月のすきま(2002年2月)

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2002/02/01(金) ふぁてぃげ


 大きなシイノキの剪定。
 クレーンにカゴを付けて、ゆや〜ん、ゆよ〜ん、一日中。
 足の下を、お婆さんが通る、妊婦が通る、ピザ屋が通る、警官が通る、
 失業者が通る、新聞屋が通る、犬が通る、女学生が通る、……、
 
 風もないのに疲れてしまった。
 十時、三時の一服時は、日に当たりながら、呆けたように茶をすすった。
 昼休みは昏々と寝た。

 肝臓のあたりがシクシクする。
 今日は半年くらい寝てくらしたいなあ…。
 

 
2002/02/02(土) こーん。


 昼休み、トラックの中で寝ていると、周りをカサコソと歩くものがいる。
 剪定して散らばった枝葉を拾ったり、踏んだりする音がする。
 眠いので放っておいたが、どうにも気になって起きてみると、フード付きのフリース
を着た小さな子どもだった。
 「なにやってるんだ」と一喝すると、「ニコッ」と笑った。
 「危ないからあっちいきな」と云うと「コーン」と鳴いた。
 キツネじゃあるめえに、と思いながら、また寝直した。
 昼寝の後はいつもここがどこかわからない。
 それでも一時数分前には必ず、ふっ、と目が覚める。
 もう剪定は下枝を残すだけだ。
 六尺の脚立の天辺に乗って、遠いところから鋏んでいた。
 と、突然バランスを崩して、横様に落ちた。
 落ちる瞬間、さっきの子どもが目に入った。

  こーん。
 

 
2002/02/04(月) 恋猫


 今日の手入れ先は、四年ほど前にやった公共事業の現場のそばだったので、一服休みにふらりと寄ってみた。
 運河の護岸に植栽帯を作り、客土し、イタビカズラを這わせ、桜を五本ほど植える小さな工事だったが、結構苦労した。
 完成後も、植栽舛がゴミ捨て場になっていたり、桜が不法駐車のRV車に幅寄せされて傷ついたり、散々なありさまだった。
 それでも向かいの家の婆さんからは、花が咲くといいねぇ、と楽しみにされていたりした。
 今日行ったら、イタビカズラは溢れんばかりに護岸を覆い、桜は丸々と太って、花芽をたくさん付けていた。

 昨日とはうってかわってよい天気。
 路地を帰ると、どの家も梅が満開だ。
 猫が変な声で鳴いている。
 恋猫だ。

   恋猫の恋する猫で押し通す  (永田耕衣)
 

 
2002/02/05(火) 独身者


 アパートのジャングルのようになった庭の手入れを独りでやる。
 5年くらいはほったらかしにされていたろう。
 こういう庭は逆にファイトが湧くんだ。おれにまかせろ。
 木が庭が見る見る喜んでゆくのが分かる。
 こんな綾枝絡ませて、自分で自分が苦しかったろう、なんて語りながら。

 庭もすごいが建物の方も凄かった。
 樋が外れて暴れているし、外壁はぼろぼろで板は腐っていた。
 雨戸が閉まっているので、てっきり誰も住んでいないと思っていた。
 だから安心して庭の隅で小便も出来た。
 ところが夕方ごろ、おもむろにドアが開いて、50がらみの男が通路に置いた二層式の洗濯機で洗濯を始めた。
 驚きながら挨拶すると、「うん」と温和そうに応えた。

 夜勤なんだろうか。
 すべての雨戸を閉め切って真っ暗な中を毎日生活しているんだろうか。
 自分も独身時代が長かった。洗濯機も二層式だった。
 あれは水が冷たい。

 庭はもうきれいに明るくしましたよ。 
 

 
2002/02/06(水) ズル休み


 今朝も5時に起きてゆっくり珈琲など飲んでいたんだが、雨の降るのを眺めているう
ち、なんだか休みたくなった。
 7時まで迷って、結局休みの電話をして、ホームレスの本など読んでいた。
 そのうち雨が上がって、陽が差してきたので、きのう取ってきた枇杷の葉を洗って天日
干しした。
 午後から少し日だまりで昼寝した。
 坂道を何かに追われて駆け上がる夢を見た。
 夕方5時になってもまだ外は明るい。

