両神山稜線にて両神山
埼玉県は秩父の奥にそびえるこの山の稜線は、予想を上回る鎖場の連続だった。某氏の「越後の八海山に引けを取らない」との評価を引用しつつもそれは少々大げさではないかと思っていたのだが、行ってみた感想としてはむしろ「八海山以上」と言うべきかと思う。清滝小屋から八丁尾根をたどる二日目の歩程は5時間程度と踏んでいたが、実際には8時間以上を要した。休憩と鎖場での待ち合わせに時間がかかった上に、坂本への下山コースがまた簡単に歩かせてくれない道だった。


初日、紅黄葉が盛りの秩父路を三峰口へ。車窓から眺める民家の軒先には必ずと言っていいほど干し柿が列をなして下がり、銀杏の黄葉が日の光を浴びて輝くのが目立つ。駅前で乗り込んだタクシーは慣れた速度で両神山の登山口の一つである日向大谷の集落のどんづまりまで、最後は急坂のカーブを右に左に飛ばしながらたどり着く。車から降り立った本日の山行メンバーは乗車前に比べてしばらく顔色がやや青いまま。
今日は清滝小屋まで二時間の歩程なのでのんびり歩き出す。小さなアップダウンはあるものの「山に登っている気がしない」という感想も出た尾根筋をからむ平坦な道を進む。登り口近くには近年にできたものもある霊神碑が並び、山道の脇には「××童子」という文字が刻まれた短い標柱のようなもの(これのことを何というのか私は知らない)が次々と現れる(「無垢光童子」「波羅波羅童子」「不思議童子」....)。その合間には体躯に比して巨大な火焔を背負った不動明王(2メートル近くあったか)、座姿の高僧の石像、中国風(?)の仏像などが人目を引く。
稜線は目の前に見えるがなかなかそこまでたどり着かないといった谷筋を詰めて行くと、今晩の宿の清滝小屋だ。ログハウス風のしっかりとしたきれいな作りだ。宿泊棟の引き戸を開けると土間には薪ストーブが静かに燃えている。暖気は入り口頭上の吹き抜けを通って二階に回る。その二階に荷物を上げて、ストーブの周りでビールやジュースで一息つく。まだ3時過ぎなので食事には早く、することもないので予定通り延々と酒盛りを始める。本日のメンバー4人中3人もが酒を背負ってきたので不足はなかった。夕飯はカレーに漬け物に味噌汁で、寝具の蒲団と毛布は暖かいものだった。
朝6時、朝食の呼び声に目を覚ますとまだ布団を延べているのは我々だけで、たいがいの宿泊者はもう出発してしまったようだ。朝食は混ぜご飯に味噌汁、ウィンナー、漬け物、ゆで卵に蜜柑。「ゆで卵に蜜柑」というのは嬉しい限り。外を見ると昨日とはうって変わって一面のガスの中だ。雨は降るまい、との見通しだけで8時前に小屋を出る。
急登小一時間で両神山神社に着く。ここで狼姿の狛犬にやっとご対面。社は二つ有り、奥の社にある狛犬(狼)の頭は正面から見るとまるで人間の頭骨のように見える。雌雄を表す陰陽が阿吽の像の各々に刻まれてもいる。耳元まで裂けた口に剥き出した牙もただならぬ雰囲気だ。これだけでも両神山の山名は八日見山からではなくオオカミ山からの転化と考えたくなる。秩父や奥多摩の一帯は狼が多くいた地域なのだろうか、武蔵五日市や檜原村あたりでも「大口真神」のお札を玄関先に貼っている家をみかけた記憶がある。それにしても狼を神と祀るのはなぜだろう。手に負えない猛獣を畏れ崇めることでそのどう猛さを静めようと欲したからだろうか。
狼が守る両神神社
狼が守る両神神社
さてそこから遊歩道のような道を行くと山頂に着く。残念ながら山頂は頭上に青空が広がるばかりで周囲は雲の中。とはいえ気分は良く、お茶を入れてくつろぐ。山頂直下の鎖場以外は先の東岳まで並の山道だ。東岳で改めて昼食とする。
さてそこからが本格的鎖場の連続だ。八丁尾根を登って来て休んでいた単独行の方が「もう鎖はいいです。堪能しました。百本くらいありましたから」と、言う方も聞く方も誇張とわかっている言い方をしていたが、その気持ちはよくわかるというほどの内容だ。10メートルくらいの下りの鎖が3本くらい連続してかかっていたり、斜めに降りる岩場にまっすぐかかっていたり、かと思うと垂直の鎖を登ったりと予測がつけがたい。おまけに苔が着いていたり北向きで湿っていたりで岩が滑りもする。登ってくる人ほとんど皆が「まだ続くんですか」と聞く。我々にしても進む速度は時速1キロを切り、時間の感覚が鈍くなる。八丁峠に着いたのは午後二時だった。


小憩後、坂本に向かって下り出す。最初は落ち葉がふかふかに積もった道に沿って急斜面を電光形に下って行く。濡れていて滑りやすい上に浮き石が隠されていてちょっと緊張する下りだ。1キロほど下るとややおだやかな斜度になり安心するが、これがフェイク。「大岩」を過ぎる頃、道が沢床に降りるようになると、朽ちかけた上に苔で滑りやすい木橋をおそるおそる渡ったり、崩れやすい上に足場の狭い斜面の踏み跡を歩いたり、沢床で踏み跡も道形も消えてうろうろするなど時間のかかることしきり。「ほんとにこの道は歩かれてるのかよー」。里近く、山道が終わって植林の中の作業道を歩き始めると「なんて歩きやすいんだ」。
坂本のバス停には3時間に1本くらいというバスの発車5分前に着くという運の良さ。「いやー面白かった」「いい山だった」と口々に感想を言い合っているところにバスが来る。小鹿野の町中まで出て、そこからタクシーに乗り換えて秩父の町に出た(直通バスはない)。タクシー会社の待合いでタクシーを待つ間、連絡係のおばさんから「両神山ののぞき岩からの眺めはそりゃすばらしいですよ」と教わる。それは山頂から白井差に下山するルートの途中で、今回のルートではない。そこで出た提案が「来年の秋には八丁尾根を登って白井差に下ろう」。来年になるかどうかはともかく、そのルートもいつかは行ってみたいものだ。
1997/11/15〜16

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