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(右から)外務省の池松審議官、日本被団協の木戸さん、和田さん、 家島さん、濵中さん、濱住さん(5月20日) |
日本被団協が核兵器禁止条約発効の2021年1月22日から取り組んできた「日本政府に核兵器禁止条約への署名、批准を求める」署名、累計90万1544人分を岸田文雄総理大臣宛に5月20日に提出しました。
提出は昨年12月に続いて2回目です。今回も岸田総理大臣に直接手渡したいと内閣府に申し入れましたが、担当省庁として外務省に提出することになり、要請書と集まった署名の一部(5千人分)を持参しました。
日本被団協から木戸季市事務局長ほか5人が参加し、外務省は池松英浩軍縮不拡散・科学部審議官ほかが対応しました。
日本被団協は要請書で「ロシアのウクライナ侵略で核による威嚇が行われている今、まさに核兵器をなくすことでしか、核戦争の危機を回避することはできないことが明らかになりました」と指摘し、日本政府に核兵器禁止条約の署名、批准を求めました。
池松審議官は、「核兵器廃絶の目的は一緒なので協力していきたい」としながら「核兵器を持っている国、持とうとする国に関与させることが大事。同盟国アメリカと核兵器のない世界に向けた信頼関係を構築した上でどうするか考えていく」と述べました。核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバーとしての出席についても、「アメリカとの関係が会議の時にどうなっているかわからないので、参加を決めていない」と述べました。
また要請団からの「日本は戦争しない、兵器を持たないことに徹するべきだ。核軍縮でなく禁止・廃絶しかない」との発言に対して池松審議官は「紛争を防ぐには経済安全保障、外交などあらゆる手段を用いることが必要だが、武器も防衛力もアメリカの核抑止も今は欠かせない要素だ」と述べました。「核共有」については「非核三原則に照らして核共有は認められない立場」だと明言。また「NPTは重視している。8月の再検討会議ではぜひとも核兵器のない世界に向け前進する合意文書が採択されるようにしたい」と希望を語りました。
第6回第一種健康診断特別区域等の検証に関する検討会(「黒い雨」検討会)が4月26日に開かれました。昨年7月9日の第5回から9カ月半ぶりの開催です。
「黒い雨」被害者問題をめぐっては、2020年7月14日広島高裁判決での原告側全面勝訴、同26日に国側が上告を断念し、27日閣議決定した菅総理大臣談話を発表。その後原告84人全員に被爆者健康手帳交付。今年3月18日には厚労省から「黒い雨」被害者への被爆者健康手帳交付に関する新たな指針が出されるなど、状況が大きく変わりました。
今回の検討会の冒頭、鎌田七男さんから、検討会でやることはなくなった、検討会は必要ないのでは、との問題提起がありました。検討会はこの提起をいったん保留し、「検証の進捗状況」報告に多くの時間が費やされました。4種の検証のうち、主に気象シミュレーションと土壌調査の報告でした。多くの時間、労力、経費を要する大変な調査でしたが、原爆投下から77年たった今日、特例区域の設定・変更に関する検証が可能か疑問、との指摘がありました。
その後、日本被団協推薦で出席の増田善信さんと木戸季市事務局長が、「これまでに明らかにされた気象シミュレーション以上の検証は不可能」「検証は被爆者の被害の実態とどんどんずれていっている」等と発言し、改めて検討会の在り方について議論する機会を求めました。これに対し佐々木康人座長は「重要な提起であり勉強会を開きたい」と発言し、今回の検討会は終了しました。
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ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会は5月21日、第10回通常総会と設立10周年企画Ⅲとしてシンポジウムを開きました。コロナ禍のためオンラインでの開催となりました。
総会の開会あいさつで中澤正夫代表理事は「あっという間の10年、もうちょっと進むはずだった。私もあの世にぐっと近づいてしまった。若い人材を確保するのが今期の目標」と話しました。
総会では継承センターとなる場所探しが焦眉の課題であるとして、参加者から「訴え方を工夫して広く寄付を訴える」ことや「資金集めを会員が一丸となってやる」ことなどが提案されました。