 夜は久々にマンガ喫茶へ行った。
 妻は「バガボンド」全12巻を一気読み。
 私は古屋実の「ヒミズ」に感心した。
 酒絶ちして4日目。
 

 
2002/02/07(木) 状景


 住所不定無職32歳の男が、東京タワーの展望台(145m)から飛び降り自殺した。
展望台に潜み、閉店後の深夜、椅子で窓を破って飛び降りたらしい。

 母親を包丁で刺し殺した19歳の無職の息子は、犯行の動機を訊かれて「なぜ殺した
か、それを考えている」と応えたと言う。

 今日の夕刊の片隅に載っていた記事。
 状景がまざまざと浮かんだ。

 人気がなくなるまで物陰に潜んでいる時の呼吸の音。
 展望台から見た東京の夜景。
 椅子で窓を破った時の手応え。吹き込む冬の風。
 身を乗り出して見た下界。落下の加速度。
 
 母親を殺した19歳は自分で通報した。
 署員が駆けつけた時はまだ包丁が腹に刺さったままだった。
 母親は一時間半後に死亡した。
 警察が来るまで、この母子はアパートの中でどう向き合っていたのだろう。
 息子は、殺した理由を自分で見つけることが出来るのだろうか。

 いちにちの中のたくさんの私たち。
 いま、ここに連なるたくさんの深い穴。
 穴は深ければ深いほど自分自身だ。
 

 
2002/02/08(金) モモノハナ


 川砂利を、スコップで手下ろし。
 スコップは持ち方で、この手の仕事に慣れているかどうかが分かる。
 土や砂利を掬(すく)う時、片手をスコップの首の方へ滑らす。
 両腕とスコップの作る三角形を狭めたり広げたりする。
 このリズムで遊ぶようにやる。

 今日は春のような陽気だ。
 シャツを掛けた桃の枝も花芽を膨らませていた。 
 酒癖の悪い中也が、太宰を餌食にして、
 「何だ、おめえは。青鯖が空に浮かんだような顔しやがって。全体、おめえは何の花が好きだ?」と搦(から)み、太宰は泣き出しそうな顔で、「モ、モ、ノ、ハ、ナ」と応えたそうだ。 (壇一雄の回想より)

 また春がくる。
 もうすぐ「日のすきま」も、丸一年になるんだなぁ…。
 

 
2002/02/10(日) 共感する細胞


 寒い日。
 朝から百舌の声がする。
 午後には少し雪もちらついた。
 ストーブの前で本を読む。
 そうして日が暮れた。

 休みの終わりはいつも、為すところなく日が暮れたという感になる。
 やりたいこと、やるべきこと、やり残したことの前で途方に暮れる。
 たぶん、未来にじかに晒されるからだろう。
 こんな不安定な虚時間があるから言葉は始まる。

 取り溜めしておいた録画ビデオでミラーニューロンのことを知る。
 ミラーニューロンとは、他人の行動をあたかも自分の行動のように感じ取ることが出来る脳内細胞のことだ。
 1998年にイタリアの科学者がサルの脳を研究していて偶然発見し、発表した。
 遺伝子の二重らせん構造の発見に匹敵するぐらいの大発見と言われる。
 子どもは大人の物真似をすることによってこの細胞を発達させ、成長してゆく。

 はっとしたのは、このミラーニューロンがある脳の場所が、言語に関係すると言われるブローカ野(運動性言語野)にあることだ。本来ここは、言葉を話すときに働く部分だ。

 言葉と共感の細胞的場が同じであること。
 言葉は私からというよりも、あなたへの共感から始まったと言うこと。
 言葉はそこで発達して還り、私の思考になったということ。

 だからなのだろう、名付けようのないもの、不安定で虚ろなもの、未知なもの、心細いものに出会うと、言葉を立てたくなる。そのようにして自分を確かめたくなる。

 なぜなら私とは、あなたへの共感の中で作り上げられた言葉なのだから。
 言葉だけがある。
 

 
2002/02/11(月) 白梅


 大きな白梅のとなり、
 ヤマモモの剪定をする。
 ときおり木のふところから
 枝葉を通して梅の花を見る。
 梅の花は梅の花だけれど、
 それがそれ以上になる時がある。
 風景の、
 質感のようなもの、
 有ることの、
 広がりのようなもの。
 樹冠から身を乗り出すと、
 花びらや蕾がすぐそばにある。
 大きく息を吸って、
 梅の花、梅の花、梅の花、空、
 光。
 

 
2002/02/12(火) 五郎太石


 からはまの掃除。
 五郎太をひとつひとつ撫でながら、枯葉や泥を取ってゆく。
 石どうしをコツコツ打ち付けて、ぽいと向こうへ放り寄せ、ゴミを手箒で取ってゆく。
 コツコツ、コツコツ、サッサ、コツコツ、コツコツ、サッサ、
 バサッ、とパイスケに空け、一杯になったら運ぶ。
 それを日がな一日。
 ハサミムシ、ミミズが何匹か出てきた。
 冬ごもりしていた小さなものたち。
 死角の方には名の知らぬ鳥が、チョイチョイ、チョイチョイと…。

 ごろごろごろごろ五郎太石。
 なんで五郎太と名付けられた?

