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山口椿  豊穣なるその官能の世界 − 諸々編

幾夜へだてつ」について                      山口椿

 「ロベルトは今夜」の芝居をしていたら、植島啓司さんが、ぼくの知らないところで、伊藤俊治さんと、あれは本にしようね、という相談していたらしい。その企てを持ちこまれた西武の堤さんの出版社トレヴィルの社長が、からだをこわしたせいで、出版はずいぶん先のことになった。待ちわびている間に綴った「幾夜へだてつ」は、むろん絵島のやむにやまれぬ性の逸脱に焦点を当てた主題はロベルトとおなじだが、浄瑠璃を添えたところが芝居仕立てで、七五の調子が胸にせまる昔ながらのしらべをねらった。

        こなた思えば千里も一里

        逢わず戻れば一里が千里

 こうした言葉のしらべはここちよく、肝心のところで、これをはずすと、舌っ足らずか、子供じみるか、安っぽい境に落ちる。みだりに使うのは、いかがなものかと思うが、いずれ舞台に掛けられればと企んだ。 」

 *「幾夜へだてつ」は、江戸時代の大奥女性と歌舞伎俳優の道ならぬ恋と、それが見つかってから都落ち後の凄絶なる色の地獄を描いた作品。物語の縦糸に、江戸と歌舞伎の横糸があるこの作品が私は好きですと山口さんに告げると、山口さんが物語の秘話を明かしてくれました。


山口椿作品の秘密について          with 山口椿 & 電脳和風主人

 2002年の年末に山口椿さんと鎌倉の鰻屋の二階で話をする機会が幸運にもあった。その時に色々と話をする中で、山口椿さんの作品の多様性の秘密を垣間見られたのでここに記す。

 山口椿さんの若きころは、その「逝く夏に」という小説にも描かれていることは、ほぼノンフィクションとのこと。その中でチェロに興味を抱く場面は出てくるが、現在の様に小説家、挿絵家、油絵の正統派画家、チェロ奏者、三味線奏者まで、なぜこんなに広範囲の事に芸術性を発揮できるかが、不思議だった。そんな素朴な疑問を口に出してみると、山口椿さんは語ってくれた。

 「 "いなせ"とか"いさみ"とか、江戸の職人の美学が秘密なんです・・・。職人という観点からすると、じいっと、ずうっと見ていると、わかってくるんです。元々は三味線を見よう見まねで弾きながら新内流しを始めて、花柳正太郎さんのお座敷に呼ばれ、それからかわいがってもらったのがきっかけです。

 実は もう20年くらい前に自ら止めてしまいましたが、刺青師をしていたこともあるんです。深川の女性が背中に柳を描かれるのをじっと見ていて、覚えました。覚えてしまうと、普通の刺青師は墨で下絵を描くのですが、私は絵が描けるので、下絵を書かずに直に描くことができますし、即興で描くことができます。そうそう、絵の勉強に欧州に行っていた頃、アムステルダムで腕なんかに刺青を彫っている店が屋外に並んでいる所がありました。そこで、向こうは機械彫りでしょう。その中で、手でちょっと彫り始めたら、周りに人だかりができたなんていうことがありました。・・・」

 ということで、話は続いたのだが、本当に多芸な人だとさらに感心したのであった。 そして、そんな山口椿さんを"芸術家"という枠でしか見ていなかった。総合芸術家だと思っていた。しかし"江戸の職人"と言われると、そういう軸で見ると多様性も少しだけ納得するのであった。確かに魯山人なんかの陶器も昔の優れたものの模倣から始まるし、荒木経惟も自分の事を"職人"と称している。もちろん豊かな才能があってのことであろうが、その模倣から昇華させて独自の作品や芸まで持っていく、今では希少かもしれない"職人魂"を垣間見たのであった。


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