また各地での拠点づくりでは、被爆者運動の記録を地元で残していくことの重要性について、岐阜から進行中の活動が報告され、「今日参加して運動の記録を残す重要性に気づいた。地元ですぐにとりかかりたい」との発言もありました。
続いて開かれたシンポジウム「今こそ“ノーモア・ヒバクシャ”」には50人余が参加。はじめに事務局の栗原淑江さんが「継承する会の10年」を報告しました(写真)。2011年12月10日に発足し、3年をかけて「基本構想」を策定してから今日までの活動を振り返りました。(詳報次号)
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小雨模様の中、5月22日仙台市内で第2回ピース・ウェーブ・インみやぎが開催されました。
集会の初めに主催者を代表して、核兵器廃絶ネットワークみやぎ代表で宮城県原爆被害者の会会長の木村緋紗子さんがあいさつ。20日に日本被団協が国に提出した「核兵器禁止条約への署名・批准を求める署名」が90万筆を超えたこと、しかし広島出身の岸田総理は直接受け取ろうとしなかったと批判、「核兵器をなくせ」は国民共通の思いだと強調しました。
宮城の署名呼びかけ人で東北大学名誉教授の板垣乙未生さんのあいさつ、医師の水戸部秀利さんからのメッセージが読み上げられ、ロシアがウクライナ侵略の中で核兵器使用の威嚇を公言している情勢を指摘するなど、心の込もったあいさつに涙を浮かべる参加者もいました。三田福子さんはパネル展や平和の鐘など新婦人の会の多彩な活動を紹介し「日本の政治家の核共有発言は許せない」と決意を述べました。その後、手作りのプラカードや横断幕を手に「みやぎから核兵器廃絶の声を」とパレードを行ない、平和ビル前での署名行動に取り組んで、核兵器廃絶をかかげた22日行動を締めくくりました。(核兵器廃絶ネットワークみやぎ)
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塩村あやか議員 | 西岡秀子議員 |
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井上哲士議員 | 笠井亮議員 |
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森本真治議員 |
日本被団協二世委員会は4月22日、被爆二世である国会議員などを訪問し『全国被爆二世実態調査報告書』を手渡して懇談しました。
二世委員会では、日本被団協が2016年から調査を実施し昨年11月にまとめた『全国被爆二世実態調査報告書』をもとに、国や自治体への要求内容を検討しており、今後、要求の実現のため被爆二世である国会議員に力を貸していただきたいと考えています。この日は首都圏在住の委員4人(濱住治郎委員長、児玉三智子さん、青木克明さん、森川聖詩さん)が、7人の議員や秘書を訪問し今後の支援をお願いしました。被爆二世の議員では、国民民主党の西岡秀子、立憲民主党の塩村あやか、日本共産党の笠井亮、井上哲士、本村伸子の各議員と、自由民主党の寺田稔議員秘書。被爆二世ではありませんが、立憲民主党の森本真治議員も訪問。各政党にも1冊ずつ報告書を届けました。(濱住治郎)
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岡山二世部会定例会 |
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岡山県被爆者会会報1号 |
一昨年11月の発足以来コロナの影響で長い間顔合わせのできなかった岡山県原爆被爆者会の二世部会が、4月30日第1回定例会を開催しました。
被爆者8人と被爆二世24人が参加して6つのグループに分かれ、被爆者の話を直接聴いたり、それぞれの親から聴いていることを伝え合ったりして、二世として何ができるか、何をすべきかについて話し合いました。
ロシアのウクライナ侵攻、そして核による脅しという、被爆者の悲願とこれまでの努力を踏みにじるような事態を前にして声を上げないわけにはいかないと、直ちに戦争を止め核兵器を絶対使用しないよう求めるアピール文を採択してロシア連邦大使館に送りました。
