応接室に通していただいた我々は、濱野氏が来られるまでの間、同席される広報(担当)氏から、一足早く当時の話をうかがう機会を得た。企画時からとにかく資料には飢えていたので、このお話は本当にありがたかった。寺町が本編でやたら事情通な質問をしているのはこのためである。
この勤続20年(当時)という広報氏、そもそもマーケティング部ご出身と言うこともあってとにかく歯切れがいい。売れたもの、おもしろかったものはもちろんだが、逆に売れなかったものや、ご自分がつまらなかったとする製品にも遠慮がなかった。特にぴゅう太はバッサリで(笑)、いやはや、狼狽したのを覚えている。今考えると、これはこれで玩具産業史における貴重な証言だったのだが、少々出鼻をくじかれたかたちの寺町は、メモをとるのもおぼつかなかような状態だった。若かったんですよ(^^;
あくまで雑談の上ではあるが、広報氏はトミー製品をこう分析する。
例えばこの空気エンジン。コンプレッションをかけた空気で動く動物とかね。これは技術的には大変なものですよ。技術に溺れて商売?ができなかったと。外部の人もそう言うしね。内部的にもそう思っている。よくは出来ているんだけど、じゃあ遊びの内容としてどうなの?と。ドイツ製で穴の空いたヤツを組み立てるものもあったんだけど、これなんかも紙が振動してポーっと鳴る。でも、口で言ってもいいわけですよ。ポーって。そういう凝ったところをいい値段で仕向けるかってのが、やっぱりトミーの課題ですよね。画期的なことをしているんだけど、マーケティングがへたなのね。(笑)
この談話、現在公開されているトミーの公式ページ内”おもちゃ博物館”の中にも、一部通じるものがあるので確認されたし。そしてこれが十数年後の、本項の裏テーマになるわけであります。
長い前置き失礼。では、インタビューをどうぞ。