鍬柄岳と大桁山鍬柄岳の岩塔

西上州の山々へと下仁田に向かうとき、気になるのが町の手前に門番のように立っている鍬柄岳だった。背後の大桁山とあわせていつかは訪れたいものだと思っていたものの、どうしても足は下仁田の奥へ、南牧村の中へと向いてしまう。この二山だけを登る予定を考えて、ようやく訪ねることができた。


季節感のない建物の群れが遠くなると車窓の外にはガラスの大気が広がり、馴染みの山々が顔を見せてくれる。晩秋の上信電鉄の旅はいつも楽しい。赤城山や榛名山に見送られ、妙義山に伴走してもらい、荒船山や稲含山、鹿岳に出迎えられる。日曜朝の車内には暖かな日があふれ、あわただしさはどこにもない。
部活に行くのか、高崎から車中は高校生の一団で賑やかだった。その団体も途中の駅で降りてしまい、少ない乗客のほとんどがハイカーだけになる。本日の出発点は千平駅といい、終点の下仁田駅のひとつ手前にある。下りたのは自分ひとり。無人の駅舎は簡素な待合いがあるきりで、雨の日は電車を待つのも苦労するだろう。
駅からは要所要所にある指導標に導かれて鍬柄岳への車道を辿った。すぐ左手の高みに寺がある。背後に黄葉して燦然としているのは銀杏だろう。道筋が右へとゆるやかに曲がると、正面にゆったりとした大桁山(おおげたやま)が見えてくる。その山腹に埋もれるように、巨大な岩の塊が浮かんでいる。背は低いものの鍬柄山は山頂に顕著な岩塔を持つ山だった。
「石尊山」とも称される鍬柄岳は現在では一般に"くわがらだけ"とされているが、佐藤節『西上州の山と峠』では"かぐらだけ"とルビが振られており、茗渓堂『続・静かなる山』では"かっからやま"だと麓のかたが教えている。名はどうであれ昔より信仰の対象であり続けていることは変わりないようで、ガイドブックによれば山道の途中にある阿夫利神社の例大祭は毎年行われ、無病息災を祈願した木剣の奉納と交換が行われるらしい。(山からの帰りに軒先に木剣を掲げた家をあたりで何軒か見かけた。阿夫利神社からいただいたものかもしれない。)
鍬柄岳を正面に望む。背後は大桁山
千平駅から鍬柄岳を目指す。背後は大桁山。
鍬柄岳の岩塔へは大桁山へ続く車道から分かれて簡易舗装の細い道に入っていく。すぐに山道となり、20分ほどで基部に着いた。何の変哲もなかった道のりは鎖場の連続となる。鎖に頼らなくても登れるのは出だしだけで、落ちればひっかかる樹木もない絶壁の縁を行くところもある。しかし登るにつれて開けていく眺めは素晴らしい。澄んだ秋空の下、下仁田の街や背後の稲含山、御荷鉾山がはっきりと見える。15分ほどで山頂稜線と呼べるところに出た。錆びたワイヤが張られているところがあり、運悪くささくれたところを掴んだため指の腹を切ってしまった。あわてて絆創膏を貼った。
細い稜線をたどると山頂はすぐそこだった。幟がはためき、大きな石の祠が一つならずある。その向こうには西上州のおもだった山々が広々と並んでいる。八風山から荒船山、毛無岩からトヤ山に続く稜線、メンベ岩を突き出した物語山鹿岳四ツ又山桧沢岳小沢岳稲含山、御荷鉾山と枚挙に暇がない。彼方には御座山も見えるが、八ヶ岳は霞んで見えない。黒滝山大屋山大岩・碧岩も見えないが、鹿岳の背後になってしまっているせいだ。だが言うことなしの大展望だった。
本当に残念なのは、今回の山行は本日限りで、あの山々に再訪できないこと、その麓に点在する南牧村の見知った家並を今年も眺められないことだった。歩き始めてからたいして時間がたっていないし、風も強い。それでも鹿岳や四ツ又山などの眺めのよい場所に腰を下ろし、湯を沸かして暖かい飲み物をつくった。冷たい風に吹かれながら山頂には一時間近くいた。
鍬柄岳から西方の眺望
鍬柄岳から西方の眺望。
左より、四ツ又山、しれいた山、鹿岳、毛無岩から荒船山に続く稜線、荒船山。
荒船山の艫岩の手前に山頂が被さる山は物語山で、メンベ岩が突き出しているのが見える。
下りでは山頂岩塔の北側にある”南西神社奥の院”に寄ろうとしてみた。ここは絶壁に附けられた踏み跡をワイヤーにすがって下るというもので、ワイヤーがなければ行く気になれない。とはいえさきほど錆びたもので指を痛めているのでこれに頼るのかと思うと気が引ける。ここのワイヤーは滑らかなもので錆びてもいないのだが、見下ろせば文字通り足下から絶壁で落ちても引っかかるものが全くないところで、こんなところでまた絆創膏を貼る羽目になったらと思うと行こうか行くまいか逡巡する時間が長くなる。
けっきょく寄ってみることにしたのだが、ためらっていた時間が長かったせいで判断を誤り、ストックまでくくりつけたザックを背負ったまま下るという愚を犯してしまった。灌木が引っかかって進みづらい。振られて落ちればそれまでだ。ワイヤーを掴む手に力がこもる。戻って荷を下ろしてまた下る気にもなれず、行路途中で大きめな岩窟が下に見えてきたことに満足し引き返した。鍬柄嶽阿夫利大神の石碑はおそらくここに鎮座しているのだろう。空身でたどるべき道筋だったが、そもそもこの鍬柄岳からして軽装で登ってくるひとが多い。本日はこの山で4パーティ5人に出会ったが、そのうち3人は荷を背負っていなかった。


大桁山との分岐点に戻り、車道をたどりつつゆったりと高度を上げていく。車の通れる部分が長いが、上部では車両は通行止めにされていて落ち着いて歩ける。惜しいのは眺めるものが杉の植林ばかりということだった。もう少し雑木林が多ければ紅葉の時期なので見事なものになっただろう。
大桁山頂は細長く続く公園のようだ。先ほど登った鍬柄岳に比べて、とても穏やかなところだった。かつては西上州核心部の眺めがよかったらしいが現在では植林が育ってしまってそちらの眺望はない。眺めが往年より劣れば植林の山にあまり魅力はないのだろう、この山ですれ違ったのは1パーティのみで、昼下がりだというのに誰も来なかった。しかしおかげでゆっくりできた。山頂手前では妙義山の剃刀にも似た山肌、それも五枚刃、六枚刃はありそうな凄絶なのが一瞥でき、山頂にある古びたベンチからは雑木越しの榛名山がよい話相手だった。
大桁山頂
公園のような山頂
大桁山頂より榛名山
大桁山頂より榛名山
下りは往路を戻ったが、千平駅へは戻らず、途中から東に向かう関東ふれあいの道をたどることにした。低いとはいえ両側に山肌を見上げる畑や集落のなかを歩くあいだは車も通らず気分が良かった。平野部に出るころになると往来もうるさくなってきたので中沢の集落から南蛇井駅に出て、すぐに来た列車に乗り込み、日が傾き始めた高崎に出た。
2005/11/20

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