被爆二世が編集実務の中心となり、岡山県原爆被爆者会の会報「生かされて」を発刊しました。会員同士の連帯と被爆者会の存在・活動の広報を目的としていますが、同時にこれを被爆者と共に創造していく作業自体が貴重な「継承」の過程と考えています。
(村上佳穂)
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今年の平和行進出発集会が5月6日、東京・夢の島の第五福竜丸展示館前で開かれました。
日本被団協の田中熙巳代表委員が出席してあいさつし、「1週間前に90歳になりました。いつ死ぬかわかりませんので、今年の平和行進にはぜひ参加したいと思っていました。参加できて大変うれしい」「ウクライナの戦争でロシアが本当に核兵器を使ったら、結果は惨澹たるものになります。絶対に核兵器は使わせてはならない」と述べました。
東京都原爆被害者協議会の家島昌志会長は、ロシアの戦術核兵器について触れ、「広島、長崎で原爆体験をしたわれわれからすればとんでもないこと」と述べ「日本政府をぜひとも動かさなければ」と訴えました。
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ロシアのウクライナ侵略が進む中、被爆者の証言や広島・長崎への原爆投下について関心が高まり、教育団体や労働組合などが核兵器禁止条約や被爆者のことを学ぼうとする動きがあります。戦争を体験した年配の方たちが北海道ノーモア・ヒバクシャ会館(原爆資料展示館)を訪れたり、若い人たちの真剣に学ぼうとする動きもあります。
4月9日、札幌市の中心街パルコ・デパート前で「9の日」アクションが行なわれ(写真上)、諸団体がロシアの国際法違反や戦争犯罪を批判するとともに憲法9条を守れと訴えました。北海道被爆者協会の廣田凱則会長代行がロシア大使館に送った抗議文を声を振り絞って読み上げました。
5月21日には平和行進の札幌集結集会でも訴えました。また協会はアメリカの臨界前核実験への抗議文を送りました。
行政の側にも特筆すべき動きがあります。札幌市は1992年3月に核兵器廃絶平和都市を宣言し今年30周年を迎え、4月から市庁舎前面に横断幕、庁舎ロビーに和文と英文で宣言文を貼りだしました。平和事業の一環として6年前から市内の小中高校に被爆者派遣事業を行なっていますが、今年も希望する学校が20校を超え、約2千人の生徒が被爆者の証言を聞くことになります。また市は独自に10分間の「核の脅威」の動画を作成し被爆者の証言に合わせての上映を計画中です。
一昨年道議会庁舎が新しくなり、1階ロビーに展示コーナーが設けられました。今年の展示の最初に行なわれるのが「核の脅威パネル展」です。5月16日から6月6日まで、道議会主催で被爆者協会が全面的に協力しました(写真下)。協会提供の被爆遺品、「原爆と人間」パネル、辻口清吉さんが描いた被爆後の惨状、世界の核弾頭ポスター等を展示。元会長越智晴子さんの証言動画も上映され、緊迫するウクライナ情勢を考える上でもタイムリーな企画となっています。(北明邦雄)
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1956年5月3日、長崎で初めての被爆者組織として誕生した長崎原爆青年乙女の会。会員たちは国内外で被爆の実相を話し、核兵器廃絶を訴えてきました。
被爆50年と会結成40年の1995年に「平和の願いを後世へ」の記念碑を原爆資料館前の桜の木々の中に建立。この間旅立っていった渡辺千恵子さんや山口仙二さん、谷口稜曄さんら多くの会員、後世へ遺志を受け継いでいこうと5月4日、「記念碑建立26周年のつどい」が開かれました。
はじめに青年乙女の会の会員の聞き取り調査を行ない、運動を支えてこられた濱谷正晴一橋大学名誉教授の講演があり、被爆者が苦しい毎日を送っていた中、青年乙女の会の結成の経緯と果たした役割を結成の中心となった先人たちの活動から振り返りました。
講演の後、碑の前のつどいが行なわれ、小峰秀孝会長が「私たちは世界中で被爆の実相を語り、核廃絶を訴えてきた。若い世代にこの運動を担ってほしい」と訴えました。渡辺千恵子さんの半生を描いた『平和の旅へ』の合唱、会員の体験の朗読に、参加者は涙しました。(中元英貴)
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兵庫県原爆被害者団体協議会5月14日、神戸市内で第63回定期総会を開きました。県下各地から会員32人と5人の来賓が参加しました。
