過去の登頂記録  (2008年1月〜6月)

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2008年 6月 6月28日〜29日 大常木谷
6月24日〜25日 吾妻連峰
6月22日 滝上谷
6月21日 水根沢谷
6月18日 笠取山
6月14日〜15日 釜の沢
6月10日〜12日 甲武信岳
6月10日 十文字峠
6月3日〜4日 唐松尾山から和名倉山
6月1日 小川谷廊下
5月 5月31日 勘七の沢
5月27日〜28日 雲取山
5月17日〜18日 三つ峠
5月8日 川苔山
5月3日〜6日 栂海新道
4月 23日 大室山
19日〜20日 聖岳
16日 御前山
12日〜13日 三つ峠岩登り講習
9日 高尾山
5日〜6日 甲斐駒ヶ岳
2日 浅間尾根
3月 25日 権現山
22日〜23日 白馬岳
18日 三つドッケ
15日〜16日 阿弥陀岳
12日〜13日 大菩薩峠
8日〜9日 マナイタグラ
1日〜2日 初雪山
2月 19日〜20日 上高地
16日〜17日 地蔵岳
9日〜11日 仙丈ケ岳
2日〜3日 赤岳
1月 30日 高水三山
26日〜27日 小同心クラック
26日〜27日 赤岳主稜
22日〜23日 金峰山
20日 天狗岳
19日 北横岳
12日〜14日 金峰山
8日〜9日 硫黄岳
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大常木谷

一日を終えて焚き火が暖かい
一日を終えて焚き火が暖かい

 以下の者は、2008年6月28日〜29日、多摩川本流一の瀬川に注ぐ大常木谷を出合いから五間の滝、千苦の滝、山女淵、早川淵、不動の滝を越えて水源まで遡行し、将監峠に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

山女淵から早川淵へ!巨大ゴルジュが続く
山女淵から早川淵へ!
巨大ゴルジュが続く

 僕がある種の偏愛とも言える強い関心を持つ大常木谷。百年前の奥多摩、奥秩父であればおそらく随所にあっただろう太古からの姿を残した谷。人間の手が、一切入らない谷は堰堤がなく、植林の跡がなく、伐採の跡形もなく、全てが自然のままでした。昨年9月の台風(それは、82年の台風以来の惨禍を首都圏の山にもたらしました)がもたらした増水による谷の変容は、とりわけ水源部分では大きく存在しましたが、それも、重厚な原生林のおかげで自然と修復される物と確信できるものばかりでした。一の瀬川の谷筋に降り立った所から出合いまでの豊富な水量の谷の下降。静まり返った出合い。そこから始まる縞模様の沢床。見上げるゴルジュは丹沢等の谷とは比較にならない規模で、まるで井戸の底から空を見上げるようでした。そして出会う五間の滝。釜をヘツリ、シブキを浴びながら昇る快感。豊富な水量を空中に吹き出して爆音とともにいつも僕達の訪れを待ち続けていた千苦の滝。息継ぐ間を与えない山女淵から早川淵までの淵の連続。不動の滝を越えるとナメ滝が続き、左右の緑が近くなり急速に穏やかになる谷。この激しさと穏やかさと、頭上を覆う緑の濃さと・・・・、本当は沢には当たり前の光景のはずが、実は、少なくとも、この多摩川水系の中では、この大常木谷だけがその姿を保っている・・・・、それが僕を引きつけます。同様の美しさを持つ奥秩父荒川水系の水源地帯の谷がありますが、山の奥深さの為に、さらに訪れた者に、体力と気力と激しい自然への適応力を求めてきます。燃え上がる焚き火、頭上に消えていく紫の煙、晴れていれば炎の上がる所だけ満天の星空が霞む光景。奥秩父の谷、源流の谷は泊まりの谷の楽しさにも満ちています。激しい降雨と延々たる倒木越え、新しいナメ滝が増水の為に出現し、恐ろしいガレが谷にできて改めて「谷は生きている!」を実感させられた二日間でした。

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吾妻連峰

雲海の上に磐梯山が頭だけ出している
雲海の上に
磐梯山が頭だけ出している

 以下の者は、2008年6月24日〜25日、東北南部・吾妻連峰の核心部を浄土平から吾妻小富士を往復し、高層湿原の栂平を歩き、吾妻小舎に宿泊した後、一切経山(1948m)から鎌が池を経て東吾妻山(1974m)に登頂し、景場平、鳥子平を経て浄土平まで周回したことを証明します。

氏名 風 の 谷

東吾妻の登りから振り返ると鎌沼が大きい
東吾妻の登りから振り返ると
鎌沼が大きい

 梅雨の合間の貴重な晴れ間。たおやかな山稜の広がる吾妻連峰は、おそらく一番美しい季節の中にありました。随所に点在する湿原。名前の付いたきな物から名もない小さな物まで、澄んだ水の池を点々とまき散らしたように佇ませ、その周囲に無数の花を咲かせていました。吾妻連峰の驚くべき所は、1600mから2000m前後までの標高にも関わらず、高山の森林限界を越えた山のような様相のせいか、チングルマやコケモモ、ハイマツと言った高山植物が随所で見られた事です。霧の中を登り、ヒョッコリと雲海の上に登り着いた時に、あたかも海に浮かぶ島のように点在する東北南部の穏やかな山々。福島の町並みの上に遠く広がる阿武隈山地の山々。どこにでもあるようで、なかなか見られない光景でした。火山が創り出す荒涼とした風景は五色沼、鎌池といった想像以上に大きな湖と赤茶けた大地が創り出す深山の雰囲気がありました。池は驚くほど澄み、ヤマメも住むという綺麗な物でした。それに、たおやかな周囲の山々を映し出し池の色と山のハイマツの緑が見事な光景を創り出しました。丈の低いアオモリトドマツ(オオシラビソ)の密生する雪解け水にえぐられた登りにくい急斜面。剥き出しの赤土の斜面の上り下りの中にあった大きな山容の東吾妻山。全く期待していなかった展望が西吾妻から雲海の上に尖った頭だけ出した磐梯山と白い海のような雲海の上にありました。時々、小雨がパラつく中の二日間でしたが、何故か澄んだ空気と乾いた風、時折見せる真青な空が東京とは違う異国のような雰囲気がありました。
 安達太良山、那須連峰、会津駒、飯豊や朝日。これら南東北の山々は日本の本来の景色がありそうで、その醸しだす空気や景色は東アジアの山を思わせる何かがあります。また、紅葉の季節にも訪れたい南東北の山です。

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滝上谷

大迫力・滝上谷・大小屋の滝
大迫力・滝上谷・大小屋の滝。恐かった!

 以下の者は、2008年6月22日、奥多摩・日原川最大支流・小川谷に注ぐ滝の多い沢・滝上谷を出合いから大小屋の滝等を越えて長沢背稜のハナド岩まで遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 結局、丸一日、降り続いた雨。それに洗われるような、濃い力強い緑色の中に滝上谷はありました。東京都水道水源林として手厚く保護された豊かな森の中を元気よく流れる滝上谷。最初の所こそゴーロの連続でしたがそのゴーロの傾斜が増し、徐々に現れる滝の上に大小屋の滝はありました。一時期、取り付きの釜が埋まり、容易に取り付けた時期もありましたが、いきなりの腰までの水に「やる気」をくじかれ、出足の細かいホールドにビビり、落ち口で肩を水で叩かれて、なかなか最初から激しい遡行の滝上谷でした。しかも、上段はいきなりのシャワー。ズブヌレで最初の洗礼を受けた谷でした。やがて滝が連続し、一つ一つの角を曲がるたびに新しい何かと出会える沢登り本来の楽しさが蘇りました。そして、ツメでは本来、涸滝の連続となる部分が強い雨で滝となり白い石灰岩系の滝が糸をひく素敵な眺めと出会えました。そこから延々たるドロと落石の斜面とのヘトヘトの格闘がありましたがツツドリの声、ヤマツツジの朱色に励まされて強くなる一方の雨の中、長沢背稜に這い上がりました。
 小川谷は豊富な魅力ある谷が無数にありながら沢登りが下火になるなかで顧みられることの少ない流域です。上ッ滝(ウワッタキ)、下ッ滝(シタッタキ)の直登困難な滝を従えた最奥の谷・滝谷。人跡未踏のタワ尾根に突き上げる鳥居谷、無数の苔むした滝を従えた割谷。奥多摩最大50mの落差を誇るタツマの滝とその上流に「これでもか!」と滝を連ねたモリの窪滝群を持つ犬麦谷、大きな滝を持ち明るいカロー谷。しかも、これらが水源巡視路で結ばれて下半部をある谷を遡行し、より魅力ある他の谷の上半部を登る・・・といった事も可能な素晴らしい流域です。春にはツツジの花が、秋には頭上を染める紅葉が迫力満点の遡行をさせてくれる谷ばかりです。また、何時か、何回が訪れたい小川谷でした。

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水根沢谷

復活した水根沢。
滝は元気に登れます

 以下の者は、2008年6月21日、奥多摩・鷹ノ巣山を水源として奥多摩湖したに流下する水根沢谷を水根集落から遡行し、大滝、半円の滝を越えて核心部を踏破したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 水根沢が蘇った!驚きとともに嬉しかった一日でした。僕が初めて、この水根沢を遡行してから実に40年近い年が流れました。比較的標高が低く、集落の近い沢の運命として、この沢は多くの変遷を辿りました。最初に遡行した真夏の日、とにかくゴルジュの大きさに圧倒されました。通過困難と思われた釜を倒木伝いで行ったり、さんざん釜に落ちた記憶があります。大滝は大きく高巻いて懸垂下降しました。半円の滝は釜が背が立たず右側のバンドを腹這いになって通過し、落水のど真ん中に飛び下りました。半円の滝まで人工的に鉄砲水を創り出して伐採木を下流に押し流す「鉄砲だし」の跡が何か所にもありました。半円の滝以降、平凡になるものの、源流部分で崩れた滝が連続し、鷹ノ巣山の六つ石山よりに出た記憶があります。その後、伐採の木が谷を埋めつくした時もあります。しかし、数年前、ワサビ田の上のフジマキ沢の上流部分で発生した土石流による谷の破壊は絶望的でした。釜は泥で埋まり、滝にはジャリが乗り、下流部分では脛まで潜る泥が沢床にあり、歩くごとに茶色い水が沢を流れました。崩壊箇所が修復されたこと、昨年9月の台風で堆積した土砂が大量に流出したことにより、釜と滝が復活し、スリル溢れる沢登りが蘇ったことを嬉しく思います。シュリンゲからシュリンゲへと振り子トラバースを繰り返し、飛び移る小滝。磨かれた斜面を恐々とヘツリで通過する楽しさ。ドボーンと落っこちる釜、そして優美な半円の滝。楽しい一日に感謝したい思いでした。水根沢は遡行そのものは、けして容易な谷ではありません。最初のゴルジュから豊富な水量が、大きな音を立て、ただでさえ威圧的なゴルジュの暗さが緊張に輪をかけます。しかし、青梅街道から入ること僅か、民家の声も聞こえそうな場所に、こんな冒険の場所がある!というだけで嬉しくなる谷です。今度は真夏に一日を過ごしたい水根沢です。

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笠取山

小さな分水嶺付近から見た笠取山
小さな分水嶺付近から見た
笠取山

 以下の者は、2008年6月18日、奥多摩西部で多摩川水源地帯の盟主・笠取山(1953m)に中島川橋より黒槐尾根を経て多摩川最初の一滴・水干に至り、「小さな分水嶺」を経由して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

笠取山への登りでは背後に大きく草原が広がる
笠取山への登りでは
背後に大きく草原が広がる

 山は今、命の気配に満ち満ちています。花が咲くから虫が来る、虫がいるから鳥が来る、鳥を求めてキツネも動き回る、つい先日まで単調な色彩の山肌が色とりどりの緑に覆われた山は賑やかでした。歩きだした中島橋周辺は近くでも会話も大変なほどのハルゼミの大合唱の中でした。標高を上げ、モミ、シラビソの林になるとウグイス、ホトトギスの声が山々に谺します。楽しい、賑やかな山でした。東京水道水源林として手厚く保護された森は水を生み出す森でもありました。奥秩父主脈縦走路に出た後、最初に出会った大きな流れ黒槐沢。その静謐で冷たい水の美味しさ、その後、その水で入れたコーヒーのグッとくる味と共に大切に生み出された水はこの山の強い印象となりました。ちょっと整備されすぎた感もある水干。「東京湾まで138km」の文字が、多摩地区に住む者には「あの多摩川の水源」との思いを新たにしました。ここから多摩川、荒川、富士川の「小さな分水嶺」の看板まではモミの森でした。そこから放り出されるような明るい草原の広がり、その草原の上に聳える笠取山や古礼山、水晶山等の穏やかな山容の山と共に多摩川の水源の山の明るい印象が残りました。背後に一歩ごとに大きくなっていく展望を全身で感じながら、登り着いた山頂の一角。そして、トンネルとなったシャクナゲの中を歩いた笠取山への道。思わぬ乾いた梅雨の晴れ間と共に足元に大きく食い込む、多摩川の流れが見事でした。この山の鬱蒼たる森と草原の広がりが交互に現れる風景は本来の奥多摩、奥秩父の姿だったようです。杉、檜の植林がある時代、東京近郊の山々を変えていった時にも、この多摩川水源地帯だけは変わらず従来の姿のままであったことを改めて感じさせられました。山は、最後のシャクナゲが散りだし、濃い緑が支配する季節へと変わりつつあります。秋まで、ちょっと足の遠のく奥多摩の山ですが、静けさの中に過ごせたことを感謝します。

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釜の沢

釜の沢手前の東のナメ
釜の沢手前の東のナメ。
明るい大きな滝がスゴイ!

