被団協新聞

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「被団協」新聞2022年11月号(526号)

2022年11月号 主な内容
1面 全国の多彩な活動を交流 日本被団協全国都道府県代表者会議
原爆被害者の声をきけ 中央行動で厚労省、外務省に要請
国連原爆展 in Tokyo 開催
 11月11日~13日、日本青年館 13日に「交流のひろば」

2面 中央相談所講習会 東北ブロック 岩手で開催
ロシアの核威嚇に抗議 日本政府は役割果たせ
 平和記念公園で行動 広島

ドイツ外相から手紙 「心を揺さぶられました」 長崎
全ての公民館で原爆展 滋賀県日野町
第16回被爆者の声をうけつぐ映画祭
 核兵器使用は許さない 木戸事務局長が講演

NPTのみ重視の政府は再考を 核兵器廃絶国際デー シンポ
3面 被爆者運動に学ぶ
 ― ブックレット「被爆者からあなたに」を読んで

岐阜市教育長から感謝状 岐阜市内全中学校にパネルとパンフ寄贈 岐朋会
核兵器廃絶への誓い 兵庫県被団協慰霊祭
NYボランティアのみなさん、ありがとう!
NYから
西山すすむさん 死去
4面 非核水夫の海上通信(219)
被爆者運動を支援したアントニオ猪木さん
相談のまど
 被爆者の葬祭料
 コロナ感染で死亡の場合の支給は?

 

全国の多彩な活動を交流
日本被団協全国都道府県代表者会議

高齢化による組織の担い手減少の中で
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 日本被団協全国都道府県代表者会議が10月4日と5日、東京・港区のチサンホテル浜松町で開催され、21都道府県の代表ほか全国から約60人が参加しました。

国際会議報告

 はじめに核兵器禁止条約締約国会議(ウィーン)に参加した家島昌志代表理事と、NPT再検討会議(ニューヨーク)に参加した和田征子事務局次長の報告がありました。
 家島代表理事は、中満泉国連上級代表や各国の大使と懇談し、「日本の不参加を各国から指摘された。“橋わたし”というなら、せめてオブザーバーで参加すべきだ」と強く訴えました。
 和田事務局次長は、国連ロビーでの原爆展開催、学生や宗教者の集会での証言活動ほかを報告。「日本政府がいちばん冷たい対応だった。核兵器禁止条約を日本政府に批准させることを改めて決意した」と述べました。

全国活動交流

 会議では、参加した全ての都道府県の代表が発言しました。高齢化がすすむ被爆者団体の実情を出し合い、どんな将来展望を描くのかが話し合われました。ある県の代表は「高齢で亡くなる人が多く会員が少なくなっているが、会員が一人になるまで解散しない。生きている限り日本被団協とともに運動していく」と発言。「高齢で組織の担い手が少なくなっている。二世も役員になっているが、もっと広げたい」「55年間『被爆者行脚』を取り組んでいる」「証言ビデオをつくり学校で活用してもらっている」など、困難を抱えながらも支援者の協力も得た多彩な取り組みの報告があり、全国的な活動交流となりました。
 これらの討論を受けて木戸季市事務局長は「ヒバクシャ国際署名を契機に他団体などとの協同行動がすすんだ。被爆者運動を国民運動とする条件はある。2年後の総会で被爆80年以降の新たな運動方針をつくりあげたい」と述べました。

活動維持募金の取り組み

 財政報告では、「昨年度は平和基金を取り崩さずに決算できた。維持募金のおかげだ」と報告され、引き続き活動維持募金に取り組むことが確認されました。

被団協運動の学習

 濱住治郎事務局次長が「被団協運動67年~ブックレット『被爆者からあなたに』を学ぶ運動」を提起。日本青年団協議会で「輪読」で読み進めた経験が語られました。

2つのアピール

 2日目には、2つのアピールが参加者一同の拍手で採択されました。「核兵器禁止条約に署名・批准することを日本政府に強く求める」と、「ウクライナ戦争の一刻も早い終結を求める」です(2面に要旨)。
 なお、会議初日の冒頭に、原水爆禁止日本協議会の安井正和事務局長が田中熙巳代表委員に被爆者支援の募金100万円を手渡し、連帯のあいさつがありました。


