過去の登頂記録 (2004年12月〜2005年2月)

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2005年 2月 22日〜23日 雲取山
15日〜16日 安達太良山
11日〜13日 上河内岳
9日 蓼科山
8日 守屋山
5日〜6日 赤岳
1日〜2日 北八ヶ岳周回
1月 29日〜30日 雁坂峠クッキリ沢氷雪技術訓練
22日〜23日 赤岳主稜登攀
19日 柳沢峠から六本木峠
12日〜13日 硫黄岳
8日〜10日 北岳
2004年 12月 30日〜1月2日 爺が岳
23日 北横岳
18日〜19日 高見石・中山峠から天狗岳
13日〜14日 北八ヶ岳・中山峠からニュウ
28日〜10月1日 谷川岳天神峠雪上訓練
14日〜15日 笹子雁が腹摺山
11日〜12日 黒富士
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6月〜8月の登頂記録へ
4月〜5月の登頂記録へ


雲取山

 以下の者は、2005年2月22日〜23日、東京都最高峰であり唯一の2000m峰であり日本百名山の一つでもある雲取山(2017m)に奥多摩湖畔の小袖よりブナ坂を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 「なんで、昨日、頂上の記念撮影をしなかったのか?」と真剣に悔いられた二日目の風雪の雲取山の山頂でした。この冬一番と言っても良い穏やかな好天の下での鴨沢コースの小袖からの登りでした。道には分厚く踏み固められた氷があり、その上に当日降ったと思われる雪がちょっと乗っている・・・・そんな中の歩きだしでした。見上げる石尾根の千本ツツジ付近の雪の白さと真っ青な空との美しい対比の中、冷たい風にも係わらず陽射しの暖かさを全身で感じながらの道でした。ブナ坂手前からグッと積雪が増えるのは予想どおり・・・それにしても、この鴨沢コース以外は殆ど歩く人の気配も無く、トレースも微かな物ばかりでした。ブナ坂手前からは富士山の前面に大菩薩が黒々とした姿を見せ、丹沢が・・奥多摩の全ての山々が見下ろす位置で眺められ、そして奥秩父の徐々に標高を上げていく山々の左に真っ白な南アルプスが眺められました。奥多摩小屋を過ぎ、頂上が指呼の間になってからの登りの厳しさは何時ものことながら辛い物があります。けれども、一歩登るごとに確実に新たな山々が眺められ、微かに東京の町並みも眺められるこの最後のツメは僕の大好きな時間です。頂上の「原三角点」ははるかな雪の下。東京で一番高い場所に僕達は立てる事ができました。「南アルプスも富士山も浅間山も明日、撮ろう!」これが間違いになろうとは思ってもみませんでした。
 翌朝の頂上!風雪の中に立っているのが辛いほどの2000m頂上でした。ひたすら下る白いトレース。やっと一息ついたブナ坂への道の途中、僅かな休憩の時、ふと目にしたツツジの枝に間違いなく春を知らせる芽の膨らみ、蕾を準備する膨らみを確かに目にしました。山々は冬から、この23日を境に春への道を歩きだしたようです。ちょっと派手な風をお土産にしてしまいましたが、そんな季節の激しい移り変わりと出会えた事を感謝したいと思います。

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一転して風雪が作り出すカラマツの樹氷
一転して風雪が作り出すカラマツの樹氷
ブナ坂への雪道がまぶしい ブナ坂への
雪道がまぶしい

安達太良山

 以下の者は、2005年2月15日〜16日、南東北を代表する火山である日本百名山の一つ安達太良山(1700m)に奥岳温泉から勢子平を経て温泉付き山小屋・くろがね小屋に宿泊し、峰の辻から登頂し、大斜面から薬師岳へと下山したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 東北の山の特徴は、そのたおやかな表情と穏やかな山容にあります。どこが尾根で、どこが谷かもはっきりとは判らない茫洋とした姿、ガツガツと頂上だけを目指すのではなく、山全体を味わうような魅力がそこにはあります。福島県の山は太平洋岸を低気圧が通過する春に最も積雪量が増すと言われています。まさしく、その低気圧がすこしづつ、この安達太良山を目指して近づいてくる・・・そんな中の登山でした。「いっその事、初日に一気に登ってしまおうか?」の野望は、ゴンドラが強風でストップして直ぐにダメ。吹雪状の中、カラマツ林から林道を横切りながら温泉の待つ小屋を目指しました。広々とした勢子平は、どこがルートかも判然としない中、ツツジの木と思われる灌木が広い雪原を埋める中を進みました。谷を挟んでの対岸はダケカンバが美しく雪の斜面を飾り、頬を打つ雪の中に思わず見とれる景色が広がっていました。もう、小屋も近い・・・という所まで来てのラッセル。八ヶ岳等と違い、重く湿った雪をかき分けて進のはそれなりに大変でした。転げ込むように飛び込んだ小屋の暖かさ!温泉のピリピリ来るような熱さ!小屋番の上手すぎない?ケーナは雪の小屋の一夜を楽しいものにしてくれました。頂上に立てるものやら、どうやら・・・心配なままに登りだした斜面。小さな尾根を越え、カール状をつめ、所々でラッセルするうちに降りしきる雪の中、通称「乳首」と呼ばれる黒い岩峰が時々見え、僕達は、その直下に登り着く事ができました。氷の粒のような雪が目を打つなか、岩峰の狭い狭い山頂は足下になりました。
 広々とした斜面を不安を抱えながらルートを見つけ、すこしづつ降りていくルート。やがて小さな松が現れ、灌木が現れ、スキー場で遊ぶ子供の声が聞こえ、僕達の憧れの山頂・安達太良山との出会いは終わりました。単独行の地元の男性が一人いただけ。静寂と春の重い雪の中に登れた夢の頂上でした。

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くろがね小屋下のラッセル 頂上直下のエビのシッポの岩峰 対岸のダケカンバの斜面が美しい まっすぐ前を向けない吹雪の頂上
くろがね小屋下のラッセル 頂上直下の
エビのシッポの岩峰
対岸のダケカンバの
斜面が美しい
まっすぐ前を向けない吹雪の頂上

