Cyber Japanesque

TV、展覧会、漫画 等々あらゆるメディアで表現される和風を対象に、縦横無尽に感想を記していきたいと思います。MIMI_YOKOGAO.JPG

美しさ、はかなさ、切なさ(刹那さ)、粋、無常・・・。私達のアイデンティティの断片を集めていきます。


★★★★☆  ラストサムライ 

 話題の映画ではあるが、やっとDVDで見ました。

 日本人にアイデンティティを思い出される、完成度の高い作品。中学生や高校生に文部科学省は見せるべし。

 脚本がしっかりしているし、トム・クルーズも渡辺謙も、小雪も、きちんと大画面に耐えうる演技をしている。画面の色やセットも、映画らしい味わいのある深い色合い。

印象に残った美しいシーンが2つ。

1)トム・クルーズが朝陽の中で、武道の形の練習をしているシーン:

 捕らえられて、侍集団の村に連れられ、剣を少し習うが侍達に歯が立たない。しかし少しずつ訓練をして上達していくシーン。朝陽の中で、剣と空手を合わせた様な形を練習するのが、シルエットになってため息が出るほど美しい。そして、日本の武道の形が、ダンスなんかよりも、はるかに美しい可能性を秘めている。適度にゆったりとした抑制された動きが、緊迫と美を創り出す。

2)渡辺謙とトムクルーズが、最期の戦いで馬で突っ込んでいき、背景で桜が舞うシーン:

 官軍の第一撃は見事に策は成果を出したが、既に余力が残っていないで、自分達の最期を確信して、馬で突っ込んでいくシーン。映画自身は、日本映画にありがちな過剰なセンチメンタリズムを排しているのだが、もの凄いスピードで、鉄砲とマシンガンの砲弾の中に馬と刀で突撃するシーンのバックで、桜の木から花吹雪が舞えば、日本人としては泣けますね。でもね、そのシーンも瞬間で、へたに長く引っ張らないところがクールでいい。儚い、潔い、死よりも尊いものがある。

 ということで、是非背筋を伸ばして見るべきです。エンターテイメントではありますが、清々しい気持ちになります。禅と武道の世界を、アイデンティティとして思い出しました。


★★★★★  TAMA_SAGIMUSUME.JPG - 2,702BYTES DVD版"鷺娘"  坂東玉三郎

 以前ビデオで出ていた作品のDVD版だが、これは画質、使いやすさを含めて、超絶物である。素晴らしい・・・DVDの技術的勝利である。

 素晴らしい点は、下記の3点。

1)画像をストップしても、全くブレとか生じず、綺麗な静止画が表示される。玉三郎の表情までもがとくと心行くまで見られるのである。

2)葛西アナウンサーの解説がこれが穏やかで優しく良い。一度目は解説無しで集中し、二度目は解説付でかみ締め、三度目は英語で・・・笑。

3)早送りも自由自在、テープも痛まないから、安心して何度も 最後の町娘から鷺娘に変わった後だけを繰り返し観られる。

 あわよくば、次回の時には、顔のアップ、手の先を含めた上半身、全身、舞台全体という4台のカメラのそれぞれの映像を入れると完璧か。

 改めてDVDで観て、葛西さんの解説を聞いて、最後の町娘からの変身後に、さらに味わいが深まった。まず真紅の着物に変身するところで、これは恋人の刃に倒れた恨みが出たものだとのこと。よく見ると、玉三郎が恨みの眼をギロリとさせながら、袖をかみ締めている。

 そうして、白鷺に変身して、地獄での辛苦を味わう。途中で左肩を押さえる場面があるが、よく見ていると、その後左肩に一条の血が流れている。舞台ではそこまでの変身に気付かなかった。そうして、鷺娘が耳を塞いだ後に、修羅の太鼓が鳴るシーン。そこの片手を立て、片手を寝せる、まるでバリの踊りのような手の使い方が綺麗だ。そうして、両手を順番に動かしながら、鷺娘の視線は天を仰ぐ。悲しみと透徹さを交えた凛とした視線で。最後は、粉雪の中に舞いながら最期の時を迎える。葛西さんはそっと呟く。「恋の妄執に身を焦がした、女の、そして鷺の一生であった」。

 何度見てもため息が出るほど美しい。あなたの傍にも是非置いておくと良い超絶の一品。


★★★★☆  "座頭市"  監督・主演 北野武   出演 浅野忠信

 "Dolls"は文楽の哀切、そして"座頭市"は歌舞伎の荒唐無稽な快楽と、民衆のパワーなりぃ

 文句なしにおもしろい。音楽も叙情的な久石譲から、ビートを効かせた鈴木慶一へ。時代劇というものを素材に、ここまでゼロベースで、おもしろく組み立てられるものだと、完全に脱帽。最近、SONYの出井さんの"ONとOFF"というSONY社内向けサイトへのコラムを読んだのだが、彼が世界の経営者とわたりあう姿や考え方を読み、視点の違いに色々と気付かされることが多かったが、この北野武の作品も、世界を伍して戦うというエンターテイメントについて考えさせられた。

 この作品は、エンターテイメントという割り切った意図で作成されたのだろうが、下記の点で優れている。

1)終り方が暗くない。明日への活力を観客に与えながら終る。 そうして、勝つのは農民・民衆だという、全世界を納得させる終わり方。

2)(予想できる人には見抜けたようだが)悪党一味の親分のあっと言わせるどんでん返しの脚本の良さ 

3)武と浅野忠信が刀を振り回し、血が流れまくるが、その瞬間のCGのこなれた使い方 (シンセサイザーが出始めた頃のスティービー・ワンダーのさりげないシンセサイザの使い方を思い出した)

4)座頭市という卓越したヒーローによるわかりやすいストーリー。(あの眼はシュワルツネッガーのターミネータだし、剣の振り回しはスターウォーズか。でも、この鉄砲や爆弾でバンバンというアメリカ映画が多い中で、人が走り、きちんと身体と技を使い斬るというのは、健康的だし、技術難易度が高いことも納得できますね)

5)そうして、時代設定とストーリーが、日本の時代劇だということ。これは、日本でしかできない物語だし、きちんと国のオリジナリティを出していることになる。こういうのは欧州で受けるだろうし、最近MIJというのも米国ではやっているらしいので、カナダでも受けたのだろう。

ということで、歌舞伎で"夏祭浪花鑑"や"女殺油地獄"なんかの妖しい荒唐無稽系が好きな方にお勧め。是非、劇場の音響設備の良いところにてご覧下さい。世界レベルの和風をご堪能あれ!


★★★☆☆  0720_YUUJIRO.JPG - 5,405BYTES"狂った果実"   原作・脚本:石原慎太郎  主演:石原裕次郎

  湘南の熱い不条理の季節は、今見てもドキドキする。海に漂い、花と散る青春。

 石原慎太郎の"太陽の季節"を以前読んだときに、この"狂った果実"の小説も読みたかったが、本屋を探しても、アマゾンを探しても手に入らなかった。今回石原裕次郎特集で念願の映画を見た。それにしても、"狂った果実"というタイトルの妙は素晴らしい。若い頃の慎太郎のセンスに脱帽。

 1950年代の鎌倉から、葉山までの湘南が描かれる。昔の湘南を知らない私は、なるほどと見入る。今も少しだけ似ているな、鎌倉駅。そこから横須賀線に石原裕次郎と津川雅彦の兄弟で向かい、逗子駅の階段で、北原三枝に運命の出会い。弟の津川雅彦が魅せられる。

 岡田真澄の洋館でダベる不良達。経済も、政治も信じられず、湘南の海と女に刹那的に時を見出す若者達。葉山沖でモーターボートで水上スキーを楽しみ、横浜や東京のクラブにオープンカーでくり出す。荒削りに舗装された道路は、今のR134号だろうか。ごつごつした道路と、戦後復興の途上にある時代と、戦後の激変での価値観の喪失と、若者達のギラギラしたエネルギーと。今の時代の若者達よりも、もっと追い込まれていて、素敵だ。岡田真澄のクールさも、かっこいい。

 そんなクールであるはずの、石原裕次郎が、真面目な弟の恋人である北原三枝が実はアメリカ人の旦那を持ち別の顔を持っている事を知ったあたりから、彼女に傾いていく。子供だと思っていた弟への嫉妬か、様々な顔を持つ北原三枝の魅力か、アメリカ人への反骨心か・・・。弟を出し抜き、北原三枝をヨットでさらって行く。その事実を知り、焦り追う弟。

 ヨットの中で、運命だと言うように、力づくで北原三枝を奪う、石原裕次郎。夜通しモーターボートで追う津川雅彦。遠くに江ノ島の灯台が見える。ついに、兄のヨットを見つけた。ぐるぐると、ヨットの周りを旋回するモーターボート。広い海に、その軌跡と甲高いモーター音がこだまする。弟への純愛に改めて気付いた北原三枝が、思わず海に飛び込んだ時に、弟は彼女と兄とを・・・・・。

 ジャン・リュック・ゴダールの"気狂いピエロ"で、最後にジャンポールベルモントが、ダイナマイトで自爆するシーンを思い起こさせるような、最期。こんな、不条理でヒリヒリするような湘南も、また素敵かな。不条理と虚無に悩むと、エロスとタナトスが生き生きとしてくる・・・・。


★★★★☆ 荒木経惟 花人生 at 東京都写真美術館

 恵比寿ガーデンプレイスの写真美術館に荒木を見に行く。週末は20時までやっているのがいい。ポンピドーの現代美術館は、確かもっと遅かったが、でも、会社帰りに観られる事は、素晴らしい。

 仕事でヒートアップした頭を抱えて、週末の夜の写真展に行った。さすがアラーキー、疲れた左脳に対して、本当は匂いは無いのだが、その原色の花びらと花弁の放流は、私の右脳をむせかえらせた。30年来花を撮っているという事だが、その数々の工夫に関心した。

  モノクロの写真の中に、妻 陽子さんが花と共に棺に入れられている組み写真。センチメンタルはストーリーが流れ出す。

  壁一杯に、蘭やチューリップの花が拡大拡大されている組み写真。

  壁の3面を覆う1000枚以上の、ポラロイドの組み写真。そして、所々に控えめに、着物で縛られた女性が写るのが抑えたリズムを生み出す。

  ユリの花なんかに、荒木が彩色をして撮った組み写真。花に色を塗るという、エロティックな行為を思い起こさせる!

  そして、最後はイメージのカラフルでシンプルな花自身を、自ら描く。育てる、慈しむという感覚か・・・・・

 花を拡大して、花びらと花弁だけをひたすら写すという絶好の被写体をみつけただけではなく、上手く様々なスパイスを混ぜながら料理をしていく絶妙の技。

 さすが、プロというか、仕事師、職人である。 しかし、こんな素敵な被写体を、生花として普段から自分のコントロール配下において楽しんでいる女性達は、もっと楽しみ方が上手かも・・・・。

6/4まで展示会は開催。あなたも行って、五感で花を味わって下さいな。

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★★★★☆ DVD "百色眼鏡"  by 椎名林檎

 和と洋と、今と昔と、夜と昼と・・・様々なものを昇華すると、切なささえも、華となり光輝く

 2003年1月22日に発売された、DVD「短編キネマ「百色眼鏡」が、なんというか物語と切なさの壷を突いている。朝日新聞の1/22夕刊の広告でも、中村勘九郎さんが「セツナクッテ、ドキドキして!!淋しいねー淋しい。ステキデシタ」と、コメントを寄せている。そう、坂本龍一バリのオーケストラが弦を鳴らし徐々に盛り上げ、NHKの大河ドラマのオープニングは水墨画の中をCGの蝶が舞う。そして、物語は進行する。

 若き探偵 天城は、ある舞台女優の尾行を依頼される。そんな折に、女に財布を落としたと言って近づいた天城の見たものは・・・。昼は清純に誠実に親切に振舞う小雪 演じる女優が、夜になると 椎名林檎 演じる女優に変身する。そして、女優の住む洋館の中を壁の穴から覗くと、真紅に白い鶴が描かれた着物を纏い、誰か男の耳をかく、妖しくも魅惑的な後ろ姿。昼は食事に招かれ、白いドレスをまとう女優。夜は、まるで天城の心の中を見透かすように、囁く女優。 そして天城は依頼人から今日の夜までに素性を調べるようにと背中を押され、そして、壁の穴から覗いた天城がそこに見たものは・・・・。DVDで、ごらん下さいな(笑)。

 いかにも薄幸そうな、まるで昔昔の吉原の遊女のような・・・うーん、玉三郎が監督をして、吉永小百合が演じた"夢の女"のカラー版か。彼女が羽織る、白い鶴の描かれた着物が、またケバケバしくて、この映像には合っているんだ。小粋に長いキセルを吸う椎名林檎。そんな遊女の様な夜の顔に、想像の世界で耳を掻いてもらい、耳元で囁かれる天城。そして、洋館を抜け出した後に、車の中で椎名林檎が羽織っている黒い紋付の着物もこれが、哀しそうで、でも凛としていいぞ。

 全体的に、椎名林檎の夜の顔 vs 小雪の昼の顔、 ストリングスがきれいなオーケストラをバックにした音楽 vs 舞台の遊郭の和の世界、小雪の大正浪漫風の着物 vs 白いブラウス と、様々な対象的なものがモデル化されて埋め込まれている。 そして、全てが混ぜ合わされると、きれいに無国籍化された、それでいて輝く世界が表されている。

 こんな風に、和と洋と、今と昔を、自由に組み合わせるのもいいかな、と思わせる作品であった。お勧め!


