前文に明記「被爆者の苦難に留意」
トーマス・マークラム国連軍縮担当副上級代表と面談
核兵器禁止条約草案
核兵器を禁止し全面廃絶を目指す条約交渉会議のホワイト議長(コスタリカ)は第2期交渉会議(6月15日〜7月7日)に先立つ5月22日、ジュネーブの国連欧州本部で条約草案を発表しました。条約草案の前文は「核兵器の被害者(HIBAKUSHA)、核実験の被害者の苦しみに留意…核兵器の使用は人道法の原則及び規則に反すると宣言」し、「核兵器廃絶を誠実に追求する」ことを表明しています。米軍による広島・長崎への原爆投下から72年を経て核兵器のない世界へ大きな一歩を踏み出す条約案の提起です。
核兵器の開発、製造、保有、使用禁止
条約草案の第1条は、
・核兵器の開発、製造、保有または貯蔵
・核兵器の輸送
・核兵器の使用
・核実験その他核爆発
のいずれをも禁止。
第6条では、核兵器の使用、実験による被害者への医療、リハビリ、心理的支援を含む社会的、経済的援助を定めています。
条約草案は前文と26条から成っており、第2会期で議論をへて採択されるものとみられます。
国連の交渉会議は、国連加盟のすべての国に参加を求めていますが、米、英、仏、ロ、中の核保有5大国のほか、日本、韓国、ドイツなど米国の核の傘の下にある国は、オランダ以外参加していません。
条約草案発表にあたって
核兵器禁止条約草案の発表にあたって日本被団協は「核兵器のない世界へ大きな一歩」との声明を出しました。
声明全文
国連で行なわれている核兵器を禁止し廃絶をめざす条約交渉会議のホワイト議長は、6−7月の会議に先立ち5月22日、国連欧州本部で、核兵器禁止条約の草案を発表しました。
条約草案は前文で「核兵器の被害者(HIBAKUSHA)、核実験の被害者の苦しみに留意…核兵器の使用は人道法の原則および規則に反すると宣言」し、「核兵器廃絶を誠実に追求する」ことを表明しています。米軍による広島・長崎への原爆投下から72年を経て核兵器のない世界へ大きな一歩を踏み出すことになります。
「ふたたび被爆者をつくるな」と世界に訴え続けてきたヒロシマ・ナガサキの被爆者は、ホワイト議長の条約草案を歓迎し、6−7月の交渉会議で条約が完成し、核兵器のない世界を求める各国がすみやかに署名・批准することを強く希望します。
交渉会議に参加していない核兵器国および同盟国も、核兵器のない世界を求めていることは間違いありません。6−7月の交渉会議に積極的に参加し世界全体が核兵器廃絶の実現に力を合わせることを強く希望します。
昨年4月、被爆者が核兵器を禁止し廃絶する条約の締結をすべての国に求める「ヒバクシャ国際署名」を開始しました。議長提案の条約案を結実させ、核兵器のない世界へ、いまこそ市民社会の力を発揮しましょう。
NPT準備委 児玉事務局次長が訴え
2020年NPT再検討会議第1回準備委員会が5月2日〜12日、オーストリアのウィーンで開かれ、日本被団協から児玉三智子事務局次長が出席しました。
会議2日目3日午後のNGOセッションで、児玉さんが最初に発言を求められ「きのこ雲の下の体験から核なき世界を求めて」と訴え、目に涙をする人もあり参加各国から大きな拍手が寄せられました。(発言要旨2面)
広島に原爆が投下された1945年8月6日、児玉さんは7歳、国民学校2年生でした。木造校舎の中にいたとき突然もの凄い光、あっという間に天井が落ち、窓ガラスが飛び散り教室の壁、机、床、校内にいた児玉さんに突き刺さりました。学校の保健室でガラスを取ってもらったものの手当てする薬もガーゼも包帯もなにもありませんでした。学校に迎えに来てくれた父に背負われ帰宅する途中この世の地獄を目にしました。真っ黒い炭のようになった赤ちゃんを抱き、ひどい火傷を負った母親、眼球が飛び出ている人、内臓を抱えた人たちが逃げまどっていました。8月の終わりころまでに親戚が次々と亡くなっていきました。
