【寺町】
最初にインベーダーブームというのがありまして、子どもや大人も家庭用インベーダーを切望していた背景があったと思うんです。だけど大手のメーカーからなかなか出ませんでした。当時トミー社はレッドミサイルのマイナーチェンジ版の、メカニカルなインベーダーゲームなどを出してきたわけですが、ようやくミサイル遊撃作戦という電子ゲームが出るんですね。ところが実際は持込だったとか。どちらからなのでしょうか?
ミサイル遊撃作戦
(1979年)
海外ではマテルより発売
文字通りミサイルで
UFOを迎撃する内容
エミックスは日本の神奈川県の
電子製品メーカーで、
この社のゲームブランドが、
かの
「バンビーノ」である。
(学研JET FIGHTERも
キャラのみ変えた同一物)
【濱野】
エンテックスじゃなかったかな?(※本当はエミックス社)
【寺町】
エンテックス社が持込をされたというのは、小回りがきいたからなんでしょうか?それとも、やはり売れるか売れないかわからないものは出しにくかったと?
【濱野】
それと値段が高かったんですよ。我々が考えている値段よりだいぶ高くてね。
【寺町】
そうだったんですか。
他社さんに聞いたことがあったんですが、インベーダーゲームは喫茶店で遊ぶ世代のものだという見方が一般的だったそうで、価格はそれほど考慮されていないのかと。実際、9,800円くらいの電子ゲームってのまでありましたし・・・。
【濱野】
(カタログをしばし見つめ)
ええと、これのデザインだとか、フットボールってカタログに出ていない?斬新なデザインですよね。これは造形大の魚住先生のデザインなんです。
【寺町】
では持ち込みの時にはこういう外観ではなかった?
【濱野】
いえ、あったんです。すでにその先生がその会社とやって、金型・製品になった状態でうちの方に売って欲しいと。アメリカで売っていたんです。国内でやるのにトミーと組みたいということでね。
【寺町】
アメリカではこれ、確かバンビーノという会社が売っていました。(※これもまちがい。本当はマテル社)
【濱野】
ええ、よく知ってますね。さすがだなあ(笑)。
【寺町】
さっきの9,800円の電子ゲームってのが、そのバンビーノ製なんです。確か。
あちらは売り先を欲しておられた。しかし日本には市場がない。どうしようかという時にインベーダーブームがきて、それでGOがかかったのではないかと推測するのですが・・・。 これは台数はけっこう出たんでしょうか?
【濱野】
出ましたよ。こっち(アメフトゲーム)は、売れなかったんだよね。カタログには載せたんだけれど・・・、結局、アメリカンフットボールだからねえ。
実はうちでも、アメフトゲームを作ったんですよ。蛍光表示管で。ゴールするとチアガールが踊るというね。
【寺町】
おお、凝っていますね!それも濱野様のアイデアで。
【濱野】
そう。(笑)
【寺町】
今のテレビゲームに近い感覚ですね。
【濱野】
ヨーロッパの方では、つい3年頃前までは、液晶ゲームやFLゲームを扱っていたんですよね。スクランブルもそうだし。日本じゃ早くに終焉したんだけれど、イギリスなどはね、扱っていたんですよ。日本やアメリカほどテレビゲームが普及していなかったし生活環境も違ったので、充分戦えていたんですけれどね。
【寺町】
というと、イギリスもテレビゲームの普及にともなって。
【濱野】
そう、押し出されましたね。
【寺町】
この期も同じかもしれないなと思ったんです。皆インベーダーのテレビゲームが欲しかったんだけれど、それは7〜8万円もして買えなかった。そこに求めやすい電子ゲームの波が来た。しかし、テレビゲーム(ファミコン)の普及とともに押し出された。結局、テレビゲームの代替機だったと思うんですが。
【濱野】
うん、そうですね。