■ひびきヶ原塚駅第7展示室

東海道本線の時刻表掲載名称付き臨時列車
23.10.15 更新

国鉄時代(1975年の新幹線博多開業以降)から碧海地区では時刻表に掲載され、一般の乗車ができる臨時列車の設定があまりありません。それでも初詣臨、行楽臨、スキー臨など、そこそこの種類の列車が運転された実績があります。特に民営化間もない頃はバブル期の時代の後押しの他、会社も意欲的に臨時列車を走らせていた時代でした。
 当展示室では民営化後に時刻表に掲載された臨時列車で、列車名が付けられたものを集めました。

(注) 拡大画像はJava Script を使用しています。セキュリティーの設定次第では正常に動作しないことがあります。
快速「レトロ奥三河」
快速「レトロ奥三河号

三河地区で一般客の乗車できたnamed train を募集とのことで、探してみたところ、「レトロ奥三河号」なる列車の記録を見つけました。1995.10.14の鉄道の日に運転され、名古屋始発で飯田線へ乗り入れたようです。1997年にも運転されたようですが、このときは飯田線内のみだったようです。

写真、文:西三河鉄道局様
急行「玄海」
20系ホリデーパル色10連の急行「玄海」

多客期には定期のブルートレインを補完するものとして、長年にわたって20系の特急「あさかぜ81、82号」が設定されていました。しかし、同系の老朽化、陳腐化により、さすがに特急料金を徴収するのは無理だと判断されたのでしょうか。1990年から急行に格下げされ、「玄海」を名乗るようになりました。20系はホリデーパルに改造されたものも使用され、新塗装に塗り替えられた後はオリジナル色(ただし帯は1本除去)の編成と交互に使われました。

快速「飛騨スキー」
大府駅に停車中の快速「飛騨スキー」

元号が平成に変わった頃、夜行のスキー列車が数多く走っていました。その多くは格安の料金設定がされた「シュプール号」でしたが、碧海地区を通ったのは快速列車でした。列車名は「飛騨スキー号」。静岡県内から乗り換えなしで高山線へ直通運転されました。編成は14系4連(指3+自1)で、東海道線内はEF65一般型の110または111が牽きました。
 当時私は埼玉在住で、帰省の折り、静岡で新幹線に乗り換えれば最終までに帰ることが可能だったため、スキーには関係なく刈谷から2回乗車しています。刈谷駅から乗れる客車列車は極めて珍しいものでした。

ナイスホリデー近江路
311系8連の「ナイスホリデー近江路」

土休日の行楽列車として臨時快速「ナイスホリデー号」が運転され、ヘッドマークも取り付けられていました。碧海地区では定期列車として運転され、大垣から米原まで(一時期は長浜まで)延長運転されました。
 種別幕は「普通」で、「ホリデー快速」とは言えませんが、乗り換えなしで行楽地の最寄り駅まで行けるのがメリットでした。
 ヘッドマークには会社の取り組み意欲が感じられました。

117系ナイスホリデー奥三河
117系原色編成の快速「ナイスホリデー奥三河」

1990年頃、休日ダイヤでは飯田線直通の臨時快速「ナイスホリデー奥三河」(後に天竜・奥三河)が設定されていました。使用車両は飯田線での定期運用を持たない117系。当時、117系は東海色への塗り替えが進行中で、オリジナル色編成が飯田線へ入る機会が減っていました。
 この日は別の列車を狙って幸田−岡崎間へ行ったのですが、「飯田線へ行けない日に限って原色が来るんだから・・・。」と、同行したHさんが残念がっていたのを覚えています。
 この頃、まだ佐久間レールパークは開設されていません。

急行「伊那路52号」
165系急行「伊那路52号」

飯田線への直通運転は古くからあり、東海道線内も急行「伊那」として運転されました。しかし、1972年3月のダイヤ改正で東海道線内は快速となり、列車名が消えました。1992年、急行が廃止されていた飯田線内で臨時急行「伊那路」が復活。多客時やウォーキングイベント時等に東海道線内まで延長運転されました。嬉しいことにヘッドマークも掲出され、3連という短い編成ながらも優等列車であることをアピールしていました。
 しかし、快速や新快速が15分に1本走る東海道線内でそれらよりも遅い列車なのに急行料金が必要では利用客から敬遠されるのもやむを得ないところでした。

