非核兵器地帯は、限定した地域ですが、地域の国が核兵器を持たない非核兵器地帯を定める条約でつくられた地域です。
@中南米(トラテロルコ条約)33カ国 69年発効
A南太平洋(ラロトンガ条約)13カ国 86年
B南アジア(バンコク条約)10カ国 97年
Cアフリカ(ペリンダバ条約)54カ国 09年
D中央アジア(中央アジア非核兵器地帯条約)5カ国 09年
Eモンゴル(1国非核地帯)1カ国 00年 以上6つの非核地帯への参加国は116カ国です。
F南極条約は、平和利用を目的とし軍事利用を禁止しています。条約は、南極地域での領土主権、請求権を凍結しています。条約の締約国は現在50カ国です。61年発効
9月20日院内集会で発言する林田さん
今年7月7日に成立した核兵器禁止条約は9月20日、署名が開放され、9月24日現在53カ国が署名しています。50カ国が批准すれば、90日後に条約は発効します。来年中には条約が発効する見通しです。
課題は山積みです。北朝鮮の核・ミサイル実験で日・米政府を中心に核兵器によって威嚇する声は大きさを増し、核保有国は条約を無視し続けています。私たちは、すべての核保有国が非核化に向かうよう粘り強く説得しなければなりません。
その際、核兵器禁止条約が成立するまでの過程を何度も想起したいと思います。そもそも、条約は核兵器によって相手国を威嚇し、攻撃を思い留まらせる核抑止政策を禁じています。その根拠は、広島・長崎の被爆体験に裏付けられた核兵器の非人道性です。
条約は現在の状況を想定して、核保有国やその同盟国が条約に加盟できるよう工夫を盛り込んでいます。
核保有国を非核化する際の脆弱さも指摘されており、条約も完璧なものとは言えません。私たちが核兵器国を巻き込みながら、条約を核兵器廃絶へ向けた軸となるように育てていかなければなりません。
今、市民の役割として必要なのは、条約の内容を伝え、「二度と誰にも核兵器を使わせない」被爆者の思いを伝えることです。ヒバクシャ国際署名を国内外に広げれば広げるほど核兵器を禁止する力を発揮します。全ての国が条約に加盟し、核兵器を禁止し廃絶するために、一層署名を推し進めていきましょう。
署名式傍聴席の田中代表委員(左)。右は谷口、土山両氏の遺影を手にした田上長崎市長
第72回国連総会2日目の9月20日、ニューヨークの国連本部で核兵器禁止条約署名式典が行なわれ、50人の傍聴者の一人として参加しました。
式典は朝8時から、中満軍縮担当上級代表の司会で、グテーレス国連事務総長の感動的なあいさつに始まり、赤十字国際委員会、署名国、市民社会それぞれの代表のあいさつを受け、署名開始が宣言されました。
代表が次々と名前を呼ばれ、議長席壇の下に設けられたテーブル上の分厚い署名簿の該当ページを国連職員に示してもらい、厳粛に署名が行なわれました。すでに自国での批准を終えた国は批准書を高く掲げ、国連職員に手渡しました。
私は、1976年秋に「核兵器の全面禁止を国連に要請する国民代表団」の一員として参加してからの40年の日本被団協の運動を思い起こし、感慨ひとしおでした。
核兵器のない世界の速やかな実現をめざし、体験を通して核兵器の非人道性を訴えつづけてきた被爆者の思いがやっと実を結び始めました。
核兵器保有国とそれらの同盟国は条約への参加を拒んでいますが、核兵器の非人道性を知った市民社会が許さないでしょう。
原爆被害の実相普及と継承に一層の力を注ぐ決意を新たにしました。
ニューヨークの国連本部で核兵器禁止条約への各国の署名がはじまる9月20日から、国連が定めた「核兵器廃絶国際デー」である26日まで、ヒバクシャ国際署名連絡会は「ピースウェーブ2017」として行動に取り組みました。日本被団協はじめ、各地からの報告を紹介します。
官邸前行動
東京、埼玉、千葉、神奈川の首都圏被団協は9月20日、ヒバクシャ国際署名をすすめる首都圏の人びとに支えられて首相官邸前の街頭で1時間、「おりづるアピール」を行ないました。 東友会が用意した幅1bの5色の折り鶴が飾られ、首都圏と日本被団協代表理事など被爆者57人と、150人を超える人びとが首に折り鶴をかけアピールしました。 原爆犠牲者への黙祷、「原爆を許すまじ」の合唱から始まり、各県の代表が代わる代わるマイクを持って「日本政府は核兵器禁止の先頭に立て」「唯一の被爆国といいながら核兵器禁止条約に背を向ける安倍内閣は許せない」と厳しく糾弾。日本被団協の岩佐幹三顧問は「被爆者が訴えた核兵器の非人道性から条約が実現した。政府は核兵器のない時代を築く先頭にたってほしい」と訴えました。(村田未知子)
