核兵器が再び使われないためには廃絶しかない。さる7月、被爆者の願いを明記した核兵器禁止条約が採択された。理想論と揶揄されることもあった被爆者の訴えが、道義的にも法的にも国際的な正当性を持つことになったのだ。
条約は核兵器の保有、製造だけでなく威嚇も含めて禁止する。被爆者は条約に先立つこと33年、「原爆被害者の基本要求」で核兵器だけでなく核抑止力も明確に否定していた。被爆者運動は禁止条約を先取りしていたといえるのだ。だからこそ、核兵器廃絶にむけた被爆者の長年の努力を条約は「公共の良心」と讃えている。
核兵器の非人道性を訴える被爆者の言葉が条約採択に大きな役割を果たしたが、原爆体験を語ることは決してたやすいことではない。それでも被爆者が語ってきたのは、原爆がもたらした苦しみを二度と誰にも味わわせたくないからだ。その思いが多くの人の胸を打ち、被爆者の願いを自らの使命として立ち上がる者が続出した。原爆を背負わされながら原爆と対峙してきた被爆者の生きざまが、国際社会を動かしたのだ。
日本政府は条約を批准するつもりはないという。近隣国からの攻撃を防ぐには米国の核の傘が必要だと考えるからだ。核の傘から離脱するには、相互不信に基づく相互威嚇という抑止政策の構図を崩すことが求められる。他国との信頼醸成が不可欠なのだが、それは被爆者が国際活動を通して実践してきたことである。被害者として一方的に核兵器廃絶を説くのではなく、戦争そのものを否定しながら、戦争観や歴史観が異なる相手とも対話を積み重ねてきた。
条約を実効性のあるものにするためには、世界の核被害者と手を携えて「核と人類は共存できない」と訴え続けるとともに、近隣アジア諸国との対話を促進すべく日本政府に働きかけていく必要があるだろう。
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著作=『原爆体験と戦後日本−記憶の形成と継承』岩波書店、『被ばくと補償−広島、長崎、そして福島』平凡社新書、『「原爆の絵」と出会う 込められた想いに耳を澄まして』岩波書店、その他多数
中満上級代表(左端)と懇談
8月7日、長崎で開かれた原水爆禁止世界大会の開会総会挨拶で、中満泉国連軍縮担当上級代表は、7月に国連で採択された核兵器禁止条約の意義と「核兵器のない世界」に向けて国際社会がどのように連携していくかについて発言しました。
中満氏は、核兵器禁止条約について「被爆者の皆様の核軍縮への長年の取り組みが結実したものとも言える」とのべ、条約そのものが「被爆者の皆様が経験された、筆舌に尽くしがたい苦難に言及」していることと被爆者が長年訴えてきた「核兵器が使われた場合の壊滅的な影響や、そのような悲劇が二度と繰り返されてはならないという点にも言及」していることを強調しました。
そのうえで「この条約の核心は、核兵器を否定し、それを国際法として成文化した点にあり、交渉参加国が強く望んだ結果」とのべ、条約は「安全保障政策を核兵器に依存する国々に対する警鐘であるとも言える」と意義を強調しました。
核保有国の動き、とくに北朝鮮が核実験のほか核兵器を搭載できる様々なタイプの弾道ミサイルの能力獲得に力を注いでいることに触れ、不法で挑発的な行動は国際社会の秩序を不安定化させると指摘。国際社会は、冷戦期など厳しい状況のなかで、軍縮への対話を行ない、成果を生み出してきたとのべ、「人道的観点からも、安全保障の観点からも、軍縮への対話を再開し、深化させるべきだ」提起しました。
「核兵器のない世界」に向けて、国際社会は今後どのように連携していくかについて中満氏は「全ての国々に、核軍縮を達成するための様々な追加の手段を追求していただきたい」と要請し、「より深い対話や、新しい責務、柔軟性、そして新しい国際協力の形が求められる」とのべました。
1978年に開かれた第1回国連軍縮特別総会で、国際社会が最も優先的に取り組まなければならない課題として核廃絶をかかげ、そのためには、「大きな視野で軍縮に取り組む必要がある」ということを説いていた事実を思い起こそうと呼びかけました。