全国都道府県代表者会議アピール 要旨

核兵器禁止条約に署名、批准することを日本政府に強く求めます

 広島・長崎への米国による原爆投下から77年の今年、大きな二つの国際会議が開催されました。核兵器禁止条約の「第1回締約国会議」と、「第10回NPT再検討会議」です。これらの会議に先立つ2月、ロシアによるウクライナ侵攻が始まりました。プーチン大統領の核兵器の使用に関しての発言はエスカレートしています。
 締約国会議では、「ウィーン宣言」と50項目に及ぶ「行動計画」が採択され、成功裏に終了しました。しかし日本政府は、被爆者の度重なる要請にも応えず署名、批准はもとより、オブザーバーとしての参加もしませんでした。8月のNPT再検討会議で岸田総理が一般討論演説の第一に挙げたのは「核兵器不使用の継続性の重要性の共有」でした。ここに核廃絶の意志は感じられませんし、「皆さんとゴールは同じ」という言葉に説得力はありません。アメリカの核の傘の下で、国の安全保障を得ようとする政策は矛盾しています。核に守られているという核抑止論の破綻は、今回のロシアの言動で明らかになりました。
 核兵器禁止条約に署名も批准もしないで、どのように唯一の戦争被爆国として、非核保有国の信頼を得ることができるのでしょうか。核兵器は絶対悪の非人道兵器であることを、被爆者は誰よりも知っています。そのことを外交によって世界に訴えることこそ戦争被爆国日本の役目であり、日本だからこそ担うべき大きな責任です。
 日本政府に核兵器禁止条約に署名、批准をすることを強く求めます。


ウクライナ戦争の一刻も早い終結を求めます

 2月24日のロシアによるウクライナ侵攻から7カ月余、戦争は長期戦の様相を呈しています。ウクライナのゼレンスキー大統領は徹底抗戦の姿勢を崩していませんし、アメリカをはじめとするNATO諸国は武器の供与を強め、戦争を長引かせるような行動をとっています。
 武力に対し武力で対抗しては戦争をなくすことはできません。話し合い・対話が戦争をなくす唯一の道です。
 被爆者は、いかなる名目であれ、核兵器を認めることはできません。核戦争を起こしてはなりません。地球上の核兵器がすべて廃絶されるまで、被爆者は、諦めることなく叫び続けます。
 被爆者は、1956年8月10日、日本被団協を結成し、「私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い」、「ふたたび被爆者をつくらない」ために、「核兵器の廃絶と原爆被害への国家補償」を求めてきました。
 世界はいま、核兵器のない世界に向かって大きく前進しています。
 第1回核兵器禁止条約締約国会議の「ウィーン宣言」は、「私たちは、最後の国が条約に参加し、最後の核弾頭が解体・破壊され、地球上から核兵器が完全に廃絶されるまで、休むことはないだろう」と結んでいます。
 世界の圧倒的多数の人と国は、核兵器も戦争もない世界を望んでいます。ロシアと米英仏中など核保有国の「核抑止論」政策は人類を滅亡の危機にさらしています。
 被爆者は、ロシア、ウクライナが即刻戦争を終結し、核兵器と戦争の危機から人類を救うことを求めます。


原爆被害者の声をきけ
中央行動で厚労省、外務省に要請

 日本被団協は代表者会議翌日の10月6日、約60人が衆院第1議員会館会議室で中央行動を行ないました。午前11時から1時間厚生労働省交渉、午後2時半から1時間は外務省交渉でした。

