猿のこと
禅の話でこんなのがあります。
ある修行僧が悟りを求めて遥々あるマスターのところへやって来た。
マスターはこう言った。
「悟りたい? んなことは簡単だ。明日の朝までここで座禅を組みなさい。
ただし、猿のことは考えてはならないよ。」
翌朝、修行僧のまわりは猿だらけになっていた。
最近なんだかつぎつぎと変なのが現れますね。
野原や軒先や道端や庭、ほとんどあらゆるところにふわふわ、きゅっ、しん、ああん…と現れ出でる。あれは霊なのだろうか。
山の神も野の神もきりんもワニもくまプーも身体がどうにかなっちまう。
ああん…。
まず沈丁花の香りが空気の底をやわらかくする。それからのっと日の出る紅い梅、白い梅。地べたにはイヌノフグリの青い星々、きゅっとだんでいなタンポポ、あれよあれよとコブシ、色ある女ユキヤナギ、夜明けに雅(みやび)な馬酔木、菜の花、サクラ、サクラ…
猿のことは考えてはならない。決して猿のことは考えてはならない。
たとえば春の小川のフナやハヤやドジョウのことを考えるのはいい。虚空のゆるみ。一番いのちのことを理解していた幼年期。宇宙の果て、神の縁どりを公理せずとも、ただ毎日の出来事の全体を感受すれば、それが存在と無のうたでした。
ああん…
ほらまた猿のことを考えている。猿を考えちゃだめだってば。
まっすぐは曲がっている。赤い白。霊なのですろうか。
猿は曲がって花咲いてワインを飲むので言葉じゃない。
言葉じゃ猿をつかまえられない。
猿を飼いたいな。
猿に毎日水やって肥料あげて日光浴させ花が咲いたら猿になろう。
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