エゾシカの  2000/06/01〜2000/06/30

最新 前月 翌月 一覧 「EZOSHIKA TOWN」トップ ※明朝体推奨

2000/06/30

三都

 社会人になってから大阪、名古屋、東京で働いてきた結果、面白い事を発見した。尚最初に断っておくが、此はあくまで個人の経験を通じて到達した私見である(こう断っておかないと後々ややこしい事態を惹起され兼ねないのだ)。

 大阪の人間は東京に対して敵対感を持つ一方、名古屋に対しては距離的に近い、東京に対抗できる一勢力、などという意識からか、どちらかというと無色若しくは好意的な印象を抱いているのでは無かろうか。

 そして名古屋の人間は、阪神ファンの熱狂振りを目にして「中日ファンの方がずっと熱狂的なのだ」という意識を抱いているせいか、大阪に対して些か冷淡であり、「自分達が一番」という意識を持ちながら密かに東京の模倣を愉しむという、東京に対して好意的なライヴァル心を抱いているように思える。

 東京の人間はといえば、実は大阪を「異文化の発信地」として好意的に見ており、名古屋については「面白い特徴がない地方都市」という負の印象を持っているように思えるのである。

 即ち、大阪、名古屋、東京で三竦みの構造が出来ているのである。此の三都市を並立させることが適当かどうかは別にして、神戸、大阪、京都のように「お互いがお互いを嫌っている」だとか、浦和、与野、大宮のように「一つが仲介役となって初めてまとまる」のとは異なった形で均衡が保たれているという点でなかなか興味深い。


2000/06/29

引っ越し業者

 前々から気になっていたのだが、引っ越し業者のイメージキャラクターは決まって動物ではないか。ぱっと思いつく物を列挙しても、黒猫、象、ダックスフント、カンガルー、ペリカン、蟻。逆に、植物だの無生物だのをキャラクターにしている企業が全く思い浮かばない。こういった業種も珍しいのでは無かろうか。

 何れも考えてみれば、何でも安全に運ぶ頼もしさだとか確実さだとか、家財道具を任せられるという親しみやすさだとか、手際よく事を終えるスピーディーさだとかの象徴としての意味を持っているように思われる。一瞬疑問を感じずにはおれない黒猫についても、企業側は「黒猫は子供を大切に扱うのだ」という趣旨でキャラクターを設定したと主張しており、成る程と思わせるものがある。

 しかしそう考えてみると、大抵の動物は此等の条件を満たしているのでは無かろうか。逆に言えば、引っ越し業を営む以上、動物をキャラクターに設定する事が最も手っ取り早く適切であるということか。或る意味非常に羨ましい業界である。


2000/06/28

送別会

 最近帰宅後に何かと忙しく、更新が滞ることが多い。今日は本当は7/1夜、実は東京での恐らく最後の執筆である(勿論執筆にあたっては6/28時点での記事を書くことになるのだが)。

 前職場を去る際、最後の2週間は連日連夜どころか昼食時までも入れ替わり立ち替わり関係各所の皆様方が送別会を開催して下さった。その上業務面に於いては最終日の前日に得意先へのプレゼンテーションを抱えており、午前3時頃まで送別会、9時過ぎに出社してプレゼンテーションに向けての打ち合わせ等、そして夜は夕方から送別会、といった日々が続いていた。

 其れでも精神的に余裕があったのは、其の時の転勤が転居を伴わないものであった事、転勤先の仕事は私が以前担当していた業務であり、綿密な事前引継がさほど要求されなかった事が其の理由であったものと思われる。住居については何一つすることなく、日中は目の前の業務及び職場の机やネットワーク環境の整理を行い、自由時間は皆様との別れを名残惜しむ時間に充てていれば十分であった。

 今回の異動はそうはいかぬ。上記の行為に加え、私の後任への引継、7月以降の仕事の引継が加わった上、転居の諸準備を進めねばならない。異動の通知を受けた際、一体自分の時間がどれ程これらの作業に費やすことが出来るのか非常に心配であった。しかし幸いなことに、後任者が既に同じ職場に居るために引継が比較的容易である事、送別会の回数が前回と比べて比較的少ない事など、当初の予想よりは若干空白が生じたのである。

 そんな訳で、私の中で最も重要なものに位置づけられている今日の送別会、諸準備に要らぬ気を煩わされる事無く精一杯堪能することができたのであった。


2000/06/27

忘れ物

 先週末に遠方の医者に行った際、其処で2つの忘れ物をしてしまった。一つは診察券。診察券が手元にないことによって診察を受けることが出来ないというわけでは無いと思うのだが、問題は通院の際の予約である。医者の電話番号が記されている其の診察券が無いといちいち電話番号を調べねばならない。嗚呼面倒臭い事よ。そしてもう一つは傘。東京での大雨の中関西の医者に向かった処、現地では恐ろしい位晴れており、帰りに傘を持ち帰るのをすっかり忘れていた。お陰で其の後の名古屋での新寓居探しの際、俄雨に見舞われてしまい災難であった。大体前日に折り畳み傘をコンヴィニエンスストアに忘れたばかりだというのに何を考えていたのだ私は。

 処で、忘れ物といえば、記憶に残っている限りで鞄を車内に忘れた事が2度ほどあった。長期出張に出掛ける際に通常の鞄とボストンバッグとを所持していたのだが、電車の網棚に通常の鞄だけを置いていたのが拙かった。ボストンバッグ一つを持っていることにより「鞄を持っている」という安心感を抱いたのであろう、網棚の鞄をしっかり車内に忘れてしまった。当然出張に用いる資料等も鞄に入っており、出張中は気が気でならなかった。結局其の間に鞄は当該列車の沿線の駅で発見されたのだが、どういう訳か使用済みオレンジカード、将棋盤、将棋雑誌だけが抜き取られていた。どうでも良いことだが出張の際に将棋盤や将棋雑誌を携行しているというのが少し恥ずかしいのだが。

 また、仕事帰りのタクシー車内に鞄を置き忘れた事もあった。鞄を2つ所持していた時に一方を体から少し離して置いており、其れを車内に忘れたのだ。丁度前日にパソコンのハードディスク内のデータを誤って消去してしまい、失意の真っ只中にあった時であった。其の後東京地区のタクシーの萬事を請け負う「タクシー近代化センター」(だったっけ)に電話を架け、数日後、不便な位置にあるセンターに直接足を運んで鞄を受け取ることが出来たのであった。

 これらの出来事以来、鞄を複数持っていたり電車の網棚に置いていたりしている場合には多大な神経を遣ってしまい、どうも車内で落ち着いてくつろげなくなってしまった。他の物に注意を払うだけの精神的な余裕が無いため、其の分傘や小物を平気で忘れてしまうようになってしまったのであろうか。


