被団協新聞

トップ >> 日本被団協について >> 被団協新聞 >> 「被団協」新聞2022年8月号(523号)

「被団協」新聞2022年8月号(523号)

2022年8月号 主な内容
1面 被爆者―核兵器廃絶にとりくむ勇気ある人々 国連原爆展開催中
2面 NPT再検討会議・国連原爆展 日本被団協代表がニューヨークへ
ねばり強くがんばりましょう 代表委員就任にあたって 箕牧 智之
新しい息吹 被爆者二世が 高校生が 北海道庁で原爆展
市長、知事に要請 2つの国際会議に向け 広島被爆者7団体
平和美術展開催 東京・上野で8月5日~12日
3面 核兵器禁止・廃絶を 新しいビラで署名活動 兵庫県被団協
『被爆者からあなたに―いま伝えたいこと』 英訳が完成 ホームページに掲載
手帳所持者数11万8935人 2021年度末 平均年齢84.53歳
非核水夫の海上通信(216)
4面 核兵器の非人道性訴え、交流 核兵器禁止条約第1回締約国会議<ウィーン>
5面 日本政府の「受忍論」を批判 木戸季市(日本被団協事務局長)
7面 どう伝える―被爆者の願いと実相 被爆の記憶のない被爆者学習会 東京
国の二世対策など 公開講座を開催 神奈川二世・三世支部
8面 相談のまど
 生活保護を受けています。医療特別手当は収入認定されますか?

原稿募集

 

被爆者―核兵器廃絶にとりくむ勇気ある人々

国連原爆展開催中

 今、核兵器のない世界に向けた潮流が大きく動いている。私たち被爆者は、この流れを加速させて1日も早く核兵器がなくなる日を迎えるために、さらなる力を尽くしたい。
 核兵器も戦争もない平和な世界の実現を願って生き続けてきた被爆者と、世界の人々が手を携えて、その実現のためにともに歩みたい。


NPT再検討会議・国連原爆展
 日本被団協代表がニューヨークへ

 2020年4月から新型コロナウイルス感染爆発によって延期になっていたNPT再検討会議が8月1日~26日、ニューヨークの国連本部で開催されます。
 日本被団協は2日~9日、木戸季市事務局長ほか代表4人(事務局含む)を送り、NGOセッションでの発言や会議傍聴のほか、市民との交流・証言活動を行ないます。
 国連本部ロビーでの原爆展は、昨年12月に一度開催しましたが、国連側の好意で再度8月5日~9月2日の日程で開催できることになりました。日本被団協主催、広島市・長崎市共催。5日のオープニングセレモニーには、NPT再検討会議のスラウビネン議長が出席しあいさつを予定しています。


ねばり強くがんばりましょう

代表委員就任にあたって 箕牧 智之
Photo

 長年代表委員を務められた広島の坪井直さんが昨年亡くなられました。本年6月の日本被団協の総会で私が代表委員に就任ということになりました。どうぞよろしくお願い致します。
 私たちの主たる運動の一つは、核兵器の廃絶を目指す運動です。これは世界を相手の運動でありなかなか思うようにいかない現実があります。そんな中「核兵器禁止条約」が国連で採択され、発効したこと、そして第1回の締約国会議が開催されたことは大きな喜びです。批准した66カ国の市民と政治主導者の皆様方には感謝申し上げます。
 一方、この条約に背を向ける日本には怒りばかりです。6月に開かれた第1回締約国会議へのオブザーバー参加国が30カ国を超えた中で、日本の存在感はなお薄れるばかりです。
 私たちはこれからもねばり強く署名活動ほかあらゆる運動を起こして日本政府そして核保有国が署名、批准するまで頑張りましょう。


