聴いた、観た、買った ---淡々と音喰らう日々。

2000.04.16-30

>05.01-15
<04.01-15
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★は借りた新着、☆は新規購入。

今回集中的に論評したディスクなど:
ボアダムズ『スーパーアー』
ソウル・フラワー・ユニオン『カムイ・イピリマ』
スパンク・ハッピー『フリーク・スマイル』


4/16 ミルトン・ナシメント『アンジェルス』Milton Nascimento: "Angelus" (Warner, 1994)、ボカ・リヴリ Boca Livre (MP,B, 1979/Warner, 1998)などを低音量で流しつつ、友人たちをもてな...したかと言うとさほどそうでもなし。私も連れ合いも疲れたまってて、出来合いのものと出前とで済ます。いかに気の措けない友達とはいえ、これはあんまりだったと後から反省することしきり。

4/17 ブラー Blur: "13" (EMI, 1999)
というわけで、これはそろそろ飽きた。

ボアダムズ『スーパーアー』(a.k.a./WEA, 1998)★
お勉強モードではあるのだけれど、以前からどんな音か気になっていた「実験的」ロックユニット。かつてレビューなどで読んだ限りでは、ユニゾンで変拍子とリズムブレイクを延々続ける、みたいなイメージがあったが、この盤ではそういう方向性は希薄。むしろ編集でいびつな歪みとか断続的な流れとかを作り出そうとしているよう。だが聴いていて一番魅力的に思えるのは、そういう「ハサミ」が入っていない部分でのミニマルなリズムの繰り返しの強靱さだったりする。ひょっとして方向性間違ってないか? ブラーもそうなんだけど、バンドユニットが自己の演奏を第三者的視点からの再編集に委ねる場合、委ねっぱなしでは行き詰まるだけではないのか。一方通行。編集者の優位。そうでなくてバンドサウンドへのフィードバックの回路があること。出来ればそれがオーバーヒートしていること。ボアダムズのこれは(ブラーもそうだけど)、惜しくもそこまでは行ってないと思った。 

4/19 日帰りの出張なので、少しCD枚数を多く持って出る。ここんとこ忙しかったせいで、出張もちょっとした解放感。

ソウル・フラワー・ユニオン『カムイ・イピリマ』(Ki/oon Sony, 1993)★
ニューエスト・モデルとメスカリン・ドライブの元メンバーが結成したユニットの1st。スリーブデザインのコンセプトからして土俗的なものの強調、少数民族差別問題へのこだわりが明瞭、その一方で音はと言うと...? 苦手なんだなあこういうの。どぎつい言葉を使えば挑発的になるってもんでもないでしょうに、という言葉の羅列と、言っては悪いがそれにピッタリ歩調の合った「やりっぱなしの」音。だがなぁ、彼らは最近 DeMusik Inter. ならびにインパクション近辺で大きく取り上げられることが多いものだから、あからさまに批判しにくい雰囲気があって、それもヤなんだよなあ。
この違和感というかダメだなあ感、何かに似てるな...と思ったら、そう、「じゃがたら」って私にとってはこうだった。ライブも人に誘われて行ったけど、あんたらお釈迦さんの手のひらで踊ってるしすてむのなかのでぃすこてーくだよん、と思ってひどく醒めてしまったのを思い出した。

ボアダムズ『スーパーアー』
面白いことは面白いけど、これもこのくらい聴けばまあ満足。

V.A. : The Rough Guide "The Music of Japan" (World Music Network, 1999)☆
輸入盤で仕入れたので安かったす。解説も元々英語なんで何とか読めるし。あ、でも曲目と演奏者の日本語表記がわかんないや、どうしよう。
それはともかく、これって結構ヘッドホンで耳元で流すとハードだ。部屋でふわふわ流しているのが丁度いいや。

4/20 ジルベルト・ジル『進化〜ザ・ベリー・ベスト・オブ・ジルベルト・ジル』 Gilberto Gil: A Insuperavel Coletanea de ... (WEA 1997)
いや何てフットワーク軽やかでしなやかでカッコいいんだろうこの人は、と思うなあ。明らかに欧米ポップの音作りの重力圏に入っているのにこのバネの強さというか何というか。ブラジルポップス(MPB)を牽引してきたと称されるのもダテではない。

ソウル・フラワー・ユニオン『カムイ・イピリマ』など聴き直しつつ帰宅すると、連れ合いが古本屋で仕入れてきたという『音の力 沖縄』2部作(DeMusik Inter. 編著、インパクト出版会、1998)が積まれている。執筆者にソウル...の中川敬の名があるのだが、略歴には彼らの必聴盤として『エレクトロ・アジール・バップ』(1996)が挙げられている。てことは、この1stはどう評価されてるんだろうか。実は彼らをプッシュする人たちにさえウケが悪いのか。わからないけどね。