2000/06/26

検索エンジン

 職場で指摘されたのだが、大手検索エンジンで「エゾシカ」を検索すると、相当上位に「EZOSHIKA TOWN」が登場するとの事であった。「EZOSHIKA TOWN」だとか「エゾシカの嘶き」だとかというキーワードでトップに私のサイトが登場するケースは少なくないものの、一般名詞である「エゾシカ」というキーワードで私のサイトが出てくるということは、真摯な気持ちで北海道の鹿事情や、其の鳴き声だとかについて考察を深度化させたいという方々も当サイトに思わず立ち寄ってしまうというケースが相当数考えられる。左様な気の毒な方(若しくは幸運の持ち主)がどの程度発生するのかに興味が湧き、他の検索エンジンではどうなのか、試しに調べてみた。

 職場の方が指摘した「goo」では1680件が「エゾシカ」というキーワードに引っ掛かり、釧路等に於けるエゾシカの食害対策に次ぎ何と3番目に「EZOSHIKA TOWN」が登場しているのだ。因みに20番目にはi-mode版「エゾシカの嘶き」の解説ページが現れる。其処から先は面倒臭いのでチェックしていないが。

 そして「infoseek」で試してみて仰天した。「エゾシカ」サイト2100件中のトップにいきなりi-mode版「エゾシカの嘶き」のトップページが出て来るではないか。「infoseek」からエゾシカ情報を得ようとした人は先ず間違いなく最初に出てくる私のサイトを訪れることになるのでは無かろうか。

 昨年いきなり知名度を上げた「LYCOS」では、「エゾシカ」サイト1720件中、上位を「エゾシカ肉販売」だとか「エゾシカの東京キャバクラ通信」だとか、なかなか通好みのサイトが現れた後、50件を越えたところ辺りで「エゾシカの嘶き・タイトル集」がやっと登場する。最近「LYCOS」同様にTVCMを用いた知名度向上に目覚めた「excite」では、「エゾシカ」サイト1327件中200件目前後で突然「お帰りはこちら」が登場する。「フレッシュアイ」では48件中9番目に「エゾシカの嘶き・タイトル集」が現れている。

 さて、今回の検索エンジン調査で一つ判った事。どうやら「エゾシカ」について触れたサイトの大半は、其の繁殖力の強さや其の結果としての食害について触れられているケースが非常に多く、私のようにエゾシカの魅力や素晴らしさについて語っているサイトは少数派のようである。


2000/06/25

発想能力

 偶々他人と私とが同じテーマについて考察を行った結果、「何で此の人は同じテーマを扱いながらこんなに面白い発想が出来るのだろうか」と感服せざるを得ないケースが屡々ある。最近あった事例として以下のようなものがあった。

 書店にて中島らもの対談集を手にして目次を眺めてみたところ、「尻」というテーマのページがあったのに気付いた。折しも私が2000/05/21辺りで尻についての考察を行った暫く後であり、中島らもが一体どういう切り口で尻を料理するのか興味を抱きつつページを繰った。

 内容は、「ジャイアント馬場に尻(肛門)を貸してくれとせがまれたらどういう行動を執るか」という、其の発想自体が私の脳内には自然と浮かぶことのないものであった。而もそういったテーマであるにも関わらず、2人の対談者は其の話題が論じられることがさも当然であるかの如く、異常に盛り上がったり無理に笑わせたりすることなく極々自然に淡々と会話を進めていくのである。斯様な発想を脳味噌が拒否することなく会話を進めていく2人の才能、此には感服せざるを得なかった。

 そんな中島らもも先日或るTV番組に於いて、出演者の中で最も頭が良いと主張したばかりに、出身中学の入試問題だとか円周率の暗記だとか知恵の輪外しだとかをやらされた挙げ句、何一つ出来ずに他の出演者に思いっきり馬鹿にされていた。否否彼の頭の良さとは発想の面白さ、素っ頓狂さであり、其れを極々自然に繰り出す処にあるのだ。私も彼の随筆を精読する機会が少なくないものの、其の才能の爪の垢程度ですら身につけることが出来ぬ。尤も其れ以前にそういった才能を表現するための日本語能力が具備されていないという、致命的な欠陥を抱いたまま今に至っているのだが。


2000/06/24

獣環境

 実際に名古屋に足を運んで新たな寓居を選定してきたのだが、期せずして獣環境に恵まれた場所となってしまった。

 場外馬券売り場まで徒歩10分。現状では週末の午後に競馬中継を楽しんでいるが、其の気になれば朝から晩まで競馬中継を馬券売り場のモニターで観戦して楽しむことが可能となる。尤も余程馬顔に飢えること無ければわざわざ人混みで煙草の空気まみれになる必要は無かろう。其れ位であれば、電車で一本の中京競馬場まで足を運べば良いのだ。電車が嫌ならば自転車で20分の名古屋競馬場という手もある。天気の良い日の日向ぼっこ先は此で決まったも同然である。

 名古屋唯一と言っても良い位の観光名所である東山動物園迄は、ドア・トゥ・ドアで約30分強。鹿欲や驢馬欲や子守熊欲やヤブイヌ欲等に駆られて暴発せんばかりの感情を抱いて寓居を飛び出してから1時間もせぬ内に、何れの欲望をも満たすことが可能なのである。因みに現在の寓居で同様の獣欲を抱いたとして、最も近い上野動物園までドア・トゥ・ドアで1時間弱。而も満たすことの出来る獣欲の種類は限られており、例えばヤブイヌ欲を最も短時間に鎮めようとするのであれば、結局2時間近くかけてズーラシアまで行かねばならないのだ。

 当初職場までのドア・トゥ・ドアの所要時間の短さで選んだ寓居、プライヴェートである獣ライフの充実をも期待させるものではないか。実際に住んでみないと何とも言えぬのだが。


2000/06/23

続・生活の変化

 名古屋に転勤になることにより、私の旅行面における生活がどう変化するか考えてみる。

 東京から名古屋へ西に移動することによって、東京時代に比較的多かった東北・東信州・越後方面への旅行が激減することが予想される。其の分、西信州、越中・越前方面だとか、東京時代には結局殆ど足を踏み入れなかった紀伊半島方面だとかの旅行が増えることであろう。

