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左上・ロシア大使館前(東京港区) 右上・広島 左下・長野〈記事2面〉 右下・長崎 |
2月24日にロシアが開始したウクライナへの侵略に対し、日本被団協は2月25日事務局長談話を発表し、ロシアによる事実上の開戦と核兵器による威嚇は被爆者の願いを踏みにじり人類を危険にさらす行為であると断じて、侵攻を即刻やめることを求めました。3月4日には韓国、ブラジル、カナダの被爆者と共同で抗議声明を発表しました(2面に全文)。
3月18日には市民団体ともにロシア大使館前行動に参加し、「NO MORE HIBAKUSHA」「ウクライナに平和を」などと書かれたウクライナカラーのプラスターを掲げて、ロシアの侵略と核兵器による威嚇に強く抗議しました。
日本維新の会が「核共有」と「非核三原則の見直し」を含む「提言」を政府に提出すると報じられた3月2日、日本被団協は「提言」の撤回を求める声明を発表し、オンラインで記者会見を行ないました。
声明では、日本維新の会の「提言」は「日本国民を核戦争に導き、命を奪い国土を廃墟と化す危険な」ものであり、「国民主権、基本的人権、平和主義の日本国憲法を護り活かし、国民の命と暮らしを守る政治の実現に尽力することを強く求める」と結んでいます。
日本維新の会は3日、政府に「核共有の議論の開始」を盛り込んだ「提言」を提出しましたが、非核三原則の見直しについては削除しました。
ロシアのウクライナ侵略と核兵器の威嚇には、全国の被爆者も声をあげ行動しました。北海道、東京、千葉、広島、長崎の被爆者の会や被爆二世の会が抗議声明を出したほか、各地で市民団体とともに街頭行動を行ないました(2面参照)。
2022年3月4日
森田隆〈在ブラジル原爆被爆者の会・会長〉
サーロー節子〈カナダ在住〉
李圭烈〈韓国原爆被害者協会・会長〉
田中重光〈日本被団協・代表委員〉
田中熙巳〈日本被団協・代表委員〉
木戸季市〈日本被団協・事務局長〉
私たちは、広島・長崎の被爆者です。
ロシアのウクライナ侵略を知り、怒りと恐怖に震えています。
プーチン大統領の決断は人類を破滅に導く危険な行為です。核兵器の使用、核戦争も辞さない態度は、人間として許されない行為です。万が一、ロシアが核兵器を使用するならば、その結果生じる莫大な被害に対する責任は全的にロシアにあることを、ロシアは肝に銘じておくべきです。
プーチン大統領が、個人的野望を捨て、人間の心をとり戻し、即刻ウクライナ侵略をやめることを心から求めます。
77年前の1945年8月6日、9日。米軍が投下した原爆は一瞬に広島と長崎を死の街に変えました。それは地獄、原爆地獄でした。一瞬に消え去った黒い街。あちこちに転がり川に折り重なった死体。水を求める人、人、人。
原爆はその年だけでも21万人余の命を奪いました。今日まで、原爆症、健康不安、生活苦、偏見と差別など、いのち、からだ、こころの苦しみをもたらし続けています。
被爆者の訴え、世界市民の願いが、核兵器禁止条約を生み出しました。条約を活かし、核戦争と核兵器を無くすことが、核兵器から人類を守る唯一確かな道です。
プーチン大統領が即刻ウクライナ侵略をやめることを求めます。
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北海道被爆者協会は2月28日、ロシア大使館気付プーチン大統領宛てに抗議文を送りました。核兵器による威嚇に対して「国際法となった規範をこうまで乱暴に否定しつづけることは決して許されることではありません」と記しています。
3月9日には札幌市の中心街で行なわれた市民団体の抗議行動に金子廣子常務理事が参加、「被爆した当時を思い出します。ウクライナの子どもたちはどれほどの恐怖にさらされているか…岸田さんは広島出身と言いながら核禁条約に署名しないのが悔しい」と訴えました。(北明邦雄)
ロシアによるウクライナ侵略に、長野県原爆被害者の会としてもいても立ってもいられない思いで3月3日、平和を守る茅野市民の会の30人の皆さんと一緒に、交通量の多いあけぼの隧道交差点で宣伝行動をしました(写真1面)。