★★★★☆  映画 "Dolls"  監督 北野 武

  近松の文楽"冥土の飛脚"の舞台から始まる。忠兵衛と梅川が、二人で公金横領の追っ手をさけ、逃げるシーン。二人で手に手を取り、生き抜くために旅立つ。舞台を客観的に映した後、忠兵衛と梅川の人形だけで、お互いの睦まじさと切迫感を表す。まるで人形が生きているように、いや生きている人間以上に生々しく、首を絶妙に動かし、顔の表情も角度により刻々と変化する。見事である。

 映画の前半は、現代風のハンサムだが良心はある青年が、社長の娘との結婚で、菅野美穂演じる彼女と別れての、結婚式シーンから始まる。彼女が狂ってしまったと聞いて、結婚式場を飛び出し、彼女のもとに向かう青年。 そして、彼女と紅い縄で身体をつなぎ、満開の桜の木の下をあるく二人。前半は、ひ弱になってしまった現代の日本の若者の描写で、ううんちょっとなぁ・・・と正直思った。

 途中から、ヤクザの親分と、純真だったころの彼を待ち続ける 松原千恵子の物語。うーん、儚く清楚で美しい。 そして、深田恭子演じる 歌手とその彼女に夢中の若者の物語。この2つの物語が交錯していく。それぞれに思いは遂げられそうになるが、後一歩のところで、ヤクザの親分はヒットマンに撃たれ、歌手に夢中の若者は両目をつぶしまでしたのに、道路で車に轢かれ無残な紅い血を流し、絶命する。

 そう、そして残った最初の物語の、青年と狂ってしまった 菅野美穂演じる彼女は、どうなるか・・・。日本の美しい四季の中を、お互いを紅い縄で縛りながら、放浪する。徘徊する。そして、雪の山の中に踏み込んだ二人は、積もった雪の斜面を転げ落ち・・・二人で木にぶら下がりながら、美しい日の出を見る。

 この映画は、"冥土の飛脚"に託して、"エロスとタナトス" そして"女の間の想いのバランス"を描いている。死があるからこそ、男女の出会いと関係はその瞬間瞬間で精一杯誠実に官能的であるべきであり、でもそれは、男女の間のバランスがないと、崩壊してしまう。そうだね、虚無的な自分勝手な個人主義が横行してしまる今の日本に、人間の関係性や情念の大切さを、北野武流の見せ方で伝えている。

 文楽人形の絶妙な動きと、そして満開の桜、紅い楓、白い雪山、と美しい色彩も素晴らしい。単に泣かせることを狙っているわけでもないし、北野武 上手い!Bravo!


★★★☆☆ 白洲正子の世界  9/25〜10/7 松屋銀座

 銀座松屋にて、"白洲正子の世界"という展示会を見る。断片的にだけしか知らない白洲正子。でも結構本が出ていて人気があり、気になる存在であった。

 その趣味の良さと、先鋭的な面と、知的な面、それに白洲次郎というパートナーによる、ライフスタイルマガジンの様な人

 入ってまず眼前にある"十一面観音立像"が仄かな光に浮かび上がり、背景に形が共鳴するような和風タペストリが下がる。活けられた花。これが一番良かった。あの床に観音様を前に座って、酒を酌み交わせたら、どんなに時間がたっても飽きず、幸せに違いないと思わせる雰囲気が漂う。素晴らしい。十一面観音ではあるが、頭部の十の顔はもう黒ずんでいる。でも、全体のシンプルさ、線の柔らかさが、心をたおやかにする。変に装飾されていないのが良い。

 先に進むと、お能の面や食器や指物など、いろいろと飾ってあるが、やはりガラス陳列ケースの中に入っているのは残念だ。「骨董は手元に置いて使ってみなければわからない」との白洲正子の言葉通り、あれだけ趣味の良い物達を、身の回りに配して、触ったり身につけたりするからこそ、楽しいし、自分にも物の持つ魂が乗移るのだと思う。部屋を再現しているような展示の工夫もあるが、もちろんガラスケースよりは数倍良いが、もっと近づいて見たいものだ。

 十一面観音以外にハッと心を捉えたのは、漆塗りの黒いお盆に、朱の傘が二本描かれているもの。これはシンプルなデザインで無駄が無いが、開いた傘と閉じた傘の配置が絶妙である。

 なお魯山人とも交流があったようで、下の真中の写真は魯山人の作品である。織部であろうか、土瓶いいねぇ。

 ということで、和風庶民派の私にはちょいとスノッブすぎるかと思ったが、趣味の良さと鑑識眼はある人だね。ううむ、こういう物に囲まれた生活は至福に違いない・・・。

 

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★★★★☆ 淡路人形浄瑠璃

 2002年8月下旬 夏休みで淡路島へ渡る。高速を下りる。意外と大きい島である。
500年の伝統を持つという"淡路人形芝居"を、南端の大鳴門記念館にて実際に見る。
大鳴門記念館の中に、「淡路人形浄瑠璃館」なる舞台が併設されており、
1)人形の使い方実演 & 記念写真 15分
2)実際の文楽上演 35分
という内容で、いつ行っても毎時間楽しめるところはGood。

 削ぎ落としの美学。それを歌舞伎よりもさらに削ぎ落とし、大仰にする所は人間以上、妖しい魅力漂うのが文楽である。

 

淡路人形浄瑠璃まず使い方の講習。
意外と大きいぞ。身長130cm位か。なるほどこれだけ大きいければ遠くからも見えるね。
一人目の使い手は、左手に頭部、右手で右手を操る。目を左右に動かし、口、後はバリエーションで鼻や鬼面への変身をコントロール。
首の振りと目線と、そしてそれを軽く握った形の手が追う。例えば「あれ、そこのあなた」という時には、目線と腕手の方向が合うとそれらしく見えるとのこと。
手も、四本の指がくっついた形で動きますが、一番反った時は、人間以上に、マイナス30度ほど反りかえりますね。
踊りや小山では、人間もこの人形の動きを目指すんでしょう。
二人目は左手、三人目は足を担当。

記念写真は、これは良い企画ですね。きらびやかな八重垣姫との記念写真は、帰ってからも見返すでしょうし、文楽の刷り込みによるファン作りに一役買っていると思う。
プロ野球なんかで、大人へはサイン必須ではないが、子供は選手にサインをしてもらうときっとその人は大人になってからも野球ファンである確率はきっと高いことは有意性があるだろう。
ちなみに私も撮ったが、重量感ある人形は2キロあるとのこと。

 

 出し物は5つの中から随意にやるようであるが、今回は"安珍・清姫"で、清姫が安珍を追い河を渡ろうとするが、安珍に言い含められた船頭に邪魔をされ、最後には怒りで龍に変身をして道成寺に飛んでいく、という内容。
まず若い2人の女性の三味線と語り手が上手に登場。三味線の太い音を響かせる。いいねぇ、いきなりここでトリップだ。
紅と黒の振袖(!?)を纏う清姫が登場し、"寝取られ"た恨みを切々と語る。いきなり姫が"寝取られ"なんて言葉を吐くのが、ドギツく生々しくていいな。どこまでも白くクールな顔立ちに、この言葉の落差が似合う。切々と語り、悶え狂い、舞を舞う。なるほど、人形も踊りをするんですね。脚の動きによる着物の盛りあがりや裾裁きまでも表現される。

 翻って、船頭は河の上の船で、意地悪く振舞う。清姫の訴えを、頭や顎をポリポリと掻きながら興味無さ気に振舞う様が可笑しい。キセルなんかも吸う。さすがに歌舞伎の実際に人間と異なり、煙は出なかった(笑)。

 怒った清姫が、瞬間口が裂け鬼の如くなり始める。ここはすこし背中がゾクッとしたぞ。これは実際の生身ではできない技である。美しい顔から、瞬間で鬼に変身する様、恋に狂った人間の"業"か・・・美しくも悲しい。船頭はほうほうの体で、逃げ去る。河は荒れ狂い清姫は泳ぐ。3人で人形の脚と手をつかみ、バタバタと泳がせる。意外に大胆に上下させる。平泳ぎまで表現だ。そして、いつの間にか、巨大な龍に変身する。とぐろを巻き、のたうち泳ぐ巨大な龍。いつしか道成寺のほとりに泳ぎ着く清姫。

 さあ、彼女の恋の嵐の行く手は・・・。というところで舞台は終了。舞台装置を見せ、最後には黒子のメンバーが顔を出し、礼をして終わり。いやあ、面白かった。

 芝居小屋が小さく三味線の音や語りもリアルで、舞台も近く(最近歌舞伎はすっかり四階が定着しているからな・・・笑)迫力もあったせいもあるが、なんか心に突き刺さるリアルさがあるな。
それは物理的な迫力と、そしてシンプルな人形だが、逆に制約されている中での削ぎ落とし効果が効いているのであろう。
以前はTVでも、"ひょっこりヒョウタン島"や"南総里見八犬伝"など、けっこう人形を使った番組もあったが、最近は無いな。CGがとり換わっているのかもしれない。
しかし、この"本物"の持つ迫力は凄い。また人生、和風の中に楽しきものを発見してしまった。


淡路人形浄瑠璃淡路人形浄瑠璃

淡路人形浄瑠璃

 

 

 

 

 

 

 

 

下記は動画(AVI)ファイルなので、約3Mありますので、注意!(ADSLやLANの方はご覧下さい)

清姫 舞台の最後のシーン 


★★★★★ 増上寺 薪能

 今回 私のサイトを見てくださったmさんより、ご好意で2002/5/25(土)に行われた"増上寺 薪能"を、取材として見させていただくことができました。mさん、貴重な感動的な体験をくださり、ありがとうございました。

 今回わかったのは、下記の点。

"歌舞伎は引き算で作り出すおもしろさや美しさであり、能はそもそも最小の情報量で最大の美とメッセージを創り出す営みである"

"限定された音と光の中で、人はいつしかスローなテンポに身体時計が合っていき、
その時にはモデラートな音に横笛の高音が交じっただけで、人の芯まで刺激をする"

"夜の闇と仄かな明かりの中で、きらびやかな着物達は、人の感覚を幻惑するような鈍いが重く存在感ある美を主張する"

 

 この日は空に雲ひとつ無い快晴の日。東京タワーを見ながら、増上寺に向かう。まだ夕景の残る18時から、最初の"小督(こごう)"が始まる。夕焼けの柔らかい光が注ぐと、海であろうと都市であろうと、全てのものの存在が際立つ。目を凝らして舞台を見ているうちに、天皇の家来の仲国が、天皇の寵愛する小督に会い、天皇のもとに戻るよう口説いくと共に、あたりは夕闇に包まれていく。いつしか、日常の世界から、非日常のダークサイドな自分の精神の中に引き込まれていくようである。

 火入れの儀が、越天楽の調べと共に行われ、その命を持った炎が舞台を照らし始める。

 二幕目の狂言"鎌腹"は、そうだね、夫婦喧嘩を大仰に可笑しく描いたもの。ここで、少し精神を和ませる。

 

 三幕目の"吉野天人"が、これは幻想の世界でありました。いといと美し。

 吉野山へ桜を見に行く主人公(能ではワキ)。吉野山で桜を眺める若い女性(能ではシテ)に会う。そして、その晩に五節の舞をまうことを、聞きだす。そして、その夜、本当に五人の女性による"五節の舞"に遭遇する。たっぷりと踊った後に、五人の天女は花の雲に乗って消え去るのであった。

 シテは桜の枝を持ち、他の女性は扇子を持って舞う。五人一緒に舞うのは、能はお面をつけているので合わせるのが大変らしい。It's sure! この能自体が観世流だけであるそうだし、通常は女性役は2〜3人らしいので、五人で舞うのは貴重とのこと。しかし、この視界一杯に入る、花道の2人、薪の炎、主舞台の3人という構成と彩りが美しい。そうだね、ダイビングで40m程潜り、もう限界だとドキドキしている時に、悠然と目の前を大きい魚が通り過ぎるときのような、幻覚かとも思えるどの時間であった。ダイビングだと、脳内の酸素が欠乏し幻覚作用を引き出すのかもしれないが、この"薪能"という奴も、光、音、満月、風、ワールドカップに向け青くライティングされた東京タワーなどあらゆる手段を使って、脳内の感覚を鋭敏に鋭利にしようと迫る。ただ、美にたゆたうという時間でありました。

 そして、能が終わった後、舞台背面の巨大な三門が開き、日比谷通りに走る車のヘッドライトが視界に入った瞬間、私は現実世界に戻り、ひと時の夢から目覚めたのであった・・・・。

 今回は、貴重な写真と動画もありますので、あなたも普段目にするチャンスの少ない"薪能"の世界を、お味わい下さいな。そして、来年の五月の第四土曜日に、あなたも増上寺で素敵な"薪能"に直に触れてくださいな。

 

能 能 能 能

下記は動画(AVI)ファイルなので、約3Mありますので、注意!(ADSLやLANの方はご覧下さい)

吉野天人1  吉野天人2  吉野天人3  吉野天人大団円  静かに去っていく吉野天人ラスト


★★★★☆ 大相撲 稽古総見 2002/5/6

 ついに国技である相撲を始めて実際に見る。おそらく今まではこういう企画は無かったと思うのだが、さすがに満員御礼が途絶えているせいか、横綱審議委員会の稽古総見を両国国技館で入場無料で一般公開されました。朝7時から11時まで。

 新之助も時間があれば見に行くという大相撲を見る良いチャンスということで、鎌倉から両国までGWの人の流れと逆行して行って参りました。4時間の間中をとり、おもしろくなるであろう9時ごろ両国に着くように出発。9時過ぎについたが、総武線 両国駅からは人がぞろぞろと皆国技館へまっしぐら。色とりどりに鮮やかな力士の幟が沿道に立ち、わくわく感を高める。いいねぇ、この原色ベタベタの歌舞伎の如くの世界。

 さて国技館に入ると、既に一階の席は満席とのこと。二階へ上がるが、既にほぼ満席。下を見下ろす階段にも、多くの人が直に座っている。コンサートホールとか、歌舞伎座とは明らかに異なる、少々こもっており、残響が非常に長い、音響効果が不思議な雰囲気につつみこまれるような感じをもたらす。土俵の音をマイクで拾って館内に流しているので、こちらも力士がぶつかりあうと"ビシッ"という音が明瞭に聞こえる。うまい効果の上げ方だ。

 しばらく見ていると、幕内力士の登場となる。何人か名前を知っている力士も登場。激しいぶつかりあいと、上手い投げ技に、なぜか自然に"オォーっ"と声がでてしまう。確かに相撲の中継でよく聞く喚声だが、自然に身体からこの声が出てしまうのはちょっと不思議。力士名を叫ぶ子供の声が意外に多いのも印象的。力士同士がぶつかりあった後に技が決まる瞬間に、周りで見ている力士達が駆け寄って二人を取り囲む光景を、最初は土俵下に落ちて怪我をしないようにガードしているのかと思ったが、どうも次の相手に立候補をする名乗り出というのが正解のようである。きちんと順番になっておらず、取り組みたい人が"俺、俺・・・"と出てくるのが、総見で気合を見ているのか、非合理というか、微笑ましい。幕内では、"出島"の存在感が光る(とは言え、素人の感覚だが)。"十文字"の様に、身軽に何度も俺も!と出て行く力士も、結構親しみがわく。

 さて、大関、横綱の取り組み。さすがに武蔵丸は大きい。腹の出方が異様である。こちらはぶつかり合う身体の音も低音。力士の動きも悠然としていて、風格がある。私的には、"無双山"が汗がのり肌の黒光りする美しさと、練習での強さで、五月場所の優勝候補筆頭であると占う。途中何度も、"貴乃花はどうした"という掛け声が響く。ちょっと、一所懸命に練習している力士に失礼ではないかとも思うが、何度もこのような声がかかる。子供はきちんと目の前の力士を応援し、大人は過去のカリスマを引きずる。