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厚労省交渉
厚労省交渉

 岡野和薫原子爆弾被爆者援護対策室長ほか6人が出席。要請について岡野室長が回答しました。
 現行法を国家補償に基づく法律に改正することについては、現行法の前文に「国の責任において」と明記された考え方に基づいて被爆者援護に努めると回答。そのほかの要求にも多くの言葉を費やした説明がありましたが、6月の交渉時と同様、積極的回答はありませんでした。
 これに対し木戸季市事務局長が「被爆者や二世が当事者として、私はこうなんですよと訴えているのに耳をかさない。放影研のいうことは聞く。なぜ、当事者の声を聞かないのか。その姿勢を変えていただきたい」と語気強く訴えました。

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外務省交渉
外務省交渉

 外務省から伊藤茂樹軍縮科学部審議官ほか1人が出席。核兵器禁止条約については、核兵器国が1国も参加していない条約であり、現実を変えるために核兵器国を関与させる努力をしたい、現実的かつ実践的に取り組みをすすめる、と述べました。「外務省内で原爆展開催を」の要請には、何ができるか考えていきたい、と回答しました。
 参加者との意見交換のあと、木戸事務局長が「現実を変えるという気概が伝わってこない。日米同盟が大事か、日本国憲法が大事か。憲法がでてこないのが残念」と結びました。


国連原爆展 in Tokyo 開催
11月11日~13日、日本青年館
13日に「交流のひろば」

 8月にニューヨークの国連本部で開催された原爆展パネルが10月に日本に到着し、国内で初めての展示が11月11日~13日、日本青年館で行なわれます。日本青年団協議会、日本生協連、東京都生協連、全国大学生協連、記憶遺産を継承する会、首都圏(東京、神奈川、千葉、埼玉)の被爆者の会と日本被団協が参加する実行委員会主催です。
 13日には「交流のひろば」が、日本青年館の会場とオンラインで開かれます。これまでに4回開催してきた国連原爆展と日本被団協の国際活動について、ニューヨークや長崎からも話題提供者を迎えて語り合います。
 なお実行委員会ではこの展示の費用捻出のためクラウドファンディングに取り組んでおり、幅広い協力を呼びかけています。
 ★国連原爆展inTOKYO=11月11日~13日、10時~19時(13日は18時まで)、日本青年館(東京都新宿区霞ヶ丘町4―1)、入場無料
 ★交流のひろば=11月13日13時~16時、日本青年館、要申込
 クラウドファンディング、交流のひろば参加申し込みについては、ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会HPをご覧ください。(電話03―5216―7757)


中央相談所講習会
東北ブロック 岩手で開催

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 東北ブロック中央相談所講習会が9月27・28日の2日間、岩手県を会場に開催されました。山形を除く東北5県から17人と日本被団協木戸季市事務局長、中央相談所原玲子委員が参加しました。
 高齢化する被爆者の援護・医療・介護問題を原委員が講話。木戸事務局長はこの間、自ら参加した国際会議の内容含め、日本被団協の果たしている役割を力強く語りました。夜は食事を取りながらの懇親会で、参加者全員が交流しました。2日目の活動交流会では、この一年間の活動を各県の代表が資料も使いながら熱っぽく語りました。
(下村次弘)


ロシアの核威嚇に抗議 日本政府は役割果たせ
平和記念公園で行動

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広島

 ロシアのプーチン大統領の度重なる核兵器の威嚇に抗議し、日本政府に核兵器禁止条約への署名、批准を求めて、広島被爆者7団体などは9月22日、平和記念公園で署名活動をしました。
 広島県生協連の代表や平和キャラクターも支援参加。核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議がロシアの反対で最終文書合意がならず、プーチン大統領が核兵器使用を示唆する演説をしたことに憤りの声を上げました。
 核兵器禁止条約の必要性がますます高まっているにもかかわらず、日本政府は条約に背を向け続けています。
 参加者は政府に条約の批准を求める横断幕を掲げ、マイクでリレートーク。岸田文雄首相にロシアへの働きかけ、核軍縮、条約参加などへ向けた具体的な「橋渡し」を次々と訴えました。日本被団協の箕牧智之代表委員は「核兵器廃絶へ苦難の道が続くが、地道に運動を続けよう」と呼びかけました。(田中聰司)