Photo
Photo

新しい息吹
 被爆者二世が 高校生が

北海道庁で原爆展

 全国の被爆者数が12万人を切り被爆者の高齢化がいっそう進んでいます。北海道の被爆者は217人、平均年齢は85・38歳になりました。被爆者のこれまでの歩みと思いをどう継承するかは大きな課題です。
 北海道被爆者協会は7月21~22日、今年も道庁のロビーで「被爆の証言と原爆展」を実施しました。通算8回目、被爆二世プラスの会との共催になって5年目です。
 今年の特徴のひとつは、初日に被爆者4人が被爆体験を語り、2日目は被爆二世4人が親の被爆体験と二世の思いを語るようにしたことです。メディアを含めて参加者の大きな注目を浴びました。二世は継承の課題を追求し続けています。
 もうひとつは、高校生が学校祭で作ったジオラマ「もし札幌駅上空でヒロシマ型原爆が炸裂したら」が特別出品されたことです。爆撃による破壊の有様を細かく地図に再現、キノコ雲と合わせて圧倒的な迫力で見る者に迫りました。
 来場者は600人を超え、学生をはじめ多彩な人々が真剣にパネルを読み、被爆者と二世の話に耳を傾けました。運動の新しい息吹を感じた2日間でした。(北明邦雄)


Photo
Photo
市長、知事に要請
 2つの国際会議に向け

広島被爆者7団体

 核兵器禁止条約の締約国会議(6月)と核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議(8月)に向けて、広島県被団協(箕牧智之理事長)など広島の被爆者7団体は6月、広島市と広島県に核兵器廃絶の取り組みを強めるなどの要望をしました。
 松井一実市長には各代表が15日、面会して要望書を提出(写真上)。世界の核被害者の救済、核軍縮、ロシアの侵略と核の威嚇の中止を求める決議などを、二つの国際会議と岸田文雄首相に要請するよう求めました。松井市長は「被爆地の思いをしっかり伝えたい」と述べました。
 湯崎英彦知事には代表7人が28日、面会して意見を交換(写真下)。県が「ひろしまイニシアチブ」に掲げた「2045年までの核兵器廃絶」の目標を前倒しする要望に対し「被爆者が1日も早く核廃絶を目にできるよう頑張りたい」と答えました。「黒い雨」被害者の被爆者認定要件11疾病の除外なども要望しました。(田中聰司)


平和美術展開催

東京・上野で8月5日~12日

 原爆死没者肖像画が展示される平和美術展(美術家平和会議主催・日本被団協ほか後援)が8月5日~12日、東京・上野の東京都美術館で開かれます。同美術展は今年70周年。特別記念講演は永田浩三武蔵大学教授の「メディアと私たちの自由を考える」で、9日午後2時から講堂で開催。
 原爆死没者肖像画は今年4点が展示されます。


核兵器禁止・廃絶を 新しいビラで署名活動

Photo
兵庫県被団協

 兵庫被団協では、新たに核兵器禁止を呼びかけるビラ(裏面には条約参加を求める日本被団協の署名用紙)を作りました。昨年から使ってきたビラの在庫が無くなったのでバージョンアップしたものです。
 友好団体等への送り状には、次のような文章を添えました。
 今あらためて、「三度許すまじ原爆を」。プーチンが「核兵器を使うぞ」と威嚇すれば、「それなら日本も核武装を」と悪乗り…。77年前に広島・長崎を、68年前にビキニを体験した日本国民としての、理解を越えたような事態が目の前に起こっています。核兵器は絶対悪、核兵器をぜったい使うな、核兵器の禁止・廃絶を―この声をいまあらためて大にしなければならないと、兵庫被団協で新しいビラをつくりました。裏面は「日本政府に核兵器禁止条約への署名・批准を求める署名」用紙ですが、まずは「三度許すまじ原爆を」と呼びかけるために、ご近所、お知り合いの方々、通りがかりのみなさんへの「宣伝チラシ」として使っていただければ幸いです。(副島圀義)


Photo

『被爆者からあなたに―いま伝えたいこと』
 英訳が完成 ホームページに掲載

 昨年7月、岩波ブックレットとして発行された日本被団協の「被爆者からあなたに―いま伝えたいこと」の英訳が完成しました。ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会と15人の英訳ボランティアの協力を得たものです。
 6月の第1回核兵器禁止条約再検討会議の開催中に、日本被団協のホームページに掲載されました。また、8月のNPT再検討会議に向け、印刷して各国代表部への要請に持参するなど活用することにしています。
 ホームページ英語版のトップページ更新情報の一番上「Read here」をクリックすれば開きます。また、スマートフォンで下記QRコードを読み取ってもアクセスできます。
Photo


