➄他動詞・自動詞・使役の語形
かしゃぐら通信2005-12-09 / 2007-Dec-24

 『動詞』12章の「エ形をとる動詞語根」にシンハラ動詞の自動詞と他動詞についてこんな記述があります。

…他動詞「アサイ」(聞く)は自動詞で「アセイ」(聞こえる)となるが、これは語幹の「アサ」の「サsa」が「セse」に変化した結果だ。つまりシンハラ動詞には語根の末尾にくる母音がeに変わると自動詞になるという類型がある…
 出典 p34 「動詞」JB・ディサーナーヤカ/
「派生語根」                         

 これは次のような語形の違いを表しています。

අසයි asa-yi 聞く 他動詞
ඇසෙයි aese-yi 聞こえる 自動詞

語幹末の母音aとeの違いが他動詞、自動詞の違いを作ります。このことは注意しておく必要があるようです。と言うのも語幹末母音のe音はシンハラ語特有の無意志文にも関係してくるからです。
 実はこの無意志文をも作ってしまう自動詞の語幹母音e音がどうにも日本語っぽいのです。
 日本語の動詞は活用語尾の母音が同様の母音転換をして他動詞を自動詞に変えます。たとえば、日本語の「聞く」(他動詞)と「聞こえる」(自動詞)を例にとって較べてみましょう。 

聞く ki-ku 他動詞
聞こえ・る ki-ko-eru 自動詞

 この母音転換を起こす動詞はほかにも「思う-思える」「泣く-泣ける」「見る-見える」のようにe(e‐ru)の母音を持つ自動詞が日本語にあることが分かります。これは「聞く-聞こゆ」の「ゆ」のように自発の「ゆyu」が現代語で「えye」に転じたのでしょうか。日本語にもシンハラ語と同じような自動詞の生成法があったのでしょうか。シンハラ語ほどに他動詞と自動詞の区別は規則的ではないのですが、シンハラ語での他動詞―自動詞の区分が日本語の動詞にもおなじような母音転換で適用できます。もちろん日本語の母音転換は動詞語幹末の母音をa音からe音に変えるのではなく活用語尾に属する部分の転換ですから「文法上」は別次元のことです。


無意志動詞文という特別な言い回し

 他動詞と自動詞についてもう少し話を続けます。
 シンハラ文では述語が自動詞の場合に、主語がタの助詞(ニパータ)を伴うという特別な言い回しがあります。

අම්මා ගීතයක් අසයි ammaa giithayak asayi 母は歌を聞く 他動詞文
අම්මා ගීතයක් අසෙයි ammaa-ta giithayak aseyi 母には歌が聞こえる 無意志動詞文
出典 p.32 エ形の動詞語根 බසක මගිම 11 / ක්‍රියා පදය / ජේ.බී.දිසානායක / ගොඩගේ පොත් මැදුර 2001

 これは無意志動詞文と呼ばれるもので、主語が与格(タのニパータを伴う)のとき、主語の意志とは関係がなく行為や現象が起こることをあらわします。
 以前、「シンハラ語質問箱」で主語がタ格を取るというシンハラ語の与格主語に触れたことがありますが
「シンハラ語質問箱」No27、そのときのタ格もこの例と同じです。与格主語はシンハラ語の特徴的な言い回しです。

මීට ඉස්සර සැරේ එක්කර ගෙන ආපු පොඩි කෙල්ලට මෙච්චර
ඉක්මනට මේ තරමටම ලික් වුණා ද?
miita issara saree ekkara gena aapu  podi kella-ta mecchara
ikmanata mee tharamatama lok vunaa  da?

以前   一緒に連れてきた 小さな子が(子にあっては)  こんなに 
  早く    こんなに  まで    大きくなった  か?


原文/「この前連れていた子がもうこんなになったのかい」
「シンハラ語質問箱」No27「伊豆の踊り子」


  「子が」という主語なら「ケッラ」でいい。でも「こんなになった」という言い回しに合わせて「子がケッラ」から「子にあってはケッラ」に変わる。シンハラ語では「~なる」という無為自然の言い回しをするとき、主語は「~には」という、日本語から見れば古風な言い回しをする。子供が大きく成長した、のではなく、子供にあっては大きくなった、と表現する。
 これを与格主語の表現といって、シンハラ語にも現れる特別な言い回しなのだそうです。けど、日本語だって「天皇にあらせられましては」とか、「殿には加賀へ行かれた」とか、与格主語の言い回しは尊敬を表しながら使われていました。与格主語は特別な言い回しだというのですが、シンハラ語にあって日本語にもあったのだから、別段特別って分けじゃない。ついでだけど英語だってMeを主語にしていた時代があったというから、やっぱり特別じゃない。何が特別かって言えば、そんな古きよき時代の言い回しを今も後生大事にしているってところがいかにも特別なシンハラ語ってことなんです。