立川重則理事長はあいさつでロシアのウクライナ侵略を非難し、「広島・長崎の惨事が再びあってはならない。核兵器禁止条約の締約国会議、NPT再検討会議にあたって、日本政府の積極的な努力を」求めました。
副島事務局長が活動方針の提案で次の点を強調しました。①被爆者がつらさや苦しさを語り、助け合って「再び被爆者をつくるな」と築きあげてきた被爆者運動の原点に立ち返りたい ②核戦争をぜったい起こさせず、の精神で核兵器禁止条約への世界の国々の参加を求める運動を多くの人々と協力して進めたい ③「そのまちに被爆者の会がある」ことに値打ちがある。二世の会の「被爆者の話を聞く」とりくみに学びたい。
「核威嚇」を伴う侵略戦争が進行する中で被爆者の会はどうしていくのか、ともに考える場になりました。(副島圀義)
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オンラインで行なわれた高校生の国際会議 |
米国カリフォルニア州モントレーのミドルベリー国際大学院モントレー校、ジェームズ・マーティン不拡散研究所(CNS)が主催する高校生のための軍縮教育のプロジェクト「クリティカル・イッシューズ・フォーラム(CIF)」の春期国際会議が、オンラインで日本時間の5月1日に開催されました。今年のテーマは「軍縮不拡散教育と地球規模の社会問題、若者の挑戦」。次世代を担う若きリーダーに、核兵器なき世界の実現に向け学び行動する中で、現存する地球規模の課題にも取り組んでもらうことを願い、核問題を様々な角度から学習、研究するよう促しました。
国連軍縮部大量破壊兵器部門の副主任クリス・キング氏の基調講演、Youth4Disarmamenの代表とのパネルディスカッションも行ないました。日本被団協の和田征子事務局次長に被爆証言を行なっていただき、若い世代に被爆の実相を学んでもらいました。
米国と日本から4校、ロシアから2校が参加。100人を超す高校生、教員が参加し活発に議論を交わしました。(研究員・プロジェクトマネージャー 土岐雅子)
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私は、ウクライナ紛争は、1962年にソ連がキューバにミサイル基地を建設して米ソ対決が崖っぷちまで行った「キューバ危機」と同質の問題だと感じています。隣国ウクライナがNATO入りして米軍基地でも築かれたら、ロシアは安全保障上重大な危機と感じるでしょう。
キューバ危機の最中の62年10月28日、嘉手納のミサイル管理センターから読谷村のメースB核巡航ミサイル発射基地に核ミサイル発射命令が届きました。ミサイル発射命令は、技師、副官、発射指揮官の順で暗号をチェックするのですが、暗号はすべて一致しました。しかし、指揮官が1基だけがソ連向けで残り3基は別の国向けだったことに不審を抱き、結局「誤報」であると気づいてかろうじて発射が回避されました。同じころ、キューバ近くのサルガッソ海でもロシアの潜水艦B59の艦長がアメリカの艦隊に追い込まれて核魚雷の発射を企て、副艦長の反対で核使用を回避する事態が起こっていました。
2002年、マクナマラ米国防長官は「当時のわれわれの認識以上にわれわれは核戦争に近づいていた」と語りました。これらの事件は、核大国の軍事対決のもとでは核兵器使用の危険が現実にあり得ることを示しており、ロシアのプーチン大統領が今年2月27日、核戦力部隊を「特別の臨戦態勢」に置いた決定は大変危険なものでした。
NATOは1949年に設立された西側諸国の軍事同盟です。ソ連の側が対抗して55年に結成したワルシャワ条約機構は91年末のソ連崩壊に伴って解体されたにもかかわらず、NATOは存続し「東方拡大」の方針を取り続けました。
ウクライナ国民はもともと「中立化」を望んでいましたが、オバマ政権下のバイデン副大統領は在任期間中に6回もウクライナを訪問し、NATO加盟を執拗に勧め、親米傀儡(かいらい)政権樹立を企てました。
13年、ヤヌコビッチ政権がEUとの政治・貿易協定を見送ったのを契機に市民の抗議行動が起き、ユーロ広場での抗議集会は50万人に膨れ上がりました。アメリカはこの機会を傀儡政権づくりに利用し、ネオ・ナチ的極右集団も動員したクーデターを計画。このクーデターを現場で指揮していたのがヌーランド国務次官補(現バイデン政権の政治担当国務次官)で、ホワイトハウスで指揮をとっていたのがバイデン副大統領でした。EUはこの混乱を話し合いで解決しようとしましたが、ヌーランドはウクライナ駐在のパイアット大使に電話で「EUなんかくそくらえ」と話しました。その電話は今でもネットで確認できます。