上河内岳

 以下の者は、2005年2月11日〜13日、南アルプス南部の不遇の名峰である上河内岳(2803m)に静岡県の大井川上流から、畑薙大吊橋よりヤレヤレ峠、ウソッコ沢、横窪峠を経て樺段から茶臼小屋へと到達し、竹内門から登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 それにしても遠い、遠い頂上でした。首都圏からのメンバーにしても名古屋から来るにしても、はるばると大井川に沿って「まだ、こんな所にもこんな大きな集落が!」と驚かされる人里があり、その果ての登山口でした。南アルプス南部の最後のシメとしての光岳と並び、けして無視できない巨大な山であるにも係わらず人の訪れの気配さえなく、他のパーティーのトレースに助けられる事も一切なく、文字通りの自力のみで頂上に立てた事を嬉しく思います。南アルプスの魅力は、一つ一つの山の大きさと、不遇故の原生林の美しさ、登頂した際の達成感の大きさにあります。この上河内岳こそは、まさしくそういった山であり、孤高の頂上であったと確信します。ユラユラ揺れる恐怖の畑薙大吊橋。落ち葉の下の完璧に凍った斜面のトラバース。所々に凍結した滝をかけた谷沿いの道。ダケカンバに夕日のあたる静かな横窪沢小屋。そして、途切れる事も緩む事も無い、果てし無く続くかと思われた茶臼小屋への登り。木々の間から目標たる山々が見え、背後に富士山が現れ、それが一歩ごとに成長していく楽しさ。笊が岳、青薙山と言った夏でも道も判然としないと聞く本当に不遇な山々が大井川を挟んで屹立するのに対峙する嬉しさ。茶臼小屋に着いた頃には、体力の大部分を使い果たした感もありましたが、真っ青な空に向かって登り続けてこれた事で満足感で一杯でした。稜線に飛び出した途端の冷たい風は、やはり2月のものでした。赤石山脈たる南アルプスの長野県側の深い、暗い谷。中央アルプスの白い輝き、そして聖岳から兎岳が前方に聳え、背後に不機嫌そうな黒さで光岳が佇んでいる。そんな中に登りで見てきた穏やかな姿とは一変して峻険な表情を見せる上河内岳はありました。潜るハイマツ帯、複雑な二重山稜。けれども、一歩ごとに大きくなり、背後に太平洋が望まれる中、私達の足元に目指す三角点はありました。
 毎年、南アルプス南部に最も雪が多く、最も人の訪れの無い時を狙って来た「風の谷」です。さて、来年は、どこを目指そうか?

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大吊橋・・・こわかった 美しい上河内岳 頂上!背後に赤石岳が大きい
大吊橋・・・こわかった 美しい上河内岳 上河内岳(右)と聖岳(左) 頂上!背後に赤石岳が大きい

蓼科山

 以下の者は、2005年2月9日、八ヶ岳連峰の最北端にある日本百名山の一つである蓼科山(2530m)に女神茶屋から2161m台地を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 蓼科山は八ヶ岳連峰の最北端にありながら、大河原峠で連峰と一端は途切れたような位置にあり、そのために八ヶ岳自身の優れた展望台として知られています。表玄関とも言うべき女神茶屋からの道。それは予想を越えて、僕自身にとっては何度も登っているはずの記憶を越えて激しい傾斜が続く道でした。ラッセルは週末に訪れたであろう先人の手によってなされ、更にワカンを着けた法政大学ワンゲルの下山パーティーによってキチンと着いていましたが、胸を着く急斜面の連続には正直驚かされました。美しが原から霧が峰、そして八子が峰と続く所々に高層湿原を配置した高地の草原の連続。その独特の風景の最後にあるのが、歩きだした女神茶屋からの道でした。所々にダケカンバを配置した絵のような雪原の中を辿る事僅か。急峻なカラマツの急斜面を登り、所々、のびやかな森の中を辿る以外は明るい雪の道でした。しかし、それにしても見事な展望と共に山頂への道はありました。背後に絶えず見えている中央アルプスが銀屏風のように並び、更に北に木曽御岳、乗鞍岳と並ぶキーンと冴え渡った展望が、一歩また一歩と登るほどに広がっていきました。そして、甲斐駒が岳から仙丈岳、北岳を中心とした南アルプスがカーンと音を立てそうな峻険さで聳えていました。冬の中の春の気配。山々にも春が近い事を教える風の気配の中に、それでも登っていくと高山ならではのエビの尻尾が見えて、一気に風が高山の気配を伝えると飛び出すように頂上直下の森林限界へと到達しました。他の山々を圧倒する北アルプス全山の雄姿。白馬岳から穂高に至るまで端から端まで完璧な姿を私達の前に揃えた、その展望の中、一段と強く、冷たい風の中に蓼科山山頂の三角点はありました。浅間山から奥秩父の展望が、そして間近に見られる八ヶ岳連峰が私達の前に360度の圧倒的な迫力と共にありました。私達はなかなか体験できない素晴らしい条件の下に蓼科山に立つ事ができたようです。その展望と言い、山頂に広がる火口の驚く大きさと言い、やはり名山であると確信しました。北八ヶ岳から南八ヶ岳。趣の違う山脈のまた違った最後の顔に相応しい蓼科山の山頂でした。

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八ヶ岳が大きい! 蓼科山頂! 北アルプスがスゴイ!
八ヶ岳が大きい! 蓼科山頂! 北アルプスがスゴイ!

守屋山

 以下の者は、2005年2月8日、南アルプス最北端の守屋山(1650m)に杖突峠からアカエ沢水源、守屋山東峰を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 守屋山が南アルプスの最北端の山!と言うと、この山に向かう多くの人々は驚くに違いありません。茅野と高遠を結ぶ交通の要衝・杖突峠を爆音を上げて通過する多くの車両。足元には既に諏訪湖が迫り、所々で山里の気配のする中の山。それが3000m峰を林立させた南アルプスの一角とは、とても思えないと思うはずです。しかし、甲斐駒が岳から鋸岳に至った岩峰の群れは、片方で大岩山から鞍掛山、日向山と伸びる尾根となり、もう一方の尾根は雨乞岳から釜無山、入笠山を経て杖突峠から、この守屋山へと至っています。諏訪盆地に岬のように突き出した守屋山は、その独特の位置から「日本百名山が最も沢山見える山」として、知られるようになってしまったのです。標高はけして高くないけれど、山頂付近をカヤトで覆われた露出感の高い山頂。そこは360度の見事な展望と共にありました。けれども、私達の訪れた日は静かな雪がシンシンと降り続ける中の登頂でした。視界はまるで無く、とんだ「日本百名山が最も沢山見える山」でしたが、カラマツの生えた斜面が雪に覆われて物音しない静寂の雪山は独特の魅力がありました。この付近の低山の共通の運命である車道が山のアチコチで「こんな所まで来ていたか?」の思いで残念ですが、それも深い雪の下にありました。標高差も大きくなく、距離もたいした事はないはずですが、アカエ沢水源からの登りは一気に登り詰める急傾斜でした。登り続けるほどに木々には白く雪が積もり、ブナの巨木「元気になる木」には深山の趣がありました。展望盤のある東峰から三角点のある最高点の西峰まで、ミズナラやモミも混じる高山の趣を持っていました。そして、静かだった山に風が強く吹きわたり西峰の三角点はありました。展望の無い分、静寂があり、木々が樹氷のように雪を着けた光景は、その標高を忘れる町と隔絶した何かがありました。
 守屋山は展望だけでなく、ザゼンソウの群落を持ち、さらに杖突峠から入笠山とを結ぶ初夏にはスズランの咲く山域の一角にあります。展望は厳冬期の今に及ぶべく物も無いとは思いますが、緑溢れる季節にもう一度訪れたい山頂でした。