 変化があるのは方面だけではない。羽田空港まで電車で一本、寓居を出てから空港でチェックインするまでに30分も掛からぬ処に住んでいる為、飛行機による1泊2日の旅行などでもなかなか有効に現地での時間を使うことができたのであった。其れだけではなく、飛行機の早朝割引便を使うのにも便利で、費用面でも飛行機旅行に恵まれた環境にいたのである。此が名古屋ということになると、名古屋駅から空港までのアクセスに時間が掛かる上、バス利用ということで時間が読めぬ。名古屋駅までは電車利用の処に居を構えるとなると、バスに乗るまでのアクセスも考えねばならぬ。更に、名古屋空港発の飛行機の便が羽田空港に比べ少ないことを考えると、飛行機を用いた1泊2日旅行がなかなか有効にできないような気がする。仮に北海道に1泊2日で行くとなると、現地での滞在時間は東京時代に比べて半日くらい短縮されるのでは無かろうか。

 逆に名古屋駅へのアクセスが、現在の寓居から東京駅に行くまでよりずっと楽である事が予想され、そうなると新幹線だとかを用いた地域への旅行が相当増えそうな気がする。中国・九州辺りへの旅行が増えるのであろうか。若しくは夜行列車を強引に用いることにより、早朝に香川県に入ってにて讃岐饂飩を早朝の美味しい時間から堪能する事も可能である。

 トータルで考えれば、電車で数時間の処への旅行が増える一方で、遠方に短期間の旅行に出掛けるという旅行が減っていくであろう。個人的には、長期休暇等の無い限り、北海道に年2回も足を運ぶ機会が無くなりそうなのが若干残念であったりもする。私の北海道欲も強くなったものである。


2000/06/22

選挙公約

 既に投票を済ませた私がそんな物を観てどうするのかとも思いつつ、選挙公報番組を飽きもせずに観ていたのだが、泡沫政党なら兎も角そこそこの規模を持つ或る政党が様々な公約の一つとして、えらい各論的な政策をマクロ規模の諸政策と並べて宣言していたのに少なからず驚いた。ITの推進なる目的で「インターネット端末を全国民に配布」するとの事だが、広い意味での「インターネット端末」ということであればi-mode端末程度のものを配布という事にでもなるのであろうか。

 其の内容の是非についてはいちいち論じず、別の面から述べることにする。費用面、ハードウェアの面でどの程度考えた上で物を言っているのか良く解らぬが、そんな金があるのであれば他に使うべき方向があるのでは無かろうかと思ってしまうのだが、其れ以上に気になったのが配布後の問題。全国民に端末を配布することによって、現在の通信環境の下で本当に使い物になるのであろうか。現状ですら回線やサーバーがパンクするケースが屡々生じている中、全国民が使用するケースを想像すると(「ITの推進」なる目的であれば当然通信端末の使用の慫慂や啓蒙なども行わねば意味が無かろう)、これはもう「端末はあるが全く使い物にならぬ」という事態を惹起することが目に見えているではないか。従来からインターネット端末を使っている人間にまで良からぬ影響が及んでしまう。端末配布以前に通信環境の改善の方に相当の費用や労力が必要となろう。本当に真剣に考えているのかよ…。


2000/06/21

東京生活

 全国各地を訪れているだけに初めての土地に対する順応性もそう低くは無かろうと自分自身思っており、兵庫を離れて京都で生活したときも、就職したてで大阪で生活したときも、初めて近畿圏を離れて異文化を味わうこととなった愛知で生活したときも、特に問題なく生活に溶け込んでいた(此が普通なのだろうが)。しかし東京については例外である。1999/08/22で触れた通り、東京に足を踏み入れる度に「ああ嫌な街」という印象を其の都度深めてきた挙げ句、6年前に初めて東京で生活することになって暫くの間は、自ら購入した食事すら満足に喉を通らずに残してしまうなど、神経的に参りきっていたのだ。

 そういった不愉快さを感じたものの、東京生活をひとまず終えるにあたり東京での6年間を振り返ってみるにつけ、或る意味良い生活を送ることが出来たのではないかと思う。というのもこの間、何かと新しい趣味を身につけ、其れが現在の私のアイデンティティの一部となっているからである。

 東京に来る直前、後輩に種を植え付けられ、東京に来てから見事に萌芽してしまったのが獣趣味。今では私を語るに欠かせぬ此の趣味も、東京で動物図鑑を購入したり上野動物園に足繁く通った賜物である。競馬も其のパターンで、東京在住時に知り合った親密な知人の影響を見事に受けてはまってしまった結果である。私が競馬に取り憑かれていた頃には其の知人とはもう会えない状態になっていたのが皮肉且つ残念なのだが。また、当初は業務上の目的で寓居の近くの羽田空港に足を運んでいたのだが、其れが趣味となり、「飛行機を使って一泊二日で時間を有効に使った旅行を行う」という、現在の私の旅のスタイルを形成してしまった。

 そして、これらの趣味即ち私のアイデンティティを余すことなく表現してきた「EZOSHIKA TOWN」。パソコンなる物を初めて手にしてから10年間、「自分には関係ない分野」と思ってきたパソコン通信、ひいてはインターネットに唐突に手を染めたのも、東京に来てから得た新たな趣味ではないか。

 これらを総合すると、東京での6年間を経て、自己の再定義化を行いつつ其れを表現する事により自己実現を図ってきたという事と言えるのではないか。そう思うと東京での生活は、過去最高の良い生活と位置づけられてもおかしくないような気がする。別に東京という街が私にそうさせたという訳ではないのだが、私の中での「東京生活」というものは、特別な感慨を抱かせるものになるのであろう。


2000/06/20

生活の変化

 2000/06/17で名古屋人について些か批判的に言及した所為であろう、7月より名古屋への転勤を命じられた。遂に「ちゃきちゃきの江戸っ子(此処6年程)」としての生活に別れを告げ、新たに「お値打ち」などというキーワードに対して肉体が無意識のうちに反応する浪費癖を「美徳」とする人種にならねばならない。同じ浪費でも「宵越しの金は持たねえぜ!」というちゃきちゃきの江戸っ子気質の方が幾らか素敵に思えるのは決して私だけではあるまい(除く名古屋人)。

 さて、金の使い方一つをとっても生活に大きな変化が生じることになるという事で、日常生活を送るにあたりどの様な変化が生じるかを考えてみた。

 ・毎週購入している「競馬ブック」が、関東版から関西版に変わってしまう。
 ・毎週末に観ている深夜競馬番組「うまなりクン」が放送されておらず、観ることが出来ない。
 ・勝馬投票券の電話投票受付箇所が東京と大阪にしかないため、電話料金が一挙に嵩む。
 ・名古屋市内から1時間圏内の競馬場が3箇所(JRA及び地方競馬)あり、生競馬観戦には便利。
 ・乗馬クラブも名古屋市内から1時間圏内にあり、此亦便利。

