エゾシカの  2000/02/01〜2000/02/29

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2000/02/29

時刻

 通常人とは異なるのかも知れぬが、私の場合日常生活に於いて24時制を用いる機会が少なからず存在する。一つには、幼少時から時刻表等を目にしていた為に24時制表記が自然に身に付いてしまった事、もう一つには、とりわけ学生時代に乱れた生活をしている内に、12時制だと通用しないケースが多々生じてきた為である。例えば「11時に待ち合わせ」といった場合などは、午前11時のケースと午後11時のケースとが両方とも十分想定されるような生活を送っていたからである。

 さて、今日、飲み会の案内を作成したのだが、開始時刻の欄を一風変わった時制で記してみた。「戌の刻」。子〜午は「午前」、午〜亥は「午後」と、いちいち数字を頭の中に入れて「12より小さいか大きいか」を考えるのに頭を悩ませるまでもなく、直感的に午前午後が把握できる。自ら使ってみてその明快さに感動。

 問題はまだ普及度が今ひとつ低い事であるが、「昨夜寝付いたのが丑の刻だったので今日はしんどい」「来週の会議は巳の刻ちょっと過ぎから」「明日の出張は午と未の境ちょっと前の『のぞみ15号』で行きます」等、日々多用することによりその明快さ、簡便さを啓蒙する必要があろう。


2000/02/28

コンピュータのCM

 個人向けパソコンのTVCMに於けるコミュニケーショントレンドを振り返るに、「日本電気によるパソコンの認知度向上→日本電気対他社という構図下での高性能高機能訴求→各社参入に伴うブランド認知度向上→初心者ユーザー獲得を目指したサポート力および操作性の容易さの訴求→その際に獲得したユーザーの買い換え需要獲得のためのコストパフォーマンス訴求」という流れであったのではないかと思われる。そして、最近のトレンドは、従来見られた「何でもできるパソコン」(=高性能高機能訴求)と「初心者でも触れるパソコン」(=操作性の容易さの訴求)とを両方満たすという、誠に欲張りなテーマではないかと思われる。ウェブサイト開設だとかオンライントレードだとか動画編集だとかが、パソコン買い立ての初心者にも即出来るかのようなTVCMが目に付くのだ。

 しかしそれは幾ら何でもまずくはないのか。例えばウェブサイト開設なんぞ、プロバイダ契約→ウェブサイト用ファイル作成→サーバへのファイル転送→豚の写真を公開したり、オリジナルの髪型を公開するとたちどころに何らかの反応があるぐらいの人気サイトに成長、という過程が無いことには、TVCMのようなシチュエーションは成立しまい。無論パソコンメーカー側は、パソコンの可能性の例示として、機能性および操作性をフルに活用できればこういう世界も夢ではない、という事を伝えようとしているのだろうが、情報の受け手は「私にも簡単にあんな事が出来る」という誤解をすることになる。そして結局、ユーザーには不満が残り、メーカー側はマンパワーによるサポート体制の強化ということでその「誤解」に応じようとし、人件費等によるコスト増を招く事になるのである。お互いにとって好ましい事とは言えまい。

 ここまでは悔しいことに先日の日本経済新聞で先に採り上げられてしまったネタである。悔しいので、法人向けコンピュータの話に移る。法人向けの場合、ハードウェア単体ではなくシステムそのものについてのコミュニケーションが主流と言えよう。となると、TVCMの15秒という限られた時間の中でシステムの概要を伝えようとするのは非常に困難であるため、どうしてもイメージ広告が主流となる。取り敢えずはTVCMで企業およびシステムの認知度を上げ、メジャー感を醸成し、セールスマンの営業活動を支援するという、B to B広告(企業向け広告)に於ける間接的効果を期待するというものであろう。

 その中で、具体的な世界を見せているのが日本IBMの「e-business」のTVCM。しかしこれ、具体的な世界であるのは良いが、どう見てもメールや電話やfaxでも代替可能な世界を見せているに過ぎないのではないか。確かにe-businessの概念すら知らぬ人に訴求するのには判りやすい例なのかも知れぬが。良い悪いは別にして、法人向けコンピュータの世界では、個人向けパソコンの世界と異なり、メーカーが比較的初心者の側に視点を下ろしているように思える。


2000/02/27

三重県

 仕事帰りに1999/11/12で触れた場所を通りかかったところ、今回は三重県四日市市の観光展が行われていた。四日市市といえば「萬古焼」がその名産として名高い。関東圏の方々は皆挙って卑猥な想像をしているものと思われるので事前に断っておくが、「萬古焼」と書いて「まんこやき」ではなく「ばんこやき」と読む。従って、昔所謂スケバンと呼ばれる人種達の間で一大ブームとなった、女陰に煙草を押しつけたりライターで陰毛を燃やしたりする「土手焼き」なる私刑とは一切関係がない。第一萬古焼の方が歴史的に土手焼きを遙かに凌駕しているのである。尚、当然今回の観光展でも、関東圏仕様なのであろうか、「萬古焼」という表記の全てに「まんこやき」ではなく「ばんこやき」と親切にルビが振ってあった。因みにこの段落の3つ目の文からは、女陰の事を「まんこ」と称する習慣のない地域の方々には一切意味のないものである。

 四日市市を売り込むついでなのか、三重県観光キャンペーンのポスター類も所狭しと並べられていたのであるが、今回のキャンペーンのメインキャラクターは中尾ミエ、となると想像通り、キャッチコピーは言うまでもなく「中尾三重県」である。観光展で掲出されていたポスターでは、中尾ミエが海女姿になっていたものだけだったが、他のヴァージョンでは、伊勢海老の顔の部分に中尾ミエを合成して触覚等を引っ付けるという思いっきりグロテスクなものも存在するのである。

 確か三重県には以前もこのような大胆広告があった。数年前に開業したテーマパーク「パルケ・エスパーニャ」。一般的には「志摩スペイン村」と呼ばれている。開業時は極めてオーソドックスに、スペインの明るさを歌い上げるテーマソングを用いたTVCMを作っていたのだが、施設の評判は今ひとつで、突然起死回生の広告展開を行うことになるのである。

 メインキャラクターは岩下志麻、となると想像通り、キャッチコピーは「岩下、志摩へ。」であった。ループ式ジェットコースターを運転させた時の告知広告などもう行くところまで行ったようで、岩下志麻の顔写真をループ型に並べたポスターを作成したり、「極道の妻たち」を想起させる着物姿でジェットコースターに乗せて「もう乗らへんで」と絶叫させたりするTVCMを流したりと、岩下志麻を玩具にしたい放題であった。タレントを好き放題玩具にしたという点では、恐らく「日清ラ王」のCMで椎名桔平に全裸かつ尻丸出しでラーメンを食べさせた一連のTVCMに匹敵するものであろう。