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カラマツも白く化粧







カラマツも白く化粧


何も見えなかった守屋山頂

赤岳

 以下の者は、2005年2月5日〜6日、八ヶ岳の主峰・赤岳(2899m)に美濃戸口より赤岳鉱泉に宿泊し、行者小屋より地蔵尾根を経て登頂し、文三郎尾根を下降したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 5日夕方、中山展望台に立って眺めた赤岳は山頂付近に雪雲を僅かに乗っけて、西壁をすこし赤く染めて見事な迫力で屹立していました。その翌日、一歩、また一歩と冷たい風の中を登り詰め、私達は幸運にも、その山頂に立つ事ができました。北アルプス最北端・白馬岳のみが雲の中にありましたが、期待を越える360度の圧倒的な展望が山頂にはありました。苦しい地蔵尾根の登りの中で、登るごとに開けてくる展望、乗鞍岳が見え、穂高と槍が見え、中央アルプスが見え、そして阿弥陀岳と肩を並べるようになると奥秩父の累々とした山並みが見え・・・、憧れの多くの山々と共に山頂を目指せる赤岳の登頂は見事な演出の中にあります。「まるで夏山のようだね!」とは、我が「風の谷」の古くからの仲間の言葉。たしかに人で溢れた赤岳鉱泉と言い、夏山よりはるかに安定的に踏み固められ舗装されたようなトレースと言い、何よりも点々と並ぶ登山者の姿は、雪山の中で、この赤岳のみで起こる現象かもしれません。それだけ、多くの人を引きつける何かが、この赤岳にはあります。「案内」の中でも記したように赤岳は、到達の山でもあり、出発の山でもあります。ある者は「登山を始めたのだから、せめて雪の赤岳の山頂には立ちたい!」とトレーニングをし、ある者は、この赤岳を出発点に、もっと人の少ない、もっと雪の多い、もっと困難に満ちた大きな山への挑戦を開始する・・・・そんな指標となるべき分かれ目の山であると思います。僕自身、悲壮な覚悟の下に友人と貧弱な装備で挑んだ十五歳の春雪の赤岳が本格的な雪山の第一歩でした。八ヶ岳は主峰たる赤岳以外にも眼前に優美な姿を見せた阿弥陀岳、穏やかな山容の硫黄岳、コウモリが羽を広げたような峻険な雰囲気を持つ権現岳、そして一転して原生林を纏った北八ヶ岳の峰々と、清里側の静寂の尾根があります。何れも、それぞれの個性を持った見事な山です。この山を出発点に、これらの山々への挑戦を開始するキッカケとなれば嬉しく思います。何れの山頂も今日も雪煙を上げながらヒッソリと僕達の訪れを待っているはずです。

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前日中山展望台から見上げる赤岳 風の中一歩づつ地蔵尾根を登る 頂上近し!背後には北アルプスが大きい
前日中山展望台から見上げる赤岳 風の中一歩づつ地蔵尾根を登る 頂上近し!
背後には北アルプスが大きい

北八ヶ岳周回

 以下の者は、2005年2月1日〜2日、北八ヶ岳核心部を坪庭から五辻、出会いの辻、オトギリ平、大石峠とトレース一つ無い雪原の中を辿り、麦草峠から中小場を経て茶臼山(2384m)に登頂し、エビの尻尾に覆われた縞枯山(2403m)へと稜線を辿り雨池峠から坪庭へと周回したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 暖冬と言われ続けた中で、年明けからの山々は珍しい風雪の中にあります。今回の北八ヶ岳を周遊するプランは、この二日間、ついに一瞬たりと言えども雪の止む事の無い極寒の中にありました。歩きだした坪庭の気温がマイナス19度。エビの尻尾に覆われたロープウェイの駅はまるで白い要塞のようでした。たしかに、十数年前までの北八ヶ岳ではマイナス20度も珍しい事ではなく、しばしば寒暖計は時としてもっと下がる事がありました。けれども、昨今、こんなに寒い日々が続いた事があったでしょうか?久しぶりに本格的な凍てつく寒さ、雪ばかりが降り続く中の北八ヶ岳と私達は出会う事ができました。ついでに言えば、この二日間、最後にロープウェイまで僅か・・・という所で、スノーシューハイクの一団とは出会いましたが、人の気配、人の残した物の一切無い風の音だけが響く森林高地の旅でした。歩きだしから着けるワカンやスノーシュー。週末のトレースも樹林帯では微かに残っているものの、夏の草原地帯は吹きさらしの雪原と化し一歩一歩を刻みながらの前進でした。生きている木はモンスターのように成長し、枯れ木は見事な石膏細工へと変身し、まるで純白の不思議の世界となっていました。休むのも気が引ける寒さと吹雪。麦草峠のヒュッテの静かに煙突から上がる暖かい雰囲気に、白駒池に向かう気は一気に失せ、時計は既に2時を回っていた事もあり、早々と暖かい小屋に潜り込みました。翌日は、前の日の僕達の苦闘のラッセルも全て消え、終始、膝から腰までのラッセル。ワカンの効果を疑うような深い雪の中での行動でした。そして延々たる登りの末、精根尽き果てて登り着いた茶臼山。そこから縞枯山までこそが、今回のハイライトでした。深い雪、上から塊となって落ちる雪。けれども吹けば飛ぶような軽さを蹴散らして縞枯山の首まで埋まった標識はありました。北八ヶ岳の冬は晴れれば良いとばかりは言えない。ちょっとした吹雪はこの山のもう一つの魅力です。今度来る時は、笑顔も見せて欲しいけど。

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みごとな樹氷の森 首まで埋まった縞枯山頂の指導標 どこまでも続くラッセル
みごとな樹氷の森 首まで埋まった縞枯山頂の指導標 どこまでも続くラッセル