 このあいだ古新聞を読んでいたら、聾で女優の忍足亜希子という人がこんなことを言っていた。

 子どもの頃から耳が聞こえなかったので、マンガの擬音語、擬態語は、実際の音を想像するよいテキストだった。だから、「雪がこんこんと降る」、「あたりがシーンとする」といった擬態語は実際に、「こんこん」「シーン」と言う音がしているんだと思っていた。

 擬態語は、手元の辞書では『視覚・触覚など聴覚以外の感覚印象をことばで表現した語。「にやにや」「ふらふら」「ゆったり」の類』とある。

 忍足亜希子は「にやにや」した人、「ふらふら」した人、「ゆったり」した人の周りにはこんな音がしていると思っていたのだ。なんて素敵なことだろう。

 五郎太石は、動かなくても、ごろごろした音が聞こえるから、ゴロタ石なんだな。
 

 
2002/02/13(水) フラジャイル


 近ごろ坂道の上り下りがハードに感じる。
 もう若くはないのか。
 そう思っていたら、自転車の空気が抜けていた。
 チャップリンのような膝腰でぱんぱんに空気を入れる。
 もう青春の走りだ。

 機械も道具も人も壊れやすいからメンテナンスが大切だ。
 それで久しぶりに「極楽湯」へ行った。
 打たせ湯に頭やうなじや背骨を打たせ、腕や足や腰を打たせる。
 色々なイメージ…。
 臨死体験は、脳の一部を人為的に刺激すればいつでも可能だという。
 ただ、なぜそういう体験、イメージになるかは分かっていないのだという。

 サウナから露天に出、身体中から湯気を放射して薄い星を見る。
 気圏の底から宇宙を見れば、まるで自分は深海魚だ。
 水圧の底と気圧の底、深海魚がときおり光を明滅させるように、意識を研いで何かを感じる。
 壊れやすいものたち。
 死に行くものたち。
 日々が過ぎゆくことは美しい偽りだ。
 

 
2002/02/14(木) 草原の人


 モミジの枝を鋏むと、みるみる水が溢れ出た。
 舐めてみたら少し渋い味がした。
 このところの好天でもう根が動きはじめたのだろう。
 ふるえるような細根が大地に吸い付いている。
 こくこくと水を飲んでいる。

 梅の香の方からカタカタ、カタカタ、と早い音がするので何かと思った。
 茶褐色のスズメ大の小鳥だった。
 尻尾を振りながら声を出す。
 図鑑で調べたらウグイスらしい。
 ウグイスはいわゆるウグイス色しているのかと思ったら、それはメジロの方で、ウグイスは笹藪の中などで地味な色をしているのだと言う。
 ウグイスの地鳴きは、チャッチャ、チャッチャとある。
 カタカタ、とは違うなあ…。

 小鳥ひとつをとっても身近なものが見えていない。
 周りが見えるということは大切なことだ。

 このあいだテレビでモンゴルの遊牧民が羊を屠(ほふ)る情景を映していた。
 草原の人は生きたままの羊の胸に10cmほど刃を入れ、手で心臓を探り、動脈を締めた。
 静かに作業は行われた。
 羊はほとんど暴れることをしなかった。
 地に一滴の血をこぼすことなく羊は屠られた。

 この人は草原にあるもの総てに知悉している。
 羊を眠らせるように殺し、たぶん自分も眠るように死んでゆくのだと思った。
 

 
2002/02/16(土) ネコヤナギ


 新築マンションの客土と植栽。
 ダンプの上から一輪車に黒土を下ろす。
 風邪気味なのに汗をかいた。
 隣は洗車場で、30前後のお父さんだかお兄さんが、念入りにクルマを磨いている。
 それぞれがめいめい自分の仕事に没頭しているのだが、こちらから見るとみな同じ種族に見える。

