安全基準がないナノ技術の危険性
安全が確認されるまで、ナノ物質の環境への
放出とナノ製品の上市は一時的に止めるべき

安間 武 (化学物質問題市民研究会)

情報源:ピコ通信第90号(2006年2月23日発行)掲載記事
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/
掲載日:2006年2月23日
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http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/nano/japan/pico_90_060223_nano.html


■ナノ技術とは
 ナノ技術の名前は長さの測定単位であるナノ・メートル=10億分の1メートルに由来する。米国家ナノテクノロジー・イニシアティブ(NNI)の定義によれば、ナノ技術は、新たな構造、物質、及び装置を生成するために、寸法が概略 1〜100 ナノメートルの物質を理解し制御する技術である。ちなみにヒトの髪の毛の太さは約80,000ナノメートルであると言われている。
 ナノ物質の特徴は、そのサイズが小さいこと、質量当りの表面積が非常に大きいこと、また成分が既存物質と同じでもその物理化学的特性が大きく変わることである。
 これらの性質を利用して医薬品、化粧品、表面処理、潤滑剤、スポーツ用品、水や土壌など環境改善、医療、エネルギー、情報通信、化学、農業、食品、繊維など、あらゆる分野に適用されて、社会に大きな便益をもたらすと同時に、社会に大きな影響を及ぼし、それは産業革命の再来であると言われている。既に一部のナノ技術製品が市場に出始めている。
 ウッドロー・ウィルソン・インターナショナル・センターの”新規出現ナノ技術に関するプロジェクトは、現在市場に出回っているナノ製品のうち英文ウェブサイトに広告のあるものから200種類以上をリストにした”ナノ技術消費者製品目録 (Nanotechnology Consumer Products Inventory)”を発表した。[0]
 しかし、ナノ物質はその特性のために、人の健康と環境に有害な影響を及ぼすことが懸念されている。

■ナノ技術研究開発のラッシュ
 カナダの環境・人権団体、ETCグループの2005年11月の報告書[1]によると、世界的には、産業界と政府は2004年にナノ技術の研究開発に円換算で約1兆1千億円以上を投資している。アメリカ、日本、欧州連合がナノ技術投資の3大勢力であり、それ以外に少なくとも60か国が国家ナノ技術研究プログラムを立ち上げた。米国家科学財団は、ナノ技術市場は2011年又は2012年までに110兆円を超えると予測している。産業界消息筋は、ナノ技術を導入した商業製品は、2014年までに280兆円(総生産の15%)に達するとしており、これはバイオ技術の10倍で、情報通信産業と同等である。2000年にはナノ技術取組に資金投入していた主要企業はIBMだけであったが、今日、実質的に全てのフォーチュン500企業がナノ技術の研究開発に投資している。

■ナノ技術の開発途上国への影響
 ETCグループが2005年11月に発表した同じ報告書[1]の「ナノ技術が開発途上国に与える影響」によれば、汚染された水を浄化するためのナノ・フィルターや、太陽電池への利用などによるナノ技術への期待とともに、一次産品依存諸国の農業と鉱業へのナノ技術の潜在的な負の影響を挙げている。
 また、ナノ技術と知的所有権の確保は、先進国(特にアメリカ、日本、ヨーロッパ)で活発に実施されており、支配的な経済グループの知的所有権の確保が経済的利益を促進し、産業全体を支配し、特に開発途上国の産業を圧迫する可能性を述べている。