「いちばん辛いのは娘のことです」と児玉さん。娘が45歳で突然ガンに襲われ、13時間の手術後、体と心の痛みのなか治療を続けていた翌年の春突然、逝ってしまいました。「子を授かった時放射線の影響が出ないか迷い、決断して出産した娘を亡くし悲しみと悔しさの日々です」と苦しみを明らかにしました。
被爆者は自らの体験から「ふたたび被爆者をつくるな」「この被害をなくすには核兵器廃絶以外にない」と訴えてきたこと、国連で核兵器を禁止する条約交渉が進んでおり、参加していない核兵器国とその同盟国も国連会議に参加することを強く求め、ヒバクシャ国際署名への賛同をよびかけ「みなさんとともに力を尽くす」と決意を表明しました。
児玉さんは、会議以外に国際署名での行動、IPB(国際平和ビューロー)集会での発言、広島・沖縄ユース非核特使高校生と懇談、ドイツの大学生と懇談、高見澤特命全権大使に要請、フランス、キューバ、マレーシア、アメリカ、イギリスの大使と面談するなど多方面で活動しました。
5月14日、岩手県盛岡市でヒバクシャ国際署名岩手の会キックオフ集会として「いまこそなくそう!核兵器in岩手」が開催されました。予想を上回る250人参加の大盛況でした(写真)。
開催にあたり、工藤勝子県議会議員、陸前高田市の戸羽太市長、岩手県老人クラブ連合会の佐藤達夫会長からメッセージが寄せられていました。
集会は、岩手県原爆被害者団体協議会の伊藤宣夫会長の挨拶に始まり、私(林田)の記念スピーチと、岩手県の若者4人とのトークセッションも行なわれ、「継承」を形にしたような会になりました。
岩手の会は、賛同団体76団体(うち「会」への参加団体は66)という大変多くの賛同・参加でスタートしています。集会最後に、被爆者の声に賛同したあらゆる団体が参加するというヒバクシャ国際署名ならではの団結力で、県内で50万筆という大きな目標を掲げて頑張ると宣言されました。
県民が一丸となって署名活動を行なう、エネルギーに溢れた集会で、たくさん元気をいただきました。(ヒバクシャ国際署名キャンペーンリーダー・林田光弘)
ヒバクシャ国際署名連絡会は5月16日、東京・千代田区の弁護士会館で核兵器禁止条約交渉会議報告会を開きました。
3月会議に出席した日本被団協の藤森俊希事務局次長、川崎哲さん、土田弥生さんが会議の報告と核兵器廃絶への歩みについて解説しました。
東京・夢の島の第五福竜丸展示館前で5月6日、今年の平和行進出発集会が開かれました。約700人が参加し、日本被団協の田中熙巳事務局長が連帯のあいさつをしました(写真)。
この日は集会とその後の行進に、東友会の被爆者23人が参加しました。
全国で取り組まれる平和行進では、ヒバクシャ国際署名も取り組まれます。各地で地元の被爆者が参加して、国民に被爆の実相を伝え、核兵器廃絶を訴えます。
日本被団協事務局次長 児玉三智子
私は1945年8月6日広島の原爆投下の被害を受けた被爆者です。当時7歳で国民学校2年生、木造校舎の中にいました。
突然もの凄い光、あっという間に木造校舎の天井が落ち、窓ガラスが鋭利に飛び散り、教室の壁、机、床にそして私にも突き刺さりました。学校の保健室で突き刺さったガラスをとってもらいましたが、手当てする薬もガーゼも包帯も何もありませんでした。
学校まで迎えに来てくれた父に背負われ帰宅中この世の地獄を目にしました。皮膚が焼けただれぶら下がっている人、真っ黒い炭のようになった赤ちゃんを抱いた、ひどい火傷を負ったお母さん、眼球が飛び出している人、飛び出した内臓を抱えた人たち。
原爆が投下される少し前まで私は爆心地から350m位のところの学校に通学していましたが、国の命令により転居となり、学校も転校しました。もし転校していなければ生きてはいなかったでしょう。その学校に通学していた児童生徒約400人は一瞬のうちに焼き殺されました。