ドリ・カイミ Dori Caymmi: 2 em 1 (EMI, 1980, 1982/1994)
これも引き続きヘヴィロ中。

4/21 ミルトン・ナシメント『出会いと別れ』『ジェライス』 Milton Nascimento: "Encontros e Despedidas" (Mercury, 1985) "Geraes" (EMI-Odeon Brasil, 1976)
他人の持ち歌のカバー、特にブラジルでなくチリのアーチスト(ヴィオレッタ・パラなど)の曲を多く取り上げた『ジェライス』は、以前はどうにもつかみどころのない、焦点の定まらない印象だったが、今聴くとそんなこともない。むしろ、その描写的なアレンジで統一された背景の連なりは、延々とブラジル内陸部の赤茶けた大地を馬車で揺られていくかのような感覚をもたらしてくれる。土地の記憶、土地の歴史、それらを横断すること、ロードムービー。縦糸と横糸。

上司の送別会のあと、酔ったアタマでセルタォンの荒野を旅する。

4/23 相変わらず日曜朝の子供番組ウォッチングだが、『仮面ライダークウガ』は妙な番組だ。映像が妙に高品質で陰影に凝ってたり、悪役集団が訳のわからない言語を「ガグザザ、ゼゾエゴゼ」とか喋っててしかも字幕すら付かなかったり、1話ごとに完結というか解決しないし。小学校低学年くらいの子供がついて行けてるとはちょっと思えない。で親たちゃ楽しんでるんだが。

ラヴェル『マ・メール・ロワ』他 デュトワ/モントリオール響 Ravel: "Ma Mere l'Oye" et al. Charled Dutoit cond. Orchestre Symphonique de Montreal (Decca, 1983-84/1990)
掲示板でラヴェルの話になったのだが、この曲についてはこれ↑では想像もつかないようなすごい演奏があるらしいとか(チェリビダッケ/ロンドン響のライブ)、ピアノ連弾用のオリジナル版がいいとか、貴重な話をたくさん聞けた。深謝。ちなみにこの盤は演奏が流れてしまって焦点が合わない。デュトワはやはりジャズかスペイン入ったものでないと、どうもしっくり来ない。

4/24 Milton Nascimento: "Geraes" で揺られつつ月曜の仕事へ。

スパンク・ハッピー『フリーク・スマイル』(東芝EMI, 1995)★
菊池成孔による、女性ボーカルを擁したポップソング・ユニット。素晴らしすぎ。
音的にはある部分、同時期のピチカート・ファイヴを思わせなくもないが、どこかそれと通じ合う生まれながらのカナシミを、しかしクラブシーンには完全に背を向けてアウトドア的開放感でぶっ放す怪作。テナーやバリトンはおろか、アルトやソプラノをリリカルに吹いてまで「サックスはリズム楽器である(!)」ことに徹しようとしているかのような成孔、カッコよすぎ。

いやしかし、この盤の主役は彼のサックスではなく、グルーヴそのもの、というか(実際、成孔は好んで"GROOVE"という語を使うが)。ポリリズム的に3/4拍子とシャッフルをぶつけたり、ツインドラムが互いに補完的なリズムを叩き続けたりと酔うようなグルーヴのオンパレード。きちっとした8分音符割りのキャッチーな歌でさえ、その辺の緻密な仕掛けは手を抜かない。

で、これだけ丁寧に作ってあるのに、何というか笑わせてくれるのである。切り換えの妙というか、絶妙なハズシというか、「おぉ、そこまでやるかい」とのけぞるような、こちらの予想を常にスレスレで超えていく悪ノリの数々。グルーヴとは微笑ませる力のこと、なのかも知れない。

4/25 同上。しかしこのオビの文句、なあ...。「もはや、笑うしかない。」ってあーた、モダチョキやウルフルズじゃあるまいし。そういう「笑わせる力」とは違うってば。スタッフに売る気あったんか?