ドイツ外相から手紙
「心を揺さぶられました」

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ドイツ外相直筆サイン入りの手紙
長崎

 ドイツのアナレーナ・ベアボック外相から長崎被災協の田中重光会長に「お礼の手紙」が届きました。ベアボック外相は東京での林芳正外相との会談に先立つ7月10日、長崎を訪れ原爆資料館や国立原爆死没者追悼平和祈念館を訪問。資料館で田中会長から被爆体験を聴いていました。
 「ドイツに帰国した今もなお、長崎を訪れた際に見聞きしたことや長崎原爆資料館で田中様とお話したことが脳裏から離れません。館内の展示に衝撃を受けただけでなく、原爆が投下されたあの日を経験された被爆者の方から直接お話を伺い、私自身とても心を揺さぶられました。(中略)
 揺るぎない信念、そして平和と軍縮への絶え間ない取り組み、また被爆の実態を伝え、警鐘を鳴らし続けている田中様に心から敬意を表し、感謝申し上げます(後略)」など感謝の言葉がつづられていました。
(長崎被災協)


全ての公民館で原爆展
滋賀県日野町

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 日野町平和委員会は、日本被団協の「原爆と人間」パネルを7月に購入し、8月から10月に町内全公民館での「原爆写真展」を開催。多くの町民のみなさんに原爆被害の実相を知らせ、核兵器の廃絶を訴えました。
 多くの方から感想が寄せられ、反響の大きさが実感されました。「ウクライナ支援のひまわり畑とコラボして展示したい」との声や、教育関係者から「パネルを借用して中学生に『人権週間』の一環として見せたい」など、うれしい反応が寄せられました。
 なお、開催にあたっては、町教育委員会や公民館の協力がありました。
 (事務局・藤岡博)


第16回被爆者の声をうけつぐ映画祭
核兵器使用は許さない
木戸事務局長が講演

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 第16回被爆者の声をうけつぐ映画祭が10月8日と9日、武蔵大学江古田キャンパスで開催され、のべ500人近い参加がありました。最終プログラム「核兵器禁止条約と日本」の講演に、日本被団協の木戸季市事務局長に登場いただきました。
 木戸さんのお話は、ウクライナに侵攻し核兵器使用で恫喝するプーチンへの激しい怒りから始まりました。「人類滅亡につながる行為として到底許されることではない!」と、震える声で訴えられました。また、日本被団協として10月5日に抗議声明「ウクライナ戦争の一刻も早い終結を求めます」を発表したことを、「被団協」新聞とともに紹介しました。
 第1回核兵器禁止条約締約国会議(ウィーン)と第10回NPT再検討会議(ニューヨーク)に参加して、「人間として生きることも死ぬことも許さなかったのが核兵器」と証言したことや、国連常任理事国ではない国々とNGOが核兵器廃絶の運動をリードしているなか、被爆国でありながら核兵器を容認し続ける日本政府への憤りを隠しませんでした。「まもなく被爆80周年を迎えます。あと10年はがんばりたい!」と力強く語った木戸さんに、参加者は大きな拍手で応えました。
(有原誠治)


NPTのみ重視の政府は再考を
核兵器廃絶国際デー シンポ

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 核兵器廃絶国際デーを記念して9月23日、オンラインシンポジウムを開催しました。核兵器廃絶日本NGO連絡会主催、国連広報センター共催でKNOW NUKES TOKYOが企画・運営に協力しました。
 冒頭、核兵器禁止条約の第1回締約国会議と第10回NPT再検討会議に参加した学生4人が、会議の成果について報告しました。
 外務省の伊藤茂樹軍縮不拡散・科学部審議官は「核兵器の非人道性を伝え続ける」としつつ、核禁条約には核保有国が参加していないとして、NPTの重要性を強調。それに対し日本被団協の和田征子事務局次長は、「2つの条約には補完性がある」と断言、再考を求めました。(徳田悠希)