 以下の者は、2008年6月14日〜15日、奥秩父笛吹川東沢釜の沢を出合いから山の神、乙女の滝、東のナメ、西のナメを経て釜の沢に入り、魚止めの滝、千畳のナメ、両門の滝を越えて水源まで遡行し、日本百名山の一つ・甲武信岳(2475m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

御存知!千畳のナメ
御存知!千畳のナメ

 梅雨の真っ只中、奇跡のように晴れた二日間。気温は高くても、谷に吹き渡る風は乾き、日本で一番綺麗な渓谷、釜の沢を最も美しく見せる日の沢登りでした。今回の遡行で強く印象に残ったのは、おそらく昨年9月に奥秩父、奥多摩を中心に暴れ回った台風の影響の大きさでした。二俣付近では流れを大きく変えていましたが、最も驚いたのは東のナメが周囲の森を押し流し、すっかり明るい見通しの利く、白く乾いた谷に変えたことでした。出合い手前から大きく落ち口を見せた大滝がありました。更に釜の沢の核心部を越えて広河原に入ってからの荒涼とした倒木と不安定な大岩のゴーロの通過にはホトホト参りました。「沢は生き物」が口癖の僕ですが、何十年に一回の大きな変化に驚かされました。僕が初めて、この谷を訪れてから37年が経ちました。その頃は現在は消え消えとなった東沢登山道が健在で西沢渓谷とセットで山の神まで訪れるハイキングの人も多く、巻き道も明瞭、徒渉等は皆無の甲武信岳への快適で変化に富んだ登山道でした。その頃から台風や大雨の度に崩れては再建するを繰り返してきた道は、30年程前からは一切「登山道」としては手入れがされなくなり沢登りの好ルートとして登られるようになりました。そして、76年の台風で徹底的に痛めつけられ釜の沢に関してはペンキ、ケルン、標識等は一切なくなりました。現在では、沢登り、岩登りの技術より、何よりも地形図が読め、ルート判断ができることが最も重要なオーソドックスな沢登りルートとなったわけです。この谷の素晴らしさは沢登りを山頂への最も刺激的なルートとして提供していることです。暗い谷間を歩き、冷たい水の中を辿り、最後に立つ山頂の明るい展望が素敵です。本来の沢登り、小手先の技術ではなく山を本当に楽しむ手段としての沢登りが存在する釜の沢が僕は大好きです。

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甲武信岳

甲武信小屋では北爪君が手打ソバを打ってくれた
甲武信小屋では北爪君が
手打ソバを打ってくれた

 以下の者は、2008年6月10日〜12日、奥秩父の中核である甲武信岳(2475m)に毛木平から八丁の頭を越えてシャクナゲの咲く十文字峠に至り、埼玉県と長野県を分ける原生林の尾根を大山、武信白岩山(2280m)、埼玉県最高峰・三宝山(2483m)を越えて登頂し、更に一等三角点のある木賊山(2465m)にも登り、日本で一番長い川・千曲川水源へと下降したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

今年は雪が多い!三宝山の下は大変だった
今年は雪が多い!
三宝山の下は大変だった

 奥秩父の初夏。稜線の上までかろうじて新緑が登り、雪が本格的に消えだす季節。鳥の声が山々に谺する季節。そして、目立たないけれどシッカリと主張をもった花が足元に生まれる季節。そんな中、首都圏でも最も美しい原生林の森をユッタリと歩きました。最後の日こそ梅雨末期を思わせる強い雨の中の下山でしたが、それ以外は展望こそ僅かであっても乾いた冷たい空気と静かな風の中に奥秩父の山々はありました。僕達の出発はコメツガとシャクナゲの十文字峠からでした。歩きだして直ぐに十文字小屋建設者である山中邦治さんが「ここが奥秩父で一番美しい森」と自慢した森を見に行きました。折り重なった倒木が創り出した斜面。その上に分厚くある苔の大地。更に頭上を覆うコメツガを中心とした厚みのある森がそこにはありました。この森こそが激しく降った雨も穏やかに山に吸収し、どんなに日照り続きの時が続いても枯れることのない泉を生み出している命の森の源です。カモシカ展望台、三宝山の岩、大山、随所で大きく広がる眺めは遠くに霞む八ヶ岳の美しい峰々よりも遥かに大きな魅力で足元に大きく広がる緑の海のような原生林の樹海にその目を奪います。とりわけ埼玉県側、荒川水系の森。遺伝子保存林として伐採はおろか倒木さえも勝手には動かすことを禁じられた千年斧入らずの森の見事さは他には絶対にない物と確信します。
 笛吹川の水源、千曲川の水源、そして甲武信小屋の前の荒川水源へと続く森。今回はそれらも見ることができました。命の森は、一方で水を生み出す森であることを教えられた三日間でした。

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十文字峠

乙女の森の展望台。
ここからはシャクナゲの海が!

 以下の者は、2008年6月10日、奥秩父を代表する峠であり、埼玉県大滝栃本と長野県川上村梓山を結ぶ石器時代から歩かれている道・秩父往還の要衝・十文字峠(2035m)に毛木平らから八丁の頭を経由して到達したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 梅雨の晴れ間、乾いた高原の風、春の嵐で倒れたものがあっても、森に目立つシラカンバ

カモシカ展望台から見下ろす
ダケカンバの新緑

の白。日本一長い川・千曲川を渡るところから始まる峠道は沢を渡りカラマツの林を抜けてコメツガの原生林の森へと続いていました。登りにかかる手前の小さな窪みに建てられた五里観音。ここからはるばる峠を越えて埼玉県・大滝の栃本関所跡まで現在の登山者の足では到底一日では越えることのできない峠道です。太古から歩かれていた峠道は八ヶ岳山麓でとれた黒曜石(それは、その時代、刃物として矢尻として使われた唯一の鋭利な「道具」の素材でした)が南北八ヶ岳を分ける夏沢峠を越えて佐久盆地に入り、この十文字峠を越えて関東一円へと運ばれた・・・そんな峠です。傾斜はあっても丁寧に付けられた道、随所で湧き水のある歩きやすい道、その到達点が十文字峠でした。峠そのものに建つ十文字小屋は、現在でも頑なにランプとマキストーブを守り続けた小屋です。シャクナゲの時期である現在を除いては訪れる者も少なく、峠は静けさに満ちています。そして、今回の目的の第一であったシャクナゲの森。乙女の森、カモシカ展望台は色とりどりのアズマシャクナゲに覆われていました。シャクナゲは最初には真っ赤な蕾を付けて、強いピンクの花となり、華やかなピンク、そして白くなって散っていきます。今年の最も美しい時期に訪れた僕達の前には乙女の森を筆頭に一面のシャクナゲが広がっていました。シャクナゲの時期は雨の季節。小さな霧の粒を沢山つけた苔の上に小さなコメツガの幼樹が生えてその合間に咲くシャクナゲかシットリしているのが定番でした。今年、幸いにも冷たく乾いた初夏の風の中で出会えたシャクナゲと十文字峠でした。何時か、また、紅葉の季節に静かに越えたい十文字峠です。

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唐松尾山から和名倉山

雨、雨、雨の唐松尾山の登り
雨、雨、雨の
唐松尾山の登りから

 以下の者は、2008年6月3日〜4日、塩山奥・多摩川水源の集落・三の瀬から山の神土を経て奥多摩最高峰・唐松尾山(2109m)に登頂し、将監峠から東仙波を越えて奥秩父主脈の北側に立つ独立峰・和名倉山(2035m)に登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

明るい笹原と原生林が交互に現れる和名倉山
明るい笹原と原生林が
交互に現れる和名倉山

 ついに一日、カッパを脱ぐことの無かった唐松尾山。でも、斜面を頂上を目指して登り詰めていく僕達の耳に苔むした地面の下から腹に響く様な水のながれる音が響きました。ゴーゴーと音をたてて流れるほどの伏流水が稜線下50mも無い所で豊富に流れている・・・。森の守る水の力、自然の力には本当に驚かされます。霧の中に影絵のように浮き上がるコメツガの木々、新緑が始まったばかりのダケカンバ、巨大なミズナラ、そんな手厚く保護された原生林が育てた緑の生命力がありました。そして本当に小さな小さな看板が多摩川水系で最も高い山、しかし、登る者も無い不遇の秘峰・唐松尾山にはありました。咲き始めたほんの少しのシャクナゲのピンクだけが本当に賑やかな雰囲気を醸しだしていました。そして、翌日向かった和名倉山。長い稜線歩き、しかし、霧の中でもほんのりと明るい感じのする道でした。登山中、何回となくお話ししましたが、和名倉山は1970年代まで徹底的な全山を伐採の嵐が吹き荒れました。追い打ちをかける何回もの大規模な山火事。そして、幸か不幸か全く植林等の措置のなされなかった丸裸の山として長い間登山者には顧みられなかった不遇の山です。僕が初めてこの山を訪れた頃、そして全ての尾根、沢に足跡を残した80年代〜90年代には、沢を遡行し、沢を下降するのが最も確実な山頂への到達の方法であるほど尾根上の道は消えかけていました。現在、山頂の周辺のみに残る原生林以外は全て伐採、山火事後の「二次林」なのです。それでも一切の人の手を借りることなく山は自らの回復力であの森を再生させているのです。誰にも見られることの無いシャクナゲのトンネルと共に。太古からの原生林が残された唐松尾山。踏みにじられた原生林が蘇る和名倉山。奥秩父、奥多摩の森の山は本当の力強さを持っていました。

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小川谷廊下

小川谷廊下で滝をくぐる
小川谷廊下で滝をくぐる

 以下の者は、2008年6月1日、丹沢・玄倉川支流の小川谷廊下を出合いから石棚の滝までの核心部を遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

小川谷廊下は水との闘いだ
小川谷廊下は水との闘いだ

 人の多い丹沢の中にあって真っ白な花崗岩でツルツルの廊下を創り出し水量豊富な独特の沢登りの世界を創り出している小川谷廊下。その一つ一つの滝、ゴルジュの通過そのものは、けして容易ではなくても右岸高くに山道が走り、いつでも脱出可能な谷は、思いっきり沢と格闘するのにピッタリの谷でした。最初の滝で本来あるはずの残置シュリンゲが無くなり、ハーケンを打っての突破となりました。この段階でズブ濡れ。その先に「濡れないためには・・・」等と悩まなくて良くなりました。連日の降雨で水量の多かった谷は、普段よりやや難しく、大部分の人が沢登り初体験での挑戦は、それなりに冒険でした。しかし、一方で増水によって水垢は落ち、ヌルヌル感の無い快適な遡行であったことも確かです。ほぼ全員が大なり小なりのスリップをしてヨタヨタになり、「ソロソロ、帰りたい気分」で迎えた大きな滝・石棚。小川谷の全水量を途中で高々と空中に打ち上げての景色は素晴らしい物がありました。ここで遡行を打ち切りボロボロの斜面を這い上がって登山道へと出ました。小川谷も前日の勘七の沢も素晴らしい楽しい谷です。しかし、大きな山のほんの一部で楽しむゲレンデ的な沢登りでした。今回の二日間に渡る沢への挑戦をキッカケに、本来の「登山としての沢登り」、つまり頂上に至る最も刺激的なルートとして全く人工物の無いような谷で、一つ一つ困難を克服して頂上に立つための最も魅力的なルートとしての沢登りを行なうキッカケであれば更に嬉しく思います。今日も奥深い原生林の中の滝は僕達の訪れをヒッソリと待っているはずです。

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勘七の沢

勘七の沢の大滝大きい!
勘七の沢の大滝大きい!

