年末特別企画
今年よく聴いたなあベスト10・1998


何ともダレたタイトルで恐縮である。あまり真剣に選ぶ余裕がないので、こういうあいまいな表現にしておくのである。おまけに、図書館頼みの日々なもんだから、気に入って買ったのすら今年のはほとんどない有様。レビューとかやってていいのか。

 

矢野顕子「ウィウィ」Akiko Yano: Oui Oui (1997)

どうも世間には「やすらぎ系」と思われがちなようだが、それはどうだか。なだめるような歌詞、なだめるようなメロディでも、そのあとにポッカリと穴があいた気になるのは、彼女が問いを残したままにしているからだ。

遠くへ連れてこられた気になる、そういう歌はやすらぎを与えない。直面させるのだ、呆然とするような現実に。

今年はそう言えば「LOVE LIFE」(1991) もよく聴いたが、ここは1アーチスト1枚ということで次点に。


フリートウッド・マック「ザ・ダンス」Fleetwood Mac: The Dance (1997)

再結成ライブの録音。ポップスに目覚めたときには解散寸前だったので、初めてまともに接したことになる。彼らにあって、カントリーはカントリーでなく、ロックはロックでない。それは全て宙づりにされ、聴く者にクエスチョン・マークを残さずにはおかない。こういうのを「クリスタル」とかいう言葉でレッテル貼りした人の気が知れん。アメリカ中西部的なるものの良心的な一隅を占める偉大なバンド。


イヴァン・リンス「ノーヴォ・テンポ(新しい時)」Ivan Lins: Novo Tempo (1980)

この後くらいから、イヴァンの書く曲は当たり外れが激しくなっていく。それがクィンシー・ジョーンズに見いだされるのとほぼ軌を一にしているのが、何だか哀しい。クィンシーはまたそれはそれで好きなんだけど。これはやっぱりメジャー化の典型的な弊害なんだろうか。

話を戻す。ともかくこのアルバム、特にタイトル曲のメロディと詩に込められた切なる希望はいつ聴いても胸を打たずにはおかない。やはり、イヴァンは今世紀後半最高のメロディ・メーカーである、という判断はキープしよう。カエターノ・ヴェローゾの書いた「僕のさすらう心」meu coracao vagabundo も泣かせる名演。


トニーニョ・オルタ「ムーンストーン」Toninho Horta: Moonstone (1989)

出だしの曲から最後までほぼ一貫してひんやりした肌触りは、この1つ前の「ダイヤモンド・ランド」の持つ熱っぽさとは好対照を成す。どうやら内心ブラジル音楽に「暖かみ」を求めていたらしい自分にとっては、新鮮な衝撃だった。以来、どんな理由であれ気持ちをクールダウンしたい時には欠かせない1枚。自然と冷静に自分と向き合うフェイズが出来上がるような。


ザ・ブーム「フェイスレス・マン」The BOOM: Faceless Man (1993)

「いいあんべぇ」と「真夏の奇蹟」が好きでよく聴いた。私には、ブームに癒しを求めて聴いてる人がいるらしいという噂が信じられない。まあ確かにしれっと希望を唄っちゃったりすることがあるのだが、ファンはそういう曲だけ選んで聴いている訳でもないだろうし。これはそのうちちゃんと書きます。


パット・メセニー・グループ「スティル・ライフ」Pat Metheny Group: Still Life (Talking) (1987)

去年出た新作も暫く聴いていたが、今年の半ばあたりからこっちのモードに。どういう人がこれをニューエイジと一緒にしてるんだろうなあ。1曲目「ミヌワノ」のイントロ部分の、どうにも心が騒ぐ感じは、そういうものとはきっかり一線を画している証拠だと思うが。矢野の「ウィウィ」ともども、遠く遠くへ連れて行かれてしまう音楽。


ジャチント・シェルシ「ウアクサクタム」「アナイ」他 Scelsi: Uaxuctum, Anahit, et al. (Accord, 1989)

今年半ば、野々村氏の「現代音楽を聴く100組」から気になるものを何組か購入してみた。どれも非常に面白いものだったが、特にこのシェルシのオーケストラ作品2曲は全く比較の対象がない、前人未踏の音楽だった。それまで唯一聴いたことのあるシェルシ作品(ソロ歌唱用)で感じた、とりつく島のない感触とは全く違っていて、それも驚きだった。

音楽というと、音と音との組み合わせ、関係、あるいは音や音色のチョイスということから発想されたものがほとんどだが、これらシェルシ作品は、ただ一つの音の「響き」そのものの中に深く沈み込み、その中に隠された豊かさ、あるいは多様性とでも言うべきものを解き放つ。その結果として様々な楽器が、音程が鳴り響くが、それはいわば「響きの地下水脈」を通じて共鳴し合う、音の豊かさそのもののような音だ。もう一歩でオカルトという線ではあるかもしれないが、その一線で踏み止まっている奇蹟の音楽。


ジェームズ・テニー「ブリッジ」「フロッキング」 Tenney: Bridge & Flocking (Hat Hut, 1996)

これは、野々村氏推薦盤がCD屋にはなくて、とりあえず買ってみたもの。「知的な音楽」はあまり褒め言葉にならないことが多いが、ことテニーのこれらの作品については、徹底して知的な音楽の持つ凄さを見せつけられる気がする。平均律でなく、整数倍の倍音関係によって、2通りの別々の調律を施された2台のピアノが奏でる音と余韻(と余白?)は、不思議なくらい聴く者の意識を研ぎ澄ましていく(「ブリッジ」)。純正律が心地よいとかなんとか、音楽はそんな単純なものじゃない、ということを改めて知らしめてもくれる。


ソフィア・グバイドゥーリナ「いまだ祭りは高らかに〜チェロとオーケストラのための」他 Gubaidulina: "And: the feast is in full progress", et al. (Col Legno, 1995)

以前コンサートで聴いて大感激したものの、新しすぎてCD化されておらず、昨年暮れあたりに確か購入。彼女の他の作品では(「オッフェルトリウム」など)あまり感心した記憶がないが、これは渾身の一作と言っていいのでは。チェンバロや弦が交互に、不規則に散りばめるモチーフ音型(散発的なオスティナート、とでもいうような)を縫いながら、緊張感を高めていく救いのない狂乱は、今聴ける最も凄味のある音楽の一つだと思う。併録のチェロ独奏のための小品集も、楽器の語り口を巧く活かしていて楽しい。


ケイト・ブッシュ「ハウンズ・オヴ・ラヴ」Kate Bush: Hounds of Love (1985)

何故か2年に1度くらい、このアルバムを集中的に聴く時期がある。今年の夏前あたりにその周期が来た。しかし色褪せないもんだ。確かに技術的には、サンプリング音が今聴くとショボかったりとかあるのだが、そういうのを巧みに使うと言うよりは「モノともしない」鬼気迫る音の世界。ここ数年、個人的ランキングで不動のNo.1。未聴の方は食わず嫌いせず是非お試しを。

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《番外編》

たのしいどうよう ベスト50 (日本コロムビア, 1995)
すくすくどうよう 2〜4才児向 (日本コロムビア, 1987)
Walt Disney Children's Favorite Songs Vol. 1-4 (BuenaVista)

逃げも隠れもしません。今年当家で最もヘヴィローテーションだったのはこれらの童謡ディスクです。さすがにかなり飽きたけど、まあ珠玉の名曲もそこそこあるし、結構アレンジに意外な仕掛けとか素っ頓狂な音作りとかあって、暫くの間ハマッてました。そのうち「童謡批評宣言」しようかな。何か面白いネタあったらメール下さい。待ってます。

 



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