「ふたたびヒバクシャをつくるな」の強い気持ちで、ロシアのウクライナ撤退まで頑張る決意です。(藤森克子)
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岩手県被団協は3月9日、県原水協の「6・9行動」に参加しました。三田健次郎会長は自らの被爆体験を語り、核兵器禁止条約が発効して1年、この条約で核兵器の使用・威嚇は禁止されている、プーチン大統領の陰謀は絶対許されないと訴え、多くの市民が聞き入りました。(下村次弘)
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3月6日、入間市駅頭宣伝に、埼玉県原爆被害者協議会から被爆者2人が参加しました。佐伯博行さんは、プーチン大統領の核兵器の威嚇と原発占拠を「人類の生存に関わるもの」と批判。原明範会長は自らの体験を述べ「ただちに侵略戦争を中止しウクライナから撤退せよ」と訴えました。また、安倍晋三元総理と日本維新の会が主張する「核共有」は驚くべき発言と批判、彼らの正体が「憲法9条を破棄し戦争する国にする本性を現したもの」と指摘しました。(原明範)
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福井県被団協は3月9日、福井駅前ハピテラスにおいて、県原水協など友好団体の皆さんとともに、ロシアのウクライナ侵略に抗議する取り組みを行ないました。13人の参加で12時15分から午後1時までの45分間、スタンディングで訴えました。(山岡直文)
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愛知県平和委員会青年学生部の若者たちがツイッターで呼び掛けた「ロシアのウクライナ侵攻に抗議」集会が3月13日、名古屋市内で行なわれ、被爆者も参加しました。
東海地区在住のウクライナの方20人を含め110人余が参加。愛知県原水爆被災者の会の金本弘理事長が、核兵器で威嚇しながら侵略を繰り返すロシアのプーチン政権を厳しく批判し、戦争の即時中止を訴えました。
(大村義則)
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静岡県被団協も参加する、日本政府に核兵器禁止条約への批准を求める署名推進静岡連絡会が毎月7日に静岡市内で行なっている署名行動。3月7日はロシアへの抗議も行ない、被爆二世が参加しました(写真右)。
9日は浜松市平和委員会のロシアの戦争に抗議するスタンディングに参加(写真左)。ウクライナ国旗と「ふたたび被爆者をつくらないで」のタペストリーで宣伝しました。
(原静江・磯部典子)
福岡県被団協も参加する「日本政府に核兵器禁止条約の署名と批准を求める署名推進福岡県連絡会」は2月28日、博多駅前で抗議行動を行ないました。「核兵器での恫喝や使用禁止を定めた核兵器禁止条約への批准を、日本政府や核保有国に求めていきましょう。核兵器廃絶をすべての命あるものと地球の未来のために実現していきましょう」と市民に訴えました。
(南嘉久)
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ロシアのウクライナへの軍事侵攻と核兵器での威嚇、また安倍元首相の「核共有」発言に有力議員や日本維新の会も追随発言をしたことに強く抗議するため、鹿児島県被爆者協議会と二世の会が主催し、県原水禁のメンバーと3月12日、鹿児島中央駅前広場で集会を行ないました。一般市民の飛び込み参加を含む30数人が参加。二世の会大山正一会長ほか、参加者のリレートークとスタンディングで市民に訴えました。集会終了後抗議文を与党党首と幹事長あてに送付しました。
(大山正一)
広島県被団協(箕牧智之理事長)など広島被爆者7団体は、侵略が始まった直後の2月25日抗議声明を発表。軍事行動の即時中止を求め、核兵器使用を示唆する威嚇に憤りを表明。