雁坂峠・クッキリ沢氷雪技術訓練

 以下の者は、2005年1月29日〜30日、奥秩父主脈の中核にある日本三大峠の一つ雁坂峠(2087m)に笛吹川よりの雁坂トンネル入り口から雁坂峠道を経て登頂し、翌日、峠沢支流のクッキリ沢で氷雪技術の訓練を受けたことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 ここ数年に比べると、けして暖かい日々が続いていたわけでもない、この1月の奥秩父でした。けれども、年明けから谷に降り積もった雪は、沢筋に氷結が始まる前に谷を埋めて、笛吹川ならではの凍った滝の連続とはついに出会えないままの「冬の沢登り」となってしまいました。冬の谷の難しさは、その気温と天候判断にあります。最も恐ろしいのは冬の谷に時として訪れる雨です。氷結した滝や釜に降り注いだ雨は、滝や釜の氷を溶かし自然の堰堤として谷をせき止めます。増水となった谷は堰堤を崩壊させて、時ならぬ冬の鉄砲水として谷を襲います。今回は、寒い中に訪れた暖かさと、霙まじりの雪の為、凍結しなかった谷への入谷をためらい、とりあえず、私達の頭上に立ちふさがる雁坂峠を目指しました。しかし「しょせんは奥秩父の雪」と多少ナメテかかった気持ちとは裏腹に、峠沢を渡る頃には積雪は膝を越え、しかも奥秩父ならではの湿った重い雪は一歩一歩のラッセルに大変な苦労を与えました。ワカンの上に乗った雪も重く、遅々とした登りにいつしか時はどんどん経ち、峠直下のあの夏の大草原に入る頃には薄暗い中の登りとなっていました。そして風の吹き抜ける歴史ある日本三大峠の一つ雁坂峠に立つ頃にはヘッドランプの必要な状況になっていました。一転して更に暗い北側斜面の無限に続くかと思われた下りの果てにガッシリとした雁坂小屋はありました。翌日の冬型の気圧配置の中の峠の眩しさ、木々に積もった雪の美しさは見事な物がありました。
 本来の目的であった冬季の谷における技術。とりわけアイスクライミングについては、これは!と思う水量の少ない、枝沢であっても僅かしかありませんでした。しかし、ほとんど他の登山者のいない、静寂の原生林の雪山との出会いは、奥秩父の本来の魅力を教えてくれたと思います。奥秩父の魅力は原生林と谷にある!とは田部重治氏の言葉です。季節を越えてこの山域と親しんでいただければ嬉しく思います。

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暗くなった中、一歩ごとにもぐりながら峠を目指す 雁坂峠 翌朝晴れ渡った雁坂峠
暗くなった中、
一歩ごとにもぐりながら
峠を目指す
雁坂峠 翌朝晴れ渡った雁坂峠

赤岳主稜登攀

 以下の者は、2005年1月22日〜23日、八ヶ岳主峰・赤岳(2889m)に西壁より突き上げる主稜・北峰リッジを文三郎尾根より取りついて登攀し、登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 八ヶ岳・赤岳!多くの人々が憧れ、畏れの気持ちをもって向かう山です。初めて、この山を見るとき、赤岳鉱泉や行者小屋から見上げる屹立した岩壁。そこに点々と張りつき、岩と格闘する人の姿は、雪山初心者にとっての驚きの光景のはずでした。赤岳主稜は、多くのルートの存在する西壁の中にあっても、最も顕著な露出感の高い見事なルートです。最大の困難は風。内陸の標高3000m近い稜線を吹きわたる風は冷たく、強く、晴天下の時ほど辛いものがあります。登攀をしている時は感じなくても、パートナーを確保し、ザイルを握りしめジッと耐えている時、手の感覚が失われる厳しい日も多くあります。今回の私達は、前日までの強烈な冬型が一段落して、月光が皓々と照る夜空、そして強風の吹きつけが落ちついた朝でした。南岸を通過する低気圧が雪を降らせる、その直前、空一面に雲が広がった中ではありましたが、見上げる大同心に頭を押さえつけられるような感覚の中に、テントを出発しました。ヘッドランプの明かりが取り付き近くまで必要な早朝出勤。曇り空にもかかわらず、諏訪盆地の上に北アルプス全山が、穂高から白馬まで銀屏風のように並ぶ中でザイルを着けての登攀開始でした。主稜は取り付きと、終了点間近の凹角の部分が技術を要する以外は、極端に難しい所は無い好ルートです。幸いな事に極端な強風も無く、山頂に登り着いた瞬間に雪が舞いだす幸運の中の登攀でした。
 八ヶ岳西壁の登攀は、無数と言ってよいほどの多くのルートに恵まれています。人工登攀を中心とした大同心正面を筆頭に、傾斜の強い小同心クラック、美しい雪稜を持った石尊稜等は充実感溢れる楽しいルートばかりです。一方、訪れる者も稀な東面。いわゆる佐久側のルートは豊富な雪との格闘、キノコ雪の処理を中心としたワンランク上の総合力の必要なルートが並びます。多くの可能性と、次の一歩を展望に入れた楽しい登攀の可能な八ヶ岳。ここから、また新しい可能性を探っていただければと思います。

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ヘッドランプで取り付きへ! 凹角の登り やっと登りついた頂上
ヘッドランプで取り付きへ! 凹角の登り やっと登りついた頂上

柳沢峠から六本木峠

 以下の者は、2005年1月19日、大菩薩北端の黒川山・鶏冠山を目指して、青梅街道最高点・柳沢峠から水源巡視歩道を多摩川水源展望台、ブナの道を経由して、六本木峠まで到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 東京方面にこの土日に降った雨は、この大菩薩ではずっとずっと重い重い雪だったようです。塩山市内を過ぎ、大菩薩登山口を過ぎる頃から急速に増えた雪は、青梅街道の両側を埋めて、凍った道となりました。もしや?の心配は大当たり。青梅街道を横断歩道で渡った階段は既に雪の斜面となり、いきなりの膝を越える雪の道となりました。僅かな登りの後、すぐに先頭はワカンを着け歩きだしました。クルマの走り抜ける青梅街道からほんの僅か入っただけで、そこは既に深々とした原生林の中でした。ブナ、ミズナラ、ウラジロモミを中心とした明るい森は、動物の足跡だけが残る静寂の中にありました。雪そのものは膝程度の深さ。おそらく50cm程度の積雪は、「風の谷」の山歩きで歩いてきている北八ヶ岳や、奥秩父で経験している積雪と比べても多くはありません。けれども、吹けば飛ぶような粉雪の北八ヶ岳の雪とは、色が白い!という一点を除いては全く違う、重い雪でした。軽々と蹴散らして進める雪ではなく、一歩また一歩とボコリボコリと音を立てて踏み固めて行く雪でした。通常ならば30分。この東京都水道局の水源巡視道として始まった水平の道が、「花の木尾根」と呼ばれ地点で北に大きく開けた地点の多摩川水源展望台と呼ばれる場所からは、期待していた大展望では無いものの白く雪を纏った奥秩父主脈の東部の山々が美しく並んでいました。唐松尾山から飛竜山、竜喰山と言った私達が親しんできた山々が近寄り難い雄大さで聳えていました。しかし、私達の前進はそこから夏なら10分。黒川山、鶏冠山への道と丸川峠、大菩薩嶺への道の分岐点・六本木峠で時間切れとなり、トボトボと引き返しました。前に大きく黒川山の台形の明るい山容はありました。けれども、ここまでで既に3時間半、夏のコースタイムの4倍近い時間が経ちました。明るい森、雪の輝く森の印象が今回の私達の得た物です。帰り道、歩くことに精一杯だった行きと違い、冬の寒い森にそれでも生きている様々な生き物の気配を感じました。アカゲラが木を叩く姿を見た所から僅かでクルマの行き交う柳沢峠はありました。

