■ひびきヶ原塚駅第5展示室

民営化後の東海道本線の臨時列車(営業臨時列車電車・気動車編)
20.05.03 大垣夜行救済臨を追加

●各種団体臨時列車、多客臨時列車(名称なし)

国鉄の分割民営化から30年以上が経過し、国鉄時代のままの姿で碧海エリアに姿を見せる列車は終焉近しという状況です。第4展示室が肥大化してきましたので整理を行い、当展示室では営業運転を行う列車=団体臨時列車(回送を含む)と一般乗車可能の臨時列車を扱い、非営業列車は新第5展示室へ移行します。(19.12.26)

●大垣夜行救済臨時列車

東京発大垣行の夜行電車は青春18きっぷシーズンやゴールデンウイークにたいへんな混雑となり、特に下り列車は東京駅から着席はおろか、ひどいときには立ちっぱなしを強いられることすらありました。格安切符利用者が多いとは言え、深夜に長時間立ちっぱなしではさすがにまずいということになったのでしょう。定期の375M、372Mに概ね並行するようなダイヤで臨時列車が増発されました。
 列車番号は定期列車+9000となっていました。使用車両は東日本の167系、東海の165系がよく使用されましたが、新前橋の通称モントレー色の165系や113系の使用実績もあります。
 大垣夜行は奥が深く、書き始めれば文章がどんどん長くなってしまいますが、能動的な意識で撮ったことはありません。しっかり記録できたとは言えないのが正直なところです。碧海地区では日ごろ見られなかった東日本の電車2種類を掲載します。(20.5.3)

(注) 拡大画像はJava Script を使用しています。セキュリティーの設定次第では正常に動作しないことがあります。
167系アコモ改善車new
珍しかった167系アコモ改善車による救済臨

1990.3.17、紀勢線〜関西線で「パノラマライナーサザンクロス」が運転されました。それを撮影するため、前日の3.16、帰宅後準備をして、大垣夜行375Mの列に並びました。市販の時刻表ではこの日の増発はありませんでした。しかし、167系のアコモ改善車が入線して来て、大垣夜行救済臨であることがわかりました。既に定期列車に着席していましたが、一緒になった鉄友と一緒に臨時のほうに移動しました。
 運転が余り知られていなかったせいか、ゆったり座ることができました。
 アコモ車は座席数が少ないため、救済臨に使われた実績が少ないのだそうです。

169系三鷹色new
湘南色の167系8連+三鷹色169系3連

お盆で帰省中の2000.8.16、この日は臨時特急「あさかぜ82号」を目的に早朝から沿線に出ていました。(掲載は機会を改めます)待っていると、大垣夜行救済臨が下って行きました。おそらく意識はしていなかったと思いますが、後ろ側が169系の三鷹色で、撮れたのはラッキーだったと思います。
 定期の大垣夜行は373系の「ムーンライトながら」で、救済臨と格差があった時代です。さらにこの後を追い掛けるように167系アコモ改善車8連の甲子園臨も通過。上りのブルトレ「富士」も入れると僅か20分くらいの間に撮り甲斐のある列車が5本も通過しました。

お座敷電車「宴」
大垣へ回送される485系お座敷電車「宴」

2011.11には東日本のお座敷電車「華」が来ました。そして、2012年も同様の時期にお座敷電車がやって来ました。今回は同じ小山所属(その後高崎へ転属)の「宴」です。
 2019年4月、長野車両センターへ廃車回送され、姿を消しました。東日本に出掛けると、主目的の列車の前後にしばしば現れた思い出深い電車です。

お座敷電車「華」
大垣へ回送される485系お座敷電車「華」

本記事を記した2011年、毎年恒例であった旧あずさ色の183系、「やまなみ」、683系の富士宮行団臨はいずれも来なくなっていました。他社からの団臨は極端に減少し、たいへん寂しい状況になりました。そんな中、豊橋までの団体客を乗せて来た485系お座敷電車「華」が大垣車両区で停泊し、碧海エリアでも見ることができました。幸いにも好天に恵まれ、また、週末の運転であったため、多くのファンが撮影を楽しんでいました。

Train117(1)
Train117による豊川稲荷&舘山寺温泉ツアーの団臨

JR東海では久しぶりのジョイフルトレインである「Train117」。廃車が始まった117系の改造車ですが、できてみるとちょっとがっかり。最低限の予算しか付けてもらえなかったことが感じ取れます。その後、モハ2両に改められたものの、両先頭車の塗装が117系のままなのはいかにも中途半端。座席も種車のものの再利用です。
 これでも現場の方々の努力でやっとできたものに違いありません。リニアに莫大な投資をしているのですから、ほんの少しでも回してもらうことができたならば・・・。

Train117(2)
全車が特別塗装に改められたTrain117

リニアの予算を回してもらったわけではないでしょうが、2011年3月に両先頭車も塗装が改められ、やっとジョイフルトレインらしくなりました。デビュー当時はウインディースペース車だけであったものが、後にもう1両のモハが改装。そして、さらに両先頭車にも施工されました。両端のクハが在来塗装のままだったのは、ATS-PTを装備したものに差し替える予定があったためだったとのことです。追加改装作業は豊橋運輸区で行われた模様です。
 写真は飯田線「駒ヶ根トレイン」での運用を終え、「水都大垣トレイン」に使用するため大垣への回送シーンです。

683系来碧
今回はしらさぎ用683系が使用された富士宮−北陸方面の団臨

北陸方面から富士宮へ向かう宗教臨が年に数回運転されていました。主に489系ボンネット車編成が使用される貴重な列車でした。しかし、2006.6.23から25日にかけての運転では初めて683系「しらさぎ」の基本編成が充当されました。静岡支社管内では事前に訓練運転が行われたとのことですが、中京地区では「しらさぎ」を運転する乗務員がいるので訓練は不要だったのでしょうか。

