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8月5日生協虹のひろばで最後に登壇し あいさつする松井市長(左)と田上市長(右) |
2019年8月6日と9日、広島、長崎で開かれた平和記念式および平和祈念式典で、松井一實広島市長、田上富久長崎市長がそれぞれ平和宣言し、核兵器禁止条約に言及しました。
松井一實広島市長は次のようにのべました。
「日本政府には唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への署名・批准を求める被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい。その上で、日本国憲法の平和主義を体現するためにも、核兵器のない世界の実現に更に一歩踏み込んでリーダーシップを発揮していただきたい」
松井広島市長の平和宣言について、日本国内はもとより世界の人々が核兵器の禁止を求めており、「被爆者の思い」に限定することに違和感があるとの声が出ています。
同時に、「被爆者の思いをしっかりと受け止めていただきたい」ということで、核兵器禁止条約を拒否している日本政府に対し、条約への署名・批准に取り組むことを求めているともいえます。
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田上富久長崎市長は、「日本政府に訴えます。日本は今、核兵器禁止条約に背を向けています。唯一の戦争被爆国の責任として、一刻も早く核兵器禁止条約に署名、批准してください。そのためにも朝鮮半島非核化の動きを捉え、『核の傘』ではなく、『非核の傘』となる北東アジア非核兵器地帯の検討を始めてください。そして何よりも『戦争をしない』という決意を込めた日本国憲法の平和の理念の堅持と、それを世界に広げるリーダーシップを発揮することを求めます」のべました。
田上長崎市長は日本政府に対し、「一刻も早く核兵器禁止条約に署名、批准してください」と正面から求めています。そして何よりも「戦争をしない」という決意を込めた日本国憲法の平和の理念の堅持と、それを世界に広げるリーダーシップを発揮することを求めています。
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(左から)木戸さん、田中煕巳さん、 田中重光さん、ガウルさん、トーマスさん |
8月7日、原水爆禁止2019年世界大会・長崎の開会総会で、インド代表のマニシャ・ガウルさんから「ヒバクシャ国際署名」が、アメリカ代表のエレン・トーマスさんからはアメリカ政府に核兵器禁止条約の批准を求める署名が、日本被団協に手渡されました。田中重光、田中煕巳両代表委員と木戸季市事務局長が受け取りました。
インドからは2000人分、アメリカからは7000人分の署名です。
日本被団協は、来年ニューヨークで開かれるNPT再検討会議に向け、ヒバクシャ国際署名とともに、国内外で行なわれているさまざまな核兵器廃絶を求める署名を共同で国連に提出することを呼びかけ、準備を進めています。
ヒバクシャ国際署名の次の提出は10月の国連総会第一委員会です。それに向けての集約は9月20日。来年はNPT再検討会議直前に提出することにしています。
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国際署名全国交流会(8月8日長崎) |
ヒバクシャ国際署名連絡会は8月8日、長崎被災協講堂で全国交流会を開きました。全国各地で結成された連絡会や団体代表など50人余が参加して、それぞれの活動、成果や課題などを報告しました。
主催者から田中熙巳代表が、核兵器禁止条約に6日ボリビアが批准し発効に必要な50カ国の半数となった、来年のNPT再検討会議までに発効させたいと挨拶しました。
キャンペーンリーダーの林田光弘さんは、国際的な広がり、特に若者に訴えるために、この夏広島でアメリカ人DJが出演した動画を撮影したことなどを報告しました。
各県からの報告では、これから連絡会を作りたい県がある一方、連絡会が結成されていなくても大きな成果を上げている県もあること、署名数は必ずしも県内の被爆者数には比例していないことなどが浮かび上がり、どの県も、地元でのさらに広範な団体との協力が必要であることが強調されました。
県内の全議員(県市町村議会)と連絡先が明らかなすべての宗教団体に要請し、効果を上げている県もありました。
