聴いた、観た、買った ---淡々と音喰らう日々。

2000.02.01-15

>02.16-19
<01.16-31
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★は借りた新着、☆は新規購入。


2/1 CDNOWから、ロー・ボルジス Lo Borges: "Meus Momentos 2CDs" (EMI Brasil, 1999)☆ のみ先行して送って来る。一緒にオーダーしても、ストックポイントが別々だとバラバラに来るらしい。しかしこれ、一番待ってただけに嬉しいことこの上なし。
これは彼のベスト盤だが、初出年を見てみると1981年から1996年まで飛んでる。この間、何してたんだろ。まあ、彼のような個性だと楽曲提供とかが主になるんだろうか。ともかくリーダー作自身が少ない。寡作の人? ミルトンの"Crooner"で1曲客演して元気に唄っていたから、96年以降はまた活動期なんだろう。喜ばしい。

彼の実質デビューであったらしい"Clube da Esquina"からも数曲入っているが、その浮遊感は以降の作品でますます強まっている。それも、ブライアン・ウィルソンを思わせる主音を外したルート音の多用や、トッド・ラングレンのようにそれを高域偏重の厚塗りシンセに展開するといった指向性。ポルナレフ的叙情からは段々離れていくけれど、コード進行のテイストとしては同じミナス一派のトニーニョ・オルタによく似た繊細さを究めていて、とても希少かつ貴重なものだという気がする。長い付き合いになりそうな盤。
中にエリス・レジーナがゲストで歌っている曲("Vento de Maio", 1979)があるのだが、彼女が同年録音のリーダー作 "Essa Mulher" で見せたような勢いよく煽るサンバや深く沈潜するバラードからは想像もつかない、少年のような歌声を聴かせていて驚愕。すごいやエリス。ますます美空ひばりになぞらえて見てしまいそう(笑)。いや本気で。

マリーザ・モンチ Marisa Monte: "Rose and Charcoal" (EMI-Odeon Brasil, 1994)

2/2 Lo Borges "Meus Momentos 2CDs"
トニーニョ・オルタ Toninho Horta: "Moonstone"
(Verve Forecast, 1989)
ローがこの盤に収録のトニーニョの曲 "Eternal Youth" ("Manuel O Audaz")を歌っているので、引っぱり出す。やっぱり近いな、この2人。だがローの方がどこか歪み入っている分、独特の味わいという気はする。時々ブルーノートが唐突に顔出したりとか。一方トニーニョは、変なコード進行してる割には全体の肌触りは素直そのもの。それはそれで捨て難いけど。

2/4 Lo Borges: "Meus Momentos 2CDs"
ミルトン・ナシメント&ロー・ボルジス Milton Nascimento/Lo Borges: "Clube da Esquina"
(EMI-Odeon Brasil, 1972/World Pacific, 1995)

仕事の帰り際から膝の力が抜けてくるのは、またも風邪の前兆か。「週明けには直して来ます〜」と言って辞したものの、体力落ちてる実感があるだけに自信まるでなし。

イヴァン・リンス Ivan Lins: "Anjo de Mim" (Velas, 1995)

2/5 深夜にそこそこの高熱。朝にはどうにか37度台に下げたので、連れ合いの友人たちが来訪するのに備えて「お片付け音楽」。

Ivan Lins: "20 Anos" (Som Livre, 1990)
スティービー・ワンダー Stevie Wonder: "In Square Circle" (Motown, 1985)☆
冒頭の"Part-time Lover"ってあまり好きになれない曲なのだな。では何故買ったかといって、それは他のトラックが素晴らしすぎる。"Overjoyed"は言うに及ばず、アップテンポなものでも"Stranger On The Shore Of Love" "Go Home"など、彼独特のシンセ音の組み合わせが醸し出す、つねるようなビート感が絶好調。

ディック・リー『マッド・チャイナマン』 Dick Lee: "The Mad Chinaman" (WEA, 1989)

2/6 さあ今日は元気かと思ったがそうでもない。微熱、胃腸が不調。何だかここも風邪ひき日記みたいになってきなあ。体鍛えねば。

U2 "The B-Sides" ("The Best of 1980-1990", 2CDs. Island, 1998)
とんとロックの音を受け付けなくなっていることを改めて実感。まあ波はあるのだが。

Ivan LIns "20 Anos"
ザ・ブーム「手紙」
(Sony, 1995. シングル)

まだ胸焼けみたいな不快感がおさまらない上に、喉にも来た。咳は出ないが痛い。やめてくれってば。

パット・メセニー Pat Metheny: "New Chautauqua" (ECM, 1979)