被爆者運動に学ぶ ― ブックレット「被爆者からあなたに」を読んで
今、求められている一冊

中村典子 兵庫県被爆二世の会会長(兵庫県被団協常任理事)
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 「ヒバクシャの話をきこう」という被爆証言会を8月に神戸市内で、兵庫県被爆二世の会が開きました。参加者120人のほとんどが、初めて被爆者の話を聞かれました。会場に置いていたブックレット『被爆者からあなたに』が、完売しました。今、被爆者の運動、言葉に関心が集まっています。核戦争が現実の問題になって、多くの方が当事者意識を持たれているのです。ブックレットは、歴史の本としてだけでなく、被爆者の切実な声が入った証言集とも言えます。
 この77年間、核兵器が使用されなかったのは、被爆者のこの様な地道な活動のおかげです。被爆者には、10年間もなんの援助も無かった、という信じられない状況から立ち上がり、人として高い志を持ち続けてこられました。尊敬の念に絶えません。「核なき世界」の扉を開く鍵は、この1冊です。


岐阜市教育長から感謝状
岐阜市内全中学校にパネルとパンフ寄贈

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岐朋会

 岐阜県原爆被爆者の会(岐朋会)は、岐阜市内中学23校へ「原爆と人間」パネルと同パンフレット50冊を1セットとして各校に寄贈しました。これを受け10月11日、岐阜市の水川和彦教育長(写真中央)から岐朋会に感謝状が贈呈されました。
 岐阜市内の被爆二世から岐朋会に「若者に核のことを深く学んでもらえるよう、父の遺産を役立ててほしい」と100万円の寄付があり、使い道について相談したところ寄付者から「岐阜市内23の中学校に『原爆と人間』パネルを贈りたい。学習が深まるようパンフレット50冊もセットで」と具体的な要望が出されました。6月に「被爆者の願いを継承する岐阜県民の会」共同代表のお一人で元岐阜市教育長の安藤征治さんと共に岐阜市の水川教育長に寄贈を受け入れていただくようお願いし、9月末に「校長会を経て受け入れの態勢が整った」との連絡を受け日本被団協に発送依頼。10月初旬には各中学校に届きました。
 11日の感謝状贈呈で水川教育長は、「中学15校が広島へ修学旅行に行っており、教材を探している時にすばらしいパネルとパンフレットをいただいたと感謝の言葉が届いている。心の声で語る被爆者の言葉をしっかりと聴き、寄贈者の思いを受け止め、平和な未来づくりのために活用させていただきたい」と語りました。(今井雅巳)


核兵器廃絶への誓い
兵庫県被団協慰霊祭

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 兵庫被団協は10月8日県原爆死没者追悼慰霊祭を神戸市立婦人会館で開催。13人の来賓はじめ40人が参列し、国会議員、県議、市議、市長、町長から29通のメッセージが寄せられました。
 立川重則理事長の式辞に続き、遺族代表の貞清百合子さんが追悼の詞、8人の来賓の方からの追悼の詞、追悼メッセージ紹介のあと、参列者が碑前に献花しました。
 ロシアによるウクライナ侵略と核威嚇の深刻な現実を前に、「核兵器は『絶対悪』であり禁止し廃絶するしかない」思いを改めて碑の前に誓い合いました。(副島圀義)


NYボランティアのみなさん、ありがとう!