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絵のような多摩川水源の山々 でっかいブナの木 ボコリボコリ重い雪 音もしない森の中ラッセルはつづく
絵のような多摩川水源の山々 でっかいブナの木 ボコリボコリ重い雪 音もしない森の中
ラッセルはつづく
ラッセルも空しく。ここでおしまい
ラッセルも空しく。ここでおしまい

硫黄岳

 以下の者は、2005年1月12日〜13日、岩と雪の南八ヶ岳で唯一のたおやかなピークである硫黄岳(2765m)に美濃戸口より美濃戸、赤岳鉱泉と辿り赤岩の頭から登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 暖冬の傾向の強かった年末が過ぎて、年明けから延々と続いた冬型の気圧配置。その最も強まった頃に本州でも最も寒いと言われた八ヶ岳に向かってしまった私達でした。冬の八ヶ岳は、通常の冬型の時には寒風は吹きすさぶものの、吹雪には至らず真っ青な空に岩峰が林立する独特の凍った世界が展開します。しかし、入山日にあたった12日は茅野の駅前まで小雪がパラつく強烈な冬の装いの中でした。美濃戸口のバス停前は既に雪の中。凍てつく道を時折、強風で木々に張りついた雪が頭上に落ちる中の登りでした。時々、青空が見えるものの、目の前をカーテンのように風が雪と共に舞う、そんな中の赤岳鉱泉への道でした。行者コースは早々と諦め、降りてくるガイドも「すんごい吹雪ですよ!」の声と共に下っていきます。何回も木橋で川を渡り、それでも見えた!頭上に風と雪に霞みながらも大きく聳える大同心。そしてチラチラと見える稜線の山々。近代的すぎてけして好きになれない山小屋である赤岳鉱泉は、やはり見事な山懐の中にありました。
 翌朝、風も収まり、これ以上は無い!と言う青空の下の出発でした。吹き荒れた風はトレースを消し、一歩一歩を雪の中に刻みつけながらの登りでした。木々に凍りついた雪の美しさ、見上げる赤岳から横岳、阿弥陀の絵のような姿、中央アルプスが、南アルプスが登るごとに顔を出す楽しさ。そしてダケカンバが主流になり遮る物の無い稜線に飛び出しました。北アルプスの大部分が依然として風雪の厚い雲の中にある以外は360度の圧倒的な展望の中に硫黄岳はありました。止んでいた風も森林限界以上では顔を凍りつかさんばかりに吹きつけます。広々とした硫黄岳の独特の山頂は、その風との闘いの後に穏やかに広がっていました。見渡す限りの山波。とりわけ八ヶ岳自身の広がりの中に、山頂はありました。転ぶように滑るようにアッと言う間に下り着いた美濃戸で、この朝が、この冬一番の寒さであったことを知らされた私達でした。八ヶ岳は高い、寒い、そして美しい山です。この冬の様々な角度から、この山域に親しんでいきたいと思います。

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ダケカンバの木はまるでロールケーキのよう 頂上近し!背後は阿弥陀岳と南アルプス 頂上は強い風の中!
ダケカンバの木は
まるでロールケーキのよ
頂上近し!
背後は阿弥陀岳と南アルプス
頂上は強い風の中!

北岳

 以下の者は、2005年1月8日〜10日にかけて、南アルプス主峰・日本第二位の高峰である北岳(3192m)に夜叉神の森から鷲住山から野呂川を渡り、池山吊尾根を登りボーコン沢の頭から八本歯のコルを経由して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 僕が少年の頃には、すでに北岳に登るには広河原までバスが通じており、猛者は夜行日帰りで登頂してくる者もいました。しかし、それ以前・・・たかだか45年前には、この山頂に至る最も手近な方法は、鳳凰三山の地蔵岳を越えて広河原峠を下り広河原に出て初めて頂上に向かう事ができたそうです。遠い遠い頂として日本第二位の高峰の山頂はあったのです。冬になり、スーパー林道が閉鎖になった今、僕達は本来の3192mの標高をタップリと味わわさせられてしまいました。夜叉神の森の林道管理のオジサンに叱られてコソコソと林道に入り、真っ暗な凍りついたトンネルを次々と抜けて、危ない岩尾根の鷲住山を400mも下り、寒々とした吊り橋を恐々と渡り、再び出る車道。またもや延々と辿る凍てついたコンクリとトンネルの道に草臥れはてる頃、ようやく到達する登山口、あぁこれが本来の南アルプスなのだと溜め息まじりに思いました。暖冬だった年末が一転して吐いた息が胸元に凍りつく寒さの中の登りでした。満天の星空にもかかわらず絶えず雪が降り続けるテント場からの再びの登り、これでもかと言う登りの果てにやっと飛び出した森林限界からは風雪の中の登りでした。ボーコンの頭を越えて八本歯のコルへの道はすぐ下の谷に先日の雪崩遭難者が埋まったままの緊張の岩場でした。吹きすさぶ風雪の中、最後の稜線の、まだ?まだ?の思いの中に、間違える事の無い最高点!北岳の標識はありました。ヘッドランプを点けて出発し、ヨタヨタになる10時間を越える行動の頂上往復でした。直下で撤退した二人パーティーの判断も勇気ある撤退と評価したくなるギリギリの登頂だったと言えます。下り着く時になって、改めて感じた南アルプスならではの原生林の奥深さ、重厚さ、そして池山周辺のダケカンバの広がりの美しさでした。とうとう、入山中にはその全貌を見る事のなかった北岳。最後の最後、林道の途中から僅かに山頂の一角が見られました。三日間とも精一杯の行動をして、ようやく勝ち取った北岳。辛かっただけの登山が、とても嬉しく感じられました。

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長いトンネルから登山は始まる やっとたどりついた野呂川 切り立った八本歯の岩稜 もうすぐ頂上
長いトンネルから登山は始まる やっとたどりついた野呂川 切り立った八本歯の岩稜 もうすぐ頂上
風雪の山頂 風雪の山頂