爆心地から3・5`余りの私の家も爆風で屋根がとばされ、ガラスが飛び散り、放射能を多量に含んだ「黒い雨」が家の中まで降り壁にはいつまでも「黒い雨」の筋が残っていました。
私の大好きな従姉の14歳のお姉ちゃんは、爆心地から500mのところで被爆し、顔半分、背中から右足までズルズルに焼けただれていました。ただれたところは化膿がドンドンひろがり、ウジがわき、からだを這い回ります。お姉ちゃんは「痛い、痛いよ」と言っていましたが、その声もだんだん小さくなり3日目の朝、私の腕の中で息をひきとりました。
10歳の従兄弟のお兄ちゃんは下痢があるだけで軽症でしたが、ある日耳から鼻から血を流し、口からは血の固まりのようなものを吐き出し突然亡くなりました。その他にも8月の終わり頃までに私の親せきは次つぎと亡くなっていきました。
今、私がいちばんつらいのは娘のことです。彼女は2010年、45歳で突然ガンに襲われ、13時間にわたるつらい手術をしました。手術後、体と心の痛みのなか、治療、リハビリを続けていましたが、翌年春に突然、逝ってしまいました。ガンが発症して4カ月でした。
この子を授かったとき放射線の影響が出ないか迷い、決断して出産した娘を亡くし悲しみと悔しさの日々です。
被爆者は、このような被害を世界の人々の上に再び繰り返させてはならないと「再び被爆者をつくるな」と訴えつづけてきました。それは、核兵器がもし使用されることがあれば国境を超え被害がおよび国民の命、安全を守ることなどできないことを自らの体験から知っているからです。
この被害を無くすのは核兵器廃絶以外にあり得ないのです。今、国連で「核兵器を禁止する条約」をつくる交渉会議が進められています。しかし、核兵器国はこの会議に参加していません。その理由として、交渉会議はNPT体制を崩すことになると主張しています。
しかし、核兵器国がNPT第6条を誠実にまもらないことで、新たな核保有国を生み出しています。現在交渉されている禁止条約の締結こそが核兵器の拡散を防止し、廃絶に向けての歩みを確実にすると信じます。核兵器国とその同盟国が交渉会議に参加することを求めます。
被爆者は昨年4月、核兵器を禁止し廃絶する条約を結ぶことを求める「ヒバクシャ国際署名」を呼びかけました。世界の数億の市民の賛同をめざしています。
被爆者の願いは、生きている間に核兵器が廃絶されることです。みなさん、ともに力を尽しましょう。
ヒバクシャ国際署名で5月29日、宗教者を中心とした取り組みが京都・清水寺と東京・増上寺で行なわれました。
【京都】清水寺で
【東京】増上寺で
ヒバクシャ国際署名連絡会とピース・プラットホームが増上寺会館研修室で午後2時から「核兵器廃絶への道筋」をテーマに集会を開きました。38人の参加で前広島平和文化センター理事長スティーブン・リーパーさんの講演、映画「ヒロシマ・原爆の記録」の上映、東友会副会長山田玲子さんとICAN国際運営委員川崎哲さんの話などで学び合いました。
「ヒバクシャ国際署名生協推進委員会」(神奈川県内の生協関係を中心とした地域の連絡会)は5月22日、同街頭署名と署名の受け渡し式を行ないました。
JR新横浜駅前の街頭署名では、生協の職員と組合員、神奈川県原爆被災者の会のみなさんが1時間行動し、79筆の署名を集めました。
神奈川県生協連事務所で行なわれた受け渡し式では、この日の79筆と、これまでに集められた署名11万6881筆の目録が、神奈川県原爆被災者の会の中村雄子会長に手渡されました(写真)。
(林田光弘)
回答数が3000を超える
