作曲家の意図が聴ける両翼(対局)配置

昔、といってもつい戦前まで、オーケストラは今とは違う配置で演奏していた。図のように、Vn を両翼に分けて、Vc と Cb も今とは逆だった。作曲家が当時の配置を念頭においてオーケストレーションした以上は、やはり同じ配置でその意図を聴き取ることは大切である。
ポピュラーな例では、チャイコフスキーの"悲愴"終楽章のアダージョは、第1Vnと第2Vnが一音符ずつ交互に弾くので、左右に不安定に揺れながら始まる。やがて再現部では、ユニゾンで弾かれて、同じ旋律が今度は確信をもって悲劇性を強調する、という効果は現代的な配置ではよく聴きとれない。
ベートーヴェン"田園"第2楽章も、第2VnとVl、トップのVc2台で、中央から右に小川を描く。左は岸辺で、第1Vnが小鳥の様な対位法を伴った主題を歌う、という巧妙な楽器の用法なのだが、現代的に配置すると、川の中で小鳥が鳴く構図になる!
マーラーの様に第1Vnと第2Vnの対話が多い曲でも、いろいろ残念なことが起こるし、音楽の聴え方に関わる楽器配置にはもっと関心が持たれてもよい。



今の配置より音色的にも魅力

同じ側にVnを並べる現代的な配置では、Vnはみんな同じ音色で鳴るが、古典的な両翼配置では、左右のVnの音色の違いがはっきりと楽しめる。
例えば、モーツアルトの"ハフナー"第2楽章のカンタービレは、第1Vnがプリマドンナの様に歌い上げ、第2Vnはつつましやかに寄り添って、最上の見せ場を演じる。
両翼配置なら、f 孔が客席を向く第1Vnは明るく華やかに、逆向きの第2Vnはややくすんだ柔かい音で、見事にこの役割を演じ分けて聴かせてくれる。
オーケストラの音色の面でも微妙な違いが起るといえるのである。
                        
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魔術師・ストコフスキーの仕業?

今の様な配置に変えたのは、音の魔術師と呼ばれたストコフスキーだと言われている。演奏する側も、Vn同士が合わせやすくなるし、録音する側にも好都合だった。初期のステレオは分離が悪かったので、左にVnの高音、右は低音と単純に分けた方が立体的に聴こえるという利点があった。
しかし、クレンペラーやライナー、モントゥー、ムラビンスキーの様に生涯、伝統的な配置を守った指揮者もいた。オケとしてはウィーンフィルは 現在も原則として古典的配置で演奏する。
シノーポリも「今の並び方はただ分けただけ」といってフィルハーモニア管で古典的配置のマーラー交響曲全集を完成した。ただ、実演ではうまくいかない様で録音に限っている。
こんな、CDでしか聴けない演奏があるのも、オーディオの楽しみだといえる。



古典的配置の主なディスコグラフィ
1) クレンペラー/フィルハーモニア管 〔復刻盤〕(EMI)
2) ムラヴィンスキー/レニングラードフィル 〔復刻盤〕(V,Me,G)
3) ライナー/シカゴ交響楽団 〔復刻盤〕(RCA)
4) モントゥー/ロンドン交響楽団 (L)
5) クーベリック/バイエルン放送s . "モーツアルト後期6大交響曲集他" 〔D録〕(SC)
6) シノーポリ/ニューフィルハーモニア管 "マーラー交響曲全集他" 〔D録〕(G)
7) C.クライバー/ウィーンフィル "ブラームス交響曲No4,ニューイヤーコンサート他" 〔D録〕(G,SC)
8) ティーレマン/ニューフィルハーモニア管 "ベートーヴェン交響曲No5'&7" 〔D録〕(G)
最近の発売盤
・小澤征爾/ウィーンフィル "ニューイヤーコンサート2002" (フィリップス UCCP1055〜6)or(UCCP9413)
・ケンペ/ミュンヘンpo. "シューベルト交響曲No.9他" 
〔復刻盤〕(ソニー SICC67)
・ケンペ&フレイレ(pf) "チャイコフスキー ピアノ協奏曲他" 
〔復刻盤〕(ソニー SICC59)
・同 "グリーグ&シューマン ピアノ協奏曲" 
〔復刻盤〕(ソニー SICC58)