 8月の日本被団協ニューヨーク行動では、現地のみなさんに大変お世話になりました。
 中心となって動いてくださった遠山京子さん。通訳として、ストローはつ代さん、富岡美智子さん、プラー久美子さん、遠藤真理子さん、今道友昭さん、長野友雅さん。原爆展開会式の司会を務めてくださったノーリーン・スルタナさん。原爆展デザイナーのプラット恵理子さんも遠山さんとともに空港への送迎やPCR検査の手配など…。みなさんの支えに、心から感謝申し上げます。
(日本被団協代表団)


NYから

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ノーリーンさん(左から2人目)

世界を救うため

ノーリーン・スルタナ(ハンター大学・開会式で司会)

 濱住さんのお父さんを亡くされた時のお話は、大変悲痛な気持ちになりました。和田さんのお母様が恐怖の光景を目の当たりにしたというお話、とても恐ろしく感じました。また「NPT発効から52年間、世界は何をしてきたのか」との問いかけはとても重要で、真剣に検討し答えをださなくてはいけないことだと思います。
 原爆展は内容も情報も恐ろしかったです。美しい街が塵と無に変わり、不毛の土地に変化した様子が見えました。ヒバクシャの方々が直面した経験をこれ以上だれも経験することがあってはいけません。原爆展の開会式典で木戸さんがおっしゃったように、「ノーモア広島、ノーモア長崎、ノーモアウオー、ノーモアヒバクシャ」―これ以上広島、長崎のようなことがあってはならず、そして戦争、被爆者もつくってはいけません。核兵器のない世界は、本当に世界を人類の絶滅から救うことができるのです。

若者に伝えてくださり感謝

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エリックさん(右から2人目)
エリック・ホルツクロー(NY市立大学)

 8月5日に国連を訪問する機会を与えられたことに、心より感謝しています。様々な評議会会場を案内されたツアーは、非常に勉強になり刺激的なものでした。
 特に、平和主義を軸に生きている僕の見解とマンハッタン計画を練っていた人達の関与に思いを馳せながら参加した、ロビーでの原爆展の式典と展示は非常に感動的でした。ヒバクシャの方々の恐ろしい経験の話には心を打たれ、勇気を出して我々若者に分かち合ってくださったことに感謝いたします。

貴重な体験、将来に生かしたい

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アントネットさん(左)
アントネット・ガードナー(NY市立大学)

 このような重要なイベントに参加できたことを非常に嬉しく光栄に思います。日本からのお客様を迎え、歴史に刻みこまれる日だったでしょう。原爆展の開会式典のあった場所は、とても重厚で、かつ感動的でした。
 原爆に関しては、1945年に、広島で14万人、長崎で7万人の原爆関連死が確認されたことは、かなりひどいことで、憂鬱になります。
 このような素晴らしい学びの場に参加できる機会を作ってくださった遠山京子先生に感謝の意を表します。また、今回の催しの成功のために陰でお働きくださった皆さんにも感謝いたします。
 この貴重な時間を大切にし、将来に生かしていきたいと思います。


西山すすむさん 死去

 1979年11月から2021年5月まで本紙4コマ漫画「おり鶴さん」を連載していた漫画家西山すすむさんが、10月6日、福岡市内の病院で死去。94歳でした。
 大分県四日市町(現宇佐市)出身。17歳のとき勤務先だった長崎市の三菱重工業長崎造船所(爆心地から約3・5キロ)で被爆。翌日、爆心地近くの工場に救援に入りました。
 25歳の時に漫画家を志して上京。1975年から福岡に移住する93年まで千葉県松戸市に居住し千葉県原爆被爆者友愛会で役員も務めました。
 日本被団協では85年から87年に事務局次長、2002年から03年に代表理事。機関紙編集委員として「被団協」新聞に4コマ漫画だけでなく、「おり鶴さん熊本被爆者相談所をたずねる」「おり鶴さんシリアをゆく」などイラスト入りの記事も手掛けたほか「被団協のあゆみ双六」、「目で見る基本要求」など、数々の仕事を残しました。
 日本漫画家協会(理事長・里中満智子)に所属し、21年から名誉会員。