■ナノ物質の特性
 ナノ物質の特性は、@サイズが非常に小さい(ヒトの毛髪の径の約1,000分の1以下)、Aサイズが小さいために重量当りの表面積が非常に大きい、B50ナノメートル以下の物質には、もはや物理学の一般法則は適用されず、電気的特性、磁気的特性、光学的特性、機械的特性、化学的特性などが同一成分の既存の物質と全く異なることがある、等である。これらの特性のために、ナノ技術には新たな適用の可能性が秘められているが、同時に、従来のサイズでの物質の特性が分かっていても、ナノスケールでは全く役に立たず、危険な特性を含めて、全てのナノ物質の特性は改めて実験で確かめられなくてはならないことになる。
 2004年7月の英国王立協会・王立技術アカデミー報告[2]は、ナノ物質は成分が既存物質と同じでも新たな化学物質として扱われるべきであるとし、ナノ物質の環境への影響についてもっと多くの知識が得られるまで、ナノ物質の環境への放出は可能な限り避けるよう勧告している。しかし、現在、世界中どこの国においてもナノ技術製品は規制の対象になっておらず、表示義務もなく、安全が確認されないままに市場に出されている。

■ナノ物質の危険性
 ナノ物質の特性である高い表面活性や細胞膜を通過する能力などが、健康と環境に有害な影響を及ぼす懸念を与えている。  ETCグループの2004年4月の報告[3]によれば、日焼け止め中のナノ粒子が DNA を損傷する、ナノ粒子が実験動物の細胞に取り込まれる、ナノ物質の一種であるナノチューブがラットの肺に有害影響を与える、ナノ粒子は血液脳関門を通過する、ナノ粒子は胎盤を通過して母親から胎児に移動する、カドミウム/セレン化合物ナノ粒子がヒトの体内でカドミウム中毒を起こす、ナノ粒子の一種であるバッキーボールは魚の遺伝子機能を変更し幼魚の脳に損傷を与える。
 米国立環境健康科学研究所の月刊ジャーナルEHP2004年7月号の記事[4]によれば、米デューク大学の生物学者エバ・オバドルスターは、フラーレンとも呼ばれるナノ粒子バッキーボールを加えた水に48時間、曝露したオオクチバスの幼魚の脳とエラに酸化ストレスが生じることを示した。
 同じくEHP2004年9月号の記事[5]によれば、ロチェスター大学の環境毒物学者ギュンター・オバドルスターはラットに吸入させたナノ粒子はラットの鼻腔、肺、及び脳に蓄積することを示した。また、NASAの科学者チウウィン・ラムは、直接マウスの肺に導入したカーボン・ナノチューブの浮遊物が 酸素吸収を妨げる肉芽腫を生成すると報告した。
 同じくEHP2006年2月号で紹介された論文[6]によれば、"独特の光学的及び電気的特性を持つ半導体ナノ結晶である量子ドットは生物医学的画像及び電子産業で応用されているが、量子ドットで最も広く使用されている2つの金属、カドミウムとセレンは脊椎動物に急性及び慢性毒性を及ぼすことが知られており、ある条件の下では量子ドットはげっ歯類及び試験管細胞培養で確認されたように、環境と人の健康にもリスクを及ぼすかもしれないと述べている。

■ナノ安全基準/規制の世界の動向
 北米や欧州では、政府機関、大学、NGOs などにより、ナノ技術が一般の人や労働者の安全と健康、環境、及び社会へ与える影響について、また、テスト基準、リスク評価、安全基準の必要性についての議論/調査報告/提案などがいくつか発表されている。  米EPA科学政策審議会は、2005年12月にナノ技術に関する研究の必要性とリスク評価の問題に対応するための白書[7]を発表し、EPAはこの白書を2006年1月31日までのパブリックコメントにかけた[7]
 米国立労働安全衛生研究所(NIOSH)は2005年にそのウェブサイトでナノ技術に関する立場を表明し、労働安全衛生に及ぼす影響と適用に関する研究を推進すると発表した[8]
 元EPA高官クラレンス・デービス博士は2005年に発表した報告書[9]で、アメリカにおけるナノ物質の規制を検討し、既存の諸規制を用いてナノ技術に対処するのは難しく、ナノ技術の潜在的なリスクを管理するために新たな法が必要かもしれないとしている。
 欧州委員会は新規特定健康リスクに関する科学委員会(SCENIHR)にナノ技術製品のためのリスク評価方法に関する科学的意見[10]を求め、この意見に対し2005年12月までパブリックコメントを実施した[11]
 イギリス環境食糧省は2005年11月、英国王立協会・王立技術アカデミーの2004年7月の報告書[2]を受けて「人工ナノ粒子による潜在的リスクを特性化するイギリス政府第一次研究報告書」[12]を出している。

