Cyber Japanesque

本サイトのコンセプト

このページは、女形を含む日本舞踊体験記を中心に、歌舞伎・小説等の日本文化の持つ美しさやすばらしさと、鎌倉の暮らしや和服を通した和風ライフの豊かさについて書き綴るものです。

活きの良い和風関連情報

実体験・実証主義に基づいた生の情報

・西欧文化や今の流行との比較に基づいたバランスの取れた情報

そして、             

・皆様とのたおやかな和風コミュニケーションコミュニティ構築        

をコンセプトに創って参ります。よろしくご贔屓に!


自己紹介

遺伝とかDNAという話しもさせていただきましたので、私という一人の個人を検証するためにも、私の生立ちを少々記させていただきます。

 ポイントとしては、下記の様なところでしょうか。

・社会人20代まで、ずうっと欧米文化一辺倒であったが、英国に滞在し、そこで西欧人が自国文化を非常に大切にしているのを目の当たりにして、あらためて日本文化に関心を持った

・30を越えて、文化面にはじまり味覚なんかも、和風の良さが身体に自然になじむようになってきた。

・過去の規範が無い札幌で育ったことにより、洋風・和風、男性性・女性性など、あまり既存の価値観に囚われず、多様な興味と経験主義に基づき、様々なことにチャレンジしてきて、興味がよりおもしろい興味を引き起こしている。

 

 そして、日本文化は奥が深い。ああ、日本人で良かった!

 

東京オリンピックの前年生まれる

札幌で育つ

小学時代

 親の影響を受け、少々クラシックを聞き、エレクトーンを弾く。印象に残っているのは、ムーティとウィーンフィルの演奏。第一声のストリングスのあまりにも絹のような美しい音。

 6年生の時に渋谷陽一(現 Rockin' On 編集長)のNHKロック講座を聞き、'Queen'の大ファンに。

中学時代

 引き続きロックを聞き続ける。ハードロック(esp.レッドツェペッリン)からプログレッシブロック(esp.ELPやキングクリムゾン)まで幅広い。中学3年の時に札幌の中島体育館で行われた'リッチーブラックモアーズ・レインボー'(元 Deep Purple)のコンサートを聞きに行き、女子大生が興奮した観客の押しつぶされ死亡した。しかし、観客の興奮も手伝い非常に演奏もパワフルで、ハードロックの真髄を体感した。

高校時代(札幌南高校):

 ピアノを中心にジャズを聞き始める。私服の通学だったため、かっこをつけて、煙草を吸いながらジャズ喫茶で時間を過ごす事も。ハービー・ハンコック、チックコリアが好きであった。ハンコックの、'処女航海'の端正でクールな曲から、彼が作ったグループ:ヘッドハンターズによるカメレオン等のムーグシンセサイザーを使いまくったファンキーな曲調への転進に時代の息吹を感じる。その後もハンコックはファンクを取り入れ、チックコリアはスパニッシュも取り入れていく。

 そうだ、もう一つ強い影響を受けたのは、'ウェザー・リポート'。ジョーザビヌル、ジャコ・パトリシアス、ウェイン・ショーターという、尖った天才達の集まりであった。研ぎ澄まされた音が凄かったのだが、ジャコは結局自滅してしまった。

 高校時代は、自由な高校で、ナーバスな文学少年気取りであった。このころ、吉行淳之介を読みながら女性を想い、太宰を読んで退廃に惹かれ、カントやヘーゲルの哲学書を読んでは難解な事を考えているふりをしていた(笑)。

 

東京ディズニーランドが開園した年に大学入学。東京へ。

大学時代(慶應大学)

 札幌から東京に出てくる。大学では、市川右近さんと同期であったらしい(その当時は、歌舞伎など全く興味が無かったので、彼の存在すらしりませんでした。従って大学時代も見かけた記憶は残念ながらありません)。

 高校時代とは異なった学生生活を過ごそうとのポリシーの下、真面目に競技や基礎スキーをクラブで行い、ナナハンに乗って楽しんでいました。ここの時代は、一つの文化と深く付き合う事はありませんでした。文化面では、「日本のチベット」札幌(これは高校の倫社の先生がこう称していた)から、文化から遊ぶ所まで全ての消費行動を満たす街:東京へ、自分を調和させる時間だったのでしょう。「ぴあ」を片手に、文化のつまみ食いをあちこちしていました。