 となると、将来的には、三重県松阪市の広告では松坂大輔あたりが「僕は、松阪大好。」などというコピーで、同名張市の広告では前田美波里あたりが「美波里は名張」などというコピーで、それぞれ思いっきり玩具にされそうである。密かに電通あたりでは、前田美波里に名張で前貼りを着用してもらえるよう水面下で交渉を進めているのでは無かろうか。


2000/02/26

外来語の日本語表記

 私が拘っている日本語表記方法の一つに、「外来語は可能な限り原音に忠実に表記する」というものがある。英語の場合、流石に[r]と[l]との区別は不可能であるものの、[b]と[v]との区別は必要ではないかと考えているのだ。具体的には「テレビ」よりは「テレヴィ」、「ビデオ」よりは「ヴィデオ」、「ボーカル」よりは「ヴォーカル」を好んで多用している。ただ一つ難点は、こういった表記がどうやら一般的ではないせいか、ワープロ等に於いて入力語を片仮名に変換しようとしてもまず出てこない事である。「エゾシカの嘶き」をご覧になって、「あいつ何が『原音に忠実に』じゃ。『イベント』の『ベ』って、[be]ではなく[ve]やろ」と思われるような事があれば、それは私のポリシーの無さではなく、ワープロで変換できずに面倒臭くなってしまいそのままにした、という好い加減さが原因なのである。

 という訳で、昨日書いた文章の2段落目、1文の中に「インタビュー」と「インタヴュー」という表記が混在していたようである。書いている途中で妥協を許さなくなった事と思われる。さり気なく修正しておいた。尚、昨日の文章について付け加えれば、「テレビ朝日」等、標章や固有名詞については、原音ではなく表記を重視して記述することにしている。早速私の好い加減さにツッコミを入れようとした方、残念。


2000/02/25

椎名林檎・3

 合コンから帰宅し何気なくテレヴィのスウィッチを入れた処、或る音楽番組で椎名林檎の特集を組んでいた。奇しくも先週「エゾシカの嘶き」に於いて椎名林檎について触れたばかり。どういった切り口で採り上げているのかが気になり、服も着替えぬ儘番組に見入った。

 街頭インタヴューで椎名林檎の魅力についての声を一頻り拾った後、識者へのインタヴューとプロモーションヴィデオによる曲紹介を挟み、尤もらしい分析が行われていた。

 その特集に於いて非常に特徴的だったのは、歌詞およびプロモーションヴィデオにおける独創性については様々な考察が加えられていたものの、曲自体やヴォーカルについてはさほど触れられていなかった事である。そう言えば、2000/02/162000/02/17で私が触れた椎名林檎に関する文章もそうではないか。

 元々私が椎名林檎に接してみようと思ったのはTVCMで矢鱈耳に残る独特のヴォーカルを聴いたのが切っ掛けであったのだが、いざCDを購入してみて強烈な印象を受けたのはその詩であった。決して曲や声が取るに足らざるものではない。詩についての印象が強烈過ぎるのである。「歌舞伎町の女王」なんぞ、長年母親と共に歌舞伎町で君臨して悲哀を知り尽くしていないと描ききれないような詩であり、とても東京生活数年目の二十歳そこそこの女性が書いたものとは思えぬ。そんな訳で、結局曲について論じる遑が無くなるのである。

 それは兎も角として、その番組を見終わった後、「日本経済新聞に続き、テレビ朝日も『エゾシカの嘶き』を参考にして特集を組むようになったのか」と感慨に耽っていたのであるが、よく調べてみると、今月中旬あたりに朝日新聞に於いて、識者による椎名林檎論が既に展開されていた模様である。どうやら現在の処、トレンド把握というテーマに限って言えば、朝日新聞>エゾシカの嘶き>日本経済新聞という図式が成り立っているようである。


2000/02/24

先日

 「エゾシカの嘶き」を含め、過去に物してきた文章を顧みるに、「過去の経験→その時感じたこと→振り返って思うこと→まとめ」というスタイルのものが多い。このスタイルを用いながら日々何らかの文章を物していると、比較的記憶が鮮明である暫く前の体験について述べる機会が否が応でも多くなってしまうのだが、そうなると必然的に、時制語となる冒頭が「先日」という言葉になってしまう。

 考えてみれば便利な言葉である。書き出しとしても何ら不自然でない語であるし、時制語としても、昨日から数ヶ月前までという広い範囲を一言で表すことができるという汎用性や、明確に日時を特定することによる諸般の不都合(例:「貴方!この日は私の誘いを断ったくせに『先週の日曜日、馬と戯れた』ってどういう事!私より馬の方がいいの!?」「あ、うん…実は…」)を避けるという利便性を有している。

 とはいえ過去の文章に一気に目を通していると、好い加減飽きてくるのも事実である。2月執筆分だけを見ても、昨日までの珠玉の23本のうち、冒頭が「先日」となっているものは5本、先日率は2割1分7厘。阪神タイガースの勝率をも軽く上回ってもおかしくはない数字である。とは言い過ぎか。

 そういえば高校時代に接した筒井康隆の随筆「玄笑地帯」、全24話それぞれの文章の出だしに、毎回異なる副詞・接続詞が用いられている。しかもそれぞれ、不自然さを殆ど感じさせないのである。当時より自らの「先日」文に若干の呆れを感じつつあった私は、毎回の連載を読む度、斬新さと共に羨望を感じていたものだった。

 という訳で、その時の感情を呼び起こしつつ、目下刺激的な書き出し語を思案中である。


2000/02/23

読書感想文

 高校時代、月1回の読書感想文を強制されていた。当然の如く課題図書は学校側で選定されるのであるが、所謂「保守反動文化人」系の書物が好んで選ばれるといった、内容についての嗜好だとか、書物が生徒に配布されるときにはカヴァーに付いている「10枚集めたら洩れなく特製ブックカヴァーを差し上げます」という部分が全て切り取られていたりなどという、教師という立場を利用したせせこましい行為などから、選定者の性格が垣間見られたものであった。

 それはさておき、感想文の分量は「概ね原稿用紙1.5〜2枚」と定められていたのだが、毎回毎回私は、タイトル→名前→表紙のデザインについての感想→筆者について私が知っていること→本の最後の方に出てくる印象的な言葉についての感想→若干分量が短くなってしまった事への反省、といった構成で提出していた。

 別に読書自体が嫌いだった訳ではない。大きな試験のない月なら月間30冊は雑誌以外の書物を読んでいた。また、文章を書く行為そのものも実は嫌いだった訳ではない。毎年文化祭の時期には文芸部の機関誌を中心に、5本程度の小説や詩や論文等を好んで投稿していた。