2/7 胃腸と喉の調子は良くならず、結局会社を休んで通院する羽目に。

ジプシー・キングス『ジョビ・ジョバ』Gipsykings: "Djobi, Djoba" (Phonogram, 1982-83/Philips, 1988)
レニーニ&スザーノ『魚眼』 Lenine/Suzano: "Olho de Peixe" (Velas, 1993/Latina, 1999)
ピーター・ガブリエル『US』 Peter Gabriel: "US" (Real World, 1992)
トゥーツ・シールマンス Toots Thielemans: "The Brasil Project" (Private, 1992)☆
実はVol. 2の方が選曲などで勝ると思わぬでもないものの、このVol. 1のほうはトゥーツ作曲の"Bluesette"をゲスト全員がリレーするという豪華なラストトラックで逆転勝ちしてしまっている。イヴァン・リンスが歌えばイヴァンの持ち歌に、ドリ・カイミが歌えばドリの曲に聞こえるという恐るべきポテンシャルを持った、たった12小節の旋律線。こういうのを、豊かな音楽を産み出すためのフレームワークをとなる素材、と言っていいんだろうなあ。「作曲者の優位」など吹き飛んだ時代にあって---そのこと自体はむしろすがすがしい事態だと思うが---、もしソングライティングという概念がまだ意味を持ち続けられるとしたら、そういう意味においてだ。

2/8 一応職場復帰したものの、Discmanを置いて出るほどヒヨワな今日の私。

2/9 Lo Borges: "Meus Momentos 2CDs"

2/10 Milton Nascimento/Lo Borges: "Clube da Esquina"
だましだまし使っていたDiscmanだが、右チャンネルが突然聞こえなくなった。コードを色々いじってみるが、プラグの接触ではなく、どう見ても断線。パーツ交換は馬鹿高いし、他にもチャッキング部分とか壊れているので、使用満4年を前にとうとうおシャカに決定。しかし突然来るなあ。

2/11 雪深い北国の小都市へ姉一家を訪ねる。いとこ同士で雪遊びさせようというのが狙い。しかし今年は雪が少ない。例年だと腰ほどはあって、夜のうちに車の上に50cmほども積もることすら珍しくないのに、今年は子供を遊ばせておいたって足も取られないんだから。

ロドリーゴ『アランフェス協奏曲』ほか Rodrigo: "Aranjuez" etc. Garcia (Guit.)/Breiner (Cond.)/Czech NPO (NAXOS,1989)
アランフェス協奏曲って、好きだったためしがほとんどない。辛うじて子供の頃に2楽章の有名なアダージョに一時心奪われたりもしたが、いま聴くとどうにも物足りない。何故かと考えたのだが、ギターソロが形ばかりはフラメンコの技法を写しているのに、その埋め込まれ方、というか、曲全体のうねりの中へのはめ込まれ方がどこかよそよそしい。いわゆる「クラシック的な」上品さに通じるような。アランフェスとはカトリック王朝の壮大な離宮のある町だが、いわばこの曲は王朝文化に馴致されたスパニッシュ・ギターなのかも知れない。好みで言えば、併録のグラナドスやアルベニスら先人の、あくまで舞曲たらんとする芯の太さの前には較ぶべくもない感じ。

キース・ジャレット『フェイシング・ユー』 Keith Jarrett: "Facing You" (ECM, 1972)
姉一家を訪ねて楽しいことの一つは、自分のとは大きく異なるCDのラインアップをBGMにしてのおしゃべりだ。特に、義兄お気に入りのキース・ジャレットのこの盤は、じりじり照りつける陽差しの下、乾いた静寂な荒野が眼前に広がるようで好きだ。

2/12 モーツァルト『ハフナー』『リンツ』 Mozart: Symphonies No. 35/36 Hogwood(continuo)/Schroder(concert master)/Academy of Ancient Music (l'oiseau-lyre/Decca, 1981)
古楽を今再現して聴くことの意味。単に古楽器を使うだけでも、楽譜に忠実に演奏するだけでもなく、当時の演奏慣習や記譜上の決まり事などを文献資料から読み出した上で、当時行われたであろう演奏が再構築される。だが、ではそれが当時の音そのものかと言えば、必ずしもそうではないだろう。何しろ、聴いている我々の耳は現代の我々の耳なのだから。たとえ「物理的に」同じ音響であったとしても---それだってどこまでそうなのかは断定できないが---それをどのように享受しているかは、あくまでも現在の我々の音楽享受のあり方に依存している。

では古楽を自分たちはどう聴いているのだろう。少なくとも自分にとっては、現代の「クラシック」享受における神話的イメージを突き崩す爽快な出来事だった。例えばそれはモーツァルトの交響曲第41番『ジュピター』についてだ。このニックネームは作者の死後、19世紀になってから、その壮麗さを譬えて出版社がつけたものらしいが、古楽器で聴くそれは、壮麗な大伽藍というよりは、モーツァルトのオペラ・コミックに見られる諧謔的な軽やかさに満ちている。『ジュピター』という呼称は、19世紀前半に進んだオーケストラの編成の大型化や、あるいはメンデルスゾーンによるバッハ再演=再発見のような、いわゆる「古典派」以前の作曲家たちの神格化がなければ生まれなかっただろう。そして現代においても、音楽産業としての「クラシック」のマーケティングや、学校音楽教育までもが、いまだにそのフォーマットの上に展開されているのだ。古楽はそうやって、音楽への接し方になにがしかの変容をもたらしうるものだと思う。それが、今の時代に古楽を聴くことの、自分にとっての価値だ。