 以下の者は、2008年5月31日、丹沢・四十八瀬川支流の勘七の沢を出合いから遡行し、多くの滝を越えて大滝まで核心部を遡行したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 ドードーと腹を打つ轟音をたてて落ちるF1。落差5mとはとても思えない迫力で初めて沢登りを行なう者を圧倒しました。降り続いた雨に、となりの小草平の沢に転進を決意していた僕達ですが、やはり、この流域随一の沢・勘七の沢を遡行することとしました。他の山域には絶対にない滝ごとに看板のある沢登り。沢登りのメッカ・丹沢ならではの光景です。ヒルがウヨウヨし、斜面が鹿の食害で痛めつけられた丹沢の沢ですが、何故か勘七の沢だけは、その大きな影響を受けず沢筋そのものは潤いのある緑の中に次々と現れる滝を一つ一つ越えていく本来の楽しさがありました。時にはゴルジュで落ち、連日の雨にヌルヌルの斜面はけして快適ではありませんが、角を一つ曲がるごとに必ず現れる新しい景色、違った滝、釜に驚きながらの遡行でした。ほとんど全員が沢登り未経験者。そもそも会うのも、一緒に山に行くのも初めての仲間ばかりで、どうなることか・・・と心配をしましたが、難しい所では適度に落っこち、簡単な所でも落っこち、子供の頃の冒険を思い出させる何かが、この勘七の沢にはありました。上から霧雨が再び降ってきたかのような大量の水を空中に吹き出すように激しく落ちてきた大滝。楽しい遊園地のような気分で登ってきた僕達は緊張のうちに大きな滝を越えました。落ち口から見下ろす滝は、自分達が、この滝を越えてきたのが信じられない迫力がありました。この勘七の沢が沢を大好きになるキッカケとなることを期待しています。

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雲取山

ブナ坂付近は顔が緑色に見えるほどの新緑
ブナ坂付近は顔が緑色に
見えるほどの新緑

 以下の者は、2008年5月27日〜28日、東京都最高峰で唯一の二千メートル峰である雲取山(2017m)に小袖集落よりブナ坂を経て登頂し、翌日、石尾根から七つ石山にも登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

雲取山で一番綺麗だったミツバツツジ
雲取山で一番綺麗だったミツバツツジ

 五月の雲取山。山頂まで生き物の気配、緑、鳥のさえずりが山麓から登り切る季節です。歩きだした鴨沢の上、小袖の集落は既に乾いた晴天の風が吹いていました。僅か、二週間前にはこのあたりも新緑が一杯のはずでした。それが一気に元気の良い力強い緑へと変わっていました。見上げる石尾根の稜線はまだ薄緑色をして早く上がってこい!と言われているように感じました。緑の季節は花の季節、花があるから虫が居る、虫がいるから、それを食べる鳥がいる、緑の復活と共に山は急速に賑やかで元気な物に変わっていきます。ブナ坂の手前から富士山が見えました。と、同時に遥か彼方に南アルプスも見えました。期待していなかった春の展望はさえていました。そして、ミツバツツジ。道端を点々と彩るムラサキの艶やかな花は素敵でした。ユックリユックリ、這い上がるように辿り着いた山頂は360度の展望と共にありました。
 雲取山は東京都の最高峰であり、東京最大の原生林を持つ大きな山です。深田久弥氏は名著「日本百名山」の中で「煤煙とコンクリートとネオンサインがいたずらにはびこる首都・東京の中に原生林の雲取山を持つことを都民は誇りとして良い」と記しています。まさしく、東京の西の端とは言え、見事な山を持っている事を誇りにしたい気持です。雲取山は石尾根であり、長沢背稜であり奥多摩の全ての尾根の出発の地であると共に、奥秩父主脈の始まりの山でもあります。眼前に大きく聳えた飛竜山、遥か彼方に霞む甲武信岳、そして雄大な山容を持つ国師ヶ岳を越えて、更に見えない金峰山、瑞牆山まで巨大な山塊が連なっています。大きな山、黒々とした原生林の山が、今日も雲取山を出発点として僕達の訪れをヒッソリと待っています。

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三つ峠

 以下の者は、2008年5月17日〜18日、富士山麓の三つ峠山で行なわれた岩登り講習に参加し、屏風岩の多くのルートを登攀したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 今回の岩登り講習で伝えたかった事はただ一つ。この夏にどんなルートであれ、本チャンのルートに行くための練習をしよう!でした。岩登りで大切なことは、登山としてのセンスを磨くこと。岩登りのシステム、基本的な岩の登り方を身につけた上で、実際の登攀の中では創意工夫をこらしながら自分なりの登攀を貫徹することが大切です。「前の人はこう登った」を参考にしながら、自分の体系、体力、・・・そんなことを考えながら登れるセンスを磨くきっかけとなれば嬉しいです。今回、強く感じたことは多くのメンバーが練習を重ねるごとに目に見えて岩登りがうまくなっていることです。この夏、多くの仲間が「風の谷」から本当の岩登りを実践する者へと成長するものと確信しています。
 では、これから、どんなトレーニングが必要なのでしょう?一つは強力な体力を作ることです。実際の岩登りは小川山でも城ヶ崎でも無く3000m近い高山で行なわれます。その岩の取り付きまで元気一杯で登り着き、登攀を終了した後、元気一杯で下山する力が必要です。それには意識的に厳しい登山を続けることが大切です。更に実際の岩場は登攀能力としては三つ峠よりはるかに容易に見える岩場で行なわれますが、不安定で整備もされず、ゲレンデとは一味違う困難があります。濡れた岩、苔の生えた岩、ザレ場の横断、浮き石の斜面もあります。沢登り等の登山道のない所での登山の経験も積み重ねることが力をアップさせると思います。目指せ!夏の本チャン!

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川苔山

ヤッパリ凄い迫力。百尋の滝
ヤッパリ凄い迫力。百尋の滝

 以下の者は、2008年5月8日、奥多摩多摩川北岸を代表する名山である川苔山(1364m)に川乗橋から百尋の滝を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

山頂付近は新緑の気配
山頂付近は新緑の気配

 一年が毎日、こんな気候の下だったら、どんなに幸せだろうか?そんな快適な空の下の一日でした。すっかり濃くなった緑の下に吹き渡る乾いた風。見下ろす谷の冷たそうな沢水。奥多摩に本格的な春が訪れたと思ったら、既に初夏の雰囲気に代わっていました。細倉橋から先の緊張の谷沿いの道。見下ろす渓谷は随所で大小の滝をかけていました。道の脇から湧き出てくる、今、生まれたばかりの水。手厚く保護された東京都水道水源林であれればこそ、豊かな水の出てくる場所なのだと思います。天から力強く水が落ちてくるような百尋の滝の雄大さで川乗谷の光景は最高の物になります。10年ほど前の大滝の埋没で周囲の様子は一変したとは言え、その迫力は凄まじいものでした。花が咲くから虫が来る。虫がいるから鳥がいる。鳥がいるから動物もいる。そんな生き物の気配が山には一杯にありました。最後には耳障りなほどの繁殖期を迎えた鳥の声。登山道の脇には絶えず花がありました。白いウツギ、朱色のヤマツツジ、紫のミツバツツジ、そして山頂直下で思わぬ遭遇をした開きかけたシロヤシオの花。つい、二週間程前の山では木々の緑さえ下に限られたものだったのが山頂まで登り詰めた緑色。辿り着いた山頂からは、この時期、高かった気温にも関わらず遠く雲取山から飛竜山、大菩薩に至るまで霞んではいても奥多摩の全ての山々が見えました。
 川苔山は1300m台とけして高くない標高にも関わらず、奥多摩の中ではけして「お気楽」な山ではありません。出発点から山頂までの1000m近い標高差、峻険な谷の上を延々と続けるトラバース中心の道、そして最後の胸を突く急登。しかし、複雑な地形と山腹に食い込む沢の数々は日帰りで登れる奥多摩の山の中では屈指の奥深さを見せています。数多くのルートからまた、何回も登ってみたい山の一つです。

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栂海新道

白馬岳はまだまだ完全な雪山
白馬岳はまだまだ完全な雪山

 以下の者は、2008年5月3日〜6日、北アルプス北部の白馬岳(2932m)に猿倉から登頂し、北方稜線を三国境から雪倉岳(2610m)を越え、朝日岳(2418m)から栂海新道に入り、アヤメ平、黒岩平を通り黒岩山、犬ヶ岳を経て白鳥山に至り、尻高山、入道山を越えて日本海0mまで完全縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

早朝、広大な雪原を行く
早朝、広大な雪原を行く
白鳥山からは振り返ると遠く白馬が見える
白鳥山からは振り返ると遠く白馬が見える

 ネマガリタケの生えた稜線からチラチラと海が見える。波の音、国道を走るクルマの音も聞こえる。親不知のホテルの前から急な階段を一気に駆け下りる。波に磨かれた石、真青な水平線、さっきまで固い雪にアイゼンを履いていたのが信じられない光景が広がっていた。僕達は海辺に立っている・・・・、嬉しさがこみあげてきた。3日から4日まで真青な空の下の暖かい雪山だった。山スキーヤーだらけの白馬岳を越えると一転して静寂の世界。出発点の白馬から既に遥か彼方に見える黒い広がり・海が見えた。あそこまで歩くんだ!でも、遠い。三国境に張ったテントは展望と強風の中。恒例のヘッドランプでの出発。妙に暖かい気温にアイゼンを履いた足は軽く潜る。さぁ!行けるところまで!雪倉岳までは、それでも登山者がいた。大きく赤男山を巻き、見上げる朝日岳の高いこと。一歩一歩と照りつける太陽の下、登り詰め、そして、飛び出した朝日岳山頂。土さえ出たポカポカの太陽の下の山頂からは既に視界の半分を海が占めるようになった。いよいよ栂海新道に入り、長栂山を越えると一気に広がる稜線。広々とした雪原と雪原を繋げたような広大で雄大な景色。とりわけ広いアヤメ平の一段下に張られたテントからは雪の山々と海がどこまでも広がっていた。三日目もヘッドランプで雪原を歩く中から始まる。今日からはウグイスを初めとした鳥の声が聞こえる。黒岩平の最も広々とした野球場のような雪原を最後に雪庇の張り出す稜線へと変わる。そして、雪の割れ目からカタクリとショウジョウバカマが顔を出し、犬が岳を越えるとブナが緑色に光っている。グイグイと広がる海。そして、次々と現れる小ピーク。もう、限界というころ、海が眼前に大きく広がる白鳥山の避難小屋が待っていました。長かった縦走の最後の夜。寒冷前線の通過の暴風雨が静まると小屋の窓からは

