エポック社・原氏

EX:原氏WORKSを知るアイテム

 本文中に出てきた原氏の関わられたゲーム機、またそれらに関連する製品を、補足としてここに紹介しておきます。発売から25年・・・。いやはや、さすがに世代と解説の必要性を感じてしまいました。原氏のメッセージをさらに知るキーワードになれば幸いです。

与作(ちらし) (1979年)
  きこりの与作に直結するのが、1979年にリリースされたSNKの与作。伐採、イノシシ、ヘイヘイホーなど、ほぼすべての要素がここにある。ゲームセンターで流行しているゲームをベースに二次的商品をつくる、そういうことがまだま許されていた時代だったのだ(正確にはこの頃からカドが立ち始める)。
  ただし、こちらの与作はゲームバランスが悪く、インベーダーブーム終焉直下の呼び物とされたものの、名前ほど世間に知られていない感がぬぐえない。カセットビジョン版のきこりの与作の方が未だ話題にのぼるのは、原氏のアレンジ具合がプレイヤーの支持を得た結果だと思うのだがどうだろう。

 

デジコムシリーズ (1979年〜80年代)
  ゲームボーイアドバンスやPSPなど、携帯ゲームのご先祖は、表示にLEDや蛍光表時管を使ったゲーム機で、俗に電子ゲームLSIゲームと呼ばれている。
 PSではポリゴン、ファミコンではスプライト+BGで表示されるゲーム画像は、ここでは”オールBG(バックグラウンド)”とも呼ぶべき形で表現されている。とはいえ、まだドットマトリクスでゲームを楽しめる時代ではなく、一言で言えば、将棋盤やオセロ盤のような整列されたマス目を、あらかじめキャラクターなどの形をくりぬき、裏から部分的に光を照らすような原始的なものだった。インタビューにある「セグメントがマトリクス(P.2)」とはそういうことである。このため、いかにソフトに見合いつつ、かつキャラクターがたくさん表現できるといった汎用性があるセグメントを作りこめるかが、開発者&デザイナーたちの腕の見せどころだった。
  エポック社の電子ゲームブランドはデジコム(DIGIT-COM)だが、一般的にデジコムシリーズというと、頭にデのつく初期6(+1)商品の印象が強い。原氏は本文のデジコムフットボール以外にもデジコムサッカーを担当。80年代初頭の製品だが、1994年Jリーグブームの頃にも、まだ店頭で売られていた。

 

ジグザグモンスター(1983年6月頃)
 ポンプでリンゴに水を与え育てながら、じゃまなモンスターを倒す電子ゲーム。”ちっとも売れなかった”とは原氏の御回想(P.3)だが、83年のこの期、ハンディ型電子ゲーム市場はすでに飽和状態を迎えており、第二次テレビゲームブームの影響もあって、内容が必ずしも売上とシンクロしていない。

 なお、このネーミングはディグダグにあやかったものだと思うが、ゲーム的には全く別物。それって伝統か?(^^

 

バーコードバトラー(1991年3月)
 世の中のありとあらゆるバーコードを読み込み、守備力、攻撃力、生命力に変換してバトルする携帯ゲーム。RPGのネタを自分たちが調達できるのがミソで、”あのお菓子のバーコードが強いらしい”とかいうウワサが子どもらの想像力と収拾力を刺激した。結果的に100万台を越えるセールスを記録し、コロコロコミックでのマンガ連載、メジャーメーカーの便乗品など、名実ともにこの期を代表するメガヒット商品となった。
 超小型バーコード読み取り機をガイドをつけて読ませたところが画期的(ふつうは読み取り機の方を動かすよね?)なこの製品、実は原氏、堀江氏ともに開発に参加している。シリーズ「II」は、スーパーファミコンとの接続コードや対応ソフトがリリースされ、その後もシリーズはしばし続いた。
  アナログとデジタルを行き来する製品、大人も子どももいっしょになって競える製品・・・などなど、今回のインタビューに出てきたエポック社スピリッツの具現化商品といえる。また、こういう製品をつくってください。(^^

【画像引用】
・与作のちらし・・・BINARYANALYSIS 第6回/渋谷洋一/BEEP!メガドライブ 1992年8月号
・デジコムベーダー/シリーズのちらし・・・少年サンデー1981年3月4日号エポック社広告より 

Hint de Pint
・デジコムシリーズの項目にある+1とは、デジコムナインの再販品・デジコムベースボースを指します。
・エポック社は本当にエレクトロゲームの宝庫。今回あえて割愛したコメントもあり、それらについてはまた場をあらためて紹介したいと思います。

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