不当表示の“ファクション”ライブ盤
   
 
最近、また商品の不当表示問題が言われ始めてきた。例の雪印牛乳の事件だって、本物の牛乳の話ではなく、脱脂粉乳やら、カルシュウムやら、何やらを混ぜて水に溶いた、いわゆる もどき商品が事故を起したものだった。しかし、さらに迷惑なのは、メーカーが消費者のために良かれと信じて作ってくれた もどき商品の方かもしれない。近頃のライブ盤というのも、じつはこれに当たる。
   
 ライブ録音という表示は名ばかりで、ほとんどは、リハーサルから本番まで、テープを回しっぱなしで録音して、後で良い部分だけを適当につなぎ合わせて作ったものらしい。いつのライブなのか正体不明盤になる。お陰で、まるでスーパーに並んでいる野菜のように、虫食い跡も畑土の匂いもない、こぎれいなパック商品ができ上がる。
 好評だった清水和音のベートーヴェン・シリーズも、紀尾井ホールでのリサイタルのライブ盤だという。中味はゲネプロやリテイクも混ったつぎはぎ演奏になっていて、ライブならではの熱気や聴衆との共鳴感はきれいにカットされている。人気の指揮者 ヴァントもライブ録音だというCDが多い。これも幾晩もの演奏のつぎはぎ編集で、リハーサルと本番の音を揃える必要から、本番にデジタルエコー装置で人工的残響を加えたことまで説明されている。本番の音を加工してリハーサルに合わせるとは本末転倒の感じがするが、こうして天然果汁に人工甘味料を加える要領で、口当たりの良いもどき商品に仕上がっている。
   
 本来のライブ盤が忠実なドキュメントで、セッション録音盤が完成度の高いフィクションとすれば、これはファクション(ファクト=事実 とフィクションの造語)だといえる。それを同列でライブ盤と表示するのは、やはり不当表示という事になる。朝比奈 隆のブルックナーのライブ盤で、延々13分もの大歓声が収録されたものがあるが、これと同列で聴くなら、清水やヴァントの演奏で、実際に観客がこんなに無反応なら、このライヴは不成功だったことになる。
 ファクション・ライブ盤なるものは、多分、録音セッションの制作費高騰から逃れる苦肉の策として生まれ、編集自在なデジタル世代の新しい流行商品に育ってきた。しかし今、音楽ファンがこの評価を正確に下しておかないと、食品の場合と同様に、不自然な人工的加工と添加物混入による、ライブもどき、こぎれいパックの不当表示演奏が当たり前の様に蔓延するに違いない。
   
 フルトヴェングラーの「第九」には9種類ものライブ盤があるという。そして、その各々に録音当時の周辺状況が語り継がれていて、聴く者はそれにも想いを至らせながら、演奏の微妙な違いに耳を傾けた。これらのライブ盤には、演奏の乱れや会場のノイズがいくつも見受けられたが、上手くないフレーズが編集されることなどなかった。そんなことをすれば、あの歴史的な本番の鬼気せまる気迫や息詰まる緊張感が消えてしまうからである。
 そこで、近頃のライブ盤が変ってしまった原因だが、本番の演奏自体がつぎはぎする事をためらわせる程の緊張感を持たなくなったせいなのか。制作側の方針が、一期一会の貴重なライブをスタジオ録音の代用くらいに考え違いしているせいなのか。聴く側の姿勢が、演奏の全体像よりも、些細なミスやノイズの方にこだわり始めたせいなのか。やがて、本当のライブ盤はVPOのニューイヤー・コンサートくらいになってしまうのだろうか・・・・・・

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(10月新譜で、セル/クリーブランド管絃楽団の'70来日ライブが無編集でCD化されました。いまだ語り継がれる伝説のただ1度の日本公演が、そのままに再現されるのは本当にうれしいことです。(Sony Music SRCR2539〜2540))

 *追記:「新譜に見る”ファクション”ライブ
   



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