165系「さわやかウォーキング飯田」
165系6連による快速「さわやかウォーキング飯田号」

現在も開催されているハイキングイベント「さわやかウォーキング」。飯田線への直通運転も継続されています。165系が健在であった頃は急行のような大型ヘッドマークを掲げて運転されました。そこそこの乗車率となるため、2編成併結の6連で運転され、ヘッドマークに負けない見栄えのするものでした。一見急行「飯田号」のようにも見えるヘッドマーク。この当時はJR東海も洒落っ気が通用したものです。

373系特急「伊那路」延長運転
大垣まで延長運転された特急「伊那路2号」

1997年は飯田線の特急列車「伊那路」が活発な動きを見せた年です。その先駆けとしては、春の臨時列車にて定期の伊那路号が大垣まで延長されたことが挙げられます。しかし、165系の急行時代と同様、快速列車が頻繁に運転されている環境では、いくら客室設備がよくとも、特急料金徴収列車は利用客から敬遠されました。
 民鉄と比べ、割高な特急料金は国鉄時代の負の遺産。東海道線内をホームライナー扱いとし、飯田線内の特急券を持っていればライナー料金免除にすればいわゆる「空気輸送」は避けられたのではないかと思います。

381系特急「伊那路」(1)
381系4連の特急「伊那路82号」

1998年の長野オリンピックの開催により381系の引退が早まったと言えます。しかし、1996年、383系量産車のデビュー後も検査期限が残っている車両はすぐには廃車にならず、臨時列車用として活用されました。飯田線の特急「伊那路」の増発が一部パノラマグリーン車を含む同系4連によって行われ、当時大きな話題となりました。神領への入出庫を兼ねて一往復は東海道線内も営業運転を行い、大府、刈谷、安城、岡崎、蒲郡が特急停車駅になりました。

381系特急「伊那路」(2)
パノラマグリーン車クロ381形を先頭にした特急「伊那路」

381系臨時特急「伊那路」は97年GWに続き、夏休みにも運転されました。低乗車率にもめげず、継続されたのです。GW時とは運転パターンが変わり、東海道線内は夕方の飯田行83号、朝の名古屋行82号となりました。
 定期の普通列車を追い抜くことが困難なため、例えば83号は名古屋を豊橋行快速の3分前に発車。刈谷の手前では普通列車にぴったり張り付き、退避線に入った後即座に刈谷駅上り本線へ進入することで定期列車の時刻変更を極力避けていました。(普通は所定どおり3分後の快速を待って発車。)

113系「さわやかウォーキング飯田」
113系(海シン)による快速「さわやかウォーキング飯田」クハ111-2026

165系で運転されていた「さわやかウォーキング飯田号」は165系の引退と共に神領区の113系に置き換えられました。既に東海道線では113系の定期列車はなく、懐かしさを感じさせる列車になっていました。
 当初の頃は大型のヘッドマークが165系から引き継がれ、一見113系の急行のように見えました。
 その後、ヘッドマークの取り付けは中止になってしまいました。

●団体臨時列車との違いは

今でこそ激減したものの、国鉄時代末期から分割民営化初期の頃は臨時列車が多数運転されていました。冒頭でも触れたとおり、碧海地区は時刻表に掲載される臨時列車が少ない地域です。観光スポットや集客施設などが少なく、客数の大きな変動に応じて臨時列車を走らせる必要がないこと。また、風光明美な沿線風景を楽しめて、乗車すること自体が目的となるような路線(または通過路線)ではないことがその要因と言えましょう。
 しかし、参加資格を得たり、事前に予約が必要であったり、また、行動にも制約を受ける団体臨時列車とは違い、一般扱いの臨時列車は席さえ空いていれば気軽に乗車を楽しむことができます。たたでさえ特急や急行の恩恵がない地域であるがゆえに、381系など、日常来ることがない車両に乗り、見慣れた車窓を違った目線から眺められるチャンスは得難いものであったと思います。

