発行人n.の黒板(じつに極私的な意見板)
    
プアな音で 音楽が聴けるのか  (2000.6.15) 
音楽を聴かずにオーディオがやれるのか(〃) 
レコードは生演奏よりもナマらしい (2000.7.30) 
追記:ウィーン生演奏の巻 (2000.10.30) 
不当表示の“ファクション”ライブ盤 (2000.9.15) 
追記:“ファクション”ライブな新譜 (2001.7.1) 
次世代オーディオと鑑賞姿勢の変化(2000.10.30) 
追記:次世代オーディオについて (2000.10.30) 
音を悪くしてまでマルチchが要るのか (2001.3.1) 
臨場感は後ろから聞こえないといけないのか(〃) 
「何も足さない… 何も引かない…」 (2001.5.1) 
フィリップスだから実現した自然音 (2001.6.15) 
フルニエCD“美味しすぎるがな!”(2001.9.10) 
西方の音、東方の音 (2002.1.15) 
*ニューイヤー・コンサート考
*東方(日本)のオーディオ考

W杯代表チームとオーディオ製品 (2002.7.15) 
オーディオ スローライフのすすめ (2002.12.25) 
 ●クラシックファンにとってのデジタルマルチ(2003.4.15) 
 AVアンプを使わずに2ch盤を5.1ch化する(2003.5.15) 
   追記:2chと5.1chのベストな並列盤 (2003.6.1) 
拍手喝采のあるのライブ盤(2004.7.15) 
今なぜ古典的配置、古典調律なのか(2004.12.1) 

   

今なぜ古典的配置、古典調律なのか 

 テレビでは深夜まで、台風、地震、水害の特番が続いて、すっかり深夜族になってしまった。ようやく緊急報道がなくて、音楽番組が映る夜はホッとした気分になって、また夜更かしを続けてしまう。

 その夜は、来日したマーラー室内管弦楽団のライブで「田園」と「運命」だった。
指揮者のダニエル・ハーディングが「ベートーヴェン当時の小編成だから、室内楽的に楽器同士の対話がしやすく、感情も込めやすい」というような話をしていたが、近頃はこんな演奏が増えたものだと聞き流していた。ところが演奏が始まると、この音響がじつに面白いので釘付けになった。

 オーケストラが昔ながらの古典的配置(両翼配置とも対抗配置とも)なのである。
第1ヴァイオリンが左、第2ヴァイオリンが右、低弦部のチェロ、コントラバスは左という昔どおりの配置は、現在のヴァイオリンがみんな左、低弦はみんな右という事務的な並び方にはない音響的な面白さを聴かせてくれる。
 「田園」の小川は、第2ヴァイオリン、ヴィオラとチェロのトップだけが波の音を奏でるから、この配置では右側だけが川の流れになる。左側は岸辺になって第1ヴァイオリンが対位法的に小鳥をさえずり、木管の小鳥も鳴く。黒髪の女性が黒管のフルートで可愛く鳴かせた。(のまで詳しく観察した)
しかし今風の配置なら、波は左右全面に広がり、小鳥は流れの中で鳴くという、まるで災害地特番のような情景になってしまう。
 「運命」が戸を叩く音は、ただ反復して叩くのではなく、第1、第2ヴァイオリン、ヴィオラが時には右を、時には左を、交代で叩き分けていたのをお気づきだろうか?
古典的配置に、こんな子供騙しの興味しかないのかと言われそうだが、作曲当時の原点復帰なんて大袈裟に振りかぶることもない。第3楽章、再びホルンが戸を叩き、トリオが低弦から順に移行して高弦に歌い継がれる進行も、そうそう室内楽的な対話感もなかなか楽しく聴いた。
 最近は、お堅いN響までも、指揮者によっては古典的配置で演奏してくれるようになった。音響的な面でも大歓迎で、ますます楽しみなことである。

 原点復帰といえば、古典調律というのもよく耳にするようになった。
現在の平均律というのは、1オクターブを数学的に12等分した便利なものだが、モーツァルト、ベートーヴェンもショパンの時代でも平均率ではない音律だった。自然の音は事務的に数字では割り切れないから、平均律では和音が濁ってしまったりする。

 例えば、ド:ソの完全5度は平均率では1:1.498307ということになるが、本来は1:1.5で遥かに綺麗な和音になる。ド:ミの長3度も平均率は1:1.259921になるが、1:1.25の方がよくハモる。
この本来のi綺麗な比率にするのがピタゴラス音律やミーントーン音律と呼ばれる古典調律である。
 しかし和音を綺麗に揃えるために、他の箇所にしわ寄せが生じて転調が不可になったり、非合理的な問題も起こる。逆に、調ごとに響きが変わるので味がある・・・作曲者は各調の響きを意識して作曲した節もあり、例えばモーツァルトは和音が綺麗なハ長、へ長、イ短調で作曲するのを好み、ベートーヴェンは和音が唸りを伴うハ短やヘ短調を好んだという説もある。これは平均律で演奏したのでは聴き分けられず、作曲者が狙った効果を損ねているという意見もある。
 そこで純正調や古典調律の「伝統的な響き」で自然の音の美を復活しようとしたのがアメリカの作曲家、ルー・ハリソンらの動きだったが、最近、日本でもこうした演奏会が増えてきた。
古典調律されたヤマハピアノやフォルテピアノでの演奏会が頻繁に開かれ、なんと古典調律のローランド電子オルガンや古典音律のMIDIまでが人気だそうな。
 音楽誌によると、この発信地は東京自由学園・明日館であるらしい。国の重要文化財であるフランク・ロイド・ライト設計の名ホールで、古典調律による演奏会やシンポジウムが定期的に開催されている。自然の形に基づいた優しい空間に、古典音律の「響き」が満ち溢れる様はじつに相応しいが、今や各地に広まり、聴衆は新しい発見(回帰なのだが)に心打たれることになった。

 古典的配置や古典調律が、今なぜ見直されて来たのかについてはいくつもの要因があるだろうが、私はS/N比の問題が大きいと思っている。S/N比、つまりオーディオでいう信号(音楽)対ノイズ(雑音)の比率が良くなったせいではないか。
 ステレオがまだ未熟で、ノイズまみれ、分離も不完全だった時代には、オーケストラも高音が左で、低音が右という単純な現代的配置で良かった。いや、そうでないとまともに聴こえなかった。
 平均律が生まれた産業革命の頃も、大量生産と機械化にまい進する騒々しい時代だった。聖堂に染みわたる和声の美しさを追い求めるような静寂な環境はなくなりつつあった。生活から微妙な響きを聴き分ける静けさが失われて行った。
 今、ようやく現代人は自らのS/N比を少しだけ高められたのではないか。これはノイズまみれへの反省であり、スローライフや癒やしの動きとも同じ動機のように見える。専門の学識者によると、聴感覚の回帰であったり、人間性の回復にも通じるのだが、いずれにしても、生活と環境のS/N比をさらに高めたいと思う。もちろん物理面だけではなく、精神面のS/N比もである。

   
   
   
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