 嫌だったのは、自らのものの考え方と到底相容れない書物を無理矢理読まされること、しかもその内容が特定の教師の嗜好によって決定されていることである。更に、そういった書物について「感想文」を書いたところで800字に収まる筈がないのである。一度渡部昇一の書物に対する「感想文」を書いたところ、内容に対する反駁だけで4〜5枚に達してしまい、とても感想文として提出できぬ体になってしまって懲りてしまったのだ。嫌な書物を読んで、自分の率直な感想すら書けないというのであれば、斜め読みして当たり障りのない文章を書いた方が、時間面に於いても精神面に於いても幾らかましである。

 先日「丸谷才一の日本語相談」なる書物を読んでいて、「子供への読書感想文不要論」や、「いい書評が出来るのは、その本にうんと感心したとき」という文章を眼にするにつれ、つい昔日のことを思い出した次第。


2000/02/22

或る雑誌記事

 最近世間で話題になっている数少ない明るいニュースの一つに、「新幹線に初の女性運転士誕生」というものがある。各媒体で採り上げられているようだが、恐ろしい採り上げ方をしている雑誌を眼にした。

 確か昨日の「サンデー毎日」だったと思う。ネタとしては確かに「新幹線に初の女性運転士誕生」なのであるが、文章の出だしがとんでもない。いきなり有名な謎々から文章が始まる。「『ひかり』と『こだま』、男性はどちらか」。自分で問題提起を行っておきながら「解説は下品になるので書かないが、答えは『ひかり』である」との事。此は言うまでもなく、「ひかりは駅を飛ばす」→「液を飛ばす」→「精液を勢い良く噴出させる」→「絶頂時に於ける男性」という連想から解答を導くことが可能になるものである。確かに女性の場合は一般的に「液を飛ばす」というよりは「液が湧く」とか「液が染みる」「液が滲む」というイメージである。古来より珍重される「潮吹き」という特技を持つ女性は、此処では考慮されない。そういえば以前から気になっていたのだが、何故「潮吹き」がさほど有り難がられるのか私には良く解らぬ。実際問題として行為終了直前に「潮吹き」などされたら、普通は喜ぶ以前に吃驚して腰を抜かし興醒めしてしまうのではないのか。

 それはさておき、件の雑誌の文章は上記の謎々に続けていきなりつらつらと女性運転士の紹介を行っている。確かに一般の読者が文章を読む分には問題が無かろう。どうせ世間のスケベオヤジと呼ばれる人種がニヤニヤしながら女性運転士に液を飛ばしているシーンなんぞを想像して楽しんでいるのであろう。しかし悲惨なのは記事の中心になった女性運転士である。会社の同僚等から「○○さん良かったね、記事になっているよ」と件の記事を見せらる事はほぼ間違いなかろう。そこで、自分の紹介のところで下品な謎々が採り上げられているのを見て一体どんな気分になるだろうか。謎々の解答を知っておれば多大なショックを受けるだろうし、解答を知らなければきっと周囲に「何で『ひかり』が男性なのですか?」「何で私の紹介のところでこんな謎々が出てくるんですか?」などと聞き回り、只管口籠もる周囲に対する不信感を増幅させるだけではないのだろうか。少なくとも私には、その女性が「この答えは『液を飛ばす』やから『ひかり』が正解やろ。簡単簡単、フッフッフッ」とほくそ笑んでいるシーンがとてもじゃないが想像できないのだ。或る意味、件の記事がセクシャル・ハラスメントを煽っていると言っても過言では無いのではなかろうか。


2000/02/21

卓球とCM

 今更何を抜かすかと思われるかも知れぬ。採り上げるのが遅きに失した感があるが、世間では卓球ブームだそうである。それにしても卓球だとかボウリングだとかビリヤードだとか、決まって何年か周期でブームが到来するのは興味深い現象である。

 そのブームを反映しているというかブームに火を注いでいるというか、TVCMでも卓球シーンが目に付くようになっている。その一つに、ビールのCMで、中年男性と青年男性とが卓球シーンで汗を散らして激しい動きを見せ、レシーヴを失敗して唖然と倒れ込む様、その様子を見て体中で喜びを表す様を映し出しているものがある。「ダイナミック感、躍動感を感じさせ、ビールの爽快感がダイレクトに伝わる」と好意的に評されているこのCM、更にもう一点特徴を付け加えるとすれば、起用している中年男性及び青年男性が、共に「動」とか「汗」とか「躍」とか「感情」とかという言葉には最も縁遠いと言っても過言ではない俳優であるという点が挙げられよう。これがもしスポーツ選手だとか、感受性豊かなタレントを起用していれば、普通に見かけるスポーツ清涼飲料水等のCMとそう変わらず、ああ如何にもというタレント遣いということで今ひとつ印象が薄くなりかねない。其処を敢えて、伝えたい内容と正反対の特性を持つタレントを起用することにより、西瓜に塩を塗すかの如く、塩昆布を摘んで汁粉を啜るかの如く、より一層伝えたい内容が引き立って見えるのである。

 尤も、この方法、伝えるべき内容と起用すべきタレントの特性とのヴェクトルの向きが中途半端に異なっておれば、「何でこんな不似合いなタレントを使ってるのだ」と世間の嘲笑を買い、広告代理店はクライアントとの付き合いを断たれ、CMクリエイター等は路頭に迷ってしまう事になるのである。とはいえその微妙なずれが面白さを醸し出すケース(例えば大日本除虫菊のCMはそのネタもさることながらこういったヴェクトルのずれが面白みを醸し出していると言えよう)も少なからず存在し、なかなか一筋縄ではいかないものなのである。


2000/02/20

乗馬と向上心

 先日乗馬クラブに足を運んだ際、クラブハウスの乗馬雑誌に目を通したのだが、その中にあったエッセイでひどく厳しい論調で書かれたものを発見した。「上手になりたいという目的のない人間には馬に乗って欲しくない」という趣旨の文章の中で、著者の牧場だったかに乗馬経験を有する40代男性が訪れ、「私はこれ以上上達したくないが馬に乗せて欲しい」と頼んだところ、著者は馬に一切乗せることなく男性を追い返したそうである。実は私は40代男性とほぼ同様の考えを持っており、障害を飛び越えたり馬に乗って疾走しようとも思わず、馬に乗ってゆっくりと歩ければそれで良いのではないかと思っていたため、その文章にはかなり違和感を持って接していたのである。

 しかし読み進める内に愕然とした。「馬は下手な人間に乗って欲しくない。できるだけ馬に負担が掛からぬよう上手に乗って欲しいと思っているのである」そうであったか。確かに「馬に乗る」という行為は自転車や電車に乗るのと決定的に異なり、乗せる側は意思や感情や神経のある生き物であるため、我々は彼等が人を乗せる事をできるだけ苦痛と感じぬように心掛けて乗らねばならない。換言すれば、少しでも上手に乗って馬に負担の掛からぬようにしようという気持ちが無ければ、馬と共に歩く資格など無いと言っても過言では無いのである。

