■ひびきヶ原駅第3展示室

1987年、民営化初期の臨時客車列車
19.22.26 同年撮影の画像を整理

●分割民営化間もない頃の臨時列車

 国鉄最後の日となった1987.3.31、最後の総裁からJR各社の新社長に宛てたメッセージを乗せた(もちろんお客さんも)「旅立ちJR○○」という記念列車が各方面へ向けて東京を発ちました。JR東海向けには最長老のEF58が牽引の任にあたり、沼津(当時)のお座敷客車「いこい」を引き連れて深夜の東海道を下りました。「旅立ち〜」では最後に東京駅を発車したこの列車が国鉄最後かつJR最初の団体臨時列車と言えるかも知れません。

 民営化によって車両が急に変わったわけではなく、国鉄型に「JR」マークを貼り付けただけという印象が濃いものでした。団体臨時列車は社内の運転が多くなり、遠隔地の車両を目にする機会は大幅に減りました。お客さんが行きたいところへはもちろん連れて行ってくれるのですが、他社線内を走る距離が伸びるほど運賃収入の「取り分」が減ってしまうため、他社へ乗り入れるツアーの計画が自然に減ってしまったのでしょう。国鉄時代には東京南鉄道管理局の「サロンエクスプレス東京」が名古屋まで週に3往復したこともあるのが今では信じられません。

 JR東海では分割民営化の直前、引き継がれるEF65は「名古屋南運転区」の所属となりました。国鉄時代は稲沢機関区配属のEF65(一般、F、PF)が共通で使用されましたが、民営化後はJR東海所属の5両以外が客車列車を牽くことは原則なくなりました。初期の頃はEF65(一般、PF)以外が使われることはほとんどなく、また、ユーロ塗装のEF65も未登場であったため、一層国鉄色が濃いものでした。

緑色が濃くなった「白樺」
緑色がオリジナルよりも濃くなった時期の「白樺」

他社発の臨時列車で、名古屋で機関車交換となる列車はしばしば東海会社の機関車が牽きました。この頃のお座敷列車「白樺」は1983年のデビュー時よりも緑色が濃くなっていました。
 ヘッドマークは「よろしくJR東海」で、列車自体には関係のないものです。
 この列車は昼休み中に名古屋駅を発車し、なんとか撮ることができました。

サロンカーなにわ
サロンカーなにわもなかなか来なくなった。

JR西日本の所属になった「サロンカーなにわ」です。EF65PFにJRマークがなければ国鉄時代とは変わりません。
 現在でも定番の撮影地になっている国道23号バイパスの歩道橋はまだできて間もない頃です。当時は機関車の顔にケーブルがかかってしまうため、ここではあまり撮りませんでした。

EF65105が牽く12系お座敷車
EF65105(名)+12系お座敷車

ユーロ色に塗り替えられる前のEF65105号機です。記録ノートに記載がありませんが、グリーン車マークがあるため、「ヌマ座」あるいは、まだ12系塗装であった「サワ座」でしょうか。今後特定してみたいと思います。
 既に見られなくなって久しいEF65一般型ですが、こうして見ると、端正な顔つきですね。

ミステリー808
EF65111(名)+14系12連「ミステリー808」

国鉄時代、夏休みには名鉄局や静鉄局では「ミステリー」に日付3桁の数字をプラスした行き先不明団臨が運転されていました。それらは民営化後もしばらくの間継続されました。ヘッドマークの取り付けも嬉しいものでした。ミステリーと言っても、東海道線内の子供向け施設が近くにある駅が終着駅であることが多く、経路を含めて至ってシンプルな列車でした。
 長大な編成も懐かしいものです。

ミステリー822
名古屋駅で発車を待つ9446レ「ミステリー822」 EF65106(名)

ミステリー列車をもう1本。こちらは東海会社のEF65では唯一ヘッドマークステイがなかった106号機が牽いています。ナンバーの上のフックに特殊な金具をひっかけて取り付けています。マークには「静岡駅旅行センター」とあり、静岡支社の団臨であることがわかります。
 資格試験の1次試験が終わり、多少は息抜きできる時期でした。

オランダエクスプレス
オランダ国旗を模した帯を入れたマニ50を連ねた「オランダエクスプレス」EF651102(田)

キハ183系1000番台の「オランダ村特急」とまぎらわしい名称ですが、こちらは1986.11で荷物輸送の役目を終えた荷物車、マニ50を使用して運転されたオランダ国の展示列車です。東京の恵比寿と長崎を往復し、各地で停車しながら展示を行いました。
 碧海エリアも通過しましたが、ヘッドマークなしのEF65PFの牽引で、イベント列車としては少々物足りないものでした。
 東京赴任直前、引越を前にして最後の撮影となり、よく撮影でご一緒したYさん、Hさんと再会を約して別れました。

EF58122「旅立ちJR東海」
新生JR東海の幕開けを飾る「旅立ちJR東海」

歴史の1ページに名を刻む列車としてぜひとも記録しておかなくては思い、出勤前の早朝、幸田-岡崎間に出向きました。マークには列車名が入っていなかったこと(機関車の裏面に掲出)、機関車の汚れが少々残念でしたが、天候に恵まれ、満足な記録が残せました。
 いつもの電車で出勤しましたが、各車両に貼られたJRのロゴやアナウンスに民営化を実感しました。

EF65123「ゆうゆうサロン岡山」
JR東海エリアまで遠征してきたEF65123「ゆうゆうサロン岡山」

岡山の欧風客車「ゆうゆうサロン岡山」専用の機関車EF65123(通称「ヒフミ」)は塗装が客車に合わせてあり、シックな色合いが写欲を誘いました。
 ラッキーにも土曜日当たったこの日は岡崎まで回送されて折り返し団体さんを乗せて帰ってゆく運用で、上下で場所を変えて撮影することができました。

EF65110「ユーロライナー」
ヘッドマークを取り付けて貨物用のイメージを払拭したEF65110が牽く「ユーロライナー」

民営化当初、106号機を除いてヘッドマークステイ(金具)が取り付けられ、「ユーロライナー」を牽くEF65一般型にヘッドマークの取り付けが何度か実現しました。なお、105号機がEF65としては初めてのユーロ塗装となったのはこの年の秋のことでした。
 「貨物の機関車は似合わない。」と、一般の方には不評でしたが、マークを付けると結構さまになっています。

●この年を境に18年間郷里を離れる

1987年は国家資格の試験を受けるため、毎週日曜日は予備校へ通っていました。遠くへ撮影に出掛けることは控え、貴重なものでも諦めざるを得なかったものも少なからずあります。
 11月には東京へ転勤・・・と言っても、保険が付かない臨時雇用から、契約社員として入社しました。バブル前期の人が欲しい時期で、雇用条件向上には追い風でした。しかし、依然として非正規雇用だったため、資格は何としても取らなくてはなりませんでした。
 一発合格とはいきませんでしたが、このとき頑張っておいてよかったと今でも思います。

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第1展示室(民営化後の東海道本線の臨時列車-2000年以降の甲種輸送編その1)

第1a展示室(2000年以降の臨貨、甲種輸送編その2)

第2展示室(1988年以降の頃の機関車牽引列車-へ)

第4展示室-ユーロ塗装機+ユーロライナー以外の組合せ-へ

第5展示室-東海道本線の臨時列車(団体臨時列車電車・気動車編)-へ

第6展示室-東海道本線の臨時列車(非営業列車電車・気動車編)-へ

第7展示室-東海道本線の時刻表掲載名称付き臨時列車-へ

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