爺が岳

 以下の者は、2004年12月30日〜2005年1月2日にかけて後立山連峰の盟主である鹿島槍が岳を目指して鹿島集落より入山し、爺が岳中央峰(2670m)に東尾根より登頂し、冷池まで到達した後、爺が岳南峰に至り南尾根を扇沢経由で下山したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 年末ギリギリまでの異様な雪の少なさと、年末年始に急激に降りだした雪とに翻弄された今年の正月でした。当初の目的地であった針の木岳ビョウブ尾根は取り付き付近の藪が全く雪に埋まらず到底、登れる状態では無い為に転進した爺が岳東尾根。そこも、藪漕ぎというほどでは無いものの、踏みしめる雪の下からは枝が顔を出し、北アルプス北部の厳冬期とは思えないものがありました。ヤセ尾根を越えてジャンクションから中央峰までは、吹きつのる風雪の中に、三十人近い東尾根を登る全員が交代でラッセルし一歩また一歩と目指した山頂は、その頂が小さな物であっても冬山本来の喜びがありました。そこから、冷池小屋を目指すパーティーは無く、二つ玉低気圧のが正しく頭上を通過する気配を感じながら雪庇と稜線との境目を見いだしながら冷池を目指しました。北アルプスの人気拠点である冷池は、しかし、それから三日間にわたってついに他の人影を見ないままに、すごしました。一晩で天辺ちかくまで埋まるテント。顔の高さまで前方を埋める雪との格闘。除雪して一周すると入り口付近が、もう雪の中にある降り続ける雪。私達は幸運にも素顔の雪山と出会う事ができたのです。鹿島槍が岳は登れませんでした。山頂のはるか手前、布引山のそのまたはるか手前、正直な言い方をすれば冷池から夏のテント場の上の最初の高まりが私達の到達点でした。しかし、恐らくはこの年末年始の最高到達地点は「風の谷」の到達した地点のはずです。下山というより脱出に近かった爺が岳南尾根への道。しかし、強風の中に背後に影絵のように鹿島槍が岳の優美な姿が顔を出し、槍、穂高は全身を青空の下に見せ、そしてまさかの剣岳が幻影のように雲の中に浮かびました。恐らく半日だけ、一瞬の冬型の緩みが見せた劇のような時でした。再びのラッセル、二日かけての下山のはずが、深々としたラッセル跡が突然現れて一気に好転しました。今回の登山、成功だったのか失敗だったのか?けれども風と闘い、雪と闘った四日間は素敵でした。

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鹿島槍へのえんえんたるラッセル
鹿島槍へのえんえんたるラッセル
さんざん苦しめられた爺が岳三山
んざん苦しめられた爺が岳三山
爺が岳南尾根の登り返し
爺が岳南尾根の登り返し
除雪して一周するとテントは真っ白
除雪して一周するとテントは真っ白
下山の日になって初めて顔を出した鹿島槍
下山の日になって
初めて顔を出した鹿島槍

北横岳

 以下の者は、2004年12月23日、北八ヶ岳の主峰・北横岳(2480m)に坪庭より登頂し、岩峰・三つ岳を往復したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 北八ヶ岳の黒い森がようやく樹氷に覆われた。本格的な雪の訪れの前触れが山々に輝きだす、その時に北横岳に向かいました。北横岳は、幸か不幸か2300mまでロープウェイのかかる山。北八ヶ岳の主峰であるにもかかわらず、標高差200mで登頂できる雪山です。それでも出発地点の坪庭の気温は何とマイナス15度。鼻の頭がキーンとなる中での歩きだしでした。まだまだ今年の雪は少なく、木の根、岩が雪の下に隠れたりして歩きやすい状態ではありません。それでもピッケルの使い方、アイゼン歩行の基礎を練習しながらの登りでした。白サンゴを思わせるダケカンバの樹氷、シラビソの木々に樹氷がまつわりつき、もうすこし冬が進めば目毎なモンスターてなって変身することを予感させる姿でした。吹きさらしの山頂からは、眼前に大きく蓼科山が聳え、まだ黒い色が目立つものの八ヶ岳連峰が南に行くほど高く連なっていました。やはり、冬型の気圧配置なのだと実感させる北アルプスの姿は、穂高岳周辺だけが見え、後立山連峰や剣・立山周辺は分厚い雪雲の中にありました。三つ岳への道は、岩の上にウッスラと雪が被り、所々に開く大穴もあり、大変歩きにくいものでした。それでも森林高地に立つ岩峰である三つ岳の山頂は素敵でした。ヒョッコリ飛び出した山頂からは凍結した雨池や奥秩父の山並みが見事でした。朝方、あんなに張りついていたエビのシッポがカラカラと乾いた音を立てて落ち、白さがすこしづつ減る、そんな中での下山でした。
 今回の北横岳は、全くの雪山経験のない方が初めてアイゼンやピッケルを使い、その楽しさを知るためのプランでした。アイゼン歩行が最も安定的に行えるのは他でもない、一定の積雪が相当の硬さで固まり、ガッガッとその歯の全部が刺さるそんな場所です。今回はフカフカの降りたての雪が、木の根や岩の上にソッと積もったそんな中の歩行でした。歩きやすい物とは言いがたい状況でしたが、実際の雪山の多くが不安定な雪、歩きにくい岩場の歩行の部分も多々あります。今回の歩行も必要な技術だと思います。八ヶ岳のとっかかりの山としての北横岳を出発点にぜひ、より困難な雪山に歩きだしてほしい物です。

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北横岳南峰。晴れ! 三ツ岳は雪が少なく歩きにくい やっと出てきた樹氷の森
北横岳南峰。晴れ! 三ツ岳は雪が少なく歩きにくい やっと出てきた樹氷の森

高見石・中山峠から天狗岳

 以下の者は、2004年12月18日〜19日にかけて、北八ヶ岳の表玄関・渋の湯からサイの河原を経て高見石に登りクリスマスパーティーに参加して、中山、中山峠を経て東天狗岳、西天狗岳(2645m)に登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