Photo

手帳所持者数11万8935人
 2021年度末 平均年齢84.53歳

 2021年度(22年3月末)の被爆者健康手帳所持者数などが、厚生労働省から発表されました。手帳所持者は全国で11万8935人、前年度と比べ8820人減少しました。平均年齢は84・53歳となり、前年度から0・59歳上昇しました。
 健康管理手当などの諸手当の受給者数は合計10万9385人で、手帳所持者の91・9パーセントでした。そのうち医療特別手当受給者は6062人で、昨年から約900人減りましたが、手帳所持者に対する割合5・5%は変わりません。
 都道府県別では、手帳所持者が9人の山形が最少、次いで秋田が14人です。諸手当の受給率は秋田が100%。介護手当と家族介護手当のどちらも支給件数が0のところが8道県ありました。


核兵器の非人道性訴え、交流
 核兵器禁止条約第1回締約国会議<ウィーン>

 核兵器禁止条約締約第1回国会議が6月21日~23日、ウィーンの国連事務局で開催されました。
 日本被団協から木戸季市事務局長と家島昌志代表理事(東京)が同地を訪れ、会議に出席するとともに前後して開かれた関連行事で証言・発言し世界の市民や若者と交流しました。(写真提供はICAN、KNOW NUKES TOKYO、瀬戸麻由さんほか)

若者に思い託し

家島昌志(日本被団協代表理事)
Photo
ユース締約国会儀で発言する家島さん(左端)

 関連行事での私の証言は6回。大学生を中心とした若者への訴えが大半でした。被爆時3歳という微かな記憶に基づく証言は迫力を欠くものだったかもしれませんが、被爆者の証言を聞くのは初めてという人が多かったことを考えれば訴えはそれなりに理解されたものと思います。
 若者から「私たちは何をしたらよいのか」ときかれ、私は「核兵器廃絶への歩みは今、緒に就いたばかりです。被爆者の年齢から考えて、私たちの目の黒いうちにこれを達成するのは難しいでしょう。若いあなた方にこの動きを広げ、託します」と答えました。
 政治学や国際政治学を専攻するという日本の学生を含む次代を担う世界の若者たちが、自由に英語を駆使して交流する様に接し、実に頼もしく思いました。

日本政府は不参加

 会議の合間を縫って、私たちは国連事務所の中や大使館を訪れ、中満泉軍縮担当上級代表や、マレーシアの国連大使、日本の水谷章大使、メキシコ大使、ベトナム大使を訪問し、核廃絶へ向けた行動への協力要請を行ないました。
 日本政府は大使館で私たちに一枚の辞令を交付し「非核特使」を委嘱しました。人道会議・締約国会議双方に参加して核兵器の惨禍の実相を伝え次の世代に継承して欲しいということでしょう。
 しかし、私たちに委嘱すれば済むというものではありません。
 核兵器の人道に及ぼす影響に関する国際会議の中で、木戸季市日本被団協事務局長が、核兵器と人類が共存できないものであると強調し、唯一の戦争被爆国である日本政府が条約に参加しない非を強く訴えると満場の拍手を浴びました。被爆国日本の当然の参加を期待する世界の声を強く感じました。

ウィーン宣言と行動計画

 国連の会議では日本語は通訳言語ではなく、英語、フランス語、ロシア語、中国語、スペイン語、アラビア語の中から選択しなければなりません。1カ国語くらいは習得しないと会議の中身が理解できないことがよく分かりました。
 会議は熱をおび時間が足りないほどでしたが、午後6時になると「通訳が帰りますので終了します」となります。これには感心しました。
 最終日にはウィーン宣言が採択され、50項目からなる行動計画が策定されました。来年11月にニューヨークで開催と決まった第2回締約国会議に向けて様々なプロジェクトが動き出すことでしょう。
 最終日の休養日に観光バスで市内を一周してみました。市域の50%が公園だというウィーンは美しく、ドナウ川は歌にある如く青く澄んでいました。国連事務所はこの川の中州にあります。
 コロナ対策が比較的ゆるやかなこの街で濃厚接触者となってPCR検査を余儀なくされたりしましたが、貴重な経験の機会を与えられたことを感謝します。