 最後はぶつかり稽古で、その中でぶつかられ役として、貴乃花が顔を出す。一瞬場内の喚声が大きくなる。でもちょっと肌のつやに欠け、痛々しい。それはさて置き、次々に相手に向かってぶつかって行き、それをグッと受け止め土俵の端から端まで滑っていく様子は、これは一つの美しい"型"ですな。

 ということで、実際の場所中も、大人2100円、子供200円という当日券が実はあり。時間があえば、実は東京都心から電車で近いし、のんびりと楽しめるか。後は、歌舞伎の夜の部や野球のナイターと異なり、実施時間が早い点が、ビジネスマンにとっては敷居が高いか!? でも、またいつかお金をきちんと払っていきたい。このような、見込み客を集める為に、太っ腹企画をした、日本相撲協会はなかなかやるなぁ。

大相撲大相撲大相撲大相撲大相撲


 ★★★☆☆ 映画 「積木の箱」 監督:増村保造、主演:若尾文子 1968年

 銀座シネパトスに見に行ったのだが、他の若尾文子作品と決定的に異なるのは、若尾文子よりも、主演の少年 一郎(役者名 わからず)の方が魅力的であった、という所か。あとは、テーマが終盤 重い・・・。

 物語の場所は、北海道 旭川。観光事業を営む富豪の佐々林家での話し。少年 一郎が、父親 佐々林と、姉と思っていた松尾嘉代 演ずる奈美恵が、実は妾の関係と知り、多感なじきでもあるので、親と世の中に反抗をし始める。そんな中で 若尾文子演ずる学校の近くの牛乳屋の久代に憧れるが・・・。実は、父親 佐々林に昔手篭めにされ、かつ仲良くしていた久代の子供が、自分とは異母兄弟の関係にあると知り、反抗の加速を高め、親を同様させる為に学校に放火してしまう。一時は放火を知らないふりをしようとしたが、異母兄弟の久代の子供がその家事で火傷を負い、でもそのけなげな姿に罪の念を強く抱き、ついには父親 佐々林の目の前で警察に自首の電話をする。

 うーん、原作が三浦綾子とあり、この作品は読んだことはないが、あの人の作品は暗いからなぁ・・・・。そういう時代背景だったのかもしれないが、北海道の人はあんなに暗くないぞ、と札幌出身の私は思う。離婚率一位、女性の喫煙率一位、結婚式は仲人無しの会費制と、北海道ってもっと合理的だと思うのだけどなぁ・・・(笑)。

 あとは、音楽がムソグルスキーのオペラ「ボリスゴドノフ」と雰囲気が似ていて、これでもか、これでもかと追い詰めるのですよ。

 若尾文子が美しさを発揮するのは、暴君 佐々林との一夜を涙ながらに語るシーンかな。藍染の搾りの着物とでもいうのでしょうか、清楚な姿がやはりお美しい・・・。

 ということで、若尾文子作品の中ではちょっと毛色が変わっていて、からっと晴れているようで実は重い重い、という独自のポジションを持っている作品。そんな作品でよろしければ、ご覧下さい。


★★★☆☆ 映画 「華岡青洲の妻」 監督:増村保造、主演:若尾文子 1967年

ううむ、不思議な映画である。不思議というのは、この映画の意図は何かという点である。

1804年に世界で初めて全身麻酔による手術を成功させた華岡青洲の話であるが、

嫁と姑の青洲をめぐっての争い?
ジェンナーの様に生身を呈して医学の進歩の為に献身した美談?
女の争いの中での官能美・・・?

一筋縄ではいかないが、飽きさせない作り。

子供の頃 高峰秀子演ずる青洲の母 於継を遠くから見ながら、憧れる若尾文子 加恵。青洲の母から、思わぬ縁談を持ちこまれ、身分の下への医者の家に嫁ぐことを決心する。
前半は、青洲の父が怪演。ううむ、昔NHKの「赤ひげ」の牟田悌三?の無精ひげ姿の医者も印象的であったが、この飲んだくれだが腕と志はしっかりとした父が良いのだ。青洲が勉強の為で不在であった祝宴で、息子の自慢話を酔いながら語るのだ。存在感あり。

青洲が帰ってから、優しい姑が息子かわいさに、加恵への態度を一変させる。青洲から妻を遠ざける。そんな嫁姑の争いに、向学心一杯の青洲は無頓着で、猫を実験台としながら、麻酔の完成に向け淡々と努力をする。そしていよいよ人体実験という段階になると、まず姑が名乗り出る。それを見た加恵も私を使ってくれと譲らない。娘を乳がんで失った姑と、男の子が生めない加恵が、青洲の愛情を永遠に独占しようと、美しい女性二人が、醜く争う。この高峰秀子と若尾文子の事あるごとの何気ない冷たい争いが、からっとした陰湿さで、日本らしくてよろし。

青洲は母親には偽の麻酔薬を与え、妻の加恵には実験の麻酔役を与える。麻酔の実験を成功させたと勝ち誇る母親に対して、加恵は麻酔の後遺症に苦しむ。ある日晴れた日の昼間に洗濯をしている時に、「えろぅ、突然暗くなってきましたなぉ」と若尾文子が爽やかに語った時に、私の背筋にゾゾッとするものが走った。

最後には完全に失明し、青洲に手を引かれながら立派に完成した青洲の病院を歩く。そして、息子に手を引かれながら昔 青洲の母を憧れてみた同じ場所に、静かな充実した幸せな顔でたつ。"Quiet Life"というか、「風と共に去りぬ」でサラの地に腰に手を当て絶対的な自信で仁王立ちになるビビアン・リーの対極の強さというか、そういうものを感じた。耐えるが、強く、そして幸せをつかむ女。古き良き、日本の卓越した女性かしらん!?



★★★☆☆ 映画 「」 監督:増村保造、主演:若尾文子 1964年

 増村監督にとって谷崎潤一郎の小説の映画化第一弾。 エロスとおかしみの漂う、不思議な味わいの作品である。

 岸田今日子演じる園子が、谷崎にちょっと異様な雰囲気で語りだす。岸田今日子のくりくりと光る眼と、関西弁の語りがさらにねじれを加速させる。(うーむ、その唇はエアロスミニをスティーブン・タイラーを思い出させる。すみません、不謹慎であった) その園子が、若尾文子 演ずる光子と美術学校で結託し、さらに園子の自宅でお互いの裸身を見せ合うところまでは、エロティックである。いや1964年当時で、女性同士の愛や裸を一般映画で写すのは、冒涜的冒険的ないやらしさであったのだろう。

 そこから後半が、一筋縄ではいかずにおもしろい。「いやや、いやや」と園子は夫にだだをこね、光子は園子にだだをこねる。この「いやや」という言葉も、拒絶と媚がまじった、東京の言葉ではニュアンスが出せない印象的な言葉。それぞれ相手に対する打算と演技を交えながら、物語は進行する。そして、園子の夫と光子の愛人の、女性に頭のあがらない男性陣。

 園子の旦那と光子が関係を持つあたりから、さらに喜劇っぽくなっていく。園子と夫の、自分こそがだまされているのではないかという、疑心暗鬼の腹のさぐりあい。光子の支配欲。そして、光子の愛人の嫌がらせの投稿により、三人で死に向かう。そんなシーンも、"光子観音"に向かい三人で拝んでいるのも、なにかねじれており、シュール。

 ということで、エロス → 筋のおもしろさ → ひねった喜劇 と姿を変えていく不思議な作品。なお、私は若尾文子さんの着物姿の方が好きであることが確認できた。この映画は、コケティッシュな洋服姿がやや多いか。劇中の佐藤陽子ライクなしっとりとした熱情を持つバイオリンの音色と旋律は良ろし。


★★★★★ 映画 「雁の寺」 監督:川島雄三、主演:若尾文子 1962年

 若き日のアランドロン主演の「太陽がいっぱい」を超えたおもしろさ。アランドロンも良いけれども、若尾文子はさらに良し。

 「シネマきもの手帖」で、喪服の若尾文子が、ツルツルに剃髪した熊の様な男に後ろから首筋に口付けをされ、ちょっと流し目で悩ましげな顔をしているスチール写真を見た瞬間から、この映画を見たいと思っていた。柱に手をかける彼女の姿が、若々しいのであるが、十分に官能的である。

 こんな着物姿の若尾文子見たさに銀座シネパトスのレイトショーに足を運んだのであるが、おもしろかったのは映画のストーリーである。同じ川島監督の作品であるが、「女は二度生まれる」よりも、劇中に用いられる不響和音もやわらかく、途中笑いを誘う映像もはさみ混まれ、見る者を引き付ける。

 雁の絵を描く画家の妾の時にはおきゃんな娘であったが、画家が死に禅寺の和尚に後を託される。そして、その助平な和尚との爛れた愛を、そのお寺の奉公人の少年が冷たく見つめる。貧しいどん底の境遇から奉公した少年は過去を知られたくないが、若尾文子演ずる里子は、少年に関心を抱く。そして、同情からか、好奇心からか、少年と抱き合ってしまう。ここら辺から、映像のテンポが速くなり、緊迫感が増すゾ。屈折した心を持つ少年は、いつしか里子を独占したくなり、ついに和尚を殺してします。その和尚を、人に悟られぬよう別人の棺に入れ、完全犯罪が成立。と思った時に、和尚の後継者が来て、里子との関係を続けられないことを悟り、少年はどこかへ去る。緊迫したモノクロームの画面から、最後の最後にデキシーランドジャズにのり、カラー天然色に変わる幕切れも良い。

 元々は水上勉の原作だが、脚本がかっちりと出来ていると映画が締まる典型か。妖艶な若尾文子から迫真のストーリー展開まで、見応えあり!


 

★★★★☆ 映画 「女は二度生まれる」 監督:川島雄三、主演:若尾文子 1961年 

 若尾文子さんの作品を銀座シネパトスのレイトショーで集中的に上演しているのを知り、師走であるが12/29に銀座に出かける。若尾文子が小唄・端唄を唄うと聞けば、一度見ずにはおられまい。

 靖国神社横のお茶屋で芸者を営む若尾文子演ずる"小えん"。様々な男性のお客に当たり前の様に身を任せる。フランキー堺演ずる鮨屋の料理人から、建築家、謎の実業家・・・。男からすると、芯は強そうであるがかわいい女というところか。そんな彼女も、店先でたまに会う大学生には仄かな恋心を抱く。訳あって新宿のバー(といってもキャバレーか)へ移り女給へ転進。そこで馴染みの建築家に引き取られ、妾のような生活に入る。勧めで小唄を習ったりもしながら、建築家が病に倒れ、もとの九段の芸者へ戻る。そして、建築家は息を引き取る。建築家の妻から、いわれの無い侮辱に合い彼女は目覚める。工員の青年と訪ねた上高地で、彼女は"男に媚びない"生き方に目覚めるのであった。

 この映画は、若尾文子という非常に美しい素材を扱っているのにもかかわらず、全編クールである。フランスのヌーベルバーグの映画にも似た、スピード感ある短いカットのつなぎと、観る者を甘えさせない音の使い方。例えば、建築家が妾として小えんを引き取った後に、工員と浮気をしたことを知り、怒りくるって、小刀を畳に刺し付けるシーン。正気のインテリが、小えんの美しさに狂気に陥る様と、ドスッという音の迫力が観る者を釘付けにする。ラストシーンでも使われるアシッドジャズもどきの不協和音は、残念ながら少々強すぎるか。映像の情緒を完全に否定している。

 小えんである若尾文子さんは、うーむ、美しい。話し言葉も、東京の標準語であるが、京都弁の柔らかさに似た艶がある。小唄も、これは吹き替えであろうが、切なくて艶っぽく良いのである。

 ということで、透徹なCoolさと、和風のやわらかなコケティッシュさが共存している不思議な作品。まだまだ続く若尾文子作品に大いに期待!


★★★★★ 文庫本 「すきやばし次郎 旬を握る」 by 文春文庫

 ううむ、この本を開いた瞬間に唾が口の中に湧き上がり、通勤電車の中が、鮨ワールドに変化した。写真も分析的な切り口や時系列で載っており、完璧で何度読んでも飽きない、究極の鮨解説本ではないか。

 まず、こだわりの鮨職人のネタが入っている三〜四段の木箱と皿盛り例を、季節毎に美しく写す。そして、オヤジの各ネタに関するウンチク解説が語られる。これからの秋は、オヤジがアオリイカよりお勧めと言うスミイカや、蛤、そして秋後半にはサバが載っている。クルマエビに関しては、浜名湖や九州も良いが、横須賀沖が一番良く、江戸前が甘味・香り・茹でた時の色合いがダントツとのこと。理由は、海水がある程度汚れていないとエビに適した餌が育たず、"水清ければ、エビ育たず"だそうです。

 お次は、マグロの徹底解説。凄いのは、マグロの実際に切った写真の断面図が数ページ並び、それに対して赤身、トロ、大トロ等の解説がついていく進め方。これは解りやすい。涎が出そうになる、蛇腹の大トロの握りの写真なんかいいねぇ。頭が下がるのが、次郎オヤジが、"これからは輸入マグロの猛勉強です"と、近海マグロとの違いを合理的に説明しながら、前向きに語る姿勢。

 その後は、し込みに関して、一つのネタを見開き二ページにて、洗い方からさばき方、つけ方まで、丁寧に写真解説をしている。私は光モノであるコハダが鮨の中ではとても好きなのであるが、握るときに尾を左にひねっての光り輝く躍動感も良いねぇ。コハダの小さい頃であるシンコも、一枚からなんと四枚づけまであるんだねぇ。芸術品だよ。

 最後は、著者と次郎オヤジの対談。"なぜ一人前で頼むほうが同じモノを握るより安いのか"から、看板の10分前にお客様がきちんと帰られる秘密まで、本音トーク。著者は次郎に通って20年とのこと。だからここまでできるんだねぇ。このこだわりの職人魂は、技術大国を目指す日本が忘れてはならないモノだと思う。

 とにかく、読んで、見て、想像して味わう至福の時間。合理的なアプローチと鮮やかな写真の勝利。あとは、自分のサイフをあたたかくして、寿司屋に直行!