やがて首都キーウではネオ・ナチ集団が銃撃を始め、銃は警官だけでなく市民にも向けられました。14年2月22日、危険を感じたヤヌコビッチ大統領は首都を脱出し、議会を占領した野党が大統領を解任。親ロシア派の大統領が国外脱出すると、ロシアはクリミア半島を接収し住民投票の末にロシア領と宣言、ウクライナ東部のドネツク、ルハンスク2州ではウクライナ軍と親ロ派住民との間で今日まで続く激しい内戦が始まりました。親ロ派住民に対するウクライナ軍の攻撃は熾烈を極め、1万3千人以上の死者が出ました。
クーデター後の大統領選挙ではウクライナ有数の富豪ポロシェンコ氏が当選、アメリカ政府は14年以降、ウクライナ政府に20億ドル相当の軍事支援を提供しました。翌15年から当時コメディアンだったゼレンスキーが主演するテレビドラマ『国民の僕(しもべ)』が放映され、一介の歴史教師が大統領になり、腐敗した政界と対決する姿をユーモラスに描き大評判をとりました。この人気を背景にゼレンスキーは政党「国民の僕」を立ち上げ、大富豪コロモイスキーの支援を受けて本物の大統領になりました。彼が大統領になる直前の19年2月7日、アメリカの意向を受けてウクライナ憲法第116条に「ウクライナ首相はNATOとEUに加盟する努力目標を果たす義務がある」と明記され、ウクライナのNATOへの加盟を目指す方針は憲法上の規定になりました。
しかし、3カ月後に大統領に就任したゼレンスキーはウクライナが抱える経済、汚職、内戦などの難問を解決できず支持率は25%まで低下。そこに勃発した今回の紛争で支持率は急上昇、一時は「中立化の選択肢」も口にしていた大統領は「戦う大統領」に変身し、世界に「武器をくれ!」と訴える姿は一部では英雄視されるに至りました。
クマが暴れたら抑えなければなりませんし、当然、ケガを負った人は手当てし、命からがら逃げてきた人は助けなければなりません。だが、クマの目を突いて暴れさせた者がいるとしたら、いや、もっと悪いことは、クマを暴れさせるために目を突いた者がいるとすれば、それこそ断罪されなければなりません。
22年4月1日、ウクライナの首都キーウ近くのブチャ市で起きた大虐殺は、ロシア軍の残虐性を示す最たる証拠と言われましたが、フランスの国家憲兵隊法医学部門の専門家チームがキーウの法医学関係者とともに遺体を調査し、多くの遺体からロシア軍が使っていない榴散弾(ウクライナ軍はドンバス地方の内戦で使用)の破片が出てきたと発表、実際には、「ブチャの大虐殺」と言われる事件はウクライナ軍の攻撃の結果であると報告しています。
私たちは、これ程重要な情報でさえ捏造されたり歪曲されたりするのだということをしっかり認識し、事態を冷静に見極めなければならないでしょう。
【問】私は被爆者健康手帳を持っている者ですが、最近耳の聞こえが悪くなり、耳鼻科を受診したところ補聴器専門店を紹介されました。
補聴器の購入には被爆者健康手帳が使えますか。また他にも補助制度があるでしょうか。
* * *
【答】被爆者健康手帳を持っていても補聴器購入費への補助はされません。またほかの制度でも身体障害者手帳に該当しなければ、補助はありません。
身体障害者手帳指定を受診して1級から6級ある等級に該当した場合、「補聴器購入養給付申請書」と「補聴器購入費用給付診断書または意見書」に補聴器見積書を添付して、市区町村の福祉課に提出します。該当すると「補装具費支給賢」が交付され、自己負担額が決まります。
最近では補聴器助成を求める住民運動が各地で取り組まれ、自治体での助成が進んでいるようなので、お住まいの自治体に問い合わせてみるといいでしょう。
補聴器は高価で、使いこなすのも大変です。せっかく補聴器を買ったのにうまく使いこなせず、雑音ばかりで肝心の話声などが思ったように聞こえない、といって放置する方もいるようです。補聴器の購入後は自分の耳に合うように何度も耳鼻科医か補聴器購入店に出向いて調整してもらうことが必要です。補聴器にもリハビリ訓練が伴います。面倒だと思わずに気持ちよく聞こえるまで、そして管理できるまで通い続けてください。
なお、医師の指示書があれば、購入費は所得税の医療費控除の対象になります。