西峰(前御座山)より山頂部を見上げる御座山

御座山(おぐらやま)は佐久平の南東に高まって八が岳と相対する。佐久に加えて隣接する西上州を含めた山々の最高峰であり、遠目からも孤高の山頂を指呼できる。頂に顕著な岩峰をそばだてているものの山体はずんぐりと大きく地味で、隣の八ヶ岳が華やかなぶん見過ごされることも多いのではと思う。
夏も終わりに向かうころ、静かな山に行きたくなってこの御座山を考えた。シャクナゲの咲くころと秋が季節だろうから夏は賑やかさとは無縁と思える。老朽化して雨宿りさえできなかった避難小屋が改築されたとのことだが、日帰りの山として認知されているだろうからまず誰とも泊まりあわさないだろう。ここで静穏な夜を過ごせればと期待して家を出た。


駅舎から御座山を遠望できる佐久平にて長野新幹線から小海線に乗り換え、小海駅で北相木行きのバスに乗る。集落があるきりの白岩バス停で下車したのは学校帰りらしい中学生二人と自分だけで、空になったバスは終点である次の停留所に向かって去っていった。子供二人もなにか話しながら元来た方へと歩いていく。ひとり残って靴ひもを締め直し、登山口の看板を横目に御座山に上がる舗装林道に入った。
白岩から林道を上がる
白岩から林道を上がる
思い出したように日帰り登山者のものらしき車が下ってくるが土曜だからか台数は少なく、煩わしさを感じずに歩ける。針葉樹の森のなかを抜けると高原野菜畑が開け、夏とは思えないほど涼しい風がそよぐ。顕彰碑が建立されていて「加和志開拓記念」とあり、山上の開墾地の広さに驚きながらゆるやかに登って見晴らしのよいところで振り返れば、ひとの姿はどこにも見えず、薄曇りの空に相対する畑地が相木川の谷間へと傾いている。
加和志開拓地 
山上の加和志開拓地
少し入ったところで乾いた地面に腰を下ろし、虚ろにも思える空間を眺めていると、控えめにタイヤを軋ませて車が一台下りていった。遠ざかる音の彼方には四方原山から栂峠に続く稜線が黒々と浮かび、その端では雨催いの黒い雲が人目を盗むように這い上がってきている。あれが空を覆い尽くすまでに小屋に着かなければならない。そう思って立ち上がった。


林道の終点に着くと、停まっている車は一台だけだった。足裏が舗装道を嫌がりだしていたので山道の感触が心地よい。細かく曲折して稜線に出ると道のりは平坦なものになり、居並ぶ木々が静かに歓迎の意を表してくれる。遠く近く鳥の声が聞こえてくる。下ってきた単独行者の挨拶に驚かされただけで、山中はひっそりとしたものだった。
シャクナゲの厚い葉群が現れたと思うと山頂までの中間地点である見晴台だった。小さな岩場の上に出てみたが、雲がすでに降りてきていて動きのないガスの白い色が目に入るだけ、肌寒くさえあった。あたりには冷たくも明るい光が満ちている。久しぶりの山なので早々に疲れがたまってきており、ほんの少しの休憩のつもりで岩場に横になった。
冷たい風が身体を撫でるのに驚いて起きてみると半時ほども経っていた。時刻は三時を回って寒いくらいだ。慌てて登高を再開する。見晴台からは斜度が出てきて、近ごろ山行不足の身には進むのに苦労するようになった。天気も下り坂で、休憩をとるたびに雨粒が落ちてくる。日暮れも近いし休んでいないで早く登れという天の声に思えた。
ガスに覆われる稜線
ガスに覆われる稜線
樹林のなかに暮色が濃くなるころ、避難小屋にようやく着いた。雨戸が閉め切られて真っ暗ななかには誰もおらず、開けて明るくしているさなか、雨が激しく屋根を叩き始める。この日の歩行はこれまでとし、行っても眺めのないだろう山頂は明朝に回すことにした。
小屋は広く清潔で、まだ新しい板間が嬉しい。夕食を摂り、紅茶を飲むうちに六時にもなったが、誰も来ない。今晩は予定通り静かな夜になりそうだ。二杯目を淹れて壁にもたれ、外界のざわめきに耳をすます。もう何もしたくない気分で、内外の暗さが増していくのを眺め続けた。一口すすっては床にカップを置く音ばかりが響く。
小屋の高いところにある通風口から降りてくる冷気が身にしみ始めた。雨戸を閉め直し、シュラフにもぐりこむ。キャンドルランタンを吹き消してから眠りにつくまで、長くはかからなかった。
夜半、鹿の鳴き声にたびたび目を覚まさせられた。何度目かに起きあがって外に出てみると、空はすっかり晴れて中天には天の川がかかり、昴が光の粉をさざめかせていた。明日の山は大丈夫そうだ…


