聴いた、観た、買った ---淡々と音喰らう日々。

1999.06.01-15

>06.16-30
<05.16-31
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★は借りた新着、☆は新規購入。


6/1 4日も休んでると日常に戻るのが非常にきつい。疲れそうなのでDiscmanを持たずに出る。抜き足差し足のリスタートである。

6/2 ミルトン・ナシメント『出会いと別れ』

6/3 カルリーニョス・ブラウン『オムレツ・マン』
エリス・レジーナ『或る女』
(1979)☆
タイトル曲はジョイスの出世作、他にジョアン・ボスコの代表作「酔っ払いと綱渡り芸人」も収録という盛り沢山、彼女の代表作の一つと言っていいらしい。以前聴いたベスト盤では時代が散らばっていたせいか、色褪せた大衆歌謡といったステレオタイプなイメージしか持ち得なかったのだが、これはかなり違う。パンチの効いた歌唱は、単にそれまでのボサノヴァ〜MPBの主流的な歌唱法(いわば風のようなとでも言うべきあの、さりげない歌い方)に対する相対的な強さではなく、むしろジャズ/スタンダードの世界標準の中で突出した強度を見せている。しかもジャズの人にはサンバをこんなに粋にしかもワイルドには唄えないだろう。よってエリスが一枚上手。また、古いスタイルのものからコンテンポラリーな作家の意欲作まで幅広くこなす芸域の広さは、声質のせいもあってか美空ひばりを思わせなくもなし。

6/4 エルメート・パスコアール『神々の祭り』
『ロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オヴ・フレンズ』
(1967)☆
ご存知定番アイテムなのだが、実はニコルズについては優れたライターといった認識以上のものは持っておらず、カーペンターズで知られる代表曲+αで満足していたのだった。なので今頃思い出したように買っている。うーんさすがである。カーペンターズの"I Kept On Loving You"あたりにはこの頃のフレーバーが反映されている気がする。しかしバカラックのような人を喰った意外性や荒技は無し。そこの違いが自分にとっては大きい。

ふへえええ、まだ聴いていない新着が数枚ある。しあわせ〜。

6/5 山下達郎『僕の中の少年』(1988)☆
テープには落としてあったが、スリーブのアートワークも渋いのでそのうち買おうと思っていた1枚。タツローといえばコレ。他は聴く必要なし、とまでは言わないものの。中でもタイトル曲。矢野顕子の "Children In The Summer" (『Love Is Here』収録)とセットで聴くとなお良いか。あるいは「真夏の午後を通り過ぎ/闇を背負ってしまった」と唄ったスガシカオか。

6/6 アントニオ・カルロス・ジョビン『トム』
何でMIDIレコードから出ているのか、1960年代前半にエレンコ・レーベルからジョビン自身が出したインスト2枚+自唱4曲のコンピレーション。これとか、あるいは『波』(1968)のような、究極のイージー・リスニングとしてのジョビンを聴いていると、実は彼にとってボサノヴァなんてどうでも良かったんじゃないか、といった考えにおそわれる。ジョビンは優れたコンポーザー・ソングライターになりたかっただけであって---彼が遺作『アントニオ・ブラジレイロ』(1994)中の2曲でハダメス・ジナタリへのオマージュを表しているように---、ジョアン・ジルベルトのヴィオラォン(ガットギター)のバチーダ(ビート)には内心、さしたる関心を払っていなかったのではないかという気がするのだ。更に後の『ストーン・フラワー』(1970)や『パッサリン』(1987)などの内省的な作品を聴くと益々そんな気になってくる。

とか言いつつ、実は近々一時帰国するあるのとのボサノヴァ・セッション(まあ遊びですが)を予定しているので、その予習だったりする。あー、覚えらんないよー「メディテーション(メジタサォン)」。

6/7 『ロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オヴ・フレンズ』
確かにT-1「ドント・テイク・ユア・タイム」は頭の中を回り続ける、いい意味で。こんな感覚は久し振り。

エドゥ・ロボ『エドゥの大罪』(1993)★
エドゥ10年振りの自分名義の作品。しかも、ひょっとしてこの後も出てないんでは...。確固とした個性が知れ渡っている大御所の割には寡作。初めてまとまって聴いたが、自分にとっての「ブラジルの平均値」は実はこの辺らしい。和声的にもリズム的にも。あとトッキーニョあたりがそうか。結構好きなんだが、この辺のテイストは「ブラジルの記号」として随分消費されてきた感もあり、何か素直になれない。でもカッコいいから聴くけど。

6/8 エドゥ・ロボ『エドゥの大罪』
プロディジー『ファット・オヴ・ザ・ランド』(1997)★
ここをお読みの方はご存知のとおりのコンテンポラリー音痴の私なので、確認のために聴く。別に認識に間違いがないことを確認。しかしケミカル兄弟との区別が難しいなあ。敢えて言えばケミカルはテクノ入ってるけどこっちは「俺はロックだぜ」ってとこか。うーん好きでも嫌いでもない音楽。

ジョニ・ミッチェル『ナイト・ライド・ホーム』(1991) ☆
裏ベスト『mis s es』を聴いてから、『逃避行』などと並んで是非手に入れたいと思っていた1枚。期待を裏切らぬ充実度。単にヴォーカルものとしてではない上質の音。音作り曲作りなど含めて。

