物語山とメンベ岩 物語山

昨年の晩秋に下仁田をベースにして西上州の山々をいくつか登った。そのときの印象がよかったので、今度は連れと二人して新緑の季節に一泊二日で再訪した。だが最初から重たい雲が広がるあいにくの天気で、初日こそ何とかもちこたえて山に登れたものの、二日目は雨となり、連続山歩きの予定を変更して車で佐久や八ヶ岳の麓を散策しながら帰京した。


今回登ったのは物語山(ものがたりやま)という山で、かなり前に初めてこの名を聞いたときは「冗談で付けられた名前か」と思ったものだった。だがその名の通りにこの山には物語があった。メンベ岩という目立つ岩峰があるが、これについて曰く、戦国時代の落武者がこの岩に登って自害したとか、財宝がこの岩に隠されていて、これを探しに行った者はことごとく墜落死しているとか。しかしこういう言い伝えがなくともメンベ岩には何かただならぬ雰囲気がある。見上げている自分の身の回りで怪異な現象でも起こりそうな迫力がある。岩を間近に見るようになるにつれ、その思いは強まるのだった。
山登りとしてはひじょうに単純だった。急な登りの連続、の一言に尽きる。出発地点は川縁の広場で、昔は深山鉱泉という鉱泉宿があったがいまは跡形もなく、運動場や公園の連なりになっている。ここから急な林道を小一時間歩く。メンベ岩がだんだん近づいてきて、遠くから見て予想したよりだいぶ大きく感じられる。林道脇から別れている山道に入って今までよりさらに急な斜面をひたすら登り始めると、メンベ岩は物語山西峰に隠されて見えなくなる。どことなく安心している自分に気付く。しかし一難去ってまた一難と言うべきか、山道が悪路だった。急なところにガラガラの平石が積み重なっていてバランスを崩しそうになったり、土の道でもあまりに急で木々に張られたロープを掴んでいないと滑りそうになったりした。登っている最中は足下ばかりが気になって、あたりの新緑に気付く余裕もあまりなかった。
西峰と東峰との鞍部に着き、本体である東峰へのヤブっぽい道を登る。とはいえこのあたりでは木々も芽吹いたくらいなので今の季節ではうっとうしいというほどでもない。山頂部は今までの急斜面とは全く違って、予想以上に広く平坦だった。あたり一帯に疎林が広がっている。下草もあまり伸びていないのでもう夕方の4時になるというのに暗い感じは受けない。木々が少し切り開かれた一角に腰を下ろし、靄でかすんだ山麓の集落を足下に見渡しながら二人で静かにお茶を飲んだ。一日の終わり近くを過ごすにはとてもいい雰囲気だった。
帰りは元来た道を戻ったが、とにかく傾斜が急で困った。西峰と東峰のあいだの山道を下っている最中、長い釣り竿のようなものを持った20代くらいの男性が「こちらに行けばメンベ岩ですか」と登ってきた。まるで方向違いである。「この山(西峰)の向こう側ですよ」と教えて別れた。しかしもう夕暮れだというのに何をしにきた人だろうか。連れと二人で首をひねったが、「やはり財宝を探しに来たのだろう」というところで意見が一致した。謎めいた山には謎めいた人が来るのだった。
登山口直下の林道よりメンベ岩
登山道入り口直下からメンベ岩
1999/5/3

回想の目次に戻る ホームページに戻る


Author:i.inoue
All Rights Reserved by i.inoue