浜野氏

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パックマン・トミーFL濱野氏インタビュー付録:トミーLSIゲームスカタログ

TEGスペースアタック

 矢沢永吉を聴いて人生変わった!という人は多いというが、永ちゃん自身もビートルズを聞いて”何だこれは?!”と頭を殴られるような衝撃を受けたんだとか。自分は電子ゲームに人生まで揺さぶられはしなかったが、衝撃の度合いで言えば、次ページのミサイル遊撃作戦は”なんじゃこりゃ?! こんな不思議なものが僕の手の中で動いてしまっていいのか?!”と興奮したのを昨日のことのように覚えている。

 それに比べて、外注ではないトミー自身がTEG(TOMY ELECTRONICS GAME )ブランドで展開した初期シリーズは、どれも驚きや衝撃に足りなかった。例えば、ブラックレーサーレッドミサイルスペースアタック。これらは構造的にトミーのお得意芸である歯車やLEDランプで駆動するものだったが、大人が”こういうやり方でも十分おもしろいでしょ?”とか言いくるめているようでなんだか嫌だったのだ。見慣れた技術の延長は嫌だと、センス・オブ・ワンダーがほしいんだと。teg
 TEGブロックTEGピンボールの存在をしったのはその少し後だろうか。だけど、ギャラクシアンの時代にいまさらポンテニスもないだろうと、子供の僕は思っていたし(そういうなまいきなものなんですよ)、10代後半になって初めてプレイしピンボールはとにかく音がうるさかいという印象だったし、ボールが勝手に操作されているような感じは気に入らなかった。新時代を告げるインタラクティブ感覚こそ欲するものだったのに。

 ただし、まちがいないのは、スペースアタックやブラックレーサーなど初期TEGシリーズは、当時確実に成功していた製品であると言うこと。かの元営業氏によると、TV-CFも製作されたこれらは、4〜50万個は売れたんだとか。だけど、僕にとってビデオゲーム(の代替機)とは、とにかく驚くべきものでなくてはならなかった。興奮の渦の真っ只中にいた子どもにとって、TEGのラインアップや輸入物ドクタースミスなどは、自分の知る限りではどれもピントがズれまくっていたものだ。”どうしてミサイル遊撃作戦みたいなものがもっと出ないんだろう?、きっと、ああいうグラフィック繊細なものや動きが複雑なものは作るのが難しいんじゃないかな”と、そんな素朴な疑問が、LEDと蛍光管、LSIの性能差といったエレクトロニクスへの興味をさそい、男の子たちの知識ネタの話題になっていたに違いない。

で、幼年期の僕とトミーのすれ違いの最たるものが、このTEG「スペースアタックだったように思う。このインベーダーゲームは侵略者が9匹の群をなすスゴイもので、分周で歩行するアイデア、定期的に出現するUFOも定期的、デジコムベーダー(エポック社)のように描画もちらつかなかった。構成やテクニカルな部分では十二分に及第点。・・・のはずか、どういうわけか熱くなれなかったっけ。tegミサイルベーダー(バンダイ)なんかの何倍も高い技術力のはずなのに熱中度はまるで逆。スペースアタックはなんと言うかとんがっていないと言うのか、じみというか、無難すぎる本体のデザインもそれに一役買っていた。逆に、出現ポイントでUFOを落とし続ける”鳥かご撃ち”という致命的なバグがあるにもかかわらず、それがおもしろさに裏返るというミサイルベーダーにこそ、ビデオゲームの不思議があったし、それに子どもたちやゲームセンターあらし(と一平太)が燃えたのは結果論としてもさもありなん、か。

 あらしと言えば、別冊コロコロコミック創刊号の懸賞において、あらしが最新ゲーム・ディフェンダーに挑戦しようと言うときに、今更ポンテニス(TEGテニス)やスペースアタックをふられてもと、巻頭懸賞に全く興味もわかなかったのを覚えている。ど真ん中の購買層であったにもかかわらず、まったくシンクロすることがなかった自分とTEG。本当にトミーに注目するのは2年後のFLスクランブルのことになる。

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