聴いた、観た、買った ---淡々と音喰らう日々。

2000.05.01-15

>05.16-31
<04.16-30
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★は借りた新着、☆は新規購入。

今回集中的に論評したディスクなど:
Milton Nascimento と「80年代的音」
XTC: "Apple Venus Vol. 1" "Skylarking"
A. C. Jobim: "Antonio Brasileiro"
スガシカオ "Sweet"


5/1 幸い勤め先は毎年メーデーが休みだけど、平日なんだなあと午後外出してしみじみ思う。休ませてもらえることに感謝。昼食を外で済ませ、銀行寄ったり近所買い物したり。

ジプシー・キングス『モザイク』 Gipsy Kings: "Mosaic" (Electra Musician, 1989)
あれ? こんなレーベルから出てたっけ、と思いながら聴く。そういえばこの盤、ジャケ違いで2種類だったか出ていて、うちにあるのはマチスの切り絵風のほう。もう一つのはミニアチュールの人物部分を拡大して青地の背景の中央に置いたようなやつだったかな? 内容違わないとは思うが。

夕方はお子さまテレビタイム。っつうことで、「天才てれびくん」(NHK教育、月〜金 18:00-45)でやってる「へろへろ」ってアニメ、面白いって言う人がいたら是非話を聞いてみたい。物凄くつまらないぞ。こんなつまらんもの見たのは何歳の時以来か。「ペラペーラ」ってのと同じ調子で「へろへーろぅ」って合いの手入れるのはやめてくれい。子供に見せてていいのか?

パット・メセニー・グループ『想い出のサン・ロレンツォ』『スティル・ライフ』Pat Metheny Group (ECM, 1978), "Still Life (Talking)" (Geffen, 1987)
来週末に、保育園で親しくなった友人と初セッションを予定しているので、共通の趣味であるメセニー聴きながら気分は予習モード。とはいえ両者とも「技術的に困難すぎて、当面手をつけるつもりはない」ので、ただの夢見がちな30代(何だそれ)なのである。

5/2 昨日にもまして平日である今日。デパートへ買物に出掛けたがそんなに混んでないし、何しろいつも買物ついでに寄るレストランにランチタイムがあったなんて知らなかった。

本日の判定(久々だなァ):
×ハイポジ『ハウス』(Kitty, 1997)

5/3 保育園友達の一人より電話。子供が出掛けたがってしょうがなかったら、ウチの子と一緒に遊ばせちゃおう、と先日話し合ったばかりだったので早速実行。連れ合いが息子連れて公園で落ち合っている間に掃除片付けかなり進展。スパゲティ昼食に作って(これは私が。)、家で子供ら遊ばせる。

ミルトン・ナシメント Milton Nascimento: A Arte de... (Verve, 1988) "Encontros e Despedidas" (Mercury, 1985)
前者は80年代前半のベスト盤で定番らしいのだが、実はここからミルトンに入ったのでなかなかピンと来なかった経緯がある。彼のスタンダードの1つであるらしい"Nos Bailes da Vida" (人生のダンス)も、確かにいい曲だけど、フォーキーでおおらかな普通のポップス、という以上の印象は今聴いても持てない。かくて80年代前半というのはポップスのサウンドデザイン技術/フォーマットが世界に広まって、割とどこの音楽を聴いても同じように聞こえるほどにローラー曳きされていた時代だったのだという気がする。この頃の作品を聴くと、ブラジルだろうが沖縄だろうが日本だろうがはたまた欧米だろうが同じことを思う。その意味では同じミルトンの85年発表 "Encontros e Despedidas" (『出会いと別れ』)もその範疇に入るが、入りながらもヴァギネル・チゾのアレンジの力技で何とかぎりぎりの輝きを保ち得ているかも知れない。

さて、子供たち中だるみとなり、更に近所のもう一家族(セッション予定の相手)に声を掛ける。子供3人となり益々騒がしいのを尻目に親たちは賑やかにビールとつまみ。

Stan Getz & Joao Gilberto: "Getz/Gilberto" (Verve, 1964)
子供たちが眠くなり一旦お開きにするが、セッション相手の方には8時頃再度集結してもらい、日本酒傾けつつ選曲会議の続き。やっぱボサノヴァでしょう、と結論。

アナ・カラン Ana Caram: "The Other Side of Jobim" (Chesky, 1992)★
その彼から借りた、ジョビン作品集。演奏者は某デザイナーの綴り間違いではない、ブラジル出身のシンガー/ギタリスト。Joyceを思わせるしなやかな声質。アレンジにSergio Assadを起用して抑え目ながら引き締まった仕上がり。ここに収められた曲はいずれもあまり有名でないナンバーばかりで実に渋い味わいなのだが、比べてみるとジョビンの著名なナンバーは、穏やかで抑制された印象を与えがちながらも実は非常にダイナミックな流れときらびやかな音色(コード展開)を持っているのだということがわかる。いずれの傾向も捨て難いのだが、スタンダードと呼ばれうるものとそうでないものの違いを見たような気がする。