中満氏は9日午後、長崎被災協応接室で日本被団協の代表と懇談し、国連軍縮特別総会を開くなど、今後の国連の動きなどを語りました。
ヒバクシャ国際署名連絡会は8月6日、広島の署名連絡会結成準備をすすめている被爆者7団体と賛同団体とともに、12時半〜13時まで本通り繁華街で署名行動を行ないました(写真)。
核兵器禁止条約交渉会議に参加した広島県被団協副理事長の箕牧智之さんが「国連に296万の署名目録を届けました。2020年まで署名をさらに」と訴えました。日本被団協の岩佐幹三顧問、木戸季市事務局長らも参加、30分で318人の署名が寄せられました。
国連で訴える谷口さん(2010年5月7日)
谷口稜曄(たにぐち・すみてる)日本被団協代表委員が8月30日、癌のため死去しました。88歳でした。9月1日の葬儀には、日本被団協の田中熙巳代表委員が参列し弔辞をささげました。
16歳の時、自転車で電報配達中に長崎の爆心地から1・8`のところで被爆。背中を焼かれ、3年7カ月の入院の後も完治せず、手術を繰り返していました。
長崎原爆青年乙女の会会長、長崎原爆被災者協議会会長などを歴任。2010年6月から日本被団協代表委員でした。
2010年5月、ニューヨーク国連本部でのNPT再検討会議では、各国政府代表を前に演説し、約300人の出席者から総立ちで拍手を受けました。
安倍首相は8月6日と9日、広島、長崎で原爆犠牲者慰霊式典に出席・追悼しましたが、その場では核兵器禁止条約への対応に触れませんでした。その後の記者会見で問われ、広島では「核兵器禁止条約は、核兵器国と非核兵器国の立場の隔たりを深め、核兵器のない世界の実現をかえって遠ざける。わが国のアプローチと異なる」として「条約に署名、批准はしない」と述べました。
長崎では同様に記者会見で、「核兵器国の参加が不可欠だ。我が国のアプローチと異なることから署名、批准することはない」表明しました。
日本被団協は7月28日、安倍首相あて「速やかに核兵器禁止条約に署名し批准してください」との要請書を送りましたが、8月末現在、首相から返答はありません。
要請書は、昨年5月、オバマ大統領が広島を訪問した際、安倍首相が「世界中のどこであろうとも、再びこのような悲惨な経験を決して繰り返させてはならない」「『核兵器のない世界』を必ず実現する」と表明したことなどをふまえ、核兵器禁止条約に署名し批准することを求めています。
広島、長崎、全国の被爆者団体、平和団体などから安倍首相への抗議の声があがっています。
全国空襲被害者連絡協議会(全国空襲連)は8月14日、空襲被害者救済法案の到達点を知ってほしいと、東京のすみだ女性センターで「全国空襲連のつどい」を開き、全国から約120人が参加しました。
法案の骨子素案には、障害者に特別給付金を支給する(1人50万円、国籍を問わない、沖縄地上戦の被害者も含む)、空襲被害者の実態調査の実施や追悼施設の建設などがあげられています。
運営委員長の安野輝子さんが「次の臨時国会に私たちが納得できる内容の法案が上程され成立することを願っています」と挨拶しました。
「空襲被災者運動史の現段階−給付・追悼・実態調査」について山辺昌彦東京大空襲・戦災資料センター主任研究員が、「杉山千佐子の人と生涯」について岩崎建弥元全国戦災障害者連絡会事務局長が講演。また瑞慶山茂弁護士の特別報告「沖縄戦・南洋裁判が目指すもの」がありました。
日本被団協から、木戸季市事務局長と濱住治郎次長が参加。木戸事務局長は、昨年の沖縄交流ツアーにふれ「戦争被害に対する日本政府の受忍政策を変えさせよう」と挨拶しました(写真)。
原爆胎内被爆者全国連絡会は8月5日、第4回胎内被爆者のつどいを広島市内で開きました。
日本被団協の代表として国連などで核兵器禁止条約実現のため奮闘されてきた事務局次長の藤森俊希氏が「日本被団協60年の歩みと核兵器禁止条約」のテーマで講演。日本被団協の成立から今日までの運動、核兵器廃絶のため果たしてきた活動わかりやすく話され、今後の私たちの活動に多大な示唆を与えていただきました。参加者が30人弱でもっと多くの人に聞いていただきたかったと反省しています。
