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2.メイキング・オブ・電子ゲーム
寺町:原様が電子チームに移られた時、最初に手がけられたゲームというのが、デジコムフットボールだとうかがいました。
テーブルトップシリーズ
(1980年)
原:その前にね、なんかタケノコを切ったようなLEDのゲームがあったじゃないですか(テーブルトップシリーズ:右)。ようするにLEDが5つ6つあって、ボタンを押すとそれがピーピリピリピリとまわってどっかでとまるという、ただそれだけのやつなんですけれど。なんか8角形?6角形のつつを・・・
寺町:ああー、知ってます知ってます!こういう銀色のやつですよね?!
堀江:蒸着してね。
原:あれが最初だったかもしれません。それとだぶっちゃったのかもしれませんが、FIP(蛍光表示管)を使ったゲームではフットボールが最初ですね。ゲームはおもしろかったんですけれどね。いかんせん、フットボール自体がマイナーだった。
寺町:それ以前にもデジコムシリーズはありましたから、「原君、きみも企画を書いてみたまえ」ってな流れで担当がまわってきたのでしょうか?
原:そうですね。フットボールはすでにあった企画で、移った時に担当させられたって感じですよね。
寺町:じゃあ、フットボールってのを出すから、内容を考えてくれという感じですか?
原:そうですね。で、海外でこういうゲームあるからみたいなことを言われて、それをどうアレンジするか、そういう流れでつくったものですね。
寺町:やっぱり参考にされたゲームというのがあったわけですね。
デジコムフットボール
(1980年)
原:ありましたね。
寺町:マテルとか?
原:確か・・・マテルだったと思いますが・・・よく憶えていません。あの頃は、海外の方が電子ゲームは進んでましたんで。
寺町:それを参考にされながら、どういう動きでいこうかと考えられ、仕様書を書かれて、研究室に出されたという流れなんですか?
原:そうですね。遊びの内容を考えて、仕様書を書いて、で、ソフト・・・、プログラムを書くのは外注のソフトハウスの方に頼みましたので。
寺町:あ、あれは外注なんですか。
原:で、そういう流れで内容はつくって、あと、ハード的な部分ですね。外形のプラスチックのデザインはこちらの方でやるんですが、中身の基盤設計だとか、あとチップ何使って蛍光表示管どのくらいの大きさのもの使ってとか、そこらへんのものは、いわゆる研究室の方と相談しながらやっていったという。
寺町:蛍光管には制約ってのがありますよね。まずサイズが小さいし、それに重ね合わせができないとか、そのあたりも考えながらソフト作りというものをされたと思いますけれど。
原:そうですね。
寺町:やっぱり、僕の世代ですと、印象的なのはドラキュラハウスでして。エポック社的にも黄金期だと思うんですよ。これと、スペースディフェンダーが。私はディフェンダー、従姉妹はドラキュラハウスとシェアリングしていたりしまして。
原:この頃ですね、割とスペースもの(宇宙もの物)と、その横でどちらかといえばオリジナルもの、という形のパターンが多かったんですよ。で、当時はスペースものが絶対売れるんですよ。
寺町:へえー。
原:で、僕はどっちかっていうとオリジナルの方を担当していたんで、いつも同僚がね、ヒット作をとばすのを、横で指加えて見ていたというパターンが多いんですよ。
寺町:あらら(笑)
原:で、その中で、たまたまこれがそこそこ売れたっていう感じだと思うんですよね。ドラキュラがその当時、20万か30万売れたんですかね?そうすると、そのスペースの方は100万個越えているというパターンで。
寺町:うお、100万個ですか?!
原:それくらいですよね?
望月:うん、ディフェンダー、売れたよね。
原:その前、(スーパー)ギャラクシアンってのが一発目ですごく売れて。
寺町:このドラキュラハウスの経緯をうかがっていきたいのですが、例えばドラキュラというテーマはどこから出たのでしょうか?
原:あんまりよく憶えていない(笑)。これはゲームセンターにベースがあったものではなかったと思うんですけれど。
寺町:まあ、アーケードではドラキュラハンターってのがあったり、他社からドラキュラのFLゲームも出ていたりしますが、たしかにこれは違いますね。
原:そういうところからヒントを得たか、それとも、この頃はたしかオリジナルをずっとやっていましたんで・・・、オリジナルといっても、全く見も知らないテーマを持ってくるよりはドラキュラとか、フランケンシュタインとか、そういうやつだと、まあ、メジャーはメジャーじゃないですか。そういうところから持ってきたのかな?って気はしますけれど。(*)
で、この後で「ジグザグモンスター」っていう、これはテーマもなにもオリジナルでやって、大失敗したというやつなんですけれど(笑)
寺町:あ、あの岩を落としてリンゴを育ててというゲームですよね?