 そう考えると、今まで自分は何と思い上がった気分で乗馬を楽しんでいたのかと、反省することしきりであった。乗馬クラブに通えるだけの金も暇もないのだが、今後乗馬を楽しむ機会があれば、せめて意識面においては常に向上心を持って馬に接してあげたい。


2000/02/19

朝の悦び

 旅行をしない休日に朝起床することは極めて希である。買い物だとか人と会う予定だとか等も可能な限り午後に入れるようにしている。たとえ朝から予定を入れていたところで、朝が非常に苦手な為、往々にして寝過ごして予定が崩れることがあるのだ。

 しかし先方の都合でどうしても朝に予定を入れざるを得ない場合がある。今日の乗馬スクールは朝10時からしか時間が空いておらず、千葉駅に9時集合という事になってしまった。これでは普段の平日よりも早起きせねばならぬではないか。結局無事起床して朝から乗馬を満喫していい汗をかくことができたのだが。

 本日のメインイヴェントたる乗馬が無事終了してもまだ正午。通常の休日であればまだ寝ている時間だと云うのに、それから食事を摂って書店で本を漁って帰宅しても、競馬のメインレースの馬券を買えるくらいの余裕があったのである。

 もし朝の乗馬が無ければどうなっていたか。昼過ぎに起床して競馬中継に没頭し、メインレースが終わったくらいに遅めの昼食を摂っている内に日没を迎えるという事になっていたであろう。朝に予定を入れただけで、その休日が何とも贅沢に過ごせるのである。

 こんな事に今更気付くのかよ。


2000/02/18

夢判断

 私の夢の中にオカピが出てきた事を先日栗鼠似の同期に相談したところ、見事なまでに其の夢の意味を解いて呉れた。

 オカピといえば世界四大珍獣の一種であり、顔は麒麟、しかし頸は然程長くなく、胴体は鹿、下半身は縞馬という、凡そ此の世の物とは思えぬ風貌である。恐らくそういった特徴からであろう、「現実からの逃避を表します。強いストレス等を感じていることが考えられる」との夢判断が下された。

 また、オカピが此と云って取り柄のない草食獣であることからだと思われるが、「弱い自分も表しています。まわりに『肉食獣』に相当する人物がいることが考えられます」との事。

 いや正に全く其の通りである。ここ暫く顔を合わせていないにも拘わらず、最近の私の環境を見事なまでに言い当てているではないか。「獣の道は獣」とは良く言った物である。獣の夢判断は獣染みた人物が行うのが適任であると痛感した。

 処で、今度は逆に彼から「焼き豚になる夢を見た」との相談を受けてしまった。此をどう解釈すべきかで目下只管思案している。


2000/02/17

続・椎名林檎

 2000/02/16で触れた通り、椎名林檎のアルバム「無罪モラトリアム」を早速購入したのだが、CD其の物を聴く時間は無かった為歌詞カアドを観てその詩を愛でてみた。

 歌詞全体に改めて目を通してみて、昨日指摘した、漢字率の高さや文語的表現、大胆な比喩の他に、一文の区切りが長いという特徴を発見した。一個一個歌詞を引用していると限がないので紹介は止めておくが、正に「『エゾシカの嘶き』に於いて斯様な文章を物してみたい」と感心させるような文章が歌詞カアド上で次から次へと展開されていくのだ。「幸福論」なんぞ、私もほぼ同様の思想を持っているにも拘わらず、其れを表現するに当たっては百遍生まれ変わっても斯くの如き詩を書くことは出来まい。

 「良い文章を書こうと思うのならばとにかく手本にしたい文章を熟読せよ」という古来よりの文章上達術を実践すべく、最近になって谷崎潤一郎や丸谷才一の文章読本を立て続けに味読しようとしているのだが、此だけでは足りず、加えて椎名林檎の詩を熟読する必要があるように思われる。元々、「春琴抄」にみられる異常な程の読点の少なさや一文の長さによる重々しい心理および情景描写に惹かれて谷崎潤一郎の「文章読本」を読み始めたのだが、彼の「文章読本」では所謂常識的な表現しか薦められていない。此を補う意味でも椎名林檎を読み込む可きなのである。


2000/02/16

椎名林檎

 無性に椎名林檎の曲が聴きたくなり、帰路でCDを衝動買いした。しかしそれにしても、購入の際に恐ろしいことに気づいた。私は「椎名林檎」を何度目にしても頭の中で「しいなきりん」と読んでしまうのである。

 幾ら何でも「林檎」を「きりん」でなく「りんご」と読むことくらいは知っている。また「歌舞伎町の女王」「幸福論」「罪と罰」等の歌い手が「しいなりんご」というアーティストであることも知っている。然るに、CDを手にして「椎名林檎」という文字を見ると「しいなきりん」と解釈されてしまうのである。

 其れは兎も角としてCDを聴く。私が歌を鑑賞する場合は大抵曲に関心を持つのであるが、椎名林檎の場合、曲以上にその歌詞に可成りそそられるものを感じた。「此処の女王様」「十五に成った」「女王と云う」等という漢字遣い、そのまま旧字体にしても十分通用する歌詞、「大遊戯場歌舞伎町」などという大胆な比喩が私を興奮させる。興奮醒めやらぬ内にアルバムを購入するのだ。ひょっとすると「エゾシカの嘶き」の文体にも少なからず影響を及ぼしかねないような気がするのだ。


2000/02/15

2泊3日

 先週2泊3日の北海道旅行を楽しんだ積もりなのだが、どうも「2泊3日の旅行をした」という実感が湧かぬ。いや別に悪いことではなく、実体と実感との間に生じるずれが不思議なだけなのだが。

 その原因を考えてみるに、旅の目的地と宿泊地とが異なっており、実質日帰りの旅行を2回続けたのと大差ないからでは無かろうか。初日は昼過ぎに寓居を出発し、夕方前に新千歳空港に到着後、市内を少し観光して夕方に苫小牧市のホテルに。そして2000/02/11の痛ましい事件のニュースを観た後は知らぬ間に寝入ってしまっていたため、旅行初日という感覚が無い。

 2日目は、苫小牧のホテルからバスで札幌へ。札幌まで2時間、雪まつり会場まで更に30分。一日札幌市内を歩き回った後は夕食を摂り、列車で1時間かけて苫小牧に戻る。これだと、寓居からズーラシアに足を運び、一日かけて園内の獣達と戯れて夜に戻ってくるというのと感覚的には大差ない。そして3日目は苫小牧から3時間近くかけて旭川へ。市内を歩き回って夕方に旭川空港へ向かい、2時間弱で東京へ。旅先の宿から目的地への所要時間の方が、旅先から東京に戻るよりも時間的には「大移動」ではないか。