地道な活動これからも

瀬戸麻由(カクワカ広島)
Photo
市民社会フォーラムで話す木戸さん(右端)
 
Photo
通訳と司会をつとめた瀬戸さん(手前右端)

 核政策を知りたい広島若者有権者の会(カクワカ広島)から参加しました。約1週間、さまざまな催しの中で核廃絶を目指すたくさんの同志に出会い、大きな希望を感じました。学んだことは、大きく3つあります。

条約を私たちが育てる

 1つ目は「条約を自分たちが育てていく」という感覚を持ったこと。締約国会議の最中、他国の若者たちと一緒に、政府関係者に話をしていくアドボカシー(ロビー活動)を行ないました。条約の6条・7条に定められる核被害者援助と国際協力についての議論が進むようにと働きかけるものです。私が話したパラオやパナマの代表団の人たちから「活動してくれてありがとう」「一緒に進めていこう」という言葉を受け取り、日本で政府や議員に働きかける時とは全く違う対応に大きな衝撃を受けました。今回の会議に集まった国々は今こそ条約を前に進めていくという気運で繋がっていて、NGOや市民団体も仲間だという一体感がありました。日本で行なっている様々な団体の地道な活動はこうやって繋がっていくんだ、私たちが条約を育て、前に進めていくんだという実感を得ました。
 2つ目は、世界中の核被害者「グローバルヒバクシャ」の存在を再認識したこと。会議の中でカザフスタンや太平洋諸国の核実験被害など、多くの地域での核被害が再認識されました。個人的にも、同世代の太平洋の活動家と仲良くなり、オンライン会議なども利用してこれからも学び続けようと話すなど、今まで知識として知っていた世界の核被害の問題が目の前の友人の身に起きていることなのだという認識に変わっていきました。
 3つ目は、多様なアクションに触れられたこと。VRを使って2018年にハワイで起こった弾道ミサイル飛来の誤報を追体験するブースがあったり、自転車に乗ってウィーンの街を巡りながら元気に声を上げて核廃絶について伝えるツアーがあったりと、様々なアクションの形に触れることができました。私たち日本の若者も、浴衣を着てバナーを持ち観光地を練り歩きや、長崎の被爆者の方が「私は被爆者です。なんでも質問して」というビブス(ベスト)を着て会議場で対話するアクションのサポートを行ないました。

被爆者の熱い想い

 また「被爆者の方と身近にお話をする」という場づくりもICAN主催の市民フォーラム内で行なうことができました。私は通訳として木戸季市さんと各国の若者との対話に参加。車座で話す中で、熱い想いが彼らに伝わるのを実感しました。
 会議の最終日にスタンディングオベーションで成果文書を採択した時、私たち一人一人の手で、本当に核兵器を廃絶していくんだと、高揚と同時に身の引き締まる思いがしました。これからも地道な活動を仲間たちと続けていこうと思います。

〈日本被団協代表の主な日程〉

 17日 若者向けオリエンテーション
 18~19日 ICAN市民社会フォーラム
 20日 核兵器の非人道性に関する会議
 20日 中満国連上級代表と懇談
 21~23日 締約国会議
 21日 ユース締約国会議
 21日 平和首長会議サイドイベント
 21日 マレーシア大使館訪問
 22日 日本大使館訪問
 22日 ベトナム大使館訪問
 23日 オーストリア大使と懇談
 23日 メキシコ大使と懇談
 23日 ウィーン大学日本語学科で証言


日本政府の「受忍論」を批判

木戸季市(日本被団協事務局長)
Photo
核兵器の非人道性会議で発言する木戸さん

 ICAN主催の市民社会フォーラム1日目の「核兵器とは何か」では、原爆は一瞬に広島と長崎を真っ黒の死の街に変えたこと、道には死体がゴロゴロ転がり水を求める人が続いていたことなど目にした被爆体験を語りました。