夜が明け始めたころに目を覚まし、窓を開けて樹林のあいまから空を透かし見た。梢越しに白っぽい空が見えただけで、晴れているのか曇っているのかよくわからない。少々肌寒い空気にぐずぐずしながら暖かいものを飲み、山頂へ向かうべく小屋を出た。頂は呆れるほどにすぐのところだった。樹林帯を抜け出し、狭い岩稜に上がると、閉塞した空間が一挙に開けた。
眺めのなかった稜線をたどってきた昨日の行程、一晩中こもっていた避難小屋の室内からすると、頂上は場違いと思えるほど広大な空間のただなかだった。岩場で片側が切れ落ちている細長い山頂部のどこからでも、まだ眠りから覚めかねている足下の平原部と、その彼方、上方に伸び上がる周囲の山々を見渡すことができる。陽が差し始めて、御座山の影が八ヶ岳の山腹に伸びている。左隣の奥秩父や手前の男山・天狗山の稜線に目をやれば、黒い影だったのが明るい緑色の斜面となって光り出す。太陽の下には両神山や妙義山、西上州の山々の細かく上下する稜線。彼方に見えるのは浅間連峰だ。どこもかしこも、今日一日の始まりを静かに迎えていた。
逆光の両神山
逆光の両神山
天狗山(左)と男山
天狗山(左)と男山
御座山の投影を受ける八ヶ岳
御座山の投影を受ける八ヶ岳
御座山は北西から西へ佐久平を望み、南北の足下に谷を巡らす。加えて近隣の山々に抜きんでて高く、頂に立てばまさに四囲を睥睨するに等しい。孤高の感を愉しませてくれる山頂だ。あれはなんだろう、これはなんだろうと長居して山座同定していたが、日の光が回っていた時間は長くは続かず、雲がちの空の下、奥秩父山群がまっさきに一面灰色の山肌になってしまった。これを契機に小屋に戻った。
下りは登ってきた北相木とは反対側、南相木に出ることにしていた。栗生集落からの一番バスに乗るため、朝の六時に避難小屋を発った。急降下の道のりを下り、何度もジグザグを切って不動の滝に出る。一夜明けて初めて見る水の流れを眺めつつ小憩して、斜度の緩んだ山道を林道終点に出た。日曜の朝、日帰り登山者が来ているかと思っていたが誰もいなかった。そこから停留所まで歩き、バスを乗り継いで小海駅に戻った。


御座山を紹介する際には『佐久の幽巒(ゆうらん)』という別名がほぼ常に添えられるが、この”巒”という字の意味が初見ではわからず、漢和辞典にあたって「山」のことと知った。最近たまたま目を通した少し古い山岳書では「冷涼の巒気に浴して」「競い立っている群巒の姿」などとも使われている。かつては珍しくない文字だったのかもしれない。
ともあれ「幽巒」、すなわちおそらく秘境の山。峠の多い周囲の山域に比して、かつての御座山は人の気配が滅多になかったのだろう。
2004/08/21-22

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