ついに着いた海!遠かった
ついに着いた海!遠かった

黒々とした海と満天の星、富山湾の漁火が見事でした。素晴らしかった大縦走。最後の明け方の空の下にも歩きだした白馬岳が遠くに見えました。人間の足の偉大さに感謝した楽しい四日間でした。

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大室山

ブナの中の最後登り
ブナの中の最後登り

 以下の者は、2008年4月23日、西丹沢を代表する大きな山容のピーク・大室山(1587m)に神の川から犬越路を越えて登頂し、前大室から加入道山を経て道志の湯まで歩いたことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

広々とした頂上付近
広々とした頂上付近

 中央線の車窓から、中央高速が相模湖を過ぎたあたりから、何時も大きく見えていた大室山。黒々とした山容の後に富士山が頭をだすユーモラスな姿。何時かは登ってみたい・・・そんな山でした。実際に登ってみて、そのボリュームの大きさに「本当に1500m程度の標高なのか?」と疑ってしまう大きさでした。昨年の台風で荒れ果てた犬越路への登山道。沢の中を歩き、ガレ場を攀じ登り、間の土が流されてハードルのようになった階段を登り、ヤレヤレという気分で辿り着いた犬越路にはまるで初夏の風が吹いていました。しかし、そこまで春の気配の満ちていた登山道は、ここからは緑を無くし冬枯れの山へと代わっていました。それまで新緑が谷を埋めてミツバツツジがショッキングピンクの花を着けていたのと一転して笹とブナの森の中の路となりました。怪物のような大きなブナ、そこを吹き渡る風。悪くない天気なのに遠くを見渡すには春霞が邪魔をする・・・そんな中の登りです。表丹沢等に比べるとはるかに少ない鹿の食害。まだまだ笹がある。まだまだ斜面は崩れていない・・・、でも足元に顔を出しつつある緑色は、やはりバイケイソエウとトリカブト。食べられない毒草ばかりでした。そして急だった登りが終りブナの森の中の静かな頂上がありました。
 西丹沢の山々の特徴は、その奥深さです。それは登山口まで辿り着くのも大変なアプローチであり、標高以上に大きな山容であり、そして残された貴重な自然林のシットリとした潤いです。相模湾からほど近く京浜工業地帯を足元に持つ山は海からの気象の影響も強く受け、実は意外に激しい天候の変化もある山です。菰釣山、畦が丸・・・、一つ一つのピークは大きくなくても独特の位置を占めて何となく引きつける山々が今日もヒッソリと僕達の訪れを待っています。今度は富士山の姿と共に登りたい山々です。

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聖岳

「籠の渡し」
南アルプス南部の入山に相応しい
「籠の渡し」

 以下の者は、2008年4月19日〜20日、南アルプス南部を代表し日本最南端の3000m峰である聖岳(3013m)に、便りが島から西沢渡、苔の平、小聖岳を越えて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

降りてきたら前に上河内岳が大きい
登頂して降りてきたら
前に上河内岳が大きい

 この時期の南アルプスが好きだ。とりわけ南部の大きな山が好きだ。延々たる登り、ザラメの雪にワカンを効かせ登り着いた稜線から見回す大きな山々。聖岳から兎岳、上河内岳、茶臼、光・・・・。これらの山々の中で動いているのはおそらく僕達だけ。入山が不便極まりない南アルプスの山々の中では北岳も塩見もおそらく誰もいないはずです。中央高速を飯田インターを降りて、そこからのアプローチの長いこと長いこと。林道の入り口の下栗の里。「日本にもこんな場所があったのか?」と思わず驚く山里。急斜面、谷底からのスゴイ高度差の日向の斜面にへばりつくように点在する家々。まさにネパールの山村風景のようでした。そして、かつては林業で大賑わいだったはずの西沢渡の籠の渡し。「アァ、南アルプスに入るんだ!」という感慨。そんな感慨も吹っ飛ぶ急傾斜の登り。もし、奥多摩にあったら一本一本が「巨樹」として看板の立つようなどデカイ木々の林立する苔の斜面の登り。汚れたザラメにボコボコと潜るワカン。鬱蒼たるコメツガの森の中にテントは立ちました。夜中、アオバヅク(フクロウの一種)のホーホーという声だけが聞こえる静寂の森を3時台に出発し目指した聖岳。月明かりと遥か彼方の伊那谷の灯。そして夜空にクッキリと浮かぶ兎岳の姿。白んできた空の下には上半分を不機嫌なガスの中に隠した富士山の姿がありました。所々に出てくる痩せ尾根。そして登り着いた大斜面の大きいこと。残念ながら真っ白なガスの中、フクラハギがつるような急傾斜の果てに雪庇に埋もれるような山頂標識がありました。
 改めて南アルプスの山々の大きさと激しさを教えられた二日間でした。そもそも二日で登ってはイケナイ山なのだとも思います。また、12月に4月に、南アルプス南部の山に訪れたいと固く決意しました。目の前に茫洋と佇んだ光の姿がしばらく消えそうにありません。

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御前山

御前山手前は
広い防火帯を登る

 以下の者は、2008年4月16日、奥多摩主脈の中核・御前山(1405m)に奥多摩湖畔から水窪沢出合いを経由し、大ブナ尾根から惣岳山に登り、登頂し湯久保尾根を下降し多摩川水系から秋川水系へと横断したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 満開の桜に迎えられた奥多摩湖畔でした。この日の御前山は1000m以上と以下では全く違う表情を見せていました。足元を数々のスミレが埋めつくしてヤマブキが、桜が咲く低い標高の部分と、まだまだ冬枯れの姿ばかりが目立つそれ以上の部分でした。奥多摩湖畔を歩き登りだした大ブナ尾根への道。急峻ではあっても丁寧に作られた道は先週くらいから急速に増えた鳥の声に満ちていました。木の間越しに絶えずチラチラと見えている奥多摩湖。そして、高曇の空の下にも関わらず登るごとに雄大な展望は開けていきました。サス沢山で本来の大ブナ尾根道と合流しそれまでの杉、檜に代わってコナラ、ブナが目立つ森に代わると点々とカタクリが姿を見せ始めました。まだまだ小さな花、しかしアチコチに咲くピンクの花はこの山の春の景色です。冬枯れのような森にそこだけ春の気配を見せたカタクリの花でした。惣岳山への胸を突く急峻な登りをこなして奥多摩主脈の稜線に登り着いた僕達はしかし、妙なことに気がつきました。いつもは面となって大きく広がるカタクリがどうも少ない、数が圧倒的に少ないのです。まだ寒いのか?それとも山頂付近では減り続けているのか?とりあえず「カタクリの御前山」として知られたかつてのイメージとは違う控えめなカタクリでした。山頂直下の岩場からは大きく雪をいただいた大菩薩から奥秩父、雲取山等と長沢背稜から鷹ノ巣山等の大きな展望が広がりました。山頂からの湯久保尾根は長大な尾根です。僕が初めて歩いた40年ほど前は雑木とカヤトの明るい尾根でしたが今では植林が大半を占めてしまいましたが、それでもゆるやかに標高を下げ、秋川上流の山々の長閑な眺めを楽しみながらの下りは素敵でした。もう嫌になるころ、穏やかな秋川の流れが疲れた僕達を迎えてくれました。

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三つ峠岩登り講習

全員が岩登り初体験!
全員が岩登り初体験!

 以下の者は、2008年4月12日〜13日、御坂山塊・三つ峠屏風岩で行なわれた岩登り講習に参加し、多くのルートを登攀し、岩登りの入門講習を受講したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

三つ峠_天狗の踊り場.ここまでが大変だった
三つ峠_天狗の踊り場.
ここまでが大変だった

 三つ峠という大きな岩場を、そう遠くない場所でもっている首都圏の登山者は本当に幸せだと思う。急げば1時間程度の歩行で辿り着ける岩場、豊富な支点と簡単な物から困難なものまで多くのルートの存在。そしてなによりも、眼前に大きく聳える真っ白な富士山。今回、期せずして全員が全く岩登りの経験なしに参加し、ハーネスの付け方、基本的な岩の登り方、ビレーの仕方等を一から学びました。しかし、今回の講習で最もみんなに身につけて欲しかったことは、岩登りのシステムです。絶えず転落、滑落の危険がつきまとう岩登り。その中で最も大切な事は「自分を守り、仲間を守る」ということです。クライマーは一端アンザイレンを開始したときから、絶えず「自分で自分を守っているか、パートナーに自分が守られているか」の何れかの状態になければなりません。取り付きでセルフビレーを自分に施し、トップで登っていくパートナーをビレーする。トップはランニングビレーをとりながらテラスまで登り、セルフビレーを取りビレーの解除を指示する。余ったザイルをたぐり上げて相手へのビレーの体制を作り「登ってこい」と指示する。「登ってこい」のコールでセルフビレーを開始し、ランニングビレーを回収しながら登りだす。このシステムが自然とつぎの動き、つぎの動き・・・と対応していくことが身につけば今回の講習の意味はあったと思います。現在、クライミングジムの登場等で「岩を登ること」そのものは豊富な練習の機会があります。様々な場所を選んで岩登りに挑戦するようにしていただければ幸いです。実際の本チャンルートは、実は三つ峠の岩場のような困難な所は少ないです。ただし、三つ峠のような支点も無ければルートも判りづらいことが多いのです。「登山」としての岩登りを行なうためには岩登り以上に「登山」を行なうことが効果があります。力を付けてこの夏こそ本チャンを目指そう!

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高尾山

咲きだしたミツバツツジ
咲きだしたミツバツツジ

 以下の者は、2008年4月9日、東京都の奥座敷とも言える奥高尾縦走路を和田峠から陣馬山(857m)、明王峠、景信山(727m)旧甲州街道の通る小仏峠と辿り、城山(670m)を経て日本一登山者の訪れる山・高尾山(589m)まで縦走したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

陣馬山山頂付近の明るい雑木林
陣馬山山頂付近は
貴重な明るい雑木林が広がる

 悪天と悪天の合間、貴重な雨の降らない一日が奥高尾の山の日でした。実は僕自身が陣馬山から高尾山を通しで歩いたのが40年前の話。今回の登山を前に2月に偵察しなおす遠ざかりかたでした。前日の暴風雨の影響で増水した沢の水とあちこちに散らばる小枝を見ながらの和田峠へのタクシーの道のりでした。登り着いた陣馬山。まだ芽吹きには早く、冬枯れの森の中の登りでした。広大な展望を期待していたのですが、低気圧の動きが遅いらしく、山頂付近をガスで隠した奥多摩の山々、霞んでいる丹沢の山々が見えるだけでしたが、それでも広大な空間の広がりは、これからの道のりへの期待を膨らませるものでした。本当に良く整備された登山道、広々とした道、絶対に転落等の可能性の無い道はまさしく山歩き初心者の王道と言えるでしょう。陣馬山山頂付近は美しい原生林ですが絶えず片側は人工林の道で、もう片方の雑木林にホッとしながらの道が続きました。時折、射す弱い陽差しに期待しながら静かな明王峠を越えて登り詰めていく景信山。広々とした山頂からは、ようやく大岳山が姿を見せ、丹沢の山々も顔を出しました。下り着いた小仏峠。下を中央自動車道と中央線が通る交通の要衝は、昔も重要な峠道だったのでしょう。城山から高尾山。すでに山の公園といった雰囲気の道となってから、大分下がった標高のせいもあってか足元のスミレ、見上げるサクラの花、道端を美しく飾るミツバツツジと多くの花との出逢いがありました。
 奥高尾の縦走。とりわけ高尾山。それは登山に全く関心の無い者でも子供の頃から親しみ、緑の山への興味を持つ大切な場所です。しかし、一方で陣馬山出発から高尾山口の駅前まで絶えず人の気配のある山道は、「誰にも会わない」事の多い僕達には驚きの山でもありました。

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甲斐駒ヶ岳

五合目から初めて大きく山頂付近が見える
五合目から初めて大きく
山頂付近が見える。デカイ!