 此だけ重大な変化があるとは、なかなか看過できない問題ではないか。しかし日常生活の変化として直ぐに挙がったものが全て馬絡みとは、あな情けなし。


2000/06/19

悪夢

 先週見た夢を思い起こして愕然とした。親に勘当される夢、会社を首になる夢、手首を切って自殺を図る夢、首を吊って自殺を図る夢。此等が一週間のうちに訪れたのであった。前2つの夢は従来も偶に見る機会があったのだが、自殺の夢など此まで見た記憶がない。大体自分が死ぬ夢自体通常の人間はそうそう見ないと言うではないか。其れが僅か数日間で2度とは。体調が良くないから悪い夢を見るのか、悪い夢を見るから体調を崩すのか。

 しかし目が醒めている時に体調が優れず、静養しようと睡眠を摂ったとして尚気分が優れぬとは、もう踏んだり蹴ったりではないか。まるで苦しむ為に生きているようなものである。一体此の悪循環、何時まで続く事であろうか。


2000/06/18

不在者投票

 今回の総選挙のために不在者投票を行った。来週の投票日前日には通院の為に兵庫県に行っており、投票日に戻ってこれるかどうか現時点では不明確な為、偶々区役所近辺を通った序でに投票を済ませてきた。間違っても選挙当日に兵庫県で行われる宝塚記念を観戦するためではないし、縦しんばそうであったとしても投票の際に申告せねばならない「不在者投票事由欄」に「宝塚記念観戦」などとは書ける訳がない。

 其れにしても不在者投票の要件も大分緩和されたものである。私は選挙権を得て初めての投票日がサークルの合宿であったためにいきなり不在者投票を味わったのだが、確か当時は「冠婚葬祭」だとか4種類の事由の内何れかでないと不在者投票が認められなかったような気がする。処が今では選挙当日の単なる旅行だとか外出だとかであっても不在者投票が認められており、実際投票日かと思えるほどの人達が不在者投票を行っていた。それとて正々堂々と「不在者投票事由欄」に「宝塚記念観戦」と書いていた人間が居たとも思えぬが。

 其の一方、昔と全く変わっていない点が一つ。投票用紙に記入後、封筒に入れた状態で投票するのだが、「不正防止のため」との事で封筒に氏名を明記せねばならない。しかし一体、どの様な不正行為が為される可能性があるのであろうか。また、其の不正行為は投票用紙の封筒に氏名を明記することで防ぐことが出来るのか、そんな事をする必要のない通常の投票に於いては不正行為の可能性は無いのか、未だに良く解らぬ。個人的には不正行為防止云々以前に、開票時の開封の際に封書の氏名と投票用紙とを見比べることにより「誰が誰に投票した」が判ってしまい、此では投票の自由が保障されていないのではないかという懸念の方が遙かに大きいのである。


2000/06/17

名古屋人の美徳

 週末の深夜にNHK総合で過去の連続ものの特集を一挙に放送しているようである。GWにはIT技術を用いたマーケティングの実例や講義が深夜に数回分放送されており、広島旅行中に夜更かしをして堪能していたものだった。

 さて、今日放送されていたのは、或る地区の言葉から文化性を分析するという特集。数県分の特集をぶっ続けて放送していたのだが、其の中で愛知県が採り上げられていた。過去1年半程生活していたことがあり、今後も生活する可能性がある事、其の県民性・地方性については何かと思うところがある事などから、興味深く観ていた。其の中で私の目を惹いたのは、「愛知県人(というよりは名古屋人)を解くキーワードとして『お値うち』という言葉がある」というコーナーであった。

 以前名古屋で広告関係の仕事をしていた時、商品紹介の文面に必ず「便利でおトクな」を入れるよう強く指導されていた。名古屋に来たばかりの私にしてみれば、「おトク」という言葉で消費者を惹こうとするのは、其の語感も含め或る意味馬鹿にしているような表現ではないのか、だいたいそんな軽薄な言葉に惹かれるほど消費者は馬鹿でなかろうと思い、時には上司の指導に対してしらばっくれて「おトク」という表現を削った文章を作ったりしたのだが、其の都度いちいち「おトク」という言葉を付け加えられて「此の言葉が大事なのだ」と指導されたために、抵抗を諦めたのであった。

 で、今日の特集を目にして、当時の上司の指導を納得して受け容れることが出来たのであった。結局名古屋人は「『お値うち』というキーワードに弱く」、「お値うち」「おトク」というキーワードは「名古屋人のフィロソフィ」であり、そういったキーワードがあれば「買わないつもりでもつい買ってしまう」らしい。そしてそういった性質を「安ければ良いとは異なる、『けち』とも異なる」という事で、寧ろ「名古屋人の美徳である」と考えているようである(なお「 」内の文は番組内で紹介された、インタヴューに対する名古屋人の回答を、できるだけ原意に忠実に転記したものであり、番組コメンテーターや私による主観の類ではない。いちいちこう断っておかないと、只でさえ他地区の人間からとやかく言われるのを極度に嫌う(其の癖他地区の悪口を言って名古屋の魅力を相対的に語ることを極度に好む)名古屋人から多大な嫌がらせの類を受け兼ねないのだ)。

 成る程、価格と価値とを相対的に見て、価値が価格を上回っていれば不急のものでも思わず購入するという事か。よく考えるとそれって言い換えれば「お値うち」「おトク」という言葉に過敏に反応して購入行動に至ってしまう「浪費癖」ではないか。此が自らの口から「名古屋人の美徳」とは良く言ったものであることよ。


2000/06/16

オンライン証券

 資料を取り寄せてから半年余り、先日になってやっとオンライン証券口座を開設し、今日になってじっくりと其のウェブサイトをじっくりと覗いてみた。普通こういったものはウェブサイトをじっくりと覗いて勉強してから口座開設に至るのではないか、俺逆やんけ、と思ったりもするのだが。

 普通のオンライン証券がトップページに日々の株価情報や企業情報や商品紹介を掲載している処、此の会社はトップページ全体を用いて豹と象が原始時代を思わせる平原で我々に愛嬌を振りまいているのである。此処の中に何らかの経済情報が隠されているのかも知れぬと思い、戯れに豹をクリックしてみた。処が予想に反して、現れたのは豹のプロフィール。名前だとか性別だとか趣味だとかが紹介されており、此処でも愛嬌を振りまいている。

 象をクリックしても同様に彼の名前だとかが出てくるのではないかと思った私が甘かった。象は「ぱおーん!」と一啼きし、画面を右から左へ駆け抜けるのである。予期せぬトップページにただただ驚くばかりであった。此だけではない。平原のあちこちにカーソルを当ててみると、いるわいるわ獣達が。動くわ動くわ獣達が。驚くだけではなく存分に楽しむことが出来た。そんじょそこらのサイトにも観られない私好みの工夫。思わず今後つき合っていくべき証券会社のサイトであることを忘れてしまったではないか。