★★★★☆ 漫画&TV 「陰陽師」 原作:夢枕獏

 静謐なるドラマ。

 6/5をもって、NHK ドラマDモードの「陰陽師」が終ってしまいました。稲垣五郎主演であり、何処かで書いたが、私は"時代劇"を超える新しい表現手法として、気に入っておりました。画質の高精細ハイビジョンカメラでとり、その後コマを割り引いたような、不思議な透明感とゆれる蝋燭の炎の様なスピード感。笑わない稲垣の晴明。環境音楽系のピアノソロと、雅楽系のシンセサイザーによるBGM。男と女、親と子の根元的な関係、そして人の心に潜む弱さを"鬼"と称して、普遍的に描く。(多少 男女の恋仲にテーマが集まり過ぎのきらいはあったか。)残念なのは、エンディングの音楽が平板なJ−POPだったこと。

 岡野玲子の画による漫画はさらに素晴らしかった。

 そう、陰陽師の晴明は新之助、ちょっと不細工で一本気な相棒の博雅は辰之助か。いやあ、これはぴったりの配役に違いない。源氏の次は、歌舞伎座で陰陽師か・・・。新之助の僅かにビブラートのかかった声が、異界と現世をつなぐ雰囲気にぴったりか。そして、鬼と対峙する際の眼力が見たい。こんなエセ歌舞伎は如何でしょうか。

 さて漫画という表現手段を考えると、この陰陽師の様に 非常に現在から離れた状況で、そのシーンを思い浮かべるのに文字のみを読んでいる場合に、読むスピードよりも想像するスピードの方が遅くなり、かつ漠然としてしまうような場合に、ぴったりだと思った。岡野さんの精緻で繊細な絵は、すうっと頭にシーンが入ってきて、さらにその絵の詳細の想像をかき立てます。一番初めの平安京を空から俯瞰するシーンなど、ブレードランナースターウォーズかと思いましたよ。そして、大胆なコマ割りもある一方、ストーリーは男性向けの劇画の如く大仰に走らず、淡々と描かれているところが物語を盛り上げます。

 ということで、まだ漫画は一巻目ですが、建長寺ある鎌倉を目指す会社帰りの横須賀線の中で、私の頭と心は、完全に平安の妖しき世界へトリップしてしまったのであります。


★★☆☆☆ 映画「風花」  監督:相米慎二

 小説小泉今日子浅野忠信の表紙と、小説のタイトルが心に響き、仕事帰りに有楽町の映画館 シネ・ラ・セットに寄る。増村の白黒の世界も良いが、久しぶりに見る色濃い映像の世界も良い。万引きをした高級官僚である浅野忠信が、北海道の事を"地の果て"と何度となく呟くのが、北海道出身の私としては、心にチクリともする一方、あの荒涼とした広さに納得感もある。

 雪の中で睡眠薬と共に自害を小泉今日子が試みるのは、渡辺淳一の"阿寒に果つ"を思い出させる。美しく死ぬためには、そして自然に帰って行くのには、一番良い方法か。

 しかし、主要な登場シーンが、たばこと酒とピンサロと、刹那的な日常なのは閉口だ。同じような刹那的な映画に、ロイ・シャイダー主演の"オール・ザット・ジャズ"を思い出した。ロイ・シャイダーは、演出のアイディアに疲れていた。アメリカとの対比ではないが、風花の刹那は、創造的な戦いによる疲れでは決して無い。そこが問題なのだ。日本人はいったい何に疲れている? 枠組みの中での箱庭のような人生に疲れているが、目の前の事に的確に答えを出そうともしないし、創造的であろうともしない。

 競争の無い社会では、厳しい自然と対峙する事で本来の、人との関係性の大切さを認識し、絶対の神々しい自然にひれ附するしかないのだろうか。そういう意味では、北海道ロードムービーではあるが、もっともっと厳しく美しい北海道があるはずだ。もっと絶対的な荘厳な冬があるのだ。息が寒さで白くならない北海道の冬など、あるわけがない。

 小泉今日子の表情は、味があり、かつ豊か。動くとチャーミングな人だ。浅野忠信の時間を経るにつれての身体と顔の表情の変化もなかなかのもの。相米監督の長回しも、じっくりと迫って行ったり、引いて行ったりすることろは効果的に詩的な映像もあるのだが・・・。

 暗闇は異次元。映像と音楽に溺れられる。溺れる自分と、冷静な批評をしようとする自分。うーむ、久しぶりに大映像かつ中途半端な映画を見ると、精神分裂に陥りますね。

 そういえば、浅野忠信の奥さんはCHARAだという。CHARAとUAの違いが良くわからなかったが、ある人に言わせると、「CHARAは恋の固まりを歌い、UAは人生の固まりを歌う」らしい。なるほどなるほど。


★★★★☆ 増村保造 映画 「千羽鶴」

 仕事がたまたまはやく終わったので、ついに渋谷のユーロスペースに赴く。偶然だったのだが、若尾文子さんが主演だし、舞台が鎌倉、そしてシーンはお茶会や茶室が多く出てくる、ということで私好みの舞台設定。ぎりぎりで会場に入ると、ほぼ満席で驚く。さすがにアンコール上映をするだけの人気である。

 いきなり、お茶会に向かう平幹次郎。かいがいしく付添い羽織袴を渡す京マチコ。そして彼女はいまいましそうに、若尾文子演じる太田夫人がきていることを告げる。京マチコはお茶の師匠、そして平幹次郎は、京マチコの師匠の息子という位置付け。そして、平幹次郎の父にとって、京マチコと若尾文子は愛人であった。誰かにすがってしまう情熱の若尾文子と、胸にある痣のせいで男を客観的にみつつ愛人の息子を自分の息のかかった娘と結婚させようと画策する京マチコ。京マチコは、自分を"中性"と称し、平幹次郎の家に押しかけ世話を焼き、そして若尾文子が近づくと「盛りのついた女のようだ」等と電話や面と向かった罵倒で、狂気へと追い込んで行く。男に対する顔と敵対する女に対する顔の鮮やかな差が不気味さを徐々に呼んでいく。それに対して、キモノ姿、襦袢姿の若尾文子の美しさ、立ち居振舞いの色気が対照的に際立つ。ちょっとした首の傾げ方など、こちらもぞっとする妖しい魔性の美しさが漂う。

 音楽は最後に若尾文子の娘と平幹次郎の関係を描くところ以外は、静かな不響和音が続く。

 母親である若尾文子が、平幹次郎に最後に茶室で会ったきり睡眠薬の服毒自殺をした後に、娘は母親の男を追って行く気持ちをすこし理解する。そして、今まで洋服姿の娘が、最後には母親の着ていたキモノで平幹次郎の前に現れる。ここのシーンも、輪廻転生を感じ、かつその美しさに背中がゾクゾクしました。母親の身代わりとしてではなく、自分を見つめてもらおうと、母親の形見の志野の茶碗を石に叩きつけて割ってしまうシーンも、それだけでひたひたと進んできたドラマの中で、瞬間のエネルギーを放ちゾクリとさせられる。その破片を集めて、彼女への想いを抱きながら強く握り締め、手のひらから血を流すシーンは、火に手のひらをかざすゴッホを思い出した。そうそう、平幹次郎が志野を手にとり愛しく手触りを「愛する人の肌のようだ」と評しながら触るシーンも、微かな狂いが感じられ不気味。

 最後は、娘を追うが、生死はわからぬまま、観客の心に解決を与えないで、奥底に沈殿する女と男の性(さが)や業(ごう)というものへの澱を残しつつ幕を閉じる。

 映画館で映画を観るのは5年振り位だが、90分という程好い時間と、抑えた展開による緊張作り、女性の動きと存在そのものの美しさと醜さの両極を描き出し、人の根元的なエロスとタナトスへの問題提起など、見所満載で、大いに面白かった。時間があったら今月中もう一本観たいゾ。そして若尾文子の様なキモノ纏う情念の様な女性と、一度でも良いから濃密な時間を過ごしてみたいものである。デジタルな世界の中で生きている私にとって、そんな瞬間に一人の人間としてどんな心持ちになるのか、自分をじっくり観察してみたいなぁ。


★★★★☆ 稲越功一写真展「中村吉右衛門」 銀座・和光ホール

 銀座・和光の6階。厳かなる建物を"閉"の無いヨーロッパ調のエレベータで昇る。決して広く無い空間に写真がちりばめられ、それを見る人もほどよく配置され、オーセンティックであるが凝縮された素敵な空間が広がる。

 稲越さんが吉右衛門を撮り始めて22年が経つとのこと。30代、40代、50代を一人の役者を撮り続けるというのも凄いことだし、撮られる役者も役者冥利につきるか。写真展の訪問者に配られる「誠実な人、吉右衛門」というも、飾られている写真の演目解説も洒落ている。稲越さんが好きな吉右衛門は、俊寛、熊谷陣屋の直実、かさねの与右衛門だともいう。飾られている写真の中では、私は"かさね"の写真群が一番印象的であった。"かさね"は、夜の川辺で繰り広げられる凄絶なドラマであるが、写真の半分以上を占める真っ暗な空間が写真に翳りの味を与えている。壁に飾られるだけではなく、等身大以上の大きさで建っている"梅王丸"等の写真もリズムを与えている。

 花を贈っているゲームクリエータの飯野賢治が目を引いた。しかし役者は幸せだね。30代、40代、50代と撮られつづけられる限り、一流でいなくてはいけないし、向上しなくてはいけないというエネルギーになりそうである。若手のビジネスマンを継続的に撮り、"課長〜部長〜社長 島耕作展"なんていうのをやる写真家がいても良いかも。あと、演目解説文を書いている"おくだ健太郎"という人の肩書きに"歌舞伎ソムリエ"とついている。初めてこんな肩書きをみたが、なるほどなるほど。今度私の名刺にも、"和風物ソムリエ"とでも書こうかしらん。

 この洒落た銀座での写真展お勧めです。1/16までなので、急げ!


★★★☆☆ NHK大河ドラマ 「北条時宗」 

 NHKの大河ドラマを見るのは、なんと25年振り位か。父親が見ていた、"獅子の時代"とかが印象に残っているな。今回の大河ドラマは数々の"初"があるとのこと。一番驚いたのは、今まで大河ドラマでは鎌倉時代を描いた事が無いとうことである。うーん、意外である。得宗政治、執権政治等と言う変則的な政治が分かりにくいせいなのか、それとも蒙古襲来を描くのに制作コストがかかりすぎるせいか・・・。今回は、これも初という始まりのタイトルシーンがオールCGで描かれている。海に沈む蒙古軍から万里の長城までなかなか雄大な画像。朝日新聞ではこのCGを今一つと評していたが、私はCGにしかできない画像なので良いと思った。

 初回は、時宗の父の渡辺謙演ずる時頼が、平和を願い苦悩しながらも三浦氏を打ち、正室と側室の両方に子供ができるという、ハイテンションで進んだ。浅野温子が少々鼻につきすぎるが、渡辺謙は人間味溢れるエネルギッシュさで良い。和泉元やさんが出てくるのは、9回目の3月からとのこと。

 "愛と憎しみ"という人間臭さを前面に出したそうであるが、"蒙古襲来"という海外からの覇者の侵略に一人で意思決定をしなくてはいけなかった面、そして混迷を極める世の中を背景として鎌倉の"宗教センター"としての面も興味がある。是非、そこらへんも紐解いて欲しい。

 さて、皆さん"時宗"を見て、たまには鎌倉にもお越しくださいな。


★★★★☆ TVドラマ「忠臣蔵裏話 仲蔵狂乱」 テレビ朝日 2000/12/21 19:00〜21:00

 新之助 カッコ良さ 超絶なり。 

仕事から帰りビデオをつける。時代劇をTVで見るというのは、本当に久し久しぶりである。というか、小学生時代の大河ドラマ以来であるぞ。どうも、水戸黄門や遠山の金さんの様に、勧善懲悪というワンパターンであり、少々画質の暗い所が好みにあっていなかった。

 しかしである。有りがちな時代劇の様相を呈して前半は流れて行ったが、やはり新之助の舞台の姿は圧巻だのう。踊りの師匠宅にもらわれて、途中養子になり、それ故人に媚びて生きていくようになったという身の上でも、たまにキラリと光る中村仲蔵(新之助)の★眼光★は、ただものではないぞ。そして、歌舞伎座の三階さんとは逆で、一階の最下層から上へと目指す、仲蔵。一度 商家に若旦那としてもらわれるが、結局役者家業が忘れられず、また最下層から出発。役者に媚び、脚本化に媚び、そして役をつかむが、仲間に疎まれ衣装を隠され役を台無しにされてしまう。

 次ぎにまわってきたチャンスが忠臣蔵 5段目の定九郎。良家の子息が落ちぶれて、山中で人を襲う山賊に身をやつし、そして最後はイノシシと間違えられ鉄砲で撃たれて死んでしまうという、つなぎの役割。しかし、ここで仲蔵は、雨の振る街中で目にした素浪人の姿からヒントを得て、山賊を汚い括弧ではなく、黒い着流しに番傘という助六もどきで現れ、見得を切りまくる。いかにも浮世絵に出てきそうな、黒目を寄せ上げる歌舞伎独特の美しく迫力ある見得。切羽詰ってクールな表情で人を切り殺す。そして、最後に鉄砲に打たれ、もだえ、苦しみ、唇からダラリという鮮血を太ももへたらしながら、息絶える。デロリと流れる血が美しい。

 目立ちすぎた彼は二日で首になるが、型破りの仲蔵を見た観客は黙っていない。乞われて役に戻った仲蔵は、確実に自分のスタイルを掴む。そして、底から頂点へ這いあがって行く。

 まあ、新之助 仲蔵のカッコ良さは、画面を見てください。前半の女形の舞踊を踊る珍しい新之助と、忠臣蔵の舞台の怪しいハンサムさの新之助と、対極も良し。

 しかし、見ているうちに、ついつい仕事の事を考え、この競争の中で這い上がり、周りに迎合しないで生きていくスタイルの重要さを改めて感じましたね。外見とカリスマ性と才能とで新之助の様になりたいものだが、それはさておき、新しい世界、そして新規性とそれに伴う数字だけが結果の全ての世界で、人間関係ではなく、クールなクールな判断力と緻密な計画性と実行力で、勝ってもっともっと上に這い上がってやるぜぃ。みていろよぉ、XXXXXめ。

 と、私の中に静かな闘志の火を、めらめらと燃やしてくれた新之助さんでありました。うーん、千両役者やのぅ。


★★★☆☆ BRUTUS 「唐招提寺が消えた!?」  2000/10/15 

 BRUTUS 久々の和風系特集でしょうか。

 切り口が凝っている。10年間の解体修理に入った、国宝の唐招提寺・金堂がテーマ。見えないから、煽って想像力をかき立て、フラストレーションを貯める、ティーザー広告の様な手法は○。

 まず出だしが凝っている。「建築家が手がけた祈りの空間「ということで、ガウディのサグラダ・ファミリア聖堂に始まり、安藤忠雄の設計した教会まで、18の建築物を紹介。ここらへんは、少々スノッブが鼻につくが、BRUTUSの得意技であろうか。次のページを開くと、緑の無機質な工事用の柵の向こうに、銀色の足場が組まれた、金堂の残酷な姿が見開き2ページ。「只今工事中」とキャプションが入る。サグラダ・ファミリアの抜けるような青い空の下での健康的な工事風景はなんとなくしっくり来るが、この唐招提寺の工事風景はもっと美観が欲しいですね。

 次には、和辻哲郎の「古寺巡礼」に沿った奈良廻り。各お寺の紹介で「世界遺産」という文字が映えますね。鎌倉は、世界遺産への登録申請はしているらしいが、まだ認定されてないからなあ。やはり、奈良や京都はスポーツで言うと、オリンピック出場という所でしょうか。

 今度は、鑑真和上像を10人の国内外の写真家に撮らせる企画。女性写真家のシーラ・メッツナーさんの場合は、撮影前日夢の中に、鑑真和上が女性を連れて表れたとのこと。そして、女性の頬に触れ、キスをしていたと語る。さすが、文化により人により、同じ対象でも、何と自然体で人間としてこの像をとらえているのだろう。ここらへんの価値観の多様性はおもしろいですね。

 そして、「バーチャル・リアリティー」と銘打って(なんという懐かしい響き。昔、このVRという技術について、ラスベガスのコンファレンスに調査で行き、興奮していた頃が懐かしい・・・)、わら半紙の様な紙質の紙に、東山魁夷の絵を含めて再現。この少々かすれた様な発色は、なかなか素朴だが夢うつつの世界のようでGood!