4/26 同上。追伸:歌詞がいい。どのくらい良いかというと、矢野顕子"Go Girl"くらい。おもに10代後半〜20代女性の一人称で書かれてはいるものの、これは全ての人のことだと思う。かなしみに貫かれた強靱さに陽が差し、風が吹き抜ける。

4/27 同上。ラスト、「さよならとオルガン(とタイコ)」は、ソプラノサックスのリリカルなソロといい、ディアトニックな意味で整然としたコード進行に乗せた跳躍の多いメロディといい、Flavio & Toninhoを彷彿とさせるが、彼らのさりげなさとは違って切なく張り裂けるように響くのは、ボーカルスタイルとリズムセクションによるところが大きい。つまり、って結論めいてどうするって気もするが、旋律と和声に基づいた音楽分析は一面的なものであることがここで証明されている。って大袈裟? でもホントにこのトラックはすごいよ。

4/28 フラヴィオ・ヴェントゥリーニ&トニーニョ・オルタ Flavio Venturini e Toninho Horta (DubasMusica, 1989)
スパンクスぶっ飛ばしてテンション上げて仕事した連休前だが、その最終日くらいはクールダウン?と思って毛色を変えてみた。が...ああだめだだめだ、リラックスするうちに目の前に仕事の山があああ。
ええい、後は野となれ山となれ。有害廃棄物の山にはならない程度に片付けて職場を辞す。

スパンク・ハッピー『フリーク・スマイル』
T-11「80年代 」のなかの歌詞で「いっそ 整形でもして」ってところ、聴くたびに喜納昌吉&チャンプルーズ「ハイサイおじさん」の「我んにん整形しみやーみ、あまくまカンパチ植いゆがや」ってところを連想してしまう。それだけ「整形」なんてコトバが出て来る歌詞が珍しいってことだろうが、当然この両者が抱える文脈は互いに全く異質だ。整形が軽いモノとなった90年代の東京と、「整形して、おじさんみたいなカンパチ(=禿げ)をたくさん作ろかな」と言う若者のセリフが(多分)年長者を尊重する社会に根ざしていた70年前後の沖縄と。

4/29 スパンクス返したらもぬけの殻。棚ぼたの9連休(5/2が公休なんてこと会社は滅多にしないのだ)の初日だというのに、あまりCD聴かなかったなあ。子供連れて近所でやってた「ふれあい動物広場」に出掛けたり。20数年ぶりにヒヨコを手に乗せたら気持ち良かった。息子はヤギとヒツジにそこらに生えてるクローバーを食わせて喜ぶ。ところでこの2匹、始終ガン飛ばし合ってたんだが、ヤギとヒツジってそういう仲なのか? 「山羊羊の仲」。って字面がヘン(語呂も)。

夕方、パーティー料理がドカ余りゆえに来ないかと友人から誘いあり、ワイン1本提げて自転車で15分、のったりとお出かけ。料理はもちろん、何と直径30 cmのバースデーケーキが半分以上残っており、たんまりとご馳走になる。というか、これ私が切ってみたのだが、大きさの感覚がくるってしまい、いくら小さく切ったつもりでも皿に載せてみると「やっぱりデカい」。しかも生クリーム&スポンジ超美味くて感激。TFMの「ゴンチチの快適音楽セレクション」を低く流しつつ。

4/30 連休2日目、ようやく家事&片づけモードに気分は突入してるんだが、子供がひっかき回すゆえ思うようにはかどらず。で、

ロス・デル・リオ『Shall We マカレナ?』 Los Del Rio: "Fiesta Macarena" (RCA/BMG, 1996)
喜納昌吉&チャンプルーズ(徳間ジャパン, 1977/1989)
など、おきまりの気合い入れ音楽でネジ捲いてみる。しかし邦題最高だなあマカレナ。

アイス・キューブ『略奪者』 Ice Cube: "The Predator" (Priority, 1992)
さる事情があって、普段ほとんど聴かないヒップホップを借りて来たのだが、これはもっと早く聴いておくべきだった。いずれ購入して歌詞ともじっくり向き合いたい。白人社会に対する痛烈な皮肉を込めた「謝辞」がイカす。

クィンシー・ジョーンズ『バック・オン・ザ・ブロック』 Quincy Jones "Back On The Block" (Qwest/Warner, 1989)
Ice Cubeではなく、のちに"Cop Killer" で物議をかもした(って伝聞なんで詳細知らないんだけど)Ice-Tがラップで参加している。オールドスクール・ヒップホップの一つのサウンド的終着点か。

ハイポジ『身体と歌だけの関係』(Biosphere, 1994/Kitty, 1995)
衣替えなどに精を出しつつ。「歌だけがのこる」、いいねえやっぱり。

ジプシーキングス『ジョビ・ジョバ』 Gipsykings: "Djobi, Djoba" (Philips, 1982, 1983/1988)

Dori Caymmi: 2 em 1 (EMI, 1980, 1982/1994)
一日のクールダウン。連休前半の中締め。



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