 以下の者は、2008年4月5日〜6日、南アルプス北部を代表する甲斐駒ヶ岳(2967m)を本来の表登山道である黒戸尾根を竹宇駒ヶ岳神社から登り標高差2200mを制して登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

富士山をバックに最後の登り
富士山をバックに最後の登り

 大きな山、本来の南アルプスの雄大さを全身で感じさせてくれた甲斐駒ヶ岳黒戸尾根の二日間でした。入山から下山までほとんど雲らしい物を見ない真青な空の下の二日間でした。本当に「美味しい水」だった駒ヶ岳神社の「お神水」で口を潤し、「南アルプス天然水」の元祖である尾白渓谷を釣橋で渡っての入山でした。しかし、それから五合目までの鬱蒼たる原生林の中の登りの凄まじさ。全く同じ所をグルグルと回っているような錯覚に陥りそうな延々たる登り。しかし、雑木林から始まった森はコメツガとなり、シラビソとなり、斧一つ入らない見事さで続きました。黒戸山を巻き終えて五合目手前で初めて全身を現した甲斐駒ヶ岳。その力強い屹立した山頂は迫力満点でした。剣岳早月尾根とその標高差を競う厳しさの前に五合目を四時半にヘッドランプで出発。満天の星空と甲府盆地の夜景、そして、それらを忘れさせるようなクサリ、ハシゴ、凍った斜面の「こりゃあ一般ルートじゃないよな!」と思わず愚痴るような厳しい登りの後に七条小屋の前に出ました。奥秩父の先端から昇る太陽。ピンク色に染まる甲斐駒赤石沢奥壁の眺めと共に登りが始まりました。八合目の鳥居を過ぎ、左右に雪稜を越えながら急峻な斜面を越えていく背後には北アルプス全山と中央アルプス、八ヶ岳が見事でした。北岳が顔を出し、塩見岳が見え、360度の展望の中、適度な緊張と共に甲斐駒ヶ岳は僕達を迎えてくれました。見事な大きな素敵な春の雪山の季節の始まりです。

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浅間尾根

今年もこのダンコウバイが咲いていた
今年もこのダンコウバイが咲いていた

 以下の者は、2008年4月2日、奥多摩の秋川を南北を分ける歴史ある尾根道・浅間尾根を浅間尾根登山口から数馬峠にのぼり、一本杉、人里峠を経て浅間嶺(903m)に登頂し、時坂峠から沸沢の滝入り口まで辿ったことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

明るい雑木林が続く
明るい雑木林が続く

 何時も咲いている時坂峠のカタクリは影も形もありませんでした。その一方で浅間嶺からわずかに下った急斜面には鮮やかな春の色のピンクがありました。そして、可能性半分、最も大きな群落の見られる箇所には蕾だけがありました。行きつ戻りつ春は一遍にはやって来ません。毎年のように4月の第一週に必ず訪れてきた浅間尾根。南北の秋川の穏やかな山里を見下ろし、もう少し季節が進めば省みられることの無いキブシ、ダンコウバイといった控えめな花が点々と咲くこの尾根は「さぁ、今年も山歩きの季節が来た!」と心から感じられる大好きな道です。一本杉を過ぎると明るく開ける雑木林。まだ、緑のカケラも見られない木々の間から展望の楽しめる道からは奥多摩の中核である三頭山から御前山、大岳山が手を伸ばせば届きそうな近さでドーンと居すわっています。人里峠の手前、斜面をトラバースする木道の上にほんの一かけらの雪が残っていました。後、もう一回くらい、この地にも白い雪が降ることもあるでしょう。この尾根道の特徴は、ほんの60年ほどまえまでは現在の秋川沿いの街道より遥かにメインストリートだったことです。道端に点々と佇むユーモラスな表情の馬頭観音は旅人の安全を祈っての物です。そして、この尾根を境に南秋川は源氏、北秋川は平家の流れをくみ、この尾根を生活道路として使ってはいても北から南へと南北秋川を結ぶ峠は一つとして存在せず、それぞれの集落と尾根を結ぶ道だけが通っている・・・等のことを昔、地元の集落の老人から伺った事等を思い出します。浅間嶺とは富士見の可能な場所として付けられた名前なのでしょう。「関東ふれあいの道」として一度は整備されたことのある道は、この尾根を通り、上川乗の集落を通り笹尾根の浅間峠を越えていく通称「富士見の道」です。素敵な春の一日でした。

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権現山

暖かい雑木林の道
暖かい雑木林の道

 以下の者は、2008年3月25日、中央線沿線桂川流域の盟主である権現山(1311m)に和見峠から登頂し、雨降山、入山、二本杉と用竹尾根を墓村まで辿ったことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 前日までの雨がすっかりと空気の中の汚れまで流し去ったような真青な空。その空に向けて真っ直ぐ伸びるような見事な尾根。登るほどに開けてくる展望。そして、扇山の上に真っ白な富士山が現れ、大菩薩が、御正体山が現れてきました。暖かさに成虫のまま越冬したタテハチョウが日溜まりの中を飛んでいました。上着を脱ぎ、山シャツを脱ぎついに久しぶりの半袖で歩く山道。春の訪れを全身で感じる登りでした。稜線に辿り着くと、大きく広がる奥多摩、奥秩父の山並み。普段見慣れた角度と違い真南から眺める奥多摩の山々は暖かみのある狐色の山肌でした。しかし、それでも前日の雨は高い山では当然のように雪だったのでしょう。鷹ノ巣山より上、雲取山や飛竜山は親切を被って一層の美しさを見せていました。登り着いた権現山からの展望。風一つなくノンビリと過ごせる快適さは冬の終わったことをあらためて感じさせました。広大な展望、見下ろす平和そうな山里の景色。この山域の持つ独特の穏やかさを感じさせられました。権現山から用竹への尾根。それは地図上では中々の距離で中央高速や中央線の車窓からもハッキリと判る黒木の長々とした尾根。しかし、穏やかな傾斜と歩きやすい道は、けして急がなくても自然と距離の稼げる快適な道でした。南側こそ鬱蒼たる人工林でしたが北面は美しい雑木林が続き、奥多摩三山からその手前の笹尾根の一定の標高を保ちながら伸びる眺めは中々のものがありました。
 標高1000mを下がると緑が顔を出し、キブシ、アブラチャンが静かな花で山への春の訪れを知らせていました。スミレの花、タンポポの花、里山にはすっかりと春を感じさせる良さがありました。これから山は春。楽しい春の一日を感じました。

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白馬岳

巨大雪洞
巨大雪洞。何故か志水哲也が
手伝いに来てくれた
皓々とした月明かりの下、出発!
皓々とした月明かりの下、出発!

 以下の者は2008年3月22日〜23日、北アルプス北部後立山連峰を代表する白馬岳(2932m)に栂池から天狗原、乗鞍岳を越えて白馬大池に雪洞で泊まり、小蓮華岳、三国境を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

黒部川を挟んで剣岳が大きい
黒部川を挟んで剣岳が大きい

 ヘリコプターの爆音が真青な空の下に轟きわたる天狗原、点々と斜面を登るスキーとボードの人達。けれども、乗鞍岳を越えた途端、全ての音は消え去り真っ白な白馬大池の広がりと雪倉岳、朝日岳にかけての稜線の美しい広がりだけになりました。その大池の中にドカンドカンと大きなブロックを落としながら巨大な雪洞は掘られました。もう春先でシッカリと締まった雪。谷川岳等の低い山と違って全く濡れることの無い雪洞掘りの作業。端と端では越えが通らないほどの大きな雪洞ができました。ともされるローソクの灯、風の音一つしない真っ白な空間。この春の雪山ならではの雪洞の一夜でした。翌朝と言ってもまだ皓々と月があたりを照らす頃、雪洞を飛び出して山頂を目指しました。すでに東風に変わり昨日の空と違い雲が広がりだしていましたが夜明け前の空の下、後立山連峰の全ての山は月明かりで見えました。やがて小蓮華岳を過ぎるころ戸隠の山々から周囲を染めて太陽が昇りだしました。大きく広がる日本海の大きさ。能登半島から白山まで見渡せる景色はこの北アルプス北部ならではの物です。三国境の二重山稜を越えて一歩登ると剣岳がドカーンと音をたてるような迫力で姿を見せました。そして登り着いた山頂。槍ヶ岳から南アルプス、八ヶ岳、富士山と広大な360度の展望がありました。
 白馬大池を出発してから帰ってくるまで、ついに一人の登山者とも出逢うことはありませんでした。飛び石連休の中でもやはり本格的な雪山登山を行なう者はなく、あれだけの空間を完全に僕達だけで独占しました。白馬の頂上に立ち北を見るとはるか日本海へと大きな尾根が伸びていました。北方稜線。栂海新道と呼ばれる雄大な尾根は大きく、果てし無く伸び、僕達を誘っていました。

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三つドッケ

 以下の者は、2008年3月18日、奥多摩長沢背稜の中心にある三つドッケ(天目山・1576m)に東日原より、横スズ尾根を登り、一杯水避難小屋を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 奥多摩にもスッカリ春が訪れた!それを実感させられた春の一日でした。今年の冬は寒く、雪の降る日が多く、当然のように雪の中の一日を考えていました。しかし、まだ木々には緑は無いものの、暖かい軟らかな陽差しと溶けだした土、そして、明るい雑木林がありました。ドッケとは尖った峰を指す言葉、そして、この東京都と埼玉県を分けながら奥多摩の北の端を形成する長沢背稜の埼玉側から山を見た時の言い方です。日原から見上げる三つドッケは穏やかな山ですが、秩父側から見上げる山容は天空を突き刺し中々の面構えです。
 本当の山奥のドンヅマリにある日原の集落。背後に鷹ノ巣山を持ち、下へと続く日原川の上には本仁田山がある、谷間にひしめく集落が出発地点でした。最初の一時間の登りのきつかったこと。そして、見事な杉林の中だったこと、歩きだしには辛い出発です。しかし、傾斜が緩み、滝入りの峰を大きく巻いていく古くからの峠越え(仙元峠を越えて秩父へと続く峠道だったのです)の道は上手に付けられ多くの人々が越えていたのが判ります。そして、ついに人工林は姿を消して暖かい色合いの美しい雑木林が続きました。横スズ尾根の背を行くようになるとブナ、ミズナラの巨木も現れ、本来の古き良き奥多摩の素顔を見せてくれました。振り返ると雲取山から伸びる石尾根の上に奥多摩三山も顔を出し、登るほどに周囲の展望は開けていきました。山の中の避難小屋としては立派すぎる一杯水避難小屋から最後の登り。三つのピークの中の一つに登り付き、そこだけは凍った雪の残る最後の斜面を登り切るとスッカリ展望の良くなった三つドッケの尖った狭い山頂はありました。全く期待していなかった展望は春のボンヤリした霞の中にはありましたが奥多摩全体を見渡せる見事なものでした。春の誰にも会わない静かな一日でした。

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阿弥陀岳

御小屋尾根も豊富な雪で綺麗だった
御小屋尾根も
豊富な雪で綺麗だった

 以下の者は、2008年3月15日〜16日、八ヶ岳を代表するバリエーション入門ルート・阿弥陀岳南稜を末端から登り、立場山を越えてP4、P3と越えて阿弥陀岳(2805m)に登頂し、御小屋尾根を舟山十字路へと周回したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

