W杯代表チームとオーディオ製品
  

 音楽ファンも、オーディオファンも、とにかく日本中を熱くして、2002年W杯サッカーは終った。そして、代表チームは、その国を映す鏡だったということが いまも強く印象に残っている。
 ブラジル風サッカーはいまさら言うまでもないが、欧州勢では、いぶし銀の緻密さを誇る母国・イングランド… 堅牢な強さを見せつけるドイツ… 小粋に狡猾に その裏をかくイタリア…

 その国の国民性について、知識としては知っていたつもりが、現実にサッカーのプレイで、かくも具体的に示されると「確かに」と納得させられることになる。それはまた 当然のように、その国のオーディオ製品の音とも一致している点が、オーディオ愛好家にとっては、なんとも興味深いのである。

 イギリス製の大型スピーカー、オートグラフの響きは正しく いぶし銀の風格であり、BBC系の小型製品も気品ある高域を誇った。クオードのアンプの整然たる配線は 緻密さの美学に溢れている。
 ドイツ伝統のスピーカー、
オイロダインは音も造りも正しく 堅牢そのもの、その後のBRAUNやHECOという小型製品も強靭な音を受け継いだ。ウーヘルのテレコは 堅実さと精密さの塊である。
 かたやイタリア製はといえば、「クレモナ」とか「ガルネリ・オマージュ」と名づけた木工美術品のようなスピーカーが生まれる。風格や堅牢さとは一線を画した小粋さである。じつはワグナーの大音響など決して正確に鳴らないのだが、弦楽器と声楽の美しさ、本物らしさにかけては どの国も敵わない。

 さて日本製は サッカーもオーディオも、真面目、独創性の欠如というステレオタイプの定評とともに、欧米人からは 独特のバランス感覚に映るらしい。どこか不均衡で、神経質にさえ見えるという。
 スピーカーの音バランスは高音が甲高くて、とても刺激的に聴こえるらしいが、これは歌舞伎や民謡の発声法に馴染んできた伝統的な国民感覚だと、もっともらしく解説する外国人もいる。

 音感覚に民族性があるのは当然で、卑下する話ではない。例えば、欧米で虫の音といえば、熊ん蜂の羽音くらいのもので、日本のように秋の虫を愛でる風習はないらしい。鈴虫、コオロギ、草ヒバリ、カネタタキ…何ミクロンだかの薄い羽根が生み出す繊細きわまりない音色を聴き分けて楽しめるのは、日本人特有の美感覚であって、こんな再生は 日本製高級機種の独壇場なのである。
 ただし、西洋音楽を鳴らしてみて、音場感とか 臨場感とか 雰囲気という点が、なぜか希薄なことは確かである。さらに言えば、もともと日本の愛好家は そんな点には無頓着だったようだ。

 例えば今年、小澤征爾/VPOのニュイヤーコンサートのCDが大ヒットしたが、日本発売盤だけにボーナス曲として「アンネンポルカ」が付いていた。この曲はTV放送でもそうだったが、白馬の舞踏のために、事前に違う条件下で録音したものらしく、響きや音場感が本番とは全く異なっていた。
 TVでなくCDで純粋に音だけを聴くと、この曲だけが とても違和感があって、なんとも場違いである。馬が聴き取りやすいことが大切で、臨場感などは不要・・・こんな馬向きの雰囲気?は、欧米人には受けないから、この点に無頓着な日本だけの「おまけ」になったのかもしれない。

 最近は日本人の音感覚も変化した。クラシックの代表的音源だったN響の音も進化した。このところN響はトルシェ・ジャパン同様に海外経験も積んだが、それ以上に音楽監督デュトワの影響だろう。「音楽の友」(7月号)の特集で、コンマス・堀 正文の興味深い証言があった。「デュトワで変ったのは音質ではなく、音を出すタイミングの違い。音楽における時間の感じ方」なのだそうだ。
 製品も進化して、タイムドメイン理論による新感覚スピーカーが生まれた。ベンチャー企業と富士通テン製で円柱や卵型のユニークな形だが、従来の周波数特性でなく、時間領域の波形再現性を重視して開発したという。「変ったのは周波数ではなく、音における時間の領域(タイムドメイン)」…N響の話とも似ている?が、なるほど今まで体験できなかった まことに自然な音場形成が楽しめる。

 今後とも、伝統の範疇に留まらない変化と進展が、趣味の製品としての楽しみを高めてくれることだろう。そしてオーディオ製品もまた その国を映す鏡なのだから、途上国生れの無国籍電化製品のような無味無臭ではなく、その国らしい美意識を醸しながら発展して欲しいと願うのである。
   



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