 処で、此の証券会社の売り物であるマーケット分析情報は早速月末辺りまで休止中との事。暫くの間、此のサイトを訪れる楽しみは、獣との戯れくらいということか。


2000/06/15

虚しき休日

 密かに1年前から此の日には休暇を頂こうと思っていた。毎年曜日如何に関わらず此の日に行われる「チャグチャグ馬コ」(2000/02/04参照)に参加したかったのである。因みに昨年は6月上旬に体調を崩して休暇を取っていたため、チャグチャグ馬コ用の休暇を断念したのであった。

 2000年のチャグチャグ馬コこそはと思っていた処、昨年7月に仕事が替わり、業務内容を鑑みるにとてもじゃないが2000年6月15日なんぞに休暇は取れぬ状況にある事が予想された。しかし結果的に今日休暇を取ることになってしまったのだ。勿論チャグチャグ馬コの為ではなく、前日から苦しんでいた風邪による高熱の所為である。

 重要な仕事でチャグチャグ馬コに行けぬというのなら幾らでも諦めがつく。元々チャグチャグ馬コが休日と重なる確率など僅か7分の2ではないか。しかし此の時期の重要な仕事も出来ぬ、チャグチャグ馬コにも行けぬ、というのであれば、一体私の2000年6月15日とは何なのであろうか。周囲への迷惑を慮る気持ちは勿論のこと、虚しさ、遣る瀬無さをひどく感じつつ、只管横になって何も出来ずにいた一日であった。


2000/06/14

戒禁

 1999/06/02でも触れたが、学生時代、明智光秀に縁のある史跡をあちこち訪れていた。京都に住んでいると彼に纏わる史跡の殆どが自転車やバス、遠くても精々電車で数百円という所に固まっており、今から思えばこういった環境も、私の明智光秀熱を高める一因になっていたのではないかと思われる。

 其の一環として彼の菩提寺に訪れる事になった。折しも彼の命日に合わせて「明智光秀顕彰会」なる団体が発足し、其の菩提寺に於いて講演会が行われるという事であった。更に其の寺はユースホステルも経営しており、当時旅行と言えば野宿と車中泊が主であり宿泊に於いて許された贅沢がユースホステルという私にとっては、正に格好の場での格好のイヴェントに参加することが出来たのであった。

 寺のホールで行われたイヴェントに参加した後、宿泊のためにユースホステルとなっている寺の宿坊に入った私は、先ず食事を摂る様勧められたのだが、メインディッシュがハンバーグであった事に多少驚いた。野菜が好きで肉は今ひとつ好きになれない(ハンバーグは好きなのだが)私はもっと寺社らしい精進料理的な食卓を期待していたからだったのだが、「今時の寺はいちいち殺生だとか言っておれないのであろう。抑も親鸞なんぞは1000年も前に自ら率先して戒禁を破っていたではないか」と納得しつつ、結局寺社内に於いて殺生の結果たる肉塊を嗜んだのであった。

 食が進んでいく内に、寺の方がビールを勧めてきた。「今時の寺はいちいち酒色だとか言っておれないのであろう。抑も親鸞なんぞは1000年も前に自ら率先して戒禁を破っていたではないか」と思ったのだが、冷静に考えると私は酒が飲めないのだ。一旦は断るが其処は日本人同士、再度勧められて断り切れずにビールを口にすることになった。

 満腹の上酔いも回り、其の儘そこら辺で何時ぶっ倒れてもおかしくない状況で、何とまあ非情なこと、即入浴するよう指示されたのであった。もう酔いが回るわ回るわ。危険を感じて風呂はそこそこに切り上げて自室に戻った。其処からは殆ど記憶がない。20畳はある畳部屋が私の貸切となっていたのだが、そんな贅を堪能することなく、気がつけば既に眠りに就いてしまっていた。あな勿体無や。酒を飲むと分かっていたのであれば事前に出来る限りの対策を打っていたであろう。寺社に於いて酒肉を味わうことなど予想だにしなかった私の敗北であった。


2000/06/13

解禁

 どうやら最近のTVCMでは流血が大っぴらに認められたようである。以前は映画やドラマの紹介のためのCM以外ではなかなか目にする事がなかった流血シーンが、一般の商品のTVCMで堂々と罷り通っている。日焼け油のCMでは浜辺で戯れる男女が喜びながら暴力行為に及んだ挙げ句に男性が殴られ勢い良く鼻血を飛ばしたり、カメラのCMでは死体、而も口などから血を流している死体に対して、プリクラ風写真をぺたぺたと張り付けてみたりと、少なくとも言葉で書いている限りでは凡そ商品イメージにプラスに働くとは思えぬものがある。注目すべきはパソコン界。或る会社では人気タレントが敵に殴られて鼻血を出しており、別の会社では別のタレントの顔がアップになったかと思えば青い鼻血を流している。因みに両者のタレントは同じグループに所属するという共通項があるところが興味深い。

 今春辺りから一斉に各TV局に於いて「CMでの流血解禁」という事にでもなったのであろうか。縦しんば解禁になったとして、其れを嬉々としてTVCMに用いる企業が少なからず存在するという厳然たる事実。CM自体の出来不出来はともかく、「CMは時代の鏡である」とは蓋し名言である事よ。


2000/06/12

皆勤

 中学時代、1年生の冬に流行性感冒で2日程学校を休んだのだが、其の年度の終わりになって、「皆勤賞」という概念が其の学校に存在すること、3年間無遅刻無欠席で初めて其の賞を得ることが出来ること、また、流行性感冒を含む悪性伝染病の場合には感染時に医師の診断書を学校に提出すれば「出校停止」となり「欠席」扱いにはならない事を知り、中学生活の三分の一の時点で既に其の賞を受ける資格が無くなっていることに多大な衝撃と悲しみを感じたのであった。

 そして高校生になった時に、密かに3年間無遅刻無欠席で皆勤賞を受けることを目標にしていた。夜行列車で登校したり(1999/09/05参照)、右脚を怪我してまともに歩けなくなったり(1999/11/23参照)、体育の授業中に口内を数針縫う怪我をしたり、停学処分すれすれの行為で咎められたり、等という危機はあったものの、結局3年間、どんなに体調が悪くとも怪我をしようとも、悪性伝染病や部活以外で欠席することなく過ごし、卒業式の際に皆勤賞を受けることが出来たのであった。

 此の学校では他にも毎年成績優秀者に対する表彰があり、其方の方が賞品等もずっと立派であった。私は終ぞ其の賞には縁が無かったのだが、皆勤賞の賞状を目にした親が「成績優秀者への賞は1年のうちのテストで頑張ったら貰えるけど、皆勤賞は3年間毎日頑張らんと貰えん賞やねんで」と誉めてくれた事により、3年間努力の甲斐あって本当に良い賞を受けることが出来たなと痛感したのであった。蛇足であるが、私の親が私を誉めたことは過去数回程度、其れに対して私も心から喜んだ事は後にも先にも恐らく此の一度だけである。