5/4-6 実家詣でに出掛けようとして郵便受けを見たらCD NOWの包み。こりゃ1-2枚持ってって聴こうかなとも思ったがどう考えても親兄弟に好評なわけなさそうなので置いて出る。ちなみにラインアップは...また今度。。

5/7 息子が「ちょうしわるい」と言って横になってる。寒いと言う。そのうち熱出てくる。甘えるでもなくじーっとガマンしている。けなげだと思う。しかし子供って興奮するほど楽しいお出掛けの翌日によく熱を出すらしい。どっかの育児本にもそう書いてあったような。

フリートウッド・マック『噂』 Fleetwood Mac: "Rumors" (Warner, 1977)★
再結成ライブ盤"The Dance"(1997)にもここから多くの曲が採られている。が、音自体は実に時代を感じさせる、どことなくローファイで平板な印象。解説(当時のもの)では、このアルバムでLindsey BuckinghamやStevie Nicksに初めてカントリー的なバックグラウンドを発見して新鮮だった、とある。が、今振り返って聴けばこれはロックというより完全にフォーク・ロックの系譜、それこそイーグルスとかCSN&Yの流れに位置する作品であって、ただその中で際立って精緻なアレンジとアンサンブルを指向していたことによって「クリスタル」と形容されていた、ということだと思う。確かに良質な作品であはるけれど、20年を経たのちの再結成ライブの完成度には及ばないか。

5/8 XTC: "Apple Venus Vol. 1" (Cooking Vinyl, 1999)★
連休明けのネジ捲きアイテムに新着盤を持って行くのはリスキーだが、XTCならうっかりクールダウンすることもあるまい、と考え、思い切って選択。正解以前ベスト盤でさらった通りのそのまま延長上に開花した精緻の極みのポップソング...というか、このときの感想がそのまま拡大されて当てはまる。ライナーに寄せられた日本のミュージシャンたちの推薦文を見ても思うのだが、80年代的なるモノとは、多くの人にとって本当はこうあってほしかったんじゃないか、と思わせるエッセンスを10年間大切に栽培しました、という感じ。このVol. 1は生ギターからオーケストラまで様々なアコースティック・サウンドを中心にした構成だが、Vol. 2 (資金難で後回しにしたってんだから、いつ出るのやら...と思ってたら出たそうな[5/19 CDNOW情報])はエレクトリック系らしいので、こっちも楽しみ。

オープニングトラックからして、奇妙なリズムを刻むピチカートとトランペットに、スパニッシュな3連のフレーズでボーカルが殴り込むとか、T-6ではかつての名曲"Grass"を思わせるストリングスが疑似中東的な旋法とリズムに乗ってうねりまくるとか、誰かがやりそうで誰もやらないポップイディオムが絶妙の間合いと場面転換で繰り出される。これはこれで、一つの望ましい「ポストモダンな器用仕事(ブリコラージュ)」なんだろうと思う。こういうXTCみたいな頑固なポップソングが、一般的にはもっとブリコラージュとして取り沙汰されるヒップホップやハウス/テクノなんかと丁度いいバランスで存在している世界ってのが、一番音楽的に気持ちいいんじゃないかと思う。それでこそ、これが好きあんなのキライ、とあっけらかんと大声で言い合って笑えるって気がするのだ。

5/9 そんな訳で(どんな訳だ?)、頭はハイだが身体的にはキツイ出勤が2日目まで続く。で、そういう日の晩に、

マーヴィン・ゲイ Marvin Gaye: "What's Going On" (Motown, 1971) "Let's Get It On" (Motown, 1973)

を何故聴くのかは謎だ、我ながら。うーんある種リラックスは出来るかも知れない。実際後者は究極のリラックス音楽と言えるかも。非常に限定的にだけど。

5/10 XTCつながり、ということで、既に買ってあった XTC: "Skylarking" (Virgin, 1986)☆を取り出す。"Apple Venus Vol. 1" から振り返って聴くと、ボーカルの「サウンドとしての作り込み」が不徹底だったり、アレンジも所々粗く感じられたりとかあるが、その分奇妙なアイディアのはじけ具合がパンクで良い。それもそうなのだが、何と言ってもT-1からT-2"Grass"へのつなぎのカッコいいことと言ったら。これ、意外なことだがダンスミュージックのつなぎ的カッコ良さなんだなー。もちろん曲自体は踊れないことこの上ないんだけど。

5/12 XTC: "Apple Venus Vol. 1"
歌詞を見てみると、T-1とかT-3とか花が咲き乱れたり春が劇的に訪れたり、そういう極彩色のイメージが散乱していて、ちょっとクスリっぽくもあるんだけれど、曲と相俟って実に美しい。深読みしてしまうと、これが"Venus"なのかも。あのボッティチェリの絵画「春」で貝殻の中から誕生するヴィーナス。そして更に手前勝手な読みをすると、"Apple"はビートルズ(のサイケな時代)への言及と見えなくもない。もともとビートルズに依拠したコンポーネントを積極的に使うユニットではあるのだが。