 それでは、ここからは比較的近年に運転され、若い皆さんにもなじみ深いものを紹介しましょう。

臨時快速「ムーンライトながら」
183・189系臨時快速「ムーンライトながら」

373系快速「ムーンライトながら」を多客時に救済する臨時列車はしばらく165系の無名称列車でしたが、2003年夏よりJR東日本の183・189系を使用した指定席列車となりました。全車指定席のため、「ムーンライトながら91・92号」と命名されました。
 上りの92号はホームライナー代わりにも利用でき、私も多忙時には週に2回も利用したことがあります。
 2009.3ダイヤ改正では定期のムーンライトながらが廃止となり、臨時列車は「91、92」の番号が取れました。

快速「佐久間レールパーク号」(1)
当初は丸いヘッドマークを取り付けていた快速「佐久間レールパーク号」

飯田線の中部天竜駅構内にあった佐久間レールパークは2009.11.1限りで閉園になりましたが、訪問客の便を図るため、同年3.28から名古屋始発の快速「佐久間レールパーク号」が運転を開始しました。4.26からはヘッドマークの取り付けを開始。ファンを驚かせました。JR東海は381系やトロッコファミリー号などを何らのアナウンスもなく廃止するなど、鉄道愛好家に対して閉鎖的とも言える姿勢が見られた時期でもあったため、にわかに信じがたいものでした。当初のものは「ナイスホリデー」の再利用でしょうか?丸形マークが特製フレームに取り付けられての運転となりました。

快速「佐久間レールパーク号」(2)
公募ヘッドマークを掲げた117系原色編成による「佐久間レールパーク1号」

ヘッドマークは7月から大型のものに変更され、デザインも月替わりとなりました。さらに9月からは一般公募されたデザインが週替わりで掲出されました。使用車両は当初東海色の117系でしたが、8月下旬にS11編成が登場時の国鉄色に復刻され、団臨で同編成が使用できない場合を除いて同編成が限定的に運用されました。
 中間車の1両が指定席で、デザインが変わる乗車記念券が人気を呼び、指定席券の入手はなかなか困難だったようです。

斜めストライプ185系「MLながら」
「ムーンライトながら」用185系訓練車回送

2013年12月の運転以降に使われるようになった185系ですが、その後、基本番台のオリジナルである斜めストライプ塗装に順次塗り替えられました。
 19.12.23東京発の列車は車両点検や人身事故の影響で大幅な遅延が発生。名古屋着がラッシュと重なるからでしょうか、浜松で運転打ち切りとなりました。新所原で長時間停まり、回送ダイヤの調整を待ちました。
 指定席券の入手が難しいと言われる列車の打ち切りはたいへん気の毒なことでした。
 写真差し替え前の訓練車回送はこちらに残しておきます

急行「東海道トレイン家康号」
西三河エリアの東海道線では珍しい急行列車「東海道トレイン家康号」9511M

岡崎市で開催された「家康公四百年祭」一連行事の最終日となる2015.12.26に臨時急行として運転されました。ホームライナーの廃止により、373系は日頃見られなくなっていたため、営業運転での来三は貴重なものでした。
 急行指定席券はあっという間に完売になったとのこと。車内ではいろいろなもてなしや記念品の配布があり、乗車した方々は大いに楽しめたようです。
 遠景でディティールまでわかりませんが、1両目後ろ扉の右側に徳川家の家紋などが貼り付けられています。

快速「さわやかウォーキング」
373系6連の臨時快速「さわやかウォーキング」

JR東海のさわやかウォーキングが始まって25周年となり、さまざまな記念イベントが行われました。373系のさわウォ向け臨時列車はこれまでにも運転された実績がありますが、愛知県内まではなかなか来ることがありませんでした。
 そんな中、2017.2.25に名古屋→浜松、3.25に沼津→三河安城で全車指定席の臨時快速として設定されました。3.25は6両編成。席は往復ともほぼほぼ埋まっているように見えました。しかし、ウォーキングに参加する方よりも、乗り鉄さん風の方が目立ったようです。(笑)