頂上直下の雪の斜面
頂上直下の雪の斜面。
背後にウネウネと南稜が続く

 一気に訪れた雪山の春。無風、快晴の南稜は見事な展望の中にありました。グイグイと高度を上げていく立場山への登り、背後には暖かい気温にも関わらず真っ白な南アルプスから中央アルプス、北アルプスの鮮明な展望がありました。寒さの中、しかも必ずしも良くなかった天候の続いた今年の雪山、その中では最も優れた展望と共に登りました。いち早く到着したテント場。見上げる阿弥陀岳から赤岳、権現岳への稜線を見ながらの外での食事。春の山を満喫しました。そして、夜明け前、他のパーティーの最先頭でヘッドランプで出発した僕達。夜が明けてくると同時に鮮明な稜線と見上げる、これから通過する雪稜が迫力満点で迫ります。ザラメ雪と完璧な氷。その混じったルートそのものはけして安定した物ではなく、それなりの緊張感と共にありました。緊張感と共に登り詰めたP3のルンゼ。バラバラ落ちる氷屑、そして、再び飛び出した稜線では明るい朝日が待っていました。P4を越えて最後の雪のルンゼを登り、痩せた雪の稜線を登ると広々とした阿弥陀岳が待っていました。この12月。寒風と雪の中、ビバーク訓練した山頂とは同じ頂上とは思えない深い雪。真っ白な頂上からは360度の大展望が待っていました。下りの御小屋尾根も上部は豊富な雪に随所で緊張の痩せ尾根を出現させ、スリリングな雪稜歩きを楽しみました。
 阿弥陀岳南稜はけして難しいルートではありません。しかし、原生林の中の急峻な登り、立場山を越えて出会える大迫力の展望。そして、今回は皓々とした月明かりと月が沈んだ後の満天の星。何よりも夜明け前の下界の夜景を見ながらの登り、見えてくる目標の山と、やはり一般ルートとは違う何かがありました。このルートをステップに更に静寂の地獄谷周辺の山々へと足を進めたいものです。

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大菩薩峠

峠の手前の木々は霧氷で一杯
峠の手前の木々は霧氷で一杯

 以下の者は、2008年3月12日〜13日、大菩薩山塊の中核・大菩薩峠(1897m)に丸川峠登山口から上日川峠を経て登頂し、親不知を往復し、フルコンバから小菅へと峠越えしたことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

明るい雪の大菩薩峠
明るい雪の大菩薩峠

 山の春は行ったり来たりを繰り返しながら、一気にやってきます。本格的な春が大菩薩の山々に訪れた最初の時に、その地を訪れました。上空は晴れて半袖で歩けるほどの暖かさなのに、近くの山さえも見えない。典型的な春の北東気流による霞の中にありました。物音一つしない上日川峠の夜。一夜明けて見上げる大菩薩の稜線は真っ白い霧氷の中にありました。峠の向こう、東側から昇る太陽がパラパラとその霧氷を落とす、その中を登り詰めて行きます。真ん中だけ姿を見せ、山頂と山麓は霞の中にある奇妙な形の富士山。霞の上に頭だけだす三つ峠。そんな春ならではの独特の展望を楽しみながらの峠道でした。峠に着き、一山高い親不知のピークに登ると、遠く金峰山が真っ白い姿を見せていました。明るい草原の中の大菩薩峠に別れを告げて、反対側、鬱蒼たる原生林の奥多摩側へと下りだします。一転して深い雪、グイグイ降りるに従って牛の寝の稜線が全く標高を変えずにつづいているのが高く高く見えました。奥多摩や大菩薩、奥秩父の山々が最も雪が深くなるのは通常、この三月中旬から下旬です。太平洋岸を低気圧が通過し、東京にも冷たい雨が降る・・・、そんな時が近郊の山々に積もる雪が降る時なのです。この雪は、気温の上昇で溶け、日当たりで溶ける一方、日陰、北面、標高の高い所では固い残雪となって遅くまで残ります。小菅への下り道は、暖かく湯気の上がる明るい雑木林の雪一つない所の先に、固く凍った雪がありました。そして、下り着いた小菅の村には暖かい春の風が吹いていました。

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マナイタグラ

朝日を浴びてブナの森を行く

 以下の者は、2008年3月8日〜9日、谷川連峰・オジカ沢の頭から伸びるマナイタグラ山稜を赤谷越えから登り、阿能川岳を目指しましたが、三岩山手前のキノコ雪に阻まれて撤退し、吾妻耶山(1341m)に転進し登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 登山道の全くない山、豪雪の山、それは「雪が登らせてくれる山」でした。しかし、今年の豊富すぎた積雪は過去何回かこの地を訪れた僕にも想像を絶する激しい変化をこの稜線に残していました。赤谷越えに至るまでの樹林帯の中にも小規模なブロックが落ち、密集した森の中にも立派な雪庇が形成されていました。ハラハラと落ち続けた雪が止み、見渡すと周囲はブナとミズナラの創り出す見事な谷川連峰ならではの森でした。全く手の入らない原生林、その中をボコリボコリとラッセルする気分は独特の物がありました。しかし、標高があがり積雪が増すごとに稜線の上は厳しい表情を見せました。発達しすぎた雪庇はヒドンクレバスとなって「ここなら大丈夫」と判断したかなり内側・風上側の箇所であっても見えない割れ目を作り随所で、落ち込む事態が続きました。そして、三岩岳を前にして岩場が出てきて、ついに稜線上には左右に雪庇が張り出すようになりました。稜線を微妙に巻き、トラバースを繰り返す足元はザラメ雪で崩れやすく、小さなトラバースもドキドキしながらとなりました。そして、雪山一年生主体のパーティーであること等を考慮し、阿能川岳を見上げる位置で撤退しました。引き返す道は夕陽があたり振り返る小出俣山は真っ白に光り見事でした。満天の星、静かな森の一夜が明けて上州武尊山が金色に輝いて明けた朝。快晴の空の下に振り返ると真っ白な屏風のような谷川連峰の白さ。そして、吾妻耶山に転進しました。標高も低く行きがけの駄賃程度の気分で取りついた山でしたが、もちろんトレースも無く、急斜面の登りとトラバースの連続はそれなりの困難がありました。岩場を登り切り、どこが山頂かとウロウロしながら登り着いた山頂の静けさと展望は中々でした。志とは違う、しかも小さな山頂でしたが豊富な雪と格闘した二日間でした。

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初雪山

ガスが晴れて前方に初雪山
一晩で大分積もった。
ヘッドランプに雪が綺麗

 以下の者は、2008年3月1日〜2日、北アルプス最北端、日本海から聳える登山道の無い積雪期のみに登れる初雪山(三角点標高1595m)に小川の夢創塾から鍋倉山、大地山を経て登頂したことを証明します。

氏名 風 の 谷

背後に大きく広がる日本海。
トレースがクッキリ

 太平洋に近い都市・東京から日本海を大きく見ながらの初雪山。やはり遠い遠い山でした。強い雨に出鼻をくじかれ、昼近くにやっと歩きだした小川温泉近くの山里。しかし、グサグサに雨の沁みたザラメ雪は登りにくいものの、登るほどに周囲の木々は全てブナとミズナラの美しい森となり、背後に大きく広がる海の気配を感じながらの登りは悪いものではありません。標高800m前後、ブナ林に囲まれて富山湾と富山平野を大きく見下ろす風の来ない小さな窪にテントを張りました。ヘッドランプの中にハラハラと舞い落ちる小雪。しかし、晴れの雰囲気を感じながら最初のピーク・大地山に向かいました。低山とは思えない豪雪地帯の雪庇。何となく不安を感じてザイルを出した途端にドーンと音を立てて崩れ、亀裂が走る緊張の中、遠く遥かにガスの中にある初雪山を目指しました。そして、1300m付近で突然、動き出したガス。剣岳から毛勝三山。そして朝日岳から広々とテラテラと春の光を受けて光る栂海新道。その中に大きく行く手に居すわる初雪山でした。灌木一本無い、左右に張り出した巨大雪庇だけがデコレーションとなった雄大な山容は、一歩進めばそれだけ遠くなるような、もどかしさの中、それでも近づきました。ひたすら登り続ける辛さの中、遅れる仲間を振り返ると思わず「ウワァー!」と声の出る紺色の日本海の広がり。3000m近い剣岳と0mの日本海を両方見られる素晴らしい光景が続いていました。その長々と続いた尾根の上に刻まれた一筋のトレース。それが僕達の軌跡でした。登り着いた広々とし山頂からは手が届きそうな近さで犬ヶ岳がありました。帰りを考えるとウンザリするような遠さ。「本当に標高1600m前後の山なの?」と、全員が不思議に思うような大きな、真っ白な素敵な山でした。歩きだしから下山まで全てワカンを履き続けたラッセルの山でした。

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上高地

梓川のほとりからは
一瞬大きく霞沢岳も顔を出した

 以下の者は、2008年2月19日〜20日、北アルプス穂高連峰の玄関・上高地に釜トンネルから入山し、大正池、田代池、田代橋から梓川沿いを上流に向かい河童橋から小梨平まで到達し、帝国ホテル前から釜トンネルまで周回したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 1月の連休から延々と続いた雪の日。それが一瞬冬型が緩み、久しぶりの穏やかさの中で迎えた上高地の雪景色でした。それでもハラハラと小雪が舞う中の沢渡。釜トンネル下の国道も雪の中でした。以前とは比べ物にならないほど広く安定した釜トンネルの中。かつてのツララの垂れ下がる真っ暗な中をヘッドランプを点けて歩いたのとは雲泥の差でした。そして、あの大正池を正面に見下ろす坂を越えて「さぁ?どうかな」と見上げた穂高連峰は残念ながら黒々とした雪雲の中でした。今年の冬は本当に寒いのでしょう。普段、凍ることの無い大正池は真っ白に凍てついていました。しかし、それでも季節は一歩ごとに動いています。焼岳に続く斜面に生えた木々の先端、梓川の川べりの化粧柳の先端がどことなく赤く染まり、春の準備が始まっていることを思わせました。大正池、そして田代池への道では、夏だとバスで通りすぎるだけの場、観光客が梓川周辺に佇む光景は見ても何となく通りすぎていた所でした。雪に閉ざされ、白い雪原と化した田代池周辺は見上げる霞沢岳、六百山がすこしづつ姿を現す中にあったこともあって静けさと美しさの中にありました。冬でもとうとうと流れる梓川の岸辺。田代橋をわたり夏では最も多くの宿泊客の歩く、アルペンホテルから温泉ホテルの周辺は全く違った明るい雪の光の中にありました。そして、河童橋。おりしも同じペンションに泊まった方達も一緒になり、上高地随一のスポットでほぼ全員集合となりました。このあと、一瞬雪がピタリと止み、ほんの一瞬、西穂高独標付近が真っ白に眺められました。そして、再び、冬型となったのでしょう。ハラハラと舞う雪。冷えてきた空気。少しの間だけ、春の気配を楽しませてくれた上高地は再び冬の強い寒さが支配する中に戻って行きました。

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地蔵岳

オベリスを眼前に延々たるラッセル
もう、目前にオベリスクが
見えているのに、
延々たるラッセル

 以下の者は、2008年2月16日〜17日、南アルプスの玄関にあたる鳳凰三山の象徴である地蔵岳(2760m)に御座石鉱泉より燕頭山を越えて賽の河原を経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 入山から下山まで全く他の登山者の姿を見ず、他の登山者のトレースを踏まなかった鳳凰三山でした。先週の仙丈ヶ岳と同様、有名山岳、首都圏で人気のある雪山でありながら、絶対に前にトレースの無い状況が続いています。いかに自力で登る雪山登山が衰退しているのかを全身で感じさせられた二日間でした。極端に冷えきった御座石鉱泉の朝。先行しているのは鉱泉のワンチャン。登っては振り返り、僕達を待つ姿に励まされて真青な空の下に丁寧に踏み跡を付けていきました。凍った地面の上に積もった雪に対して最初はアイゼンを、そして直ぐにワカンを履きました。燕頭山への登りの延々たるラッセルの厳しかったこと。全てが自然林のこのルートの雑木林の明るさ、燕頭山からの原生林の見事さ、振り返る甲府盆地から八ヶ岳山麓の明るい展望。冬型が最も強い時期の入山でも、一時期、それが緩み、八ヶ岳から奥秩父が手が届きそうな近さで眺められる嬉しさ。しかし、荷物と深いラッセルに疲れ果て、鳳凰小屋前までの到着は断念。2400mピークへのトラバースの始まる手前に北側に広がる小広いダケカンバの広場が僕達の泊まり場でした。夜明け一時間前の出発は見下ろす広大な甲府盆地の夜景と前夜からハラハラと落ち続ける小雪の幻想的な中でした。上に行けば雪の吹き飛ばされて・・・の甘い判断は、見事に覆され、稜線直下まで鬱蒼たる原生林に覆われた斜面は再びの交代のラッセルが続きました。すっかり明るくなった強風と寒気の中の賽の河原への登り。幻影のような地蔵岳オベリスクの尖った峰を見上げながら微妙にボコボコと落ち込む雪と格闘を続けました。もう、そこ!という所に見えているオベリスクの遠かったこと!吹きつける強風の冷たかったこと!そして、ついに沢山のお地蔵さんの並んだ地蔵岳オベリスクは眼前になりました。本当の自分達だけの見事な雪山でした。