5/13 保育園友達との初セッション。ボサノヴァということで、'So Danco Samba' 'Garota de Ipanema'などをやってみる。「いやぁ昔クラシックギターのインチキ教師をしてただけですから」という彼はしかし相当な腕前、最近ボサノヴァに凝り始めたとは思えない的確で心地よいグルーヴを刻み続ける。こちらは当初ピアノで合わせていたが、ベースに持ち替えてみたらその方が全体に気持ち良い響きになることを発見、暫くはベースを弾く楽しみに浸る。'Meditacao' では彼に"本業"のトランペットに持ち替えてもらい、ピアノでバックをつける格好に。これも良好。

また彼はピアノを弾かせても凄腕なのであった。ゆっくりした12小節のブルース進行で(こちらはベースで)合わせてみても、正統的なレフトハンド・ボイシングに柔軟なアドリブを載せていく。とても私など「ピアノ弾けます」と言えない事態に。あああ。それはともかく、彼との出会いがジャズを勉強する契機になったのはラッキーかも。何しろ私が演奏経験のあるジャズといえば、高校時代にコンボ編成でシンプルな12小節のブルースを見よう見まねでやったという、それこそインチキジャズしかないのだ。テンションも代理コードもモードも何も体系的にはわかっていない状態なのだ。

5/14 アントニオ・カルロス・ジョビン Antonio Carols Jobim: "Antonio Brasileiro" (Columbia, 1995)
ジョビンの遺作となる作品。タイトルに込められた自負と内省が充溢する。最新の音響技術で頑固なボサノバのダンディズムが貫かれる。それにしてもこの選曲の巧みさ。自作の新作ならびに'So Danco Samba' 'How Insensitive'といった自作のスタンダードが中心だが、加えてバイーアの重鎮ドリヴァル・カイミの作品が2トラックと、ロー・ボルジスの'O Trem Azur'が採り上げられていて、前代と次代への意識を強く感じさせる。のみならず自作曲を見ても、ショーロ Choro などブラジル・インスト音楽の大家であった先達ハダメス・ジナタリ Radames Gnattaliや、高名なサンバチーム「マンゲイラ Mangueira」へのオマージュと思われるタイトルが散見される(それらの曲は当然のごとく、ショーロ風であったりサンバ寄りであったりする)。そうした強固な縦糸とその中に見られる色彩の多様さの中に自己の音楽を位置づけたと思わせるこの1枚は、まさに彼の音楽生活のまとめと言うにふさわしい内容。発売が彼の死後というせいもあるが、死期を悟っての制作だったかとさえ思わせる。

5/15 スガシカオ "Sweet" (Kitty, 1999)★
サウンド的には、前作までの傾向を踏襲しながらこれだけ聴かせる、乗せる、愉しませるというのは只事ではないと思うのだが、歌詞があまりにヤバすぎて引いてしまう。T-1「あまい果実」(「引き出しに隠した過去も みんな知ってる」「もうそばにいられないくらいに そのニオイは鼻をつくんだ」)や、T-9「いいなり」(部屋のドアはカギを かけてあるから/誰にも見られないし 逃げ出せないし」)の居直りとも脅しともとれるフレーズ(前後の文脈があるので、それだけではないのだが)などは、一歩間違えればストーカー心理を内側から、しかも逃れがたい結論として書いたものにも読めてしまう。過去2枚にもそれなりに危ない歌詞はあったけど、そこにはまだ相手や第三者の視線の存在が感じられた。でもここには思い詰めた一方的な情念が充満しているだけで出口がない。

出口がない、という点で言えば、彼の得意な分野である「30歳前後なりの諦念と希望」みたいな路線についても、何の望みもなく毎日を過ごしていく閉塞感ばかりが強くなり、「黄金の月」(『クローバー』(1997)所収)のような、それでも諦めず生きていくという芯の強さがない。もしこれが、彼の個人的な状況や心境の変化でなく、それなりに時代の変化に対して意識的に呼応したものなら益々恐いが、どうなのか。

しかし考えてみると、スガシカオばかりこんなに歌詞にこだわった批評をしてしまうというのも、単に日本語はよくわかるから、とか、過去の作品で歌詞を評価してたからに過ぎないのだろうから、いささか酷な評ではあるかも。
やたらキツイ感想を持つのも、一つには疲れがたまっているせいか。帰りがけ ram jam world: "rough and ready" (a.k.a./WEA, 1997)★ を掛けてたが、途中で電池切れしてよかったと思えるなんて初めてだ。疲労と趣味の合わなさが重なると、もう耳への刺激はたくさんって感じだ。雑踏や車の騒音に身を委ねる、というかそれさえ何も感じさせない。不快感すらも。



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