四度“被爆者”に

 被爆後77年を振り返り、四度被爆者になったと思っていることを語りました。一度目は1945年8月9日、二度目は52年占領終了後に「私は被爆者」と意識したとき、三度目は91年日本被団協運動に参加したとき、そして四度目は被爆者として「ふたたび被爆者をつくらない」生き方を決意した現在です。

非人道性会議で訴え

 私にとってウィーン行動のハイライトは、日本政府代表の委嘱を受けて参加したオーストリア政府主催の「核兵器の非人道性に関する国際会議」での発言でした。原爆の反人間性、なぜ日本政府は核兵器禁止条約に背を向ける政策を執っているのか、核兵器も戦争もない世界を実現する道、について語りました。
 あの日あの時命を奪われた死者は死をどのように迎えたのか。自分がなぜ死ぬのかわからないまま殺された。家族に看取られた死者は僅か4%。どこで死んだか、遺骨も分からない死、生きた証が消し去られる死。また被爆者の不安・苦悩は時がたつと消えるものではなくいつまでも続き、大きくなるものであること―などを伝えました。
 唯一の被爆国を標榜する日本政府が圧倒的多数の国民の願いに反し、なぜ核兵器禁止条約への署名・批准を拒んでいるのか―日本政府は、国の戦争によって「国民がその生命・身体・財産等についてその戦争によって何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、それは、国をあげての戦争による『一般の犠牲』として、すべての国民が受忍しなければならない」という「戦争犠牲受忍論」を政策の基本としているからだ、と報告しました。

9条を世界の規範に

 「戦争犠牲受忍論」は日本国憲法9条に反する許されない政策です。被爆者は「もう戦争をしない」とした憲法に生きる力をもらい、今日まで生きてきました。被爆から77年、日本は戦争で一人の命も奪い奪われていません。憲法9条が国民の命を守ったのです。憲法9条を世界共通の規範とすることが核兵器も戦争もない世界を実現する道です。被爆者は国際紛争を解決する手段として武力の使用を求めない、対話による解決を求めます―と訴えてきました。
 第1回締約国会議は、ウィーン宣言と50の行動を示す行動計画を採択し終了ました。宣言は核兵器のない世界への強い決意を表明し「私たちは、最後の国が条約に参加し、最後の核弾頭が解体・破壊され、地球上から核兵器が完全に廃絶されるまで休むことはない」と締めくくられました。核兵器の廃絶に向けた新たなスタートです。心から歓迎します。


どう伝える―被爆者の願いと実相
 被爆の記憶のない被爆者学習会

Photo
Photo
東京

 被爆当時幼少などの被爆の記憶がない被爆者のための「被爆者証言を学び広げるための学習会」が7月2日、東友会主催で文京区の平和と労働センターで開かれ、約40人が参加しました。
 2020年4月に予定されていたNPT再検討会議に東友会からの派遣代表として決まっていた4人の被爆者は、全員が被爆時2歳未満か母親の胎内にいた人でした。新型コロナウイルスの感染拡大で、ニューヨークでの証言機会もなくなり、学習会も延び延びになっていました。
 2年前に派遣代表として準備した原稿をもとに木村一茂さん(当時1歳8カ月)、熊田育郎さん(当時7カ月)、杉野信子さん(当時1歳6カ月)、柚木聚さん(胎内被爆)が、祖父母、父母、兄弟などから聞いた話を語りました。生後10カ月で命を落とした弟のこと、母を置き去りにし助けられなかった心の傷、兄と姉の死、被爆の影響を思う母のことなど、「あの日」のこと、その後の壮絶な人生、核兵器廃絶への思いを語りました。
 「母は原爆について何も語らなかった」など、まだ、証言をしていない被爆者も多く参加しており、被爆の記憶のない被爆者が被爆の実相をどう伝え、核兵器廃絶の願いどう語るか、学ぶ機会となりました。
 なお東友会は、これから被爆の証言活動に参加する方々のために小冊子「証言のポイント」(16ページ)を発行(2020年11月)しています。希望の方は1冊300円でお頒けしますので東友会(電話03―5842―5655)にお申込みください。(濱住治郎)


