- 寒 修 行
- お寺の書庫にある古い本や古新聞を読んでみると、○○問題という表現はかなり以前からあるが頻繁ではない。近年特に「環境・少子化・拉致」などの社会秩序、「年金・偽装・防衛」などの人的反作用、過疎や格差などの生活課題。上げればキリがない程「問題」というテーマで論じて久しい。問題のオンパレードである。何にでも問題を付しては論客が出て語り熱弁する。その影響なのか国民の殆どが評論家になっているように感じられる。果たしてこれでいいのだろうか。大らかさが薄れ互いが正当性を主張し、敵対関係を生み出していく。
- さて、社会は私達人間が創造したものであり、これからも個々の集合体で維持されていくものであることは言を待たない。であるならば○○問題という括りを作っては対峙し、批判と論争を繰り広げることが正しいのであろうか。たしかに個人の力では解決困難な課題も多くあるが、基本は私達ひとりひとりが「正法」の中に責任を持って地道に歩めば、間違いなく社会は良くなるのである。その指針となるのが仏典であると祖師等は解いている。「法によって人によらざれ」神仏の御力添えなしには為しえないという概念が消えつつあると言わざるをえない。近年、世界規模となった人間関係構築が急務だからこそ私達は憂いている。まさかの紛争にならないように。
- お寺では、お賽銭を投げ静かにひとり手を合わせる方を度々お見受けする。恐らくそれはご自身の○○問題を円満に解決する祈りの姿でもあろう。家族の崩壊などを言う者もあるが寺で祈願する大半は自分ではなく家族の幸せである。いつの時代も人の心は変わらないし変わるはずもない。
- 私達は、そんな真実を胸に六十三年目の寒行を行っている。社会を元気にする為に始められた戦後復興の行脚であるこの寒修行を、平成の今も続けることが大切であると確信するからである。今年も皆様から頂いた浄財は全て社会に還元致します。ありがとうございました。合掌
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- 平成二十年正月
西身延本佛寺寒修行団
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