今年は外国の人にむけて『被爆70年に想う〜胎内被爆者等の手記集〜』(2015年発行)の英語版を発行、原水禁世界大会国際会議などで配布しました。ご希望の方は事務局(FAX082−545−3641)までご連絡を。(三村正弘)
原爆で命を奪われた死者と「ふたたび被爆者をつくるな」とたたかってきた先達に核兵器禁止条約の採択を報告し、皆さんと喜びを分かち合えることを嬉しく思います。
広島と長崎は、原爆が使われたら、人類は滅びることを教えました。
原爆を使ってはいけないという人びとの思いが、国連決議第1号を生み、日本国憲法9条を誕生させました。
決議や憲法に反し、核兵器はいまだに1万5千発近くあります。核保有国も1カ国から9カ国に増えました。核兵器は人類と共存できない絶対悪の兵器です。72年間の歴史が教える事実です。
被爆者の72年は、たたかいの歴史でした。沈黙を強いられた11年、1956年8月10日、原水爆禁止を願う人々に支えられ日本被団協を結成しました。「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おう」と誓い、「ふたたび被爆者をつくるな」と訴えてきました。
日本被団協は、ふたたび被爆者をつくらないために、「核兵器の廃絶と原爆被害への国家補償」の実現に奮闘してきました。核兵器廃絶は、禁止条約採択によって、歴史的一歩踏み出しました。
原爆被害への国家補償を歴代政権は頑なに拒否しています。根拠は「戦争犠牲受忍論」です。基本懇は述べています。
「およそ戦争という国の存亡をかけての非常事態のもとにおいては、国民がその生命・身体・財産について、その戦争によって何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、それは、国をあげての戦争による『一般の犠牲』として、すべての国民がひとしく受忍しなければならない」
過去の戦争犠牲だけでなく未来の戦争の犠牲も我慢せよと。原爆被害を起こさせない仕組みを築くのは国民の課題です。
昨日8月6日、安倍首相は広島で、核兵器禁止条約に署名・批准しないと明言しました。唯一被爆国の首相の言動として許されるでしょうか。
日本の首相が今、しなければならないことは、日本国民、被爆者の願いを核兵器保有国、同盟国の指導者にしっかり伝え、説得して禁止条約に署名させることです。そして、憲法9条を具体的に生かす法律をつくり、二度と戦争犠牲者をつくらないことです。
国際署名をはじめ、多様な連帯行動・運動で「国民の生命、安全、暮らしを守る」首相をつくりましょう。
核兵器のない平和で公正な世界の実現へともに奮闘しましょう。
群馬県原爆犠牲者慰霊式が8月13日、前橋市の嶺霊園内にある原爆犠者慰霊碑前で行なわれました(写真)。群馬県原爆被災者の会(群友会)の須藤叔彦会長が昨年末に死去、その後会としての活動は一時的に休止していますが、原水禁、原水協を中心とする実行委員会の主催で開催され、日本被団協から木戸季市事務局長とM中紀子事務局次長が参加しました。
厳かな墓地公園の中、黙とう、献奏、被爆者のことばと続きました。被爆三世・伊藤あゆみさんが「私たちの願い」として「核兵器の完全な廃絶に向けて仲間とともに歩みをすすめていきたい」と結びました。
式の終了後、会の存続を願う大塚謙司さんほか県内被爆者、関係者、日本被団協の木戸、M中両氏が懇談し、今後連絡を取り合っていくことなどを確認しました。
8月4日、伊方原発3号炉の運転差止めを求める仮処分却下に即時抗告を行ないました(写真上)。7月21日の松山地裁の不当な決定に抗議し、申立人10人が改めて高松高裁の判断を求めたものです。松山地裁では、学者・専門家の意見書も得て住民側が原発の危険性を具体的に指摘しましたが、四国電力は「規制基準に合格しているから安全」と言うばかりでした。審理の内容では住民が圧倒していたにもかかわらず、裁判官は原発推進の国策を忖度(そんたく)し原発の危険から目をそむけたとしか思えない不当な決定でした。