西山さんへの手紙
吉田一人

西山すすむさま
 『被団協』連載を柱にした『おり鶴さん―漫画で描き続けた被爆者の戦後』(書肆侃侃房・1500円)は、被爆体験記なども収めて西山さんの見事な遺作集になりましたね。
 巻末の年譜には1979年に〈連合通信社で西山さんを担当していた記者で長崎の原爆被爆者・吉田一人さんを通じて被団協に出入りするようになる。「被団協」新聞11月号から「おり鶴さん」連載開始〉とあります。
 それから昨2021年5月号(508号)まで501回!まさに『被団協』におり鶴の羽を刻んできたのです。
 それだけではありません。
 『被団協』の大きな特集図解なども、議論を重ねて何度も書き直してくれました。小さなカットも瞬く間に…。
 そう言えばぼくが書いていた『吉田一人のひとりごと』のタイトルもありがとう。
 たくさんのお便りもいただきましたね。封書55通・葉書52通が手元にあります。全部漫画入り。
その1通―
絵筆を担いだ西山さんがペンを手にした私に「お先に行ったときはごめんなさい」。空の上には肥田舜太郎先生が「あの二人はもうすぐ来るよ」、だって。
 西山さん、そちらで『おり鶴しんぶん』を出しながら、もうちょっと待ってください。


被爆者運動を支援したアントニオ猪木さん

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(左から)アントニオ猪木さん、
伊東壮さん、岩佐幹三さん、
(後列左)藤平典さん
(1982年4月1日両国国技館)

 プロレスラーのアントニオ猪木さんが10月1日79歳で亡くなりました。
 猪木さんは被爆者運動を支援し、1982年4月に自ら30万円、関係者から集めた26万円、計56万円を被団協に寄付。
 贈呈式は同年4月1日に国技館で行なわれ、伊東壮代表委員らが興行中のリングに上がって寄付金を受け取りました。
 「そのころ、原爆被害の実相を国際的に広めようと被団協が作成した日英独3カ国語版の写真パンフレット『HIBAKUSHA』への激励でした。広範な市民の支援の輪が大きく広がり、とても心強かったことを思い出します」(吉田一人さん、当時の事務局次長)。寄付はその後も続き、1年間で195万円になりました。
 アントニオ猪木さんのご冥福をお祈りいたします。


相談のまど
 被爆者の葬祭料
 コロナ感染で死亡の場合の支給は?

 【問】肝硬変の治療のため入院されていた会員さんのご家族からの相談です。入院治療中にコロナに感染し、亡くなられたとのこと。この場合、葬祭料は支給されるでしょうか。(県相談員)

*  *  *

 【答】コロナ感染の第7波では、コロナ感染での重症化はなくても基礎疾患のある高齢者が急変して亡くなり、これまでになく死亡者数が多いといわれています。
 入院中の感染で亡くなるとは、ご本人もご家族も思いもよらなかったでしょう。
 被爆者が亡くなった場合、葬祭をおこなった人に対して葬祭料が支給されます。ただし、死因が被爆以前からの病気、交通事故、天災など原子爆弾の傷害作用の影響によらないことが明らかな時には請求できないとされています。 
 しかし、厚生省の昭和44年衛発第五四三号第三通知では、自殺や交通事故などでもその原因が原子爆弾による病気やけがによる時は支給する、としています。
 「コロナ感染による死亡」ということだけをみると、原爆の傷害作用とは関係ないと判断してしまいそうですが、ご相談の会員さんの場合は肝硬変治療のために入院されていたとのことなので、この通知が適用されると思います。死亡診断書に「肝硬変で入院治療中」だったことを記載してもらってください。
 コロナ感染が広がってから亡くなられた被爆者の中にはこうしたケースがあると思われます。被爆者の会として、地元の行政担当者と話し合っておくことが大切です。