 ということで、様々な角度からの、苦心と想像力の入り混じった企画は一見の価値有り。

 太陽が廃刊の後は、BRUTUSにでも大人の世界を牽引して欲しいもの。もう少し、肩から力が抜けているとベター!


 

★★★☆☆ 箱根 富士屋ホテル 2000/9/11泊

 日本人の感じる"和風"とは実は少々異なったが、西欧人の見た和風 魔界の宮殿(!?)というに相応しい、素晴らしい生きた化石へお泊り。

 福住楼に続きここもなぜか福沢さんと縁があり、富士屋ホテルを設立した山口仙之助は福沢諭吉の門下生であり、彼に国際観光の重要性を説かれ明治11年に開業したとのこと。このホテルの災害や戦争と集客競争を戦いぬいてきた歴史が「富士屋ホテル小史」という8ページもの冊子で配布されているのがすばらしい。センスも良ひです。(なぜ1966年に国際興業グループの配下に入ったかは謎ですが・・・)

 一番古い建物は明治24年(1891年)にできたフロントがある本館なのだが、この欧州の名門ホテルと肩を並べられそうな重厚な雰囲気は素敵です。本館に限らず、明治28年の菊華荘他 全ての建物に歴史があり、それを手入れをしながら実際に使いつづけているというところが、素晴らしいと思います。また、ホテルマン&ウーマンの為の学校も併設しているとのことで、車を玄関につけてから、素敵な笑顔と解説と共に部屋まで荷物を運び入れてくれる一連の流れも感心しました。

 一つ残念なのは、温泉なのだが、いわゆる大浴場が貧相&夜中は入れないこと。各部屋でも温泉が出るので、外人は部屋のバスを用いるせいか。ここを改善してくれればいうことはないけれども。日本庭園は野趣に富んでいて、りっぱな水車小屋もあり、歩きがい有り。

 いやあ海外のリゾート地に行かずとも、鎌倉から1.5時間もあれば、こんなに"本物"のリゾートに来られるということに感動です。これkらも歴史と風格と人間的なサービスを維持して、がんばってもらいたいものです。

 


 

★★★★★ 箱根 塔ノ沢 福住楼 2000/9/10泊

  以前一度泊まったことがあり、その素朴だが面々と歴史を積み重ねてきた重厚さと、真円の温泉湯船が心に留まり、再度訪れる。

 明治23年に柳橋にいた女将さんが開業し、明治43年に現在の場所に構えたとのこと。引札という現在の広告を福沢諭吉が記したそうであり、島崎藤村川端康成等々の文人に愛された宿。たまにサライや旅の雑誌にも出ているので、ご存知の方もおられるであろう。夫々の部屋に、ここを訪れた文人や画家の掛軸や色紙が、何気なく飾ってあるのだが、落ちついた部屋に融け込んでいる。光りの陰影も美しい。

 温泉は、岩風呂と檜造りの大丸風呂、そして家族風呂もある。昼夜で岩風呂と大丸風呂は男女で交代する仕組み。今は男性は夜 岩風呂なのだが、こちらは年季は入っており謎のシャワーはあるが、少々暗く今一つであり。やはり極めつけは、早朝 窓からさんさんと陽光の差し込む中で、檜・大理石・銅でできている真円のお風呂につかることだ。以前と異なり、大きい円と中くらいの円の2つのお風呂が並んでおり、両方に朝入れる。お風呂の中には、お湯につかることを楽しんでもらうために、シャワーも設けていないというこだわり様である。誰もいない浴室で、円の浴槽につかり窓の外の目に染み入る緑を見ていると、なぜか銀河系からさらに外の宇宙空間を見ながら自己の存在に思いを馳せる、という感覚に捕われる。

 きちんときりっとした着物で、無駄の無い立ち居振舞いでお世話をしてくれたちょっと岸田今日子似の女中さんも、文句なし。(ただし、翌朝 同じ方がいかにも用務員さんのような宿のユニホームで現れたので、改めて着物と日本の明りの陰影の素晴らしさを認識。)

 あの円は、宇宙なのか、輪廻なのか、子宮なのか・・・。あなたの身体と脳で確認して下さいな。

 


★★★☆☆ 「勝訴ストリップ」 椎名林檎

 若い世代の人には、今さら何をと言われるかもしれないが、椎名林檎、なかなか凄い歌姫ですね。ここ1年半位で、Misiaに続き、日本のレベルもここまで来たかと感銘し、聞いていると心が何か一部はクールに、そして一部は熱くしてくれる人ですね。いやあ、'日本'というものを特に何も背負っていなく、しかも表現したくて日本語を使っているという、きちんと独立しているアーティストです。

 特にゾクゾクするのは、4曲目の「ギブス」を中心として、前の「弁解ドビッシー」と、後の「闇に降る」の3曲の流れ。キングクリムゾンのプログレッシブさ〈表現が古い!)から、イマジンを彷彿とさせるピアノをバックにした淡々としたギブスへ。そしてビートルズのホワイトアルバムを思い出させる、ストリングスの闇に降るへ。ロックに免疫の無い人へは、がまんして3曲目から聞けば、ジェットコースターの様な魅惑的な曲の連なりへ、身を任せる事ができますよ。

 作詞、作曲は全て彼女。そして編曲も一部を行っているらしい。Misiaの声、坂本龍一の曲作りに、ジョンレノンlikeなちょっとハスキーで癖の有る声と詞と曲の総合力で勝負か。歌詞も、きちんとハッとさせる'詩'の部分を持っていますよね。「あなたはすぐに写真を撮りたがる、あたしは何時もそれを嫌がるの、だって写真になっちゃえば あたしが古くなるじゃない」・・・プリクラに始まり、IXYからレンジファインダー機までを手にする、はやりの女性達への皮肉か。他にもたくさんあるが、スパッとした切り口も鮮やか。

 彼女の看護婦から薄幸女性風からヤンキー風までの自由変化な衣装も、歌舞伎モノか?いいね、自由奔放な遊び心が。そうすると、現代の阿国か?

 どうぞ、勇気を出して、今の日本を見つめてみては如何。なかなか、この娘(こ)は骨があるぞ!

 しかし、端唄と椎名林檎を交互に聞いている人も、きっと日本中で私だけだろう・・・・。でも、両方良いぞ。


★★★★☆ 「湘南スタイルmagazine」 Vol.4  エイ出版社

 以前も一度紹介した事がありますが、私の鎌倉移住に少なからず影響を与えた本。鎌倉移住というよりも、湘南移住ですな。いやあ、抑制の効いた、じわりとしたセンスの良さが光りますよ。といっても、明るく光りに溢れ、ポジティブで、アナログの良さも残っているし、湘南に興味を持つ人には、是非お勧め。(と言っても、首都圏以外は、もしかしたら売っていないかもしれないが・・・)。半期に一回の発刊だが、この湘南スタイルが当ったのか、最近「横浜スタイル」というのも、同じエイ出版から出ている。角川に続き、Tokyo Walker, Yokohama Walker, Chiba Walkerと発展するのか〈苦笑)

 このVol.4でユニークな企画は、「湘南ワーキングスタイル しらす漁、こんなに楽しい仕事はない」。材木座を拠点とする、元サーファーの漁師の紹介。それ故、倉庫には漁具と共に、サーフボードが並ぶ。着ているものもカラフルでファッショナブルに映るが、髭をはやし縁無しの眼鏡をかけ、おしゃれだ。

俺の考えではさ、漁師って究極のマリンスポーツだね。体は忙しく働いているけどさ、心はいつも遊んでいるよ

うーん、カッコ良すぎる!! が、本当に自由奔放でかっこ良い。ご一読を。


★★★★☆ 「東京人 特集:芸者さんに会いたい」 2000/6月号 

 表紙の舞妓(芸妓?)さんが振り向いて微笑むモノクロームの写真に惹かれ購入する。新橋・赤坂・芳町・神楽坂・浅草の五つの街の探訪紀。祇園は遠く、赤坂の街も黒塗りの車が止まる料亭の横を歩くばかりで、中に入るチャンスの無い私にとっては、新鮮な情報のオンパレード。年季を重ねた粋な女性達の爽やかな気さくさを知る上でも、実用本としても貴重。

 京の都おどりに対抗して(!?)新橋演舞場で「東をどり」が開催されていたり、浅草花街でのお座敷入門講座があったりと、意外に触れようとすると、その機会は提供されているということがわかった。新橋の芸者達への林真理子のインタビューを読むと、芸者さんにより西川流の人もいれば、尾上流の人もいる。ここは、全て井上流の祇園とは異なりますね。その複数の流派の芸者さん達が、黒の出の着物を纏い、金の扇子を揺らせながら踊る総踊りは、写真を見るだけでも荘厳だ。艶やか(あでやか)だ。

 その一方、ついに芸者町の歴史を閉じたという柳橋。その理由が、1.個人事業主の旦那が減り、サラリーマンが増加するという客筋の変化、2.政界と距離を置いたこと、3.隅田川が汚れ魅力を失ったこと、という3点を挙げている。なるほど、そういう環境変化で廃れて行ってしまうものか。産業構造と地域環境という避けることのできない変化。確かに時代の変化が反映されている。

 同じ号の東京人で、渋谷とIT産業について「ビットバレーという言霊」という特集を組み、若いベンチャー起業家達を取り上げている対比が面白い。話題の「インターネット・バブル」にあるような指摘は当っている面はあるが、着実な産業構造の変化は、絶対に避け得ない。

 願わくば、ネットワークを駆使してビジネスに組する起業家が、政治家や二世経営者達にとって代わって、世界に伍する為にも、空いた時間は日本文化という非日常を芸者さんと共に、粋に楽しんでくれることかな。私もそんな知的で贅沢な時間を手に入れるためにも、オンタイムは格闘しなくては。柔らかい光りに包まれた夜に、伝統と美しさと官能の中で、斬新な心と頭脳を手に入れる為にも・・・。


★★★☆☆ 「君美わしく(うるわしく)」  川本三郎  文春文庫

 2000/4/10に出た文庫本。以前紹介した「シネマきもの手帖」(森恵子 同文書院) と対にして読むとおもしろい。「シネマきもの手帖」の方が、映画毎に女優と彼女が召していたきものについて記し、「君美わしく」の方は女優一人一人に入念なインタビューと作品に対するワンポイントを載せている。

 シネマきもの手帖の方で、一番私が美しいと思った「若尾文子」さんを見てみる。きもの手帖の方には、禅寺を舞台に禁断の恋に悩む「雁の寺」、市川雷蔵が主演の「忠臣蔵」「ぼんち」、きものの本作成のきっかけになったという「雁」。この四作品が紹介されている。個人的には、剃髪した坊主に若尾文子さんが言い寄られている雁の寺の写真が、艶かしくて心惹かれる。

 君美わしくで、若尾文子さんを見てみる。そうか、建築家の黒川紀章の奥さんでしたね。さすが造形芸術家、良い趣味をしている。それはさておき、彼女のイメージの変化を「初期・・・清純なお嬢さん、次に 男を手玉にとるしたたかな女。さらに・・・濃厚なひらがなの"をんな"。そして・・・薄幸の寂しい女」と多様な変化があったようだ。女優になるきっかけは、長谷川一夫に女優になりたいと直訴したとこのこと。初期には、「十代の性典」なんていう映画に出ているではないか。23歳の時には、正月に42,000通ファンレターがきて、雑誌 平凡の読者人気投票で一位だったとのこと。溝口監督には、「女優っていうのはね、芝居なんかできなくたっていい。官能的であれば、女優っていうのは価値があるんだ」といわれたそう。「赤線地帯」「卍」「浮草」他のコメントはあるが、シネマきもの手帖の作品については、特にコメントが無い。

 こうして見ると、また他の女優のインタビューを読むと、必ずしも世の中での人気が出た作品について詳細に憶えているわけではないらしい。それよりも、監督に癖があったりしたほうが意外と本人にはインパクトが強いようだ。また、一瞬が永く残る映画よりも、一回一回を完成させなくてはいけあい舞台の方に感心が移った人も多い。さすが、美しい人達はポジティブであり、過去の一瞬にすがらないのであろう。若さを懐かしむよりも、たとえ歳を重ねても、現代と未来に向けて思考を持っていきたいものである。

 しかし、白黒の写真ですが、昔の女優さん達は、顔から毅然としたオーラがでており、実に美しいですね。

 


★★★☆☆ 「痛快! 寂聴仏教塾」 瀬戸内寂聴 集英社

 敬愛するTRONの坂村先生の痛快コンピュータ学等に続く最近話題のシリーズ。仏教の本質について、瀬戸内寂聴さんの経験に基づいた文章と、なぜか"ちびまるこちゃん"のさくらももこの漫画のカットが豊富に掲載されている。また、般若心経のCDも付録に有り。読みやすくとっつき易いが、少々シュールさも感じさせる本。〈ちなみに、実は私はさくらももこの"ちびまるこちゃん"が大好きであり、日曜日の18:00からの30分の番組は、私にとって貴重な時間でもあるのだ。あの、ほのぼのとして、おかしみの中にも、哀愁と癒しの寓話が盛り込まれているのがすばらしい)

 その中の「巡礼」という章において、九州 国東半島の「六郷満山」という一日に50キロを歩く巡礼に参加した体験記が興味深い。巡礼とは、日常=煩悩に対して、非日常な体験を意図的に発生させることにより、宇宙と生命との一体感を得る為のものであるという。例えば、巡礼の時の白い衣服は、死に装束を表しているとのことであり、非日常への決意を表し、また演出をもするものなのであろう。そして、50キロの過程で辛くなった時に、マントラを腹式呼吸で「ノーマクサンカマンダ、バサラガン・・・」と唱える事により、身体が楽になるとのこと。

