私どもの「うきは」には、五人の庄屋という歴史上の有名人がいる。豊富な水量を誇る筑後川がありながら、田畑に水を入れるには人力しかなかった苦労を、水路を造り潤した尊い実話。この寒修行の時期になると参加者は当時の辛苦を思い出しながら、寒風に耐え、吐く息で手を温め太鼓を叩いている。 公共の場で泣いている赤ちゃんの親を、注意するかしないが話題になり、ネットなどで論争が起こっていると聞いた。なんとも寂しい議論である。食べ物がなく、口減らしを余儀なくされていた当時、赤ちゃんは生きられなかった。飽食から出てくる贅沢な話であり、これは道徳論とは言えないし論ずるものでもないであろう。豊かさが少子化にしているのかもしれない。赤ちゃんは泣く。 老子の「足るを知る者は富なり」或いは法華経の「欲を少なくして足るを知る」などの教えを今一度考えてみたい。満ち足りた現在の一方で苦しんでいる方々がいる。勿論、私達修行団もそんな社会にさらされながら今を生きている。だからこそ、人間が造った社会に、共存共栄の福祉を掲げ寒行を続けている。 毎年、飢えからの脱出を夢見ながら造られた、縦横に走る水路をたどりながら、家族、命を守ろうと必死だった一六六四年一月の往事を偲び、歩いている。便利は有り難いし、その恩恵を受けていることには誰も感謝しているはず。ただ、その便利を求めた真意を決して忘れてはならない。そこに必ずあった神仏への懸命な祈りは、絶対に欠かせない。そう信じ寒行は、題目を唱え続けている。 合掌 平成二十六年一月 うきは市 本佛寺 西身延寒修行団 |