 北八ヶ岳に雪がやって来た!まだまだ少なく、岩も木の根っこも枝も随所で足にまとわりつきはしますが、それでも足元は白く、時折凍りつき、中山に向かう登りでは、このシーズン初めての樹氷とも出会えました。まだまだ、深々とした雪が山々を別の世界に作り替え石膏細工のような木々が、この森林高地を埋めつくすのは先の事のようですが、それでも、私達の歩いた雪は間違いもなく「根雪」であり、5月末まで二度と地面を見ることはないはずです。中山から見た北アルプスは、すでに真っ白に化粧し、文字通りの「銀屏風」となって湧きだした絹雲のすこし暗くなりはじめた空の下に、稟として輝いていました。高見石は僕が高校生の頃から北八ヶ岳の印象を一手に担った小屋として大好きな小屋です。最後の最後までランプとマキストーブの小屋だっのが、発電機を入れ明るく綺麗な小屋に変身した今となっても、コメツガの森の邪魔にならない見事な小屋であると思います。この小屋の周りを歩くだけでも雪の季節の山の良さが判る場所だと思っています。
 雪の北八ヶ岳。風雪と闘い、凍てついた岩稜との格闘の世界はほとんど無いものの、シベリアタイガや北欧の森を彷彿とさせる独特の世界は素敵です。僕自身は遙々と南八ヶ岳の端から、延々と風雪の世界を縦走し、北八ヶ岳の森に入って目出帽を脱ぐ瞬間が大好きです。困難を克服する冬山から、雪が単に冷たいだけでなく、時には暖かくもあることを実感させる・・・そんな安心の世界が広がっているからです。耳を澄ませば木々の枝を渡る風の声が聞こえる。凍りついた木々の上に目指す山頂が見える。それが、最初の一歩の雪山に相応しい何かがあると思います。ここから出発し、多くの山々を越え、時には氷河さえも乗り越えた先に、必ず帰ってくるべき場所として、この高見石から天狗岳にかけての稜線はあると思っています。「風の谷」では年に何回も無い例外としての小屋泊まりの雪山でした。この山行をステップに次の一歩、もっと雪と一体化できるテント、雪洞の雪山に向けて歩きだしていただければ嬉しく思います。

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中山展望台からの銀屏風の北アルプス 天狗岳直下の登り。ちょっと雪山 できかけ・・樹氷の森
中山展望台からの銀屏風の北アルプス 天狗岳直下の登り。ちょっと雪山 できかけ・・樹氷の森
これからデカくなるゾ!

北八ヶ岳・中山峠からニュウ

 以下の者は、2004年12月14日〜15日、北八ヶ岳の佐久側・稲子湯からシラビソ小屋を経て中山峠に至り、森林高地の岩峰・ニュウ(2351m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 遅れに遅れていた北八ヶ岳の雪の便りが届いたのは、山に向かう前日でした。北八ヶ岳の森林高地が美しく輝くのは梅雨時とタップリと雪の積もった季節。毎年のように、その石膏細工のように白く化粧したタンネの森と出会いたくて、この山域に向かってきました。南北に長く伸びる八ヶ岳連峰の中にあって、多くの登山者を迎える中央線側・諏訪側に対して、小海線側・佐久側はヒッソリと訪れる者も無く、静寂の中にあります。とりわけ、季節は冬。しかも雪の訪れの無い今年の冬は、ほぼ完全に私達だけの世界でした。直前まで全く雪を見なかった乾いた山肌に小麦粉を蒔いたような白い結晶。それを踏みしめての二日間でした。天狗岳東壁を、硫黄岳の爆烈火口を見上げる位置にある森の中の小さな家・シラビソ小屋。その素朴な佇まいと静かに煙を上げるストーブ、その脇のうずくまる犬。北八ヶ岳のシラビソとコメツガの木々に溶け込むような小屋でした。中山峠への一部は急すぎると感じる登り。ダケカンバの森、コメツガとシラビソの織りなす暗い森、そして、それを乗り越した所に風の通り抜ける中山峠がありました。稜線に立った途端に吹きつけてきた風は、間違いも無く、冬の匂いを含んでいました。ニュウへと向かう道こそが、今回のハイライト。しかし、ウッスラと粉雪を被っただけの道は、岩や、木の根を隠す所までは積もらず、けして歩きやすいものではありませんでした。緑の鮮やかな苔の台地とその上に凍りついた雪、そして、何よりも誰もいない静けさ。ニュウからは富士山、中央アルプス、そして槍から穂高と圧倒的な展望と共に、半分だけが凍った白駒池が待っていました。この素晴らしい眺めを独り占めしている幸せを味わいました。
 まだまだ、冬の本格的な訪れの前でした。大好きな凍りついた幹と緑色等全く見えない氷の柱と化したコ木々のつくり出す純白の北八ヶ岳にはほど遠いものでした。本来の1mも2mも積もった雪は、先頭こそラッセルの苦しさはあるものの、アイゼンの歯でしっかりと雪の面をとらえ遙に歩きやすい楽しいものです。その訪れを期待した二日間でした。

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ニュウ頂上 シラビソ小屋から見上げる朝焼けの天狗岳 雪の北八ツつらしい原生林 ニュウから見上げる硫黄岳と天狗岳
ニュウ頂上 シラビソ小屋から見上げる
朝焼けの天狗岳
雪の北八ツつらしい原生林 ニュウから見上げる硫黄岳と天狗岳。
ようやくの新雪

谷川岳天神峠雪上訓練

 以下の者は、2004年12月11日〜12日、谷川岳(1968m)天神峠での雪上訓練に参加し、天神峠から熊穴沢避難小屋を経て天神尾根からトマの耳・谷川岳山頂に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 やはり、どこから見ても暖冬なのでしょう。富士山で毎年のように行っている雪上訓練はとうとうできませんでした。先週、土曜日に日本列島を襲った爆弾低気圧に伴う大雨は、首都圏から一泊二日で行ける全ての山々から雪を消してしまいました。唯一の例外中の例外だった谷川岳。それでも考えられない寡雪の中にありました。雪山シーズンを前にした雪上訓練は絶対に不可欠な物です。期待と不安の中に谷川岳に向かった私達を待っていたのは水上から土合に向けて走るクルマの窓を打つ雨でした。しかし、天神峠付近では雪となり、取り敢えず雪上訓練は可能との事でホッと胸をなで下ろしました。柔らかく、少ない雪はけして訓練に十分な物ではありませんでした。それでも、今回の訓練で行った事は雪山登山を行う上で避けて通る事のできない基本的な物ばかりでした。今回の練習は全て完璧に我が物としていただきたいと思います。例えば滑落停止。自然に止まってしまうような状況下にあっても、それでもなかなか思うようには止まらなかったのではないでしょうか?落ちるぞ!と構えて、最も適当な斜面に間違いの無い姿勢で臨んでやっと止まる。実際の困難な斜面での滑落に際してピッケル等で停止することの難しさを学んだ事と思います。・・・で、僕は、この訓練での最も大切な事は自分の雪山での力を知る事にあったと思います。簡単には止まらないなら、滑落そのものをしないような確実な歩行技術の習得に力を入れ、必要な危険箇所では面倒がらずにザイルを使い・・・という判断をすることの大切さです。それを学んだ二日間であれば嬉しいと思います。二日目、ようやく止んだ雪の下、随所にブッシュは出ているものの、谷川岳山頂を目指しました。時々刻々と変化する雪の斜面と向き合いながら、すこし雪山気分の出る冷たい風の中、山頂に立ちました。途中「風の谷」の講習会で基本技術を学び、現在、山岳会の中核で登っている何人もの仲間と出会いました。雪山の最初の一歩、今年初めてのアイゼン、ピッケルの使用となった山でした。このシーズンも雪山を縦横に楽しみましょう。

