拍手喝采のあるライブ盤 

 最近のクラシック・レコード新譜で気付くのは、いかにライブ録音が多くなったかということである。
昨年度(2003.4〜2004.3)の新譜CDリストを見直して、ますますこれを痛感させられた。
 交響曲では新譜128枚中でライブ録音と表示された盤がなんと70枚、管弦楽曲でも93枚中で21枚だった。協奏曲では75枚中で11枚と比率が低くなるが、やはり製作費削減のために、大規模なセッション録音が不可能になってきた現実が分かる。
 ライブ盤については以前、
「ファクションライブ盤」と批判したこともあるが、こうしないと新譜が出ない状況ならいたし方ない。

 そんな中で、じつに聴き応えのあるライブ盤に出会った。マティアス・ゲルネの歌曲集《冬の旅》(DECCA UCCD1110)である。
 もちろん演奏、録音ともに推薦盤だが、最も嬉しいのは観客の拍手が入っていること… ライブならではの高揚感のある演奏がそれを称える観客の熱い拍手喝采によって、一層 感慨深く輝きを増している。この名演にこそ、この喝采の反応はなくてはならない必然の要素なのである。

 ライブに拍手喝采があるという 一昔前なら当たり前の事柄で感激するのは、最近のライブがスタジオ録音の代用のように扱われて、感動の拍手までがノイズとしてカットされる風潮に慣らされてしまったせいである。考えてみれば可笑しな風潮である。
 演奏内容にも編集で継ぎはぎした形跡は少ないようだ。ドイツ語の専門家によると、どこやら発音のおかしな箇所もあるらしいが、ライブとして恣意的な改竄はなく、もちろん不満も起きない。これも良いリサイタルに対する正しいマナーのようで気持いい。

 古い話だが、この曲には、ある日本の若手歌手のリサイタルの思い出がある。何曲目かに来た時、気になるミスがあったらしくて、伴奏を制した彼は 深々とお辞儀をして歌い直すことにした。驚いたのは、その曲の初めではなく、なんと第1曲目の冒頭から延々と歌い直したのである。
 部分的な歌い直しでは音楽の流れが途切れること、ここまで築いてきた物語の感動が崩れることを嫌ったのだろう。それまで逡巡していた若者の旅が、目的を見つけて再出発したような熱唱だった。歌い終えた瞬間の観客たちの拍手喝采は、おそらく正常に終えた時よりも数倍の盛り上がりだった。ライブがこんな感動の妙を生み出すことがあるのを知った。

 いま、ゲルネのライブ盤を聴いて、ふと あの日のリサイタルの熱い拍手喝采を思い出した。
例え、製作費削減のためのライブ盤であっても、そこでしか得られない興奮が必ずある。本番やリハーサルの音源を素材扱いして、編集の限りを尽くした製品を作るのも現代流なのだろうが、その時、観客の興奮や臨場感までも邪魔者扱いにして消し去る努力に何の意味があるだろう。
 良い演奏家ほど、ライブならではの高揚した名演が聴けるという。スタジオで聴けない この感動が創られた場の実証音を消し去るとは、まるで証拠隠滅ではないか。
(笑)
 これが残された、いまや希少ともいえるライブ盤に巡り会えたのは本当に楽しかった。

   
   
   
本館ホーム 発行人の黒板 目次へ