 激変する経済環境の中で、自分自身に対する自信を維持しにくい現代、超然としたポジションを得て保つために、宗教に心を占拠されるのは避けたいが、宗教と言う仕組みに対して学ぶべき事は多いだろうと考え、取り上げてみた。本当は、"宗教"に関わる事は嫌いなのですが・・・。

1.思考をストップさせる様なストレスフルな環境で非日常空間を作り出す、

2.歩く等の身体の動きと連動させる、

3.ある一つキーワードを口の中で繰り返させ腹式呼吸をさせる、

4.運命共同体を作りだし相互に関係性や補助作業を発生させる、

5.まとまった行動の最後に大きい達成感を作りだし次回につなげる

 結構、新興宗教や自己啓発セミナーのテクニックと根元的に似ていると思います。というか、昔ながらの仏教や宗教のテクニックを抽出して作り上げたのが、新しい宗教やセミナーなのでしょう。非日常空間で溜まりすぎたストレスを発散させるレベルに留め、普段はきちんと合理的な自己を持つことが一番大切なのでしょう。

 ということで、 忙しい毎日の中で、ポジティブに宗教のテクニックを自分に対して生かせないかを、少々考えさせられました。もちろん、一人の人間としての存在意義なぞにも、想いは馳せましたけれどね・・・。なかなか読みやすく、かつ本質をついている好著です。写経というのも一度やってみたいなあ。

ps.上記を記した翌日に考えていたのだけれど、経済システム自身が激変の現代、通常のビジネスタイムこそが"非日常"であり、宗教の時間が本来あるべき落ち着いた"日常"を教えてくれるのかもしれませんね。例えば、"非日常"の定義を、βエンドルフィンやα波の出かたで行うと良いのかな。


★★★★☆ 「NHKスペシャル 松林図屏風 長谷川等伯」 2000/4/29

 日本国宝展でも飾られており、仄かで繊細な絵ではあるが不思議な存在感を示した、長谷川等伯の霧の中の松林の墨絵を、4人のコメンテーターが論評。この絵は、NHK調査によると、日本の絵画で一番人気のある作品らしい。そんな作品に真正面から対峙する、なかなかおもしろい企画。暗い照明の部屋に飾られた作品を前に、それぞれ絵とそこから読み取れる等伯の人柄や日本人論を語る。なんか料理の鉄人にも通ずる、同じ題を、どういう視点の下にどう味付けするか、視聴者の興味を惹きつける。

 小説家の五木寛之は、秀吉に重用された時代の金の背景が華やかな時代に対して、利休の侘び・寂びに傾倒していった時代の作品だと推測する。年齢を重ねたせいかもしれないが、一人の画家の画風の変化は悟りを物語る。

 能楽師の梅若さんは、あの絵が語る""について、能に通ずる物を見出す。また、禅宗の京都竜安寺の枯山水 石庭にも通ずる、日本文化における間の大切さに思い至る。

 他に、日本画家と女流映画監督(すみません名前は失念しました)のコメント。

 国宝展でも私自身見たが、一瞬 霧の様な透明な空気に包まれるというか、空中を浮遊する様な、不思議な感覚にとらわれる作品だった。意外とそこの絵だけ、人が空いていた。だからじっくりと凝視できた。

 そうだよね、インターネットの世界で、日本のEC物売りサイトって、ゴテゴテと色鮮やかに物と大仰なコピー文が並ぶが、本当の日本に凄さって引き算の美学なはずだよね。そんなことを、ふと考えた・・・。


★★★☆☆ 「おとなぴあ」 ぴあ株式会社

 新たにぴあより団塊の世代向けに創刊された月刊誌。表紙には1000円と記されているが、確か会員制で一般書店での販売は無いと思う。

 さすが創刊号だけあった(?)、「夢のような夜桜が見たい」という特集は多様で美しく力が入っている。野田秀樹の「夜桜は18歳未満お断り」という文章、着物姿の川島なお美の肌に桜のボディ・ペインティング、夜桜と俳句、桜の出てくる映画・音楽・歌舞伎の紹介と、なるほどこういう切り口もあったのかと感心。もちろん、夜桜スポットやお店の紹介もあるけどね。川島なお美さんの白い背中に千住博さんという画家に桜を描かせて、稲葉功一に写真を撮らせたのは、微妙なエロチシズムが"おとな"心を刺激しますね(笑)。

 桜と歌舞伎の紹介で、「籠釣瓶」が紹介されており、勘九郎と玉三郎の舞台の写真が載っていましたが、脳裏にあの完璧な舞台を思い出しますね。吉原の桜の下を花魁 玉三郎の行列が荘厳に歩く。それを田舎者 次郎佐ェ門 勘九郎が眩しく見ていたときに、花魁が彼になぜか微笑む。そんな事は通常無いはずなのに、一見さんにも満たない次郎佐ェ門を見つめるのだ。そして、その瞬間が、彼らを深い地獄へ導いていってしまう・・・。と、歌舞伎座舞台の桜の木と、玉三郎・勘九郎の演技に想いを馳せてしまいますね。一瞬トリップしておりました。あの舞台を、桜の季節にもう一度見たいものですな。

 その他、ぴあらしく、全体の誌面としては、1〜2ページ単位の細切れが多く、かつ各種イベントと連動したものが多いので、1000円というのは少々高いかなと思います。チケットぴあの宣伝にもなっていますしね。でも"大人"ならその位払うのかな。サライやBASHOやその手の雑誌とコンペティティブになるのでしょうか?

 来月号の特集は「Welcome to 不思議空間」ということで、いきなり一般的な切り口で少々心配ではありますが、期待しましょう。今月号の夜桜特集は読み応えがありました。


★★★★☆ 「ゑひもせす」 杉浦日向子  双葉社

 小説ではなく、日本が世界に誇るコミックの作品。紹介されて読んだのだが、これが軽妙洒脱な筆運びの作品のあれば、しっとり色香の漂う作品もあるし、瓦版ライクな作品まで、表現の幅が広く楽しめた。キモノ好きにも是非お勧めしたい。物語のストーリーの構成要素になっているのものあるし、町人から武士まで、男女とも描き込まれている。

 「袖もぎ様」:袖もぎ様の場所で転んだら、キモノの片袖をもいで置いてこないと災いがあるという逸話を絡めた、嫁入り前日の娘の想いの彼氏への一世一代の大芝居。そして、その彼氏の片袖を手に入れ、想いでと共にそっと白無垢を着て旅立つ。読みながら、色彩感覚と実際に江戸時代の街の音が聞こえてきそうな内容。

 「もず」:格子柄の着物に身を包んだハンサムな男が、初々しい娘をつれ、ある女のもとを訪ねる。三味線を爪弾きながら男を迎える酔った女は、芸者崩れであろうか。そして、男は情夫だったのだろうか。女は酔って絡むが、男はクールに受け流し、最後のに持つを持ち、去って行く。別れしなに、プライドが高く、つがいになってもいつか一羽になる、鳥のもずの話しを持ち出す。うーん、強がりを言う美しい女の、はかない心のうちを、なかなか上手く描いている。三味線の寂しげな音色が聞こえてくる。

 「吉良供養」:忠臣蔵の討ち入り当日の様子を、吉良邸の22名がどう討たれていくかを、一人一人について克明に記している力作。しかし、この作者のこだわり度はすごいですな。

 いやあ、杉浦さんの自由な筆さばき、江戸話しさばきには、脱帽です。日本のマンガのレベルの高さに乾杯!

 杉浦さんの作品は、マンガのみならず、江戸解説本からNHKお江戸でござるまで多岐にわたっているので、色々な角度からお味わいください。


★★★☆☆ 「市川染五郎と歌舞伎へ行こう」 旬報社 2000/1/25発売

 松本幸四郎の息子、そして今はフジテレビのドラマ「ブランド」に出ている、市川染五郎を素材として、歌舞伎の紹介をしたミーハ−チックな本。でも、ドラマを見て染五郎に興味を持ち、そして新たに歌舞伎に興味が芽生えた人には、結構適していると思う。まず中の写真でも使われている義経千本桜の大物の浦 知盛のいでたちが良い。真っ白な着物と鎧に、所々真紅の血が噴出している壮絶な扮装が、2001年宇宙の旅の宇宙船の中を連想させるような真っ白な背景の上で、映える。そして、表紙は、顔の左半分は知盛で、右半分は素顔なのも意欲的。この知盛を染五郎は舞台では演じた事が無いそうなのだが、よくトライアルしたし、似合っている。

 中のインタビューで高麗屋について、元々荒事系の家なのだが、「でも、僕自身は、家の芸であるそうした骨太な人間の役はあまりしていないし、自分の柄や個性から考えてもちょっと違うかなという気もするので、正直なところ、どうしたもんかと思っているんです。昔からうちの古いお弟子さんやまわりの人にも、良く言われていたんですよ。弁慶のタイプじゃないねえとか、女形のほうがいいんじゃないって。」と素直に告白しているのが親近感が持てる。才能有る二世も悩んでいるのかと。

 という事で、ビジュアルに見やすく、コンパクトによくまとまっている。しかし染五郎って、他の歌舞伎役者とは反対で、隈取なんかの化粧顔よりも、素のままの顔の方が絶対かっこ良いですよね・・・。


 

★★★☆☆「美味しんぼ」 作:雁屋哲 画:花咲アキラ 小学館

 魯山人の料理に端を発し、随分前からのマンガになりが、美味しんぼを読んでみている。1984年からビッグコミックスピリッツに連載されており、それこそ10数年前に雑誌で目にしたときには、随分と講釈の多さに多少辟易した記憶がある。今回改めて単行本で第一巻から読み進めているが、さすがに評価を得るだけの漫画ですね。

 二巻第四話「日本の素材」:フランスの料理格付け本の著者が、日本に来て日本のフランス料理を評するというストーリー。(ミシュランあたりを意識しているのだろうが、ミシュランの様な本物の格付け本は、味の評価者は絶対素性を明らかにせず、全く普段出す料理を評価しているはずだが。その徹底ぶりの凄さを、以前どこかの本で読んだ記憶があるが、それはさておき・・・。)その著者がパーティーで日本のフランス料理を評する言葉が良い。「大変に美味しい、しかし最低の料理です。食べた料理の背後にはフランスのシェフの姿が透けて見えるのです。原型は私がフランスで食べたことのある物ばかりです。それを日本人シェフは、改良し、アレンジし、味としては申し分無いものだが、オリジナルはフランスの物です。料理は芸術なのです。画材や作家が他の人間の作品をとりいれたらどうなります。コピーより本物の方がいいに決まっています」まあ、この後 主人公の山岡が、蒸しあわびや、スッポンや、醤油を一滴隠し味に用いたステーキで逆襲して行くのであるが。

 作者の雁屋氏は、景気が上向くにつれ海外崇拝、海外コピーになっていく料理の風潮に苦言を呈したかったのであろう。料理に限らず、彼が言わせている言葉には賛同できる。しっかりとした核・アイデンティティーがあり、それに他の文化や作家の良さをまぶすのであれば良いのであろうが。

 しかし、料理に関しては、私の舌は美味しんぼにはついて行けていませんが。衣食住にはお金をかけないで、それ以外の趣味に投資をするという考え方で人生を過ごしてきたもので・・・。でも、最近 日本酒と共に、湘南の変哲も無い魚の干物を食すのに、無常の喜びを感じています。(笑)


★★★★★「魯山人の世界」 とんぼの本 新潮社

 うーん、計算しつくされた写真と文章に圧倒される。美しいのだよ。まず、内表紙の緑の苔+紅く色づいた楓の落ち葉+色絵双魚文平鉢に、はっと目を奪われる。この鉢は、デザインが白磁の上に黄色い少々とぼけた魚が二匹描かれているシンプルだからこそ味わいのあるものだが、またその鉢の中に水を張り、黄色く黄葉した葉も浮かべているのですよ。この共に黄色い魚と葉が、呼応しあっているのだ。

 また全ての茶碗に、きちんと魚、煮物、豆腐、果物などの料理が盛りつけられている所に、""と""に対するポリシーを感じる。赤茶けた肌に白い線が入る紅志野の皿に、とげが鮮やかな毬栗(いがぐり)がアシンメトリーにのっているのも、何か不思議な宇宙を表わしているようだ。この器と家の所有者の梶川さんという方も、凄い感性の人ですね。

 陶芸以外に、絵画、書・篆刻(てんこく)に加え、写真を交えた魯山人の生活、加えて魯山人の食器の値段までバランス良く配置されている。書や篆刻に関しても、魯山人自身はこの道から美の世界に入っていったはずだが、なかなか作品の資料が見つからなかった。ということもあり、何度眺めても見飽きない書物である。皆様にも宇宙を感じて欲しい。


 ★★☆☆☆「器・魯山人おじさんに学んだこと」 黒田草臣 晶文社

 親子二代にわたり陶磁器を商っている、黒田陶苑の社長が書いた本。先月出版された新しい本であるが、タイトルと中に挿入されている美しい陶器の写真に惹かれて読み始めた。写真も、陶器だけのものに加え、料理が美しく盛り付けされた写真がユニークですばらしい。これは、実際に器は用いられなくてはいけないと考え、湯呑ばかりを扱う店をだしたりした筆者のこだわりが強くでている。また「料理と器がぴたりとあてはまり、あたかもその器からダシがでるかのようだ。」という言葉も残している魯山人の考えにも沿っているだろう。志野のオレンジと肌色が混ざった色調の荒々しい鉢に、笹と筍の盛られた様が、美術品の如く美しいのである。

 魯山人との思い出も記されているが、それ以外の陶芸家との交流に多くのページが割かれている。ただし、まだ陶芸家の名前をそれほど知らず、かつその陶芸家の作品イメージが湧かない私にとっては、少々面白さが十分味わえなかった。陶器に深い造詣のある人には、歴史と人となりがわかり、おもしろい本なのだろうが・・・。

 あと今回認識したのは、陶器は化学の知識が重要であること。「織部釉の原料は土灰と二酸化銅の組み合わせで作られるが、これを還元炎で焼成すれば鮮やかな辰砂と言われるものになり、酸化焼成をすると緑釉となる。」と言われても、残念ながらピンと来ない。うーん高校で化学を選択しなかったせいか。生まれて初めて、そのことを後悔する(笑)。土と、釉薬と、窯の特性と、燃焼過程を組み合わせて、自分の作りたいイメージに対する確率を高めていくという、その職人的努力と芸術家的な追及は、少々わかったような気がするが・・・。


 ★★★★☆「カラーブックス 北大路魯山人」 保育社

 多くの陶磁器をカラーとモノクロの写真と解説文で構成した本。700円と手ごろなのもGood。備前、伊賀、織部、信楽、赤呉須etcと自由奔放に、絵に文字に釉薬の用い方に腕をふるう様が画面から溢れ出る。それにしても風雅さと気品を感じられる作品から、ざらざらした野獣の様な肌と絵付けの作品から、その表現方法の多様さには驚かされる。