8月6日〜20日、愛媛新聞社の1階ロビーで、原爆写真展を開きました(写真下)。初日の冒頭、愛媛県原爆被害者の会松山支部の亀井好一さんが約40人の親子に被爆体験を語り、渡部典一、岡本教義、大久保悦夫、田中英子、松浦秀人の5氏が交代で写真説明員として参加しました。愛媛新聞社での写真展開催は初めてです。(松浦秀人)
新月灯花のみなさん
藤森さん(左)と和田さん(右)
8月8日、長崎での国際署名全国交流会(3面別項)に続き、長崎勤労福祉会館ホールで若いミュージシャン二組のライブと核兵器禁止条約交渉会議参加者のトークが行なわれ、120人が参加しました。
女性4人組みの「新月灯花」は、広島・長崎に投下された、リトルボーイとファットマンをテーマにした「太った男と小さな少年が世界を壊した夏」などを歌いました。「真実」では会場と手拍子を交わし「真実が知りたい、真実を求めたい、真実をつかみたい、真実を伝えたい」と歌いあげました。
長崎県民の会の朝長万左男さんが「今日は女性の皆さんからエネルギーをいただいた。国際署名は核兵器禁止条約が採択され新たなステージに入った」と挨拶しました。
条約交渉会議に参加した和田征子さんは、国連の議場で、ホワイト議長に国際署名を手渡したことにふれ「300万近くの署名をとても喜んでいただき、秋にはもっとたくさん持ってきますと話した」と報告しました。
藤森俊希さんは、「朝長さんが女性のパワーに感心しておられたが、いま地球に共通しているのではないか。ホワイト議長は穏やかな人だが、とても芯があり、会議で見ていて勉強になった」とのべ、条約採択の対応ど報告しました。
質疑のあとシンガーソングライター「ユキヒロ」さんが登場。作詞作曲し高校の音楽教科書に採用された「HEIWAの鐘」などを歌いました。
最後に日本被団協の田中熙巳代表委員が「署名を呼びかけた私たちの後ろに多くの死没者がいることを忘れてはいけない。国際署名を広げていこう」と呼びかけました。
左・ユキヒロさん、右・朝長万左男さん
ヒバクシャ国際署名全国交流会が8月8日、長崎勤労福祉会館で開かれ、16都県から約70人が参加しました。
長崎県民の会の朝長万左男さんのあいさつに続き、ピースボートの川崎哲さんが署名の活動方針を提案。核兵器禁止条約が採択されたが、署名用紙は変えず核兵器禁止条約の締結と履行をすべての国に求めていくことなど確認しました。各都県の代表が活発に発言、途中、ネパール代表が参加し、1万5千筆の署名を集めた、署名をさらに広げると述べ、参加者から拍手を受ける場面もありました。
ヒバクシャ国際署名をすすめる愛知県民の会設立の集いが7月30日、名古屋市で開かれ、120人が参加しました。
設立を呼びかけたのは恩田明彦・愛知県原水爆被害者の会理事長、沢田昭二・愛知県原水協理事長、竹内宏一・元原水禁愛知事務局長、益川敏英・素粒子宇宙起源研究機構長(ノーベル賞受賞者)、丹羽宇一郎・元中国大使(前伊藤忠商事会長)、夏目有人・コープあいち理事長、松田正久・愛知教育大学前学長、稲福繁・元愛知医科大学学長、早川純午・愛知県民医連会長、花井増實・元愛知県弁護士会会長ら愛知県内の著名な22氏。集いには7氏が参加し、設立の思いを語りました。
国連会議に参加した横江英樹・愛知県原水協事務局長が核兵器禁止条約をめぐる論議や条約の内容を紹介しました。ヒバクシャ国際署名連絡会の林田光弘キャンペーンリーダーが記念講演を行ない、全国の地域連絡会結成の動きを紹介。「国・宗教・イデオロギー・世代を超えた署名」で「ヒバクシャの願いであると同時に全ての人々の願いだ」と強調しました。最後に、「設立アピール」を参加者の拍手で確認しました。(大村義則)
核兵器廃絶国際署名山口県推進連絡会(県被団協、県生協連、自治労県本部、県労連など8団体で構成)は7月23日、山口市内でキックオフ集会を開きました。約100人が参加し、2020年までに県内で100万筆の署名を集めることを確認しました。
日本被団協の田中熙巳代表委員が講演し、核保有国を動かすため市民による運動の広がりを、期待をこめて呼びかけました。(山口県被団協)