兵庫県被爆二世の会は5月13日、定期総会を開催し、約30人が集まりました。被爆者、被爆二世以外に福島原発事故被災者支援団体、阪神・市民放射能測定所からも参加があり、記念講演「被曝による放射線障害〜おもに内部被曝の問題について」東神戸診療所所長の郷地秀夫先生のお話を、共に考える事が出来ました。郷地先生の「広島・長崎と福島は違います。両者がお互いを学び合うことが大事です。核兵器廃絶・原発ゼロを共通の課題としたいものです」とのお話が印象に残りました。
多くの参加者から「放射線障害」の基礎講座を続けてほしいとの声が寄せられ、二世の会で取り組んでいきたいと思います。また会場で、ヒバクシャ国際署名の協力をお願いしました。署名用紙を持ち帰る団体もありました。県被団協立川重則事務局長に、二世の会から国際署名80筆を渡しました。(中村典子)
兵庫二世の会総会
兵庫県被爆二世の会は5月13日、定期総会を開催し、約30人が集まりました。被爆者、被爆二世以外に福島原発事故被災者支援団体、阪神・市民放射能測定所からも参加があり、記念講演「被曝による放射線障害〜おもに内部被曝の問題について」東神戸診療所所長の郷地秀夫先生のお話を、共に考える事が出来ました。郷地先生の「広島・長崎と福島は違います。両者がお互いを学び合うことが大事です。核兵器廃絶・原発ゼロを共通の課題としたいものです」とのお話が印象に残りました。 多くの参加者から「放射線障害」の基礎講座を続けてほしいとの声が寄せられ、二世の会で取り組んでいきたいと思います。また会場で、ヒバクシャ国際署名の協力をお願いしました。署名用紙を持ち帰る団体もありました。県被団協立川重則事務局長に、二世の会から国際署名80筆を渡しました。(中村典子)
7月15日(土)・16日(日)武蔵大学江古田キャンパス
今年で11回目となる「被爆者の声をうけつぐ映画祭2017」が7月15〜16日、武蔵大学江古田キャンパス(東京都練馬区)で開かれます。
上映作品は15日に「広島長崎における原子爆弾の影響長崎編」「広島原爆魂の撮影メモ〜映画カメラマン鈴木喜代治の記した広島」「人間であるために」「不毛地帯」「ハンヒキヴィ・ワン」「飯舘村の母ちゃんたち土とともに」、16日に「被ばく牛と生きる」「永遠なる平和を−原水爆の惨禍−」「千羽鶴」「アトミック・マム」の10本。16日夜にはシンポジウム「被爆者の声をうけつぐために」が開かれます。
前売り券は大人1000円、学生・子ども500円。2日間フリーパス4000円。申し込みは共同映画03−5466−2311まで。
【問】ひとり暮らしの母ですが、介護認定を受けて「要介護2」です。膝と股関節に障害を持っていて家の中はなんとか歩いていますが、外出することもなく受診もタクシーを利用しています。
主治医から、自宅に訪問しても良いと言われていますが、本人は知り合いとおしゃべりできる唯一の場なので引き続き通院したいと言います。
通院時にタクシーに乗るのも大変で心配です。なにか良い方法はありますか。
* * *
【答】介護保険の要介護認定を受けてヘルパーサービスも利用されているとのことですので、ケアマネジャーと相談して通院時に介護タクシーを利用されたらいかがでしょうか。介護タクシーは乗降介助も含めて通院時のタクシーと一体となったサービスです。
利用するにはいくつかの条件があります。@介護認定を受けていること A利用目的が通院・公的機関への手続き・選挙の投票などであること Bケアマネジャーがケアプランに位置づけていること C介護保険の指定を受けたタクシー業者であること。乗務員は介護職員初任者研修(旧ホームヘルパー2級)以上の資格が必要です。通院時の乗降介助や病院内での移動については介護保険のサービスの対象になりますが、タクシー料金はかかります。
いろいろ制約もありますが、通院時に買い物とかより道をしない場合は介護タクシーを利用するのも一つの方法だと思います。