院内集会参加の各党代表
日本被団協は、核兵器禁止条約への日本政府の参加を求める院内集会を9月20日、参院議員会館で各政党代表の出席を得て開きました。ヒバクシャ国際署名連絡会協力。
直前の官邸前行動に引き続き、全国からの被爆者ら約100人が参加。岩佐幹三顧問の挨拶に続き、要請書を各党出席議員に手渡し、金本弘代表理事が読みあげました。
自民、公明、民進、共産、自由、社民の各党代表は、条約への日本政府の署名・批准に向け、国会で議論しすすめる努力を約束しました。
国連大学
核兵器廃絶日本NGO連絡会と国連広報センターの共催で「核なき世界に向けて〜転換点で考える」イベントが9月23日、東京・渋谷の国連大学で開かれました。
NPOガイヤ・イニシャティブの野中ともよ代表の基調講演のあと、国連広報センターの根本かおる所長の司会で、安部信康元国連事務次長の報告をうけ、外務省の川崎方啓軍縮不拡散・科学部審議官、日本被団協の和田征子事務局次長、鈴木慧南元ユース非核特使の3人がパネルディスカッション。最後に日本被団協の木戸季市事務局長が「核なき世界を考えるいい機会になった」とイベントを称えました。
千葉街頭署名
千葉県ヒバクシャ国際署名推進連絡会は9月9日午後1時半から1時間、JR市川駅北口で第5回統一署名行動を行ないました。13団体70人(内被爆者15人)が参加。
行き交う人々に「この署名で世界を変えましょう」と、原爆パネルを手に呼びかけました。足を止め横断幕を読んで署名する中学生や、募金し署名する女性の姿があり、署名140筆と募金2千円が集まりました。
9月13日には、連絡会の会議で「被団協」新聞8月号を使って「禁止条約」を学びました。その場で、「県民大集会」をとの声があがり、12月9日の開催を決めました。(千葉県友愛会)
広島街頭署名
広島で9月21日、「ヒバクシャ国際署名広島県推進連絡会準備会」の記者会見がありました。今年中の連絡会結成を目指し、広島のあらゆる団体・個人に賛同を呼びかけると表明しました。
記者会見終了後、ピースウェーブ2017の取り組みのひとつとして、準備会メンバーで街頭署名が行なわれました。平和文化センターの小溝泰義理事長も参加し、今後「オール広島」でヒバクシャ国際署名に一丸となって取り組むことを発信しました。(林田光弘)
新潟記者会見
新潟では8月21日、「ヒバクシャ国際署名新潟県連絡会」が結成されました。事務局団体は、新潟県原爆被害者の会(新友会)、新潟県生協連、新潟県原水禁、新潟県原水協の4団体で、共同代表となることも確認しました。
9月13日、新潟県庁で記者会見を行ない、結成アピールを発表。新友会の山内悦子会長が被爆者として核兵器廃絶への思いを述べました。 当面の取り組みは、9月23日、新潟市内で4団体共同署名宣伝行動を行ない、さらに、県内各自治体の議会に、日本政府に核兵器廃絶条約への参加を促す意見書提出を求め、陳情行動を行ないます。(西山謙介)
鹿児島連絡会
9月23日、鹿児島市内で核兵器廃絶を願う団体・個人の92人が参加して「ヒバクシャ国際署名をすすめる鹿児島県民の会」設立の集いが開催されました。
まず、谷口稜曄さんの最後となってしまったビデオメッセージ。続いて鹿児島県被爆協の西上床キヨ子会長が、被爆者としてこの署名に取り組む意義などを話しました。
記念講演として日本被団協の藤森俊希事務局次長が、被爆体験から核兵器の現在の状況、国連会議の内容や国際署名の重要性等、丁寧にお話しいただきました。集会では参加者がそれぞれ国際署名に取り組む決意を語り、時間を超過してしまうほどでした。
最後に署名用紙の訴え文を全員で読み上げ、集いは終了しました。 その後天文館アーケード入口で約1時間ピースウェーブ街頭署名に取り組み、藤森さんにもマイクを握ってもらい、署名を訴えました。16人参加で国内外の方々から138筆の署名が集まりました。(大山正一)