 勿論東京では味わえない空気や文化を浴びるように味わうことができた3日間であるが、行動パターンはどう見ても「日帰り旅行2連発」。どうせなら心身共にヴァカンスを楽しみたいもの。確かに「雪まつり」という北海道のトップシーズンに札幌市内で宿を確保するというのは困難の極みではあるが、以後同様の機会には相当早めに予約するか逆に直前のキャンセルに賭けるかなど、気をつけたいものである。


2000/02/14

プレゼント

 ここ数年、毎年この日にプレゼントを贈ってきて下さる女性がいる。残念ながら別にステディな関係だとかそんなのではなく、以前一度だけ仕事でお世話になった駅売店のおばさんである。

 愛知県にいた頃、偶々地元のある駅周辺でのイヴェントの設営や準備等で何かと手伝って下さったその方、偶々その時に交わした話題で一気に盛り上がり、それ以降時たま連絡を取るようになり、毎年、年賀状を交換するとともに、この日と1ヶ月後とに贈り物を交わしている。

 初めてお会いしたときに交わした話題というのは絵の話であった。私は決して絵画に造詣が深い訳ではなく、画家や絵や絵画史など殆ど知らない。中学・高校時代の美術の成績も下から数えてすぐのところにいた。そんな私が絵の話なんぞ他人と交わす機会などまず考えられぬ事である。只、そんな私にも絵に対する感受性は僅かながらも備わっており、自らの感性に基づいて最も好きな絵の魅力について熱っぽく語っていたところ、意気投合してしまったのである。

 仕事でその駅に足を運んだのが只一度だけならば、その方に仕事を手伝って頂いたのも只一度。そして他人と絵の話をするのも滅多に無いこと。そういった偶然の産物として、その方との人間関係が今も尚続いている。よくよく考えれば奇にして妙な事であり、そういった偶然に只感動するばかりである。

 因みに、今年頂いたのは、愛知県の美術館で先日まで開催されていた「児島虎次郎展」「大原美術館の名品」の画集。最も好きな絵「陽の死んだ日」を観るためにかつて20回近く足を運んだ大原美術館、そして大原美術館の礎となる作品を多数遺した児島虎次郎。正に私のために用意されたかのような画集を見つけてプレゼントして下さったのだ。


2000/02/13

3年前

 3年前のこの日の早朝、自宅から祖母の訃報が届いた。

 共働きの家庭において親代わりに私を育ててくれたのが祖母であった。将来親の顔や声を忘れるような事があったとしても、祖母の顔や声は決して忘れまい。それ位彼女は幼い頃から話し相手になりお世話になった人物であった。その想い出の中で特に印象に残っているのは、幼少の頃、父に殴られ蹴られて顔中血塗れになり、その姿を母に冷笑された時、祖母が洗面所に連れていって血を拭ってくれた時の事である。この時に祖母がいなければ、私は少なくとも精神面に於いてはとても社会生活を営める人間になっていなかったであろうに。

 それくらい彼女は自分にとって大切な人物であったにも拘わらず、訃報を聞いても恐ろしい位彼女の死を従容として受け入れる事ができた。即ち、「死の悲しみ」というものが、「現在あるものが突然なくなってしまう事への恐怖」と「今までコミュニケーションを続けていたものが消えてしまう淋しさ」からくるものであるとすれば、両者とも自分の中では大半が昇華されてしまっていたのである。前者は、死の前年、危篤状態に陥った際「これが最期であろう」という覚悟をしつつ見舞いに行った時、後者は、死の数年前に痴呆になった際、私の事など全く認識してもらえないと判明した時に。

 従って、訃報を聞いてから帰省して一頻りの儀式を終えるまでは、寧ろ卒業式や送別会における、遂にこの日が来たという、楽しい思い出との惜別のようなしんみりとした感情を抱いていたような気がするのだ。周囲から見れば葬儀の際に泣き喚く妹達とは対照的に落ち着いた態度をとっていた私の姿は些か奇異に映っていたのかも知れぬが。

 この出来事を含め、3年前の想い出が唐突に強く蘇り、しんみりとした気分で旭川の街や公園をひたすら歩いていた。


2000/02/12

自衛隊真駒内駐屯地

 「さっぽろ雪まつり」の会場の一つ、自衛隊真駒内駐屯地内をひたすら歩いた。雪まつりの感想等はいずれ「旅の足跡」で述べる事になるであろうから、ここでは面白かった情報を2点ばかり挙げておく。

 一つ目。雪まつりの時期に合わせ、「第40回 陸上自衛隊北部方面隊美術展」なるものが開催されていた。「全道隊員(家族)から選び抜かれた力作をどうぞ!」と紹介されており、気合いの程が伺われた。

 多数の展示物には、一つ一つタイトルや作者名に添えて、大学教授等からなる審査員の寸評が添えられているのだが、これがまあひどく辛口なのである。「落款を見ると相当ベテランのようであるが、山水風の画との合体が果たして効果的であったのかどうか」「墨色が輝いて見えない。墨を磨ることにも心を配ってほしい」「傘立てとしたら不安定なのが残念です。使う用途を親切に考えてほしいと思います」等という手厳しい言葉が、隊員のみならずその家族に対しても容赦なく浴びせられる。誉めている寸評の中にも「若い人の作品と思われます」(調べたらわかるやろうに)「下にJALの機首を入れ、青空にアクロバット飛行の白い航跡が画かれてまとまった作品となっている」(見たまんまの解説やんけ)「砕氷船しらせ、多分よく調べ、楽しみ乍作成したものであろう」(製作の過程を推測するだけかよ)のような、喜んでいいのか悲しむべきなのかよく解らぬものがある。これら寸評を、展示物の横のみならずパンフレットにも掲載される事によって、創作意欲が減退したりしないのだろうかという余計な想像をしてしまった。少なくとも私ならやる気を失ってしまう事間違いない。

 二つ目。売店に入って、その品揃えから自衛隊員の生態を想像して楽しもうと思った。衣料店で下着等を漁っていたのだが、迷彩色とカーキ色のオンパレード。「この人達、こういう服を下着としてもしっかり身につけてるんやなぁ」と思いつつ見続けていたところ、「さつま白波」だとかのデザインがプリントされた、私が好き好んで収集しているイロモノトランクスの類が置いてあった。可成り極端な品揃えである。

 極端な品揃えといえば、書店もそうであった。本棚の2割くらいが、「漢字検定」だとか「一般常識」だとか「SPI(知能テストや性格テスト)攻略法」だとかの本で埋まっていた。昇進試験の時期なのだろうか。また、所謂「エロ本」の類は、せいぜいコンビニで売っている程度のものしか置いてなかったが、その中で特に注目を惹いたのが、女性向き男性同性愛漫画と思しき表紙の雑誌であった。女性隊員が購入するにしては、置いてある冊数が若干多かった(5冊程度)ように思われる。となると男性隊員が購入するのか。どういう表情で購入するのか、相部屋の宿舎で大っぴらに読めるのか、皆で回し読みとかするのだろうか等、興味は尽きない。