数億という目標を掲げて始めた署名活動もあと1年。長崎県民の会の朝長万佐夫共同代表は閉会挨拶で、「目標の大きさにめげずにやり抜こう」としめくくりました。
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2019ピースアクションinヒロシマ=ヒロシマの心を次世代のあなたへ、と題した虹のひろばが8月5日、広島市中区の広島県立総合体育館で開かれ、全国から1300人が集まりました。午後1時半から4時半すぎまで、多彩な活動でヒロシマの心をひろげました。主催は日本生活協同組合連合会・広島県生活協同組合連合会。
集会の司会は地元でパーソナリティとして活躍している玉田陽子さん。3時間を超すステージを担当。オープニングは広島市立千田小学校の合唱隊。被爆樹木で作ったパンフルートで演奏しました。日本生協連専務理事の藤井喜継さんが主催挨拶。藤森俊希日本被団協事務局次長が「核兵器のない世界」をめざす主題に添う「ふたたび被爆者をつくるな」「いま核兵器に終止符を打つとき」「世界が求める核兵器禁止条約」の3項目を40枚の写真、文章にしてスクリーンに映し35分間講演しました。
広島市立基町高校「原爆の絵」、広島修道大学ひろしま恊創高校の被爆やその後の復興を表現したダンス、広島県立福島工業高校はコンピューターグラフィックスやバーチャルリアリティなど技術を使って被爆前後の広島市の復元映像など写しました。安田女子大学文学部の書道学科学生が「ヒロシマ・ナガサキ」をテーマにした短歌十首、平和への思いをこめて大きな書面に表現し、会場に展示しました。
多彩なピースアクションの最後に松井一實広島市長、田上富久長崎市長が登場し、それぞれ思いを込めた挨拶のあと参加者全員で平和をめざし広島の歌を歌いました。
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8月3日~5日、「核兵器のない平和で公正な世界のために」をテーマに、広島市文化交流会館で国際会議が開かれ、21カ国・地域の86人が参加しました。
開会総会で、濱住治郎日本被団協事務局次長が被爆者あいさつし、来年は国連で原爆展を開催し多くの被爆者がニューヨーク行動に参加予定であると報告。核兵器禁止条約の一日も早い発効と、核兵器廃絶に取り組もうと呼びかけました。
オーストリア欧州統合外務省のガルホーファー公使による特別報告のあと、「広島・長崎の原爆被害、核兵器の非人道性、ヒバクシャのたたかい」など3つのテーマで分科会が開かれました。
5日の閉会総会で国際会議宣言が採択され、国連創設75年でもある来年は市民社会と諸国政府の共同をさらに発展させよう、2020年NPT再検討会議での国際共同行動を成功させよう、など呼びかけました。
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青森市の福井絹代さん(写真中央・89歳)の二重被爆体験が朗読劇「二重被爆の姉と弟」となり昨秋から無名塾の俳優さん(写真右と左)が舞台で演じられています。
7月20日、東京・調布市でその朗読劇と合わせて、福井さんを2年間取材した稲塚秀孝監督の新作映画「ヒロシマ ナガサキ 最後の二重被爆者」の上映会があり、福井さんが参加しました。
福井さんは、自身の体験は思い出したくない、誰にも理解されないとの思いと、青森で周りの差別意識も感じて口を閉ざしていましたが、近年青森県原爆被害者の会でのつながりや体験を受けとめてくれる支援者と知り合い、「もう核兵器は使われてはいけない。自分のような体験はさせてはならない」という思いを強くしています。
福井さんは弟が遺した膨大な二重被爆体験記から記憶をたどり、青森県庁に二重被爆追加申請、7月に長崎被爆も認定され被爆者健康手帳に記載されました。
映画についての問い合わせは稲塚監督=電話090―3433―6644まで。(辻村泰子)
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原爆胎内被爆者全国連絡会は8月5日、広島市内で第6回胎内被爆者のつどいを開き、20人の参加がありました。
今年5月にニューヨーク国連本部であったNPT再検討会議準備委員会で胎内被爆者として初めてスピーチをした濱住治郎日本被団協事務局次長が講演。各国代表への要請・懇談、若者との交流などを詳しく説明し大変興味深い講演でした。