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仙丈ケ岳

森林限界まで
徹底的なラッセル
頂上近し!
背後には甲斐駒がデカイ

 以下の者は、2008年2月9日〜11日にかけて南アルプス北部を代表する仙丈ヶ岳(3033m)に伊那谷の戸台より入山し、赤河原、八丁坂を経由して北沢峠に到達し、大滝の頭、小仙丈ヶ岳を越えて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

頂上を後に痩せた尾根を下る

 次々と南岸低気圧が通過し久しぶりの豊富な積雪に恵まれた南アルプスの山々。仙丈ヶ岳も本来の3000mの雪の高峰の風格と威厳を取り戻した感があります。出発点から真っ白な雪の上を歩き、見上げる甲斐駒ヶ岳の美しい山容。「三連休だし、絶対にトレースはある!」と確信していた八丁坂でのまさかのワカンを付けてのラッセル。そして、山頂に至るまで徹底的にファーストトレースを付ける栄誉を獲得した嬉しさ。簡単に登れてしまう3000mではなく、実力と疲労と筋肉痛と手先の痺れと共に獲得した山頂は深みのある感動と共にありました。他人のトレースを追うことなく登る中で改めて感じさせられた八丁坂付近の見事な雪の原生林の美しさ。雪の中に埋もれていても地球の癌細胞のようなスーパー林道の傷跡。そして、鬱蒼たる原生林の中のテント生活の静けさ。二日目は徹底的に森林限界までトレースを付けることに徹して三日目に1000m登り、2000m下る過激なプランは大展望の中の天空に浮かぶ城砦たる山頂に立って実現されました。それにしても改めて知らされたのは本格的な雪山登山者の激減です。三連休であればかつては北沢のテント場には20張り以上のテントが林立し、ラッセル等、やりたくてもできない事がしばしばありました。二日目の急斜面の大ラッセル。膝から股、時としては腰を越える格闘するようなラッセル。単独行と二人組も加わって全員でユックリと着実に伸ばされたトレース。それは、まさしく、太古の昔、同じような志の下、この山頂を目指した者の味わったのと全く同じ「頂上を獲得した」感動を味わう貴重な作業でした。アサヨ峰を見下ろすようになり、甲斐駒ヶ岳と肩を並べ、やたらと尖った形の北岳を眺め、中央アルプスの雄姿、北アルプスの銀屏風を見ながらの登頂。嬉しすぎる標識が待っていた山頂でした。

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赤岳

森林限界を越えると背後の展望はグイグイ広がる
森林限界を越えると
背後の展望はグイグイ広がる

 以下の者は、2008年2月2日〜3日、八ヶ岳の最高峰・主峰である赤岳(2899m)に美濃戸口から行者小屋を経て文三郎尾根を登り登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

雪の中の下山
雪の中の下山

 既に日が傾きだした文三郎尾根。森林限界を越えて周囲は深く刻まれた谷が落ち込み、ザイルで結ばれて一歩一歩と極端に急な斜面を登り詰めていく、その苦しい背後に登るごとに北アルプスの連峰が銀色の屏風となって広がっていきました。北八ヶ岳が同じ連峰とは思えないたおやかな美しさで静かに顔を出していました。夕暮れ時と競争するようにジリジリと稼いでいく高度。珍しく風一つ無い静寂の中を見えだした更に南の権現岳のコウモリが羽を広げたような独特の山容がありました。南沢の登りの過程であんなに高く聳えていた阿弥陀岳と肩を並べるようになり岩混じりの急斜面をクサリにつかまりながら攀じ登り、ついに八ヶ岳最高峰は私達の足下になりました。周囲の山々は全て見下ろす形となって、悪くなりだし小雪の舞い始めた天気の中、私達だけの山頂はまさしく絶頂という言葉がピッタリでした。翌朝、一転して降り積もった雪の中、一気に下った急峻な地蔵尾根。八ヶ岳主峰の機嫌の良いとき、悪いときの二つの顔を見ることができました。
 赤岳は厳しい山です。周囲に要塞のように厳しい岩壁を立ち並ばせて強い風と雪で登る者を威嚇します。この山は雪山登山者にとって本格的な雪山登山の出発点の山です。と、同時に低い山、穏やかな山から一歩一歩と困難な山への挑戦をしてきた者の目標としての山でもあります。この山の登頂を通じて「アァ、素敵な山だったけど厳しい山だったな。赤岳のような山に自力で登るためには、どんなトレーニングが必要なのか?」といった気持になるのが理想的な雪山登山者の姿です。しかし、一方で赤岳は特殊な山です。沢山の山小屋、しっかりと付いたトレース、絶えず目に入る他の登山者。本来の雪山、目指すべき雪山は、困難ではなくても、自力で踏み跡を付けて、自分達だけで登る雪山です。「風の谷」と共に、本物の雪山を目指してください。

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高水三山

岩茸石山付近の明るい雑木林の中
岩茸石山付近の
明るい雑木林の中は雪の道だった

 以下の者は、2008年1月30日、奥多摩の入り口に立つ高水三山を軍畑駅から平溝集落を抜けて、常福院のある高水山(759m)、雑木林の美しい岩茸石山(793m)、神社のある惣岳山(756m)と縦走し、御岳駅まで一周したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 寒さにちぢこまりながら辿った山の里、平溝の集落。しかし、取り残した柚子の実の横に梅が香っていました。標高600mを越えると現れた雪。先週、沢山降った雪は雨に溶かされて、そこまでは影もなく消えていたようです。道に凍りついた雪は少なく、カリカリと薄氷のように張りついていました。晴れた冬の奥多摩。岩茸石山の山頂からは棒ノ折山の遥か彼方に遠く日光男体山の白い姿も見えました。そもそも高水三山とは、奥多摩が関東平野に没する最後の高みです。笠取山から最高峰・空松尾山を経て雲取山に至る多摩川水源の山々から始まる奥多摩がすこしづつ標高を下げ、長沢背稜となり埼玉県と東京都とを分けながら伸びきった最後の最後。すでに700m台まで落ちた里山となって踏ん張った高みがこの三つの山なのです。三つの山を巡って、小さな山なのに一つ一つの個性の違い、強さを改めて知らされた思いです。山の上とは思えない立派なお寺を持つ高水山、この林業の山の中で唯一、美しい雑木林を持ち、明るい展望に恵まれた最高峰・岩茸石山。そして、鬱蒼たる森と神社が山頂に立つ惣岳山。30分ほどで、それぞれを越えることができる山であっても、それなりの緊張と楽しさが満ちた素敵な山でした。一日晴天のはずが何となく不機嫌そうな雲行きとなって心配しながらの稜線でしたが、眼前に大きく川乗山が聳え、大岳山から御前山の端正な姿、その後には黒々とした大菩薩の山々が見え、更に雪雲が消えた後には雲取山までが見られました。春先に訪れることの多かった、この山はいつも春霞の中に周囲の山をボンヤリと見せるだけでしたが、今日、この日は実は優れた展望の山であることを改めて教えてくれました。小さな目立たない山でも平日でも、この地を愛する登山者は点々と登っていました。充実感に満ちた楽しい山を冬の日に歩けた事に感謝します。

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小同心クラック

下から見上げる小同心
下から見上げる小同心
真ん中の割れ目がルートだ

 以下の者は、2007年1月26日〜27日、横岳奥の院に突き上げる小同心クラックを大同心稜から取り付き完登したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

太陽の光が欲しい冷たいクラック
太陽の光が欲しい冷たいクラック

 八ヶ岳西壁の登攀の特徴は、寒さとの戦いです。ほぼ、本州中央に位置する内陸の気象の影響を強く受ける位置の為に、冷たく乾いた空気が支配し、冬型の気圧配置の下では、強い西風が絶えず吹きつけます。時として、その風はザイルを吹き上げ、パートナーとのコールも吹き消します。吹きつけられた「海老の尻尾」を絶えず払い落とし続けるトップ、その落とす落雪がスノーシャワーとなって注ぐビレーヤー。今回も、27日早朝の気温はマイナス23度。ただ、呼吸するだけでも鼻の中がキンキンと痛くなるような気温の中の登攀の開始でした。しかし、強い冬型も四日目。風は収まり、皓々と照る月明かりの下に阿弥陀岳が見事なアプローチでした。周囲の山々が真っ赤に燃える中での登攀開始。ジリジリと高度を稼ぐ快感は冬期登攀ならではのものでした。今回、ふたつのパーティーに分かれて登った赤岳主稜と小同心クラックは、どちらも八ヶ岳西壁を代表する好ルートでした。一方は赤岳北峰に突き上げ、一方は横岳奥の院に突き上げる山頂にダイレクトに登れるところが最大の魅力です。好条件の下で冬壁初体験の者も、かつて見上げて憧れるだけの存在だった壁を自らの足下に置くことのできた喜びは小さくないと思います。振り返って反省することは両パーティー共通する反省として冬の装備への不慣れでした。着膨れた身体にはザイル一つ結束するにもハーネス付近が見えずモタモタする・・・・、分厚い手袋ではカラビナの安全環が締められない、ハーケンのシュリンゲが操作できない・・・、アイゼンでの練習はできてもそんな所は経験を積む以外には解決できない事です。課題が生まれました。次の挑戦への課題と言えます。

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赤岳主稜

核心部のクラックを抜けて
核心部のクラックを抜けて

 以下の者は、2007年1月26日〜27日、八ヶ岳主峰・赤岳に突き上げる主稜を文三郎尾根から取り付き、完登したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 八ヶ岳西壁の登攀の特徴は、寒さとの戦いです。ほぼ、本州中央に位置する内陸の気象の影響を強く受ける位置の為に、冷たく乾いた空気が支配し、冬型の気圧配置の下では、強い西風が絶えず吹きつけます。時として、その風はザイルを吹き上げ、パートナーとのコールも吹き消します。吹きつけられた「海老の尻尾」を絶えず払い落とし続けるトップ、その落とす落雪がスノーシャワーとなって注ぐビレーヤー。今回も、27日早朝の気温はマイナス23度。ただ、呼吸するだけでも鼻の中がキンキンと痛くなるような気温の中の登攀の開始でした。しかし、強い冬型も四日目。風は収まり、皓々と照る月明かりの下に阿弥陀岳が見事なアプローチでした。周囲の山々が真っ赤に燃える中での登攀開始。ジリジリと高度を稼ぐ快感は冬期登攀ならではのものでした。今回、ふたつのパーティーに分かれて登った赤岳主稜と小同心クラックは、どちらも八ヶ岳西壁を代表する好ルートでした。一方は赤岳北峰に突き上げ、一方は横岳奥の院に突き上げる山頂にダイレクトに登れるところが最大の魅力です。好条件の下で冬壁初体験の者も、かつて見上げて憧れるだけの存在だった壁を自らの足下に置くことのできた喜びは小さくないと思います。振り返って反省することは両パーティー共通する反省として冬の装備への不慣れでした。着膨れた身体にはザイル一つ結束するにもハーネス付近が見えずモタモタする・・・・、分厚い手袋ではカラビナの安全環が締められない、ハーケンのシュリンゲが操作できない・・・、アイゼンでの練習はできてもそんな所は経験を積む以外には解決できない事です。課題が生まれました。次の挑戦への課題と言えます。

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金峰山 (やまあるき) 