原:そうそう(笑)。それよりは・・・そういう、ひとつは、まあ、なんか、こう知られたものでやるってことで、きっと考えたんじゃないですかね。それとも、映画かなんか見て、たまたまね、イメージつけたのかもしれませんし、ちょっと憶えていないんですが。申し訳ない。
寺町:僕が注目したのは、普通なら1面、続いて2面、3面とあるパターンが、このゲームでは1画面すべてで3種類あるというところなんです。この部分でドットイートしながらやっつける・・・とか。
ドラキュラハウス(1982年)
数々のモンスターや障害をくぐり、4つの棺のどれかに隠された財宝をゲットするゲーム
原:はいはい、そうですね。
寺町:こういう仕様は一発で通ったものか、それともやはり何度か手直しがあったものですか?というのは、ビデオゲームとちがって、ソフト&ハード一体型ですよね。デザイナーの融通はどこまできいたものなのか、と。
原:そうですね、当然手直しはしていたと思うんです。まあ、あの頃は内容にそんなにうるさく言われるってことはなかった・・・(と、堀江氏を見る。堀江氏も”うん”と)・・・ですよね。
堀江:ほとんどソフトで変更はできないですからね。表示がもうハードウェアだから。タイミングとかあってね。
原:けっこう社内的に、もう、そういった毎年100万(個)越すヒットを飛ばしている頃だったんで、ある意味、ちょうどエポック社の電子ゲームとしてグーっと昇っていた時期なんですよ。いけいけって感じで、で、もうまかせるみたいなスタイルだった、かと思いますね。ほんとに、その時の、電子のトップのチェックを受けるレベルでどんどん進んじゃったと思いますね。
寺町:ゲーム性の・・・、ま、今で言うゲームデザインですね。ここに4つの棺が合って、どれかに十字架が隠されているなんてアイデアは、どうやって組み立てていかれたのか?というのは非常に興味があるんですけれども。けっこういきあたりばったりみたいなものなんですか?
原:そうですね・・・、まずテーマを決めて、じゃあどういうスタイルにしようか?ていうので、おそらくその当時はいつもゲームセンターのゲームをベースにしてましたんで、いろんなものを見る中で、こういう動きをするんであれば、なんかこういうやりかたってあるよなっていうのがネタとしていくつかあって、その中からチョイスしてやっていったのかな、と思います。
ドラキュラというベースを置いて、狼男がいて、ドラキュラと十字架があって、棺おけがあって、そういう中で、じゃあどうやってこの画面の中でストーリーをやろうかというのを、ああでもない、こうでもないってやりながら、そういう形になったのかなって気がしますよね。今考えるとこの中で、ちょっと要素的に盛り込みすぎてるかなという気がしないでもないですけれど(笑)。この中に4面はいっているようなものですから。1面が(親指とひとさし指を軽く開き)こんなものですから(笑)。すごい強引だな、という気はするんですけれどね。
堀江:ゲームを考えるとき、もうひとつは、セグメントがマトリクスになっていますよね。で、そういう制約の中でこの人たちはそれを考えてね。そうすると考えやすいじゃないですか、ブロック、ブロックになってるから。そういう制約があってこそ、ね。
原:そうですね、ブロックって考え方はできましたね。ワン・パターンで・・・
堀江:理科系だからね、みんな(笑)
原:そのへんのところは、最初のフットボールのところで、研究室の方に叩き込まれましたんで。蛍光表示管ってのはこういうもんで、交差はこうやっちゃダメだとか、いろんなルールがあって。(笑)
寺町:でも、うまくサッカーなんかはキャラ設定がなされていますね。1セグメントに2人のキッカーキャラが入っていまして。あれ、重ね合わせですよ(笑)。
原:ひとつのパターンをいろいろ考えたんですよ。これじゃパターン引けないとかね。いろいろ言われながら仕上ていって。
堀江:十倍くらいのサイズで版下つくるんだよな?!
原:そうそう(笑)。でっかいの。クスクス。
寺町:そこに、きゅ〜っと、人間のキャラを描かれる?
原:「ここ、コンマ1ミリ、もうちょっと譲れませんか?」ってこっちが話しして「そしたらもうちょっとカッコつくんだけど」という、そういう攻防ですよね。
寺町:狼男の目だとか、細かい部分ですよね。
原:ある程度、デザインとしてはちょっと不十分なんだけど、パターンの都合上、ここは手の太さはどうしてもこうなっちゃうとかね。ここは本当はスキマ空けたくないんだけれど、これが単独で動くためには、スキマをあけなきゃいけないとかね。いろいろありましたよね。
で、あと、これの蛍光表示管をつくっていたのがNEC・・・
堀江:NECだね。
原:NECの技術者の方ともいろいろうちあわせしながら、その技術をもっと高めてくれと。コンマ4だったスキマを、コンマ2にしてくれとか。
寺町:今のMPUのパイプラインの幅を0.25から0.15にするみたいな。
原:そうそう、ちょっと次元は違いますけれど。そういううちあわせをしょっちゅうやっていましたね。
寺町:なるほど。そういったものはいつの時代もあるんですね。それと、まずセグメントありきってとこが、ビデオゲームの文法と違うところですよね。
原:そうですね。
寺町:ご自分のデザインで、これだけは、ちょっとこだわりたかったってものはありましたか?ちょっと抽象的な質問ですが。
原:うーん・・・
寺町:ゲームだけでなく、例えばゲームサウンドとかはいかがでしょう?
原:音は・・・どういうのだったか覚えてないんですよ。(苦笑)。そうですねえ・・
(⇒次ページへ続く)
Hint de Pint
調べてみると、どうも1982年前後というのは、ドラキュラがちょっとしたトレンドだったようです。先に出てきたツクダオリジナルが発売した電子ゲーム「ザ・ドラキュラ」。森永のおかしにイッセー尾形のドラキュラ。ペヤング焼きそばのCMキャラにドラキュラ。手塚治虫のドン・ドラキュラのアニメ。さらに極めつけは、もんもんドラエティの、岸田森扮するドラキュラパパ。これらがすべて81年末から82年にお茶の間に登場しているのです。