全体会では、被爆75年の節目となる来年、2015年に続く第2集となる『証言集』の発行について協議。今回は会員に限定せず被爆者団体やマスコミを通じて全国に呼びかけ、100人の寄稿を目指して取り組むことを確認しました。
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7月19日、岐阜市ハートフルスクエアの会議室で東海北陸ブロック会議を開催しました。静岡、愛知、三重、岐阜、福井、石川の各県代表(富山は欠席)が集まり、今年11月に愛知県蒲郡市で行なう相談事業講習会の運営について熱心に討論しました。日本被団協の木戸事務局長から、原爆症認定訴訟の最高裁判決に向けて「被爆者の手紙」運動が提起され、「まず役員から書こう」と意思統一。また、来年4月のNPT再検討会議ニューヨーク行動の意義についても語られ、さらに参加を広げようと呼びかけました。(大村義則)
今夏、原水禁と原水協、二つの原水爆禁止世界大会をはじめ、多くの催しに参加しました。来年の被爆75年に向けた真剣な取り組みが心強く、印象に残りました。
広島・長崎の両市長がそろって政府に核兵器禁止条約の署名・批准を迫ったのは、被爆者と市民の声がもたらしたものとして歓迎するものです。
9日の世界大会閉会総会(長崎)で、参加者全員がヒバクシャ国際署名の目標数を書いたA4サイズのカードを掲げたのは圧巻でした。署名連絡会が取り組んだ米国人によるPR動画づくりは、本格的な国際活動として期待しています。
この間特に印象深かったのは「被爆者がいなくなる日が来る」という言葉を耳にしたこと。その日が間違いなく近づいています。それだけに高齢の被爆者の活躍に頭が下がります。若い人の「被爆者の話を聞こう」「原爆や戦争の真実を知ろう」という態度に励まされました。
それにしても安倍首相の態度は理解できない。式典挨拶で禁止条約に触れない、懇談会で被爆者の要望に応えない、「資料館を訪ねることは首相の宿題」という田中重光代表委員の発言を無視するなど、どれも被爆国の首相の態度ではありません。猛省を求めます。
7月27日死去。76歳、広島被爆。2013年から今年5月まで山口県被団協会長、14から15年に日本被団協代表理事。
2歳のとき広島市雑魚場町で被爆。家が崩壊し背中に骨が見えるほどの傷を負いました。
ヒバクシャ国際署名を通院先の病院や老人会、スーパーマーケットで集めるなど率先して動き、「核兵器廃絶にむけてみんなでがんばりましょう」と訴えていました。
8月9日死去。76歳、広島被爆。2014年から愛知県原水爆被災者の会理事長でした。
2歳のとき広島市水主町で被爆し、崩れた家の下敷きになりました。
「ふたたび被爆者をつくらせてはならない」と訴えていました。
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ホワイトハウス前で集会(8月9日) |
8月2日~12日、ワシントンのヒロシマ・ナガサキ平和委員会の招きでワシントンDCを訪問しました。
2日、ダレス空港に到着。空港から近いとのことで、「エノラ・ゲイ」が展示されているスミソニアン(国立航空宇宙博物館)の別館に行きました。第二次世界大戦で活躍した戦闘機がずらりとある中でひときわ大きいのがエノラ・ゲイでした。これが原爆を落としたのかと思うと、胸が締め付けられ、手が冷たくなり、涙がこぼれました。
5日はヒロシマ追悼の日。日本時間の6日朝と同時刻になるよう、5日の夕方に教会で集会がありました。広島の6日8時15分に合わせて夜7時15分に全員で3分間の黙とうをしました。
8日はナガサキ追悼の日。夜、ホワイトハウス前に集まり、ヒロシマの日と同様、夜10時2分に丸く輪になって黙とうをしました。私は「皆さまの行動に感謝します。アメリカをはじめ、核保有国の核兵器が廃絶に向かうよう、草の根の運動を強めましょう」と挨拶。その後、輪になっている人が想いを一言ずつ話します。その中のひとりが「原爆を許すまじ」を日本語で歌い始め、1番が終わると英語になり、輪になっている人たちが一緒に歌いました。ペンライトを手に素晴らしい光景で感動しました。
滞在中はインタビューの撮影や教会、サマースクールなどで、様々な背景を持つ人や子どもから高齢者まで、多くの人に証言し交流しました。すべての予定を終えて「元気でまた会いましょう」と別れた、現地のスタッフのみなさんに、心から感謝しています。