 去年植栽工事した公園の枯れ補償の調査。
 ネコヤナギがちゃんと和毛(にこげ)を出していた。
 それに「よしよし」と頬ずりする。
 私はそういう種族。


 (前回の梅にウグイスは、ジョウビタキの♀ではないかとメールで教えていただきました。手元の図鑑とインターネット検索で調べてみたら、まず間違いないようです。「鳴き声が火打ち石を叩く音に似ているからヒタキ(火焚き)と付けられた」とありました。)
 

 
2002/02/17(日) 辺見庸の穴


 朝寝した後は夢をはっきり覚えている。
 作家の辺見庸が現場に手伝いに来た。
 案内していると後ろの土がごそっと落ちた。
 中に川が流れ、空があった。
 まずいものを見られた、
 そう思ったところで目が覚めた。

 日曜日は家事当番。
 洗濯機の水がチョロチョロしか出ないのに業を煮やす。
 「10万円貯まります」の貯金箱壊して買い換えようと思ったが、ねじ回しまわして蓋を開け調節したら簡単に直った。
 
 昼頃、客から処分してくれと頼まれた自転車があるので取りに来ないかと仲間の植木屋に言われ、軽トラで隣町まで取りに行った。
 丸石の自転車。サビだらけで後ろのタイヤとブレーキワイヤがいかれていたが、カミさんは喜んだ。
 その後、隣町の図書館へ初めてゆく。
 この町より数段良く、カミさん興奮してファイティングポーズをとった。
 私は西岡常一の「道具と技術」というビデオを借りて興奮した。

 夜、新しく取り替えた枇杷の葉風呂に入っていると宅配便が来た。
 またバラの花。
 カミさんはバラのインターネットショップをやっているので、資料のバラが家の中に溢れている。

 日々…。

 きょうと言う一日の質感を探りたいのだが、10年後思い出すとしたら、たぶん辺見庸の穴なんだろうな。
 

 
2002/02/18(月) 千年の匠


 久しぶりに竹垣を作る。12間。
 四つ目と鉄砲垣の合の子のようなものにする。
 午前中は温かかったが、午後から突風が吹き急に寒くなった。
 風が吹いたら太陽の色が朱色になり、それから真冬の凍てついた色になった。
 毛糸の帽子を被って墨縄を結ぶ。
 モズがキイキイ鳴いている。
 
 夕方、陽のあるうちに帰ってきのう貰った自転車のサビ落としをした。
 部材がしっかりしているものは磨けば光る。
 きのうの西岡常一のビデオで古式の鉋(カンナ)である槍鉋(ヤリガンナ)を初めて見た。
 西岡は始め文献に基づいて今の鉄材で作らせてみたが、全然切れなかった。
 そこで法隆寺改修時に出た釘を集め、刀鍛冶に打たせてやっと満足のゆく道具を作った。
 1300年前に法隆寺を建てた飛鳥の匠の技術に現代は追いつけない、と語ったと言う。
 だが、薬師寺の金堂を建て直した時、隅木を設計より5cm上げろと指示し、その理由を千年後にはちょうどよくおさまると言ったのも西岡ではなかったか。
 
 千年を相手にするとはどういうことだろう。
 それとはまた別の話だが、
 先週だったかに録って置いたドキュメンタリーに、若者の「育て直し」というのがあった。
 親の愛情が欠落したり、虐待されて育てられた若者達が、幼児からの「育て直し」を自分ですることで精神的な危機を乗り越えるという内容だった。カウンセラーの大学教授とその家族が、哺乳瓶で若者にミルクを与えたり、オムツを替える真似をしたり、絵本の読み聞かせをして、20代や30代の男女の幼児期をやり直す手助けをしていた。効果は大きく、自傷行為や対人恐怖、自殺願望の若者たちの多くを自立へと導いている。

 乳幼児期に安心して人に甘える経験が、どれだけ深い心の糧となるのか、またそれが叶えられないことが、どれだけ恐ろしい不安なのか、激しく伝わってきた。

 人が人であるためには、当たり前のような匠がいる。それは千年を相手にするようなことなのだ。
 

 
2002/02/19(火) いつの間にかもう


 きのうの竹垣の続き。
 午後から突風が吹いた。
 冬山登山のような格好で墨縄を引く。
 今日は鳥の声も聞こえない。

 小梅は妹と銀座で待ち合わせ。
 運転手付きの高級車がズラリと並んでいるので、何かと思ったらルイ・ヴィトンの店の前だったそうだ。
 元気だなぁ…。

 時代の雰囲気ということを時々考える。
 柳田国男によれば日本の人口は西南戦争の頃まで三千万人を保っていたそうだ。
 飢饉や疫病や戦乱もあったが、生産力の停滞が大きく作用していた。
 人工中絶の技術がない農村部では「間引き」が行われた。
 柳田国男が生きていた時代でも「間引き」の風習はあったそうだ。
 間引かなければ、残りが生きていけなかった。
 わずか百年前のことである。
 実際、私の祖父母の村には、座敷や竈や牛小屋には、何か濃密な魂のようなものが漂っていた。
 父母たちは7人も8人も兄弟がいて、真面目にやれば暮らし向きは少しずつよくなるのが当たり前だった。
 私の父母は中卒だけれど私の歳には小さいながらもう二軒目の家を建てていたのだ。