3月8日には原爆ドーム前で市民団体がキャンドルの集いを開き、被爆者代表も参加。1200本のろうそくの灯で「戦争・核兵器は要らない」の文字をロシア語・英語で描き、被爆地から発信しました(写真1面)。箕牧理事長は「独裁者につける薬はないものか、国連が試されている」と指摘。もう一つの広島県被団協の佐久間邦彦理事長は、避難中の母親が娘に「これはゲームよ、心配しないで」と懸命になだめていた姿を紹介し、残忍な戦争を許せないと声を震わせました。(田中聰司)
長崎被爆者5団体の呼びかけで3月6日、長崎平和祈念像の前で緊急集会を開催しました(写真1面)。被爆者、被爆二世、市民ら400人が参加。11時2分に原爆の犠牲者とウクライナでの犠牲者の冥福を祈り黙とう。アピール文をロシア大使館と日本政府に送りました。
この集会に先立つ2月28日、被爆者5団体は長崎市政記者クラブで記者会見を行ないました。田中重光長崎被災協会長は「ウクライナの映像に胸がつぶれる思いだ。被爆者が『二度と被爆者をつくるな』と運動をしてきたことで核兵器禁止条約が発効し、その中でこの蛮行があった。世界中がロシアの侵略を批判し抗議しなければならない」と述べました。抗議文をロシア大使館に郵送しました。(柿田富美枝)
ピースボートとパルシステム連合会は3月5日共同でオンラインイベント「平和・核廃絶に向けたフォーラム」を開催しました。核兵器禁止条約締約国会議にあわせて3月に設定したもので、会議は延期されましたが、想定を上回る350人が参加しました。
ICAN国際運営委員の川崎哲さんが「核兵器の終わりか、私たちの終わりか」をテーマに基調講演。冒頭、ウクライナ情勢について解説し「一人ひとりが『戦争やめろ』と声を上げることも社会的制裁。声の力で戦争をやめさせ、ロシアを国際社会に戻すことが重要」と提起しました。
分科会では「核兵器禁止条約締約国会議に向けた課題」「世界における核被害と環境問題」「市民の活動を広げるためには」の3テーマに分かれ、意見交換しました。
日本被団協の田中熙巳、木戸季市、児玉三智子、濱住治郎の各氏のほか国内外で活躍する幅広い年齢層の登壇者が、それぞれの経験から見えた核兵器廃絶の現状や問題意識を紹介し、「私たちができること」を考えました。(植田真仁)
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沖縄県原爆被爆者協議会は3月11日、那覇市県民広場で開かれた「さようなら原発・核兵器」沖縄集会に参加しました。東日本大震災から11年のこの日、震災被災者への追悼とともに原発と核兵器の撤廃を訴えました。
参加した大城智子理事長は「原爆が日常を奪い、差別をおそれて被爆したことを話すなと親戚から口止めされ、長い間話すことができなかった」などと語り、核兵器の恐ろしさを訴えました。(沖縄県原爆被爆者協議会)
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3月3日埼玉会館で、午前に埼玉県生協連主催「ピースフォーラム~核兵器をなくすために必要なこと~」、午後は埼玉県原爆被害者協議会(しらさぎ会)主催「核兵器のない世界を実現しよう!活動交流会」を開催、会場に26人、オンラインで60人が参加しました。
フォーラムでは、川崎哲さんがウクライナ情勢や核兵器禁止条約の条文の主旨、核廃棄の道筋等を講演(写真)。
活動交流会では、生協や原水協などが署名活動を報告。大学4年の青木秀介さんが、自分が住む市の議会に「核兵器禁止条約の署名・批准を求める請願」を提出した活動を報告しました。「核兵器のない世界を実現しよう!活動交流会アピール」を参加者一同拍手で確認しました。(吉川幸次)
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「寝屋川市内の小学校、中学校にパネルを寄贈したらどうか」という声が、寝屋川被爆者の会役員会であがりました。というのは、2020年4月に予定されていたNPT再検討会議に寝屋川市の被爆者4人を派遣すべく、被爆者や知人に募金をうったえたところ、100万円以上集まっていたからです。NPT再検討会議は新型コロナウイルス感染拡大によって延期が続き、今年の夏開催されたとしても高齢の被爆者がニューヨークまで行くのは体力が持つか心配なので、派遣は中止することに。そこで集めた募金の役立つ活用方法を検討する中での声でした。