 私自身なぜか陶磁器に惹かれる理由に、三次元の芸術だからというものがあると感じる。平面での表現よりも、立体の造形に加え、そこに二次元の絵や書などの二次元の表現が加わる事により、非常に多様性が生まれる。そして、味わい方も、上下裏側と構造的になり、さらに触れて触感を楽しむ事ができる。理解するほうも、結構多数の感覚を用いるので、格闘的な要素が多くなる。料理道や香道そして舞踊などは、さらに味覚、嗅覚、スピードが加わるので、さらに味わい方が抽象的で、鍛錬に時間がかかるのであろうが。

 備前や伊賀の桧垣文壷の荒削りの味わい(p4、12)、伊賀の竹筒花入れの微妙な肌と釉薬の豪華な光具合(p48)、雲錦手鉢のシンプルな中にも秋の紅葉の枯れた味わいと金色の中の桜の豪華さの対比(表紙)等が特に印象に残っている。

 ちなみに、枯れが若い時版下職人の弟子入りをした先がなんと岡本太郎の祖父にあたる、岡本可亭だというのも、豪放磊落な二人の芸術家の不思議な縁である。

 手にしやすいビジュアル入門書として最適な本である。


★★★★★「演劇界別冊 女形の美学」 演劇出版社

 これはすばらしい本です。和風の美に関心の有る人は必読ではないでしょうか。現代という切り口をしっかり持った、女形(おやま)論の集大成です。実際の女形役者の方々の言葉は、日本舞踊の先達の言葉コーナーで書くとして、ここではその他の部分を。

1.何はともあれ、玉三郎論がユニーク。p81〜88に、あの鷺娘の美しい福田尚武さんの写真と共に、なんと夢枕獏が「美の創造者」という一文を寄せている。「玉三郎の舞踊は古典歌舞伎ではない」という評に対して、「美は力である」「演じられる時代によって変化してゆくのは、当然であり・・・一期一会の舞台を観る事のおもしろさである」と一刀両断に切り捨てる。私も同感である。玉三郎の藤娘に対しても、色っぽ過ぎるという声もあるが、彼の世界に唯一無二のオリジナリティある芸術作品である。日本にしか無い美しさに、素直に酔いたい。

2.p67〜71の水落潔氏の「女形というもの その芸の系譜」も、単なるよくある起源の話しに終わらず、強さの秘めた江戸女形と辛抱する上方女形の対比や、老け役をやりたがらない東京女形と厭わない上方女形という地域的考察がユニーク。そして、老け役をやりたがらない事が、演目の幅を狭くしているとチクリと一言。また、女形舞踊に関しても、美しさを単に見せる→性根論などの物語性の重視→鏡獅子のような男芸もある女形、という時代的考察も鋭い。最後の「女形というものはという問いは、というものをどう捕らえるかという命題に繋がる。・・・時代に合った形でどう表現してくか、これが女形の永遠の課題であろう。」という考察も楽しい。気品のある歌右衛門→中性的でクールな玉三郎と来て、まだまだ時代が求める女性像が反映されたすばらしい女形が今後も生まれる可能性を示唆している。楽しみ。

3.p124〜136の「わが愛する20人の女たち」という、主要な女形の演目解説があるが、これも型式ばらないざっくばらんな解説でおもしろい。書き出しが、「実際にわが妻としたらどうか知らないが、よその人妻を見かけて、ああいう女を女房のしたらどんなにかいいだろうという心理が男にはある。・・・そういう女を選ぶとしたら、私の場合(夏祭浪花鑑の)一寸徳兵衛の女房のお辰だろう」というのも、非常にストレートでわかりやすい解説でGood!(笑)。はっとさせられたのは、同じ吉原を舞台としていながら、「助六」の揚巻は粋でパワフル、「籠釣瓶」の八つ橋は自分に愛想つかしをしており暗い、という対比。確かに両方とも観て、両方とも大好きな歌舞伎であるが、見事なまでに陰と陽であった。

 他にも、外人から見た女形論、スター女形役者の写真入り解説 等々非常に充実。目にも脳にも刺激があります。ご一読を。


★★★★☆北大路魯山人 人と芸術」 長浜 功  ふたばらいふ新書

 魯山人を名前だけ知り、鎌倉の魯山人の陶器記念館を訪れ興味を抱き、さて何から彼を知れば良いかと思案していた時に出会った本。タイミング良く、今年に入って出版された最新本です。魯山人の本を購入しようとしてInternet上で書籍DBを検索しても、彼の守備範囲があまりにも広いため、陶器・料理・書の何れか一つにテーマ設定されている本が殆どである。その中でこの本は、生立ちから彼の言葉まで、彼を尊びかつ真実の姿を伝えたいという意図が達せられているように感じられ、入門本としては良く出来ていると感じた。

 いやあ、それにしても魯山人というのは、自由奔放な傑物ですね。背景には、天賦の才能に加えて、資産家が芸術家を居候させて暫く面倒をみてあげ、またそこで芸術家同士のネットワークが広がるというような、現代では殆ど無いであろう擬似パトロンのシステム等が、彼の才能の開花にはあったのだろうが。タイプとしては、岡本太郎なんかに似ているのかな?それとも最近流行の白州正子か?

「どんな素材でもそれぞれの持味というものを持っている。料理はどの一つ一つの味を活かさなければならないんや。」

「一流という料亭ほど同じ料理を出して満足してしまっている。料理も刻々と変化していくもんや。いや、変化しなければあかん。ちっとも進歩がありゃせん。」

「時と場合、人柄と嗜好を考えて、臨機応変の料理をこしらえる。」

「料理の道は芸術や。それを創る者の個性と素材のたたかいとちがうか」

料理と器の関係:「女性の魅力は着物によって増すものだ。似合わない着物を着ている女性を見て、魅力を感じるかね」

「すべての芸術は元をただせば皆 自然から感受したもので、これ以外に道はないのであります」

 他にも、経験と信念から出てくる本質を突く言葉が、ちりばめられている。凄い人である。また、狂言「食道楽」の抜粋が、164ページから10ページ程あるが、これだけでも立ち読みをお勧めする。洒脱だが、料理の本質を思い起こさせるすばらしい作品である。こんな狂言を是非見てみたくなる。

 いやあ、私も仕事も私生活も、彼のように自由奔放に行きたいものだ・・・。真っ白なキャンパスに、臨機応変に自分のコンセプトを描くコンサルティングをして行きたいと、強く思うのであった。


★★★☆☆ 月刊 「太陽」 2000年1月号 「日本の美100」平凡社

 日本の美というテーマで、各界の25名に4つずつ選ばせ、それをビジュアルに紹介していくという、なかなか粋な企画である。その中でも、ハッとさせられたものを幾つか紹介する。

障子:鎌倉以降普及したらしいが、外気と風を遮断しつつ、外光を柔らかく芸術にするすばらしいもの。骨組みの縦横が織り成す模様もモダーン。

炭の赤い火の色:熱よりも暖かみを表現し、網膜を刺激するよりも記憶に染みて行く「あか」色。

法隆寺の百済観音像:学生時代の教科書以来久々に見ると、手首にブレスレット、腕にアームレット、手指の微妙なカーブ、そして謎の微笑み。

扇子を使う着物の女性の情景:うつろい、揺れ動き、流れて行く時間と四季の様子を、扇は表している。

泉鏡花と芸者:妖しくエロティックな絵をバタイユの挿絵に書く金子國義氏推薦。まだ私は読んだことの無い鏡花だが、やはり和風の美では避けては通れない模様。

カルメン・マキ:宗教学の植島啓司氏推薦。伝統や歴史よりも滅ぶべき新しい物に重きをおく選択基準。寺山修司は好きではないが、どうしよう・・・。

「日本橋」と玉三郎:これも鏡花。「異性装を聖書は禁じている」が本当か?それならなおさら、女形の非日常の美は世界に誇れるかな。

 他にも各人各様の「日本の美」に対する理由と基準が示され、そして一流の物が選ばれているので、様々な気づきがあった楽しめる。少々コメントに肩の力の入っている人もいるが、「2000年特別記念号」故の愛嬌か・・・?

 よろしければ、書店にてオレンジの太陽の表紙の本を手にとってみてください。


★★★☆☆TV番組 NHK-ETVカルチャースペシャル 「能に秘められた人格。〜最新化学が解き明かす心の世界〜」 11/20(土)On air

 能をきっかけに、呼吸と脳の関係にせまるユニークな切り口が鮮やかなテレビ番組。

 能楽師と樹木きりんの身体中にセンサーを装着し、「悲しい演技」を要求する。そこから、呼吸、特に肚(はら)をつかった呼吸法の大切さに着目する。樹木きりんは、悲しい演技というと涙が自然と流れ落ちるが、能楽師は顔は面の下で無表情で身体も静かに動くのみだが、呼吸を分析すると明らかに身体内に大きな変化を起こしている。そのような、身体内から発散する表現をどう能楽師が体得したかというと、立禅(りつぜん)という肚中心とする呼吸と瞑想による修行からだという。それにより「身体性」という身体の隅々までに感受性や表現力が高まっていくという。一方、現代の若者ににセンサーを着け計測すると、呼吸が非常に浅く、腹も胸もほとんど使っていないことを指摘する。特に、テレビゲームに夢中になるとほとんど呼吸が止まってしまっていた。呼吸が浅くなると、脳内を縦断しているセロトニン神経系の働きが抑制されてしまうという。実際にマウス(ねずみ)を用い実験で、セロトニン神経網が発達していると縄張り内の相手にも寛容だが、同じマウスのセロトニン神経系を破壊するととたんに激しく縄張り争いを始めてしまう。現代の若者の「切れる」という現象も、呼吸法の浅さがセロトニン神経系を介して、原因となっているのではないか、と予測して終わる。

 環境ホルモンだ、親の育て方が原因だ、云々と言われる「切れる」という新しい現象に、能や弓道で重視される日本古来の伝統と結びつけ科学的にテンポ良く探って行くプロセスが見ごたえがあった。呼吸法に関しては、私自身 ドイツのシュルツ博士が始めた「自律訓練法」という簡易瞑想方法をトレーニングしていたが、丹前(腹の下の部分・・・漢字はこれでよいのだっけ?)を意識する深い呼吸法は基礎となっていたので、この番組の主張は理解できる。能楽師の身体や頭に、呼吸分析や脳波解析のセンサーを幾つもつけデータをとっている姿は、なかなか壮絶!でも、能、狂言、文楽、日本舞踊など名手が減って行っている日本の伝統芸能に関して、単なる映像以外の科学的なデータを後世の為に保存するのも重要だと思った。

 肚を中心とする深い呼吸を意識して、あなたも身体と感受性を覚醒させてはいかがですか!


★★★★☆雑誌 「湘南スタイル [magazine]」 えい出版社

 「club HARLEY」「NALU」「BASS PRO」「M型ライカのすべて」等のこだわりの雑誌やムックを出し続けているえい出版社から、現在3号まで出ている雑誌で「湘南スタイル」というものがある。サブタイトルが「海のある生活マガジン」とあり、湘南に住む人と暮らしと、その住環境やライフスタイルを紹介している。その中でも住居に関しては、実際に賃貸物件や建築家の紹介など、少々力点がおかれている。非常にセンスが良く、かと言ってお高く止まっているわけではなく、地域情報も充実しており、湘南地方在住者以外も雑誌として読んでも興味をそそられる内容である。もちろん「湘南」とついているからには、真っ白なアメリカンスタイルの家もあれば、サーファーの家もある。興味深いのは、毎号外人の湘南ライフスタイルがでてくるのだが、不思議と皆 古い古い日本家屋を自分なりにアレンジをして住んでいるのだ。例えば最新号を紐解くと、デビッドさんという英語&独語教師とヨーコさんの夫婦が出てくるのだが、大正時代に建てられ築70年以上もたった家を、5ヶ月かかって手入れをして暮らしている。「イギリス生まれのデビッドさんには、内装を手直ししつづけることで、石造りの建物を何世代にも渡って住みつづけてきたヨーロッパ人の伝統が、しっかりと息づいている。」と言われると、古い和風住宅をこだわりをもって手入れをして住む理由が少しわかるが、写真入りのせいもあるが、このポリシーを持ったライフスタイルは非常にかっこ良い。マンションが乱立し、はやりのライフスタイルに左右される我が日本人も、少々住について考え直した方が良いかもしれないと思わされる。

 和風とマリン系とリゾート系の入り混じった雑誌「湘南スタイル」、興味があったら一読あれ。石原裕次郎や加山雄三も頭をよぎり、けっこう虜になってしまいます(笑)。


★★★☆☆写真集 「和の楽園 日本の宿」 三好和義 小学館

 冨士屋ホテルにはじまり、八甲田ホテルまで、日本国内の選りすぐりの旅館やホテルをまとめた写真集。三好さん自身は、屋久島を非常に気に入っているらしく、ホテルも内装ばかりでなく、四季折々の周囲の風景も適度に織り込まれている。一連の写真を見ると、東京のパークハイアットの様なガラスを多用したモダンで品の良いデザインの所も出てくるが、雄大な自然と年輪の刻まれた和風の建物の前には、癖が無さ過ぎ、単に雑誌のデザイン特集を見ているようで、主張無く埋没している。屋久島杉の滑るような木肌、北海道の雪の中に佇む森、箱根からの勇壮な富士山、うっすらと雪をまとう九州の湯布院山など、自然を身体にまで堪能させてくれる環境と宿泊施設こそが、日本の休暇にはふさわしそうである。序文で、ダイバーの神様(あの「グラン・ブルー」の)ジャック・マイヨールが、自分の少年時代の日本の旅館での思い出を記しているのも印象的。

 ちなみに、同じ三好さんの「日本の世界遺産」(小学館)もお勧め。京都を中心に重厚な自然と造形物の写真が連なる。例えば、金閣も昼間見る少々あくの強いきらびやかさとは異なり、彼の写真の中の夜の闇に浮かぶ金閣幽玄を感じさせてくれる。彼曰く、屋久島の杉の写真を撮っているうちに、土門健の古寺巡礼の中の多々の仏像写真との共通性を強く感じたとの事。仏像と裸の木の類似とは考えた事が無かったが、両方とも永遠の帰依と癒しを提供してくれているのだろうか。なお、三好さんは、若い頃は「RAKUEN」等でセイシェルなどの海外リゾート・観光地を撮っていたが、ここ数年は日本にこだわっている。なぜなのか?私同様年齢がいってくると和に回帰するのか?それを聞いてみたい気持ちもあるが、彼の写真が解の一部を雄弁に語っている。単に美しい、きれい、広い、大きい、を超える何かが、日本にはあった。