6/9 ミルトン・ナシメント『アンジェルス』(1994)★
ウェイン・ショーター、ジョン・アンダーソン、ジェームズ・テイラー、パット・メセニー、ハービー・ハンコック(...以下まだまだ続く)という非ブラジル圏からのゲストの豪華さは半端ではないが、しかし彼らの誰もが、ミルトンのメロディと声の抑揚に寄り添うような、控えめで親密な共演をしているのがとにかく素晴らしい。「クルビ・ダ・エスキーナNo.2」や「ヴェラ・クルス」のせつない名演に泣きそうになる。トシですか、やっぱ。

6/11 電気グルーヴ『A(エース)』(1997)☆
うええ、あの「シャングリラ」から2年も経ってしまったとは。こりゃ気がつきゃ定年かも。自分を含め誰も勤め上げるとは思ってなかった私の就職だが、この調子だと行けるか。

フィッシュマンズ『宇宙 日本 世田谷』(1997)★
実にうかつとしか言いようがない。フィッシュマンズを今一つ掴みかねているうちに、リーダーの佐藤伸治が亡くなってしまった(3月)。聞けば私と同い年だとか。早すぎる。しかしいろんな人が彼への惜別の辞をつづるのを目にして、改めてこれは聴かなければと思った。それでようやくこれを手にしたわけだった。
以前聴いた『空中キャンプ』の印象と同じだったのは、今一つ私としては苦手なヴォーカルスタイルだけであって、その他の要素全ては、そのヴォーカルに寄り添い、理解し、包み込むように精緻に配置されている。そしてその中心に、歌詞と歌唱とともにあるのは「しなやかな弱さ」とでも言うべき強固な、頑なな意志だ。これだ、これだったのだ、皆がフィッシュマンズに聴いていたものは。
そして、この「しなやかな弱さ」を聴きながら、以前『空中キャンプ』を聴いたとき何がそんなにいけなかったのか、と自分を問うのだ。弱さを直視するのはとても厳しいことだ。疲れたり辛かったり。だが、彼は、佐藤伸治は徹底的にそこにこだわり、そこから出発しているように思える(「でもやっぱりそんなのウソさ/(中略)ぼくはいつまでも何もできないだろう」『In The Flight』)。それがこのように繊細な音楽に結実し、今目の前の景色の見え方すら変えようとしている。前に彼らの音楽を聴いたとき、自分は強がっていたのだろうか。こんなもの関係ない、と。
いや、彼らの音楽は全ての人に関係があることなのだ、たとえ気が付かなくても。今はそう言いたい。そして佐藤の死を惜しむ。

6/12 『ロジャー・ニコルズ&ザ・スモール・サークル・オヴ・フレンズ』
カルリーニョス・ブラウン『バイーアの空の下で』
(1996)
今聴くと、良くも悪くも生真面目な作品ではある。アートワーク面も結構遊んでるんだけど、「前衛やるぞっていう気負い」(ものの譬えだが)みたいなものが感じられる。それともう一つ、これが出た当時と世界のマーケットは随分変わってしまったみたいだなあ、ということ。もはや普通の音の一つなのだ、この強烈にバイーアを押し出したリズム隊は。だからこそ、第2作で彼は通俗的な意味でのポップに内在化してそこでヘンなことやらかそう、というポジションに移ったのかも知れない。だとすると『オムレツ・マン』恐るべし。

6/13 エドゥ・ロボ『エドゥの大罪』
家人の両親と浅草へ。久しぶりの仲見世だが、毎日が祭りの街、いいなあ。ここで耳にした今日の至言:「あたし今日浅草だから、ミニスカートはいて来ちゃった。」そこそこお歳を召したご婦人の言である。友人とおぼしき女性数人で闊歩しながら。聞いててこっちもウキウキしてくるではないか。大ヒット。

6/14 フィッシュマンズ『宇宙 日本 世田谷』
日が長くなった。まだ暗くならない小雨の空を電車から眺めるとき、T-7「ウォーク・イン・ザ・リズム」は明らかに視界を透き通らせ、時計の針を遅くしている。

6/15 トゥーツ・シールマンス『ブラジル・プロジェクト Vol. 2』(1993)☆
ハーモニカの名手トゥーツおじさん(セサミストリートのテーマ曲で世界的に有名)のブラジル曲集第2弾。950 円ならお得でしょう、と思って買ったが、予想以上の豊作。原則として全てのトラックで作者が客演、というのが功を奏したか。MPBのカタログ代わりとして買ったのだが、イヴァン・リンスといいカエターノ・ヴェローゾといい、自分名義顔負けの熱演を聴かせて圧巻である。トゥーツおじさんも負けじと渋いフレーズを繰り出す。それから、ルイス・ボンファ自ら奏でる「オルフェのサンバ」の快演が収穫。口笛で応えるトゥーツおじさんと、控えめながら見事なアドリブを決めるキーボードのジルソン・ペランゼッタも素晴らしい。

個人的に予想外の発見は、ドリ・カイミ。バイーアの重鎮ドリヴァルの子供の一人だが、ものの本によればオヤッサンとはかなり違って、ミナス一派と近く、内省的な雰囲気の曲が多いらしい。ここに入っていた「オブセッション」もそんな色合いを帯びた、物悲しげな美しい曲。



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