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米国ワシントンにあるアメリカン大学と、東京の明治学院大学の学生30人が、広島・長崎を10日間訪問するプログラムがあり、長崎で8月8日に日本被団協の田中熙巳代表委員が、9日に和田征子事務局次長が話をしました。
被爆証言、被団協設立までのこと、被爆者運動、核兵器禁止条約、そして国際署名のことなど。いずれの大学も熱心な指導教授のもと意識の高い学生たちで、熱心に聞いてくれました。
質疑応答では、11月のローマ教皇の訪日はどのような効果があり何を期待するか、被爆者の活動とジェンダー(性)の関連、女性の活動と権利について、禁止条約採択時の賛成国と批准国数の差があるのはなぜか、運動を続ける原動力は何か、などの質問がありました。帰国後イベントの企画を始めたとのこと。核兵器のない世界のために声をあげるピースメーカーになってほしいと願います。(和田征子)
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東友会は7月28日、「原爆犠牲者追悼のつどい」の後に「原爆被害について学び、語り合う交流会」を、東京・葛飾区のテクノプラザかつしかで開催し、70人が参加しました。
最初に内藤雅義弁護士から、原爆被害の「不条理」について問題提起を受けました。
続いて、被爆当時2歳だった練馬区の綿平敬三さんが、母が遺した手紙から知った直爆死した父と胎内被爆の弟を3歳で失った戦後の母の苦しみを証言。被爆二世の山田みどりさんが、生き残ったことを負い目に感じて被爆証言をしなかった兄が福島原発事故の後、被爆体験を語り始めたことを証言しました。
参加者の交流では、けがをした子どもの姿から被爆当時にフラッシュバックした被爆者の姿なども紹介され、被爆体験継承の重要性とともに難しさも明らかになりました。(村田未知子)
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静岡県原水爆被害者の会では毎夏、静岡市、浜松市ほか数カ所で「原爆と人間展」を実施しています。静岡会場は今年で18回目を迎えましたが、静岡県と県教委、静岡市の後援を得て7月22日~26日、県庁別館21階展望ロビーで開催、716人の来場者がありました。
大和忠雄会長の紙芝居実演、川本司郎顧問の語りなどで実相を伝えました。会場設営や説明係として被爆者のほか二世の会や支援者の皆さん、県疾病対策課の方々にも協力いただきました。
今回初めて、広島市立基町高校の生徒さんが描いた「原爆の絵」を展示し、好評でした。また、昨年まで2千部だったパンフレットを5千部に増やし、学校や議員、報道機関に加えて一般にも配布しました。教育委員会、平和委員会、新婦人の会、生協などの協力をいただきました。
8月中県内8カ所で開催しました。(小川武美)
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被爆74年の夏、北海道被爆者協会は今年もさまざまな行事に取り組みました。
道庁ロビーで行なう「被爆の証言と原爆展」は5年目、昨年から二世プラスの会と共催です。7月18、19日の2日間で約700人の来場者があり、被爆者6人と二世3人が証言しました。溶けた瓦をはじめ被爆の実相を物語る様々な遺品、原爆の絵、原爆ドーム復元模型、パネル「原爆と人間」、関連書籍等々100点を超えるヒバクシャ会館の所蔵品を展示。来場者は食い入るように見入っていました(写真)。
8月6日は、早朝、日蓮宗日登寺の境内を借りて原爆の火を囲む集いが開かれ80人余りが参加しました。8時15分に黙とう、宮本須美子さん(長崎被爆)が体験を語り「二度と被爆者をつくらないで」と話しました。
同日午後には札幌市内のホテルで原爆死没者北海道追悼会が開かれました。眞田保会長は「今日付けでボリビアが25番目に核兵器禁止条約を批准した。日本政府がその先頭に立たないのは残念でならない」と挨拶、120人余の参加者は、逝去された被爆者を悼むとともに、核兵器のない世界、平和な世界への思いを新たにしました。最後は全員で「原爆を許すまじ」を歌って第1部を締めくくりました。
第2部の「受けつぐつどい」では、海軍衛生兵として被爆直後の広島に救援隊として入って被爆した函館の桶田岩男さんが被爆後の生き地獄を証言、参加者に強い感銘を与えました。
15日は「核も戦争もない世界を」とさっぽろ平和行動が行なわれました。戦時中の「赤紙」をチラシにして配りました。札幌市被爆者の会会長の廣田凱則さんが道行く人々に訴え、続く「平和電車 走れ平和号」では金子廣子さんが被爆体験を語りました。
