暖冬と云われる今年。しかし寒修行の時期になると寒波はやって来た。修行しろとの思し召しと受けとめ、本年も皆様の支えにより遂行している。◇先日、百五才の女性(Kさん)が、北九州市内の施設で臨終を迎えた。葬儀の後、寺へご遺族が来られ、老衰まで力強く生き抜いた生涯を泣き笑いで語らい共に合掌した。「生きる」とは何かの普遍的課題を、明治、大正、昭和、平成と生きたKさんの「まだ出来ることがある」と思い続ける生命力そして死生観に、生前、飾らず先祖供養を怠らなかった姿、流れる感謝の心こそが答えと教えられた。◇最近、今時の先祖供養としてマスコミが「代行供養」を声高に吹聴してることが不快でならない。成人式の奇異な服装を映し出し助長したり、食べ物を判別して流行を造ったりなど、この影響力は、応分を超えてしまう。無念で仕方なくといった異例はあるとしても人は決してルーツである先祖を粗末にしないし、売りになどしない。珍しい事を当たり前に仕立てる報道は厳に慎んで頂きたい。◇私達は、それほど仏教に添う人生を刻んではいない。ただ寒修行を通して汚泥に例えられる現世での生活をリセットしたいだけである。決して誇れる毎日を過ごしてはいない。だからこそ立ち返る時間を求めて太鼓を叩いている。失ってならぬ共生の心を、少なくとも寒修行の時だけは前面に出させて頂き、皆様の浄財を求められる機関へ届け続けている。◇遠路をしても乗り継いで電車で来られていたKさんのご遺族は「高齢で運転出来ない体ですが母に習います」と、我が子に言い聞かせるようにガッツポーズをして見せた。ミス寒修行だったKさんの微笑みが浮かぶ。 合掌
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