栄光のイラン〜パサルガダエ、ナクシェ・ロスタム
 
Pasargadae/Nagsh-e Rostam
 
 
パサルガダエ、ナクシェ・ロスタム
 

 
ヤズド→パサルガダエ
 


   
ガナート
イランの中でも最も乾燥するカビール砂漠周辺ではガナートと呼ばれる地下水路が発達しました。一定間隔で地面に穴を掘り山の湧き水を街へと運んでくる仕組みです。驚くことに穴と穴の間は地下水路でつながっているのです。今ではあまり使用されなくなりましたが、その跡がいたるところに残っています。
     
糸杉
パサルガダエに向かう途中、寄り道して大きな糸杉のある村に立ち寄ってみました。この糸杉は樹齢4500〜5000年と言われていて、生い茂る葉がつくりだす日陰には100人くらいは余裕で入れそうでした。そう、日立のCMに出てくる「この木何の木」みたいです。今度撮影する時はこの木を使ってくれないかな。
   

       
 
ヤズドからパサルガダエに向かうためイラン高原を南東から北西に縦断しているザグロス山脈を越えました。峠越えはこのあたりが最高点。標高は2300m以上です。
 
氷室
街道沿いに1000年前につくられたという氷室がありました。冬に作った氷を貯め夏の間はここから取り出して使っていたそうです。50年前までは実際に使われていたとか。
 
エンスト
冷房のかけすぎでバスが故障してしまいました。すかさず運転手さんと助手さんが修理工に早代わり。うーん、頼もしい人たちだ。すぐに直っちゃいましたよ。
 

   
ピクニック
イランの人はピクニックが大好き。車にお弁当や敷物を積んで家族みんなで川べりや公園などに出かけます。というわけで、私たちも小川のほとりでピクニックランチと洒落込みました。川でスイカも冷やしたのさ。ご近所さんになった右の家族には自家製のヨーグルトをごちそうしてもらいました。
   

 
パサルガダエ遺跡
 


  紀元前546年頃、キュロス大王によって開かれたアケメネス朝最初の首都、パサルガダエ。すなわち、ここがペルシャ帝国発祥の地です。  

     
最初の首都
パサルガダエは「ペルシャ人の本営」という意味。遺跡はペルセポリスほど壮麗なものではありませんが、四方をなだらかな丘に囲まれた牧歌的な景色は、訪れる旅人に懐かしさに似た感情を呼び起こします。碑文には当時この地を訪れていた世界各地の人々の言葉、すなわち古代ペルシャ語・エラム語・バビロニア語で同じ内容が書かれています。「我はキュロス、アケメネスの王である」と。キュロスは征服した土地の宗教や習慣を尊重し、ひとつの価値観を押しつけることはなかったと言われています。
     

   
キュロス2世の墓
世界帝国を目指し遠征に明け暮れたキュロスは、志半ばにして中央アジアで戦死し遺体は行方知らずとなりました。その後、彼を偲ぶ者たちが石を積み上げ巨大な棺を作りました。だから、ここには彼の魂だけが眠っているのです。英雄とはえてしてそんなものなのかもしれません。
   

       
 
レリーフ
謁見の宮殿に残るレリーフは半人半魚の人物をモチーフとしています。シュメール文明をもたらしたとされる神オネアスがやはり半人半魚でしたが、何か関係あるのでしょうか。
 
宮殿
宮殿を支えていた柱は適当な長さの石材を何個も積み上げて造られました。磨き上げられた表面はまるでひとつの石材から切り出されたかのようです。
 
キュロス私邸
宮殿の隣には基礎の枠組みだけが残る一画が。こちらはキュロスの私邸だったと言われています。それでも敷地は宮殿並みに広いんだけど。
 

 
ナクシェ・ロスタム
 


   
王墓
ササン朝歴代の王の墓と言われるナクシェ・ロスタムですが、キュロスの場合と同じく遺骨があるわけではありません。ペルシャ帝国の伝統なのでしょうか。十字型に掘られた岩壁がずらっと並ぶ光景はどことなくアメリカの岩に彫られた大統領像を想像させます。それにしても暑いことこの上ない。
   

     

     
 
ナクシェ・ラジャブ
こちらもササン朝時代に掘られました。今でこそ中東は後進国というイメージがありますが、歴史的には世界をリードしてきた時代の方が断然長いのです。
 
騎馬戦勝図のレリーフ
ナクシェ・ロスタムを一躍有名にしたレリーフ。馬に乗ったササン朝のシャープール1世が東ローマ帝国皇帝ヴァレリアヌスを膝まづかせています。当時の国際情勢です。
 
アフラ・マズダ
メインのモチーフとして彫られているのはアケメネス朝の守護神アフラ・マズダ。ササン朝はアケメネス朝の正当な後継者だというアピールでしょうか。
 


   

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