除夜の鐘からお正月と多くの参詣者で賑わう本佛寺。その横顔は希望と願いに満ちていた。そんな中、昨年家族を喪(うしな)った方が詣で「まだ忘れられず苦しい」と涙された。「一緒に仏様にしましょう」と申し上げた。そう「弔い」をし、死を受けとめるお手伝いをするのが「お寺」である。意味は違えど寺は、盆と正月は一緒。 そういえば昨年も誕生した命の名付けをし、亡くなった命を戒名でおくる日常であった。世相は変われど人間の本質は昔とちっとも変わってはいない。ただ、「死亡診断書」のためか否か、畳の上で家族に囲まれ最期を迎えることが難しくなり、「死の際」を見ない若者が増えているのは事実。だからこそ亡者の生き様を伝えて差し上げる寺が必要となっている。皮肉なものだ。 さて、寒修行は一年の計を祈り、そして家屋のご先祖を追悼し続けて七十四年になる。頂いた浄財はすべて福祉として今なお各方面に届けている。正月の福引きで大型テレビが当たった方が「これも施設に届けて下さい」と返納された。我々の行動は伝わっている。もっともっと清らかにならねばと思いつつ、一層強く太鼓を叩き歩き続けている。 合掌
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