社会人(20代)

 忙しい合間をぬって、お給料も手に入り、バブルの絶頂に向かっていく時でしたので、コストはかかっても単位時間あたりの快楽効用が高い遊びをしていました。

 海外リゾートへ:スキューバダイビングの免許を取り、夏は南の島へ行きもぐり、冬は北の山で滑りという時を過ごせました。まず、八丈島(最初はお金が無かった・・・笑)からはじまり、サイパン、バリ、グアムと行き、パラオで大感動、他にも行きました。ダイビングでは、無音の中で自分の音を聞く、という事を知りました。(酸素が脳にまわらずハイ状態のためか)魚の動きにあわせ、くるみ割人形の最終章のフレーズが、頭の中でがんがん鳴ったり、非日常の経験でした。スキーでは、ウィッスラー、バンフと、アメリカンの雄大さとカジュアルさに触れました。日本人はなんて真面目にちまちまとスキーをやっていたんだ、と開眼しました(苦笑)。

 仕事で英国や米国へ:仕事というか英語の短期研修で、英国のカンタベリーとロンドンへ行きました。特に、カンタベリーでは、冬で観光シーズンをはずしたため、町中で日本人は私一人ではないかとう状態で、どっぷりと欧州の生活と文化に触れました。クラスでは、ヨーロッパ中の非英語圏(フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、ロシア・・・)のビジネスマン&ウーマンが来ていました。そこで、皆日本について聞いてくる点、フランス人の友人はマーシャルアーツ(空手等の東洋拳法)を習っており当然の様に話してくる点、から自分の日本理解の浅さに唖然とさせられました。又、欧州では、自国文化について語れないと一人前の大人として扱われない事も体感させられました。

・社会人(30代)

 20代の経験や、人との出会いから、日本文化に目覚めると共に、欧州文化へのもう少し深い追求もしています。でも、全て自然体でできるようになった気がします。

 欧州文化:スキーリゾートも、スイス、フランスと欧州に行き、本当のリゾートライフを非常に短期間ですが(1週間で帰っきてしまうのが、日本人の悲しいところ)体験することができました。そして、イギリスで出会ったオペラにも、20代後半よりはまっていきました。いやあ、オペラは人間の五感全てを刺激する官能ですよね。ボリスゴドノフの壮大な合唱から、ベルディやプッチーニのロマンチシズムまで、愛しております。

 日本文化:歌舞伎好きだった妻の影響で、市川猿之助さんを中心に観ております。こちらも、すかっとした爽快感やねっとりとした情感まで、良いですよね。猿之助さんは全般、玉三郎さんも全般、団十郎さんはなんといっても助六、勘九郎さんと橋之助さんのコクーン歌舞伎まで。

 その内に、ふと、見るのも良いが、やることも経験だ、オペラを30代からでは無理だが、日本舞踊なら真似くらいはできるかもしれない、と思い立ち、ケイコと学ぶで、日本舞踊教室を探す。偶然(本当に偶然で、一歩間違えれば、新舞踊へ行っていた・・・今ごろは演歌をバックに踊っていたかも・・・笑)、今の坂東流のお師匠さんの教室を見つけ、入れていただきました。歌舞伎色が強く、女性ではありますがキップの良い下町出身のお師匠さんで、練習をしない不良弟子の私を温かく指導してくださいます。最初は、五郎や助六などの男物の演目、それも見得のあるカッコ良いものをやらせていただいていましたが、周りの女形も似合うはずだという声にのせられ、恥ずかしながら女形にも兆戦中です。いやあ、女性の前で、女性のふりをすることって、本当に照れてしまうものです。

・社会人(36歳:四捨五入すると既に40代か・・・)

 さらに和風の世界を追求すべく(という訳だけでもありませんが)居を鎌倉・長谷に移しました。ゆったりとした江ノ電も利用し、毎日をおくっています。仕事は東京ですが、それ以外の時間を東日本では一番和風度の高い地域で過ごすと、自分自身がどう変っていくか楽しみです。その変化も皆さんと共有できればなんぞと思います。

 

  ということで、このホームページに至っています。

なお、現在36歳です。

日中はサイボーグの如く、クールに働いています。この仕事と趣味の和洋の差の激しさが、心地良くもあるのです(笑)




*本内容は2001年6月時点の内容です。


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