 あと、貴重な情報。展示場の出店や自販機で売られている商品は、大抵同じものが売店で安価で売られている。靴の滑り止めなど、500円程度の差があった。それともう一つ、出店で売られていたピカチュウの風船、どう見てもネコを模したバッタモンではないのだろうか。


2000/02/11

焼死

 ここ暫く「先日」という出だしを多用していて飽きたので、珍しく旬の時事問題を採り上げる事にする。今朝起床後、北海道に出発する準備を整えながらインターネット情報を収集していたところ、「宮城・山元トレーニングセンターで火災、大半の競走馬が焼死の模様」との事。確か現在其処には、1999/06/121999/10/12でも触れた、私の最も好きな馬が現在休養しているのである。

 第一報を知った直後、旅行の準備もそこそこに一生懸命ネット情報を探索するものの、具体的に誰が被害に遭ったのかは把握できない。結局不安な心境で空港に向かい、北海道に入り、宿で観た夕方のニュースで別の有名馬の焼死を知った。依然、私の最も好きな馬の安否は判らずじまいである。夜のニュースに期待したところ、気がつけばぐっすり寝てしまい、目が覚めたのは深夜。ニュースはもうないため、インターネットで情報を漁るも依然他馬の情報は入手できず。結局翌朝の新聞紙面で「助かった!別棟に(中略)ローゼンカバリー」という見出しを見つけ、無事を確認した次第である。しかし一つの不安が解消されたことにより、有名馬・エガオヲミセテの焼死に対する悲しみが募ってきたのである。

 馬の事をよく知らない人に事件の大きさを伝えねばならない、馬の事をよく知っている人に事件に巻き込まれた代表的な馬を伝えねばならない、という使命を持っているマスコミの論調のように「重賞2勝馬が焼死したから悲しい」というだけの単純な気持ちを抱いているわけではない。熱い思いをして苦しみながら亡くなっていたという事実は各馬とも同じである。ただ私にとって彼女がその珍名ぶり、そしてそういった嘗めた名前を付けられてもそこそこ活躍する馬であったことから、デビュー前や活躍の都度気になっていた馬だったのである。自分の心に残った馬が非業の死を遂げて、それを特別視して悲しんで悪かろう筈がない。

 昔の話だが、競馬を知らない私をその道に導いてくれた人が注目しており、初めて競馬中継をその人と観たときに出走していた馬が、一昨年秋のレース中に故障を発生して安楽死処分となった。「競馬を始めた当時から観ていた馬が死んだ」という私は、マスコミ等の「非常に強い馬が死んだ」若しくは「馬には故障が付き物なのだから死んでも仕方ない」という論調を目にしつつ、可成りの温度差を感じたのであった。

 今回も「被害総額20億円」「良血馬多数焼死」などといった報道を目にしつつ、自らの思い入れを何処にも昇華できぬ苛立ちを感じている。


2000/02/10

小説のネタ

 先日通勤途上で不条理小説のネタを思いつく。

 渋谷に現れた大型トラック。どうやら素人若者を集めてオーディションを行うというテレヴィ番組のゲリラ企画らしい。タレントの呼び込みに応じ、若者達が我も我もとトラックのコンテナに乗り込む。コンテナは即満杯になり、トラックはその場を立ち去っていく。小一時間ほど間隔をあけて何度か、また同様のトラックが来て次々と若者を運んでいく。

 しかしそのトラックのコンテナ内では恐ろしい事が起こっていた。或るトラックのコンテナでは有毒ガスが徐々に充満し、次々と若者が倒れていく。その他のトラックのコンテナも、水が徐々に満たされていくものや、壁が動いて若者を押し潰していくものや、巨大チェーンソーが側面から若者を切り刻んでいくものなど、何れも中の若者達に恐怖感を味わわせつつ殺していくという、恐るべき仕掛けが備えられていた。

 一日くらい経って、若者の親達が騒ぎ始め、大量失踪がニュースになる。目撃者の証言から、どうやら彼等が大型トラックで連れ去られたという事までは把握できたのだが、トラックの行方や若者達が連れ去られてどうなったかなどは全く解らない。それもその筈、近年の若者の無軌道振りに呆れ果てた警察やマスコミ等の権力は今回の事件を密かにいい気味だと思っており、真剣な捜査や追及をしようとしないのである。そして数日後、また同じようなトラックが渋谷に現れるが、好奇心に満ちた若者達は、全く懲りずに数日前と同様トラックに乗り込んでいく。毎週それの繰り返し。

 事件の真相究明を求め苛立つ若者達の親、決してそれに応じようとしない権力、そしてそういった対立をもどこ吹く風の若者達。三者三様の心理描写に加え、何も考えずに喜んでトラックに乗り込んでは殺されていく若者達の断末魔を描くことによって、シチュエーションは無茶苦茶不条理ではあるがなかなかユニークな描写ができる小説になりそうな気がした。誰か書いてもらえないものだろうか。


2000/02/09

獣愛・4

 先日書庫を漁り昔の書物をぱらぱらと読んでいたところ、期せずして多大なショックを受けることになった。10年以上前に刊行された単行本が1993年に文庫化された際に購入したものなのだが、偶々目にしたページから「獣愛」という単語が飛び出してきたのである。

 昔大流行した路上観察学をテーマにした「笑う街角」(南伸坊)。「愛犬に生肉を!!」というトラックのボディコピーを著者が目にした感想の中で、「愛欲」「肉欲」「肉愛」「生血」「生傷」といった単語とともに、「獣愛」という言葉を用いているのである。まあしかしそれにしても一言のコピーから様々な単語を繰り出す、著者のセンシティヴな感性にひたすら驚くばかりであるが、何よりも10年以上前に「獣愛」という言葉を極自然に用いていた点にショックを受けたのである。2000/01/30で「獣愛」という語のグローバルさを指摘したが、今回はその言葉の息の長さを思い知る結果となった。言葉自体がこんなに以前からメジャーなものであるのであれば、今更私が「獣愛」を説いたところで、さほどの新鮮みなどあろう筈がないではないか。虚しさが募る。


2000/02/08

音声認識ソフト

 先日パソコンのハードディスクを容量の大きいものに取り替えた際、余剰容量を満たすべく音声認識ソフトなるものを購入しインストールしてみた。

 予め自分の声やイントネーションを登録しておけば、マイクに向かって日本語を話せば自動的に漢字仮名交じり文に変換されるのであるが、この性能がなかなか侮れない。到底実用には耐えないであろうと予想していたのだが、これが意外やそこそこ認識するのである。発声した文章を日本語として正確に認識するだけでなく、漢字変換までも結構正確なのには驚かされる。日本語として認識されない箇所は、大概文章の終わりに口籠もったり、さっと流して発声した部分であり、今後何度も音声入力を繰り返し、ソフトを鍛えていけば性能の向上が期待される。