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1500m以上だけが雪
1500m以上だけが雪
テントから夜明けに出発
テントから
夜明けに出発
国境稜線にはずっと雪雲
国境稜線には
ずっと雪雲
天神尾根上部
天神尾根上部
やっと顔を出したオジカ沢の頭
やっと顔を出した
オジカ沢の頭
もうすぐ頂上 もうすぐ頂上 風の中の谷川岳山頂
風の中の谷川岳山頂
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笹子雁が腹摺山

 以下の者は、2004年12月8日、大菩薩連峰南端にあり、山梨百名山の一つであり、秀麗富嶽十二景の一つでもある笹子雁が腹摺山(1358m)に笹子の新田下から登頂し、笹子峠上から真西に伸びる尾根を大和村の駒止宿場まで辿った事を証明いたします。

氏名 風 の 谷

 ガッサゴッソ、カサコソ、ガサガサと乾いた落ち葉を蹴散らして滑りながら降りた雑木林の音が、まだ耳の中に残ります。パチパチ、カサカサ、木から木へと逃げていった大きなリスの群れが目の中に残っています。一日中、ついに雲の姿を見なかった真っ青な空。甲府盆地の上に白く連なる南アルプスの山々。御坂の山の上にチョコンと顔を出し、すこしづつ大きくなっていった富士山の稟とした姿。会心の山がありました。大菩薩から御坂にかけては四つの雁が腹摺山が存在します。古い五百円札の裏側の富士山の写真をとった「本家」雁が腹摺山。小金沢連峰の雄、ヒラガナにすると日本の山で一番長い名前となる牛奥の雁が腹摺山。大和村の上に御坂から伸びる尾根の末端を形成する日陰雁が腹摺山。そして今回の笹子峠の上に大菩薩の締めとして存在する展望の山、笹子雁が腹摺山です。渡りの季節を迎えた雁が腹を摺るように山を、尾根を越えていく、その飛翔コースに存在する山。そんな景色が目に浮かびます。どの山も甲府盆地の縁に立つ山で、盆地と、その上に聳える南アルプスを御坂の上の富士山を、同時に眺められる美しい展望の山でもあります。初冬と言うより秋の終わりのカラカラと乾いた落ち葉と共に、その展望と明るい雑木林の一日を過ごせた事は嬉しい事でした。
 この笹子雁が腹摺山のある尾根は大菩薩の尾根の最後を飾る場所です。関東と甲信を分け、天候も文化も分かれる場所です。何気なく見下ろした笹子峠は旧甲州街道の難所であり、武田家が身内の裏切りから峠を越えられず勝沼に引き返した歴史の峠でもあります。今では高速道、中央線、がトンネルで越え、訪れる者も無い峠には風だけが抜けていきます。山頂からは見事に北へ北へと連なる大菩薩の山々が見え、南西面の明るいカヤトの原と北東面の原生林の対比を見せていました。私達の大好きな大菩薩連峰の違った表情、東西とも明るくなった冬枯れの顔と出会った一日でした。

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北へ北へと大菩薩のキツネ色の山々が連なる
北へ北へと大菩薩の
キツネ色の山々が連なる
御坂の山の上に顔を出した富士山
御坂の山の上に
顔を出した富士山
落ち葉を蹴散らし明るい尾根を下る
落ち葉を蹴散らし
明るい尾根を下る
盆地の上には南アルプス
盆地の上には
南アルプス
デカイ!富士山
デカイ!富士山
山頂。明るい。 山頂。
明るい。
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黒富士

 以下の者は、2004年12月1日、奥秩父前衛の黒富士(1635m)に観音峠・大野山林道から、1624mピーク、升形山(1640m)を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 黒富士が何故、黒富士と呼ばれるようになったのか?それを初めて知ったのは高校2年生の晩秋、17歳の時でした。金峰山から以前から気になっていた八幡尾根と呼ばれる尾根、金峰山から真っ直ぐに南下する尾根を歩いて黒富士、鬼頬山、太刀岡山と辿りたいとの強い気持ちから向かった尾根でした。当時、この山域は「連峰スカイライン計画」なる奥秩父主脈の稜線上と大菩薩を結ぶ観光道路の計画があり、その中で木賊峠から長窪峠、観音峠方面を通り大菩薩に向かう尾根が土建屋によって物色されている・・・、そんな中での道のりでした。岩尾根の上下が続き、八幡山を越えて長窪峠を越える頃からすこしづつ尾根の上に踏み跡が現れ、そして1624mピークを越えた時、もう夕暮れが近い中に黒々と不機嫌そうな姿を見せるピークこそが黒富士でした。淡い光の中に黒富士と富士山が交わり、そして離れていく微妙な動きが、見事だったことを覚えています。その「連峰スカイライン」計画なるものは、その後、環境庁が登場し列島改造への批判の高まりの中で一端は姿を消したものの、大弛峠を越える峰越林道であり、今回も利用したクリスタルラインという形で、時折、悪夢のように復活するそんな奥秩父破壊の林道です。そんな中にあり、標高差僅かに250m下を鉢巻きのように車道が走っていようとも、黒富士や升形山を巡る明るい雑木とカラマツの尾根は静寂と日溜まりの中にありました。そして、八ヶ岳や金峰山、南アルプスが冬の始まりならではのカーンとさえ渡った空気の中に立っていました。小さな山ではあっても、自分達だけのルートを斜面の中に見いだし、辿っていく喜びはひとしおだったと言えます。
 黒富士は茅が岳から曲岳、太刀岡山と四つの山梨百名山を結ぶ顕著な独立した山塊の一角にあります。一つ一つの峰は必ずしも大きくは無いものの、周囲を堅固な急斜面で囲まれ、それなりの緊張感と達成感の中に登れる山です。秋の最後、冬の始まりのこのキラキラと木の幹が輝く中に出会えました。

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振り返るとミズガキ山
振り返るとミズガキ山
1624ピークから升形山へはこんな道
1624ピークから
升形山へはこんな道
晩秋の日溜りの尾根
晩秋の日溜りの尾根
白富士と黒富士
白富士と黒富
1624ピークから初めて出会える黒富士
1624ピークから
初めて出会える黒富士
升形山山頂。狭い! 升形山山頂。狭い! 写真をクリックしてください。大きな画像でご覧いただけます。

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