■ひびきヶ原駅第2展示室

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民営化後の東海道本線の臨時列車(1988年以降の機関車牽引列車)
19.12.26 団体臨時列車編を分割の上整理、古い記述を修正

●機関車牽引の臨時列車が6本!(1988.4.17)

1987年、小学校の先生が担任した当時と同じ年齢になったのを記念して第1回クラス会を企画していたところ、11月に転勤になってしまいました。打ち合わせのために帰って来るのはたいへんになりましたが、もう1つ年を取ってからでは意義が薄れると、翌年4月、実行に移しました。
 開催日を4.16に決定後、その翌日は当時住んでいた関東で未撮影だった列車が2本走り、「やられた!」と思いました。しかし、郷里の友人に聞くと、東海道線では6本もの臨時列車が計画されていました。

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EF6562+211系甲種
民営化後、JR他社を通過する新車は甲種輸送された。JR東日本東北高崎線向け211系の輸送。

国鉄時代は自力運転であった新車回送は分割民営化後はJR貨物担当の甲種鉄道車両輸送となりました。写真はJR東日本、東北・高崎線向けの211系ですが、尾灯やメーカー添乗員用照明の電源確保?のためか、1両がパンタグラフを上げているのは、民営化初期の頃の特徴です。

EF651120+14系15形寝台車
九州地区からの創臨は14系15形寝台車を使用していた。

創価学会の団体列車、いわゆる創臨のうち、九州地区からのものは1970年代は12系でしたが、その後20系寝台車を経て14系15形寝台車を使用するようになりました。長らく上り7112、下り7111列車でしたが、14系化された時点でダイヤ上は特急となりました。
 EF65PFのブルートレインは珍しくなかった時代で、ヘッドマークがないだけ格落ちした感じがしました。

EF65105+「JR1周年記念号」
JR発足1周年を記念した日本1週ツーアーのアンカーを務めた「ユーロライナー」。

1988.4.1にJR発足1周年となったことを記念し、各社のジョイフルトレインを乗り継いで日本1周するツアーが企画されました。牽引機には各社のコーポレートカラーで「1」を表示したヘッドマークが掲げられ、当時ファンの間では「1円玉」と呼ばれていました。長旅のアンカーは「ユーロライナー」。「1」の色はオレンジ色です。

EF65PF+「ふれあいみちのく」
中部ではなかなか見る機会が少ない「ふれあいみちのく」もやってきた。

JR東日本盛岡支社に配属されていた12系お座敷客車「ふれあいみちのく」はなかなかJR東海管内まで入ってきませんでしたが、他の臨時列車と同じ日にやってきて彩りを添えてくれました。この日はさらに関西地区まで下っていったと記憶しています。
 短時間に5本もの臨時列車が撮影できる「大漁」でした。

EF6525+キハ35系甲種
国鉄清算事業団保有のキハ35は数回にわたって関東鉄道に大量売却された。

午前中の5本のあとは夕方に1本の臨時列車が設定されていました。
 三重地区では国鉄からJRに引き継がれることなく清算事業団の保有となっていたキハ35系があり(*1)、それを関東鉄道が自社車両の体質改善と統一を目的として大量に購入しました。その甲種輸送が数回にわたって実施されました。

甲種輸送されるキハ35系
まだ使えるキハ35系が活用されたのはよかったが、その結果、関東鉄道の個性的な旧形気動車がほとんど淘汰されてしまった。

長らく雨ざらしになっていたため塗装の色あせは目立ちますが、10両もの長大編成になるとなかなか壮観です。耐用年数にはまだ余裕のあるキハ35系が有効活用されたのは何よりでしたが、関鉄の個性的な気動車達が一掃されてしまったのは寂しいことでした。
 このとき輸送されたキハ35系の一部は冷房改造やエンジンの換装を受け、長く活躍しました。


6本のうちの1本はワム80000の臨時貨物列車でしたが、せっかく試験塗装機EF651065が牽いてきたのに、カラーはフィルムの巻き忘れ、モノクロは何かレンズを遮るものがあり、大失敗をしてしまいました。関東で取り逃がした列車はその後撮影できましたので、結果的にはラッキーでした。
 クラス会はなかなかの盛況でしたが、女子の出席者が全員既婚者(または婚約中)とは驚きました。先生が後日、毎日発行だった学級通信の増刊号を当時のままのガリ版刷りで発行して下さったことも思い出です。


(*1)複数の情報を混同して長らく九州地区のキハ35系と勘違いをしていましたが、相互リンク先「DISCOVER→JAPAN」画像掲示板で紀勢本線を走った同系輸送の模様がアップされたのをきっかけにして亀山に留置されていたものであることがわかりました。ネットの威力を知ると共に、長年の誤解を解くことができたことに感謝している次第です。


EF6019+「アメリカントレイン」
沖縄を含めた全国を巡業したパビリオン列車「アメリカントレイン」。

アメリカントレインが碧海エリアを走る当日はド平日でしたが、この頃は変則勤務による時差出勤で、一枚撮って出社するには丁度良い時間でした。
 アメトレの殆どは無動力で、頭にEF65PFが付いて牽引していたように記憶しています。唯一、この地域で昼間の自走牽引がこのカットだったように思います。

写真、文: ドクターY様
EF651122+オリエント急行
東海道線を快走する「オリエント急行」。

アメリカントレインと同時期に運行された列車で忘れてはならないのが「オリエント急行」です。約2ヶ月にわたって北海道から九州まで各地で運行されましたが、追い掛けていたのでは切りがないので、週末撮影できる列車を迎えるにとどめました。写真の列車は土曜休日では唯一東海道線内を日中に運行された列車です。

EF651118+14系
14系客車を牽引してゆっくり通過したEF651118

名鉄三河線にパノラマDXが入線する日、奇しくもその約20分前に刈谷を通過する14系の回送列車をEF651118が牽引することがわかりました。前から噂はありましたが、当日の早朝、関東の方が目撃情報を掲示板に書き込んで下さったのを見て、安心して大阪を出られたのです。
 無事に撮影したあとは片づけを急ぎ、パノラマDXを撮影するため移動しました。

●謝辞

貴重な写真を提供いただきましたドクターYさんにお礼申し上げます。また、当方が記録を逃してしまった88.4.16の列車番号は地道に記録活動を続ける早川幸宏氏にご教示いただきました。記してお礼申し上げます。(02.9.7)

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第1展示室(民営化後の東海道本線の臨時列車-2000年以降の甲種輸送編その1)

第1a展示室(2000年以降の臨貨、甲種輸送編その2)

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