音を悪くしてまでマルチ・チャンネルが要るのか
   
 DVDオーディオのソフトも、輸入盤を中心に枚数が増えてきた。3月新譜では、アーノンクールが振った今年のニューイヤーコンサートも発売されるという。

 既発売の盤で気づくのは、DVDビデオとの兼ね合いからか、5.1ch収録の盤が多いことである。DVDオーディオでは、ハイサンプリング/ハイビットの2chステレオと5〜6chから音を出すマルチ・チャンネルが設定されているが、2chなら192kHz/24bit、つまり 約100kHzまでの周波数が144dBという人間の耳の限界を超えるダイナミックレンジで再生できて、まさに夢の次世代オーディオと言われた。
 そこで、数年前から録りだめされている高品質録音のマスターがフルに生かされると期待したのだが、まずは なんと 6chだが48kHz/16bitどまりというような盤も現れた。十年も昔のDATと同等の音質だが、鳴り物入りの次世代オーディオが いまや影の薄くなったDATどまりで良いものか。
 飛行機の同じスペースに、2人席を置くのと5〜6人席を詰め込むのとでは、乗り心地品位?が変わるのと同様、チャンネル数を増やせば品質の面が不足をきたすのは当然だが、音楽にとって本当に必要なのは、どの面を良くすることなのかをメーカーもリスナーも ここは本気で考えたい。
 幸いなことに、DVD-Aは記録容量が大きいので、マルチchでも 最上位で 96kHz/24bit(周波数的に倍速DATと同等)まで可能になっている。ぜひ、このレベルの音質は厳守して欲しいものだ。

 一昔前のアナログ4chのブームとは次元が違うと思うのだが、記事や論評の流れにはどこか似たところがある。昔の4ch盤には、2つの楽団を前と後に配置して掛け合いで演奏したり、四隅にドラマーを置いてドラムバトルをやるというようなものもあった。クラシックでは、背後でファンファーレが鳴ったり、天上からコーラスが聞こえる趣向もあったが、主にホールの残響や拍手を後方で鳴らした。
 ただし、余分な機器の挿入による音の劣化、位相の狂いというデメリットとともに、2chステレオの方が明瞭な臨場感を再現するという基本に関わる意見もあった。しかし、メーカーも評論家も、4ch体験不足のたわごとだと耳を貸さずに突っ走って、4chは見事に滅びた。DVDのマルチには、そんな欠点はなく、ピュアオーディオでスタートしたSACDだってマルチch対応になる…この良さが分からぬとは時代遅れである、と決めつけて話が進んでいるように感じてしまうのは私だけだろうか?

 もちろん、マルチ規格の政策的な意図にケチをつけるつもりはなく、営業的には、この新しい武器をオーディオ不況脱出の活性剤に利用したいことも理解できる。ただ、音楽とか趣味の世界は、政治や経済からは離れて判断する部分こそが大切な分野である。DVD-Aの規格は多様性があって、多くが制作者側の意向に任されている。営業本位で、折角の高品位音質を生かす地道な努力よりも、安易なサラウンド遊びが流行って、廃れるという顛末を辿らないことを願っている。
   
 LP時代の初期に、素晴らしい音楽的感性で名録音を生み出したピーター・バルトーク(作曲家 バルトークの息子)のレコードなどを聴くと、まず1チャンネルの音が優れていれば、チャンネル数が少なくとも、音楽がいきいきと再生されることを いまさらながら思い知らされるはずである。
名録音探訪ページで古いシュタルケルの独奏を収録したが、ここでは二重奏でも迫真の楽器の音が鳴るモノラル録音を味わっていただきたい。マルチも、まずこれを達成してから、次の段階の話である。

コダーイ/ ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲 作品7 第3・4楽章
アーノルド・イーダス(ヴァイオリン)
ヤーノシュ・シュタルケル(チェロ)


 

臨場感は後ろから聞こえないといけないのか
   
 上記のコラムで多分、マルチの良さも、サラウンドの感激も分からない無粋なマニアだと思われたかもしれない。決してそうではないつもりだが、じつはこんな体験談がある。

 昔々、東京のある所に住んで、安いコンサートばかり追っかける貧しい音楽マニアであった。当時は民放TVもクラシック音楽に熱心で、渡辺暁雄/日本フィルの番組などが比較的良い時間帯で放送されていたものだ。この録画は、主に上野の文化会館で行われたが、うまく仕事関係のコネを使って録画会場に入れてもらえるようになった。
 舞台には100人のフルオーケストラ、その側に無言で収録する数人のスタッフ、観客は1人という豪華環境で至福の時間だった…と言いたいところだが、何度も通ううちに なにか違和感を感じ始めた。
 がら空きの観客席で、見事な演奏と豊かすぎる程のホールの響きが私1人を包んでくれる。しかし、そもそもコンサートというイベントの醍醐味は趣味を同じくする多くの聴衆たちの臨場感で盛り上げる祝祭空間であり、ひとり黙々と創り出すものではあり得ない。巨大な演奏空間を独り占めするという贅沢さとは裏腹に、空しさや乏しさまで感じるようになって、やがて通うのを止めてしまった。臨場感の再生方法が語られる度に、私はこの体験を思い出してしまうのである。

 DVDマルチのスピーカー配置は左(R)、右(L)、センター(C)、リア左(RR)、リア右(RL)、それにサブウーファー(SW、LFEとも呼ぶ)を左図のように指定している。まさしく臨場感がサラウンドでリスナーを囲む形である。
 確かに生のコンサートでは豊かな間接音と残響が体を包み込んでくれるが、そこには同時に、周りの観客たちの気配やざわめきがあり、隣り合う人々の肌の温もりまで感じられて、快い音楽空間が形成されている。
 その雰囲気の音部分だけを忠実に自分の部屋に取り込んでも、先の話のように、逆に孤独になりはしまいか。人の気配もなく、冷ややかな空気だけが漂う空間の中央に長時間ポツンと座って、黙々と音だけの臨場感に囲まれている光景は いささか不気味ですらある。

 人それぞれの好みなのでサラウンド効果を否定するつもりはないが、ぜひ望みたいことは、マルチchの盤でも、最高品位の2chも同時収録すること (*1) 、ホールの大きさを強調するばかりでなく、曲に応じてリスニングルームで聴いて違和感のない広がりに収録すること…などである。
 私も 5.1chで聴きたい演奏もある訳で、その時はスピーカーを左図のように配置する。後方のスピーカーを前方(やや高め)に移動させて、自分の目の前にバーチャルなステージの臨場感を展開しようという訳である。四方八方に音をばら撒かないで、前方だけに演奏のすべてを立体的に再現して、外から じっくりと聴き惚れるという寸法である。マルチの情報量を聴くということと、真ん中で聴くということとは別問題なのである。

 確か昔の4chでも、こんな配置を薦めるマニアがいた記憶があるし、私も一時期これで楽しんだ経験もある。ITU(インターナショナル・テレコミュニケーション・ユニオン)推奨の方式とは随分違うのだが、これも趣味の分野では許される自己流アレンジであり、多くのクラシックファンに ぜひお薦めしたいセッティングである。

.. (*1) DVDのマルチch盤はミックスダウン係数を記録して 制作側の意図したバランスで2ch再生できる様になっているが
チャンネル当たりの音の品位としては5.1chの場合と同じになる
2ch用に 192kHz/24bitの高音質を別グループに収めた良心的な盤もあるが まだまだ ごく少数である




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