全国の自治体からも署名が届いています。
宮崎市役所からは「市役所に勤務する職員分」として2千筆を超える署名が届けられました。
茨城県那珂市からは「本市で開催しました沖縄戦写真パネル展の会場においてヒバクシャ国際署名の記載台を設置いたしました」として、会場の写真とともに署名が送られてきました。
日本被団協は北朝鮮が行なった核実験に対し9月6日、「核兵器の禁止は今や世界の潮流である。今回の核実験はこの潮流に背を向け、後戻りさせる暴挙であり、断じて容認できない」との抗議声明を発表しました。
中央相談所の秋の相談事業講習会が始まりました。東北ブロックからの報告です。
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福島県二本松市岳温泉で9月10日〜11日、東北ブロック講習会が開かれました。山形を除く東北5県から21人が参加し、3人の講師を迎えて学習と交流を行ないました。
わたり病院の斎藤紀医師、中央相談所の原玲子委員、日本被団協の藤森俊希事務局次長の3人の講師のお話はそれぞれすばらしく、「被ばく」という言葉にビクビクしている多くの福島の人たちにも聞いてほしいものでした。
青森からは県委託の被爆者相談員が、宮城からは被爆二世が参加され、高齢化した被爆者が会合などに足を運べない現実の中、今後のことを考える機会にもなりました。(福島・池澤恵美子)
ヒバクシャ国際署名連絡会は9月29日、東京・港区の日本被団協事務所で記者会見し、集約した署名数を発表しました。昨年4月からの累計で、515万4866筆となりました。
10月2日から6日の日程で日本被団協の木戸季市事務局長がニューヨーク国連本部を訪れ、国連総会第1委員会に提出します。
ヒバクシャ国際署名連絡会主催イベント「街頭署名アクション@渋谷ハチ公前」が9月26日午後1時 〜2時、ピースウェーブの締めくくりとして20団体50人が参加して行なわれました。 冒頭、ヒバク シャ国際署名の呼びかけ被爆者の一人だった谷口稜曄さんをはじめ、原爆死没者に黙とうを捧げまし た。被爆者や連絡会参加団体代表によるリレートークや歌で、核兵器禁止条約に全ての国が参加して 欲しいと呼びかけ、100筆を超える署名が集まりました。
島根県原爆被爆者協議会は8月6日、松江地区協議会および被爆二世の会とともにJR松江駅前で街 頭署名行動を行ないました(写真)。
気温が38度を超える猛暑の中、10時〜14時の行動には被爆者9人、被爆二世9人を含む22人が参加 。県知事と松江市長に署名をいただいていたことも伝えつつ、314筆の署名を集めました。
街頭行動は初体験でしたが、事前に実行委員会をつくって二世と共に汗したことは、今後に向けて も意義が大きかったと思います。(原美男)
神奈川県原爆被災者の会は、県生協連、県建設連合、県原水協と共同で「原爆と人間展」を横浜駅新都市プラザで8月25日〜28日に開催、多数の来場者で盛況でした。
神奈川県在住の被爆者が描いた絵、遺品、原爆ドームのジオラマ等を展示し、「はだしのゲン」のビデオ上映も。また被爆者による被爆証言を正午・夕方の2回、毎日開催。子供向けのクイズラリーでは親子で取り組む姿も多くみられました。
国連での核兵器禁止条約が採択されたこともあり、関心の高まりを感じました。
長年広島の資料館から借用していた原爆遺品が借用できなくなり、神奈川・東京の遺族から提供いただき展示しました。
4日間で来場者数約1万1000人、署名986筆、募金25万3936円でした。(神奈川県原爆被災者の会)
8月19日と20日、金山総合駅コンコースのイベント広場で、第4回「原爆と人間」パネル展を開催しました。今回は、広島市立基町高等学校普通科創造表現コースの生徒の皆さんが広島の被爆者の想いを描いた絵も合わせて展示しました。2日間で延べ6千人以上の方々に見てもらうことができました。(愛友会)
体験を語る服部さん
北海道で5月に発足した被爆二世プラスの会では、「被爆二世の多くは親の体験をキチンと聞くことができずにここまできた。というより、親はわが子に語ることができなかった」ことを思い、親世代の被爆体験をじっくりと聞くところから始めよう、そして核兵器禁止条約の意義を被爆者の思いの深いところでとらえよう、と考えました。