 しかし私の場合、ソフトを鍛えるに当たり、大きな問題が立ちはだかっている。私は関西生まれであると同時にここ5年程はちゃきちゃきの江戸っ子生活を送っている。その結果、話し言葉は関西弁、書かれた文章を読む時は関東弁を用いる傾向にあり、音声入力の際にも、自らの言葉で喋るか、予め用意された文章を読むかによって、いざパソコンの前でマイクに発声しようとしても、自らの言語モードをどちらに切り替えれば良いのかひたすら当惑するのである。関東弁でソフトを鍛えて実際には関西弁でしか用いないとなると、何の為に機械を鍛えるのか解らなくなってしまう。更に複雑な事には、日常生活においては関西弁を用いている積もりでも、時として会話の相手に「関西出身なのにどうして関西弁がなかなか出ないんですか!?」と訝られるくらい江戸っ子振りが板に付いているようなのである。こうなると自分で言語スイッチを切り替えたところで、結果として何語を喋っているのか自分でも混乱してしまう結果となってしまう。

 結局、私の音声認識ソフトはこれ以上の性能の向上を見込めなさそうな気がしてきた。鍛え甲斐のあるソフトなだけに無念極まりない。


2000/02/07

続・日本経済新聞

 只只偶然に戦くばかりである。2/5に秋葉原駅の売店の新聞売り場で「チカン警官」という文字を目にして、「重々しい漢字を片仮名にすることによって事の重大さが矮小化されてしまうではないか」と思った直後、「然るに漢字片仮名交じり文は逆に平仮名より重々しいではないか」と思い直した事が切っ掛けで、昨日2000/02/06のネタが産まれたのである。我ながら独創的な意見ではないかと思いつつも「エゾシカの嘶き」にしたためるのを遅らせていたところ、何と2月5日付日本経済新聞の文化欄に於いて、現在テレヴィ、音楽等の分野における片仮名化現象について述べた文章が掲載されているではないか!

 趣旨は、「本来漢字で書くべき人名やタイトルを片仮名表記にするのが流行しているが、片仮名の持つデジタルさと、漢字仮名交じり文等に象徴されるレトロさという、本来矛盾しているものが同居しているところがその魅力として好まれているのではないか」というものであり、私の文章とは直接関わりのない内容であったものの、「片仮名」というテーマ、漢字仮名交じり文への言及など、決して共通点がないわけではない。

 1999/12/21でも触れた事例に続き、またしても日本経済新聞とネタが被ってしまった。尤も、読む分には「エゾシカの嘶き」と日本経済新聞の文化欄とを読み比べるという新たな愉しみが増えるのであろうが。


2000/02/06

文字の重さ

 先日、法律に造詣の深い方と話をしているうちに、数年前に口語体に改正された刑法の話題になった。「文言が口語体になることによって重々しさが失われてしまうではないか」とその方は激昂したうえで、やおら刑法の条文を比較し始め、「『その領土において国権を排除して権力を行使し、その他憲法の定める統治の基本秩序を壊乱』とは何だ。これはどう考えても『邦土ヲ僭窃シ其他朝憲ヲ紊乱』でなくてはいけないではないか」と絶叫してらっしゃった。

 この会話を後々振り返るに、なかなか面白い事を発見した。片仮名という表現方法が、文語体で漢字と交えることによって、平仮名と漢字との組み合わせを遙かに凌ぐ重さや物々しさを感じさせるのである。上記の文語体(改正前の刑法第77条より)と、この片仮名を平仮名にした「邦土を僭窃し其他朝憲を紊乱」とを比べてみれば一目瞭然である。

 そういえば幼少の頃、五・一五事件と二・二六事件をテーマにした映画「動乱」を観て最も印象に残ったのは、高倉健と吉永小百合の濡れ場でもなく、要人の殺戮シーンでもなく、事件後、反乱軍に対して空から撒かれた帰順勧告のビラであった。漢字に片仮名の混じった文語体で書かれた文章は意味のよく判らぬ私に漠然とした恐怖感を抱かせたのであった。

 普段用いられない表現だから重さを感じるのかといえば決してそうでもあるまい。英語を含め、他言語のスペルを目にしたところで別に物々しさ抱いたりはしない。いや、漢字および片仮名以外で、私に漠とした物々しさを感じさせる文字があった。ハングルがそうではないか!

 漢字、片仮名、ハングルにあって他の文字にないものは何だろうかと考えていくうちに一つの結論に達した。先述の3つは他の文字に比べ、直線によって構成されている部分が多いではないか。重さの原因は直線にあったのか。今後様々な実例を探して仮説を検証してみたい。


2000/02/05

再インストール

 2000/01/25で、その作業の非道振りを指摘した、パソコンの再インストールを試みた。競馬中継そっちのけで昼に電気街に向かい、ノートパソコン用のハードディスクを購入してきた。

 さて、作業はここから。4日16時より作業開始。現在のパソコンからハードディスクを取り出し、何本もの螺旋を取り外し、新しいハードディスクを何本もの螺旋で固定し直す。単に「取り替え作業」であればここまで。しかしこれを使える状態にするのには遙かに遠い道程を歩まねばならない。

 パソコン購入時についていた、初期状態復元ユーティリティを用い、新しいハードディスクに、パソコン購入当時と同様のファイルシステムをコピーする。このプログラムを起動させるためのプログラムは事前に作成しており、今回この時間分は短縮されている。しかし実際には途中でそのプログラムが動かなくなったりなどで、結局初期状態のファイルシステムのコピーまでに3時間以上かかった。更に、windows98の最新ヴァージョンのプログラムを組み込むにも小一時間。とりあえず「パソコンとして機能する」というレヴェルにまでは持っていくことができた。

 そして、ここからやっと、種々のソフトウェアを組み込むことになる。「どうぶつ奇想天外!」を横目に見つつ、日本語入力システムやofficeスイートを組み込む。どの機能を組み込むか選択するだけで大変である。そしてこれから更に、普段使っているソフトウェアをCD-ROMからインストール。シリアルナンバーの入力や再起動を繰り返した後、以前のハードディスクから普段使っているデータファイルをコピー。気がつけば5日午前4時。取り敢えずビジネス文書等の作成には不自由のないレヴェルにまで辿り着いたが、生活に不自由のないレヴェルに至るまでには、残り10枚以上のCD-ROMのインストールはおろか、オンラインソフトのインストール、TAやスキャナ等機器類のドライバの組み込み、プロバイダやメールボックスの設定等もこれから待っている。修正プログラムのインストールなど論じるまでもない。12時間もパソコンと格闘して、まだ残り作業の目処がつかぬ。こういう作業を「再インストールすれば良い」の一言で片づけるパソコン雑誌の記者というものは余程暇人であるに違いない。