年末年始恒例「やまなみ」
このところ年末年始の恒例となった「やまなみ」。

年末年始にJR東日本高崎支社から京都へ向かう団臨は「やすらぎ」の頃からの恒例になっています。電車化された後も毎年「やまなみ」で運転され、ささやかなお年玉になっています。記憶の限りでは毎回「やまなみ」ですが、「せせらぎ」も見てみたいものです。
 「せせらぎ」、「やまなみ」中間車は新リゾートトレイン「やまどり」に再改造されました。余剰となった「やまなみ」の先頭車も盛岡地区で再活用されますが、碧海エリアへ来る可能性はまずなくなったのは寂しいところです。

欧風電車「ゆう」
和式に改造後は滅多に来ない電車になってしまった欧風電車「ゆう」。

民営化後は格段に減ったとはいえ、JR東日本のジョイフル電車も時々ながら姿を見せます。平日の運転が多く、撮れたものは少ないのですが、水戸支社の485系「ゆう」は社員旅行の帰りに実家へ立ち寄ったときがたまたま運転日であったために撮影することができました。
 お座敷電車に改造されましたが、外観はそのままでした。東日本の485系改造車の中では形態が異なり、個性的なものでしたが、2018年に廃車となりました。

オリジナル色の「アストル」
愛知県東部まで乗り入れた「アストル」

三河地方を訪問する団体列車が以前はしばしば運転され、岡崎や豊橋まで足を伸ばして折り返していました。気動車列車は自社のものでも珍しい存在でしたが、さらにレアな西日本会社からの乗り入れも行われました。この「アストル」は複数回の実績がありますが、記憶の限りではその他に「ゆぅトピア和倉」、「フェスタ」、「レインボーリゾート」(北近畿タンゴ鉄道)などの実績があります。

「ゆめじ」も品川まで遠征
中国地方のジョイフル電車「ゆめじ」が首都圏まで乗り入れた記録。

JR西日本岡山支社の団臨用電車「スーパーサルーンゆめじ」は瀬戸大橋線の開業時に登場しました。211系を名乗るものの、東と東海に所属する本来の211系とは異質な存在です。その「ゆめじ」も首都圏まで乗り入れた実績を有します。列車番号から判断して碧海地区はよい時間帯の通過であったはずです。当時関東在住であった私は藤沢で迎えましたが、天気が急激に悪化。夕立のような天候にがっかりしました。

「ひたち」色の485系
「ひたち」色の485系による甲子園臨(回送)。

高校野球全国大会の茨城県代表もしばしば臨時列車を利用しました。勝田電車区所属の「ひたち」用485系が使用されましたが、塗装変更後も姿を現しました。特徴ある塗装は国鉄色よりも貴重な記録になったと言えましょう。485系は東海会社の乗務員でも取り扱いが可能であったのに対し、訓練が必要な651系、653系の来碧は期待できそうにありません。

169系長野車、潮干狩り列車
長野色169系4連の潮干狩り列車

春から初夏にかけて岐阜や長野など海のない県からしばしば潮干狩り列車が蒲郡や弁天島へ向けて運転されました。
 長野のNをデザインしたこの塗装は国鉄時代からのものですが、地域特有の塗装としてはさきがけ的な存在でした。この頃の直流急行型の大半は湘南色だったため、この塗装でなければカメラを向けなかったかも知れません。

183系甲子園応援団
浦和学院の甲子園臨、183系

春夏の甲子園(高校野球)の時期になると東日本各地から応援団列車が東海道を下っていきました。民営化によって他社の車両が来る機会が減ったとはいえ、この時ばかりはJR各社の連携によって直通列車が設定されました。
 試合の動向に合わせて運転計画が立てられるため、情報入手が直前になるのは当たり前で、列車番号、おおよその時間、試合のスケジュールからどこの学校がどの車両で来るのかを想像したものです。 
 関東方面の学校が第1または第2試合に出場する場合は下りが夜行、上りが回送(応援団は新幹線)となるのが通常でした。浦和学院の応援団を運んだ千葉(幕張)の183系が白昼堂々帰って行きました。

583系甲子園応援団
一関商工の甲子園臨、583系

東北地方の太平洋側からの応援団輸送には青森の583系寝台電車が多用されました。寝台電車ですが、直前の手配のためか、運賃を格安にしているからかはわかりませんが、丸一昼夜近く走って大阪まで行くのに寝台は使用しません。*
 碧海地区では日頃特急電車を見ることはできないため、これらは格好の被写体となります。小学生の頃から大好きだった583系を地元で撮影できて大満足でした。
 前向き撮影をして後追いをしたものですが、この間に手前の線路を113系の6両編成が通過しています。ダイヤを見て覚悟していたとはいえ、肝を冷やしました。

* 法律の規制があってバスには寝台が設けられません。だからこそ鉄道ならではのサービスである寝台を提供し、応援団の方々に快適な旅行をしていただけるようにならなかったものでしょうか。毛布以外の寝具を付けない「ゴロンとシート」ならば直前の臨時列車でも可能だったと思われます。横になれるだけでも疲労度は全く違ったことでしょう。

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第1展示室(民営化後の東海道本線の臨時列車-2000年以降の甲種輸送編その1)

第1a展示室(2000年以降の臨貨、甲種輸送編その2)

第2展示室(1988年以降の頃の機関車牽引列車-へ)

第3展示室-1987年の臨時客車列車-へ

第4展示室-ユーロ塗装機+ユーロライナー以外の組合せ-へ

第6展示室-東海道本線の臨時列車(非営業列車電車・気動車編)-へ

第7展示室-東海道本線の時刻表掲載名称付き臨時列車-へ

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