9月10日、二世プラスの会と札幌平和委員会青年部が主催し、札幌のヒバクシャ会館で服部十郎さん(88)の話を20数人が聞きました。服部さんは健康がすぐれないため去年の夏から語り部をやめていましたが、この時ばかりは小一時間立ちっぱなしで熱く語ってくれました。16歳で志願した少年兵の目に映った被爆直後の広島の惨状。生きたくても生きられなかった人々のうめき。助けを求める人々の前で何もできなかった自らの悔恨。「亡くなった人々、私たちの思いを継いでください」…服部さんの頬は涙で濡れています。二世も青年もこみ上げるものを抑えながら必死に聞いていました。 服部さんの思いは参加者それぞれの心に新しい芽生えの種をまいてくれたのではないでしょうか。(北明邦雄)
8月30日に死去した日本被団協代表委員、長崎被災協会長の谷口稜曄さんの葬儀が9月1日、長崎市内の葬儀場で大勢の参列者の中、行なわれました(写真)。
長崎被災協の田中重光副会長、日本被団協の田中熙巳代表委員らが弔辞を述べ、遺志を継いで核兵器廃絶に向けて取り組むことを誓いました。カナダのサーロー節子さんやマレーシアのマハティール元首相など海外からのメッセージも紹介されました。最後に参列者が「原爆を許すまじ」を歌い、谷口さんを載せた霊柩車を見送りました。
【問】被爆者手帳の取得や原爆症認定申請で却下された場合、不服申し立てができますが、昨年4月に法律改正が行なわれたと聞きました。変更点を教えてください。
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【答】2016年4月に、不服申し立て制度が50年ぶりに抜本的に見直され「行政不服審査法」となりました。 この法律では、まず審査請求期間が変わりました。これまでは処分があったことを知った日の翌日から60日以内に請求しなければならなかったのが「3カ月以内」と延長されました。 また、これまでは口頭意見陳述として申し立てをした審査請求人・参加人の意見陳述を聞くことだけでしたが、改正後は処分庁等に対する質問ができるようになり、陳述の場にすべての審査関係人を招集して実施されるようになりました。 さらに、これまでは処分庁から提出されたもののみとされていた書類の閲覧が、改正後は審理員に提出されたすべての書類を閲覧でき、写しの交付も可能になりました。 そして、審理を迅速に、透明性の向上に努力し、必要な情報を提供することを努力義務としています。 被爆者手帳の取得申請や、原爆症認定申請が却下されたとき、不服申し立ての期間が3カ月以内となったことで、不服申し立てについて考慮、相談する機会が十分保障されることになります。
第51回目原爆忌全国俳句大会(実行委員長安斎育郎)が9月10日、京都市の立命館大学平和ミュージアムで開かれました。
今年から日本被団協が後援団体に加わり「日本原水爆被害者団体協議会賞」も創設されました。150人から578句が寄せられ、8月30日の大会前最終実行委員会で大会賞はじめ入賞句を決定。日本被団協賞には、大平順一郎さん(新潟)の「平和とは語り継ぐこと原爆忌」が選ばれました。大会賞は能勢ゆりさん(京都)の「『おはよう』が最後のことば広島忌」でした。入賞者には記念の盾と賞状が贈られました。
『被爆の野から−原爆忌全国俳句大会五十年の記録』(原爆忌全国俳句大会実行委員会編)が9月1日発行されました。
大会の歴史を振り返りこれまでの入選句、あいさつやメッセージ、大会宣言、記念講演の記録などが収録されています。
第17回大会から始まった記念講演は34編が収録され、寿岳章子京都府立大教授、天野和夫立命館大学総長、田畑忍同志社大学学長などの学者・文化人のほか被爆者も名を連ねています。神奈川の土田康さん、東京の藤平典さん、長崎の谷口稜曄さん、静岡の杉山秀夫さんなど亡くなった被爆者の講演もあり、被爆証言集としても貴重なものとなっています。
A5版710ページ、頒価5千円。問い合わせ‖〒605−0952京都市東山区今熊野法蔵町64 伊藤方 原爆忌全国俳句大会実行委員会事務局 電話・FAX075−551−3553