 其の時の喜びや誇りといったものが今となっては懐かしい。今年に入り一体何度体調不良が原因で会社を休んだ事か。当時を懐かしむと共に現状を悔しがりつつ、今日も出社できずに病床に就いている次第。


2000/06/11

公共広告機構

 大阪で競馬のテレヴィ中継を観ていて気付いたのだが、結局私は何処に行っても競馬無しでは生きていけない体になったようである、というのは嘘で、中継番組の最中に公共広告機構のTVCMが異常に多かったように思えた。特に、此の時間帯が消費者金融のTVCMの独壇場となっている関東と比べると其の異常さが非常に気になるのである。

 通常公共広告機構のTVCMは、どうしても広告主の就かない時間帯だとか、広告主に何かがあって急遽予定のTVCMが放送できなくなった時に流れるものであるという認識があるだけに、余程広告主が競馬番組の提供を嫌がっているのか、其れとも普段此の時間帯に流すべき広告が何らかの事情に拠って流せぬ状況に置かれているのか、無性に気になっていたのである。しかし今日、東京ローカルの競馬中継を観ていたのだが、特段広告状況に異変はみられなかった。即ち後者の理由ではないという事である。

 別に関西に偏見を抱いているわけではないのだが、寧ろ関西の方が、競馬中継視聴者をターゲットにしたアグレッシヴな広告主によるアグレッシヴな広告活動が行われているのではないかと思われただけに、関西での公共広告機構の躍進は意外なものに思われた。

 ひょっとすると、「関西の競馬中継視聴者」=「公共常識に欠ける」=「積極的な公共常識啓蒙活動が必要」などといった理由によるものではなかろうかという気がしてきたのだが、単なる見込み違いであって欲しいと思うものである。


2000/06/10

新メニュー

 昨夜職場から直接大阪に向かい、其処で一泊した後本日の通院に備えた。寓居からの所要時間を考えてみれば片道5時間。今時東京からだと青森でも福岡でも行ける位の時間ではないか。診察だけで帰宅するのも些か勿体なかろうと思い、大阪でもう一泊する事にした。密かに其の背景には、過去に何度か触れたラーメンチェーン店「天下一品」の新メニューを試してみたかったという理由があった。新メニューは全国一斉発売ではないのだが、本店が比較的近い大阪なら既に発売しているのではないかという期待を抱いたのであった。

 大雨の中新大阪駅から電車で一駅、更に地下街を進むこと10分、天下一品北新地店に赴く。ホームページや店内の写真で目にする「潮彩ラーメン」の売り物は、丼の表面を覆い尽くす具沢山の海鮮と、それら海鮮の織りなす出汁のようである。躊躇わずに注文した後価格をよく見て他商品と比較しての余りの高価さに驚嘆。更に出てきた品物を見て更に驚嘆。具なんぞお情け程度に切れ端が紛れ込んでいるという表現がぴったりであったのだ。

 失望で一杯に成りつつある心を鎮めるべくスープを口にする。おお海鮮の出汁。しかし此の味、長崎チャンポンチェーン店「リンガーハット」のチャンポンスープとさして味が変わらぬ。ラーメンを良く掻き混ぜてみると、従来のオリジナリティ溢れるこってりスープと海鮮出汁とが見事なハーモニーを奏で…いや、別々の方が美味いわ。

 1999/12/31で述べた通り、天下一品に於いては過去100杯以上を食した自らの舌を信じてメニューを選ぶのがよろし。努々奇妙な冒険をする無かれ。


2000/06/09

或る処分

 先日のプロ野球の試合に於いて、何度か打席を外して投手のペースを崩そうとした(という意識があったかどうか知らないが、結果的にそう解釈される行為となった)打者に怒った投手が、怒りの余り打席を外した場所に居る打者の頭部の近くを狙って威嚇のためにボールを投げつけた、という事件があった。此の行為に対し審判からのお咎めが全くなかったにも拘わらず、翌日になってセントラル・リーグ連盟から処罰が下ったのだが、其の処分の内容を巡って、其の投手の行為以上に熱い議論がマスコミ上で為されている。

 因みに、投手の言い分としては「先日審判に暴行を加えた選手達よりも重い処分なのが納得がいかない」、投手側の監督の言い分としては「言い分も聞かずに外国人だから重い処分というのは納得がいかない」などというものである。どういう訳か打者側の言い分が今ひとつ聞こえてこないのが気になるのだが。

 其れは兎も角、マスコミでの議論の一環として、街角の一般人やタレント等に対してインタヴューを行っている光景が見られるのだが、んなもん投手側のチームのファンは「厳しすぎる」と言うだろうし、打者側のチームのファンは「軽すぎる」と言うであろうに。

 此が若し我々の生活に密接した国家施策等についてのインタヴューなんぞであれば、多少は自らの私利私欲に囚われずに大局的見地から是々非々の回答を行う人物もいるであろう。しかし問題はプロ野球である。大局的見地から球界の今後を見据えた上で自らの利害を超えて是々非々の判断を示すような人物が一体どれ程居るというのであろうか。そんな事を考えながら贔屓の球団を持って応援している輩などそうそう居まい。そう考えると、恐らく投手側のチームのファンが異常に多いと思われる東京の新橋あたりのサラリーマンにインタヴューを行って「投手への処分が重すぎる」という声を引き出したところで、全く意味がないではないか。せめて回答者達がどのチームのファンなのかも情報として提供すべきでは無かろうか。

 其れにしても、プレイ中の正当な投球についても、頭部への投球があれば即退場となるにも拘わらず、本来投球すべきでないタイミングに於いて故意に頭部への投球が行われたことに対して何ら指導なりを行わない審判に対する処分が軽いことについては問題がないのか。又、其の投手と同じチームの投手が以前同様の行為を審判に対して行った際の、連盟及び球団の処分(確か無期限出場停止だったか)に比べれば、今回の処分は遙かに軽い処分ではないのか。此等の点に於いて、マスコミでの議論が余りに少ないのが非常に気になるのだが。


2000/06/08

煙草写真

 書物や個人ウェブサイトのプロフィール写真等でよく見かけるのだが、どういう訳か煙草を手に持ったり煙を吹かしたりしているものが散見される。本人の顔写真以外に煙草の銘柄だの煙だのをわざわざ写真に取り込む理由というものは一体何なのであるのか、少し考えてみる。