外の世界では核兵器をめぐって様々な逆流が起き、力の政策でことを解決しようとする動きが強まっています。「それだからこそ私たちは語っていく」と被爆者は気持ちを新たにしています。
(北明邦雄)
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神戸市原爆被害者の会は8月1日から6日まで、今年も神戸市デュオぎゃらりーで原爆と人間展を開催しました。
期間中の来場者は1738人。会場においたヒバクシャ国際署名への署名数は584筆でした。オーストラリアから観光旅行で訪れた初老の夫婦が、英文の説明を読んで涙をぬぐっていたのが印象的でした。
(立川重則)
【問】私は平成25年に「咽頭がん」で原爆症の認定を受けました。地元の病院では難しいと言われ東京の国立がんセンターで手術を受けました。声が出にくくなり、会話も困難です。現在は地元の病院で経過観察しながら副作用で発症した「甲状腺機能低下症」の治療でチラーヂンを服用しています。
今回、医療特別手当の更新手続きをした結果、特別手当に変更という通知がきましたが納得できません。このまま泣き寝入りするしかないのでしょうか。
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【答】医療特別手当の支給要件である「要医療性」は、受診状況が「定期的に受診し、現在治療中の場合」となっています。受診状況が「定期的に受診し、経過観察中」と「定期的な受診をしていない」場合は、①悪性腫瘍、白血病については再発したとの所見がない場合には手術等の根治的治療から概ね5年以内 ②ただし、乳がん、腎盂がん、尿管がん、膀胱がん、前立腺がん、甲状腺がんその他再発の可能性が特に長期にわたる疾病については概ね10年以内 ③末期の悪性腫瘍などで治療が困難な状況にあることが認められる場合、以上の条件のときは支給を継続して差し支えないとしています。
あなたの場合、①の「再発したとの所見がなく手術等の根治療法から概ね5年」が経過したと判断されたようです。
あなたが困難をかかえながら療養生活を送るなかでこの決定に納得できないのであれば、行政不服審査請求をしてみたらいかがでしょうか。決定通知を確認した日から3カ月以内に申し立てをしてみてください。
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兵庫県下の自治体首長各氏が呼びかける「ヒバクシャ国際署名」の新しいチラシ(署名用紙)ができました。
表面では、井戸敏三知事と県下全域・17市町長がそろって「私たちも賛同しています。あなたもぜひご署名ください」と呼びかけています。
裏面には、「核兵器廃絶への被爆者の訴え」を掲載し、署名欄を設けています。
制作は兵庫県原爆被害者団体協議会(兵庫被団協、岡邊好子理事長)。同会は昨年も県知事、市町長が連名で呼びかけるポスターを作って注目されましたが、今年から来年にかけ署名運動を盛り上げようと、各界の協力・援助を受け制作したものです。(副島圀義)
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国連で核兵器禁止条約が採択されてから2年が経ちましたが、ノルウェー政府は調印することを拒否しています。広島と長崎の被爆記念行事は核兵器ノー団体のオスロ支部が開催していますが、秋に地方選挙を控え、今年は、例年よりさらに力を入れました。
オスロの中心部にある広場で行なわれ、大雨の予報が幸い外れ、150人ほどが参加しました。与党のキリスト教民主党の国会議員団長も含め、労働党や平和・環境・青年団体の代表が挨拶しました。中でも、オスロの副知事で労働党のオスロ支部次長でもあるカムジ・グナラトナムさん(写真、31歳)は、自党の核兵器禁止条約に対する政策を批判し、労働党が必ず条約を支持するように尽力すると述べました。続いてオスロの司教が、核兵器は人間を否定するものでありキリスト教会も核廃絶のために貢献すると挨拶しました。また日本被団協の藤森俊希事務局次長から送られた挨拶が読み上げられ、「力を合わせて核兵器のない平和な世界をめざしましょう」の言葉に会場から拍手が湧きました。私が理事長をしている合唱団が「ウィー・シャル・オーバーカム」の音頭をとり、参加者が心を合わせて歌いました。
来年は被爆75年。主催団体は今回の経験を生かして世論を広げ、より大きな行事にする取り組みを計画しています。