ガキの頃の小田急線
ガキの頃の小田急線

 今と昔 -町田駅付近-

町田駅まで自転車やバスで用もなくよく来ていました。
ノンストップのロマンスカー(はこね号)以外はすべて止まるうえに、踏切のそばには片瀬江ノ島方面へ折り返す引き込み線があるので、撮影にはなかなか良い駅です。もちろん当時は風景など考えていませんでした。

1982年頃(町田駅下りホーム/特急あしがら号3100形)
小田急3100形

2011年(町田駅下りホーム/特急あさぎり号20000形)
小田急20000形
3100形は11両編成ですが連接車両で短いためか、7両編成の20000形と同じ停車位置です。新宿方面の車両がないと背景の違いが見えたと思うのですが、時間がなく残念でした。

1982年頃(町田駅上りホーム/急行新宿行き2400形)
小田急2400形

2011年(町田駅上りホーム/急行新宿行き3000形)
小田急3000形
線路にいろいろな標識が増えました。右奥壁の第一勧業銀行のロゴがなくなっています。車掌さんはより乗り出して確認するようになりました。

1982年頃(町田駅第一踏切/準急本厚木行き2600形)
小田急2600形

2011年(町田駅第一踏切/各駅停車本厚木行き1000形)
小田急1000形
角度や構図などだいぶ違ってしまいました。どうやら踏切の機械の上にカメラを載せて撮っていたようです。建物がだいぶ変わり、富士銀行(現みずほコーポレート銀行)はりそな銀行に変わりました。
(踏切の名称は新宿方面から順に数えているようですので、正式には違うかもしれません。)

1982年頃(町田駅第一踏切/急行箱根湯本・片瀬江ノ島行き2400形)
小田急2400形

2011年(町田駅第一踏切/種別不明の3000形)
小田急3000形
1両だけ冷房化された幻の2400形を偶然発見し、あわてて撮ったためこんな構図になった写真。廃業した山一證券はいまやマツモトキヨシへと変貌。消費者金融の看板も目立ちます。居酒屋のかかしは今でも健在ですばらしい。2011年の写真は持ってきた一眼レフでは撮れないことがわかり、解像度がガッツリ下がりました。

1982年頃(町田駅第二踏切/配送デニ1000形)
小田急2400形

2011年(町田駅第二踏切/急行新宿行き3000形)
小田急3000形
自分で写真を撮っておいてなんですが、配送車両が2両でトコトコ走っていたとはにわかに信じがたいです。両脇は高い建物で覆い、線路沿いの看板も変わりました。踏切の障害物を検知する装置も変わっています。しかし未だに小田急百貨店の「マル小」マークはそのままです。

1982年頃(町田駅第二踏切/各駅停車藤沢行き5200形)
小田急5200形

2011年(町田駅第二踏切/各駅停車片瀬江ノ島行き1000形)
小田急1000形
引き込み線に止まる位置は変わっていないようです。NECのマイコンショップではPC-8801が23万ぐらいで売っているはずです。こちらも高い建物で空が隠れました。

メモ
  1. 30年経ち、目を見張るほどの変化ではありませんが、町田は今でも成長している街です。
  2. 三脚がないときついです。持っていなかったのでローアングルで腰をおかしくしました。


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