する三の沢に入りました。三の沢も、支流とは言え、五段50mのナメ滝を筆頭に一枚岩のようなスラブを重ねて、最後のポロボロのルンゼに消えるまで徹底的に滝の連続でした。猛烈なヤプ漕ぎの末に到達した鶏冠尾根は、尾根そのものを目標とする方もいる変化に富んだ、原生林の美しい、シャクナゲとイワカガミの咲く、素敵な道でした。とは言うものの、既に標高1000m近くを沢の遡行でこなし、更に倒木や岩場もある400m近い標高差は厳しく、そのムードを楽しむ余裕は誰にも無かった事とは思いますが・・・・。
 笛吹川流域は沢の宝庫です。今回の鶏冠谷三の沢のような刺激的な谷が、遡行対象として実に28本。荒川流域を含めれば無限の遡行対象がゴロゴロと転がっている事を強調したいと思います。その一つ一つとの出会いを探していきましょう。

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左俣一ノ沢出合付近
左俣一ノ沢出合付近
本流。水量が多い
本流。水量が多い
魚留の滝。すんごい迫力
魚留の滝。すんごい迫力
甲武信岳山頂からの千曲川水源
甲武信岳山頂からの
千曲川水源
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大菩薩峠から柳沢峠

 以下の者は、2004年6月8日、大菩薩連嶺の最高地点であり日本百名山の一つである大菩薩嶺(2057m)に富士見平から大菩薩峠を経て登頂し、丸川峠、寺尾峠、天庭峠、ブドウ沢峠と東京都水源林の巡視道を辿り、六本木峠から多摩川水源展望台を経て青梅街道最高地点・柳沢峠へと縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 梅雨本番。大菩薩の山々もテッペンまで濃い色の緑が登り詰めました。霧の合間に除く谷間にもつい数週間前には考えられないような鮮やかな緑色が埋めつくしていました。梅雨時は本来は花の季節ではありません。花粉が飛ばず、花に虫が群がるのも難しく・・・というわけです。けれども、峠を中心に地味な草原を見ると、ヤナギランやシモツケ、オオバギボウシの葉が繁り、次の季節に、この峠にも色とりどりの花が飾る事を教えています。一方で、展望の無い霧の山に点々と咲いていたのが様々なツツジでした。歩きだしの富士見平や草原の丸川峠にはオレンジ色のレンゲツツジが、暗い北側斜面には咲き残りのミツバツツジが、所々で朱色のヤマツツジが、そして風の吹く稜線には見事なべニサラサドウダンが咲いていました。初夏はツツジの季節なのです。大菩薩の特徴は北東面の鬱蒼たるコメツガやシラピソの原生林と南西面の明朗な草原の広がりの対比です。明るい大菩薩峠から大菩薩嶺への岩と草原の稜線を越えて、一転、暗い原生林と分厚い苔の作りだす全然違う空間が広がる驚きは、大菩薩の最大の魅力です。この原生林は水を生み出す森のダムでもあります。稜線からほんの僅かな標高差で、滲み出るように湧きだす清例な水、しっとりと点々と雫を付けた苔の絨毯、生き物の気配の濃厚な豊かな森との出会いでした。普段は、ついつい雄大な展望に目を奪われる大菩薩ですが、濃い霧の去来する天気が、もっと違った目で、この歩きつくされた山を見る機会を与えてくれました。丸川峠のご主人以外に全く他の登山者を見なかった静寂の大菩薩でした。今回、有名な大菩薩峠を筆頭に沢山の峠を通過しました。ボーボーと風の渡る明るい丸川峠。泉水谷に向かってかつての木材の運搬路だった寺尾峠、天庭峠、ブドウ沢峠も、一つ一つの峠の山肌の中でも気温の違う、不思議な空間を見せていました。けして派手では無い、大きな木がガスの中からヌッと顔を出す、重厚な大菩薩と出会えました。

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誰もいない大菩薩峠
誰もいない大菩薩峠
丸川峠の草原
丸川峠の草原
大菩薩北原は原生林の森
大菩薩北原は原生林の森
ベニサラサドウダン
小さなツリガネがいっぱいベニサラサドウダン
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飛竜山

 以下の者は、2004年6月1日〜2日、奥多摩多摩川水源を代表する不遇の名山である飛竜山(2066m。最高点は2077m)に後山川林道から青岩谷を経て三条の湯に宿泊し、北天林道から登頂し、ミサカ尾根を下降したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 丸一日がたとうとしているのに、まだ耳の中に海鳴りのように響くハルゼミの声。頂上まで登り詰めた深緑の濃さ。濃淡を変えてトンネルのように稜線を埋めていたシャクナゲ。梅雨入りを覚悟しての入山だったのに乾いた空気の下に点々と浮かぶ南アルプスから富士山、八ヶ岳の展望。ついに人っ子一人会う事の無かった静寂の飛竜山は初夏の多摩川水源の魅力をタップリと教えてくれました。緑色・・・・と一言で言っても、何とイロイロな「緑色」のあることか・・・・、改めて感じました。延々と続く後山林道のアプローチ。所々で見下ろす谷は深く美しい渓谷美を見せるものの、そこはやはり林道。じっと我慢の道でした。時折、パラパラと落ちる雨に翌日の天候を心配しながらの道は、それでも登山道に入ると頭上を覆うサワグルミやトチ、カツラの巨木も交えて皆の顔が青っぽく見えるほどの元気な樹林の道でした。貸し切りの山小屋。絶えず聞こえる沢の音の一夜は、夜九時頃には月や星も見えていました。北天林道は1000m近くを一気に登り切る急峻な登山道。繁殖期の盛りの鳥の声が煩いほどの道でした。そして北天のタル・・・奥秩父主脈の縦走路に出た途端のシャクナゲの歓迎。埼玉側・荒川水源の谷を見下ろすと暗いコメツガの森の下に分厚い苔の絨毯を敷きつめて見事なシャクナゲの海が広がっていました。そして苔を踏みしめて到達した憧れの飛竜山。振り返ってみると、山頂からハゲ岩までが最もシャクナゲの美しい場所でした。シャクナゲを分けるようにして降り立った権現から、ハゲ岩に飛び出すと奥多摩一!と言われる圧倒的な展望が待っていました。前日の雨に空気の汚れが落ちたかのような澄んだ空気。奥秩父の山々がどれも懐かしく私達を見ていました。そして南アルプス。この1か月の間に辿った山々が全て眼前にはありました。シャクナゲ横丁とも言われる前飛竜への道は、既に最盛期を過ぎて白くなったシャクナゲの道でした。奥多摩でも最も長大な尾根であるミサカ尾根。この尾根も見事な緑の道でした。水源の山たる奥多摩の最奥部は、水の季節が最も似合う山でした。

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飛竜山頂
飛竜山頂
大常木谷の新緑
大常木谷の新緑
多摩川水源をはさんで白峰三山
多摩川水源をはさんで白峰三山
大菩薩の上に富士山大菩薩の上に富士山
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