 与格を主語に置く文は「意志を持たない/意志がない※注」とディサーナーヤカは言いますp.107。与格主語は無意志動詞文を作ってしまうのです。シンハラ語の与格主語は。実は、ここが大切なポイント。
 シンハラ語には無意志動詞と呼ばれる特別な動詞の一群がある。無意志動詞と呼ばれるやつらです。この無意志動詞がシンハラ語の、シンハラ語としてのもっとも特徴的な表現を作って、この言い回しだけは日本語にも見つけにくい。状況を認知するパターンがグゥっと哲学的になってしまうのです。
※注 「意志がない」---無意志動詞に関しては「皿を割れたとなぜ言える」をご参照ください。


 使役動詞のつくり方


使役の「ワ」
 

 日本語では「食うku-u」を使役の態にすれば「食わすku-wa-su」となる。語幹の「食ku」に「わwa」を添えてから活用語尾につなげる。
 この使役の態の作り方はシンハラ語でも同じ。
 「食うku-u」は「カナワka-nawaa」と言う。「カナワ」の語幹は「カka」で、これに使役を表す接辞の「ワwa」を添えてから活用語尾「ナワnawaa」につなげる。「カワナワka-wa-nawaa」という語形ができるけど、これが「食わす/食わせる」の使役の意味を持つ。
 『熱帯語の記憶、スリランカ』では日本語とシンハラ語に共通する使役動詞の作り方を’ワをもって尊しとなす’とおちょくって覚えてもらったけど、この「ワ」でつくる使役形のことがディサーナーヤカの『動詞』ではいくつかの章で紹介されています。『動詞』の50章目は「使役動詞」を扱っています。ここで次の指摘がなされています。

සමකාලීන සිංහලයෙහි දක්නට ලැබෙන එකම 'ක්‍රියා ත්ද්ධිත පදාණුව ' මේ 'ව' තද්ධිත පදාණුවයි.
 現代シンハラ語に見受けられるただ一つの’動詞派生語の最少単位’はこの’ワ’という派生語である。
出典 p.110 「50章 使役動詞」 J・B・ディサーナーヤカ「動詞」

 訳文がみっともないけど、忠実に訳した積もり。’動詞派生の最少単位’とは動詞語幹と活用語の間に入る一音節語の’ワ’のこと。この’ワ’が使役を作ると言うから、これって日本語の使役の作り方と同じじゃない。
 ディサーナーヤカが指摘するシンハラ語の使役動詞は以下のとおりで、 

ක්‍රියා ප්‍රකෘතිය තද්දිතය ක්‍රියා ප්‍රත්‍යය ප්‍රයෝජ්‍ය ක්‍රියා පදය
පළ යි පළවයි
යි කවයි
නා යි නාවයි
ගන් යි ගන්වයි
出典 同上
 

 この表の単語活用部分をカタカナで表記すると次のようになります。

動詞語幹 派生語 動詞活用語 作られる使役動詞
パラ
pala

wa

yi
パラワイ     裂かせる
pala-wa-yi / sak-a-seru

ka

wa

yi
カワイ 食わせる/食わす
ka-wa-yi / ku-wa-seru
ナー
naa

wa

yi
ナーワイ    沐浴させる
naa-wa-yi / mokuyoku-s-a-seru
ガン
gan

wa

yi
ガンワイ 取らせる/取らす
gan-wa-yi / tor-a-seru

 ここでは動詞活用語尾が「イyi」で表されていますが、これは「ナワ」と同じ意味の活用語尾です。口語ではナワの代わりに用いられます。
 でも、すべてのシンハラ動詞が「ワ」形の使役を作るわけではないとディサーナーヤカは注釈しています。日本語でも「わ」の原則が崩れる。ワwaではなくW音の抜けたA音であることが多いのです。

 これまでの動詞活用にかかわる総てをシンハラ文法でワラナギーマと言います。ワラナギーマはシンハラ文法の用語です。本来は名詞や動詞などの単語の屈折を表す用語です。しかし、これまでご覧のようにシンハラ動詞はあたかも活用しているように変化しますから活用と日本語で呼んでも誤りにはならないと思います。動詞はクリヤー・パダで、活用がワラナギーマですから、動詞活用はクリヤー・パダ・ワラナギーマ。うわーぁ、長くて覚えにくい。舌噛んじゃうって、いいんです。これ、覚えなくても。ついでに「活用する」ならワラナギナワ―。いいんです、これも覚えなくて。とにかく、日本語とおんなじなんだ、でいいんです。
 「シンハラ動詞は活用する」の次回は最終回です。このワラナギーマについてお話します。


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