 「常に煙草が手放せない、口から離せない、生活必需品となっている」という理由で写真撮影時にも堪らなくなって手にしてしまったという事なのだろうか。だとすれば、珈琲を手にした写真だとか携帯電話を手にした写真だとかも同じくらいあっても不思議ではないと思うのだが、少なくとも私は余り見かけない。

 何らかの格好良さをアピールしているのであろうか。しかしそういった格好良さを感じることの出来る人物など精々本人くらいではないのか。だいたい冷静に考えれば、プロフィール写真って自らの格好良さをアピールする場なのだろうか。縦しんばそういった場であったとしても、逆に「こいつ煙草が無ければ格好良さが伝えられんのやろうなぁ」と思ってしまうのだが。

 「自己のアイデンティティの表現」としてわざわざ煙草を手にしたのであろうか。プロフィール写真の趣旨としては此の理由が最もすんなりと受け容れることが出来よう。確かにピアスだとか帽子だとかを着用した写真は見かける。しかし煙草は別に身につけるものとは些か性質が異なるのでは無かろうか。「私の好物はプリン」という人が其のキャラクターを説明するためにプリンの写真を紹介することはあっても、プリンを貪っている写真を紹介することはそうそう無かろう。だったら煙草を「自己のアイデンティティの表現」と考えている人は、只単に煙草の写真を紹介しておけば良いではないか。


2000/06/07

苦痛の程度

 唐突に数学欲に目覚めてきたので、暫し数遊びを楽しんでみる。今日のお題は「2000/05/18で触れた『精子を賭けた戦い』に敗れた私は如何ほどの苦痛を味わったのか」である。

 真偽の程は定かではないのだが、高校時代から現在に至るまで複数の人物から耳にした俗説として、「一般男性の一生に於ける精液射出量は一升瓶17本分である」というものがある。此の命題を真とした上で具体的射出量を計算してみると、1800cc×17=30600ccとなる。この内私が賭けの代償として不必要に射出した24ccというものは一生分の0.078%となる。精液の射出という点に限れば、私は一生の0.078%を賭けの代償たる不要な苦痛として味わったことになる。仮に私の一生が70歳で終わると仮定すれば、25568日(閏年考慮)×0.00078=約20日間に相当する苦痛ということか。一生のうちの20日間分を賭けの敗北の代償として失ったということになり、此は全く以て看過できない数字ではないか。要は私の人生の内20日間を賭け事の相手の言いなりになっていたということであり、凶悪監禁事件にも匹敵する位の不自由に値するのだ。

 以上の計算を行った結果、数学欲に目覚めねば良かったと多少後悔の念を抱かずにはおれぬ。


2000/06/06

続・通院

 今週末には嘗てお世話になった方のご自宅にて泊まりがけのホームパーティーに参加させていただく予定だったのだが、急遽寓居から600kmも離れた処の医者に行くことにしてしまった。2000/06/02で触れた職場近辺での通院に見切りをつけ一度信頼の出来る医者に診察を受けることにした結果なのだが、少なくとも現状の生活スタイルに於いては幾ら週末とはいえ定期的に通院することが出来ないのが難点である。

 ホームパーティーを取るか通院を取るか。怪我を考慮してレジャーに現を抜かした結果非道い目に遭った経験は1999/11/23で触れたとおり。具体的には書かぬし書けぬが現状の自らの病状を考慮するとそうそう通院を先延ばしにする訳にもいかぬ。更に言えば7月に社内異動の可能性があり、下手をすれば6年近く住み慣れた寓居を引き払わねばならぬ。寝床上の書籍物ですら満足に整理できぬ私が部屋全体の片付などそう簡単に出来る筈もなく、其れを考えると6月後半は自らの健康以上に部屋の片付を心掛けねばならぬ。斯様な理由により楽しい予定を反故にして泣く泣く通院を選択した次第。


2000/06/05

お医者さんごっこ

 2000/06/01で「ごっこ」を、翌日の2000/06/02で「医者」を採り上げた所為であろう。読者の方からお医者さんごっこに纏わるお便りを頂いた為、今回のネタが必然的に「お医者さんごっこ」になってしまった。

 初めて辞書を手にした際に落丁や辞書能力のチェックも兼ねて皆が先ず行う行為として、自らの知っている限りの猥語を調べてみて悦に入るという行為が挙げられるが、ご多分に漏れず私もそういった行為を愉しんでいた時期があったのだ。左様な行為で相当の猥語を身につけた積もりであったのだが、残念なことに猥語という認識の全くないまま耳にしていた単語が存在したのだ。其の代表的なものに「お医者さんごっこ」という言葉がある。

 小学校時代の事、周囲が「お医者さんごっこ」と言っては下卑た笑みを浮かべたりキャーキャー言っていたりするのを見て私には全くピンと来なかった。当時ドラマや漫画の影響で医者の世界が怖いと感じる一方で、血液検査の結果親子判定を行ったり難病を外科手術等によりたちどころに治してしまうなど、非常に高度で貴重な世界だと感じていた私には、「お医者さんごっこ」なる遊びは非常に崇高な遊びに思われたのだ。何で皆が挙って「お医者さんごっこ」を馬鹿にしたような発言をしているのか納得しかねていたのであった。

 そして其の不可解さはピークを迎えることとなった。医者と患者の立場に分かれて手術や治療の真似事をして医者気分に浸りたくなった私は小学校時代の或る日に知人の女性に対してお医者さんごっこへの参加を呼びかけたのだが、非道く嫌がられた挙げ句先生に指導される結果となってしまったのだ。結局一体何がいけないのか判らぬ儘怒られるという不条理を味わうことになってしまったのだ。

 結局「お医者さんごっこ」なるものが医療行為に託けて他人の衣服を剥ぎ取った挙げ句触診と称して乳を揉みしだいてみたり陰唇を広げてみたり陰核を摘んでみたり肛門の襞を伸ばしてみたりし、尿検査と称して排尿シーンを目の当たりにする事により羞恥心を煽り、最後には注射と称して他人に陰茎を没入させたり経口投薬と称して口内射精したりするという、途轍もなく犯罪に近い行為(というか犯罪ではないか)を行うという、小学生にあるまじき「ごっこ」であるという事を知ったのは中学になってからのことであった。其の暫く後に医者を志そうと思ったのだが、決して「医者になると『お医者さんごっこ』みたいな事ができるわい。イッヒッヒッ」という動機からではないことを強く断言しておく。


2000/06/04

夢の中で・3

 不条理な夢を見た。1999/09/09のように後味が悪かったり1999/07/26のように恐怖感漂う夢ではなかったのが不幸中の幸いであったのだが。

 念願のマンションに引っ越した私は、いきなり其の夜から奇妙な来訪者を受けることになった。「今日はもうやってないんですか?」と私に尋ねる少女。何のことか判らずに扉を閉める。