2000/02/04

雪まつり

 私の場合、旅の目的の一つに、現地の有りの儘の姿を楽しむというものがある。その場合、別段観光地に足を運ぶことなく、荷物を手放しあたかも現地人であるかのように、休日なら商店街、平日ならビジネス街をほっつき歩き、街の普通の飲食店で食事を摂り、宿に帰っては現地のローカル番組を楽しむ。そういった行為を通じ、同じ「日常」という土俵において、普段の生活の場とその土地との比較を行い、その土地の特徴を味わうのである。

 従って、現地の「ハレ」の日にあたる祭事等のイヴェントを目的とした旅行をすることは希である。しかし昔から「このイヴェントだけは参加したい」と思い続けてきた祭事が2つある。一つは岩手の「チャグチャグ馬コ」、もう一つは「さっぽろ雪まつり」である。前者は、私がまだ獣に目覚めていなかった頃から、そのネーミングのユニークさや見た目の派手さの中に感じられる素朴さ、純朴さに心を惹かれたものであり、学生時代、岩手県出身の知人にその概要を教えてもらって小説の中で採り上げた程である。また、後者については、従来北海道の「ケ」の部分ばかりを堪能してきた感があるので、逆に「ハレ」を味わうのも良かろうと数年前から興味を持っていたものである。

 そんな訳で、唐突に今年の3連休を利用して札幌に向かうことにした。しかし宿も航空機も壮絶な状況であり、先週の段階で既に、宿は苫小牧しか取れず、行きの航空機は東京発が夕方近く、帰りの飛行機に至っては旭川発しか取れないという有様。結局札幌に滞在できるのは実質1日。雪まつり以外の面で欲求不満が溜まらねば良いのだが。


2000/02/03

 1999/09/29で触れた、ユニークなCMにすっかり虜になって私にもそのCMを紹介して下さった方のところに、そのCMの企業から素敵なプレゼントが大量に届いたようである。

 先日偶々その企業の方が「エゾシカの嘶き」をご覧になり、「あのあなぶきんちゃんファンの方に是非プレゼントを差し上げたい」という趣旨のメールを私に送って来られたため、そのファンの方の連絡先を申し上げたところ、程なくプレゼントを大量に送って下さったというのが事の次第である。

 自らのサイトが元で、見知らぬ人同士が物や心の遣り取りを行う。私と読者の方々との関係というのは意識した事があるが、読者と読者とが繋がり合うというケースは予期も期待もしていなかった。しかしまあいざこういった事例があると非常に嬉しいものである。ウェブサイトを開いていて良かったと思える出来事の一つとなった。


2000/02/02

獣愛・3

 うろ覚えなのだが、2年程前の「ムツゴロウの動物王国」特番のテーマは「性を司る」であった。即ち、彼等の本能たる性欲を自由の儘に操る事により、彼等と精神的に親しい関係になれるというものである。私が偶々中華料理店で麻婆豆腐定食を口にしつつ目にしたシーンは、誰にも懐かぬ牡犬を見事に懐かせるというものであった。

 ムツゴロウこと畑正憲は、犬を懐かせるためにまず自らが彼に性的に屈服しているかのように、四つん這いになり彼の腹の下に入り込む。それにより犬は性的征服欲に駆られ、畑正憲を後背位で犯そうと乗りかかる。勿論犬の下腹部は見事なまでに勃起しているのだ。しかし畑正憲は着衣のままであり、勃起した陰茎を挿入するスペースはない。そこでナレーション。「犬は自らの欲望を抑えられぬまま困っています」その後まさかこんなことをするのだろうかと私が想像した通りの結末をナレーションは伝えた。「そこでムツゴロウさんはその欲望を満たしてあげることにしました」犬の屹立した陰茎を握り扱き手の中で果てさせたところ犬は満足し、見事に畑正憲に懐く結果となった。

 ここで注目すべきは、精神的に近づく目的で肉欲を利用するという行為である。通常我々の世間では、寧ろ肉体を結ぶ目的で相手の心を利用する方がポピュラーでは無かろうか。肉欲と愛欲との逆転した世界を通じ、一筋縄では行かぬ愛の形態の難しさ、またそういった愛の形態を採る獣愛なるもの深遠さを痛切に感じた番組であった。麻婆豆腐定食を口にしながら犬の陰茎や精液の話をテレヴィで目にするのは如何なものかという気がしないでもなかったが、そんな事以上に収穫は大きかったのだ。


2000/02/01

痴漢

 先週の「名古屋タイムズ」によると、陸上自衛隊陸士長が特急の車内で痴漢を行い現行犯逮捕されたらしい。「自衛官が痴漢」という見出しの記事に依れば「沼津発新宿行き特急あさぎり8号が沼津駅を発車した直後、隣に座っていた御殿場市内の女子高生(17)を左手で押さえつけ、右手で胸を触るなどの行為を数分間続けた疑い。」との事である。

 ちょっと待て、これって「痴漢」なのだろうか。広辞苑の定義では「女にみだらないたずらをする男」であり、我々の頭に思い浮かぶのは、混雑で身動きがとれない状態の女性に対し、自然を装い手の甲で尻や胸に軽くタッチし、反応がないようであれば徐々にエスカレートして列車の動きに合わせて摩ったり揉んだりを楽しむ行為である。

 然るにこの御殿場市在住の陸上自衛隊滝ヶ原駐屯地所属の陸士長(20)は、事もあろうに「左手で押さえつけ」「数分間」胸を触る「など」の行為を満喫していたのである。しかも特急車両ということは、進行方向にこの2人が並んで腰掛けており、恐らく通路側にいる御殿場市在住の陸上自衛隊滝ヶ原駐屯地所属の陸士長(20)が窓側の女性の逃げ場を塞いでいたのだろう。行為の程度に於いても女性を逃げられない体勢に追い込むという卑劣さも、「痴漢」という行為を遙かに超越したものではないか。

 「痴漢」という言葉自体が街に氾濫し、公共広告等に於いて「ちかん、あかん」などとユーモラスに語られるに至り、只でさえ「痴漢」という語の犯罪的意義が希薄になっている昨今において、記者が単に「車内で催された猥褻行為」という位置づけたのであろうか、斯様な行為までも「痴漢」という語に定義を求めたのであるとすれば、マスコミに身を置く者として著しく言語感覚が摩滅していると非難されても止むを得ないのではなかろうか。尤もこれは記者個人の問題ではないのかも知れぬが。


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