 ★★★★☆ 東京ステーションホテル  JR東京駅内のホテル建物とその内容

 レンガ作りの東京駅の丸の内側に、素敵なホテルがあるのをご存知だろうか。以前から、雰囲気が好きでたまに訪れることもあったのだが、今回東京ステーションホテル物語( 種村直樹著 集英社文庫 99.8.25刊 500円)も出たので記してみる。本によると、1914年の東京駅開業に続き、1915年にホテルはオープンした。川端康成、松本清張から、夏樹静香まで好んで宿泊するのみならず、小説の中にも登場させているそうである。松本清張が「点と線」のトリックを考えたのもホテルの部屋ならではらしいし、森瑶子の「ホテル・ストーリー」、夏樹静子の「東京駅で消えた」、川端康成の「女であること」など蒼々足る作家の作品に登場している。戦前の帝国ホテルと2箇所しかホテルが無い時代から外国客を招いたり、航空機時代の前で国鉄が遠距離移動の主であった時代には国会議員が様々な打合せや調整に用いていた一流ホテルであったそうである。今は、時間の止まった様に、過去の栄光を胸に秘めながら、大きい包容力で佇んでいる。東京駅前の丸ビルは解体され、東京ステーションホテルの一部も中央線の高架で見晴らしはわるくなったが、是非一度訪れ、館内をちょっと時代を感じ、どきどきしながら散策探検してみてはいかがでしょうか。なお、「東京ステーションホテル物語」は、二部構成で、二部は鉄ちゃん系の少々マニアックな内容なので、第一部の「東京ステーションホテルへの誘い(いざない)」だけでも読んで訪れると、新たな感慨があります。

ホテル内散策・・・

 フロント横のラウンジ「ガーネット」:こじんまりしたシックな喫茶店であるが、ホテルの雰囲気とロビーのヒューマン・ウォッチングには最適

 2階のシーフードレストラン「赤レンガ」:少々狭いが、リーズナブルな昼食のとれる喫茶店。待ち合わせにはもってこいか。脇に通路に沿ったバーカウンターがある構造がおもしろい。

 メインダイニング「ばら」:開業以来の精養軒の味を受け継ぐというレストラン。窓から電車も見え、明るい日差しに溢れる、品の良い空間。少々ドレスアップして臨みたい。ビーフシチューがお勧めらしい。ホテル内には他にカフェレストラン「椿」があるが、やはり行くならばこちらをお勧めしたい。

 丸の内南口1階から食堂街を「グリル丸の内」に向かって進んで左手にある「宴会場入口」から2階へ上がる階段:赤い絨毯が敷き詰められた、2階の宴会場に通じる階段。大正時代からの風格を残しており、フロントからではなく、こちらから入ってみるのもお勧め。


★★★☆☆映画「夢の女」 坂東玉三郎監督 

 吉永小百合演じる、楓(かえで)という花魁(おいらん)の半生をしっとりと描いた映画。明治後期の深川の花街が主な舞台。ストーリーは、家の事情で妾になり主人の子を出産するが、不幸にも主人は亡くなる。子を里子に出し、自分は深川で花魁となる。途中、自分に入れ揚げた商人が、破滅して自殺し、毒婦としの評判が立つ。里子に出した子がいじめにあって事を聞き、引き取る事を決意。相場師の男に引き取られ、小さな店を構える。最後は、たまたま訪ねた花魁だった店で過去を回想し、「今は幸せか?」と問われ、「わからないけれども、両親が逝った後、子供と二人で平和に暮らすことが夢です」という言葉で終わる。

 玉三郎は、この作品と「外科医」で、吉永小百合を主演にしているが、彼の理想の女性像が吉永小百合なのだろうか?この夢の女の中での、たんたんと言い含めるようなしっとりとした言葉使いと、順光の際の着物からこぼれる肌の白さが印象的。人生を翻弄する数々の不幸にもめげず、周りの人の温かいバックアップにも支えられながら、幸せに向かい生きる、典型的な薄幸の美女とうところか。推定20歳位の主人公に、吉永小百合というのは少々(もう少し大人っぽすぎて)無理があるように感じるが、ゆったりとした時の流れのなかでの儚(はかな)さや美しさを演じられる女優は少ないかもしれない。うーん、男の私としては、あのような切なさのある美しい女性に、会いたいものである。

 花魁付きの樹木きりんが主人公楓のことを「おいらん、おいらん」と呼びかけ、楓へのプロの花魁の心構えの指導からスケジュール管理と、様々な客の対応や「もう花魁は世間知らずで・・・」といういなしまで担当しているのは興味深い。彼女の対応によって、楓のモチベーションが変化し、客は待ち時間を待たされることで花魁への期待をさらに高め、わくわくもんもんとし、最終的に満足度を高める。このシステムは当時の花魁独特のものか(現在のタレントにおける付き人の様のものか)?「助六廓の江戸桜」の様な江戸時代と明治後期がどの程度異なるかはわかりませんが、廓の雰囲気や仕組みを垣間見るのにも有効。


★★★☆☆ 「今日の芸術」 岡本 太郎 光文社文庫 99.3.20発行

 元々は1954年に刊行された本の復刻版。終戦後の動乱期の中で、蓄積された若いエネルギーの発散・爆発の一つの起爆剤だった著作の様である。彼の「既成の概念や先入観で芸術を評価するのではなく、新しい物は新しい新鮮な価値基準で判断しなくてはいけない」「もっと、自分の心と感性に素直になり、正直に作品を味わおう」という意見には賛同できる。確かに、偉い人の作品、流行の作品は誉めないといけないとう因習に囚われやすい自分を再認識する。

 興味深いのは、「芸術」と「芸事」を全く異なるものとして下記の様に整理し、日本の芸事をばっさりと切り捨てている点である。

芸術 基本は創造。既成の型を模倣してはならない 邪道が正道 技術が大切(新しいものが偉い)
芸事(芸)  古い型を受け継ぎ、それを磨きに磨いて高みに達する  封建的な制度が土台  技能(経験による熟練)が大切 

 どんな画家も、まずデッサンの訓練から入るし、しかしピカソでも基礎的なデッサンはしっかりとしており上手い(私には上手く見える)ではないかと思ってしまう。日記の花柳流の踊りの会でも、日本舞踊の高みとしての「守・破・離」という事を書いたが、守の基本をしっかりと押さえて、そこから実験的な破や、達観しシンプルに回帰する離に行くのかなと思う。ただし、こういう2種類に分類してみることはおもしろいし、今の日本文化の数々が封建に立脚しがちであり、例えば市川猿之助の様な革命家が少なかったり、その評価が低めなのは反省・改善すべきであろう。もうひとつ今の日本の若者文化で心配なのは、皆が自分勝手や邪道は偉いものであるとのみ認識し、基礎や本質が無いのに奇をてらってみる風潮であろうか。ILMの様な米の新しいCG集団や技術に関しても、基礎となるコンピュータに関する知識と経験は非常にしっかりとしたものがあり、CGアーチストの母集団の中で競争を勝ちぬいた者のみが目についているのだと思う。

 いずれにしろ、岡本の新しさと本能的なものを追求する芸術の心には、はっとさせられ、彼の絵画の爆発的作品の様に刺激的である。


△ 東京都写真美術館 at 恵比寿ガーデンプレイス

 大学時代の友人との恵比寿での待ち合わせに時間があった為、少々歩いてガーデンプレイスの写真美術館へ行った。木・金曜日は20:00まで開館しているのは有難い。3つの展示があるので、個別に見てみよう。しかし、どれも金曜日の夜のせいもあるのかもしれないが、観覧者が私一人だったり、観覧者の5倍以上看視者がいたりと、ハードばかり立派で、コンセプトとパワーが月並みで税金の無駄使いという気も少々する。今後のポリシーと生命力ある企画に是非期待したい。

 △ 「Being Degital -アニメーションとメディア」

 10年前のMITメディアラボのニコラス・ネグロポンテの様なテーマ。道具を使った昔からの動画の提示方法と、結局日本の誇るアニメの紹介という脈絡に少々無理がある設定。俯瞰しているだけで、突っ込みが足りない。唯一おもしろかったのは、「若冲幻想」という近藤等則の音楽付の、デジタル掛軸によるインスタレーション。10畳程度の真っ暗な空間に、縦型の高精細ディスプレイに、花鳥風月のCGが古風なイメージから徐々にサイケなイメージへと変化していくさまを淡々と映し出すもの。観客が私一人だったので、近藤のシンセトランペットと、お香のたかれた空間を独り占めでき、少々夢幻の世界を堪能できたのである。

 ★★★☆☆ 「Out of East アジアの息吹」 久保田博二

 これは無料という点も評価できるが、アジアの各国を国別に、日常〜ビジネス〜祭りまでを丹念に捉えた展覧会。アジアの豊かな色彩と、民と自然のバイタリティに圧倒される。また、まだまだ知らないアジアの風景にしばし考えさせられる。今日(99/6/25)の日経新聞の第二部がアジア特集であったが、日本の高村外相のみアメリカとの軍事条約に固執しているが、他のアジア諸国は、アジア内での政治・経済・文化の融合をもっともっと望んでいると感じた。圧倒的なアメリカ資本に飲み込まれるか、自然と労働力を活かして独自の生き残りができるのか。まさに日本も主権を問われていると思う。がんばれニッポン!盛りあがれアジア!

 △ 「写真表現の軌跡 1950年代まで」

 桑原甲子雄、木村伊兵衛、林忠彦 等の名前は聞くが実際の作品にはなかなかお目にかからない、かつ日本の写真の基礎を作った人々の作品を網羅的に見れるという意味では価値がある。モダーンとリアリズムの対比もよくわかるし、何よりも戦前に実験的・野心的な作品にいろいろトライアルしている姿勢は新鮮であった。


★★★★☆ 「天才になる!」 荒木経惟 講談社現代新書 1997.9.20発行

 写真とカメラに興味を持ち、市川染五郎の写真集を見てから、荒木経惟(通称 アラーキー)に興味を持ち、何冊か彼の本・写真集や彼を評する本を読んだ。その中でも、良く彼の考え方や想像力の源が記されている本だと思う。基本的に、彼の評論を書く機会が多い飯沢耕太郎氏がインタビューをしていく形式をとっている。彼はエロティックな写真や、ある意味では美しくなく即物的に女陰を撮ったりする写真が一時期話題になったが、ルーツは職人だということがわかる。芸術家というより、ひたすら熱意ある天才職人なのである。そして、彼の妻の陽子さんとの生活と写真が、彼の人生や作品に織り込まれ、美しいハーモニーを紡ぎ出している。

 「荒木さんの一回戦の終わりは?」 「オレの一回戦の終わりは、妻の死だからね。・・・やっぱりアラキの人生は陽子との出会いからはじまったと言いきれるぐらいだね。・・・あれだけ、陽子を撮りつづけたってことなんだよ。出会ってから死ぬまで撮ってたなんて、なかなかできるもんじゃないよ。少女で娼婦だったなあ。だから陽子が天才にしてくれた。」 

 陽子さんの新婚旅行を撮った写真集「センチメンタルな旅」に始まり、彼女の死後に出し、点滴のささった彼女の手を握り締める荒木手の写真や、棺桶の中の彼女の美しい死に顔の写真を含んでいる写真集「センチメンタルな旅・冬の旅」まで、続けて見ていくと、心に熱い物が込み上げる。 Love & Beauty!

 「だから陽子が天才にしてくれた。そしていまもいろんな女たちがオレを天才にしてくれ続けてるの。いやあまだ終わりませんよ。天才アラーキーを超えますよ。いよいよ超天才だね(笑)」という最後の言葉が、職人としての彼の仕事の未来のパワーを暗示している。


★★☆☆☆ 「InterCommunication 1999 Summer 〜ダンス・フロンティア 身体のテクノロジー」 NTT出版

 以前より、お金に糸目をつけずIT系、サイバー系の趣味的なこだわり特集に走るInterCommunication。(さすがNTT!) それが、今回はダンスの特集。ウィリアム。フォーサイスやピナ・バウシュのインタビュー掲載。(といっても、私は名前を知る程度)。おもしろかったのは、「舞踊記譜の歴史」として400年前より始まる様々なバレーを中心とする踊りの記録方法を紹介している事。足や手の位置を素朴に記すものもあれば、楽譜の形式を模するもの有り。すごそうなのは、'Life Forms'という、3D CGソフトライクなもの。始めの型と終わりの肩を入れると途中の動きを自動的に計算してくれるらしい。

 しかし、19世紀まではバレー界でもこの記譜をするということは盛んだったらしいが、20世紀になって下火というのがおもしろい。でも、Life Formsのようなソフトと、VIDEOやボディスーツ入力が広まれば、何らかの変化が生まれるかも。DJゲームのような、Virtual Danceがはやりそうな気がする。 ところで、日本舞踊には、このような踊りの記録方法はあるのだろうか?


★★★★☆「市川 染五郎 Rainy Day」 荒木経惟撮影 メディアファクトリー刊 2,500円

 歌舞伎役者の本としては、斬新な写真集。普通の現代青年だが、生まれたときから役者になることを運命付けられた者の、普通の一日を追っている。

 いきなり、朝起きて薄い髭が残るセーターを着た私生活のカット。髭をそりながら出かける染五郎。稽古場に着き和服に着替え、扇子1本で素踊り。2ページぶち抜きのカットと、左右対称の真剣な顔の作り出すリズムが心地よい。さすが、ハンサムな彼は絵になる。その後夜の銀座風の粋な遊び方の写真。そして最後は闇に消えていく。 途中で染五郎の人生や芸に対する独白も記される。

 全編モノトーンの世界の中で、荒木の気負いの無い技が冴え渡る。


★★★★☆「日本の伝統芸能」 NHK教育 

日本舞踊:99/5/15,5/22,5/29,6/5 歌舞伎:6/12,6/19,6/26,7/3 午後0:30~1:00

 能・狂言、日本舞踊、歌舞伎、文楽と連続で、気鋭の演技者が、鑑賞のポイントをかなり具体的に解説してくれる。日本舞踊は坂東八十助、歌舞伎は市川猿之助、狂言は野村萬斎と、ミーハーな面はあるが、各々の芸能を現代に一般化しようという心意気が伝わってくる。

 これを書いている段階では、日本舞踊の1回目を見ただけであるが、日本舞踊の「腰が入る」という一番のこつを、水割りの氷を作るための水をそおっと運ぶ時の腰と足運びに例え、八十助自らがやって見せてくれる。大胆な仮説であるが、非常にわかりやすい。日本人としての文化基礎理解の為に絶好の入門TVである。土曜日の上記日時と火曜日午前5:25より再放送があり、加えて同じ内容を年に3回放映。テキストもNHKより出ているという、メディアミックスもGOOD。英語の解説も裏で流れる


[Cyber Japanesque Home]      01/09/09 00:21