急行「トレインフェスタ2号」
東静岡行きの急行列車というのも珍しい。

静岡DCプレ企画の臨時列車として運転されたものです。静岡DCは翌2019年に行われるとのことで、1年前に運転するとはずいぶん気の早い企画ですね。名古屋発は373系ですが、横浜−東静岡の下り列車(団体専用)は東日本の485系「華」が使用され、よりイベント列車らしいものとなりました。
 東海会社では団臨用車両が一掃されてしまった結果ではありますが、せめて371系が残っていればという声が聞かれます。

急行「愛知☆静岡DCトレイン」(上り)
上り列車は373系で運転された急行「愛知☆静岡DCトレイン」

愛知DC関連の臨時列車としては最終日となる18.12.15、名古屋−静岡で上下の急行列車が運転されました。上りはこの手の臨時列車ではおなじみとなった373系でした。
 ちょうど通過時には陰ってしまいましたが、白地に細い文字で描かれたヘッドマークは晴れると飛んでしまって見づらいため、この点に関してだけは救われたと言えます。
 上下の列車が愛知御津駅にてほぼ同時到着、同時発車となる演出が行われました。

急行「愛知☆静岡DCトレイン」(下り)
碧海エリアを走る気動車急行はレアもの。急行「愛知☆静岡DCトレイン」

こちらはキハ75が充当された下り列車です。碧海エリアを走る気動車急行は極めて珍しいものですが、キハ75が静岡から営業運転を行うのも異例です。
 指定席はあっという間に完売になったとのことで、注目度が高かったことがうかがわれます。
 やはり種別幕は「臨時」ではなく、「急行」でなくては。

快速「浜松 家康公祭り」 new
この日限りのシール式マークを強調される方、6両編成を強調する方、さまざまであった。

NHKの大河ドラマ「どうする家康」の放送をきっかけにしたイベント、さわやかウォーキングの開催に合わせて運転された臨時快速。
 長らく中央線用であった元セントラルライナー用313系8000番台を前日に静岡から大垣へ回送したうえで使用されました。
 同車が碧海エリアを通過する営業列車に使用されるのはとても珍しいことです。シール式のマークは373系の小さなマークよりも目立ってよかったと思います。
 なお、8000番台の6両編成は神領から静岡への転属回送で実績があるとのことです。

●皆様からの情報を募集します。

10周年を振り返るで述べたとおり、早速皆様に参加いただける機会を設けることにしました。
 1987年から18年間、郷里を離れていたこともあり、対象となる列車を網羅するには到底至っていないと考えています。また、ダイヤ情報や時刻表がそろっているわけでもないため、調べるにも困難があります。
 記憶の限りではスキー臨としてキハ85系の特急列車があった他、ジョイフルトレイン「ゆうゆう東海」による一般臨時列車で、碧海地区を通過したものもあったのではないかと思います。その他、さらに珍しいものとして、旧型客車を使用した「レトロ○○号」のような列車の実績もあったと記憶しています。
 こんな臨時列車があったという情報がありましたら伝言板でお知らせをお願いします。対象列車は東海道線碧海(西三河)エリアを通過した名称付き列車で、一般客が乗車できたものとします。深夜に通過しただけのものは除外します。

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第1展示室(民営化後の東海道本線の臨時列車-2000年以降の甲種輸送編その1)

第1a展示室(2000年以降の臨貨、甲種輸送編その2)

第2展示室(1988年以降の頃の機関車牽引列車-へ)

第3展示室-1987年の臨時客車列車-へ

第4展示室-ユーロ塗装機+ユーロライナー以外の組合せ-へ

第5展示室-東海道本線の臨時列車(団体臨時列車電車・気動車編)-へ

第6展示室-東海道本線の臨時列車(非営業列車電車・気動車編)-へ

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