 処が朝になって仰天。知らぬ間に其のマンションがドライブインに変わっており、私は土産物やレストランの真ん中で生活する事になっていたのである。マンションの扉はガラスになっており、プライヴァシーが無いばかりか次々と見知らぬ客達がづかづかと入ってくる。朝からひっきりなしにやってくる車連れの家族、アヴェク、団体。彼等が土産を物色し、飲食を行っている中で、私は日常生活を送らねばならない。時には店員に間違われ、来客からのクレームを受けることも。此は堪らぬと大家に掛け合ったのだが、返事は「夜に店を閉めたら室内も落ち着くので其れまで待て」との事。そして夜を迎え、調理師も帰宅した後のがらんどうとした厨房を覗きつつ、レストランの奥座敷の畳で床に就いた。

 不条理な夢の中に於いても、只一点糞詰まらぬ部分は現実と一致していた。夢の中ですら、私の寝床は1999/10/03で触れたように書物に囲まれていたのである。


2000/06/03

山手線占い

 「元祖・動物占い Lucky animal !」を主宰する者としては最近の後発のオンライン占いブームが気にならないと言えば嘘になる。2000/04/30の「回転寿司占い」に続き、「山手線占い」なるものを試してみた。其の結果、私は田端駅だそうである。山手線と京浜東北線との分岐駅にも拘わらず「交通の要所」的なイメージもない。「格好いい」も「格好悪い」も判断しかねるくらい取り立てて何のイメージもなく、駅前にこれといった名所が在るわけでもない。山手線や京浜東北線の車掌アナウンスを楽曲にしているSUPER BELL''Zの曲の中でも一度も触れられないなど、名は知られているが地味な駅である。一般人にとっては田端は山手線界のヤブイヌとも言える存在か。

 で、その田端駅たる私の分析結果はと言えば、「若さ度50点、洗練度34点、パワフル度37点」だそうである。最初50点満点かと思ってしまったではないか。そして私の特徴は、「あなたは、もう隠居してしまったのでしょうか。あなたからは、あまり活力というものが感じられません。いつも縁側で茶飲み友達とゆっくりとお茶を楽しんでいる、そんな印象をあなたは発しています。あなたの生き方自体も、非常にマイペースです。ひじを張らずに自然体が一番、これがあなたの考え方です。」確かに後半は全くその通りであるが、幾ら何でも「隠居」「茶飲み友達」は無かろうに。そしてアドバイスとして「マイペースこそが、長生きの秘訣です。とはいえ、いつも気を抜いた状態ではボケてしまいます。たまにはリフレッシュも兼ねて、街にくり出しましょう。」との事。別に長生きのためにマイペースを保ちたいという意識を持っている訳でもないのだが。だいたい、2000/04/30の「回転寿司占い」で判断されたような、ポジティヴな自由志向とは明らかに相反して居るではないか。

 僅か1ヶ月のうちに、ハイティーンから一気に老年に足を踏み入れてしまったかの様である。斯ういう時こそ「元祖・動物占い Lucky animal !」で一発ギャグを考えることにより心も体もリフレッシュすべきである。


2000/06/02

通院

 夕方になり仕事を勝手に切り上げて先週初めて訪れた医者に通ったのだが、其の結果何とも遣る瀬無い気持ちになったのだ。先週頂いた薬を服用してからの状況を問われ、病状的には変化のない事、眠くなるために夜しか飲まないようにしている事を伝えた処、薬の種類を減らして処方するとの事であった。此処までは良い。自分の病状について今後どの程度の加療を要するのかについて目処を伺った処、事もあろうに鼻で笑われ、「そんなもの人によって長いものから短いものまでまちまちだから判りませんよ」との事。

 此の医者は加療の期間の検討もつけずに次から次へと薬を投与しようとしていたのであろうか。現状で判断が出来ないのであれば必要な情報を患者から聞き出して分析の一つでも行うべきであろうに。抑も加療期間を尋ねられているのに対して自らの判断が出来ないことを率直に伝えれば其れで済むものを、鼻で笑うことなど無かろうに。

 以上数分の出来事で診療費として1100円を要した。単に経済的な理由だけでなく、今の私にとって最も頼りにせねばならぬ職業の人間に其の信頼を裏切られたという事が、私を堪らなく辛く悲しく遣る瀬無い気持ちにさせてしまったのである。診療時間終了ぎりぎりに訪れたせいもあろうが、白衣を脱ぎ捨てすっかりお帰りモードになった医者に斯様な態度を執られただけに、余計左様な気持ちが強いのである。

 医者を変えれば解決する問題なのだろうが近場で平日夜間若しくは休日に開いている場所が見付からぬ。まだ暫く遣る瀬無い気持ちを抱き続けるのか等々も含め、降って湧いたような体調不良に起因する自らの先々について色々と考えるべき事が多すぎる今日此の頃。


2000/06/01

鼬ごっこ

 確か昔「ナマケモノが見てた」という漫画で「鼬ごっこ」なる言葉の語源について触れられていたのを目にしたことがあったのだが、今時になって気になり出し始め、広辞苑で調べてみた。「二人互いに相手の手の甲をつねって自分の手をその上に載せ、『いたちごっこ、ねずみごっこ』と唱え、交互にくりかえす子供の遊戯。」との事らしいのだが、一体この遊戯、どういった点に楽しみを見出すことが出来るのか、そして其れ以上に、この遊戯のゴールは何なのか、不思議でならない。

 前者の疑問については、「いたちごっこ、ねずみごっこ」なる言葉を只管繰り返すこと自体が面白いのではないかという推測が成り立つ。得てして餓鬼というのはそういう言葉の繰り返しや調子の良さに喜ぶものである。数年前よりTVCM界で脚光を浴び、昨年の「だんご3兄弟」ヒットを演出した佐藤雅彦の繰り出すコピーワーク(日本電気「バザールでござーる」等)が人口に膾炙するのと同様の事であろう。

 後者の疑問については、「痛がった方が負け」「先に飽きた方が負け」「『いたちごっこ、ねずみごっこ』という言葉をいきなり『かわうそごっこ、やぶいぬごっこ』などと言い間違えた方が負け」等が考えられるのだが、どれにしても今ひとつ決定的な論拠に欠ける為、正解を絞ることが出来ないで居る。

 此処まで書いて新たな疑問が湧いた。抑もこの定義、「『いたちごっこ』と唱える遊戯だから『いたちごっこ』と呼ぶ」って、余り良い定義とは言えないのではないか。何故数ある獣の中でわざわざ鼬と鼠を選び「『いたちごっこ、ねずみごっこ』なる語を遊戯のルールとして定めたのかについての解説が無いことには、頭の中のもやもや感が払拭されないのだ。


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