無理に開けてくれた金峰山小屋に感謝
無理に開けてくれた金峰山小屋!感謝

 以下の者は、2008年1月22日〜23日、奥秩父主峰で日本百名山の一つ・金峰山(2599m)に廻り目平より中ノ沢出合いを経て登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

夕暮れ迫る金峰山頂上へ
夕暮れ迫る金峰山頂上へ!
背後に八ヶ岳が大きい

 森と渓谷のイメージの強い奥秩父の中にあって金峰山は山頂付近を見事な高山の雰囲気で埋めた美しい山です。冬、山小屋が完全に営業をやめ、この山に登るためにはワカンを履き、ラッセルし、テントに泊まり、食料を荷揚げし・・・・と本来の雪山登山の準備を抜きにしては登れない山に変身します。しかし、今回、金峰山小屋のご主人の本当に暖かい支援によって「山歩き」でもこの重厚な雪山を体験することができました。人っ子一人いない夏の喧騒の場・廻り目平。そこに付けられた一筋のトレース。所々凍りついた堰堤の氷。見上げる金峰山は遥か上にありました。中ノ沢から鬱蒼たる森の中を一歩一歩と登り詰める背後には谷川連峰から妙高まで普段は見えない大きな展望がありました。「明日は必ず大きく天気が崩れる」の知らせに、なんとしても、初日に頂上に立ちたかった僕達。しかし、微かなトレースと延々たる登り、冬ならではの装備の重さにに遅々として行程ははかどらず、「もしかしたら無理かも?」の感じもありました。しかし、小屋主・吉木さんの出迎え、小屋到着後、すぐの行動で森林限界を越えた素晴らしい展望を堪能しながら膝までのラッセルを繰り返しながら、山頂を目指しました。初めは見えていた南アルプスかがアッと言う間に雲の中に入り、八ヶ岳さえも頭を雲の中に隠しだしました。強い風、冷たい空気、そして、日没の迫るオレンジ色の世界の中、時間ギリギリで金峰山山頂に立ちました。トレース一つ無い、踏み跡の名残さえ無い静寂の冬の百名山。雲海の上に顔をだす富士山だけが見事でした。
 日没前に帰り着いた金峰山小屋。前日から暖められた小屋のストーブと炬燵。夏よりも更に豪華な「鴨鍋」の美味しかったこと。ただ、一日の為だけに除雪をして小屋を開けてくれた事に感謝で一杯です。雪の朝をひたすら下った道。雪を被った森が見事でした。

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天狗岳

天狗岳
天狗岳!今年も「風の谷」から
沢山の雪山登山者が生まれる

 以下の者は、2008年1月20日、北八ヶ岳最高峰・天狗岳(2645m)に渋ノ湯から黒百合平、中山峠、天狗の鼻を経由して、東天狗岳に登頂し、さらに西天狗岳にも登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 西から気圧の谷が接近し雪の気配が周囲に漂う中のちょっと忙しい日帰りでの天狗岳の登頂でした。天狗岳はそもそも微妙な位置にあります。茅野の町中から東を観て八ヶ岳連峰を仰ぎ見るとき、編笠山から権現岳を経て見事なギザギザした稜線を連ねた稜線は、途中から一転して茫洋とした黒々とした膨らみの連なりとなり、最後に諏訪富士の異名の相応しい蓼科山となって終わります。そのギザギザの最後、白いドーム状の山こそ、天狗岳・・・・正確には西天狗岳です。岩のイメージの強い南八ヶ岳、そして、森のイメージの強い北八ヶ岳、その接点であり両方のイメージを強く持つのが天狗岳でした。実際に登ってみて、硫黄の強い匂いの中をコメツガの森の中をジグザグに高度を上げて、さらにシラビソの森を一気に登り、ダラダラとした森の中の登りにかかります。このダラダラの登りの森のイメージこそまさしく森林高地・北八ヶ岳の森の姿であると言えるでしょう。それが中山峠から溶岩台地を抜けた途端に冷たい風と共に一気に放り出されるような高い露出感の中をグイグイと登っていきます。その姿はハッキリと南八ヶ岳の雰囲気です。その両方の魅力、楽しさを味わえる事で天狗岳は多くの雪山初心者に愛されてきました。今回、残念ながら八ヶ岳南部の展望は得られたものの、最も素晴らしい北アルプスの遥かな連なり、南アルプスの手の届きそうな展望。中央アルプスの穏やかな稜線が全く見えなかった事です。そして、下降にかかった時、降り出した粉雪。雪と共に徐々にかわっていく周囲の雰囲気。なんとなく柔らかみを持っていた風景は厳しく、激しい表情に変わり雪山の持つ本来の激しい顔の一端とも出逢うことができました。もともと、朝集合で、日帰りで雪の森林限界を越えた山に挑戦することは難しい事です。遠かった雪山が身近で、トレーニングさえすれば自分達の手の届く物であると感じられれば幸いです。

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北横岳

北横岳頂上直下
北横岳頂上直下!
背後の八ヶ岳がスゴイ

 以下の者は、2008年1月19日、北八ヶ岳の盟主・北横岳(2480m)に坪庭から登頂し、稜線の岩峰・三つ岳を往復したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

 空は真青なのに、周囲の山々が霞む・・・春を思わせる中の北八ヶ岳でした。これは小規模な黄砂の影響であることを後で知りました。綺麗に晴れ渡った空の下、北アルプスを筆頭とした銀屏風の居並ぶ姿を観てほしかったのですが、ちょっと残念でした。しかし、一方で静かな風の中、気温自体は低いものの、真冬の寒さなに打ち負かされることなしに森林限界を越えた雪山を体感できました。北横岳を初めとする北八ヶ岳の山々は森林高地の中の山です。一つ一つの山と山が尾根で繋がらずに独立して周囲を見下ろしている・・・、登山者は山腹に付けられた夏道を覚えていて、それに合わせてトレースを付けていく。そんな特徴を持つ山です。そして、周囲の展望と共に、忘れられないのが明るい印象を持ったコメツガ、シラビソの創り出す雪を付けた原生林の姿です。ちょっと残念だったのは先週の土曜日、丸々一日に渡って降り続けた雨。登山中も何回もお話したように雪山での雨は折角積もった豊富な積雪を一気に溶かし、山々にはアイスバーンを形成させ「かき氷の上にタップリとシロップをかけた状態」を創り出します。大変やっかいな物なのです。穏やかな北八ヶ岳の山にしても、その前までは美しく真っ白な石膏細工の様相を創り出していた木々から氷の化粧を剥がし、ただの「雪の付いた木」にしてしまいました。本来ならば白いモンスターを思わせる表情豊かな冬の森が待っているはずだったのですが・・・・。しかし、森を抜け、急斜面を登り、高度を稼ぐに従って開けていく展望は見事な物でした。八ヶ岳全山が背景に広がり、重厚な奥秩父の山々が立ち並び、そして、南アルプス、中央アルプスが見事に居並ぶ景色は何時観ても最高の物があります。雪山の美味しい部分、美しい部分だけを体験できる貴重な山として北横岳はあります。そして、この山は出発の山です。この頂上から見えていた全ての雪山に足跡を記す・・・そんな密かな決意を、この山が与えてくれることを願います。

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金峰山

快晴の金峰山に向かって
快晴の金峰山に向かって
グイグイ登る

 以下の者は、2008年1月12日〜14日にかけて奥秩父西部の日本百名山の一つ・金峰山(2599m)に廻り目平から登頂し、朝日岳(2581m)を往復したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

金峰山から夕暮れの南アルプス
金峰山から夕暮れの南アルプス

 三日間に渡って、折角の連休を徹底的に天候に翻弄された僕達でした。当初の予定は日本最南端の3000m・聖岳でした。しかし、中央道を走るクルマの窓を打つ強烈な雨、妙に暖かい空気、入山日の一日の雨を覚悟しました。夏の雪と冬の雨、どちらも全く対応する術のない天気です。本谷口から便が島にかけての10kmを越える林道、そこが積雪に覆われた時の撤退の困難を考えて、一旦は八ヶ岳杣添尾根への転進を考えました。九時過ぎには雨は雪に変わるだろう。なんと言っても標高1700mが出発点だから・・・の考えは昼過ぎでも雨で、ついに午後になっても冷えない気温にその日の夜の宿を考えなければならなくなりました。そして、廻り目平へと最後の転進を始めました。フリークライミングのメッカは人っ子一人いない静寂の廃墟でした。一気に降り積もった雪。静かなセセラギの音。三度目の正直の転進でした。翌朝、まだハラハラと降り続ける雪と一気に冷え込んだ大気。山水画のように岩峰を林立させたこの独特の風景の中を気持を切り換えて金峰山を目指して登りました。結果として圧倒的な展望の中を金峰山、朝日岳の山頂を踏むことができましたが、改めて感じたのは日本百名山とは思えない人の姿の無さでした。金峰山は、周知のように奥秩父の主峰ならではの見事な展望と重厚な原生林、そして、その上に立つ森林限界を越えた露出感と共に風格ある名山です。しかし、トレースはなく、訪れる者の気配もなく、僕達だけの山頂と稜線がまっていました。夕暮れの中に沈む八ヶ岳と南アルプスの山々。朝には雲海の上に聳える浅間山の真っ白な姿と共に、けして望んだ頂上ではなくとも静寂の山頂の魅力がありました。山小屋の無い雪山の不遇な姿を改めて教えられた思いです。連戦連勝、撤退と転進を潔しとせず何時もギリギリで山頂に立ち続けた「風の谷」が不調です。今シーズン阿弥陀岳以来の山頂を幸運のキッカケとしたいです。

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硫黄岳

もう頂上近し
もう頂上近し!
真青な空の下をグイグイ登る

 以下の者は、2008年1月8日〜9日、八ヶ岳の展望のピークである硫黄岳(2760m)に小海線・松原湖駅から稲子湯を経てシラビソ小屋に宿泊し、本沢温泉、夏沢峠を越えて登頂したことを証明いたします。

氏名 風 の 谷

山頂は見事な展望の中
山頂は見事な展望の中

 夏沢峠を越えると今までの静寂の森の中を歩いていたのが嘘のように上空を風が抜けていきました。そして、森林限界をこえると同時に凶暴な勢いで僕達の頬を打ちました。春の気配の漂う松原湖駅の前。それが稲子湯が近づくと道が凍りだし歩きだしたゲートの前は地面の見えない白い世界が広がっていました。カラ松林からコメツガ、シラビソの森を抜けて青い煙が暖かく昇るシラビソ小屋はありました。緑池を前面に見上げる天狗岳と硫黄岳。それは白いガスの中にありました。翌朝、天狗岳東壁が輝く中を出発。夏の湿地帯から見上げた硫黄岳の高く、遠く、遥かであったこと。ため息の出るような峻険な面持ちに緊張で一杯になりました。人の気配もない本沢温泉。そして、やっと登り切った感のある夏沢峠でした。しかし、硫黄岳の本来の魅力は、これから山頂までの僅かな時間の中に凝縮していました。一歩登るごとに広がる背後の北八ヶ岳の景色。広大な原生林を持つ蓑冠山の上に天狗岳が顔を出し、見る見るうちに大きな要塞のようになっていきました。そして蓼科山が顔を出し、北横岳が見え、その背後に春霞の中に北アルプス、とりわけ槍ヶ岳から穂高の雄大な展望がありました。凍る頬と冷たい手、それを気遣う暇もない強い風。真っ白な氷と雪の世界の上に突き抜けたような真青な空がありました。目印のケルンを追って、後一つ、後一つと思いながら向かった山頂。突然のように目の前が大きく開け、赤岳から阿弥陀、そして権現岳へと続く八ヶ岳全山がドーンと聳えていました。
 最初の「やまあるき」の本格的な雪山が一年で一番厳しい雪山登山となったようです。素朴な暖かみのある対応の嬉しいシラビソ小屋からの硫黄岳はなかなかに遠い物でした。もう夕暮れが迫る中、タッタカと駆け下りた道の上に真っ白な硫黄岳が見下ろしていました。

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