■日本の現状
 日本は、米国及び欧州と並ぶ巨額の資金を投じ、官産学あげてナノ技術の開発に猛進しているが、安全性に関し一般に発表されたものは、ナノテクノロジー総合支援プロジェクトセンター (文部省)の「ナノ材料が人体・環境に及ぼす影響に関する研究の文献調査・調査報告」(平成17年 3月22日)[13]くらいである。報告書中にリストされている日本の文献は、経済産業省やNEDOの委託で実施された、専門家からのヒアリングや文献の調査報告程度で、日本が独自に調査研究した安全性や標準化に関する報告書や提案の記載はない。
 2005年12月末現在、人の健康と環境に責任のある、環境省、厚生労働省、産業安全研究所、産業医学総合研究所のウェブサイトには、環境、公衆の健康、労働安全衛生の観点から、ナノ技術のテスト基準、安全性評価基準、リスク評価、安全基準などに言及した記事は見当たらない。
 国立環境研究所のウェブサイトには、2005年6月にナノ粒子健康影響実験棟が竣工したこと、自動車排出ナノ粒子の健康への影響評価を行っているなどの記事はあるが、人工ナノ粒子の体系的な環境及び健康への影響評価に取り組むとの記述はない。
 産業技術総合研究所のウェブサイトでは昨年の10月から今年の2月までナノテクを推進する立場から、『産総研 TODAY 』(広報誌)「ナノテクノロジーの社会的影響」を5回シリーズで紹介した。
 労働団体、労働安全衛生を推進する団体からの、研究施設や製造施設における作業者や労働者へのナノ物質に関する健康影響に対する懸念の声、消費者団体、環境団体からのナノ物質、ナノ製品の環境及び消費者の健康への影響に関する懸念の声は聞こえてこない。メディアの報道もほとんどない。

■人と環境の安全確保
 ナノ技術の危険性及び安全のための配慮について国民は何も知らされていない。そして何よりも問題なのは、ナノ技術の安全性に関する責任所管省庁がどこなのかが明確にされていないことである。
 遺伝子組み換え技術や、環境ホルモン、塩ビなどで国民の反応に苦い経験をした政府や一部の学者、産業界は、ナノ技術が持つ危険性を国民が知り、拒絶反応を示すことを恐れているのかもしれない。
 しかし、ナノ技術が人の健康と環境に及ぼすリスクとそれに対する安全の確保について、完全で透明性のある国民への説明なしにはナノ技術の健全な発展はありえない。
 ナノ技術に関連するテスト基準、ハザード・曝露・リスクの評価基準、リスク及び社会的影響評価、安全基準、法規制、国民の安全確保、等について、国民参加の下に早急に議論され、方針が示され、政策が立案され、実施されなくてはならない。
 カナダのETCグループは、2003年1月の報告書[14]の中で"ナノ物質が生物への汚染の懸念をもたらすなら、政府は直ちに新たなナノ物質の商業的生産の一時的中止(モラトリアム)を宣言し、ナノ技術の社会、経済、健康、及び環境への影響を評価するための透明な世界的取組を立ち上げることを勧告する"−としているが、全く同感である。
 ナノ物質の環境・健康に及ぼす重大な危険性を懸念するに足る十分な合理的証拠は既にある。不可逆的なナノ物質の環境放出による危険を回避するために、予防原則に基づき、ナノ技術に関する安全基準が確立され、安全テストが実施され、安全が確認されるまで、ナノ物質の環境中への放出及びナノ製品の上市は一時的に中止すべきである。
 安全が確認されていないナノ物質を環境中に放出し、大気、水、土壌を汚染し、ヒトを含む生物に重大な危害を及ぼす可能性があることを放置することは許されない。