寝屋川市には小、中学校は36校あります。教育委員会に相談し、希望のアンケートをとってもらった結果11校が名乗りをあげてくれました。また被爆体験を話しに行った東大阪市にも声をかけたところ、「大いに活用させてほしい」との返事をいただき、5セット寄贈することになりました。
3月11日に東大阪市、23日に寝屋川市(写真)のそれぞれ教育委員会に手渡しました。
(山川美英)
原爆症認定を求める近畿訴訟の控訴審判決が3月18日、大阪高裁でありました。被爆者原告敗訴だった一審判決を支持して控訴を棄却しました。
同日、原告団と弁護団は声明で「本判決は、被曝の晩発的影響に苦しむ高齢の被爆者を救済する途を閉ざすもので、決して容認できない」「被爆者の訴えにもう一度耳を傾け、人類が今なお、愚かな道を歩んでいることに気づいてもらいたい」などと述べ、「裁判はなお続けざるをえない」として上告を決めました。
判決を受け原告団、弁護団と日本被団協の代表が、国の被爆者施策を抜本的に見直すよう厚労省に要請しました。
ビキニ被災から68年。関連行事が今年も開催され、日本被団協の役員が参加ました。
2月28日のオンライン特別企画では和田征子事務局次長がパネリストとして発言。日本と世界の政治家は核兵器使用による非人道的結末を知ってほしい、と訴えました。
3月1日のオンラインビキニデー集会では濱住治郎事務局次長が、核兵器のない世界の実現に力を尽くそう、と呼びかけました。同日、焼津市弘徳院での久保山愛吉氏墓前祭には木戸季市事務局長が参列し、「誓いの言葉」を述べました。
ロシアによるウクライナ侵攻と核の脅威の現実化という、この数週間の想像を絶する展開に、深い衝撃を受け、祈りと憤りと緊迫感の中で刻一刻の情勢の推移を見守っています。
これまでにもまして「核廃絶」の絶対的必要性が明白になってきたのと同時に、今回の一連の出来事を踏み台として、日本国内における「核抑止論」「防衛増強論」が力を増し、私たちの運動に対する追い風と向かい風の双方が、いよいよ切迫してきているように感じます。
被爆者の方々の痛切な思いと願いを胸に抱き、希望を堅持して、ともに試練に立ち向かっていきたいと思います。(岡山県原爆被爆者会副会長・二世部会長)
【問】夫と2人暮らしの被爆者です。夫の国民年金、月5万円と私の健康管理手当で暮らしています。私はかつて厚生年金に入っていましたが、退職するときに脱退手当金をもらったので無年金です。夫は被爆者ではなく医療費が毎月1万円、受診のためのタクシー代が2千円かかります。今は貯金も使い果たし、この歳まで生きるのではなかった、あの時、原爆で父とともに死んでいれば…と思うばかりです。
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【答】国民健康保険料は現在月額1万6600円、40年間未納することなく納めて受け取る年金が月額6万5416円。何かの事情で納付できない期間があればもっと少ない額になります。
あなたの場合、生活保護の申請をされたらいかがでしょうか。「生活保護は受けたくない」と思っている方もいますが、最後のセーフテイネットと言われています。
生活保護は住んでいる地域によって支給額が決められています。個人が使う1類と光熱費等世帯単位で負担する2類、それに住宅扶助や医療扶助、介護扶助があります。
夫婦とも80歳代で2人暮らし、お住まいの地域からいって受給の基準額は次のようになります。1類が1人3万720円で2人分、2類が4万5640円、家賃を支払っているなら住宅扶助として4万5000円、この合計が基準額です。家は持ち家とのこと、資産価値がない場合は売却する必要はないようです。したがって、1類と2類の合計額が10万7060円。ここから国民年金の5万円を引いた額が支給されます(2021年4月基準)。後期高齢者保険料や介護保険料の負担はなくなり、夫の医療費や介護サービス料も自己負担がなくなります。
被爆者の健康管理手当は収入とみなされず、保護費から引かれることはありません。