国の二世対策など 公開講座を開催

Photo
神奈川二世・三世支部

 神奈川県原爆被災者の会二世・三世支部の勉強会を紹介します。
 被爆二世への医療保障をかたくなに拒否する国の姿勢の問題に焦点をあてて、被爆者の運動の歴史を勉強してきました。日本被団協が1966年に出した『原爆被害の特質と「被爆者援護法」の要求』(「つるパンフ」)の頃には、すでに被爆二世への援護を要求して運動がされていたことがわかりました。
 昨年からZOOM(インターネットでの会議システム)による公開講座を企画し、今年も6月5日、独自に健康調査を実施している京都「被爆二世・三世の会」との共同開催で行ないました。原発事故被害者、研究者、メディア関係などを含め180人ほどが参加しました。
 報告は森川聖詩副支部長です。1982年、当時の厚生省が二世健診調査結果について公表しようとした報告書は放射線による遺伝的影響を否定したものだったが、あらためて読み解くと、白血球数が当時の日本人の平均値に比べ20%程度少ない。血圧も低い結果となっている。「一般国民と比べて大差ない」という強引な結論は事実の歪曲を疑わせる、と指摘。二世の実態を見える化し、広く社会に訴えながら国に補償を求めることが大切と訴えました。
 隠されていく核被害問題、その中で被爆二世の発信はとても大事だと痛感しました。
 ユーチューブで公開していますので、インターネットで「ZOOM公開講座 被爆二世検診」で検索してぜひごらんください。(門川惠美子)


相談のまど
 生活保護を受けています。
 医療特別手当は収入認定されますか?

 【問】私は年金などの収入がなく、生活保護を受けています。このたび原爆症の認定を受け医療特別手当がもらえることになりました。手当月額14万1900円は収入認定されるのでしょうか。生活保護は引き続き受けられるのか心配です。

*  *  *

 【答】生活保護を受給している場合、何らかの収入があると福祉事務所に収入の額を届け出ることになっています。生活保護受給者の保護基準から収入を差し引いた額が保護費として支給されるのが基本です。
 医療特別手当受給の場合、全額が収入認定されるわけではなく、次のような仕組みになっています。医療特別手当額14万1900円から3万7220円(2022年4月現在)を引いた10万4680円が収入認定されます。生活保護基準は年齢と居住地によって6つの「級地」が決められていて基準額が異なります。東京23区に居住して81歳一人暮らしでは、1類(食費等の個人的費用)3万2470円、2類(水光熱費等の費用)4万3280円、住宅扶助5万3700円(東京都の特別基準)の合計が12万9450円になります。さらに医療特別手当受給の場合には放射線障害者加算4万3760円があり、合計17万3210円が生活保護基準額になります。この額から前述の10万4680円を差し引いた額が、生活保護費として支給されます。
 認定疾病が治癒したとみなされて医療特別手当から特別手当にかわったときは、1類+2類+住宅扶助に放射線障害者加算2万1880円の合計が生活保護基準となり、特別手当額は全額収入認定されます。


原稿募集

 「被団協」新聞では、読者のみなさんからの原稿を募集しています。
 最近嬉しかったことや身近な話題、本や映画、演劇の感想、新聞やラジオ、テレビの報道で感じたこと、また署名活動や証言活動の報告も歓迎します。
 また、日本被団協編『被爆者からあなたに』(岩波ブックレット)の感想もお待ちしています。
 原稿は本文300字以内。氏名、年齢、住所、電話番号を明記して、郵送かEメールまたはFAXでお送りください。写真はEメールに添付、またはプリントを郵送してください。
 Eメールアドレス=本紙1面左上に掲載。日本被団協ホームページのトップページ右下にも表示しています。
 郵送送付先=〒105―0012 東京都港区芝大門1―3―5ゲイブルビル9階 日本被団協新聞係