 NHKの深夜番組で、70年代のヒットチャートに乗せて、その当時の人々が銀座か何かを歩いている映像が延々と流れていたことがあった。
 感嘆して声が漏れてしまった。
 ついこのあいだの自分の思春期が、いつの間にかもう、向こうの歴史になってしまったからだ。
 

 
2002/02/20(水) 沈丁花


 あたたかい日和。
 管理している集合住宅の植木に施肥してまわる。
 寒肥のつもりが、もう沈丁花が香りだした。
 花の側を通るたびに香りを楽しむ。

 沈丁花は東京の香りだった。
 東北の田舎町から上京したての頃、
 路地を歩くとどこからともなく甘く濃厚な香りが届いて驚いた。
 住居が密集し、複雑な生活空間があり、人の手が行き届いている。
 そんな都市の路地、早春の気韻だった。

 いまはもうないが中野の江古田に結核の療養所があった。
 二十歳の秋に両肺に穴があいて強制入院させられた。
 半年寝て暮らすうちに、すっかり足腰が弱ってしまった。
 退院間際にリハビリを兼ねて近くの寺の境内を散歩した。
 今日のようにあたたかな日和で梅が咲いていた。
 ふらふら歩いていると息切れしてへたり込んでしまった。
 そこへ沈丁が香った。
 身に沁みた春。

 そんな日のすきま。
 

 
2002/02/21(木) 肥やし


 今日も施肥にまわる。
 木を見上げながら、この辺りが一番食べやすかろ、と穴を掘る。
 
 毎朝通る街道の先には精薄施設がある。
 バス待ちの母子が道路から少し引っ込んで手遊びをしている。
 子どもはもう青年になりかけている。
 渋滞のクルマがみな見てゆく。
 朝の聖域。

 いま使っている牛糞はその施設で作ったものだ。
 トラックに積み上げる時、生徒が一列に並んで手伝ってくれた。
 中には牛糞の袋を持ったまま逃走するものもいた。
 皆が真面目にやらないので泣き出すものもいた。 
 気持を露わにしないものはいないので、自分が申し訳なくなる。

 木は黙って枝葉を切られ、足下を穿られ、雨風を過ごし、年輪を刻む。
 百年前のあの時のあの肥やしはうまかった。
 そんなご馳走になりますように。
 

 
2002/02/23(土) 知らなかったなぁ…


 新築アパートの植栽と芝張り。
 ガラばかり出て芝の下地作りに苦労した。
 毎日春の温かさ。
 近くに古い社(やしろ)があるので一服の時に行ってみた。
 幹周り3mもあるイチョウやシイノキが、縄文土器のように滅茶苦茶な太枝を伸ばして
いた。
 お寺の木にはよく登るが、神社の木には登ったことがないなぁ…。
 社(やしろ)ってなんだろう。

 毎朝便所の中で『大工棟梁の知恵袋』森谷春夫著(講談社α文庫)というのを読んでいる。
 日本の家屋は一にも二にも湿気対策だということを知る。
 兼好法師の「家のつくりようは夏を旨とすべし」という言葉の意味がやっと腑に落ちた。
 雨を除け、通風をよくする。
 そのことで家は数代持つ。
 エアコンに合わせたような今の密閉空間が、家にも人間の身体にも良いわけがないのだ。
 知らなかったなぁ…。

 最近、自分の無知を知ることがマイブームになっている。
 身近であれば身近であるほど元気の素になる。
 

 
2002/02/24(日) こころ


 ゆうべは寝際にフィギアスケートのエキシビションを見ていて寝不足だ。
 芯が凍えた熱っぽい身体で歯科医の自宅の手入れをする。
 数少ない自分のお客。
 良くなったり悪くなったりする体調を、波のように見ながら五葉松を鋏む。
 古葉を取りながら、ぼんやりと、意識(こころ)のことを考える。
 いまこの自分の意識(こころ)が死んで無くなることの不思議を考える。
 波に揺られてふと思う。
 いまこの自分の意識(こころ)はどこまで本当に「自分の意識(こころ)」なのか。
 過去現世未来、実は何度も繰り返される同じ意識(こころ)なのではないか。
 だとすればこの私とは何なのか。
 「いま」とは「ここ」とは何なのか。
 不可思議、不可解…。 