8月21日、「ヒバクシャ国際署名」新潟県連絡会を結成しました。事務局団体は、新潟県原爆被害者の会、新潟県生協連、新潟県原水禁、新潟県原水協の4団体です。
今後、9月20日に結成アピールと記者会見、9月23日に新潟市内で街宣行動のほか、県下各市町村議会に対し国の関係機関に核兵器禁止条約への参加を促す意見書の送付を行なうよう陳情する、などの行動を予定しています。(西山謙介)
北海道被爆者協会は今夏も様々な行動に取り組みました。
7月2日、日本平和学会の「グローバルヒバクシャ分科会」で証言と報告を行ないました。
7月19、20日は「被爆者の証言と原爆展」を道庁ロビーで開き(写真)、昨年よりも多い694人の来場者がありました。誕生して間もない「二世プラスの会」との共催で、初めて公の場所で証言した被爆者や二世の証言もありました。
8月6日は恒例の「原爆死没者北海道追悼会」。この1年で15人の被爆者が亡くなりました。第2部の「被爆者の思いを受けつぐつどい」では6月に亡くなった被爆者の母校の平和教育の実践が感動的に語られました。
8月15日は諸団体共同の平和行動でした。被爆者もマイクを握り「赤紙」を配り平和電車の中で証言しました。
9月10日には二世プラスの会と札幌平和委員会青年部が共催で「シリーズ・じっくり聞こう被爆体験」の1回目を行なう予定です。(北明邦雄)
神戸市原爆被害者の会は、今年も「原爆と人間」写真展を8月3日〜8日神戸市のデュオぎゃらりーで開催しました。
台風の影響はあったものの、来場者は昨年とおおむね同じの1257人でした。ヒバクシャ国際署名は388筆集まりました。なかにはパネルを見て涙ぐむ人や、子どもに説明する人などもいて、被害の実相を伝えることが出来たと思っています。(立川重則)
【問】私たち夫婦は共に被爆者です。これまで病気をしながらも夫婦で協力して子育てをして、今は夫婦二人暮らしをしています。高齢になり二人とも病気がちで寝たり起きたりで家事をするのも大変になりましたし、外出もままなりません。
介護保険サービスは利用していますが細かい家の中の事や買い物、外出時の同行などは、近くにいる娘と息子の連れ合いが交代で来てやってくれています。二人に気持ちだけでもお礼をしたいと思いますが、わずかの年金生活ではそれも無理です。なにか方法はないものでしょうか。
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【答】ほんとうにお二人で頑張ってこられたのですね。それは娘さんや息子さんの連れ合いさんが気持ちよく世話に来てくださっていることが証明していると思います。
お二人とも寝たり起きたりとのことなので、被爆者の他人介護手当の中等度あるいは重度に該当するのではないかと思います。主治医に相談して介護手当の診断書を書いてもらってください。
被爆者の介護手当には他人介護手当と家族介護手当の2種類があります。同居する家族が申請する場合には家族介護手当になりますが、別に暮らしている子どもなどが介護のために来ている場合は他人介護手当を申請することができます。
介護手当用診断書を主治医に書いてもらい申請しますが、その後は毎月、娘さんと息子さんの連れ合いさんに領収書(領収金額・領収した理由・介護の期間と日数・支払者名・介護人の住所と氏名それに領収年月日)を書いてもらい「介護手当支給申請書」に添付して申請します。被爆者のお二人が受け取った介護手当を、娘さんと息子さんの連れ合いさんに渡してください。
昨年12月5〜8日の日本被団協結成60年沖縄交流ツアー報告集『命どぅ宝 沖縄とむすび戦争「受忍」政策を問う』が出来上がりました。
ツアー参加者のみでなく多くの人にツアーでの学びと感動を共有してもらおうと、シンポジウムの概要を中心に編集しました。「原爆被害者の基本要求」や「沖縄戦と原爆被害者(問題)をめぐる略年表」など、シンポジウムで配布された資料も多数収録し、巻末には関連資料として各社報道記事も。民間人の戦争被害とは、戦争被害への国家補償とは、を学ぶことができる1冊です。
A4版、カラーグラビア4ページ、本文92ページ、頒価1部1000円(送料別)。申し込みは日本被団協事務局へ。