矢野顕子 "Oui Oui" (Sony, 1997)
数少ない共通の趣味。というか、かつて姉を感化したのはこの私であるのだが。

V. A. "Northwest World Business Class: Classic Rock 'N' Roll" (Capitol, 1994)
義兄の出張は、今は知らないが以前はビジネスクラスだったのである(羨ましい!)。で、そこでくれるのか買うのか、Northwestのこのシリーズが何枚かある。"Classic Rock 'N' Roll"と銘打っているが、その実態は80年代ポップ・ヒット集と言ったほうがよい。ハートの"These Dreams"とかトーマス・ドルビー"She Blinded Me With Science" といったラインアップは懐かしいが、しかしTina Turner "What's Love Got To Do With It" がロックンロールっつうのは、さすがにいかがなものか。米国人の標準的な感覚なのかも知れないが、ようわからん。

キース・ジャレット・トリオ『スタンダード・ライブ』 Keith Jarrett Trio (w/ Gary Peacock and Jack DeJohnette) : "Standards Live" (ECM, 1986)

2/13 モーツァルト「交響曲第40番/第41番」Mozart: Symphonies No. 40/41 Hogwood(continuo)/Schroder(concert master)/Academy of Ancient Music (l'oiseau-lyre/Decca, 1983)

エマーソン、レイク&パーマーのベスト盤 Emerson, Lake & Palmer "Atlantic Years" (Atlantic, 1993) は子供たちに不評ですぐ変えられてしまった。かわいそうに。しかしこのグループ、今回聴いて思い出したけどギターレスのトリオだったんだよね。それもエマーソン、思いっきりオルガン弾いてたりして、その響きって何だか独特の妖しさではある。

ブリテン『青少年のための管弦楽入門』『シンプル・シンフォニー』他 Britten(cond.)/London SO etc. (London, 1964/69/68) を聴きながら、「わかりやすい音楽」について義兄と話す。彼は、ブリテンのような調性的・旋律的な音楽がある一方で、いわゆる「現代音楽」が何故かくも難解な方向に行ってしまったのかという点を疑問に思って来たのだと言う。「しかしタケミツのある一群の作品は、無調だけど難解な気がしないでしょう?」と返すと、それは同感、と。

話しながら改めて思ったのだが、わかりやすさは必ずしも西洋的な音階構造や調性、拍節感などに依存していない。リズムについては言うまでもないことだが、民族的な旋法や音階組織も往々にして、主音の設定がドやラに相当する音以外であったり、全音階とは異なる音程差を持っていたりする。しかし、だからと言ってそれらが「わかりにくい」という訳では全然ない。そうした可能性があるのにもかかわらず、1950年代くらいまでの「現代音楽」は、ひたすら平均律的音階構造とモチーフ/展開型の構成法の内部における普遍性を求めていたのだと思う。それが、そうした価値観の外側にそもそも居た者たち(=我々の多く)にとって、難解でつまらないのは当たり前だろう。

常に思っているのだが、西洋音楽が好ましく逸脱する可能性は、ドビュッシーの中にあったはずだ。だが、歴史上のその時点で、西洋世界はそれを適切に分節化する言語をまだ持っていなかった。

ドビュッシー『前奏曲集 第1巻/第2巻』 Debussy: Preludes, Livre 1 et 2
『映像 第1集/第2集』『版画』ほか "Images" "Estampes" etc.
 Rouvier(Pf) (DENON, 1990)
ルヴィエの演奏というのは、まあ教科書的かな、という感じ。

2/15 Toots Thielemans: "The Brasil Project"
やはり何よりも10分近くに及ぶ"Bluesette"の歌い継ぎが素晴らしい。

最近、"Novo Tempo"を歌おう運動が勃発。何と連れ合い、見向きもしなかったポルトガル語だというのに、この歌詞に限っては覚えようと真剣に取り組んでいる。というわけでこの曲を「われらの凱歌2000」に仮決定。

No novo tempo

新しい時代には

Apesar dos perigos

危険な目に遭いながらも

A gente se encontra

僕らは集う

Cantando na praca

広場で歌い

Fazendo Pirraca

小さな抵抗を繰り返している

Pra sobreviver

生き延びるために


("Novo Tempo" Ivan Lins - Vitor Martins. 訳:國安真奈)



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