 なんとか5時に終わらせて、旦那に「おいくらですか」と手間賃を聞かれる。
 「はい、前回と同じで…」

 ああ、また安くしてしまった。
 ほんとは相場の値段を言いたかったのに、失敗したなぁ…。
 これは間違いなく私の意識(こころ)。
 

 
2002/02/25(月) また来る春


 大きなコブシの木の下 竹を洗う
 汚れの下から浮き上がる 美しいもの
 水の 山の 草の 空の 色

 午後から中学校の桜の枝を下ろす
 桜も花芽が色づいた
 下ろした枝にも桜の花芽

 また春が来るな
 言葉がひとり恥じらうな
 色を感じるたびに こころが遠くなるのは
 きっと誰かの懐かしいこころなんだろう

 日が長くなった
 まだ明るいうちに家路を辿る
 キャベツ畑も もう終わりだ
 収穫の後 一面に散らかった葉の色がある
 

 
2002/02/26(火) やってみなくちゃわからない

 小学校の五葉松の手入れ。
 子どもたちがチャイムとともに駆け出してきて、兎のように跳ねる。
 いまの子は男の子も女の子も一緒に遊ぶんだな。
 ジャンケンしてチームに別れて、クスの木の周りを駆ける。
 みんな主人公。
 誰も見ているものはいない。
 教室からは「やってみなくちゃわからない♪」の合唱。
 う〜む。


 たまには夕食後に紅茶を飲みながら夕刊を見たりする。

 紛争がまだ続いていると信じて、6年間も山中にひとり身を潜めていたセルビア人の羊飼いが見つかった。人との付き合いは全くなく、木の実や野いちごを食べて生き延びてきたという。クロアチア人勢力に二人の兄弟を殺され、自分も投獄され、96年に脱獄して山奥に逃れた。

 三面記事には、内戦や貧困地域の支援をしてきた「国境なき医師団」のメンバーが、山谷や釜ケ崎のホームレスの支援に乗り出したとあった。低血圧で倒れてケガした男の職業は刃物研ぎ。半世紀近く砥石を背負って町々を巡ってきた。最近は注文が減り、1本500円の代金も値切られるという。 (ともに朝日新聞2/26夕刊)


 セルビアの羊飼いと山谷の刃物研ぎ、兎のように跳ねたこどもたち。
 人生がどうだかこうだか、

 「やってみなくちゃわからない♪」
 

 
2002/02/28(木) 久々の雨 細く煙る


 今日も小学校の樹木剪定。
 給食室の前のイトヒバを梳かす。
 昼に近づくにつれ良い匂いがした。
 五人くらいの小母さんがてきぱきと働いている。
 目が合うと会釈された。
 こちらもぺこりと頭を下げる。
 五人で千人からの給食を作るのだから大変だ。
 午後には厨房をぴかぴかに掃除し磨き上げて帰る。
 それを毎日繰り返している。
 ジャズシンガーの綾戸智絵が給食の小母さんをやっていたことを思い出した。

 帰り道、ゴミ車で信号待ちしていると、黒人がひとり歩道を歩いていた。
 目があったので手を挙げると、いたずらっぽく笑って会釈した。
 黒人を見るとつい挨拶してしまう。
 全くの他人なのに、いつも気持ちのいいリアクションをくれる。
 夏の暑い日に道路際の除草を延々としていたら、
 近くの鉄工所の黒人が冷たい水を差し入れてくれた。
 「暑いね、がんばるね」
 ニカッと笑う。

 植木屋はじめた頃、上野へ行ってブルースの安いCDを買い集めてよく聴いた。
 ROBERT JOHNSON, T-BONE WALKER, LIGHTNIN' HOPKINS, BIG JOE TURNER,
 ROOSEVELT SYKES, B.B.KING, LITTLE WALTER, BESSEIE SMITH,
 MUDDY WATERS, HOWLIN' WOLF, SONNY BOY WILLIAMSON U,,,

 こだわるというより、疲れた身体が欲しがった。
 言葉も解らないし、音楽も良いのだか悪いのだか解らなかったが、
 それで飲んだくれて、眠ればまた朝が来た。