参照
[0]ウィルソン・センターのナノ技術消費者製品目録
A Nanotechnology Consumer Products Inventory

[1] サウス・センター向け ETCグループ(カナダ)報告 2005年11月/ナノスケール技術の一次産品市場への潜在的な影響 一次産品に依存する諸国のかかわり
The Potential Impacts of Nano-Scale Technologies on Commodity Markets: The Implications for Commodity Dependent Developing Countries / ETC Group November 2005

[2] ナノ科学、ナノ技術:機会と不確実性−要約と勧告/英国王立協会・王立技術アカデミー報告 2004年7月29日
Nanoscience and nanotechnologies: opportunities and uncertainties - summary and recommendations / The Royal Society & The Royal Academy of Engineering

[3] ナノが引き起こした水汚染/ETCグループ(カナダ)報告 2004年4月1日
Nano's Troubled Waters / ETC Gropup, 1 April 2004

[4] EHP 2004年7月号 Science Selections/フラーレンと魚の脳−ナノ物質が酸化ストレスを引き起こす
Environmental Health Perspectives Volume 112, Number 10, July 2004
Fullerenes and Fish Brains / Nanomaterials Cause Oxidative Stress


[5] EHP 2004年9月号 Foucs/ナノ技術:跳びながら見る
Environmental Health Perspectives Volume 112, Number 13, September 2004
Nanotechnology: Looking As We Leap


[6] 量子ドットの毒物学的レビュー:毒性は物理化学的及び環境的要因に依存する/EHP 2006年2月号
Environmental Health Perspectives Volume 114, Number 2, February 2006
A Toxicologic Review of Quantum Dots: Toxicity Depends on Physicochemical and Environmental Factors by Ron Hardman


[7] 米EPA外部レビュー用ナノ技術ドラフト白書/パブリック・コメント及びエグゼクティブ・サマリー
External Review Draft Nanotechnology White Paper Prepared for the U.S. Environmental Protection Agency by members of the Nanotechnology Workgroup, a group of EPA's Science Policy Council

[8] 米国立労働安全衛生研究所(NIOSH)ナノテクノロジー研究戦略的計画:知識のギャップを埋める 2005年9月 (エグゼクティブ・サマリー紹介)
Strategic Plan for NIOSH Nanotechnology Research: Filling the Knowledge Gaps, September 2005

[9]  ナノ技術の影響を管理する/クラレンス・デービス (エグゼクティブ・サマリー他紹介)
Managing the Effects of NANOTECHNOLOGY by J. Clarence Davies

[10] 工業的及び非意図的ナノテクノロジー生成物に関連した潜在的リスク評価のための既存方法論の適切性に関する EU / SCENIHRの意見 (エグゼクティブサマリー/委員会の意見)
EU / SCIENTIFIC COMMITTEE ON EMERGING AND NEWLY IDENTIFIED HEALTH RISKS (SCENIHR) - Opinion on The appropriateness of existing methodologies to assess the potential risks associated with engineered and adventitious products of nanotechnologies

[11] 欧州委員会プレスリリース 2005/10/20 / ナノテクノロジー製品のリスク評価に関するQ&A及びパブリック・コンサルテーションについて
Europian Commision Press Release - Brussels, 20 October 2005 / Questions and answers on risk assessment of nanotechnology products

[12] 人工ナノ粒子による潜在的リスクを特性化する−イギリス政府第一次研究報告書/イギリス環境食糧省2005年11月30日 (エグゼクティブ・サマリー紹介)
Characterising the potential risks posed by engineered nanoparticles: a first UK Government research report / DEFRA, 30 November 2005

[13] ナノ材料が人体・環境に及ぼす影響に関する研究の文献調査・調査報告(平成17年3月22日)/ナノテクノロジー総合支援プロジェクトセンター

[14] The Big Down “Atomtech: Technologies Converging at the Nano-scale” / ETC Group January 2003
Pages 25, 72: Given the concerns raised over nanoparticle contamination in living organisms, governments should declare an immediate moratorium on commercial production of new nanomaterials and launch a transparent global process for evaluating the socio-economic, health and environmental implications of the technology.


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